ハマポリ BAD COMPANY 第五話
※この小説は、上倉鉄人重丸氏の小説に私(マンモス東)の挿絵を追加したものです。上倉鉄人重丸氏の代理投稿になります。
[第五話]
「これで……何人目でショウカ」
「わかってるだけで、八人かねぇ……」
投げやりな雨木の言葉に、落ち込み気味のタスニムが新聞を脇に置く。一面にはここ数日で資産家や政治家が失踪する事件が相次いでいることが記されていた。クローン兵士射殺から事件が収まったと思っていた矢先のことで、再び始まった連続失踪事件が猟奇殺人を思わせ、難民特区には陰鬱とした雰囲気が流れていた。
基要軒横浜工場炎上事件から数日後、R9班はいつも通りのパトロールをこなしていた。非公式の潜入捜査だったために莉桜達が行った行動が表に出ることはなくお咎めなし。それどころか、ろくに成果がなかったにもかかわらず、危険なことをした労いとして比較的軽い仕事が山西から宛がわれていた。故に、雨木達はタンドラをイタリア山庭園に止め、短い休息を取っていた。
「こんなところに休んでいていいのでショウカ……」
「いいんだよ。俺は今、自分の無力さについて痛感してるんだ。少し、考える時間が必要だよ」
タンドラの荷台に転がり、煙草を吹かす。警官としてはだらしなく公務員としてどうなんだと苦情の電話が来そうだが、そんなもので警察組織がどうにかならないことくらい容易に想像出来た。なにせ、工場の炎上が「従業員の誤操作による設備破壊」と結論づけられて報道されたくらいだ。侵入者の話はもとより、軽カマや火器の話すら一切出てこなかったのである。現場検証を行った警察や消防が軽カマを見逃すはずがない。となれば、どこかの段階で公表を口止めしたヤツがいることになる。
「基要軒、すごすぎない? バイオ焼売作ってるだけだよ? 権力者の胃袋をうまい具合に掴んだとか?」
「……どうでショウ? 難民ビジネスはお金になるってことでショウカ?」
「で、一連の失踪は、反対する連中を秘密裏に消した、とかかな?」
口にしてみたものの、それが違うことは雨木とタスニムにもわかっていた。県内で失踪しているのが有力者だけならまだしも、失踪者には難民の子供や老人まで含まれている。以前までの無差別失踪と同じで、雨木の考えた権力闘争の末の殺害のような単純な物ではないようだ。
「こう……あれだね。鳥になりたいよねぇ。あんな風に、全てを捨てて大空を飛びたいよ」
「鳥? それ、逃避デスヨ?」
「いいじゃん、そのくらい。最近忙しくてゆとりがなかったからさ。鳥を見て現実逃避したくもなる。……こう言っちゃ何だけどさ、多忙すぎて自殺する同僚の気持ちが少しわかるよ」
「サセマセンヨ?」
「わかってるさ。冗談だよ」
タスニムの声色が硬くなったのを感じて、雨木は苦笑する。
「俺には家族がいるんだ。仕事に疲れた程度で路頭に迷わせることなど出来ないよ。……いざとなれば、全てをなげうってでも守る」
「……巡査部長は、鳥だとしたらどういうのがいいのデスカ?」
雨木の雰囲気に剣呑な物を感じたタスニムは無理矢理話題を変えた。
「集団で獲物を食い尽くす鳥デスカ? それとも、孤独に生きて餌をとれずにのたれ死ぬ鳥デスカ?」
「……極端じゃない、ソレ? でも……そうね。できれば、一人で気ままに飛び回って、好きなときに食っちゃ寝してる。ああいうのが理想だよね」
「いいとこ取りはダメデス」
わずかばかり雲の浮かぶ青空を舞う鳥を指さしたが、タスニムが即座に否定。
「巡査部長、悠々自適なんて言うのは、相応の力があってこそデス。巡査部長は鳥の集団に混じっておこぼれが取れそうで取れないダメな鳥デス」
「ずいぶんひどくない? まあ、一人では生きられないかもしれないけどさ……港湾部で飛び回ってる鳥の群れにいたら、餌なんか取れないよ」
雨木が視線を向けた遙か向こうの港湾方面上空には、黒い塵のような物が円を描くように飛んでいるのが見えた。ここ最近急速に増えつつある鳥の群れで、その数は孤児院で餌を強請ってきた鳥の日ではない。
「港まわりは大漁なのかねぇ……フンで滑りそうだ」
「掃除が大変そうデス。出来れば行きたくないところデスネ」
「買ってきました」
フンまみれになった港湾部の地獄絵図を想像していると、缶コーヒーを手にした莉桜が戻ってきた。
