②五・里・霧・中
「ともかくね、俺の番号知ってる女子でアドレス帳に登録されてないのは、小春ちゃんだけなの。特定出来たら連絡網で家の番号調べて、ご家族に居場所を訊けばいい」
「あ、そっか」
小春は頷き、頭を動かした拍子にズレたコートを肩に掛け直す。
「ちなみにもうこの手は使わない。と言うか、使う必要がない」
断言した改は、きょとんとする小春に自分のスマホを見せ付ける。小春は眼差しをカーソルっぽく移動させ、画面上の一一桁をなぞり始めた。
一一番目の数字が近付くにつれて、彼女の顔面が震えだす。不思議なことに、お馴染みの番号と目の前の数列が一致したようだ。
「お友達って言ったら、おばあさまが教えてくれちゃった」
「消せ! 消せ!」
連呼しながらぴょんぴょん飛び跳ね、小春は改のスマホを奪おうとする。
「やだプー」
誠意ある回答を示すと、改は竿のように腕を曲げ、スマホを頭上に吊り上げていく。自販機でつま先立ちの誰かには、脚立が必要な高さだ。
「おおおおお前、余計なこと言ってないだろうなあ!」
「ご丁寧なおばあさまだね。孫をよろしく頼みますって、一四回も言われちゃったり」
「最悪だ……」
虚空を見つめながら呟くと、小春は貧血を起こしたように座り込む。
「どう? 今度おばあさまと三人でお食事でも?」
「どんだけ守備範囲広いんだ、お前は……」
「五××歳までは実証済み」
改はドヤ顔で宣言し、Vサインを出す。そう、大事なのは実年齢より見た目だ。お顔が冬の精霊なら、BBAと言う難点もむしろご褒美になる。
「う~あ~、どんな顔して家に帰ればいいんだあ~」
苦悩する小春を前にした改は、ナウな女子に人気のプランを提案することにしてみた。
「帰らなければいいんじゃない? 改ちゃんのお部屋のベッド、キングサイズだよ?」
「オマエんちに泊まるくらいなら、エルム街に宿を取る」
小春は薄く涙を溜めた目を尖らせ、ツアコンぶるオオカミを睨み付けた。
本当に小春は感情をストレートに出す女子だ。コロコロ変わる表情がおかしくって、改はつい必要以上に彼女をからかってしまう。
今時のJKとは思えない素直さに微笑ましさを感じている内に、がん! とドアを閉める音が鳴り響く。火葬場のマイクロバスに偽装した救急車が動き出すと、金串に砕かれた二宮金次郎に排気ガスが吹き付けた。
乱暴な音に呼ばれ、スモークガラスに目を向けた小春は、心細げに胸元を握る。
「熊谷先生、だいじょぶかな……」
「見た目は酷いけど、内臓とか骨には異常なかったりするみたい」
「……よかった」
小さく独り言を漏らすと、小春は遠慮がちに顔を綻ばせる。不幸中の幸いと言った状況に、屈託なく笑うことを躊躇ったのだろう。
「小春ちゃんが頑張ってくれたおかげだったり。誰も助けてあげなかったら、今頃は本物の霊柩車が来ちゃってたかも」
人間だった頃の自分には無理な行為を本心から賞賛すると、改はそっと小春の背中を叩いた。張り詰めていた気が緩んだのか、バスを見送る目を潤ませた小春は、鼻の穴を目一杯広げて下唇を噛み締める。いけ好かない相手に涙を見せるのが悔しいのだろう。
〝覇阿禁愚〟
小春の気持ちが落ち着くまで寄り添っていると、マイクロバスのエンジン音に変身解除の電子音声が重なる。コートを着た骸骨が遺灰のように崩れ落ちると、窮屈な仮面から解放された白髪が涼やかにはためいた。
「改さん」と呼んだのは、桜色のダッフルコートに白いスカートを合わせたハイネだった。またビルの屋上でも飛び移ってきたのか、真っ白いはずの肌が淡く赤らんでいる。
