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どーでもいい知識その⑤ 飲んだくれの聖地は立石

「一件目の被害者って焼き芋屋さんでしたっけ?」

「ええ、帰宅途中に襲われました」

 改の質問に答えながら、ハイネは卓上の端末を操作する。ハゲとデバの代わりに画面を占拠したのは、赤鉛筆を耳に挟んだおじさんだった。

 出っ歯の仕業か、すね毛の樹海が絆創膏のパッチワークになっている。頬にも小鳥についばまれたような傷跡が見て取れるが、怪我の度合いとしてはご家庭の救急箱で片付くレベルだ。「謎の生物に襲われた」と言う通報がなければ、事件がハイネの耳に入ることもなかっただろう。


 被害者は義理人情にあつい昔かたぎの商売人。子供にはSサイズの値段でLサイズをサービスしたりする気前のよさで、皆に慕われていたと言う。

 どう考えても、闇夜の晩に気を付けなければいけない人ではない。曲がり角とかきちんと確認しなくても、包丁を持ったOLにサプライズを仕掛けられたりはしないだろう。改と違って。

 一応、人身事故を起こしたりもしていたが、相手は膝を擦りいただけ。警察も救急も法定通りに呼んでいるし、人づてに聞いた限り被害者に過失のある事故だ。車に傷を付けて申しわけないと、被害者自身も平謝りしていたらしい。


「二件目が若いお母さんと娘さんです。会社帰りのお父さんをお出迎えしようと、玄関前で待っていた時に被害を受けました」

 簡潔に状況を告げ、ハイネは端末の写真を茶髪のヤンママに替えた。

 絆創膏を貼るだけで済んでいたおじさんに対して、二件目の被害者は痛々しく包帯を巻いている。出っ歯の痕も顔だけではなく、手や首と広範囲に渡っていた。

 姑とのキューバ危機、ママ友間の紛争、公園の領有権を巡る領土問題――と、おじさんより襲われる理由はありそうなヤンママだが、一件目との関連性となると改にもさっぱりだ。おじさんが商売している場所とヤンママの家とでは、区が違う。当然、二人に面識はない。


「三件目、四件目、五件目が中條さんたちです」

 ハイネが端末に触れた途端、ミイラのスライドショーが始まる。

 丁寧に包帯で梱包されたお姿は、まさにファラオ。治療前を撮った一枚には、全身噛み傷だらけの人が映っていた。たぶん、スッポンの養殖池で泳いだのだろう。

 三件目から五件目までの被害者には、明確な共通点がある。襲われる理由にしても、遅かれ早かれ集中治療室のお世話になっていた方々だ。一方で、前二件との繋がりは見えて来ない。


「……無差別?」

 深刻な事態を前に、改の声は自然と低くなる。

「今の段階ではその可能性が高いです」

 唇を噛みそうになりながら返し、ハイネは悔しそうに顔を歪める。通り魔的に人々を襲っているとするなら、次の標的に目星を付けるすべはない。

「……今日からは、人間の隊員さんにもパトロールしてもらおうと思います」

 ぎゅっと上履きの先を丸める姿が、ハイネの抱えるもどかしさを改に教える。

 万を上回る数の大群は、到底人間のかなう相手ではない。彼女の決断は解決の糸口になるどころか、新たな犠牲者を増やすだけにもなりかねない。


 隊員の皆さんだって、怪獣退治でお給金を頂いている身分だ。刺し違えるとまではいかなくても、病院で初日の出を拝むくらいの覚悟は出来ているだろう。

 それでも、ハイネは事務的にゴーサインを出せない。


 他人の命を大事にしすぎる――。


 判断を下す立場としては、致命的な欠点だ。

 もっとも、彼女が命を数字で扱う人なら、改はここにいない。

 そう、生きていない。


「今夜からは私も出ます」

「ケガ、治っちゃってないんでしょ?」

「本当は休みたいんですけどね。サボローにも誘われてますし」

 これ以上気を回させたくないのか、ハイネは誤魔化し笑いを浮かべ、頬の絆創膏を手で隠す。

 個人的感情を抜きにすれば、悠長に寝ていられないのも理解出来る話だ。

 現時点で犠牲者は出ていないが、犯行を重ねるごとに被害は深刻になっている。四件目の時点で耳を食いちぎられていたことを考えれば、五件目の中條が引っ掻き傷で済んだのは、邪魔が入ったからとしか思えない。自分たちの目の届かない場所で六件目が起きれば、もう病院止まりでは済まないだろう。