「遅かったね」
「雨木さんのヤツが近くの自販機になかったんですよ」
「そっか。悪いね」
苦笑しつつ、受け取ったコーヒーをすする。一息ついた雨木の顔は、同じようにコーヒーを飲んだタスニム同様冴えない。
「……ジョンのコーヒーが飲みたいなぁ」
「はい。でも、行きづらいデス……」
「……」
タスニムの言葉に莉桜は顔を伏せることしか出来なかった。休憩場所としての孤児院に寄れなくなったのは、失踪者の一人にサリムがいたからだ。ラーフィアのように突如としていなくなった少年には、孤児院以外に知り合いがいない。昨今の横浜の危険さを肌で感じている以上、一人でふらふらとどこかに行くことなど考えられなかった。そこから導かれる結論は何者かに掠われたという事実。普段、何があってもオネエ節で落ち着いていたジョンとクリフが、今にも泣き崩れそうになりながらサリム達を助け出して欲しいと必死に訴えてきたあの顔が忘れられない。顔を出さないのは良くないし、余計に不安にさせるとわかっていたが、それでも行きづらかった。
「サリム君は見つけないとね……」
「もちろんです。知り合いだから贔屓してるわけじゃないですが、見捨てるわけにはいきません」
楊達の解体現場に置かれた死体が脳裏に浮かぶ。あんなコトにはさせない。拳に力が入り、スチールの缶が一瞬でつぶれ中身が噴き出した。
「熱ッ」
「あ……すみません」
飛沫がかかり慌てた雨木に莉桜はハンカチを渡した。幸い、コーヒーはそれほどかかっていないようだ。
「ちょっと、力入れすぎじゃない? 気持ちはわかるけど、感情的になったらだめだ。感覚が鈍る」
「わかってます。ただ、工場に行ってからリミッターの調子がおかしいみたいで……」
棒状になった缶を手放し何度か手を開いてみる。軽カマから逃げる際に負荷がかかったのか、それとも交換したパーツが不良品だったのか、ふとした拍子にリミッターが外れて物を壊すことがここ最近多くなっていた。物を壊す程度ならまだいい。これが子供の腕だったり頭だったりしたらと思うと不安で何も出来なくなってしまう。
「雨木さん、パトロールがてら病院行ってもらってもいいですか?」
「藤巻さんとこ?」
「はい。急いで直してもらいます。今なら空いてるでしょうし」
ところが、莉桜は藤巻の治療を受けることは出来なかった。というより診察室に入ることが出来なかった。
「……なんだいこりゃ」
停まった車の中で、目の前に広がる光景に雨木は間の抜けた声を上げる。藤巻の診察所はモグリであることもあって雑貨ビルの中にひっそりとあった。当然駐車場もなければ待合室もない。非合法故の高額さもあって滅多に人が来ないところだ。そんな診察所の前に難民がいた。それも一人二人ではなく、少なく見積もっても一〇〇人を超えるほどの人数だ。当然難民は入り口のある裏路地からあふれ、道路を塞ぐように立ち尽くしていた。
「これは一体……」
「あの、どうしマシタ?」
あまりに様子が変だったので、気になったタスニムが声をかける。しかし、汚い格好をした難民達の反応はどれも薄く、虚ろな目をして体をかすかに揺らしていた。心なしか恍惚とした雰囲気さえ感じさせる人々に、莉桜達は見覚えがあった。
「これ……横浜九龍のヘリの近くで見たのと同じ感じじゃありませんか?」
「断定は出来ない。けど似てるよね。調べてみないとわからないけど」
「あなたたちいたの? ちょうどよかったわ」
棒立ちの難民を押しのけて現れたのは白衣を朋香だった。
「ああ、藤巻さんお疲れ。なんか大変そうだね、どうしたの?」
「お疲れじゃありませんよ、雨木さん。何があったのか知りませんけど、ここ最近いつもこんな感じで。……何かの薬物を摂取したようなんですが、症状も中毒も軽いし、子供達までみんなかかってるし、なんでこんなにも広がっているのか……」
朋香は疲れ切った表情で虚ろな目をする難民達を見る。この症状が横浜九龍で見つかった薬物と同じ物が原因であるとするならば、まだ公表されていないのだから知りようもないだろう。
「知りもしない物に対処しなくちゃいけないってのは、さすがに疲れますね。お金取れないし……」
「ん~……わかりました。この人達をどうにかするの手伝いますよ」
意外な言葉にタスニムと莉桜が雨木を見た。
