8.銀色の鉄の塊で出来た俺が、皮装備の投手に遅れをとるはずは無い
ドラゴンは気を失ったのか、頭から墜落した。ズゥン……と大地が揺れて、へその辺りまで振動が伝わってくる。大丈夫だろうか? いかに硬質の鱗を持つとは言え、落下の衝撃を防ぎきれるとは思えない。
中年サラリーマンは、だらしなく口を開け、両手をダラリと下げたまま近づいてくる。その姿は、さながらホラー映画のゾンビめいて、生理的嫌悪感を抱かせた。
なるほど、まだこの世界に馴染めぬか。カスレフティスの剣なしでも十分倒せそうではある。肩慣らしには丁度いい。
――しゅじん……ごしゅじんさま……
「ご主人さま! なにボーッとしてるんですか!?」
「へっ!? あれ? いま、なに考えてたんだっけ?」
モーリンの大声に、俺は我に返った。サラリーマンは、ゆっくりした動作で方向を変えている。
「あいつ、なにしとるん?」
「次に投げる石を探してるんですよ! ご主人さまも早く盾を構えてください!」
「坊主、お前の力を見せてやれ!」
筋肉オッサンは、あろうことか俺を地面に降ろした。女神は「はい」と銀色の盾を手渡してくる。すかさずモーリンが俺を矢面に立たせようとする。
彼らの息のあったコンビネーションに対し、俺は涙ぐましい抵抗をみせた。
「いやいやいや、アカン! いまの見たやろ。飛び道具使うゾンビなんて勝てるわけないやん!」
「私たちみんなで戦えば勝てますよ! これチュートリアルなんですから、サクッと倒してください」
「これがチュートリアルって、どういうことなの!? ママーッ!」
サラリーマンが、緩慢な動作で屈みこんだ。アカン、石を見つけたんや!
その瞬間、まるで周囲の時間が遅くなったような感覚をおぼえた。
回避――あいつの射程外まで全部の攻撃を避けながら逃げ切るのは無理がある。
先手必勝――したいところだが武器がない。
残された選択肢は、この盾で受け止めるしかないようだ。なんか「アルミ製か?」ってくらい軽いけど、大丈夫なのかしらん?
サラリーマンが上半身を起こす。その右手に持った石を、大きく振りかぶる。
「来ます!」
「くそったれ!」
ええい、ままよ! 俺は盾を前に突き出し、襲い来るだろう衝撃に備えた。
――ゴウッ!
投げた! つむじ風を伴って、まっすぐに石が飛んでくる。
そう、真っ直ぐ。難しく考えることはない。構えているだけでいい。石は盾のド真ん中に衝突した。
次の瞬間、銀色の盾は石と接触したところから、闇色のオーラを吹き上げた。それは俺の体を覆い隠し、視界をも奪う。まるでジェットコースターが坂を下りるような浮遊感が訪れる。
そして、俺は見た。真夏のグラウンドで、ラストバッター目がけて、直球勝負を挑むピッチャーの姿を。三塁にはランナーが、観客席には応援団が、投球の瞬間を今か今かと待ち構えている。
ピッチャーの顔は高校生ぐらいの若さだったが、明らかにサラリーマンと同じ顔をしていた。彼の心の声が聞こえてくる。
『ここだ! これを取れば俺の勝ちだ!』
バッターはギリギリまでバットを短く持ち、的確なスイングで速球をとらえようとする。カキン、と甲高い音。強烈なピッチャー返しがサラリーマンを襲う。
打たれたと見るや、サラリーマンはグラブを伸ばす。けれど悲しいかな、ボールはグラブのふちに当たって、上向きに跳ねた。誰もがアッと声を出した。三塁ランナーが帰ってくる!
『取れるんだよ!』
サラリーマンは強く体をひねると――そうなることが分かっていたかのように――地面に倒れこみながら、さらにグラブを伸ばした。
刹那の静寂。やがてグラウンドを歓声が包み込み、チームメイトがサラリーマンの元に駆け寄ってきた。
その途端、俺の体を包んでいた浮遊感が失われた。
「はっ!?」
気がつくと、ここは球場でも日本でもなく、木立の中をゆく異世界の街道だった。しかし頭上の青空だけは同じで、まぶしさと理由のない悲しさを感じさせる。
「やりましたよ、ご主人さま!」
「え……?」
見れば、中年サラリーマンのゾンビは、光の粒になって消えていくところだった。真っ先に消えていったのは、あの速球を放った右手。そして最後に左手が消え、手のひらに握られていた石ころが、ポロリと落ちた。