56:静寂の歌
何て、話しかければ良いのだろう。現の世界へ彼を連れ戻したは良いけれど……私には、彼の思うことが解らないのだ。
(ウンディーネ……)
貴方が帰ってきてくれて嬉しい。だけど素直に喜べないの。貴方は私と幸せになるために、ここへ帰ってきたんじゃないから。
ベルタは目を細め、歌う少年を見守った。
(カロン君……)
この子は、ウンディーネじゃない。私の愛した人とは違う。変わってしまったんだ。今更だけどそれを強く感じてしまう。貴方は綺麗で美しいだけの水妖じゃなくて、醜く足掻く人間になった。
貴方の歌は、死んだ彼への思いでしょう。ウンディーネになって、国を救って……シャロンを超える歌姫になる。そうしていつか、地獄の底で彼を見つけて口説くため。
変わらないのはその、諦めの悪さだけ?
(私も、そのつもりだったのに……)
長い時を経てようやくまた出会えたのに、貴方の心は変わらない。例えそれを何度繰り返しても、終わらない永遠の追いかけっこ。私が勝つ日は来ないのだろう。
(そんなに、あの男のどこが良いの?)
貴方は男の身体に男の魂を持って生まれ変わった。私を拒む理由なんて、咎められる理由だってないのに。そう考えること自体、いけなかったのか。私はそうね、こんなに長く生きたのに、檻の中にいた。
貴方は愛する人を、一人の人間として愛した。どんな姿に変わっても、貴方は彼を深く愛した。私は女のシャロンは愛せず、呪いで女になった貴方も拒んだ。
私は今日、それか明日。死ぬのだろうな。彼が海神を呼び出せたとしても、私にはもう殆ど力が無い。こうして惨めなまま、どうして生き延びたのかも解らぬまま、私は死ぬのね。
領主様から奪い取った第七魔力で、最後の脚本は書き上げたけれど、あんな僅かな魔力では、海神の引き起こす災害による、町の破壊。そのダメージを和らげることで精一杯。時間稼ぎにしかならなかった。
(駄目ね……私って)
少しでもウンディーネに近付けば、貴方が振り返ってくれるんじゃないかって。そんな下心による行動で、救われるはずが無いのに。
(本当、惨め)
あの日貴方を失って……こうして生き存えたのは、本当にこんなことをするためだったのかしら?やり直すチャンスは幾らでもあったのに、私の地獄は私自身が招いた地獄。
貴方は変わってしまったけれど、相変わらず……貴方の歌はとても綺麗。だから余計に自分が醜く思える。これ以上、この歌を聞いていたくない。
儀式の間からそっとベルタは離れる。この物語がどんな結末になろうとも、私の物語は何も変わらない。どうせ生きて下町までは帰れない。彼がどんな奇跡を起こそうが……、尽きた私の魔力では、箱船は支えられない。今空に居る人間は助かっても数人だろう。或いはそう……誰一人助からないことだって、それは大いに。
「……っ!?」
膝まで海水に浸かった通路、そこに私は倒れ込む。
海神の召喚に成功した?いや、彼が海神を怒らせた?突如、神殿を揺らした大きな振動!
それはまだ収まらない。ああ、それから大騒ぎが再び始まった神殿。第三領主の魔法が解けたのか、夢の泡から目覚めた人々が救いを求めて大混乱。
「歌姫はまだか!」
「フルトブラントを早く殺してしまえっ!」
「海神様!どうぞお怒りを鎮めてくださいぃいいい!!」
(ふふふ……)
追い詰められた人々の声は、どんな時代も変わらない。救う価値なんてないのよ。何も知らなかった、忘れていたとは言え……身を汚してまで人魚を目指したドリスという娘が……哀れに思えてならない。
こんな騒がしいところで、こんな連中と一緒には死にたくない。もっと静かな所へ行こう。ベルタは神殿を抜け、上層街へと歩き出す。それを目にした者は居ても、引き留めるような相手はいない。皆が自分のことで精一杯なのだ。歌姫アルベルタを覚えている人間なんて、いなかったのだ。
*
使い魔
「見えないものに、気付かない。見えていたって、気付かない。
例え同じものを見つめても、同じようには映らない。
だから彼らは繰り返し、愛とは何かと問うのでしょうか?」
*
あいつの理想はウンディーネ。だけど俺はウンディーネにはなれなかった。
あいつに選んで欲しいから、俺はこれから人を救うのか?そんな打算的な歌、俺は歌いたくはない。
それなら俺ってなんだ。昔の俺とかウンディーネとか、そういうのじゃなくて……あいつに出会うまで俺は何を思い何を考え生きていた?