「雨木さん、それは」
「とりあえず、道路に出てる人々を整列させて邪魔にならないようにします。その代わりといってはなんですが、宇佐見巡査の腕を先に見てもらえますか? どうも調子が悪くなったみたいで」
「え? ええ、まあ、そのくらいでしたら」
「それとですね。患者の血液サンプル分けてもらえませんか? この件ひょっとしたら解決できるかもしれません」
それは血液を鑑識に持ち込むことであり、自分の名前が出かねないと考えた朋香の表情が硬くなったが、名前を出さないことを明言すると安堵したように雨木の提案を承諾した。
「では、それでお願いします」
「りょーかい。というわけで、藤巻さんを手伝おう。俺と井下巡査は難民達を並ばせる。宇佐見巡査は先に腕を修理して、そこからこっちの手伝いね」
「しかし、割り込むなんて……」
「お医者さんがいいって言ってるんだからいいんだよ。それに、周りの人はみんな夢心地で気づかないと思うよ?」
「……」
そう言われてしまえば頑なに拒むのは失礼だ。せっかくの好意に甘えることにし、莉桜は診察室へと向かった。
「……鳥か……」
全く予測し得なかった回答に、鼻を手で塞いだ雨木が吐き気を催しながら上空を旋回する鳥達を見上げる。夕日の空を覆わんばかりの鳥達が飛んでいた。一羽一羽の大きさは鳩程度だが、空を覆うほどに群れをなす姿は驚異でしかない。襲われればひとたまりもないし、迂闊に旋回ルートの真下に入ればフンのシャワーを浴びることになる。事実、足下には地面を覆い尽くすたくさんの糞があった。
「こんなルートで感染とかあるんですね……」
「ああ、食物連鎖の恐ろしさを知ったよ。当分鳥はいいかな」
「……気持ち悪いデス」
鼻のいいタスニムは地面から湧き上がる不快な匂いに耐えきれず、バックパックからガスマスクを出していた。腕の治療を終えた後、莉桜は難民の整理をし、その間にタスニムが鑑識に難民の血液サンプルを運んだのである。その結果はクロ――横浜九龍で見つかった薬物と同じ反応が出た。
「バイオ焼売が中東の難民に配られてないのはもとより知ってたよ。けど、診療所の前にいた難民覚えてる?」
「ええ、一見する限りでは元気そうでした」
莉桜の脳裏には診療所の前で呆然としていた難民が浮かんでいた。民間人としてなら極めて普通だが、難民としては違和感を覚えた箇所――それは肌つやだ。中華系難民と違い中東系難民は基要軒のような企業の大規模食糧支援がなく、常に飢えて痩せていた。それが、診療所前にいた難民達は惚けてはいたが血色が良く、頬もこけていなかったのである。飢えとはほど遠い状態だった。
「みんな鳥を食べていたのデスネ……」
「いっぱい飛んでるからってそうそう取れる物ではないと思うのですが」
「……でも、これを見ると信じるしかないよ」
海につながるちょっとした小川の脇を歩く。コンクリートで固められた幅五メートル程の溝には、最近の雨の少なさもあって申し訳程度の川が流れている。そこも鳥の糞まみれだったが、平らなはずの川底は黒い物がそこかしこに転がりうねっていた。転がっているのはいずれも鳥だ。しかも生きていて、弱々しい鳴き声を上げて震えている。
「おじさんの俺からすれば、こういった光景は原油の流れ出した海でオイルまみれの海鳥を連想させる悲壮感漂うもんなんだけど……どうもこう、悲しみが薄いね。異様というか……」
「間違いなく異様ですよ。これ全部薬物の中毒症状ですよね」
「サンプルを調べた結果からすると、多分ね」
川に転がっている鳥に対し雨木と莉桜は微妙な視線を向ける。難民が口にしていた鳥にも中毒症状がでていたことが、難民の食事のゴミを調べたことで明らかになった。信じられないことに、難民は皆鳥を食したことで薬物中毒になっていたのである。
「食べ物がロクにないところに鳥が落ちてたら食べるわな。しかも、死んでるわけでもないし病気でもない。フンまみれなのを綺麗にさえすれば立派な食事だ」
「こうして飛べないのが転がってたら、みんな食べますヨネ」
「俺が難民の立場なら間違いなく食べてるね。だから、中毒症状になってしまうのは不可抗力だし仕方がないと思う。問題は、鳥がどこで中毒になる物質を仕入れたかだ」
