プロローグ ある「日常」の一コマ
「ふふっ、兄さんもう逃がしませんよ?」
艶やかな黒髪を揺らしながら少女が眼前に迫ってくる。
「い、嫌だ、やめてくれ……」
「兄さん」と呼ばれた少年はそう言って後退りしながら許しを請う。
「うふふ」
そう笑う少女の顔はいつもと同じ、誰もが癒される笑顔の筈なのに、今は底無しの恐怖しか感じない。
――ドンっ
いつの間にか背中には壁しか無かった。
目の前には少女がそこまで迫って来ている。
「大丈夫ですよぉ。すぐに済みますから。そう、すぐすぐすぐすぐすぐにっ!」
少女は幽鬼の様に、ゆらゆらと揺れながら、でもその歩みは確実に少年に迫って来る。
「ねぇ、兄さん」
気付けば、少女の顔は目の前、それこそ少し顔を前に出せばキスが出来そうな距離にあった。
こんな状況なのに、その吸い込まれそうな瞳に見惚れてしまった。
でも、その手に握っている「モノ」に気付き、一気に現実に引き戻された。
「い、いや、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!それだけは、それだけは嫌だぁ!」
そしてとうとう恐怖が絶頂を迎える。
「猫耳カチューシャだけは嫌だああああああっ」
「往生際が悪いですよ、兄さん。さぁ、コレを早く付けてください。とっても可愛いですから」
「可愛くなりたくないっ!俺は男だっ」
「そんなメイド服着た状態の可愛いらしい顔で涙を浮かべても、『はぅ〜またやっちゃいましたぁ』なドジっ娘メイドにしか見えませんよ?」
「とんでも不本意だ!」
「ほらほら、今日は後5着は着るんですから早く早く」
「そんなに?!」
「隙ありっ」スチャっ
「アーーーーーっ」
何ということでしょう、猫耳カチューシャを付けただけで可愛さが3割増しに。
「きゃーー★兄さん可愛いーーっ」
パシャパシャパシャパシャパシャッ!
「いやああああああっ!撮っちゃダメぇっ」
「ふふ、いいですねその顔。いつになくそそります」
「どこの世界に兄の女装姿を写真に撮る妹がいるんだ⁈」
「ここにっ!」
「力強いお返事?!」
「そしてここには姉もいるぞ!」
勢いよく扉が開き、第三の人物が登場する。
「ひぃっ!って、姉さん?!」
「きゃーー★ワタシの弟可愛いーーっ」
パシャパシャパシャパシャパシャッ!
「いやああああああっ!撮っちゃダメぇっ」
散々辱められた後に、少年の兄妹らしき少女らは言った。
「さあ、お遊びはここまでです兄さん。いえ『姉さん』」
「そうだな、行こうか我がもう一人の『妹』よ」
「うぅ、散々弄んだ末にこの扱い……」
見た目は完全に女子にしか見えない少年はよろよろと立ち上がりながら嘆く。
「これも『お姉様』の仕事です」
「そうだ。諦めて受け入れろ」
「写真撮る予定は無かったよね……」
少年(お姉様)はジトッと姉妹を視る。
姉妹は悪びれる様子もなく、
「「それは私達の特権だ(です)」」
「ヒドイよぅ……」
『お姉さま』と呼ばれた少年はどうしてこうなったのか、「女子」更衣室の窓から見える空に思いを馳せた。