終章 ロールバック(巻き戻し)
「あの、モーリンさん」
「なに?」
声をかけると、ドライアイスより冷たい返事が戻ってきた。アカン。これ次になに言ってもシバかれるパターンや。
「俺のこと、いつ頃からお待ちだったんですか?」
「今から10年前、アンタがネットゲーにハマって引きこもり始めた頃からよ」
「最初は私――ニノが転生して、プラックさんを連れ戻してくる予定だったんですが、まったく記憶が戻らなくて……」
「今度こそ記憶は戻った? 恋人でもある上司を30年間ほったらかしにした気分はどうよ? ガチャがお好きみたいだから、ブラックジョークでガチャシステムとか作ってみたら本気にするし、もうメチャクチャなんですけど」
いや、そう言われても。映画の中の出来事みたいに、記憶がパーティションで区切られて保存されていて、自分のことのようには感じられない。
「ふーん。まだ記憶が戻らないんだ。それとも圧縮保存されて、展開できない?」
「いや、あの、目玉くっつけた化け物が迫ってきてるんですけど、逃げなくていいんですか?」
ほら、周囲の人々も恐怖の声をあげて……
「きゃー、メタトロン様!」
「ようこそ天界から煉獄へお越しくださいました」
「これ、うちの畑で採れたナスです。持って行ってください!」
……すっかり喜んでいらっしゃる。なに、この状況?
「ああもう、じれったい! さっさとメタトロン様にしばかれて、記憶を戻してもらってこーい!」
「うわああああ!?」
しびれを切らしたモーリンは、俺を片手で持ち上げると、槍投げでもするみたいに目玉の化け物めがけて投げつけた。俺はとっさに背負っていた盾を構える。
その瞬間、光の奔流が化け物から流れ込んでくる。そこに浮かぶのは、勇気の騎士プラックの記憶。明月錐とは完全に切り離された記憶だ。
「苦しい……頭が稼働限界を超えて……焼け焦げてしまう!」
全身を包む熱気にから逃れようともがいていると、右手から伝わる、ひんやりした感触に気が付いた。
カスレフティスの剣は闇の力でもって、メタトロンの放つ聖なるオーラを拒絶している。そうだ、この剣を使えば……!
「おりゃあああ!!!」
俺は自分と化け物をつなぐ光の奔流を、剣で真っ二つに切り捨てた。
※ ※ ※
「電子マネー、一万円になります」
「えっ? ああ、うん」
いかん、ぼーっとしとった。
ここは深夜のコンビニ。俺はニヨニヨ生放送の配信主、明月錐。
差し出されたカードを受け取ろうとして、相手の手の小ささにギョッとした。まるで子供の手や。
顔を見れば、銀色の髪を編み上げた子供がレジを打っていた。心に浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「君、ここの家の子? 子供が深夜バイトしとったらアカンよ」
「放っておいてください。チヅルは成人ですし、身分証明もあります」
「チヅル!?」
チヅルって! ブランニュー・ファンタジーのレアキャラと同じ名前や。
よく見たらこの子、すっごくかわいいなあ。なんで入店したときに気づかなかったんやろ……?
と、そのとき。
ガッシャーン!とガラスの割れる音がして、店内に車がバックで突っ込んできた。
駐車しようとしたオッサンが、アクセルとブレーキを踏み間違えたらしいが、それは後で聞いたこと。
「危ない!」
俺はとっさにレジカウンターを乗り越えると、チヅルちゃんを抱いて丸くなった。
幸い、車は一列目の陳列棚を壊して止まり、俺たちがケガをすることはなかった。
「――と言ったことが現世で起こっている。時間の巻き戻しと、運命の変更は成功したようだ」
「めでたし、めでたしね」
俺の言葉を聞いて、モーリンが肩をすくめてみせた。
あのとき、メタトロン様が真実の盾経由で吸い出したプラックの記憶は、カスレフティスの剣に切断され、独立した存在となった。錐が好む「パソコン」とやらの用語を使えば、解凍に失敗した圧縮フォルダを別の記憶デバイスにコピー&ペーストして、展開しなおしたら作動した、と言ったところか。
だから、俺は錐であって錐ではない。煉獄の管理者、錐の原型となった人外の存在。
でも、俺たちの心はつながっていて、あのダメ男にもほんの少し勇気と正義を与えられたようである。
チヅルはなにを思ったか、現世で錐の生活を観察すると言い出した。もっとも人間の一生など俺たちにとっては一瞬のこと。夏休みの自由研究レベルの暇つぶしであり、とがめる者はいなかった。
ニノ――ガチャの女神さまのことだ――は、就職で田舎に行ったことにして、お盆の時期にだけ錐と会うことにしたという。
気持ち悪いだのなんだの言われる錐だが、元は俺が生み出したようなものだ。それをみんなが心配してくれると思うと、少し……いや、かなり嬉しかった。
「さて、プラック。これから忙しくなるわよ」
「どうしてだ、モーリン。30年ぶりの煉獄運営は順調そのものじゃないか。俺が戦闘に出向く機会なんてあるのか?」
「決まってるじゃない。30年分たっぷり私と遊んでもらうのよ。ただし!」
彼女は、ニヤリと笑って付け加えた。
「ママって呼んだら殴るからね」
「ああっ、それいいかも知れん。モーリンって面倒見がいいっていうか、ママの波動を持ってるけんね。俺は最初からモーリン最高って思っとった……はっ!?」
「まぁだ悪い夢を見ているみたいねえ?」
「マ゛マ゛ッ!?」
モーリンに殴り飛ばされながら、俺は案外こういうのも悪くないかも、と考えていた。
了
ご愛読ありがとうございました。
つたない作品を最後まで読んでくださった方々に、心よりお礼を申し上げます。
次回作は、なるべく早く、もっと話題の広がる内容でお届けしたいと考えております。
この作品はフィクションです。実在する人物・地名・団体とは関係ありませんが、間違っても現実で主人公みたいな言動を取らないほうが良いと思われます。