現状、この薬物は出回っていない。鳥が群れをなして飛び回っている中心に薬物に関連するものがあるのだろうか。川上に歩みを進めているが、川には延々と中毒状態の鳥達が糞まみれになっているばかりで何も変化がない。強いてあげれば蝿が多くなったくらいだ。羽音がうるさく、それが不快感と吐き気を煽った。
「この辺りには基要軒絡みの工場なんてないですヨネ……?」
「連中が鳥に焼売あげてるとか? それは俺も考えた。けど、地図を見る限り、港湾部に基要軒の工場はないんだ。だからこそ気になってる」
不意に風向きが変わった。海からの風が逆に吹き、川上から川下に流れる。瞬間、口を押さえた莉桜と雨木がガスマスクを取り出し身につけた。すでにガスマスクを身につけてるタスニムには風が吹いた程度でしかないので、二人の行動の意味がわからない。
「? どうしマシタ?」
「宇佐見……わかるな」
「はい。これは……」
呼吸が落ち着いたところで、二人は走り出す。十五分ほど川上に走ると川の中に黒い塊があるのが見えた。溝の上に蓋をし暗渠となっている入口が黒く蠢いていた。言いようのない生理的気持ち悪さに怖気が走り、雨木はホルスターから抜いた銃を空に向けて発砲した。乾いた銃声に驚いた鳥達が一斉に飛び去っていく。暗渠の入り口にかたまっていたのは空を飛び回る鳥達だった。
「……鳥かよ。一体何やってたんだ?」
「雨木さん……あれを……」
「ん? …………………………………………………………………マジかよ」
莉桜に呼びかけられ、視線を暗渠に戻した雨木が、そこにある物を見て絶句する。
「あいつら肉食だったのか」
中毒を起こして飛び立てないでいる鳥達が浅い川面を埋め尽くすその奥に、糞まみれの小山があった。腐敗しているし食い散らかされて原形をとどめていない物も有るが、その山は紛れもなく元人間の山だ。
「………………鳥葬、デスカ?」
遅れてきたタスニムが、息を切らしながら眼前に広がる光景に見たままの感想を述べる。どうみても死体遺棄の現場だが、言い得て妙だった。
「雨木巡査部長」
「ちょっと待って」
わかった情報を手に莉桜達が雨木の元に戻ると、制止した雨木が目の前にいる太った男に調書を向けていた。
「では、この辺りで怪しい人間の姿は……」
「見たことなどありません」
初老の男は力なく首を振り、言葉を続けた。
「そもそも、私はここに住んでいないのです。管理人となってはおりますが、ここは実質倉庫のような物でして、中身のことは知りませんし、鍵を開けることもほとんどありませんので」
汗を拭った老人はうつむき加減につぶやく。調書を取る雨木の様子を伺う様子は胡散臭いことこの上ないが、自分に疑いがかけられているのではと思えば誰しもがこんな態度になってしまうのは仕方がない。
「安心してください。別段あなたを疑っているわけではありません。あくまで事情聴取をしているだけですから」
「は、はぁ……」
「しかし、あれですね。実質倉庫という割には立派な建物ですが、ここは何なんですか?」
「私の叔父にあたる人が一代で財を成しまして、その奇蹟を納めた博物館……にしようとしたようです」
雨木の見上げた建物は倉庫街にあるにもかかわらず立派な建造物だった。アールデコ調の装飾が荘厳ささえ漂わせているが、ただでさえ手入れのなっていないところを風雨にさらされ、主がいなくなった廃墟のようなホラー臭さを醸し出していた。
「この見た目に改造できそうな物件がここしかなかったのでしょうね。出来た当初は立派でしたが、こんな倉庫街に人がわざわざ来るわけもありませんからねぇ。唯一役に立ったのは、ちょっと前の冬の大停電の時くらいですか。そのときばかりは、叔父の道楽に感謝したものです」
(……ああ、そんなのあったな)
停電は神奈川において割と珍しいことではなかった。難民が盗電する際にしくじって設備を壊すからだ。その度に警備が強化されるものの神奈川全土にある電線や変電設備を守れるわけがなく、難民がやらかす度に炎上と停電を繰り返していた。莉桜の記憶に停電のことが残っていたのは、関東圏に雪の降った日に起きた停電だったからだ。そのときの停電は復旧まで四十時間と長く、交通機関も使えなかったことで身動きが出来なくなった人々が各所にいたのである。
「停電で感謝というのは?」
