ハマポリ BAD COMPANY 第八話 [最終話]
[第八話]
「いや~いい天気だ。こういうのはなんだけど、旅立ちの日はやっぱり晴れてた方がいいよねぇ」
雨木が気持ちよく伸びをしてあくびをひとつ。天を仰いだ空はまさに雲一つ無い空だった。やや冷たい海風がふいていなければ、絶好の別れ日和といえるだろう。莉桜達は今、大さん橋国際線ターミナルにいた。無事職場復帰したR9班は本来ならパトロールの時間だ。しかし、今は堂々とさぼっている。さぼるに足るだけの理由が莉桜達にあった。停戦に合意し、安定を取り戻しつつある中東に難民の一部が戻ることになったのだ。目の前にある大型船は第四便で、ジョンとクリフの孤児院の子供達も乗船者リストに入っていた。
「おねぇちゃぁん、行きたくない~!!!」
「なんでだめなのッ!? お姉ちゃん達も来てよッ!!」
「…………ゴメンナサイ。行くことが出来ないのデス」
謝っているタスニムに子供達が抱きついている。年齢の高い男の子だけがただ静かに立ち尽くし、涙を流していた。そんな子達の頭を軽く撫でるのは莉桜の役目だ。そこに雨木が歩み寄ってくる。
「いいのか? 今生の別れってわけじゃないけど、好きなときに会えなくなるんだぞ? ないのか? もっと話すこととかさ」
「……いいんです。わたしには、このくらいの距離感がいい」
子供とあまりしゃべろうとしなかった莉桜より愛想の良かったタスニムが人気なのは当然のことだ。むしろ、莉桜にはそうであった方がありがたい。彼女は案外涙もろいのだ。今泣きつかれたら間違いなくもらい泣きしてしまう。
「んもう……クリフはどこ行ったのかしら」
サリムをつれたジョンが戻ってきた。二人を目にした莉桜が顔を上げ、首をかしげる。
「……クリフがサリムをトイレに連れて行ってたはずだけど」
「そうなのよ。あんまりに遅いから見に行ったんだけど、クリフがどこにもいないのよねぇ……サリムちゃんが無事で良かったけど。大変な中、せっかくリオ達が来てくれたのに。ねぇ?」
「あのぉ、肩に手回さないでもらえます? それと髭が痛いんですけど」
「当ててんのよ?」
「いやいや、当てないでくださいよ……ッ」
肩を寄せて顔を寄せたジョンを雨木が引きはがす。
「あら、いいじゃないの。今すっごくすっごく大変なんでしょ? ……癒やしてあげるわ……」
「ねっとりささやかないでくださいッ。それに、大変なのは重々承知してますよ。自分たちで撒いた種ですしね」
やっとの事でジョンの唇から逃れた雨木が辺りを見回す。辺りには難民の門出を祝う人々がわずかながらいた。いずれも難民と接点をもった人々で、その人々は雨木達R9班を胡散臭い物を見る目で見つめている。それも仕方が無いことだ。亜甲ビルの事件以降、莉桜達は難民の体を使った若返りビジネスの実態をネットに流したのだ。案の定狙ったように炎上し、視聴率を欲しがったマスコミが競うようにして報道したのである。真っ先にマスコミにもちこんでいたら、組織的な連中に手を回されて確実に有耶無耶にされていたに違いないだろう。この行動の結果、事件に関わっていた警察幹部まで逮捕される事態にまで発展した。復職した莉桜達警察を見る目がおかしいのはそのせいだ。もっとも、そのおかげで少なくない職員が退職し復職が容易だったのは皮肉と言えるだろう。
「クリフがいないけど、そろそろ時間ね……みんな~船に乗る時間よ~!」
『……はーい』
ジョンが手を叩くと、タスニムに泣きつていた子供達が渋々と声を上げる。我が儘を言っても帰国がなくならないことを子供なりにわかっているのだ。
「そうそう、みんないい子ね。我が儘を言っても船は待ってくれない。いい子にしていれば、また会えるわよ」
静かに涙する子供達をジョンが一人一人抱き寄せる。そしてタラップに見送った。船上までついていかないのは、これ以上未練を残さないためのジョンなりの配慮といえる。そんなお別れから目を背け、莉桜はサリムに目を向けた。
「ほら、サリムも行かないと」