「呼んでるよ?」
小春はしっとり濡れた目を拭いながら、青白い指を彼女に向ける。
「寂しくない?」
小春が落ち着いたか確かめるべく、改は減らず口を叩いてみる。
「誰が!」と間髪入れずに怒声を響かせると、小春は自分から送迎車の霊柩車に向かっていく。
これ見よがしのがに股が気になった改は、ハイネに歩み寄る傍ら小春の様子を窺ってみる。清々とした顔で車に乗りこんだはずの彼女は、窓にかじり付き、改の背中を見つめていた。
本当はまだ側にいて欲しかったのかと思うと、憔悴した彼女に気を遣わせてしまった自分に怒りが沸く。女子とのお別れに罪悪感を抱くなど、何年ぶりのことだろう。
「あ~ん、あともう少しでおうちじゃない場所に送れそうだったのにぃ~。姫君のいけずぅ~」
「改さんの毒牙から健全な婦女子を守るのも、私の役目ですから」
答えるハイネは笑っていたが、目はマジだった。
示談の数々が、信頼と言う単語をドブに捨てさせたらしい。
「嫉妬?」とお茶目に問い掛け、改はハイネの鼻をツン♪ と押してみる。
「赤城山に埋蔵しちゃうぞ♪」
「ご機嫌な発言をするじゃねぇか♪」とばかりに甘い笑みを漏らすと、気位だけは高いオールドミスは改の鼻をツン♪ と押し返す。
「で、改ちゃんに何の用です? 示談金の支払いを渋ったわけでもないんでしょ?」
「タチバナさんから回答があったので、報告を」
「随分お早いですね。最悪シカトかと思っちゃってたのに」
「ディゲルさんに個人的なパイプを使ってもらったんです。古い知り合いがタチバナの技術部に勤めてるとか」
事情を語り、ハイネは朝礼台に目を向ける。チョコバーをマイクのように構えた少女が、赤茶の髪を振り乱しながら怒号を飛ばしていた。
「まずオカリナの所在ですが、事件を担当した〈詐術師〉さんに回収されてます。タチバナさんは現在も自分たちが保管していると主張してます」
「まあ、シラを切っちゃいますよね。オカリナが悪用されたって確証はないし」
東京中のネズミを操れる〈偽装〉を紛失したなど、警官が拳銃をなくしたに等しい。おまけにそれが悪用され、ケガ人まで出しているとなれば、具体的補償を求められるのは避けられない。
「前回の犯人の関係者が、今回の事件に関与している形跡はありません」
「前回と言えば、どうやって退治したかは判っちゃったんですか?」
「爆弾を落っことして焼き払ったみたいです」
「……やっぱりね」
独り言が漏れると、改の目は自然と校舎へ向いていく。
割と空気がこもりがちだった鉄筋四階建ては、ナスの開通させたトンネルで大分風通しがよくなっている。何とか修理班の離職率を下げようと奮闘してみたのだが、彼等の就業時間が労基法通りになるやり方では、大群を殲滅出来なかった。
「『カトチャンケンチャン』はまだ届かなかったりするんですか?」
「〈コリカンチャ〉なら最終調整が終わって、日本へ輸送してるところです。さっきから何度も連絡を入れてるんですが、『今出ました!』ばかりで……」
落胆したと言うより脱力したように肩を落とすと、ハイネは路傍のカブに目を向けた。使い込まれたマルシン――出前器に、「福寿庵」のおかもちが載っている。
「それに〈コリカンチャ〉があっても、根本的な解決にはならない」
呆れ気味だった表情を急速に険しくし、ハイネは胸元のトグルボタンを握り締める。
「いっくらネズバートン倒しても、第二、第三の公害怪獣が出現しちゃいますよね。オカリナがゴリ……じゃねーや、女王の手にある限り」