「この博物館は、所蔵してる物を管理するために空調だけは常に動かしてるのですが、たびたび起こる停電に叔父が怒りまして、いざというときのために自家発電機をつけたのです。そのおかげで、この辺りにいた難民の方々を一時的に救ったことがありまして。……まあ、市長には褒められましたが、叔父には雷落とされるし難民は住み着いてなかなか出て行かないしで散々でした」
「……なるほど、そんなことが」
そこから先は雨木と男の世間話のような事情聴取が続いた。有益な情報はなさそうで雨木は切り上げたかったが、老人特有の長話に巻き込まれ、雨木は足止めされたのである。莉桜達が雨木に報告できたのは、しゃべりに満足した老人がねぐらに帰った後だった。
「はぁ……なんていうかさ、老人ホームで働く人ってすごいな。あんなのをいつもいなしてるのか……生気を吸われた気分だ」
「疲れてるところ申し訳ありませんが、報告させてください」
「ん。なにかわかった?」
「あの場にあった死体には、首と背骨の一部がありませんでした」
「へぇ、一つも?」
「ええ、一つもありませんでした」
暗渠で食い散らかされていた遺体を鑑識が並べた結果、いずれも首がなかった。鳥が如何に肉食だとしても頭蓋を砕く力はない。それ以外の骨は一通り残っていたことからも明らかだ。また、背骨の切断面は極めて平面で、鋭利な刃物で切断されたのではというのが鑑識の判断だった。
「これも猟奇殺人犯の仕業でショウカ……」
「まだ断定は出来ない。被害者の身元を示す物は?」
「ありませんでした。あの場には全裸で捨てられたようです。ですが、明らかに子供と思われる小さな体もありまして……」
「わかった。残りの報告は警部の前で聞こうかな」
莉桜とタスニムの落ち込んだ表情が暗くなった夜空の下でも見えたのだろう。強引に話を打ち切り、雨木は車に戻っていく。重苦しいため息をついた莉桜は博物館跡を見上げ、タスニムと共に雨木の後に続いた。
「……マジで行くの?」
「当然です」
タスニムが止めた車の中から、莉桜が見上げる。そこには、数時間前に立ち去った博物館はずのがあった。端の方にバリケードテープの貼られたままの博物館には電気がついていない。一帯には外灯もついておらず、月明かりに映える博物館は不気味そのものだ。
「雰囲気、出てマス……」
「別に問題ないでしょ。中を確認するだけだし」
車を降りた莉桜が両手を上げて伸びをする。ぬるい潮風に乗って腐敗臭がかすかに漂ってきたが、匂いの元が回収されただけあってまだ我慢できなくはない。R9班が夜中に戻ってきたそもそもの発端は、タスニムの一言だった。
「大停電時に難民を保護するために自家発電機使ったとしたら、暖房を動かしたってことデスヨネ? 自家発電機ってそんなに保つんデスカ?」
そこで調べてみたところ、最大で一六八時間稼働する発電機があることがわかった。これならば、数日停電でも電力は賄える。ただ、工場でもないのにそんな物を設置するとは考えにくい。どのくらいの発電機がついているのか考えている内に、ふと雨木が博物館の消費電力を調べた。その結果、博物館は異様なまでに高い電力を毎月消費していたことがわかったのである。
「でもさ、実際ただの博物館だと思うんだよね」
「雨木さん、怖じ気づいたんですか?」
「まさか。肝試しするなら体を休めた方がいいと思ってるだけだよ」
博物館として機能していないにもかかわらず、ただの空調で膨大な電力を使うのはおかしいと言い出したのは雨木だが、刑事の勘が怪しいと言ってるといった割に今の雨木はどことなく及び腰だ。
「警部からコード・オーストリッチと言われてマス。今更手ぶらで帰ることは出来ないデス」
「それさ、バックアップできないけどがんばれってコトだよ? 何も手がかりなければ、手ぶらと変わらないんだけど」
「雨木さんの勘が何かを感じたんですよね? わたしはそれを信じますよ」
ハンドガンにライトをつけ、莉桜は歩き出す。ライトの明かりが暗がりを眩く照らした。タスニムもアンダーレイルにライトをつけた銃で闇を照らしついて行く。
「だったら今の俺の勘も信じて欲しいんだけど?」
「どういうことですか?」
「やばい。何かやばい気がするんだ。ここには、どうしようもないほどに何かやばい気がする」