見返りとか、自分の幸せとか、そういうの考えないで人を助られていた。親父みたいに、人を助けるのが誇りだったはず。だけど今は……あの人を知ってから、あんな風には戻れない。
俺を好きになって貰いたいのに、俺は俺を正しく説明できるか?何を思い、何を考え生きているか。シエロの言葉が再び俺に問いかける。
俺だって本当は、何もわかっていないのかも知れない。どこからどこまでが俺の心だったかなんて。唯言えるのは、今の俺じゃシャロンに勝てないってこと。あの二人が正しいとは思えないけど、俺じゃ勝てない。だからシエロは言ったんだ。俺にこのまま死ぬなって。シャロンもシエロもいないけど、俺とシャロンの勝負はまだ……終わっていない。はじまった、ばかりなんだ。
*
《 愛することは許されない 貴方からは赦されない
私だけが今許すわ 私の名こそ海神の歌姫
戦ぐ風揺れる波 お前が生まれたのは
愛し合う者達 歌い語り紡ぎ
蒼い空碧い海 お前が歌えるのは
古の過去から 愛が囀るから
私の名は海神の娘 聞けよ今宵の海よ
私の姿は貴方の 愛した者ではないけど
愛しい人と歩けば 私の足は痛むの
見下ろすこの街並みが 私の罪を歌うわ
貴方が今宵、全てを 暗い海に沈めるなら
私は柱となり 血肉捧げ生かそう
貴方が今、愛しい 人を海に攫うのなら
私、柱となりて 海原へと帰ろう
私の名は海神の娘 聞けよ猛き海神
この名捨てて人となり 私は生きていたい
私の名はウンディーネ 海帝の歌姫 》
強く凛とした歌声。その響きには覚えがある。海の底まで震わせる、歓喜が胸を占めていく。嗚呼!愛しの我が娘!!その歌は、定まらぬ歌。最後の歌詞は歌姫の名と、その伴侶の名が入る。自らをウンディーネと名乗るのは、あの娘しか居ない。悲しい旋律、けれど海の底まで届く、力強い歌声。これは娘の歌だ!!
《ウンディーネ!!生きておったか!!》
娘の歌声を聞き、海神は大喜びで儀式の間へと、力を送り現れる。
《ウンディーネ……?》
「来やがったな、お父様」
海神を待っていたのは、ウンディーネ。首飾りを身に纏うのは、娘と同じ顔をした少年。そして、彼に抱きかかえられた……眠った娘。
《我が娘が……二人!?》
人魚の衣装と、歌姫の歌。確かに揃っているが……歌姫眠ったままだ。歌ったのが少年の方だと気付き、海神は目を見開いた。その先にいる少年は、怒りの形相で海神を睨み付けていた。これまで数々の人魚と対話をしてきたが、こんな目を向ける者は初めてのこと。神を前に全く臆さない、この少年は何者だろう。
「フルトブラントは、何も悪くない。少なくともシエロは何も、悪くない」
《何?》
海神は浮かんできた……省みもしなかった、半分沈んだ儀式の間。その水底で沈んだままの宿敵を振り返るも、そこに縛られた娘はいない。
何者かが引き上げたのか?そうは思ったがどうにも違う。よくよく見れば、少年の服、娘の衣装の色がおかしい。室内の水も僅かに赤く染まって見える。鼻を動かせば……神殿は血生臭い。
「……シエロは、間に合わなかった」
少年は、一度に二人も引き上げられる力が無かった。それが理由だろうか?苦しげに彼は目を伏せる。
「シエロは……俺が目を開けたときには、もう……」
神殿には海獣が流れ込んでいる。少年が罪人の鎖を外しに行く前に、彼の亡骸は食い散らかされてしまったのだ。彼がこうして憎しみをぶつけてくるのは、海神が人魚の末裔にかけた呪いを恨んでのこと。
《……事情に通じているようだが、何者だ?》
「俺はカロン!……シャロンの兄だ!!」
《兄……?》
なるほど、確かに顔はよく似ている。納得はしたものの、ここまで憎まれる理由が分からない。この者とフルトブラントは何の関係もないだろうに。怪訝な顔つきになる海神に、少年の攻撃的な対話が再開される。