「……」
「ジョンと最後のお別れだけど」
「……僕は、いいんだ」
そういってサリムは笑った。子供らしからぬ空しい笑いは、死の淵を越えるような経験をしたことで大人びたからだろうか。彼は、一連の事件の被害者でありながら生き残った、数少ない生還者の一人だった。同じ行方不明のラーフィアは未だに見つかっていない。ラーフィア自身が事件の被害者かどうか定かではないが、サリムのように生きて会えることはまずないだろう。それを考えると生きているのは奇蹟と言っていい。
(あ、そういえば……)
違和感の正体に気づいた莉桜がサリムに尋ねようとしたとき、サリムが莉桜の手を引っ張った。
「お姉ちゃんこっち」
「え? あ、ちょっと」
断る間もなくタラップを登っていく。タラップには子供達しかいなく、他の帰国者達はすでに船上だ。子供達を一気に抜き去り、サリムは走る。
「リオ! 一緒に行っちゃ駄目よ~」
「わ、わかってる!」
立ち止まって手を振りほどくべきだが、今生の別れとなりかねないこの状況でサリムの手を解いていいものか迷う。そうこうしてるうちに莉桜はデッキに上がってしまった。
「こっち」
「で、でも」
「いいからッ。お姉ちゃんに言いたいことがあるんだ」
必死な声は、何かを伝えたい気持ちをこちらに強く訴えていた。別れの言葉だろうか? 考えている内に扉の一つをくぐってしまった。
「ここは……」
この船室は物置だろうか。出航する前に出なくてはと考える莉桜の両腕を、サリムが掴む。目を向けると、少年の純真な瞳が莉桜を見上げていた。
「お姉ちゃん……」
「…………なに?」
「あのね。受け取って欲しい物が有るんだ。最後だから……」
「……うん。わたしも訊きたいことがあった」
ズボンのポケットを漁るサリムに、莉桜は感じていた疑問をぶつけた。
「ライオンのぬいぐるみはどうしたの?」
「……え?」
「いつも持ってたのに」
今のサリムは鞄を下げていない。ぬいぐるみを持っている様子はなかった。
「あー……あれね。捨てちゃった。中身が出ちゃったから」
「え?」
(なにを……言っている?)
サリムの言葉が理解できなかった。屈託のない笑みを浮かべる少年の言葉が信じられない。なぜ笑っているのだ? あれはラーフィアに渡すための大事なものではなかったのか?
「ラーフィアとの約束はどうするの?」
「ラーフィア?」
外が騒がしくなったのはその時だ。扉の向こうから聞こえてくる悲鳴に、莉桜の意識が向く。
「ごめん、ちょっと待ってて」
警察官としての意識が何かを感じ取り、扉を開く。目の前に巨躯の男がいた。身構えて、男がクリフだと気づく。すぐにわからなかったのは、顔が血だらけだったからだ。
「ああ、よかったわ、リオ無事だったのね!?」
「クリフ?」
「――その子はサリムじゃないわッ!!」
「え?」
叫びを受けて振り向く。サリムの手にあった拳銃が目についたとき、銃声と共にマズルが瞬いた。とっさに顔をかばった莉桜の体が複数の銃弾を受けて膝から崩れた。
「リオッ!?」
「……なぜ?」
銃弾はバイタルゾーンを狙ったもので、プレートキャリアが全て防いでいた。とはいえ衝撃は防げず、体に伝わる衝撃は凄まじい。痛みに顔を歪ませている莉桜の前で、サリムは慣れた手つきで銃をしまった。
「年はとりたくないものだ。市警がプレキャリ着てることを意識せずに撃ち込むとはね。おかげでしくじるとは……予備マグ持ってくるべきだった」
「え……? サリム?」
「残念だが、俺はサリムではないよ。コイツを見ればわかるか?」
クリフと莉桜の脇を抜けたサリムが前髪をあげる。綺麗に治療されていたが、生え際の根元に縫った痕が、頭頂部を回るように着いていた。莉桜は瞬時に思い至る。こいつは脳を入れ替えて若返ったヤツだ。
「子供の体はいい。非力なのが唯一の欠点だが、銃が有ればハンデにはならん。なにより、周りの連中が侮ってくれる」
「――殺す」
「いいのか? 脳はともかく、体はサリムそのものだぞ?」