二人の後に続く雨木のささやきはどこか切羽詰まった物があった。いつもの安穏とした雰囲気はなく、珍しく真面目な表情。しかし、莉桜達の足は止まらない。
「雨木さんがやばいって言うなら、何かがあるんじゃないですか?」
「警戒しないといけまセンネ」
「……こう見えてもマジで言ってるのよ? ちゃんと聞いてる? たまには上司の」
「そろそろ静かにしてください。響きますので」
なおも何かを喚こうとしている雨木を制止し、莉桜は歩みをゆっくりにした。正面からの侵入を避け、回り込む。倉庫がベースなら、側面に扉があってもおかしくはないだろうと考えたためだ。案の定、アールデコには似つかわしくない古びた扉があった。錆び付いたノブをひねるが、当然開かない。
「……どうしよう。執行弾で壊せるかな」
「任せてクダサイ」
銃口にサプレッサーをつけた莉桜の前に出たタスニムが、キーピックを取り出す。
「ねぇ……一つ訊いていいかな? なんでそんなもの持ってるの?」
「巡査部長は知らない方がいいデス」
慣れた手つきであっさりと解錠された扉を強めに引くと蝶番が致命的な音を立てた。
「壊れマシタ?」
「うん。多分ばれない。使って無いみたいだし、管理してたあの老人も滅多に来ないみたいだし」
「よかったデス」
「……よくはないんだけどね」
雨木のツッコミを尻目に、二人は目だし帽で顔を覆って暗い室内へを入り込んだ。展示室を作ろうとしたのか、嫌に広い空間だった。毛足の長い絨毯が敷き詰められる様は金がかかっていることを思わせたが、ひどく埃臭い。掃除は全くされていないようだ。
「……博物館を作ろうとしてたんだっけ」
「まさに作りかけデス」
広い展示スペースには台座が適当に置かれていて、展示物は脇に固められていた。かわりに、ビニールゴミや毛布がそこかしこに置かれている。避難していた難民の置いていった物だろうか。
「思ってたより広いね……サクッと済ませるには骨が折れそうだ」
「莉桜ちゃん、どうシマス?」
「各自自由行動で行こう。通信機もあるわけですし、それでいいですよね雨木さん?」
「……好きにしてよ」
仕方なしとばかりに雨木が許可すると、莉桜達はバラバラに歩き出す。展示フロアは日本特有の蒸し暑さが抑えられていて、過ごしやすかった。常に空調が動いているというのは間違いではないようだ。
(でも、空調が動いてる程度とは思えないくらいに電気使ってる……)
ライトを天井に向ける。送風口から風がながれているのが見えた。かすかに聞こえる動力音が耳に届く。
『ところでさ、探すって何探すの?』
「知りませんよ。そもそも、怪しいと言ったのは雨木さんでしょうに」
ベストなのは何かしら捜査の進展するようなものではあったが、建物の近くに死体の山があったところでなんらかの関連があると決めつけるのは正直難しい。それでも焦燥感に駆られた莉桜には行動することが必要だった。そうでなければ、死体の山の中にあった子供の死体と思われる小柄な体のことが孤児院と結びついてしまうのだ。動くきっかけをくれた雨木と山西に感謝しつつ彷徨く。
(とはいえ、なにもないかも)
莉桜が落胆混じりのため息をついたのは、空調から流れる涼しい風に埃臭さを覚えたからだ。床の埃を巻き上げてるだけかもしれないが、少なくとも人が出入りしている気配を全く感じない。
「何かあった?」
『何もないデス。どこも汚いダケ。難民が避難してたのは事実みたいデス』
『でもさ、使わせてもらったんだから掃除くらいして欲しいよね。これ……食い残しが腐ってやがるよ』
「吐くなら外でしてください」
えづいている雨木の声に不快感を示していると、ライトの光量が落ちてきたことに莉桜は気づいた。
「……これだからキセノンバルブは」
拳銃同様、ウエポンライトは日本の公安が装備の更新の際に放出された物だ。放出された主な理由は、点灯時間の短さ。連続照射二十分という、LEDに比べて段違いの電力消費量を莉桜は忘れていた。
(予備の電池なんて持ってたかな)
どこかのポケットにCR123があったかもしれないと朧気な記憶を探りながらポケットやポーチを漁る。その間にもライトの光量が下がり、手元すら満足に照らせないほどの弱々しい光になってしまった。
(もうちょっとどうにかならないの?)