「ウンディーネは俺と、妹のシャロン!二人で生まれた!!一人しか居ないフルトブラントは、どっちを選んでも裏切りになる」
《……あの男が、他に愛した者というのは、まさか!》
「ああ。俺のことだ」
小瓶の液体を飲み、少年は呪いの姿を見せる。少女になった少年の姿を見せられては、海神もこの者もウンディーネと認めぬわけにはいかなかった。
《それで、……片割れのウンディーネ。お前は何故儂を呼び出した?……あの男のことなら諦めろ。如何に儂が神であろうと、その者の魂があろうとも、身体がないような者を生き返らせることは出来ん。帰る場所がないからのぅ》
「……ちがう。俺が言いたいのは……シエロは何も悪くないんだ。だからあんたがこんなことをする必要もないはずだってこと」
フルトブラントに罪がないなら、津波を起こす必要は無い。少年の言い分はもっともだ。
「シエロとシャロンが居れば、きっと上手く解決したんだ。二人が人魚と王になれていたなら。だけど二人はそうはなれなかった!何故だと思う!?」
《それは国を腐らせた、人間共の所為だろう》
「ああ……人を救おうとしても、救われない!シャロンの、ウンディーネの心を殺したのは人間だけじゃない!あんたの呪いの所為さ!!呪いさえなければ、シャロンがシエロを疑って、あんな風に傷付けることもなかった!二人は……普通の恋人として、幸せに……なって、いた」
呪いで女になったあの男。あの男は娘を幸せに出来たのか?そんなはずはない。あの男は再び娘を裏切ったのだ。
(だが……)
二人のウンディーネ。これが儂ならば二人とも傍に置いてそれで解決する話だが……相手は人間だ。フルトブラントは、真摯に向き合おうとした?二人ではなく、一人を選ぼうと苦悩した?その結果がこれなのだ。娘が怒るのも仕方が無い。すまなかったなウンディーネ、そう言ったところで娘の機嫌は直らない。海神にとってはとるに足らない命でも、この娘にとっては違うのだ。
「こんなこと、もう止めてくれ。あんたが津波を起こす所為で、何もかもが滅茶苦茶だ!人魚って歌姫が生まれて、歌姫が生まれたから色んな奴が苦しんでっ……すっごい、馬鹿みたいだろ?」
自分だけが特別ではない。他にも引き裂かれた家族や恋人達は大勢居るのだと、改めて娘が責めてくる。
「ウンディーネが何度もこうして生まれ変わるのは、彼女が救われないからだ!今度こそ幸せになりたくて、彼女は生まれて来た!……でも、それは誰だって同じで!歌姫達は恋の歌を歌うのに、この空で……あの海で、一体何人が幸せになれたんだ?歌姫なんかもう止めだ!人魚なんかクソ食らえ!!」
海と生きる下町で、空へと女が攫われる。普通の幸せは壊される。空と生きる箱船で、歌姫達は傷付け合った。人魚という夢のため、嘘の恋が飛び交った。逃げ場なんてない。津波を鎮める人魚のために、誰もが傷つき泣いているのだと語る、その者自身泣いていた。
過去の記憶を持つから苦しめられる。忘れていてもどうしてか、不幸になってしまう。苦しむために生まれたわけではないのに、どうして?海から空から人の嘆きが、叫びが海神の耳へと届く。
《……ウンディーネ。お前は恨み言を言うためだけに儂を呼び出したのか?》
もう一人の娘との再会。娘の死も悲しいが、こんな風に責められては……海神も心安らかでは居られない。だからこそ海神は、更なる対話を歌姫へ求める。
「本当は……もっと違う話が、出来たら良かった。……その、つもりだったんだ。最初は俺だって、津波から下町を守りたかった!だけど、大事な人がいないのに……っ、他の奴らの幸せまで、願えるわけない」
《それならば、何故?》
津波を止める理由がないのに何故呼んだ。儂に会いたかった訳でもないのに何故。問いかけて、返ってくる真っ直ぐな答え。
