どーでもいい知識その① 天ぷらの衣は混ぜすぎないほうがいい
第七章では、変温の哺乳類について語っていきます。
他にも汗についての豆知識や、コカコーラの語源なども紹介します。
雑学好きの方には楽しんで頂けるかも。
世の中には、無言のざわめきがある。
中華鍋の米粒がアチチと跳ね回る音に、シンクの水音、包丁のタップ――。
学食のどこに耳を傾けても、聞こえてくるのは調理器具の活躍ばかり。だが落ち着きなく上下する肩が、そわそわと揺れる膝が、口の代わりにみんなの昂揚を物語っている。
窓際のテーブルに陣取る少女を思えば、納得の反応だ。
言葉で感動を表現出来るほど、ありふれた容姿ではない。
「お待たせしちゃいました」
ファミレスっぽく言うと、改は天丼を自分の前、トレーに乗ったナポリタンを対面に置いた。
彼女と同じテーブルに着いた途端、ざわめきが無言の嘆きに変わる。特に男子の皆さんが、ワイズマンの手下を生む顔だ。若干、額にヒビが入っている。
今、彼等は神の定めた絶対の法則を痛感している。
つまり類は友を呼ぶ。阿の横には吽。端的に言うなら、アイドル声優さんのプリクラに、アキバを徘徊してそうな男子は映っていない。
「私、学食とかサービスエリアのお料理って好きなんです。懐かしい気がして」
丁寧に頭を下げると、ハイネ・ローゼンクロイツは薄く歯を見せた。
改の目に映る彼女は、万人受けする朗らかさを漂わせている。パレード中に手を振っていた時代は、さぞかし多くの人々に慕われたはずだ。
ただ、改は彼女の歩んできた道程を知っているからだろうか。
鉛筆で薄く引いたような輪郭は、儚いと言うか、何となくもの悲しい。凛と背筋を伸ばした姿は修道女のように潔癖で、幼さを残した顔立ちに禁欲的な印象を加えている。
大粒の瑪瑙を彷彿とさせる灰色の瞳。絹のように滑らかな首。細かく煌めく白髪は、編んだ霜とても言ったところか。緩く結われた三つ編みは、北国の朝日に照らされたように清廉な光を滲ませている。
きめ細かな肌は、西洋人にしても目を見張る白さだ。汚れのない色が新雪と重なると、薄紅色の唇が樹氷を纏った不断桜に見えてくる。
佇んでいるだけで雪原の凛とした空気、涼やかさを漂わせてしまう透明感――。
始めて彼女のご尊顔を拝見した時、改は確信した。冬の精霊が人間界に紛れ込んだのだと。
食堂をざわつかせる?
「表参道」と書いて「チャンピオンロード」と読ませる彼女には、わけのない話だ。一歩歩く度に芸能トレーナーやナンパ♂と遭遇する姿は、逆に気の毒だった。
「チチェン・イッツァのほうはどうでした?」
「一九九九年よりはマシでした」
苦笑しながら答えると、ハイネは頬の絆創膏に触れた。手首の包帯や左膝の湿布も加味する限り、なかなかのラストバトルが繰り広げられたようだ。
――が、改にはそれ以上に気になって仕方ないことがある。
「……何で制服着ちゃってんです?」
喪服と揶揄されるブレザーに、チェックのスカート――間違いなく見慣れた制服だが、彼女は片故辺の生徒ではない。生後六〇〇〇日足らずのJKとうふふきゃははするには、一八万回ばかり太陽を拝みすぎている。
「学校に行く時は制服じゃなきゃダメじゃないですか」
フォークを振りながら、ハイネは少しムッとした様子で言い返す。
彼女たちの世界で言う小学校も、ロクに通っていない人だ。「学校」に何らかの誤解を抱いていてもおかしくはない。って言うか、また同僚の誰かにおかしなことを吹き込まれたな。
「最近の女子はよくこんな半分お尻出してるような格好で、お天道さまの下を歩けますよね。階段上ってる時なんか、ストリッパーさんになった気分でした」
年配者らしく若者に苦言を呈し、ハイネは自分のミニスカを渋い顔で見つめる。
「そういう姫君だって、昔はも~っと短いスカート穿いて、大勢の男子の前で踊っちゃってたんでしょ?」
「大人たちに強要されたんです」
吐き捨てた瞬間、ハイネの握ったフォークがザクッ! とソーセージを貫く。
