⑩地蔵
いよいよ〈コリカンチャ〉の登場です。
今回は牛頭天王についても少し語っています。
〈ダイホーン〉は顎の下のロック〈ダツエバー〉を引き、想いを伝えるために邪魔な仮面を脱ぐ。小春の手を取り、頭を下げると、前髪から滴った血が改の頬を濡らした。
「頼む、あの子を俺にしないでくれ」
常軌を逸したお節介は、笑顔を望んだ相手との別れしか呼ばない。現に狂った人殺しは、幾つの命を引き替えにしても維持したかった世界を失った。
秋の縁側にススキを飾っても、もう月見団子を掠め取る手は出て来ない。未練がましく隣に用意した座布団には、夜通し空っぽが座っている。
あの街で過ごした最後の夏から、一〇年近く経った。それでも、小春に向けていた意識を記憶に向けてみれば、もう戻ることの出来ない風景が色鮮やかに見えてくる。
「やめろ!」や「降りろ!」に囲まれているのは、電柱のように高い御神木。通学路のラーメン屋からは湯気が溢れ出し、香ばしい煮干しの香りを漂わせている。ナルトの描かれた暖簾から、強引に奢らされる自分が垣間見えると、涎と一緒に若干の苦々しさが漏れ出ていく。
今もあの街には、夏の終わりと変わらない景色が残っているのだろう。
でも彼女の中に、人殺しの化け物はいない。
この目に映る日々がどれほど鮮明でも、追憶は一方通行だ。
彼女と思い出を語り合うことは、二度と出来ない。
「佳世が……独りぼっち? あの広さを見るの? お母さんがいなくなった時みたいな?」
うわ言のように呟いた途端、俯いていたはずの小春は顔を跳ね上げる。
「ダメ、ダメだよ、そんなのダメだ! 佳世はあんな思いしちゃいけないよ!」
小春は叫ぶように訴え掛け、唾の固まりを吹き散らし、いきなり改に掴み掛かる。思わず仰け反り、背後に手を着く改を余所に、彼女は佳世に視線を移した。
否応なくネズミの大群が視界に入ると、立ち竦んだ時のようにローファーの先が丸まる。
だが、彼女は逃げない。
震え乱れた呼吸を整えながら、大きく迫り出すほど双眸に力を込める。まばたきを封じられた目が真っ赤になろうとも、彼女の視線が佳世から外れることはなかった。
「やる。やってみる。自信、ないけど」
「これで救われる」
改自身、思いも寄らなかった言葉が漏れ、穏やかな息が目の前を白く染める。手元の仮面に映る鏡像は、らしくもなく目を細めていた。
果たして梅宮改は、どこに向けて言葉を放ったのだろう?
普通に考えれば、思い通りにしかならないネズミに囲まれた女王だ。
なのに、いざ結論付けようとすると、隣に空席を座らせたお月見がやけに色濃く頭に浮かぶ。
結局、答えの出せないまま仮面を被り、改は凶暴に唸る王様を見据えた。
「ミケランジェロさん、小春ちゃんをお願いします」
「……メンドくせぇ役押し付けやがって」
愚痴った彼女は、ご自慢の「四次元谷間」から新しい道具を引っこ抜く。立て続けに大きく足を振り上げると、彼女は円筒形の物体を〈ダイホーン〉に投げ付けた。
〈ダイホーン〉はしっかり腰を沈め、「アストロ球団」ばりのビーンボールを受け止める。〈禍苦禍苦死禍鹿〉革のグローブを焦がしながら手の平に収まったのは――缶ビールだった。
「貧乳からのクリスマスプレゼントだ♪」
「ひ、姫君からの……?」
一杯引っ掛けて、景気付けろや的な意味?
いや待て、相手は日曜朝八時にテレビの前で正座している女子だ。
何の変哲もない缶がタカやバッタに変形する――。
ある。
大いにあり得る。
何にせよ、この局面で渡すくらいだ。切り札に違いない。
はち切れんばかりのドキワクを胸に、〈ダイホーン〉はプルタブを開く。
ぷしゅ~っと間抜けに気が抜けて、クリーミーな泡が溢れた。
F乳に挟まれてたせいで、微妙に温い。
「……これ、本当に姫君が?」
小粋なジョーク?