「俺はシエロを愛してる。だけど死なない!まだ、死ねないんだ!!こんなところでっ!!」
死にたくない、ではない。生き続けたい、でもない。自分だけが助かりたい。そんな風には聞こえない。彼の言葉は、証明したいと言っている。
「生きろって言われたんだ!だから俺は……生きて生きて!何時か死ぬまで頑張って生きる!その間も俺は絶対心変わりなんかしねぇ!ずっとシエロだけを想うって決めたんだ!!それが、俺にとっての永遠なんだ!そしていつか……俺はシエロを取り戻す!口説き落としてみせてやる!!」
安易に逃げない。生きて戦うと言う彼の決意は、神である自分にも……不思議と眩しく見えるのだ。
(ウンディーネ……)
以前のお前とは違うのだな。海神は目を伏せる。かつてこの場所で命を絶った我が娘。巡り巡った魂は、分かれたはずが……あの時よりも強く輝く。
《儂に、その結末を見届けろと?》
「あんただけじゃないさ。そのためには、みんな生きててくれなきゃ困るんだ!普通に幸せになったり、笑って貰わないと駄目なんだ」
《言っている意味が解らんが》
「目移りするような相手がいなきゃ、俺は俺の永遠を守れないだろ」
誰も居ない場所でじっと耐えることよりも、どんな魅力的な相手が現れて、それでもたった一人を想い続けたい。
《自ら牢獄に、身を置くか……》
「シエロに教わった。きっと、それが……愛だって」
《ウンディーネ……》
「だけど、……昔とは違う。俺は待つだけじゃない。いつかあいつを探しに行くんだ。会いに行くんだ!今よりずっとまともな人間になって、もっといい男になってあいつに胸を張って会いに行く!そのために、俺は生きていたい」
愛する者を失って、怒りや悲しみをぶつけるだけではなく、先へと進もうとするその瞳。滅びを知らない魂が、永遠が欲しいと言った娘とこの者は違う。明日を望むその願い、叶えてやりたくはあるのだが……海神は申し訳なさそうに頬を掻く。
《……お前の気持ちは、解った。しかし……この街はもう駄目だ。街を支える柱はまもなく壊れる。崩れるのも時間の問題。第一儂は、津波は起こせてもそれを止める方法など持ってはおらぬ》
「え……えええええ!?」
そんな馬鹿な話があるか!苛立つ少年は振り返り、他の誰かに意見を求めようとする。しかしそこには誰も無い。代わりにやって来るのは……神殿の静寂を破る、人々の悲鳴!!
その騒ぎに誘われるかのよう、大きな揺れが空まで及んだ。
*
眠りの森の魔女
「どうにもならない思いがあるよう、どうにもならないことはある。
大きな力を持つ者ほど、時に無力なものなのでしょう……」
*
ベルタは笑う。己の生を振り返り、失笑以外の言葉がなかった。私は誰?問いかけたって、答えをくれる人は誰もいない。例えばそれは、ベルタであっても、ウンディーネはもういない。歌姫ドリスは死んだ。アルベルタとは言えば……忘れずに居てくれた王さえ私は殺してしまった。
(自業自得ね)
こんな惨めな思いをするために、私はあの人を求め続けたのだろうか?こんな惨めな自分になるために、私は生まれたのだろうか?
(きっとそうね、そうなんだわ)
ベルタはそう……小さく吹き出した。その時だ。
「おい、あんた!」
服を海水に濡らしながらも、私を追いかけてきた者がいる。どうも見覚えのある少年だ。
「何かしら、坊や?」
「そっちに行ったら危ねぇ!!ゲートの傍は海水が溢れて来てる」
彼はオボロスさん、だったかしら。私がドリスだった時に、少し接したことがあるくらい。貴方を利用しようとしていたことも、貴方は知らないのかしら?違うか。“シレナさん”のことがあるから、目の前でみすみす誰かを見捨てられないだけなのよね?
