どーでもいい知識その⑥ BBAには聞き取れない音がある
音に関する雑学を紹介している回です。
いよいよ周波数一万七〇〇〇ヘルツの謎が判明します。
「最大の根拠は、『音』です」
ハイネはフォークを取り、コップの縁を軽く叩いた。リーンと涼やかな音が鳴り、大分低くなっていた水面に細かい波紋が走る。
「『どっかのクソ野郎がけったくそワリぃ演奏してやがった♪』とか何とか、ミケランジェロさんがほざいてましたよね? その情報に五件目で判明した『ネズミ』って正体を代入して、データベースを検索してみたんです」
「結果がこの『ソロモンの笛』ですか」
改は目を見開き、第三使徒ヨナルデパズトーリのようにし、オカリナを眺めてみる。資料が残っている以上、何らかの事件を起こした代物のはずだが、改には小学生の工作にしか見えない。
「八年前、テキサスで今回と似た事件が起こってたんです。写真が残ってたんですけど、道路も建物も見事にヘビ柄でした。ヒッチコックさんの『鳥』みたいでしたね」
両肘を卓上に載せたハイネは、レッドスネークカモンとばかりに両手をパクパクさせる。
「とは言っても、何もかも同じじゃありません。前回の資料には、餓鬼さんみたいな怪物が出たって記録がない。ヘビさんも原形を保ってました。これはあくまで推察なんですけど、今回の犯人は前回の犯人より、〈共通点〉が高いんじゃないでしょうか」
対象物の長所と言える特徴を加えることを狙って、〈偽装〉には特定の〈印象〉を組み込んだ品がある。
例えばバッタの〈印象〉を書き込めばジャンプ力に補正が掛かるし、アリなら無加工の状態とは比べものにならないほどの怪力を得られる。〈ダイホーン〉もそんな〈偽装〉の一つで、ノコギリクワガタの〈印象〉を働かせることによって、筋力や防御力を向上させている。
〈偽装〉の〈印象〉と使用者には相性があり、これを数値化したものを〈共通点〉と呼ぶ。
〈共通点〉が高いほど〈印象〉を強く発揮することが可能となり、必然的に〈偽装〉の性能は上がっていく。
逆に低すぎれば、折角の〈印象〉も効果を発揮しない。それどころか、〈偽装〉の使用者に悪寒や倦怠感と言った悪影響を及ぼしてしまう。
変身時に生き恥なポーズを強要されるのも、〈共通点〉のせいだ。心の示すままに身体を動かすと、普通は緩やかに上がっていく〈共通点〉が、変身完了と共に跳ね上がるらしい。
「オカリナには元々、小動物を変容させる力があった。ただ、前回の犯人はオカリナとの相性が悪くて、その能力を発揮出来なかったんです」
「製作元に問い合わせてみれば、はっきりしちゃうんじゃないですか?」
「それがよく判らないんです、出所が」
無念そうに言い、ハイネは端末の画像を撫でる。
「多色の顔料を使ってるところなんかは、ナスカの土器に似てるんですが」
「『ナスカ』って、地上絵の?」
改は羽ばたくように腕を振り、第一〇使徒の鳥乙女を再現する。
「はい、ナスカ文明です。『プレ・インカ』の一つで、一世紀から八世紀くらいまで、ペルー南部の海岸砂漠地帯『コスタ』に存在しました」
「『ぷれ・いんか』?」
本日出血大サービスのオウム返しを披露し、改は口を開く。
「インカ帝国以前に、アンデス山脈周辺で栄えていた文明のことです。『プレ』は『プレ』リュードとか、『プレ』オープンの『プレ』と一緒ですね。『以前』とか『前もって』を指す接頭語です」
「じゃあこのオカリナは、はるばる地球の裏から来ちゃったんですか?」
「そうとも言い切れない。歴史の表舞台に現れたのは、テキサスの事件が始めてでした」
「前回の犯人さんには、お話伺えちゃえないんですか?」
「残念ですけど、事件の最中に殺されてしまっているんです。事件前の足取りを追っても、〈偽装〉を入手する機会は見当たらない。勿論、南米には足を踏み入れてません」
「魔法の道具のくせにオーパーツなんだ」
改は割りばしを杖のように振り、「ビビデバビデブゥ」と口ずさむ。
「でも判らないなあ。ミケランジェロさんは結構はっきりと演奏聞いちゃったみたいですよね? 俺には換気扇の音しか聞こえなかったんですけど。耳掃除なんて鼓膜が削れるくらいしてもらっちゃってんのに、女子の膝枕で」
「たぶん、オカリナの音には『モスキート音』的な性質があるんです」
