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⑨葛藤

 本当に役立たずなミケランジェロさん。

 チャラ男たちの組織が、なぜ彼女を雇用しているのかって?

 ……野放しにしておくと、何をするか判らないからです。

「もう何のために今回出て来たんだよ! ただ俺をいたぶってただけじゃねぇか!」

「ああそうだよ、私は役立たずさ♪ お荷物さ♪ これで満足だろ?」

「開き直らないでよ!」

「開き直ってなんかない♪ 俺はこういう人間だ♪ (C)ビッグダディ♪」

恥ずべきところを自慢げに言い切り、ミケランジェロさんは「さすらい」を口ずさむ。世論の代わりに彼女を糾弾したのは、背中を水疱すいほうだらけにした王様だった。

 デバァ!

 一億三千万人の声を代弁するかのようなお叱りが、水疱すいほうの弾ける音が、〈ダイホーン〉の脳内ナレーション(指輪職人)を掻き消す。立て続けにネズミの機関砲がプチ小豆島しょうどしまを爆撃し、どうでもいい男女を吹っ飛ばした。

〈ダイホーン〉と整体……いや関節技の達人――二つのボーリング玉が道路を転がり、ゴミ捨て場にストライクする。軽快な音と共にビール瓶が飛び散り、ポリバケツが側溝にガターした。


「……メンドくせぇ」

 気怠げに漏らしたミケランジェロさんは、リボンになっていたサンマの骨を振り払う。のっそりとゴミ袋の山から立ち上がった彼女は、手元にあった空き瓶を叩き割り、佳世に向けた。

 ネズミの女王を見据える瞳は、蝋人形のように感情がない。片時も絶やすことのない笑みは完全に消え去り、薄く血を引いた唇は無機質に直線を描いている。

 生気のない顔を眺めていると、〈ダイホーン〉の身体には薄ら寒さがこみ上げてくる。恐らく最期の瞬間も、彼女はこういう表情をしていたのだろう。

 躊躇なく往来をネズミの天国にする佳世が、何らかの決断を下させたのは間違いない。同類に甘い〈ダイホーン〉と違って、ミケランジェロさんには公平な判断が出来るようだ。

 確かに、彼女の判断は正しい。

 だが正論に従えば、佳世と小春が笑顔を交わすことは二度となくなる。

 不公平な〈ダイホーン〉は彼女と佳世の間に割り込み、瓶の先に手を当てる。


「何でも面倒臭がってたら、結果は得られちゃいませんよ?」

「誉めろよ? 一番冴えたやり方だろ?」

〈ダイホーン〉に訊く声からは、鼻歌を口ずさむような柔らかさが消えていた。重く冷え切った低音は、洞窟に吹き込む冬風そのものだ。

「確かにネズミの製造ラインは停まっちゃいますね」

「シラ切るんじゃねーよ。醒ヶ井小春を殺してみろ。あの豆腐メンタルだ。確実にこうなる」

 イヤミったらしく歯を覗かせた彼女は、瓶をクルクル回し、パーを出す。

 ご指摘は正しい。

 小春が大切→嫌な思いをして欲しくない→痛みの届かない世界へ送る――。

 そう、理屈だけ見れば、佳世の三段論法は成立している。

 だが、感情が頷くかは別問題だ。

 人を傷付けてまで守りたかった相手から命を奪えば、佳世は確実に正気を失う。圧倒的な力を持った人間が、判断能力を失うのだ。考えただけで、〈ダイホーン〉は目を覆いたくなる。