自棄気味に銃を振ってみるが、当然何も変わらない。完全な闇になってしまった後もポケットを漁っていると、電池らしき物が指先に触れた。それを取り出し、ライトから電池を抜く。
「…………ん?」
ウエポンライトを戻したとき、莉桜の目が闇の中で止まった。闇の中にかすかな光が見えたからだ。それは床辺りにあり、一筋の線状になった光が見えている。
(……あの光は)
ライトをつけつつ、周囲を確認しながら近づく。それは、壁に溶け込むようにあった扉だった。引き戸で、わかりにくいノブがついている。力を入れると、鍵のかかっていない扉が開き、淡い光が展示フロアに漏れた。
「……」
扉の向こうにあったのは展示フロアとは違い、外階段のような白く塗装された鉄の階段だった。地下へと続く階段は、ここが一階である事を考えると非常用通路につながる物とは考えいにくい。
(地下にも展示フロアがあるにしては、階段の出来が粗末すぎる)
妥当に考えるならば、倉庫の電源設備があるのだろうか。電気がついているということは、明かりを必要とした何者かがいると言う事だ。そう考えると、莉桜の中で緊張感が高まった。
――階段を発見。明かりがついてます。何も手がかりがないならこっちに来て下さい。
スピーカーマイクにささやくと不味そうなので、メールにてタスニムと雨木に送る。数分待ってみたが反応がないので、仕方なしに進むことにした。放っておけば勝手に閉まる扉に使い終わったライトの電池を挟み、階段を下っていく。二階分ほど下ったところで階段は終わり、莉桜は通路に出た。
「……」
ぼんやりとした照明に照らされる薄暗い通路に隠れる場所はなかった。何かがいる気配を感じ、銃を構えつつ歩き出す。足音が響かないように慎重に進んでいると、鉄格子のつけられた扉が数枚並んでいるのを見つけた。
「………………ッ!?」
鉄格子を覗き、闇の向こうに何かがあることを確認してからライトで照らす。それを見て莉桜は息をのんだ。格子の向こうにあったのは十畳ほどの部屋で、コンクリートの壁に覆われた空間には複数の人間が転がっていたからだ。
(生き……てる?)
身なりからして難民だろうか。十五人ほどの人々はいずれも汚れた服装をしている。寝ているのか息づかいは聞こえてきた。微かに胸が動いているのも確認できる。失踪した人々だろうか。声をかけるか迷い、扉に手をかける。軽く揺するが鉄扉のぶつかる音がするだけで開かなかった。
(鍵穴がない……どこかで制御してる?)
カードリーダーもなく、この場で開けられないことはわかった。寝てるにしては不自然な体勢に、薬か何かで眠らされていると考え、扉から離れる。事件性があると考えられる監禁された人間を発見したと二人にメールを打つ。アンテナが一つしか立ってない状況だ。届くかはわからないが、送るだけ送って先に進む。隣の鉄扉を覗いていくが、人がいたのは最初の部屋だけだった。
(これで最後……)
最後の扉は他と違い、窓代わりの鉄格子がない代わりにドアノブがあった。
(何かがあるとすればこの奥だけど)
銃を手にノブを回す。鍵はなくあっさりと開いた。ドアの隙間から動力音が聞こえてきて、冷気が漏れ出してくる。
(寒い……)
何かの研究室だろうか。地上のフロア同様広い空間に照明はなかったが、適当に置かれた機器のそこかしこから青白い光が溢れ、周囲を照らしていた。
(電力の大量消費の原因はコレか……?)
周囲には配線のつながれた箱がいくつも積み上げられている。大きさはまちまちで、それぞれから動力音が漏れていた。その不快な音に頭痛を感じながら、近場にあった箱に目を向ける。
「これはいったい……」
箱には名前が記されていた。辺りを見るとどの箱にも名前がある。日本人名や中国人名、アルファベットで書かれてい読めない物も有りと様々だ。
「何かを預かってる……?」
博物館のオーナーは一代で財を成したことを思い出す。築いた人脈でもって何かを預かっているのだろうか。何の気なしに見ていた名前にどこかで見たようなものがあったが、いまいち覚えていなかった。気のせいにして、手にした箱の脇にあったスイッチを押す。インジケーターが赤から青に変わり、エアの抜ける音共に冷気が漏れ出す。
「――うわあッ!?」
ゆっくりと蓋が開いたところで中身を見た莉桜は思わず手放してしまった。床に落ちた箱が跳ね、こぼれでた中身がつぶれる。液体と共に箱から出てきた物――それは人の脳だった。
「な……なんでこんなものが……」
動悸が速くなり、呼吸が乱れる。映画やドラマでしか見たことのない脳みそが目の前にあるのだ。それが本物かどうかの判断をできるだけの知識を莉桜は持ち合わせていない。ただ、青い光に当てられたソレの質感やつぶれ具合を見るに、本物ではないかと考えてしまった莉桜のストレスが加速する。
(落ち着け……これは死体だ。死体と変わらない。死体の、内臓だ……)
呼吸を整え、思わず手放してしまった銃を拾い上げる。廊下に電気がついていた以上、自分たち以外の誰がいるのは確かだ。平静を保つように自分に言い聞かせ、深呼吸する。ある程度落ち着いたとき、莉桜は不意に思い出す。箱に書かれていたいくつかの名前が、ここ最近失踪した人間達の名前なことを。
(てことは……これ全部脳?)