「ッ!?」
莉桜が躊躇った一瞬の隙を突いてサリムが廊下に飛び出していく。立ち上がった莉桜が廊下に出ると、すでにサリムの姿はなかった。銃を抜いて警戒しつつ、莉桜はクリフを室内に押し込んだ。
「クリフ大丈夫? サリムにやられた?」
「ええ……出血がひどいだけよ。大したことない。ねえ、サリムはどうしちゃったの? あんなことする子じゃないのに……」
扉を閉めた莉桜がクリフの頭を掴んで怪我の具合を調べる。頭部に数カ所の銃創があった。しかし、クリフは瀕死どころかまだ元気に見えた怪我がひどく見えるのは、頭部からの出血が多いからだ。
「……なんで、生きてるの?」
「え?」
「頭、撃たれたんでしょ」
「ああ、これ? ほら、あれ痛いけど玩具でしょ? 血は出るけど、ちょっと力を込めておけばなんてことはないわ」
「……」
ウインクしてみせるクリフに強がっている様子はない。嘘を言っている様子もない。なにより、出血している銃創は本物で、サリムの握っていた銃も本物だ。プレートキャリアについた弾痕がそれを表している。
「ともかくあの子追いかけなくちゃ。突然の帰国ことになって、寂しくておかしくなってるだけなの、だから……!」
「違う」
筋肉で防いだ事実に驚いていると、クリフが縋り付いてきた。莉桜が手にする銃を見てなにをするのか、不安になったのだろう。そんなクリフに莉桜は言い放つ。
「あれはもうサリムじゃない」
「何言ってるの!?」
「ニュース見てない? あれが若返り。体はサリムだけど、脳は違う」
「え? ……え? じゃあ、サリムは!?」
「わからない。とにかく確保する。場合によっては……」
部屋を出ようとして足下が揺れる。そして外から聞こえるざわめき。
「え、これ……!」
警戒しつつ室外に飛び出した莉桜が見たものは、動く風景。離れゆく港だった。
「出航してる?」
「そんな! アタシ達が乗ってるのに? おかしくない!?」
見れば、タラップへの出入り口は塞がれていない。こんな状況で出航するだろうか?
「どこに行くの?」
「……艦橋。船を止めないと」
船というクローズド空間故サリムを逃がすことはないが、船がこのまま東京湾を出てしまうのはまずい。止めるべく動いたとき、遠くから銃声が聞こえた。
「!?」
悲鳴と共に乗客がこちらに逃げてきた。それを追いかけてくる乗員の姿。莉桜はその顔に見覚えがあった。逃げ惑う乗員の間をすり抜け、すかさず手にしていたSIGを速射する。
「リオ! あなた――」
「死にたくないなら伏せなさいッ!」
悲鳴を上げた人々を一喝し、倒れた乗員に詰め寄った。銃を蹴り飛ばし、今し方撃ち倒した男が失神してることを確認する。
「リオ、その人は……」
「大丈夫。死んでない。撃ったのは樹脂の弾だから」
男をうつぶせにし手錠をかける。莉桜は確信を深めた。サリムの中には多田と志を同じくするクズ野郎が入っている。それはこの男がクローン兵のリストで見た顔をしていたからだ。
「雨木さん聞こえますか? 船内で発砲事件発生」
『ああ、聞こえた。だが動けん。そこは別の管轄だ。一応通報はした。それまで待機するんだ』
「……努力はします」
通信を終え、莉桜は銃を握りしめる。
「リオ? ちょっと待って、あなた何する気!? まさか」
「行く」
立ち上がった莉桜の腕を、クリフの太い腕が掴んだ。
「アタシも行く。サリムを……いいえ、サリムの体を好きにさせないわ」
「……ありがとう」
警官が莉桜一人の今、クリフの存在は頼もしい。しかし、一般人を巻き込むのは警察としての矜持が許さなかった。どうにかして人を避難誘導するように頼み、莉桜は駆ける。目指すはブリッジだ。サリムがどこにいるにせよ、船を止める必要があるからだ。
案の定、船内には多数のクローン兵がいた。莉桜を見るなり発砲してくるが、逃げる乗客を狙わず、人質に取ることもしない。何か目的があるとしか思えず、壁の向こうから撃ってくる銃撃に彼女は疑問を持った。
(これって……足止め?)
