どーでもいい知識その⑦ コカコーラの「コカ」はケチュア語
今回はインカ帝国の蘊蓄がメインです。
コリカンチャとカト●チャの違いも説明しています。
「話を本筋に戻しますよ、ええ、嫌でも戻しますから。ミケランジェロさんの野郎は絶対音感を持ってます。それもオカリナを聞き取れた理由じゃないでしょうか」
「絶対音感、ねぇ……」
ハイネの仮説を聞いた改は、思わず不信感を丸出しにしてしまう。酒、タバコ、ケンカと言った昭和の芸人的な生き様と、インテリジェンスな単語がどうにも結び付かない。
「本当に絶対音感とか持ってんですかね、あの酔っ払い。よく『ラのシャープがうるせぇ♪』とか叫いてますけど、この間、道徳の授業中に見せられちゃった映像作品――そうそう、『薬物の危険性』。あれにも同じ発言しちゃう人が出演しちゃってましたよ」
最後の「ましたよ」に入った刹那、改はテーブルの下にスライディングし、先ほどまで天丼の入っていた丼を頭に被った。アフリカゾウを屠る鉄拳相手に、陶製の兜などベニヤ板同然だ。しかし、ないよりは脳細胞に優しい。
「何してんです?」
しかめっ面で問い掛け、ハイネはスカートの裾をぎゅっと引っ張る。改は実に心外だ。法を犯すほど、スカートの中を見る機会には困っていない。
「避難」
答えながら柔道の授業を思い返し、改はカメの体勢を取る。
「セオリー通りだと、この辺で制裁のラリアットだったりしちゃうんです」
歳末は何かと物入りだ。この上、差し歯の製作はご容赦願いたい。
「保健室で寝てましたよ」
――とか言いつつ、ハイネは出入り口への警戒を怠らない。猛禽類を思わせる鋭い眼差しは、宇宙船の船内を進むシガニー・ウィーバーそのものだ。
「陰口叩かれてんですよ? マリアナ海溝からだって浮上してきますよ、あの不沈艦は」
北極のクレバスに突き落とされる?
酩酊させられ、ナイアガラの滝に投棄?
常人なら船越英一郎の推理が始まるだろうが、引田天功とミケランジェロさんの場合は脱出ショーの幕開けだ。誰かに名誉毀損されると共にどこからともなく出現し、「ウィー!」とウェスタンな一撃をぶちかましていく。ジェイソンとミケランジェロさんは、バラバラにしても安心出来ない。
改は奇襲に備え、マウスピースのようにおしぼりを噛みながら、辺りを探っていく。
出入り口以外にも注意を払わなければならない。突然足下から手が出てきて、床下へ引きずり込まれるかも知れない。天井裏に連れ去られる可能性も大いにある。なんか頭の中のミケランジェロさんが、ギーガーのデザインっぽくなってきた。
窓の外、
厨房、
冷蔵庫の中……。
全神経を索敵に集中しても、不穏な気配は捉えられない。
さすがに昨夜の酒量――テキーラと焼酎とホッピーのチャンポンは、アセトアルデヒド脱水素酵素の労働量をオーバーしたか?
安堵の息を吐いた瞬間がフェイスハガーの見せ場だと知っている改は、油断せずに自販機の裏までチェックしてから席へ戻る。
兜代わりの丼はキープしておく。学食には栓抜きも油を煮えたぎらせた鍋もあるのだ。丸腰では命を守れない。電子レンジまで無人なことを確かめたはずのハイネも、パルスライフルのようにアルミ製のトレーを構えていた。
「最初の事件を担当したのは、〈タチバナ・インダストリアル〉さんです」
「タチバナさん、ですか。大手だったりしちゃいますね」
〈タチバナ・インダストリアル〉と言えば、改たちのスポンサーに比肩する大企業だ。〈詐術〉の世界のみならず、市井の人々にも広く名前を知られている。
自販機にJKのスマホ、建設現場や路駐の車――と、雑に見回しただけでも、胸焼けがするほどハトのロゴが目に飛び込んでくる。巷では「揺りかごから墓場まで、タチバナの製品だけで暮らせる」とまで言われているらしい。
「派遣されたのは、モリヤさんって言う〈詐術師〉さんです」
「モリヤさん、ねえ。下のお名前は判っちゃわないんですか?」
「……〈3Z〉の保有している情報はお話しした程度なんです。オカリナの来歴はおろか、ヘビの大群を制圧した手段さえ定かじゃない。タチバナさんに情報提供をお願いしてるんですけど、応じてもらうにはもう少し時間が掛かりそうです」
申しわけなさそうに項垂れ、ハイネは軽く唇を噛む。