「……そう、貴方は優しい人ね」
でも、それはそれが私だからじゃ……ないんだわ。それに私は貴方に心配して貰える資格も無いの。
「神殿の奥で、金髪の男の子を一人見かけたわ。さっきの地震で取り残されているかもしれません」
「え!?」
「とても歌の上手い男の子。法律違反だけど……こんな時に法律も何もないですよね?」
「う、あ……あ」
「あら?もしかしてお知り合い?それなら早く行ってあげて!私を心配してくれて有り難う。でも私家に大事な物を忘れてしまって、それを取りに行くだけです。だから気にしないでください」
「あ、すいません俺余計なこと」
しどろもどろにそう零して、少年は神殿へと駆けていく。
(良い子ね。あのお嬢さんが惚れるのも解るわ)
私が私じゃなかったら、私も彼に興味を持ったかも知れない。でも、無理ね。私は私以外の何かには、とうとうなれなかったのだから。
私が死に場所として選んだのは、没落した貴族の家。ここで暮らした時間は殆ど無かったけれど、それでも懐かしさを感じる。何の先入観も固定概念もないまま私を見てくれたのは、ドリスを拾ってくれた父母くらいなものだろう。
下町に降りず、ずっとここで暮らすことが出来たなら……ドリスはどんな人生を送っていた?嗚呼、彼にさえ再会しなければ。どうせ手に入らないのなら、あの人の声も聞きたくない。あの人の姿も見たくなかった。あの日陛下に裏切られたまま、死んでしまえれば良かった。
再び大きな地震。古い屋敷が崩れ始める。もう、まもなくか。
「私の魔力が……切れたのね」
私の足には大きな瓦礫。退かせようと脚本能力を使っても、瓦礫は壊れもしない。終わりの時が、近付いている。
でもそれは、意外と遅い。勿体ぶるような、じれったいような。瓦礫がどんどん増えていくのに、私の意識はまだあるわ。暇すぎてどうしよう。歌でも歌ってみようかな。そうやって口ずさむのは……ドリスではなくアルベルタの歌。人気のために歌った歌とは違う。自分で作ってずっと歌ってきた物だから、躰の方が覚えている。だけどこうして歌ってみると、やっぱり悲しい。私の歌に、意味はあったのかしら。法で国を縛り、運命の人を求めたエコーと何も変わらない?誰の心にも響かない歌に意味なんて無い。そしてそれは私そのもの。
やがて私は歌うことも止めて、唯々泣くことしか出来ない。だけどその内、しゃくり上げる自分とは別の、誰かの呼吸を耳が捉えた。
それは誰の息づかい?瓦礫を壊して退かしているような、大きな音も聞こえるわ。
(私……こんな脚本、書いていないのに)
次第に大きくなる穴。だけど此方の無事を確認したり、呼びかける声は無い。それだけでもそれが誰か、私は期待してしまう。
(そんなことって……)
私には何の魅力も無いと思っていた。ましてや、何の記憶も持たないあの小娘……歌姫ドリスになんか。蓄積された知識も教養も無い。他の歌姫達のような美貌も無い。昔の私を思い出すような、あんな小娘を……魔力も使わず慕ってくれたのは。
「リラ!?貴女、どうして……」
とうとう最後の瓦礫も彼女が壊した。そして私を抱き上げ、笑う。泣き喚く私を落ち着かせるよう、母様のように優しく……ぎゅっと。だけど私はもうドリスじゃない。成長した身体では彼女の腕に収まりきらない。抱きかかえるのだって辛いだろう。それなのに彼女は全く苦にならないのか、その微笑みは崩れない。
「私、姿違うのよ!声だって、違うわ!!どうして解るの!?どうしてここに居るの!?どうして……っ!!」
貴女だって元は歌姫。女の細腕を、私のためにどこまで鍛えたの?それにしたって、無理なものは無理よ!悪魔と契約でもしなきゃ私を追うことなんか……
「ま、まさか貴女!!悪魔と契約したの!?い、一体誰と!?」