こっちはたかが拳銃を持った警官一人だ。数に物を言わせてつぶすことなど造作もないのに攻めてこない。脅威にはなり得ないので、適度に足止めしておけば良いと言うことだろうか。
「……どうするか」
しかし、現状を打破するには人数的にも火力的にもどうにもならない。手元にある武器はP226とバックアップのセンチニアルのみ。しかも、パトロールをしている体でここにきたので、樹脂弾しか手元になかった。それが残り二十五発ほど。センチニアルを含めても三〇発しかない。こちらを撃ってくるクローン兵はAKを乱射し壁を穴だらけにしていた。フルオートで撒かれるライフル弾を躱して近づくことなど、如何に両の義腕とプレキャリを駆使しても防げない。遮蔽物のない狭い廊下では逃げ出すことも出来ないだろう。
(そろそろ応援が来てもいいと思うんだけど……)
雨木が連絡したのなら、水上警察がそろそろ来てもおかしく無い。しかし、応援が来る様子はなかった。自ら連絡しようと端末に手を伸ばしたところで、呻きと共に銃声が止んだ。
「……?」
何が起きたのか。罠であると考え、莉桜は顔を出すことが出来ない。顔を出したら撃たれると考え三分待つ。しかし、何もなかった。
(……一体何?)
静寂に耐えきれなくなった莉桜が、躊躇いがちに踏み出す。いつでも体を引けるように移動しつつ、銃痕だらけの壁から顔を覗かせようとしたとき、彼女は肩を掴まれた。
「ッ!?」
振り返り様、莉桜の視界が回転する。そして、ろくに反応できず床に叩きつけられた。
「ぅ……あ……」
「あれ? 宇佐見巡査?」
「え……」
痛みにゆがめていた顔を上げると、聞いた事のある声。後頭部を抑えつつ顔を上げると、デカオが手を伸ばしていた。
「……TOG? どうしてここに……」
「山西大尉からの要請を受けてね。こっちはクリア。宇佐見巡査だったよ」
『まじで?』
マイクスピーカーから声が聞こえたと思いきや、角の向こうからヌコが顔を出す。莉桜の存在が意外で、こちらも驚きに目を丸くしていた。
「なんでここに?」
「どっちかって言うと、わたしのセリフ」
本来来るべきは水上警察のはずだ。なぜTOGがいるのか莉桜にはわからなかった。
「まあいいや。俺達はここの制圧が任務なんだけど、そっちは?」
「ブリッジに用事。船を止めたい。それと、知り合いの男の子の体に脳をねじ込んだクソ野郎を探してる」
「わかった。こっちに敵対する子供を見かけたら極力殺さないようにしますわ。あと、見つけたら連絡行く様にします。周波数合わせてください」
「でも」
「大丈夫。今のTOGが使ってるのは執行弾。大尉が実弾くれなかったのよ」
「そっか」
その言葉に安堵し、ヌコが無線で指示を出す間に莉桜は艦橋へと走り出す。船内には銃声と叫びがそこかしこから聞こえていたが、TOGがクローン兵を撃ち倒したと連絡ばかりが莉桜の通信機に聞こえてくるところを鑑みるに、順調に制圧してるのだろう。外にはヘリのローター音。ヘリでここまで乗り付けてきたのだろうか。
(乗客に被害が出ていなければいいけど……)
TOGが強いことは莉桜も知っていたが、連中は何事にもやり過ぎるきらいがあった。本当ならこの場においてTOGではない莉桜が諫めなくてはいけないのだろうが、今はこの圧倒的戦力がありがたい。邪魔をして敵に反撃の機会を与えたくはなかった。そうこうしてるうちにブリッジへの階段を上りきってしまう。
「……」
今のところTOG達から銃を持った子供の話を聞かない。だとすれば、ここにいる可能性がある。
(こんなときフラッシュグレネードがあれば……)
とはいえ、ただの市警がそんな物を持っているわけがない。意を決して扉を蹴り開けた。
「――警察だ!」
ブリッジに飛び込み、即座に銃を撃つ。操舵輪を掴んでいた者と複数の航海士を撃ったのはクローン兵だからだ。敵が来ると予期していなかったのか、反撃することなく被弾した男達が樹脂弾を受けて倒れる。