周囲に置かれたケーブルのつながっている箱に目を向ける。大きすぎる箱はともかく、脳の入っていた箱と同じくらいのサイズには脳が入っているのではないか? 連続殺人の身元不明の犠牲者の中には頭部を破壊されて脳が取り出された者がいた。そのことを思い出し、莉桜は渋面する。
(何を目的でこんなことをしたのか……いや、目的なんてないのか?)
犯人がサイコパスなら理由などない。常人にはわからないルールに則って行動した結果に過ぎないからだ。ただ、この建物とそばにあった死体の山に関連がある可能性は強くなった。
「雨木さんの勘が当たったってコトか……てことは、ここの管理人かオーナーが」
風が動く。すかさず振り返った莉桜が銃を構える。ライトで照らす物陰の先には何も見当たらない。
「…………」
気のせいではなく確実に何かがいた。意識を集中し、気配が動いたであろう方向に銃を向ける。初弾の装填されている銃はハンマーがすでにコックされていて、トリガーにかかる指が震えていた。何かあれば撃ってしまいそうだった。
(どこ……?)
物音がして振り向く。積まれていた箱が崩れるところだった。
「――ッ!?」
転がることで間一髪で躱す。落ちた衝撃で箱が開き、液体と共にいくつもの脳が転がり出てつぶれた。あっけにとられた視界の端を人影が走り抜ける。
「――止まりなさいッ」
すかさずトリガーを引く。樹脂弾が箱に当たり凹んだ。近距離とはいえ、走る相手に当てることは難しい。待っているのはだめだと判断した莉桜が追いかける。全ての場所から見えるところに立っているのは不利と考え、即座に追い詰めることにしたのだ。
(銃を持ってるなら気づかれてない時点で撃ってるはず!)
「ま、待って! 待ってくれ!!」
「待てというなら止まりなさい!」
青く光る空間を逃げるシルエットが必死に叫んでいる。太めのシルエットに向かって銃を撃つと、情けない悲鳴を上げた人影が無様に転がった。
「あ、あうぅ……痛い……」
「……あなたは……」
銃を向けた先にいたのは、博物館の管理をしている老人だった。被弾した足を押さえて脂汗をかいている老人は今にも泣きそうになりながら怯えた目を莉桜に向けていた。
「撃たないでくれ! 私は、私はただ――」
「両手を挙げなさい」
「私は」
「手を、上げなさい。もっと撃たれたいの?」
莉桜の言葉に肩を振るわせた老人が両手を挙げた。手錠を取り出した莉桜が老人の腕を背中に回し、手首に手錠をかける。
「待ってくれ、足が折れてるんだッ」
「警察が容疑者の意見を聞くと思う?」
「容疑者にだって人権はあるだろ!?」
「安心して、わたしは認めてないから。署に戻ったらここの詳細を――」
立ち上がらせた老人が驚きに目を見開いてるのを見て、莉桜は背後を見る。自分めがけて飛んできた箱に対し、裏拳をきめた。ひしゃげて壊れた箱から脳が飛びだし、冷水が莉桜と老人にかかった。
「ぐ――他にも仲間が!?」
「し、し、知らん! 私は知らんぞッ!」
「出てきなさいッ」
箱の飛んできた方向に銃を向ける。その右腕が突如爆発した。
「な――」
ピンポイントでサーボを狙った爆発に、腕が動かなくなる。鉄塊になった腕はただの重りでしかない。そんなことよりも気になることがあった。
(今の爆発は――)
狙われた結果爆発を起こしたのではない。言うなれば内側から爆発が起きた感じだ。
「――だから言っただろう? やばい臭いがするって」
「!?」
腕に意識が取られていたために、莉桜の反応が遅れる。振り向いた瞬間視界が闇に覆われた。手で目隠しされたと認識したとき、首に微かな痛み。解放され、視界が元に戻る。青い光が照らすシルエットに掴みかかろうとしたが意思に反して体が動かず、莉桜は地面に倒れてしまう。
「あれ、俺なりの警告だったんだよ?」
「な、ぜ……」
閉じつつある瞼の向こうにいたのは、注射器を手にした雨木だった。理由がわからず混乱する前に、莉桜の意識がダウンした。
[ 六話に続く ]