ああ、こんなにボロボロになって!怪我までして……、死後の命さえ投げ打って……こんな私を助けに来てくれた。何も喋れない貴女だけど、貴女は私に隠さない。私に何も偽らない。だから貴女の心が解る。
「こんな、愚かで馬鹿でっ、惨めでどうしようもない私を……貴女は、本当にっ……好きだと、言ってくれるの?」
歌えない金糸雀は、何の言葉も作れない。それでも唇の動きが確かに伝えてくれる。
「嫌よ……嫌、嫌っ、嫌だ……どうしよう、私」
拒絶だと思ったのか、彼女が少し震えるも、その歩みは止まらない。崩れかかった屋敷から、私を助けることは止めないつもりだ。
「助けて、リラ。私、死にたくないの」
でも、私の言葉はそれを促すものじゃない。嫌だというのはそういうことではなくて、嗚呼、なんて言ったら良いのだろう。こんなに長く生きてきたのに、私は何も知らなかった。
「だって、今、こんなに嬉しいの!!幸せなの!!私カロン君と、ウンディーネと同じなのよ!?貴女は私を見つけてくれた。私が何であっても、変わらない物を見せてくれた!!だから……私、貴女が男性じゃ無いのに、貴女の気持ちが嬉しいの。本当に、とっても嬉しいの……!」
死にたくない。だって死んでしまったら、全部忘れてしまう。こんなに嬉しい気持ち、幸せな充足感。もし覚えていることが出来たとしても、こんな奇跡もう二度と無い。シャロンとエコーが再び結ばれることがなかったように、どんなに愛し合った二人でも……時の凱旋の前では無力なものだ。
「だって、リラ!また私を好きになってくれるわけがないわ!!私だってそうかもしれない!今しかないっ……!永遠の愛なんて、どこにも無いのよ!!」
私の言葉に、どうしてか今、リラの足が止まった。そして私を抱えたまま、屋敷の床に座り込んでしまうのだ。
「……リラ?どう、したの?」
「……」
「まさか貴女……死んでくれるの、一緒に?」
信じられないという私を前に、私を救った彼女が容易く命を投げ出そうとする。
「そんなの無理よ!!ウンディーネ達すら、永遠は作り出せなかったのに!!貴女にそれが、本当に出来ると思ってるの!?」
私が声を荒げると、彼女は腕を離して私を自由にさせる。
「あ……足が」
彼女はどんな悪魔の力を借りたと言うのだろう。私の怪我が全て治っている。
「リラっ!!」
それが何を意味するか、私は彼女に向き直り答えを知った。彼女は座り込んだのではなく、もう歩けなかったのだと。
「馬鹿っ……貴女が居なきゃ、何の意味もないじゃない」
一人で逃げられるわけが無い。ここまで尽くしてくれた貴女を見捨てて、一人で生き延びることなんか出来ない。
「私、……信じるわ貴女を」
私はリラの隣に座り、彼女にぴったり寄り添った。その手に触れていれば、彼女の痛みを私の痛みとして感じられるような気がした。彼女が息絶えるとき、私も辛くて、きっと今度こそ死んでしまう。私は死ねるのだ。
「約束よ。きっと……私を見つけてね」
貴方の名前が変わっても、貴方の姿が変わっても。男だろうと女だろうと……例え貴方が虫螻だって。私はきっと、貴方を好きになるって信じているから。
*
使い魔
「……人間は、それを軽々しく口にする。人間にとっての永遠は、我々より遙かに短いものなのでしょう。それでも人間は……我々の知らない幸福を知り、死ぬ生き物か。」
*
「何、にやにやしてるんですかエペンヴァさん?」
「いや、何ね。使い魔の有効性をしみじみ感じていただけだよエング君」
同僚を軽くあしらい、エペンヴァは本の向こうを軽く睨んだ。自分はそんな命令はしていないのだが……
(奴も仕える者同士、何か感じ入るものがあったのかもしれん)
あれは今、眠らせている。私の完全な支配下にある。だというのに、あれは……それ以前に潜ませていた。本の外に、小さな自分の欠片を残した。私に気付かれない程度の小さな魔力で。