「……いない?」
あっさりと片がついたことに拍子抜けしながらも、ブリッジ内を見回す。銃口と共に視線を巡らせていると、視界の端に動く物が見えた。
「――遅い」
ロッカーの陰にしゃがんでいたサリムが立ち上がり様にトリガーを引く。連射した弾の一発が腿を貫通し、義腕で顔をかばった莉桜がよろける。しかしそれだけだ。倒れることなく銃を向けられ、弾切れを起こした銃を手にしているサリムは走るのを止めた。
「これ以上動くと撃つ」
「撃てるか? この体を」
「撃てるけど?」
「……」
「お前達が素体の中身を――サリムを生かしておくわけがない」
そうなれば、体を如何に綺麗にしつつ殺すかと言った部分が問題になる。撃つこと自体莉桜に躊躇いはなかった。しかし、その状況においてもサリムから笑みは消えない。
「その中身が生きてる、と言ったら?」
「生きてるわけがない」
「それがそうでもない。俺は鬼畜じゃないんでね。……で? そんな俺を殺すか? せっかく俺を殺しても、体が穴だらけじゃサリム君の脳が戻るところをなくすぞ?」
「……出鱈目を」
『いや、出鱈目ではない』
不利な状況にもかかわらず煽ってくる男にイラ立ちが隠せず人差し指に力がこもりつつあった時、スピーカーマイクから山西の聞き慣れた言葉が耳に入ってきた。
「警部?」
『その少年の中身は物部彰。市内の実業家だった男だ。先の事件の失踪リストにも入っていて、死体もすでに発見済みだ』
「……誰のことだ?」
『とぼけなくてもいい。お前のことは、お仲間の久木貴友から聞き出している』
「……」
山西の言葉に、サリムの顔つきが変わる。その態度は図星を現していた。
『久木から聞いたぞ。他の連中が力強く若い男の体を望んだのに、お前はわざわざ子供を選んだようだな。どういった目的かは知らんが、大した趣味だ』
「…………久木がしゃべるとは思えない。第一、あいつはまだ脳のままだったはずだ」
『ああ、そうだ。だから、適当な死体に久木の脳をねじ込んで町田式の尋問を行ってみた』
不意に莉桜のスマホが鳴る。銃を構えつつ開くと、画像を物部に見せるように指示があった。添付画像を開き、物部に見せつける。物部の顔があからさまに変わった。
「……なんだこれは」
『見ての通り、現在の久木だ』
「ふざけるな! ただの肉の塊だろうが!」
『部下に任せたら少々やり過ぎたようでな。ただ、おかげで必要な情報は手に入った。なんなら後で会わせてやる』
「ぅ……」
『法と権力に縛られない警察の捜査力を舐めない方がいい』
物部の狼狽する姿に、莉桜も改めてスマホの画面を見る。画面には赤黒い肉塊が転がっていた。
(……これ……)
生きてるのだろうか。複雑に曲がっている腕が見えるのでかろうじて人だとわかるが、少なくとも生きているようには見えない。
『さて、これも久木からの情報だが、その少年――サリムの脳、出田町第四倉庫の地下二階で見つけたよ』
「……朗報だな。これで俺を撃つことは出来なくなった」
莉桜に対しアドバンテージが取れたことを物部は確信する。そして、銃が向けられていにもかかわらず、弾切れをしていた自らの銃のマガジンを交換し、自分の心臓に向けた。
「なにを……」
「サリムが生きているとわかった以上、この体は俺にとって人質になる。そいつが撃てるか? 市警の使う弾なら死なないことは知ってるが、撃たれた反動でトリガーは確実に引くぞ?」
自分の正体がばれてしまったことには驚いたが、体の持ち主が生きていることが莉桜にも伝わり、迂闊に手を出せなくなった。これは好機だ。どうにかして逃げなくてはいけない。そんな物部の思考を、山西の言葉がつぶした。
『残念だが、サリムの脳はすでに死んでいる。見つけた時には殺されていた』
「ッ……」
「は? おい、ちょっと待て。嘘をつくな!」
『嘘をついてどうする。意味があるのか』
