プロローグ
あなたは課金をしたことがありますか?
私はあります。それは最上位レアを引いても舌打ちが出るような闇の世界。
所持金の余裕の無さに、ガチャの出なさに、己の罪に冷や汗をかく世界。
そんな(ある意味)おそろしい世界に足を踏み入れた主人公が、一般的な感覚を取り戻すまでを描く感動作品……に出来たらいいなぁと思っています。
夜9時、今日はもう8万円ガチャを回した。1回500円だから、ええと、たくさん回した。
ノートパソコンの画面には2つの窓が表示されている。ひとつはニヨニヨ動画の放送画面。もうひとつは今、話題のソーシャルゲーム『ブランニュー・ファンタジー』通称ブラファンの画面だ。
ブラファンの画面からは、日焼けした体・鎧のような筋肉を持つオッサンが、にこやかに手を振っている。くそが。俺が欲しいのはお前じゃねえ。
俺はノートパソコンのマイクに向かって叫んだ。
「みなさん、チャンネルはそのまま。そのまま少し待っとってね」
『おっ、追い課金か?』『当然、出るまで回すんだよな!』『やめなされ、やめなされ。むごい課金は、やめなされ』
視聴者たちからのコメントを自動音読ソフトが読み上げるのを背中で聞いて、俺は電子マネーを買うために、夜のコンビニへと走り出した。
途中、閉店した眼鏡屋の鏡に、自分の姿がチラリと映る。たるんだ二重顎。愛想を感じさせない一重瞼のキツネ目と、ファストファッションのチェック柄のシャツ。大学の飲み会で女子に「アンタは無理」と言われた過去がよみがえる。
だが俺は、現実に戻ろうとする意識を二次元へと向け直し、コンビニへと足を進めた。大事なのは今だ。俺はニヨ生のガチャ神なのだ。視聴者たちを待たせるわけに行かない。
自動ドアをくぐると、ひんやりした空気が俺を出迎えてくれた。夜とは言え、都市部の夏は暑苦しく、口元を布でふさがれたような錯覚すらおぼえる。それが綺麗に洗い流され、自分の思考がクリアになっていくのを感じる。そして研ぎ澄まされた思考は、この状況を冷静に分析しはじめ……
「……8万円、どうしよう」
深い絶望をもたらした。
8万円という額は社会人にとってさえ、身を削るような痛手である。家賃・共益費もろもろの合計と同額、と言えば学生にも伝わるだろうか?
『なんで俺こんな思いして回してるんだろう?』
当然の疑問が脳裏に渦巻く。正直に言ってしまうと、自分でも何で必死に回しているのか、よく分からなくなっている。
欲しいキャラは、今日実装された「チヅル」というウルトラレアのロリっ娘のみ。それ以外の主要キャラは大体持っている。だから10%の中の、さらに二十人以上いるキャラの中から、チヅルのみを出さねばならないのだ。
だが俺には勝算があった。ここまでの引きは50%で出るレア99人、37%で出るスーパーレア70人、10%で出るウルトラレア10人、3%で出るエクストラレア1人。
そう、確率の偏りから言って、そろそろウルトラレアがぽこじゃか出てくる頃なのだ!
さっき引いたオッサンだってそうだ。あのキャラは猟師サムライという設定で、ちょんまげを結っている。公式ページの紹介によれば、チヅルちゃんも和風キャラで、髪を結っている。これはチヅルちゃんが出る流れが来ているとしか思えへん。
そうよ、ここで引いたら今までゴミを引いた分が無駄になる。まだ俺は負けてへん。8人の諭吉の仇を討つんよ。それが俺の生き様よ!
俺は勢いよく財布を開き、最後の諭吉を取り出す。
「すんません、電子マネーください!」
「はい。たびたびのお買い上げ、誠にありがとうございます」
養豚場の豚を見るような目をした女店員が、慣れた手つきでカードを渡してくれた。
「よし、部屋に帰って生放送の続きを……」
グワッシャーンという大きな音。それが、ガラスの割れる音だと気付くのに少しかかった。なにこれ、おかしいやん。駐車スペースの車止めを乗り越えて、バックで自動車が突っ込んできよる。
車と陳列棚に挟まれて、自分の骨が折れる音。店員の悲鳴。鈍痛。
「……ぐ、ぇっ」
そして俺の意識は、あっけなく途絶えた。