③ラスト・クリスマス
本編は今回で終了です。
次回から数回は、怪人図鑑とゴーストライター図鑑をお届けします。
長々とお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
「それはそうと、行ってあげなくてよかったんですか?」
からかうように確かめると、ハイネはしなやかに上半身をひねり、背後の病室を眺めた。BBAらしいお節介に少しムッとしながら、改は頬を両手で挟み、「あっちょんぶりけ」する。
「まあ、姫君ったら野暮。むさ苦しい野郎が混じっちゃったら、麗しいオ・ト・メの友情が台無しじゃない」
戯けた態度から一転、改はやるせなさのあまり溜息を漏らし、頭を後ろに倒す。潔癖なほど白い天井が目の前に来て、不思議と消毒液の臭いが強まった。
「後はあの二人がどうするか決める問題でしょ。俺があれこれ指図したんじゃ、それこそ管理だったり」
全部忘れて、日常に帰って欲しい――。
それが、改の本音だ。
謝罪の道は、怒号と慟哭に覆われている。
大切な人を悼む泣き声は、王様の出っ歯より遥かに鋭い。触れた瞬間、胸の奥に突き刺さり、取り返しの付かない罪悪感を植え付ける。人でなしと開き直る図々しさがなければ、もう笑みは浮かべられない。
中條たちに限っては、重傷を負わされても生温い行いをしてきた。世間に意見を求めれば、佳世を賞賛する声すら上がるだろう。
いや、中條たちの罪状がどうあれ、裁判官でもない彼女に刑罰を下す権利はない。ましてや佳世が彼等を襲ったのは、世直しはおろか私怨を晴らすためでもない。ただ、独善的な思考に従っただけだ。
これから先も、二人は手を繋いでいられるだろうか?
ネズミの真っ只中に飛び込み、佳世を抱き締めた小春の姿を代入しても、改はその質問に答えることが出来ない。何とか頷こうとしても、瞼の裏の亡骸が邪魔をする。いかに二人が固い絆で結ばれていようとも、他人に刻んだ傷は、他人に流させた血は、簡単に共有し続けられるほど軽くはない。
だが二人の行く先に二度と交わらない分かれ道が待っていたとしても、改に通せんぼする資格はない。他人に迷惑を掛けない限り、選択は自由だ。そして行動によって生じる責任は、いつだって選択した本人が負わなければならない。
「改さんは世話を焼きたかったんじゃないですか? 結構気に入ってたでしょ、あの子のこと」
ハイネはわざとらしく口を覆うことで、逆にイタズラっぽい笑みを強調する。
「あ、バレちゃった? あーゆータイプには弱いんですよね、昔っから。今からでもお世話してきちゃおっかな。上手いことだまくらかしゃ、二人まとめて抱けちゃいそーだし」
改は一瞬だけ来た道に顔を向け、可能な限り面倒そうに言い捨てる。
「あー、でもやっぱパス。あの子、一回抱いてやっちゃっただけで付きまとってきそう」
さりげなく目を閉じた改は、さも凝ったように首を揉む。
ハイネの目に触れないように延髄を撫でると、コブ状の傷跡――口の奥に穴を空けた名残が手の直滑降を阻む。口中に血の臭いが再現されると、引き金を引いた人差し指に九九回分の手応えが甦った。
これは梅宮改が独りで背負っていく重さだ。自分の分だけで息を切らしている小春に、これ以上余計な荷物を押し付けるなど冗談ではない。
「メンドーな女子とは、バイバイキ~ン」
改はハイネに鼻歌を聞かせながら、スマホを出す。
アドレス帳から小春の名前を消去すると、低い操作音が改を責めた。
電話番号一つ分軽くなったそれをポケットに戻すと、交代に小春と過ごした時間が溢れ出す。
墓場でのストリップ――。
カラオケで吹き付けられた鼻息――。
夜の校庭で投げ付けられた硬貨――。