「携帯の着信音とかに使われちゃってる、アレ?」
聞き返しながら、改はスマホに見立てた手を耳に当てる。
モスキート音と言えば、若者にしか聞き取れない奇妙な音だ。昨今のギャルは授業中のメールに活用している。机と向かい合うヤングたちは、揃って肩をビクッ! とさせるのに、教壇のアダルトは何事もないように講釈を続けるから不思議だ。
「モスキート」の名が示すように、耳鳴りにも似た高音はカの羽音を連想させる。お世辞にも心地よい音色ではない。
それもそのはず、元々はコンビニの店先に屯する若者を、追い払う目的で開発されたと言う。限られた年齢層にしか聞こえないようになっているのは、若者以外の客足を遠ざけないようにするためだ。発祥の地はイギリス。極東から遠く離れた島国でも、虫とDQNは光に集まるらしい。
「ヒトの可聴音が二〇から二万ヘルツだって言うのは、前にお話ししましたよね? 実はこれ、不変じゃないんです。年齢に反比例して、可聴音の範囲は狭まっていきます」
「言われてみりゃ当然だったり。ウチの婆さまなんて、右翼の街宣車掻き消す音でテレビ観てましたよ。愛用のイヤホン外したら、町内のスズメが一斉に飛んでったっけ」
「聴力の低下は、周波数の高い音のほうが早いです。つまり歳を取ると、高い音が聞こえにくくなる。モスキート音の周波数は一万七〇〇〇ヘルツ。このレベルの高音になると、二〇代前半には聞こえなくなってしまいます」
解説を進めながら、ハイネは残り少ないパスタをフォークで巻き取っていく。
「高い音で操られるのも、大群がデバさんじゃない根拠です。デバさんたちが聞き取れるのは六五から一万三〇〇〇ヘルツ程度まで。モスキート音は聞こえないはずです」
ハイネに言わせると、デバの可聴音はネズミとは思えないほど狭いらしい。
「ハツカネズミさんなんて、二〇〇〇ヘルツから七万ヘルツ前後の高音域まで聞き取れるんですよ。超音波を使って歌ったりもするんです」
「でも低い音を聞いちゃう能力なら、デバさんのが上ですよね?」
「坑道暮らしに適応した結果ですね。高い音は土に吸収されやすい。デバさんが挨拶に使う鳴き声は四〇〇〇ヘルツ前後なんですけど、この音は三〇㌢前後で聞こえなくなってしまいます。逆に低い音は遠くまで届く。危険を報せる信号なんて、三㍍先まで届くんですよ」
こと鳴き声の多様さに関して、デバに勝るネズミはいないそうだ。
「デバさんは一七種類の鳴き声を発すると考えられてます。しかも全種類に固有の意味がある。これも住環境の影響ですね。真っ暗な坑道だと視覚は役に立たないし、ボディタッチの出来る距離は限られてる。他者に意思を伝達するには、鳴き声が一番なんです」
「語彙の豊富さには、役割の分かれた集団生活も関係しちゃってるんでしょうね」
「ええ、デバさんは他のネズミより込み入った社会で暮らしてます。その分、意思の疎通を丁寧に図る必要があったんです」
「社会を円滑に動かすために、言葉を発達させちゃわなきゃいけなかった、ねえ」
改めて口に出すと、広辞苑が電話帳サイズの人間に通じるところを感じる。
「……にしても、歳を取ると聞こえなくなっちゃう、か。地味にショックだったり。ミケランジェロさんって俺より年上ですよね、享年的に」
アラサーのOLっぽい憂鬱さに押し潰され、改はテーブルに突っ伏す。
「他の四感と同じで、聴覚にも個人差がありますから。日常的に大きな音を聞いていた場合は勿論、インフルエンザとか『はしか』とかの病気に掛かっても聴力は低下します。聞こえなかったからと言って、一概に年齢のせいとは言えません」
「姫君には聞こえちゃうんですか?」
優しく背中を叩かれた改は、気分と共に重くなった頭を何とか持ち上げ、彼女を仰ぐ。目に入ったのは包容力溢れる笑みで、返って来たのは「はい」と言う快活な答えだった。
「よかった~! やっぱ歳とか関係ねぇんだ! 年増には聞こえねぇんだったら、姫君に聞こえるはずねぇもん!」
胸のモヤモヤが晴れた改は、会心の笑みを浮かべる。
「こっちにも堪忍袋がありますからね」
キレッキレのガッツポーズを目の当たりにしたハイネは、浴びるようにお冷やを呷り、グラスを卓上に叩き付けた。パスタを巻き取るにしては、フォークの握り方が物騒だ。