つまり……あれは私に近付いてきた。使い魔が私に隠れて使い魔を作り、まんまと本の中へと入り込みあの女従者に力を貸したのだ。ここを他の悪魔達に感づかれると私の立場が危ういというのに、余計なことを。
奴は、僅かでも本を開いたわけだ。第七公をかなり弱体化、ほぼ無力にさせたとは言え、あの使い魔は僅かに外から魔力を吸い込ませたのだ。
ベルタに第七公を重ね見て、立場のために裏切った己の主を救う術を考えた結果があれだ。このまま黙っていたいが、それでは一矢報いられる可能性がなぁ。それで消し飛ぶのが私以外の領主達なら良いのだけれど、最弱の私が死ぬ可能性が最も高いわけでそれも困る。
(第七公には悪いが、仕方ない)
「それでアムニシア嬢、彼方の方はどうするつもりだい?」
「イストリアは無力化しましたわ。今のうちに封印を」
「相手はあの第七公。手を抜くというのは賛成しかねるな。彼女がどんな切り札を隠しているか解ったものじゃない」
「……つまり?」
「これでも私は第七公とはそこそこ……良い付き合いをさせていただいてねぇ。はい、エフィアル様そこで武器を構えない」
付き合いとかそういうキーワードに過敏に反応する脳筋領主。そんなんだと何世紀か後には出会い系領主とか直結公とか言われそうですぞ。などと口にしようものなら今日が私の命日だ。くわばらくわばら。
「話を戻すと……あの歌姫は良い謎を与えてくれた。第七公は己の出生を思い出したくない。それはつまり……彼女は最初から悪魔だった訳では無い」
「エペンヴァ様……貴方がそういうと言うことは、何か情報をお持ちですね?」
「ああ、勿論さ。それに酷似した世界を……第一第二第三領主様に模造して作って頂ければ、彼女を完全に無力化させることが叶うだろう」
「おい、まだあの本終わってねーだろ!?もう封印するのかよ!?」
「ははは、せっかちだなぁレディティモ!おじさんはそういう子も結構好きだがねぇ!!」
「ティモ、下準備ってことみたいだから、僕らはまだやること無いみたいだよ」
「んだよ、カタストロフの野郎、暇すぎて眠っちまったんじゃねーの?おいこらおっさん!」
「寝ては居ない」
「魚かよ!!目開けたまま寝るな!!」
「だから寝ては居ない」
「授業中に叱られたガキかよ……」
此方が嗾けたというのに、夢魔法持ちの一角がどうにも動かない。呆れた第五公の言葉そのもののような第二公だが、どうにも確かに寝ては居ない。本の世界を彼はじっと観察している様子。第四公もこれには気付いたのか、片割れに小さく耳打ちをしている。
(ティモ……カタストロフ様、ひょっとして本の世界結構真面目に見てるのかもしれないよ?)
「はぁ!?あのおっさんが!?脳味噌赤ん坊レベルのあのおっさんが!?」
もっともその小声は、片割れである少女の大声により無意味になってしまうのだが。
「仕方ない……ここは最強兄妹ラブラブペアで頑張って貰うしかないねぇ」
「きゃああああああああああああああああ!!!嫌ぁああああああああああああ!!!エペンヴァ様ったらああああああああ!!そんなそんなそんなぁあ!確かに私と兄様はそういう風によく見られてますけどぉおおおお!!さ!行きますわよ!やりますわよ兄様!!」
「エペンヴァ貴様ぁああああああああああああああああああ!!!!!!次に会ったら貴様の領地を攻め滅ぼすぞおおおおおおおおおおおおお!!!!」
口先だけでここまで生き残ってきた私だから、このくらいの話題そらしはまぁ余裕。扱いやすい同僚達でまず一安心だ。
*
境界の悪魔
「これが私の仕業と知れたなら、それを思い出した貴女は私を殺してしまうだろうなぁ。
ならば尚更、尚のこと……、封印は強固な物でなければならない。そうだろう?」
*
「……起きて」
綺麗な声だ。だけど冷たく強張ったような声。
カロンが目を開けると、綺麗な金髪の少女が傍に居た。今は夜?辺りは暗い。彼女以外、何も見えない。
(シャロン……?)