「大体、短いスカートに寄って来る男子なんてロクなモンじゃねぇです」
「俺はスタイルのが気になっちゃいますけどね。中身が見えようが見えまいが、どーせ脱がしちゃうわけだし」
率直な意見を述べた改は、筒状にした手を望遠鏡のように覗き、ハイネを観察してみる。
これっぽっちも起伏のない一四九㌢が、関東平野のごとく広大無辺に続いている。栄養事情のいい昨今、初等部を望遠すれば、もっと凹凸のある体型が幾らでも見付かるだろう。ハイネ一人だけ戦時中だ。
手足も腰も茎のように肉付きが悪い彼女だが、特に目を覆いたくなるのが胸部だ。比較対象に周辺の女子を持って来ると、格差のあまりへこんで見える。これで肉体的には一五歳だと言うのだから、女体は神秘だ。
「〈姫君〉は『がんばりましょう』かな」
改は的確な評価を下し、ハシで「△」を描く。
「よぉーし!」
バリトンっぽく気合を入れると、ハイネは親指を校舎裏に向けた。
「顔をレンタルさせてもらえますか?」
「まあまあ、落ち着いて。ノーバディーズパーフェクト。誰も完璧じゃない。俺にだって『欠損』してる部分はありますよ」
改は哀れなルサンチマンを宥め、暗く充血したハイネの目をトレーで扇ぐ。
「ええ、絶対的に足りませんよね、口の重さが」
女子らしく遠回しにイヤミを言うと、ハイネは拳にしていた右手をぐっ! と押し返した。九九㌫浮かしていた腰を下ろした彼女は、苛立たしそうに早口で捲し立てる。
「ちゃっちゃと報告を済ませましょう。長引けば人間関係が悪くなる一方ですから」
ハイネは隣席のトートを膝に移し、長ネギやら牛乳やらの山を漁りだす。牛肉や豆腐が見え隠れする辺り、今晩のメニューはすき焼きと言ったところか。
「あのお寺、直っちゃいました?」
住職の容態が気になって仕方ない改は、恐る恐る訊いてみる。
「修理班の皆さん、徹夜だったみたいですよ。ディゲルさんの机に陳情書の摩天楼が出来てました」
「もう感謝しきりです。優秀なチームのおかげで、一人の住職の命が守られましたよ」
悩みの消えた改は、気兼ねなく天丼にハシを付ける。
自然と踊る身体に合わせ、ルンルンとご飯を掻き回す。たちまち丼全体につゆが馴染み、白米が飴色に染まった。
改は食欲を誘う色に導かれるまま、尻尾ごとエビ天を頬張ってみる。
揚げたての衣が歯と巡り逢い、サクッ! と軽快なハーモニーを奏でる。途端にべっこう飴のような甘さが染み出し、鰹と昆布の香りが鼻に抜けていった。
どうすれば、ここまで香ばしく揚げられるのか?
改は「お姉さん」や「若い」と言う単語を総動員し、厨房のマダムたちに訊いたことがある。
極意その①事前に薄力粉を溶く水を冷やしておく。炭酸水を混ぜると更にいい。
極意その②出来るだけ衣をかき混ぜないようにする。衣が粘るとからっと揚がらない。
――と、マダムたちは満面の笑みで秘訣を教えてくれた。
「改さんの倒したハゲモグラさんを、技研で詳しく精査してもらったんです」
経緯を伝えると、ハイネはトートからタブレット型端末を引っ張り出し、卓上に置いた。
衆目のある学食で、堂々と機密を話す――。
今の姿を見たら、口封じのためにRECされ掛かった小春はさぞかし怒ることだろう。
改自身矛盾を感じなくもないが、何しろ内容が藤林聖子さん作詞のEDテーマが流れる戦いだ。現場を目撃されたならともかく、盗み聞きした程度ではノンフィクションの話だとは思わない。むしろ半端に声を潜めるほうが、何を密談しているのだろうと聞き耳を立てられてしまう。
隠すから関心を呼ぶ――。
代表例が女子のスカートだ。
中身が秘匿されているからこそ、「どんなお宝が!?」と男子のコロンブス的冒険心を擽ってしまう。探求心に負けた何人もの勇者が、手鏡や靴のカメラを羅針盤にし、人生と言う大航海を座礁させてきた。
一方、オープンになっている物事に対して、世間は驚くほど無関心だ。
ただあけすけになっているだけで、世界の根幹に関わる秘密も、取るに足らない情報だと思い込んでしまう。だから女子はスカートを穿かなければいいと思う。




