②クリスマスキャロルの頃には
〈詐術師〉の詳細は、『亡霊葬稿シュネヴィ』のほうで説明しています。
本当はこの作品の中で説明するべきなのですが、あまりに長くなってしまったので。
こちらの作品では、「人間とは違う種族がいる」と言うことを伝えるだけに留めました。すみません。
やがて一輪挿しの薔薇に温かな陽光が差し、白い花びらがうっすらと透ける。
ぐぅ~。
嗚咽の応酬に混じったのは、胃の駄々。
太鼓にも比肩する音量がスズメのよもやま話を掻き消し、泣き声がピタリと止まる。
「あ、あの……、こ、これは……!」
あたふた小春から離れ、佳世はいたたまれなさそうに手を揉む。お風呂上がりのようにふやけた頬は、涙とは別の理由で真っ赤に染まっていった。
大和撫子が人前で腹を鳴らすとは何事か!
――と目くじらを立てるのは酷だ。
ずっと昏睡状態だった佳世は、オカリナの砕けた夜から点滴しか摂っていなかった。一番許して欲しかった相手に謝られて、気も抜けたのだろう。
「リンゴでも剥こうか」
苦笑しながら提案すると、小春はお見舞い品の置かれた棚に歩み寄った。
果物のカゴから王林を取った彼女は、黄緑の果皮にナイフを当てる。よろよろと剥かれた皮が一〇㌢ほど垂れると、爽やかな酸味が風に乗る。
――と、小春は思い立ったように手を止め、ナイフをひっくり返した。
はつらつと笑った彼女は、柄とリンゴを佳世に差し出す。
「やってみなよ」
唐突に促された佳世は素っ頓狂な声を上げ、自分の顔を指す。
「わ、私が!? 無理だよ! 私、タマネギだって剥けないんだよ!」
「やってみれば意外と簡単だって。カレー作れない私でも出来るんだから。それに自分で剥いたほうがおいしいよ、絶対」
強引にナイフを押し付けられた佳世は、渋々王林も受け取り、刃先を差し入れる。探り探り前進し、皮がちぎれる度にビクッ! とする手を眺めていると、だんだん王林がダイナマイトに見えて来た。
……違う!
……もっと包丁を倒して!
ハラハラするあまり指を開け閉めしていた手は、いつの間にかリンゴ剥きのエアプレイに勤しんでいる。これは病室へ乱入する前に、おさらばしたほうがよさそうだ。
結論を出した改は、二人に気付かれないように細く開いていたドアを閉じる。忍び足で病室の前から離れると、あーでもない、こーでもないと大騒ぎする声が背中を追ってきた。
難題に翻弄され、裏返った様子はまさに阿鼻叫喚。だが同時に、上手くいかないことを楽しんでいる。そう、パズルを解く時のように。
昼休み、教室の隅っこから漏れてくる音を聞いている内に、今さら実感が湧く。
勝ったんだな。
「ありがとうございました。色々手を回しちゃって頂いて」
改は軽く手を合わせ、右横に頭を下げる。
ハイネは薄く歯を覗かせ、謙遜するように両手を振った。
「偉いおじさんたちに、ちっと猫撫で声出しただけです」
にわかに表情を曇らせたハイネは、目を伏せ、つま先と見つめ合う。ダッフルコートの袖から先っぽだけ出た指は、もどかしそうに悶えていた。
「……それに、何もかも今まで通りってわけにはいきませんでしたし」
「監視、ですか」
改は荒っぽく頭を掻き、待合所を窺う。
黒服の二人組が、佳世の病室を睨み付けていた。
「あれだけの真似しちゃったんです。おとがめなしじゃ大岡裁きが過ぎちゃいますよ」
「ディゲルさんに調べてもらったんですが、佳世さんのお父さん――阿久津守矢さんは、常習的に〈偽装〉を横領してたみたいです。『破壊した』とか『紛失した』って報告してた中に、幾つか別件に用いられたものがありました。〈ハメルンオカリナ〉みたいに希少価値の高い〈偽装〉を、秘密結社さんたちに売り渡してたんだと思います」
顔の前に指を立てると、ハイネは少し熱のこもった口調で推測する。
「佳世さんのお父さんは事故で亡くなったって、小春さんが言ってましたよね? あれはたぶん、タチバナさんの方便です。実際は横流しがばれて消されたんです」
「背信には死を、ですか。判りやすく秘密組織しちゃってるなあ、タチバナさんは」
厳格な対応を耳にした改は、確認せずにいられない。
「本当にいいんですか? 被害者さんたちに真実を伝えさせて」
「〈詐術師〉のことはお話ししてないんですよね?」
「ええ、教えたのはカミサマの実在と、〈詐術〉の概要だけです」
「なら大丈夫……だと思います」
ハイネはぎこちなく苦笑し、大きく喉を波打たせる。制止の喉越しは、水分を一切摂らずにクッキーを食べた時より悪そうだ。
ネズミの怪獣を生み出す種族が、身近に潜んでいる――。
真実を知った時、人間はどう出るだろう?
未だに肌の色が違うだけの同類を迫害している生き物が、ハイネたちを歓迎するとは考えにくい。それどころか強大な力への恐怖、猜疑心は、最悪、彼女たちとの全面戦争を招くだろう。
秘密を守ることだけ考えるなら、真実を知る人間は少ないほうがいい。
改たちは被害者の記憶を改竄する、と言う名案も検討した。例えばケガの理由を事故にすげ替えてしまえば、〈詐術〉に触れることなく謝れる。
だがケガを負わせたと言う結果は変えなくとも、多少でも偽りを加えるのは、真摯に過去と向き合う二人への侮辱だ。それにありのままの罪状を話した上でなくては、本当に許しを得たとは言えない。
そう、世間を頷かせる理屈は全くない。第三者にすれば傍迷惑でしかない美意識で、改は世界の均衡を脅かしている。落とし前は取る。万一の時には、弾避けの前に立つ所存だ。
「阿久津さんは会社の動きに気付いてたんです。オカリナは保険だった。死後、制裁が自分の周囲に及んだ場合に備えて、遺された家族が身を守れるようにしたんです」
工事を楽にする爆薬も、人混みに投げ込めば肉塊を量産する。
こと力に善悪はない。善悪があるのは、力を振るう側だ。
オカリナにしろ、今回はたまたま悲鳴を奏でたに過ぎない。小動物を操る力をもってすれば、佳世の父親が願った通り、本当の意味で大切なものを守ることも出来たはずだ。
「退却しちゃったネズミさんたちは?」
「何匹か捕獲してみたんですけど、オカリナに操られてた頃みたいな凶暴性は確認されていません。集合して大きくなったりもしない。ゴミ箱を漁って、人に見付かれば逃げ出す――姿形以外は普通のネズミさんです」
「じゃあ、放置しちゃっておくんですか?」
「いえ、群れれば大人に重傷を負わせる猛獣です。生態系に悪影響を与える可能性も捨てきれない。今はオカリナの音波を分析して、一箇所に集める方法を模索中です。その後は上野に持って行こうと思ってるんです」
「上野……? ああ、カッパとかいるとこ!」
「ええ、あそこならお友達がいっぱいいますから」
行動こそ凶悪だが、ハゲ頭に出っ歯と見ようによっては愛嬌のある奴だ。昨今の「キモかわ」ブームに便乗して、パンダ級の人気者になるかも知れない。