でもドイツ連邦共和国の人って、イメージ的に堅物な気がする。
「間違えた♪」
あっさり缶ビールを引ったくった彼女は、ひょっとこ顔で泡を啜り出す。グビグビと喉を鳴らす傍ら、彼女はまた谷間をまさぐりだし、新しい道具を引っこ抜く。
まさかり投法から放たれた必殺魔球が〈ダイホーン〉に炸裂し、燃えるような熱さが手の平を焼く。溶接っぽい火花が晴れると共に見えて来たのは、シェーバー大のお地蔵さんだった。
「〈コツツボット〉じゃないですか」
一〇〇均のコップと言おうか、ポリバケツと言おうか、本来重厚な石材で作られているはずのそれは、卒塔婆と同じく安っぽい光沢を放っている。青い涎掛けには、寄席っぽいフォントで「大角」と刺繍されていた。
「これ、何が出て来ちゃうんです?」
「知らん♪」
男らしく言い切り、ミケランジェロさんは〈ダイホーン〉の眼前に膝を突き出した。間近で見てみれば、緑のタイツに生乾きの血痕がこびり付いている。
「まな板が何かごちゃごちゃ抜かしてたから、閃光魔術を食らわせてやった♪」
「大方、予想は付いちゃいますけどね」
脱力した笑みをきっかけに、〈ダイホーン〉の肩は際限なく下がっていく。今宵もまた、HさんはMさんの藁人形を連打することになりそうだ。
「『今出ました!』にしては遅かったじゃないの。ピザ屋ならとっくにタダだったり」
唇を尖らせ、クレームを入れると、〈ダイホーン〉はお地蔵さんの頭をペッパーミル――コショウを挽く容器のように回した。
〝悪忌夜冥苦〟
涎掛けの裏にあるスピーカーが読経し、お地蔵さんが目を口をカッ! と見開く。同時に喉から瞳から青い光線が伸び、正対する〈ダイホーン〉を強烈に照らした。何らかの悟りを開いたにしても、アバンギャルドな形相だ。
〝骨・骨・散骨〟
読経に促された〈ダイホーン〉は、お地蔵さんを振り、振り、振りまくる。
お地蔵さんの足の裏から、骨片が溢れ、溢れ、溢れまくる。
実体化した嘘であるそれは、瞬く間に骨の山を積み上げていく。山頂の髑髏が〈ダイホーン〉を見下ろすと、準備完了を告げる電子音声が鳴り響いた。
〝接・接・接骨 烈痛業〟
「来い、黄金の神殿」
〈ダイホーン〉は得意満面に命じ、骨の頂上に向けてお地蔵さんを放り投げた。
骨の山が独りでに巻き上げられ、空中のお地蔵さんに吸い寄せられていく。宙を舞う大腿骨は肋骨はプラモデルのように組み合い、規定の形を作り上げていった。完成形に近付くに従い、白かった表面が金色の輝きを放ちだす。
やがて最後のパーツであるタイヤが車軸に填り込み、出来たてホヤホヤの車体が地上へ落ちる。サスペンションが僅かに軋むと、低い土埃が〈ダイホーン〉の臑を撫でた。
「こりゃまた、すげぇインチキが出てきたなあ……」
ステキなデザインを賞賛し、〈ダイホーン〉はスピーディーでワイルドでテクニカルなマイカーに手を当てる。
モニターを眩く染めるのは、黄金の人力車。
しめ縄と化粧廻し風の幕で飾り付けられた姿は、南米の遺物と言うより山車に近い。祇園祭に参加していても、ギリギリ違和感はないだろう。
おあつらえ向きに座席の部分を覆う幌には、すだれ状に連なった護符が取り付けられている。青い墨で描かれている五芒星は、無病息災の御利益で有名な牛頭天王と縁の深い印だ。そして牛頭天王は、祇園祭を執り行う八坂神社の祭神、素戔嗚尊と同一視されている。
牽引用の枠に代わって、大顎のように突き出た二丁の銃剣は、下手な丸太よりも太く長い。ヘラジカの角のように枝分かれした剣は、切っ先を空に向けている。銃口の役割を担うのは、三匹の水牛だ。左六つ右六つと計一二個にも及ぶ鼻の穴が、円状に配置されている。




