⑪雷神
今回はローゼンベルグオウゴンオニクワガタの蘊蓄を垂れ流しています。
あまり関係ありませんが、パプアニューギニアには「パプアキンイロクワガタ」と言うクワガタが棲息しています。「キンイロ」と言っても体色は緑で、他にも青や紫、赤い個体もいるとか。
樹液を舐める日本のクワガタとは違い、彼等は草の汁をエサにしています。パプアキンイロクワガタの前脚には斧状の突起があり、これで草の茎を切断するそうです。ちなみにメスにはこの突起がなく、オスに茎を切ってもらわないとエサにありつけません。
「んじゃま、サプライズなドライブと洒落込んじゃったり」
一頻り愛車を検分した〈ダイホーン〉は、車夫の定位置である銃剣の間に収まる。
脊髄のコネクタに剣山型の端子〈ダイハッチ〉が刺さり、車体に〈発言力〉が行き渡る。霜降り状の流動路が青く浮き上がると、車体後部のノズルが短く白煙を噴いた。
モニターに簡略化された車体が表示され、画面上から下に説明文が流れだす。スターウォーズっぽい横書きを斜め読みする傍ら、〈ダイホーン〉は銃剣のくびれた部分にある洞へ腕を差し込んだ。左手が銃剣内部の手綱を握り、右手の水牛が備え付けの突剣を呑む。
〝QORIKANCHA! SOMINSYOURAI! OLE!〟
暑苦しい電子音声が響き、モニターのクワガタさんを超力強いイナズマが打つ。
漆黒の一張羅が弾け飛んだ瞬間、顕現する勇壮な姿。
最早、日本小学生界のスーパースター・ノコギリクワガタはどこにもいない。
黄金の鎧を纏ったその姿は、世界昆虫界のスーパースター・ローゼンベルグオウゴンオニクワガタだ。
ローゼンベルグオウゴンオニクワガタはオウゴンオニクワガタ属の一種で、インドネシアのジャワ島西部に棲息している。体長は四〇㍉弱から八〇㍉程度。「オウゴン」の呼び名に恥じず、磨いた金貨のような山吹色の身体を持つ。
先端が三叉に分かれた大顎はミヤマやノコギリより小振りで、カーブも浅い。また背面から見ると、大顎の中程が内股のようにくびれている。生態には不明な点が多い。現地では木から幼虫や卵を採集したり、夜、光に集めた成虫を捕獲したりしている。
オウゴンオニクワガタ属は、ローゼンベルグオウゴンオニクワガタとモーレンカンプオウゴンオニクワガタの二種で構成される。
後者は更にスマトラ産のモーレンカンプ、マレー半島で獲れるモセリ、ミャンマーに棲むババ、ボルネオ発のフルストファーと四つの亜種に分けられる。光沢や大きさに違いはあるが、全ての種が黄金色だ。
ローゼンベルグの輝きは、計五種の中で最も強い。彼等には周囲の湿度によって体色が変化する性質があり、湿った場所では暗く曇った金に、乾いた場所では華やかに輝くように育つ。
「さあ、ひとっ走り付き合っちゃってもらおーか」
〈ダイホーン〉は襟元の卒塔婆に手を遣り、タイピン型のツマミを「R」から「I」の目盛りに一段上げた。
〝遺無怖牢挫震〟
読経を尻目に前傾し、車体の動きを司る重心の検知器に前進の意思を伝える。急速に回転を始めたタイヤに削られ、灰色の煙を噴き上げる鋪装。間髪入れず車体後部のノズルから圧縮空気の入道雲が膨れ上がり、テールランプが尾を引くスピードに人力車を押し出す。
「何したって無駄なの!」
駄々っ子のように叫んだ佳世は、頬に空気を詰め込み、オカリナに注ぎ込んだ。
堤防の決壊を思わせる轟音と共に沿道のビルが大群を放水し、肉の滝が車道を塞ぐ。果てしなく身投げするネズミに乱打された路面が小刻みに浮き沈みし、人力車のサスが跳ねる。
「拒まれるほど燃えちゃうの、ア・タ・シ」
二丁目っぽく声を高くした〈ダイホーン〉は、ついでに二丁の銃剣〈コンキスタドール〉をネズミの滝壺に合わせた。待ってましたと六匹の水牛が目を光らせ、一二本のレーザーポインターが灯台のように進路を照らす。
手綱型の引き金を引いた瞬間、べべべべくしょん! とエンドレスなクシャミ。
金串と一緒に飛び出す鼻息が水牛を白く包み隠し、チェーンソーまがいの振動が〈ダイホーン〉の手を激しく揺さ振る。いや攪拌する。白蝋病を考えるなら、戦いを長引かせたくないところだ。
青く発光する金串が止めどなく車道を駆け抜け、絶え間ない突風が並木をイナバウアーさせる。弾道で集中線を描くほどの乱射は、瞬く間に無色の空気を追い出した。密集した金串によって銃身の延長線は塗り潰され、青い太線が銃口とネズミをまっすぐ結ぶ。
将棋倒しを思わせる剣幕で雪崩れ込む金串が、尽きることを知らなかった肉の大瀑布に無数の風穴を空けていく。被弾する度、着弾までの降水量を上回る肉片を噴き出す滝は、次第に水量を少なく、流れを弱くしていった。
デヴァ!