「……死人が出てない、ねえ」

 考えてみれば、妙な話だ。

 天文学的な数の大群に、釣り鐘を蹴っ飛ばす餓鬼――。

 人一人殺すのに難儀するはずがない。

 最初からおどかすだけのつもりだった? にしては、三件目以降の被害が大きすぎる。むしろ殺す気だったが、最後の一線を超えられなかったと見るべきだろう。

 だとするなら、尚のこと早々に犯人を捕まえなければならない。

 人は慣れる生き物だ。初体験の時には長考を要するスカイダイビングも、繰り返す内に玄関と何ら変わらない感覚で踏み出せるようになる。

 殺人も同じだ。未体験の間は頂上の見えなかったハードルが、一人殺しただけで敷居のように低くなる。東京中のネズミを傘下に置く人間が自制心をなくせば、渋谷スクランブル交差点が死体に埋め尽くされる日も遠くない。


「悪い報せだけじゃないんです」

 重い雰囲気を吹き飛ばそうとしたのか、ハイネは大袈裟に声を弾ませると、端末の画像を切り替えた。

 画面一杯に映し出されたのは、虹色のオカリナ。

 オカリナと言えば大半が素焼きの陶器のはずだが、画面上のそれは釉薬ゆうやくを塗ったような光沢を放っている。

「このオカリナがグッドニュース?」

 ネズミ男な餓鬼には、やはり水木みずき的なオカリナで立ち向かう、とか? 三期のゲゲゲは剣や鞭を出していたし、見えない学校では秘宝扱いだった。

「〈ハメルンオカリナ〉――小動物を操る力を持つ〈偽装ぎそう〉です」


 カミサマに嘘を信じ込ませるだけで望む現象を起こせる〈詐術さじゅつ〉は、一見すると、見返りに比べて圧倒的に苦労が少ない夢の技術に思える。

 だが実のところ、〈詐術さじゅつ〉に用いる嘘は、素人目には見抜けないほど完成度が高くなければならない。何しろ、世界を司るカミサマを騙そうと言うのだ。「俺、ハーバード出たぜ」程度のお話では一蹴されてしまう。

 そして最悪なことに、カミサマに通用するレベルの嘘を作るには、膨大な時間が必要となる。いつかハイネは断言していた。お風呂を沸かすなら、薪から集めたほうが早い。


 この致命的な欠点を補うために開発されたのが、ハイネの言う〈偽装ぎそう〉だ。

偽装ぎそう〉は予め定型の嘘が書き込まれた道具で、燃料の〈発言力はつげんりょく〉を注ぐだけで、即座に〈詐術さじゅつ〉が使えるようになっている。

 改の卒塔婆そとばDX(デラックス)ダイホーンドレッダー〉もその一つだ。首輪に卒塔婆そとばを装填することで、本当はない〈ダイホーン〉を実体化させる嘘が仕込まれている。


「これが使われちゃったって根拠は?」

 質問しながら、改はハシでオカリナの画像をつつく。

 機能だけ聞くと魔法の杖のように思える〈偽装ぎそう〉だが、ハイネの世界では平然とコンビニの棚に並んでいると言う。意識としては、人間界の機械と変わらないらしい。

「家の害獣を追い出す〈偽装ぎそう〉とかなら、幾らでも市販されてるんです。ただ、街中のネズミを操れるほどのものとなると、話は別です。たぶん、販売はおろか開発の許可すら下りない。〈ブックドレッダー〉みたいに、軍事用の特注品ならまだ可能性はありますけど」

 ハイネの言う通り、ガイア卒塔婆そとば〈ブックドレッダー〉は全て別注の一点物だ。「ウルトラファイト」臭のするチープな外見に反して、「アバター」ばりの製作費が掛かっている。ミケランジェロさんが立石たていしんべ横町に忘れてきた時は、スポンサーが半ベソをかいていた。

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