「大丈夫! 相手が何であれ、強い強い改ちゃんがやっつけちゃいますから!」
落ち込むハイネを前にした改は、子供っぽく豪語し、景気付けに手を叩く。戯けるにしてもわざとらしすぎたかも知れないが、改の見たいのはお布団の上で羞恥と快楽に赤らむトロ顔……じゃなかった、女子の笑顔だけだ。
「で、そのやっつける方法なんですけどね、改ちゃん、どーもネズミさんの大群が苦手だったりしちゃうんです。ウシさんの串じゃ相性最悪なんですよ。墓石を粉砕するって言っても、所詮は点での攻撃だったりしちゃいますし」
「この間は〈NAS〉で焼き払ったんですよね?」
「ええ、ネズミ男さん程度の大きさだったりしちゃいましたからね。けど、あれで怪獣とかになられちゃったら、おナスじゃ太刀打ち出来ませんよ」
「追い詰められた怪人が巨大化するのはお約束ですしね」
腕を組み、目を閉じたハイネは、整った顔を難しくしていく。
「……日本にはいもようかんが山ほどあるし」
浦沢義雄的な発言を聞いた改は、声に出さずに提案する。じゃあもう、腐ったいもようかんばらまこうぜ。
「いっそ自爆とかしちゃいます?」
機密保持及び万が一の安全を考慮して、卒塔婆には外部からも発動可能な自爆装置が組み込まれている。リアル超合金Zと誉れ高い〈ガンジョニュウム合金〉を、消し炭にする爆弾だ。周囲のネズミを住処ごと焼き払うくらい、楽勝だろう。
「あれは死ぬほど痛いからやめたほうがいいです」
やんわり止めると、ハイネは目を開き、力強く頷いた。
「クラークさんに連絡して、〈コリカンチャ〉の最終調整を急いでもらいましょう」
ハイネの言葉を耳にした改は、ペッ! と鼻の下に指を当てる。
「それはカトウチャ」
即座に指摘すると、ハイネは座ったまま軽くヒゲダンスを踊った。
「『コリカンチャ』――『ケチュア語』で『金に囲われた建物』って意味ですね。『ケチュア語』って言うのは、インカ帝国の公用語です。現在、ペルーの公用語はスペイン語なんですけど、山岳地帯の原住民さんたちは、今でもケチュア語を使ってます」
「また古代インカ帝国ですか」
半ばボヤくと、改は両手を組み合わせて「トモダチ」の形にする。
「『古代』って関するほど、インカ帝国は古くないですよ。第九代皇帝パチャクティが、本格的にアンデス山脈周辺の征服に乗り出したのが一五世紀頃。第一三代、最後の皇帝アタワルパが絞首刑に処されたのが、一五三三年八月二九日です。日本で言うと室町時代ですね」
桶狭間の戦いが一五六〇年。種子島に鉄砲が伝来したのが一五四三年だ。流石に織田信長を古代人と呼ぶのは無理がある。改は十面鬼やバゴーにすっかり騙されていたらしい。
「コンドル、アルパカ、コカコーラの『コカ』、全部ケチュア語です。有名な『マチュピチュ』も、ケチュア語で『老いた峰』って意味なんですよ」
「老いた峰」があるなら、「若い峰」もあるとハイネは言う。マチュピチュの西側に聳える「ワイナピチュ山」がそれだ。お隣の遺跡と同じく、石造りの段々畑「アンデネス」や、食料の貯蔵庫も残っているらしい。
「『コリカンチャ』はインカ帝国の首都クスコにあった神殿です。インカ皇帝サパ・インカが、太陽神インティを礼拝するために使っていた重要な施設ですね。在りし日は内部から中庭まで、黄金で飾られていたそうです」
現在、コリカンチャのあった場所にはサント・ドミンゴ教会が建っている。インカ帝国時代の面影は、土台の石組みしか残っていないそうだ。
「帝国を侵略したスペイン人たちが、神殿を破壊し尽くしてしまったんです」
征服者たちは神殿から黄金を略奪し、祖国に持ち帰ってしまった。
建物を壊したのは、キリスト教徒である彼等が異教に攻撃的だったのに加えて、壁の裏に財宝が隠されている場合があったからだと言う。一度に大量の金が運び込まれたヨーロッパでは、インフレが起きたそうだ。
「あれならやっつけられるはずです。ローランド・エメリッヒ版のゴジラくらいまでは」
鼻息荒くお墨付きを与え、ハイネは無駄に頼もしくファイティングポーズを取る。
「……国産が出て来ちゃった場合は?」
「無理です。放射熱線舐めないで下さい」
ネズミの怪獣さんがマグロ好きなのを祈ろう。