ビルの外壁をちょろちょろ流れるだけになった雑兵を見かねたのか、横っ飛びに跳躍した王様が、人力車の進路上に割り込む。体当たりを兼ねた逆走が始まると、巨体に突き出された空気が猛然と車体に押し寄せた。ノズルを追走していた白煙が一気に吹き飛ばされ、幌の簾が派手に捲れ上がる。
「エスコビージャを見せてやる」
刻々と大顔面との衝突が迫る中、〈ダイホーン〉の選んだ表情は不敵な笑みだった。
「エスコビージャ」もまたフラメンコの用語で、踊り子が絡ませんばかりに足を振り、激しく踏み鳴らす場面を指す。客席まで震わせるステップに、手拍子、ギター、観衆の掛け声までもが加わり、劇場の空気を一気に燃え上がらせていく。
「華麗なステップをご覧あれ」
〈ダイホーン〉はモニターに駆動系のアイコンを表示し、かぎ爪のそれに視線を合わせた。
ぎぎ……ぎぎ……。
油が切れたように唸りながら、今まで車体側面に畳まれていた脚が展開していく。五つの節が鉤状に角度を作ると、右三本、左三本の六本脚が地面を踏んだ。
ぐっ……! と先端のかぎ爪が踏ん張り、パイプ状の脚を伸ばしていく。ジャッキを使ったように車体が浮き、地面との間に三〇㌢ほどの空間を作った。
二本の大顎を突き出し、六本の脚で足場を捉える――。
地面の残り火がビルの窓に投影した鏡像は、樹上を闊歩するクワガタに他ならない。
〝帝是・闇血帝是・阿烏怖蔽鞭〟
切り札の準備を進める読経を背に、〈ダイホーン〉は六本脚を縮めた。伸びたばかりのそれがバネのように沈み込み、負荷の掛かった節がぶるぶると震えだす。
視界の右端から左端を埋め尽くす距離まで来た王様を、更に引き寄せる。
荒い息が吹き付ける距離まで来た王様を、更に引き寄せる。
ひんやりした体温が感じ取れる距離まで来た王様を、更に引き寄せる。
飛ぶ!
縮めていた六本脚がびよ~んと伸び、人力車を垂直に打ち上げた。
デ、デバァ!?
人力車にあるまじき三次元的挙動に対応出来なかった王様が、路上に残った黄金の残像を突き抜ける。ぶちかます気満々だった巨体に、そう易々とブレーキを掛けられるはずがない。余りあるスピードに背中を押された王様は、なすすべもなく人力車の真後ろにあった肉の滝に殴り込んだ。
轢かれるように踏み潰されたネズミたちが、オートミール状の肉片となって吹き荒ぶ。べちゃべちゃと水っぽい破裂音が輪唱するに従い、車道はピンク色のぬかるみに変わっていった。
肉片にスリップさせられた王様は、ガードレールを押し倒しながら沿道のビルに突っ込んだ。土埃で濁った旋風がエントランスを掻き回し、観葉植物やらソファやらが宙を舞う。天井が揺れた拍子にシャンデリア風の照明が落下し、受付を押し潰した、
空中から大クラッシュを見届けた〈ダイホーン〉は、マンションの外壁に六本脚を着ける。先端のかぎ爪をピッケルのように食い込ませると、少しずつずり落ちていた車体がピタリと動きを止めた。
六本脚に備わった球状の節を回転させ、空と相対していた車体を地上に向ける。すかさずモニター上のアイコンからポテチのマークを選ぶと、クワガタさんが高田純次っぽくバズーカを構えた。
人力車の座席の両側面がスライドドアのように開き、新手の水牛が顔を覗かせる。左右一匹ずつ計二匹の新顔は、硬球でも詰め込んだように鼻の穴を膨らませていた。




