⑧魔人
卒塔婆で首輪を出すためには、ある程度まっすぐな線を引かなければいけません。
ひょろひょろと千鳥足な線を引いても、無駄骨です。
とぉ!
無様な〈ダイホーン〉を嘲り、餓鬼が小春に飛び掛かる。荒っぽく地面を蹴った足が空き瓶を踏み潰し、ガラスの割れる音が夜空を射貫く。
そう、奴の入場を告げる「ガッシャーン!」が。
「ホニャホニャホニャホニャホニャラララ♪ ホニャホニャホニャホニャホニャラララ♪」
ご機嫌に鳴り渡ったのは、マイトガイの「自動車ショー歌」。
小春の目の前に颯爽と飛び込んだのは、ピンクのママチャリだった。
オスプレイより騒音なベルが、「道を空けねぇとただじゃおかねぇぞ♪」を意味すると知らない餓鬼たちは、まともに二輪を受けた。
ソニックばりに回転するペダルが、ノーブレーキと言う狂気が、月面宙返りを強制執行していく。ホムセンで特価一九八〇〇円だった旋風が過ぎ去った後には、死屍累々《ししるいるい》の惨状しか残らない。タイヤが黒煙を燻らせるほどの爆走は、路傍の雑草すら焼き払っていく。進路上のネズミが逃げ惑う光景は、天変地異でも起きたかのようだ。
あるいは「ヨハネの黙示録」に登場する、「世界の終わりに現れ、殺戮の限りを尽くす騎士」とは、彼女のことだったのかも知れない。肝心の馬が白でも赤でも黒でも青でもなく、林家ペー色だが。
小春を包囲していた餓鬼たちを軒並みパトらせた魔人ピンクライダー(破魔、呪殺、バッドステータス無効、肝臓が弱い)は、徐に急ブレーキを掛け、路肩にチャリを停める。
他人のチャリは容赦なく乗り逃げするのに、自分の愛馬には念入りに鍵を掛けた彼女は、駆け足で餓鬼たちに近付いていく。アルコールの作用によって夢と現実の区別が付かなくなっていても、二〇体以上屍が転がっていれば目に入るらしい。
枕元から被害者を見下ろした彼女は、小学校の交通教習で習った通り応急処置を行う――はずがない。むしろ迷わず「自転車は舗道の端をゆっくり走りましょう」の立て看板をねじ切り、手頃な角材をDIYする。
「てめぇ、どこに目ぇ付けてやがんだ♪」
清々しいほどレトロに因縁を付け、ミケランジェロさんはJKお手製の凶器を振り下ろす。スプラッタな一撃が大の字の餓鬼たちを強打し、血飛沫が宙を舞う。思わず確認してしまったが、今日は一三日の金曜日ではない。
〈ダイホーン〉には断言出来る。
結果的に惨劇を防いだミケランジェロさんだが、小春を助けたつもりは微塵もない。奴にとって立ち塞がるものは全て敵だ。チャリの進路上に小春が立っていたら、今頃は彼女の頭蓋骨を連打していた。
ひとまず急ぐ必要のなくなった〈ダイホーン〉は、尻餅を着くように腰を下ろした。
鉄柵に寄り掛かり、息を整えていると、金属質の頭痛が、肋骨を焼いていた熱が少しずつ消えていく。万全の状態には程遠いが、何とか動くことは出来そうだ。
出来るなら明日まで地面に着けていたい腰を上げ、せせらぎを思い描く。
穏やかな水系を流動路に重ねると、カラータイマー状態だった光が少しずつ点滅の間隔を短くしていく。〈発言力〉の循環が正常に戻りつつあるのだ。
流動路の点滅が収まるまで待つと、〈ダイホーン〉は鉄柵を跳び越えた。一息に地面へ叩き付けようとする重力を、足首から噴く圧縮空気で打ち消しながら、ゆっくりと道路に降りる。
駆け出す傍ら視線を飛ばすと、小春は青白い顔で両膝を打ち合わせていた。殺されかけただけはあってショックは大きそうだが、幸い外傷は負っていない。
「ガンバッテー♪」
安堵の息を吐いた矢先、背後からベイダー的な掛け声。
フルスイングされた角材が見事に餓鬼の頭をホームランし、成層圏までかっ飛ばす。
「思い知ったか、この三下め♪」
首なし死体に唾を吐いたミケランジェロさんは、やりきった顔で額を拭う。
透明な汗こそレモンスカッシュのように爽やかだが、ニットのワンピもモッズコートも餓鬼の血で真っ赤っかだ。ちょっとレザーフェイスみたい。
