①公・開・処・刑
物語もいよいよ佳境です。
はたしてネズミの大群を操っているのは誰なのか?
本当に通り魔的な犯行なのか?
実は被害者が襲われた理由は、ここに到るまでに書いてあったりします。
校庭中を駆け回る靴音は、改に体育祭を連想させた。
洋風の霊柩車に偽装されたワゴンが、厳重にバリケードを作っている。サーチライトの集中砲火を浴び、日中以上に明るく照らされた校舎は、まるで立てこもり現場だ。
「ゴールド小隊は校舎の消毒! ショウジョウ小隊はサンプルの回収急げ」
司令官が檄を飛ばすと、ボディアーマーを着た隊員たちが慌ただしく駆け出す。
ハエを模したヘルメットは、班ごとに色分けされている。ケルヒャーを持っているのが金色の班、試験管の詰まったショルダーバッグを提げているのは黄色の班だ。仮設テントの通信機には、黒ヘルのホーム小隊が貼り付いている。
医療班の診察を終えた小春は花壇に腰掛け、肩を震わせていた。寒さは勿論、命を狙われたショックが体温を奪っているのだろう。
青白く変色した唇は痛々しいが、幸い怪我は負っていない。治療に当たった医師は、絆創膏一枚使わなかったと断言していた。
「女の子は身体冷やしちゃわない」
改は脱いだばかりのチェスターコートを小春の肩に掛け、缶入りのおしるこを差し出す。校内の自販機で見慣れた缶を目にした彼女は、律儀にもリュックから財布を出した。
「一二〇円だっけ?」
「おごり」
生真面目さに苦笑しながら、改は硬貨を握った小春の手を押し返す。
途端に小春は目をぱちくりし、重なり合った手を見つめ始めた。
「……硬い」
イミフな発言をする小春が心配になった改は、彼女の額に手を当てる。
「うん、熱はないね。ネズミさんと追いかけっこしてる時に頭でも打っちゃった?」
「ベタなボケかますな!」
荒々しく叫んだ小春は、缶をブン回し、改の手を振り払う。
――が、威勢がよかったのもそこまで。
しおらしくプルタブを開いた彼女は、居心地悪そうにつま先をムズムズさせ始める。甘ったるい湯気を浴びた顔は、ほのかに赤みを帯びていった。
「いやさ、男子の手なんか握るの、小学校のフォークダンス以来だし」
「別の場所はも~っとカチンカチンだよ?」
学園の王子さまらしく実に爽やかな言葉を口にし、改は小春と目を合わせた。じわじわと目線を下げ、彼女の視線を改自身の下半身に誘導していく。
伝家の宝刀を目にした小春は、甘酸っぱく紅潮していたはずの顔から一切の表情を消し、無言で財布を開き、硬貨を早撃ちする。砂掛けババアも弟子入りする一投は、見事に改の顔面を捉え、額に平等院鳳凰堂、頬に桜とタンパク質製の原版を完成させた。
「……改ちゃんのお顔に傷が付いたらどーすんだよ。また師走の鉄道網に遅延が出ちゃうじゃない」
ぶつくさ毒突きながら、改は潮干狩り状態の小銭を拾っていく。
一円一〇円も疎かにしない慎ましさを、心の貧しい人間が嘲ったのだろうか。
牛革の財布に小銭をしまっていると、背後から小春の含み笑いが聞こえた。
「ちょっ、なにそのカッコ」
小春に指摘された改は、自身の服に目を向ける。
青いシャツにベージュのチノパン――。
ハンガーから引ったくってきたコーデだが、失笑を買うレベルではない。
他人の服装を批評する前に、小学生レベルのパーカー+ハーフパンツをどうにかしやがれ!
自分の中のドン小西な部分にスイッチを入れ、改は小春をこき下ろす。
――予定だったのだが、コンマ一秒前に思い出してしまった。
ハンガーに掛かっていたのは、チェスターコートとチノパンだけ。
シャツは着替えてない。
パジャマだ。
「あ、いや、これは西海岸で流行っちゃってるスタイルで……」
「チャックも開いてる」
何気なく公開処刑し、小春は改のカチンカチンな部分を指す。
「あ、いや、これはLAのセレブが取り入れてるスタイルで……」
羞恥が改の顔を熱くするに従って、弁解がしどろもどろになっていく。気ばかり急いて、全然チャックが上げられない。都心の不夜城では片手で上下させられる金具が。天下のYKKが。
「なんか始めてお前の素を見た気がする。意外とおっちょこちょいなんだね、梅宮って」
醜態を押さえた小春は勝ち誇った笑みを浮かべ、取り戻したばかりのスマホを改に向ける。ピカッ! と被写体の許可も得ずにフラッシュが輝き、改の視界を白く塗った。
正直、小春の梅宮改評はまるで的外れだ。
他の三六四日は、外出する前に鏡とにらめっこする。
靴べらを挿したまま家を飛び出てしまったのは、今晩だけだ。
おっちょこちょい呼ばわりされるのは心外だが、訂正するのはやめておこう。ブーツから靴べらを生やしたまま疾走する姿を想像されるのは、プライドが許さない。そう、学園のプリンスはスマートでなければならないのだ。
「そう言えばさ、どうしてここが判ったの?」
小春が疑問に思うのも尤もだろう。
SOSの電話は、場所どころか「もしもし」を告げる前に切れた。と言うか、そもそも改のスマホに彼女の番号は登録されていない。片故辺に駆け付けることはおろか、助けを求めているのが小春だと判断することも出来ないはずだ。
「今は街中にカメラがあるしね。小春ちゃんの足取りを追うくらい楽勝だったり。まあ、今回はそんな各方面に裏金掴ませちゃうような手段は使っちゃってないんだけど」
「じゃあ何で判ったの?」
「愛の力」
即答し、改はここ数年で一番の真顔を拵える。
「とか言っちゃったら嬉しい?」
質問に対して小春が返したのは、セミの死骸っぽい目。
「わあ、嬉しそう」
最大級に好意的な反応をもらえた改は、アンドロイドのようにカクカクした口調で喜びを表現する。これは彼女の瞳が腐敗を始める前に、さっさと種明かしをしたほうがよさそうだ。
「小春ちゃん、叫び声上げちゃったでしょ?」
「あれで私だって判ったの!?」
驚愕のあまりおしるこを吹き出し、小春は声を裏返す。
「あの飲んだくれだったら、それくらい出来ちゃうだろうけどね。俺には無理。電車の急ブレーキにしか聞こえなかったり。いや心臓が止まるかと思ったね、実際。確信しちゃったんだもん。一週間前にバイバイしたサチちゃんが、ホームからダイブしやがったって」
真冬の怪談が終わった途端、小春は尻で花壇を這い、改と距離を取る。
「ジョークだよ? 俺、円満なお別れを心掛けてるもん。『お前とは遊びだったんだよ』なんて吐き捨ててないよ?」
正当な釈明を行うほど、小春の顔がシワだらけになっていく。なぜだ。