通信が終わる。頼みの綱のサリムが死んでいると聞かされ、無線越しの敵に怒りをぶつけたい衝動に駆られるが、前にいる市警の目がそれを許さなかった。
「…………」
「待て。今のは嘘だ。俺は殺してないぞ!」
「……言い訳は終わり?」
「俺を殺すのか? いいのか、この体がどうなっても――」
「本人が死んでるのに、体の心配してどうするの?」
莉桜の淀んだ目が物部を見据える。危機感を覚えた物部が自らの胸に突きつけていた銃を莉桜に向け、発砲した。
「ッ!?」
バレルから飛び出した弾頭を腕で弾き、次弾を撃たせる前に掴みかかる。そのまま壁に叩きつけようとしたが、物部の体は動かなかった。
「な……ッ」
「さすがだな、宇佐見巡査……! 子供の体がベースとはいえ、強化した肉体なのに外せないとはな!」
「なぜ名を知っている!?」
「そりゃあ知ってるさ。成り代わるにあたって、警官は邪魔だろう? サリムを解体する前に聞き出したよ」
「ッ……ゲス野郎が!」
「痛い! 痛いよお姉ちゃんッ!!」
「!?」
物部の怒りを煽る言い草に腕に力を込めた瞬間、物部がサリムの声で悲鳴を上げた。思わず腕に込める力を緩めてしまう。
「どうだ? 迫真の演技だろう?」
「貴様……!」
「如何に強化されてると言っても、所詮は子供の体だ。お前の腕なら簡単に殺せるだろ? どうした、潰せよ。腕を潰せば無力化出来るぞ? 或いは、首から上を潰せば俺は死ぬ。サリムの仇をとろうとはしないのか? ああ!?」
意図的な煽りだとわかっていても莉桜は怒りを抑えられない。しかし、手を出せばサリムを自分が殺したことになる。その葛藤が莉桜を惑わせていた。
「ぐ、う……ッ」
「中身は別人でも、見た目は子供そのものだぞ? お前に出来るのか? 子供の骨を砕いて肉を割き、頭蓋を潰すことが」
「……できる!」
「当然俺は抵抗する。激しい抵抗が故の死体は凄惨極まりないものになるそうだが、お前自身にそれができるか? 無邪気な子供を、ただの肉に変える事ができるか!?」
「ッ……!!」
正義感につけ込む煽りを受け、莉桜は行動できなくなってしまう。
(後一押しすれば、逃げられるか……!?)
莉桜を丸め込むため、物部が次の言葉を考えていると、スピーカーマイクから声が漏れた。
『位置が悪い――宇佐見巡査。そいつを掴んだまま後三〇センチ以上下がれ』
「え……はいッ」
物事の優先順位が測れなくなっていた莉桜が、言葉の意味もわからず言われるがままに物部の腕を掴んだまま下がる。互いに押すことで取れていた均衡が崩れ、莉桜に引っ張られる形で物部が前のめりになってしまう。瞬間、物部の後頭部が吹き飛んだ。肉片が飛び散り、仰向けに倒れた莉桜の上に力の抜けたサリムの体がのし掛かってきた。
『無力化成功しました』
『いいぞ雨木、よくやった。これで船の制圧は完了だ』
体を起こした莉桜が割れた窓の外に目を向ける。離れたところを飛んでいたヘリの開放されているカーゴドアに、スナイパーライフルを構えた雨木と指向性マイクを手にした山西が立っていた。
『スピーカーマイク越しに私たちと会話していた不自然さを少し考えればわかっただろうに、宇佐見に意識を集中しすぎたようだな。それとも、ヘリが飛び回ってることが当たり前すぎて意識していなかったか』
『宇佐見、怪我はないか?』
「……はい……大丈夫です」
雨木に声をかけられ、莉桜は何とか返す。怪我はない。顔が赤いのは、サリムの血を浴びたからだ。
(これで、良かったんだ……)
後頭部が吹き飛んで脳漿が零れ出ているサリムの体を脇に横たわらせる。どのみちサリム自身はもう死んでいる。誰が殺すかの違いでしかない。むしろ、後頭部の損傷だけで済んで比較的綺麗なまま死なせることが出来た雨木に感謝すべきなのだろう。
(だから……これでよかった)
無理矢理自分を納得させる。しかし、気持ちとは裏腹に視界が歪んでいく。子供の命も体も守れなかった己の無力さに苛まれ、莉桜は涙するのだった。