「また邪魔をする!」
うんざりしたように吐き捨て、佳世はネズミの尻を蹴り上げる。
罵声を聞いたミケランジェロさんは、餓鬼たちを逆さ吊りにしていた手を止める。生皮を剥ぐためのバタフライナイフをしまうと、プレデターは遠方の佳世に目を向けた。
「何だ、あいつがホシか♪ 赤ん坊とコウノトリの関連性を信じてるようなツラして、とんだズベ公だぜ♪」
鼻で笑うと、ミケランジェロさんは足下に突き立てた角材に顎を乗せた。望遠鏡のように頭を回し始めた彼女は、肉色の夜景、油田状態のマンホールと見渡していく。
「にしてもすっげぇ数だな♪ おい、クワガタ、分身しろ♪ クワガタだろ♪」
千鳥足の手招きで呼ばれた〈ダイホーン〉は、自然と両手を鉄拳制裁の形にしていく。
他人様が肋骨折られてる時に、串田アキラ的無茶ぶり? 右フック、左ストレートのコンボで返答しても許されるに違いない。いーや、絶対許される。
「じゃあカマキリとバッタの卒塔婆を用意しろよ!」
「クワガタ・カマキリ・バッタ♪」
テンポよく宣言し、ミケランジェロさんは緑のメダルを揃えた時の歌を披露する。デスメタルっぽいシャウトが喉の奥をさらけ出し、クリーム色の髪から大粒の汗が飛び散る。
「オラ♪ 歌ってやったぞ♪ 分身しやがれ♪ ガタガタ抜かしてると、アックスボンバーが出て来ちゃうぞ♪」
「ガタガタ歌ってんのはアンタだったり!」
吠えた瞬間、〈ダイホーン〉の脳内に何かがプッツンする音が木霊する。
ブラックアウト――もとい、真っ赤っかにアウトしていた視界が復帰すると、ギンギラギンに目を光らせた水牛が、彼女の頭に押し当てられていた。どうやら一度粉々に打ち砕いて、不具合を修正してやるつもりらしい。無意識の行動にしては、これ以上なく的確な判断だ。
「他人にばっか労力求めんじゃねぇ! このザ・ゆとり世代! 俺のやり方が気に入らねぇなら、テメェが〈返信〉すりゃいいじゃねぇか!」
「正論じゃねぇか、この野郎♪」
命知らずな発言を賞賛したミケランジェロさんは、L字に曲げた腕を〈ダイホーン〉の首に叩き付けた。
二の腕と言う鈍器が喉にめり込んだ瞬間、〈ダイホーン〉の目の中で弾けるプラズマ。背後を見るほど首が曲がり、頸椎から聞いたことのない音が鳴り響く。後頭部に引きずられるまま身体が後ろへ回り、ロープ……ではなくガードレールを乗り越えた。
「イッチバーン♪」
勇ましく勝ち名乗りを上げた彼女は、F乳の谷間から乳白色の卒塔婆を引っこ抜いた。
リモコンほどのサイズやプラスチック風の安っぽい質感は、〈ダイホーン〉のネクタイと変わらない。ただし、彼女のそれはト音記号を模した形状で、巻いた部分には髑髏のレリーフが填め込まれている。
あちこちから生えた金属片は、惜しげもなくあしらわれたフリルのようだ。黒ずんだ色を見る限り、〈印象〉の生物が纏う硫化鉄の鱗を象っているのだろう。
改めて観察してみると、白地に黒い部品と言う構造は、彼女がサーベルよりフォークより使いこなす楽器に瓜二つだ。ちなみにカンタービレな演奏を披露するのは、シラフの時だけ。一滴でも呑んじゃうと、ショパンもドビュッシーも三歳児の「ネコ踏んじゃった」になる。
「酔っ払うなよ♪」
――とか何とか不敵に寝言をほざき、ミケランジェロさんは卒塔婆で首を掻き切る。ペンライトを振ったようにオリーブ色の光が走り、一文字――ではなく、バイオリズムっぽい起伏を描いた。
スピーカーがしきりに発しているのは、〝无陀墓怨〟
卒塔婆で「運命」の指揮でもしなければ、絶対に聞けないはずのエラー音声だ。
「あれ~?」
無駄に可愛らしく首を捻った彼女は、卒塔婆で喉を掻き切り、掻き切り、掻き切る。
バイオリズムがうねり、うねり、うねる。
手が震えちゃって、直線が引けない。
「飲み過ぎちゃった♪」
テヘっと舌を出し、ミケランジェロさんは額をこつんとする。