「おまけに一度人を殺した人間は、タガが外れると来てやがる。あの小娘、殺しまくるぜ? そうだろう、梅宮? 違うってんなら言い返してみろよ」

 真っ向から〈ダイホーン〉を見据えた彼女は、さげすむように目を細める。残酷なほどの透明度で改を写し取った双眸そうぼうは、間違いなく視線の先の存在を全否定していた。

「言い返せねーや」

 聞かさない予定だった答えを、KYな仮面のマイクが拾う。

 彼女の言う通り、一人目と二人目とでは引き金の重さが別物だ。一〇人目を超える頃には、怨念やら祟りやら聞いただけで夜トイレに行けなくなる臆病者が、命を数えていた。


「余計な被害を出したくねぇなら、今の内に始末しておくのがベストなんだよ」

 非の打ち所がない結論を出すと、彼女は瓶を使い、邪魔者を押し退けようとする。

「でも、あの子はまだ誰も殺してない。小春ちゃんもまだ生きてる」

 甘すぎる考えと承知で口にし、〈ダイホーン〉は胸に当てられた瓶を押し返す。

「つーか、他人様のメンタルどーこー言える立場じゃないでしょ、俺は勿論もちろん、アンタも」

「……テメェと一緒にすんな。私が直接手を下したのは二人だけだ」

 心外だとばかりに顔を歪ませ、ミケランジェロさんは一瞬袖口を盗み見た。彼女の最期を物語るように、ミミズ腫れそっくりの傷跡が手首を一周している。


「命を奪ったのに変わりはないでしょ。要は俺もアンタも人の道を外れた〈アウトデッド〉だ。痛い思いくらいしなきゃ、命が分相応にならない」

「冗談じゃねぇ。世間様に貸しはあっても、奉公する御恩はねぇよ」

 倫理観を押し付けられたミケランジェロさんは冷笑し、煙たそうに手を払う。

「第一、あのガキを殺す以外に現実的な解決策があるか? 馬鹿げた数のネズミどもに加えて、怪獣まで出て来ちまってんだ。オカリナだけかすめ取るなんて夢物語だぜ?」

「小春ちゃんの力を借りましょう」

 静かにしかし強く訴え掛け、〈ダイホーン〉は座り込む小春を眺めた。

 化け物が自分一匹の時は、猛攻をしのぐのが精一杯だった。

 だが二匹となれば、話は違う。

 相手が大海原のような大群でも、小春を佳世の前に立たせる程度の干拓かんたく事業は出来るはずだ。


「小娘独り目こぼししても、免罪符にはなんねぇぞ」

「……判ってますよ」

 異論などないはずの答えが声を尖らせ、仮面に詰まった顔をシワだらけにしていく。

 的外れなはずの指摘が、やけに胸をざわつかせるのはなぜだろう?

 梅宮改を見くびりきった発言に、腹を立てている?

 いや、もしかしたらほのかに抱いていた期待を完全否定され、ふてくされているのかも知れない。ミケランジェロさんが思う以上に愚かな誰かは、佳世を見逃すことで、多少でも胸が軽くなるのを期待していたのだ。

 鬱憤うっぷんを晴らすのに最適な大群を見付けた〈ダイホーン〉は、水牛に紅生姜べにしょうがの突剣を突っ込む。扇状せんじょうに当たり散らした針がネズミを肉片に変えると、血煙を浴びた手が赤く染まった。


「俺はただかわいいお顔をひき肉にして、寝覚めが悪くなんのがヤなだけだったり」

 自他に宣言した〈ダイホーン〉は、佳世を経由し、水牛を睨んだ。究極の解決策になるかも知れないそれは、凶悪に瞳を光らせている。

「……最悪の最悪の場合は、俺が責任を取る」

「ほら見ろ、タガが外れてる」

 ウザったそうに舌打ちし、ミケランジェロさんは手にしていた瓶を放り投げた。まんじ型の残像が夜空を駆け抜け、塀の上に立っていた餓鬼を直撃する。スコーン! とね飛ばされた餓鬼は、スキーのジャンプに似た放物線を描きながら、二階建ての一軒家を跳び越えていった。


 明確に反対されなかったのをいいことに、〈ダイホーン〉は小春へ歩み寄る。地面に片膝を着き、目を合わせると、うつむき加減だった彼女の顔が僅かに上がった。

「俺たちは佳世ちゃんに届く言葉を持ってない」

 佳世――。

 住所より馴染み深いかも知れない単語。

 だが、その二文字を聞いた小春は、両親の訃報を聞いたように肩を震わせる。触れたくない現実が、拒絶反応を生じさせたらしい。

「でも小春ちゃんにはある。佳世ちゃんに届く言葉がね」

「……無理だよ」

 力なく答えた小春は体育座りになり、膝の間に顔を沈める。

「……あの子、佳世と同じ顔して、同じ声してる。でも口から出るの、佳世の言葉じゃない。顔が作るの、佳世の表情じゃない。あれは佳世の皮をかぶった誰かなんだ」

 弱々しく呟いた小春は、かじかんだように震える手で〈ダイホーン〉にすがり付く。


「改、私なんかよりずっと頭いいでしょ? 佳世を取り返してよ……」

「俺じゃ駄目なんだ。世界中が頷く美辞麗句を仕立て上げても、拍手しかしてもらえない。破綻してても、感情をぶつけるだけでもいい。佳世ちゃんの胸に言葉を響かせられるのは、小春ちゃんしかいない。君が目を逸らしたら、あの子は本当に独りぼっちになってしまう」

 言葉に熱が入るに従って、〈ダイホーン〉の頭は自然と前に傾いていく。鼻先まで迫られた小春は、呆然と目を見開き、瞳一杯に髑髏を映した。

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