「生憎お茶がなかったよ。コーヒーで良かったかな?」
「どっちでもいいですよ」
イタリア山庭園に止めたタンドラの上で空を眺めていると、雨木が紙コップに入ったコーヒーを手渡してきた。
「ここでのサボりがすっかり癖になっちまったなぁ」
「……すいません」
「ああ、気にしないでくれ。俺だって、気合い入れて仕事するタチじゃないんだ。もうあくせくして仕事しない。家族のために健康第一でやっていくんだ」
「……」
コーヒーをすする雨木には疲労があったものの、やる気に満ちていた。日々が充実しているのだろう。翻って莉桜は自身を鑑みる。シージャック事件以降一月経っていたが、莉桜は目に見える物が全てが色褪せてしまった。サリムを守れなかったことが生きる気力を失わせていたのである。何かしてないと人間として壊れかねないから職務を全うしているが、惰性で仕事をしてるので雨木とタスニムの補佐をこなすのが関の山だった。
「……そういえば、タスニムはどうしたんです?」
「サプライズで宇佐見に渡すものがあるとかで取りにいったよ。きっと驚くと思う」
「それ、言わない方がよかったんじゃないですか?」
「……ああ」
指摘され、雨木は手を叩く。
「まあ大丈夫、驚くよ。少なくとも、その腑抜けが治るくらいにはね」
「……」
そんなことあるわけがないと莉桜は思いつつ、皆に気を遣わせている事実に凹んでいく。人が死ぬことなど常なのだ。一警官の自分は万能ではない。守れなかったことをいちいち気に病んでいたところで誰も喜ばない。わかっていて何度も自分に言い聞かせていても、沈みよく心は戻らないのである。
(……退職、しようかな)
このまま警察を続けていても周りに迷惑かけるだけだ。仕事を続けた結果、雨木やタスニムまで死ぬことになったらと思うと、今度こそ心が耐えられない。
「……物部彰はさ」
どのタイミングで退職を切り出すか流れる雲を見上げながら考えていると、車に寄りかかった雨木が唐突に口を開いた。
「政財界に影響力のあった実業家だった。金もあるし、下手に逮捕しても簡単に保釈される。ある種不逮捕特権を持った存在だな」
「……」
「そこで、宇佐見の良心を利用しようとして逃げようとしたわけだ。サリムが生きているとすれば、迂闊に攻撃できない。少なくとも、宇佐見に物部を殺せなくなる。そこに活路を見いだそうとしたんだ」
「…………何が言いたいんですか?」
脳裏に後頭部が吹き飛ぶサリムの姿が浮かぶ。自分には出来なかったことだ。だからこそ代わりに手を下してくれた雨木には感謝はしているが、やるせない気持ちもなくならない。体だけでも綺麗に出来たのではないかといった思いが未だに拭いきれないのだ。そんな思いを見透かした雨木が目をのぞき込んでくる。
「自分でなんとかできたと思うかい?」
「………………………………………………多分、無理だったかと」
「だろうね。似た状況に立たされたら俺も難しいと思う。だから、嘘をついたんだ」
「……嘘?」
会話の流れからすると妙な単語に首をかしげていると、雨木が莉桜の背後に手を向ける。振り返った莉桜は、己の目を疑った。そこにはタスニムと山西がいて、タスニムの押す車いすには、頭部に包帯を巻いたサリムの姿――信じがたい光景に、心臓が早鐘を打った。
「どうして……死んだんじゃ」
「警部の考えなんだ。あそこで生きてることを教えるくらいなら、宇佐見のやる気を鼓舞する方向に持って行った方が物部を逃がさないんじゃないかって」
「……」
「脳と体、正真正銘のサリムだよ。戻すのに苦労したみたいでここまで時間かかったけど……て、もう聞いてないか。力入れ過ぎるなよー」
サリムに飛びつく莉桜に雨木は苦笑する。サリムを抱きしめた莉桜は、今し方まで考えていた退職のことなどすっかり忘れ、少年が生きていたことをただ喜ぶ。そして、褪せていた世界に色が戻るのを感じるのだった。
[ "あとがき" に続く ]