過去と呼ぶのには若いのに、随分遠く感じる。
試しに伸ばしてみた手は、彼女の毛先にさえ触れることなく空を切る。その瞬間、どこかから隙間風が迷い込み、何も掴めずに大きく開いた指の間をすり抜けていった。
「改さんってホントにタチの悪い男子ですよね。ちょろちょろちょっかい出してくるクセに、女の子がその気になると離れていっちゃうんですから」
無数の前科を知るハイネは、腕を組み、一言物申したそうに顔を顰める。
「今さら気付いちゃった?」
お茶目に笑い、改はハイネの額を小突く。
「女なんてTENGAでしかないですからね。カラダ以外の繋がりを求められちゃっても、ウザいだけだったり」
「てんが?」
澄んだ目で爆弾発言し、ハイネは首を傾げる。デバの交尾には詳しくても、ヒト(♂)の下半身事情には疎いらしい。
可憐な少女が口にするには、いささか刺激的な単語を耳にした待合所の皆さんが、「つるぴかハゲ丸くん」っぽく飛ぶ。初老の男性が松葉杖でブブカだ。ICUから飛び出てきたナースさんは、危篤患者の意識が戻ったと叫んでいる。
「……大人のたしなみです」
的確にアンサーした改は、速やかにハイネの口を塞ぐ。これ以上、公衆の場に相応しくない発言をされたら、堪ったものではない。下手をしたら、霊安室の爺さん婆さんまで目覚めてしまう。
そそくさと彼女の背中を押し、改は世間の目が届かない玄関口へ急ぐ。お騒がせした皆さんに心から一礼し、病院を出ると、スマホがメールの着うたを口ずさんだ。
「クリスマスのお誘いですか?」
ハイネは白い息を引きながら、音源のポケットに顔を寄せる。
「少し羽根を伸ばしてきたらどうです? 事件も解決しましたし。ミケランジェロさんなんてもう一週間、雀荘から戻ってきませんよ、いいことに」
「今日はやめとこーかな」
軽く言い放ち、改は前に伸びる。ダルかった肩胛骨がピンと張り、襟と距離を取った胸元に貫くような寒さが潜り込む。
「クリスマスなのにいいんですか? 改さんには『お友達』がいっぱいいるんでしょう?」
ハイネは大袈裟に抑揚を付けた物言いで皮肉り、肘で改の胸をつっつく。デートもまともにしたことがない「行かず後家」は、若者が羨ましくって仕方ないらしい。
「いーのいーの。恒久的に売約済みですから、一番大切な女子に。で、今宵はどーしちゃいます? イタメシ? 叙々苑? オーソドックスだけど、ホテルでフルコースなんてのもよかったり。ついでにモーニングコーヒーもどうです」
改はタコさんにした唇をハイネに近付け、さあおいで! と大きく腕を広げる。
「ざ~んねん。もうお鍋の材料買ってあるんです。ベーリング海の漁師さんに、いいズワイガニを頂いたんですよね」
オ・ト・ナの階段へのお誘いを笑顔でかわしたハイネは、バキィッ! とカニの脚をへし折る真似をする。
「性夜……じゃねぇや、聖夜だってのに色気がないなあ」
そう言えば、去年は去年で寒風吹き荒れる駐車場を舞台に、同僚たちとパーティーした。シャレにならない病気になりそうなエビチリをお見舞いされたり、泥酔したメガネっ娘が暴言吐いたりしている内に、一年で最も不夜城の繁盛する六時間が終わっていた。
割と黒い部類に入る歴史だが、思い出すと笑みが漏れる。
「まあ、それも悪くなかったり」
甘んじて喪男喪女の集いに参加する意思を表明した改は、せめて気分だけでも華やげようと電飾を見上げる。先ほどまで真っ赤だったトナカイの鼻には、ブッシュ・ド・ノエル風のパウダーが掛かっていた。
「今さらムードを盛り上げられちゃってもなあ」
改はボヤきながら雲に手を伸ばし、ふくよかな雪を受け取った。
(終)