その人は、シャロンにとてもよく似ている。だけどどの目は……どうしてだろう、シエロのことを思い出させる悲しい目。
「貴方は本当に、私になりたいの?」
「え?」
その言い方、まるでこの子がウンディーネであるかのようなその口調。
「それが正しい愛だと貴方は思うの?」
「俺は……出来ない」
此方の答えを彼女は待っている。何も言わず、じっと青い瞳で俺を見ている。
「俺は何も救えなかった。俺は命を投げても誰も助けられなかった。あんたとは違うし、あんたにはなれない」
俺は神殿に居たはずなんだ。それがこんな訳の分からない場所に居る。俺には何も出来なかった。無理だったのだと嫌でも気付く。俺は死んでしまったのだろう?彼女にそう問うも、それに対する返答は無い。代わりに彼女は別のことを聞いてくる。
「どうしてあの子と貴方に分かれてしまった?二人がずっと一緒なら、こんなことにはならなかった。幸せになれたのに。そんな風に、思ってる?」
「あんたを恨んでいるかって、話か?」
「……そうね。きっと……私は見たかったの、本当の愛を。永遠を。男の私と女の私がいたならば、彼は何を選ぶのか」
「……」
「貴方達の王子様には……可哀想なことを、してしまったわ」
「……」
「だけど彼を、私も待ち望んでいたの」
「ウンディーネが、シエロを……?」
「彼は私が彼女一人なら、私と幸せになれていた。だけど私が貴方一人なら……何も始まらなかった」
シエロの相手はシャロンだと、この人に言い聞かせられなくてももう解っている。シャロンが居なければ、俺は生涯シエロを知ることも出来なかった。そのくらい、遠くに生きていたんだ。
「だけどね、めでたしめでたし……その向こう側に何があると思う?」
「……なんだ、それ」
「どんな幸せだって、永遠には至れない」
この人は何を言おうとしている?別に俺を落ち込ませたいだけでも無いようだけど。
「でも、もし全く違う私が二人居たなら……。あの人が私と私の間で揺れてくれたら。それは永遠になり得るのかもしれない」
「……それは、あんたがあの二人と……幸せになりたかったって、ことなのか?」
愛しい人と、姉妹のように大切な友。掟さえなかったら、そうあれたのではないか。遠い過去から海精が、俺に嘆きの声を伝える。
「海の掟に縛られない。それに本当のきょうだいなら……傷付け合わずに居られると思ったの」
「あのな、ウンディーネ。きょうだいだって、人間だ。魂もあるし心がある。本当にその人を愛したなら……その人を自分だけのものにしたいと思うし、そうじゃなかったら……指一本触れられないように離れるしかないよ」
「……」
「二対一での愛なんか俺は嫌だ。それはシャロンも。海神の呪いを越えるってのは、一対一で見つめ合うってことなのに。対等でありたいのに、そんな不平等……間違ってる」
ウンディーネにはやっぱりなれなかった。そんな俺の答えを、彼女はじっと聞いていた。全て終わってしまったと、過去を語る俺を、その点だけを責めるよう強い口調で彼女が返す。
「一つだけ、方法があるわ」
「……え?」
「貴方には魔法は使えない。だけど私達には歌がある。お父様への歌じゃ無い。自ら囚われた彼へ届くよう歌を歌うの。歌は魂。魂は歌。彼の歌なら海を……あの棺のように凍らせられる」
「そんな、無理に決まってる!シエロは人魚の血を引いてるだけの人間だ!そんな化け物じみた力は無い!」
「だけど人魚の衣装と、人魚が居れば……貴方が人魚になれたら話は別よ」
覚悟を決める勇気があれば、歌いなさいと彼女が告げる。
「貴方に未来は無い。だから今、彼女から奪い返しなさい、貴方の歌で愛しい人を」
*
「さ、寒っ!!なんだ何だなんだ!?」
急な寒さに飛び上がり、マイナスは目を開ける。
「ん……?
傍には先に目覚めたらしいアクアリウスの姿。ここも神殿の内部のようだが、先程までの様子がまるで違っている。水位の増していた海水が無い。妙に天井が近い。そしてこの上なく冷える。
「そんな薄着だからだ。これでも羽織れ」
こいつとはもう手を切ろうか。そんな風にも思ったが、こんな風にマントを貸されるとどうも憎めない。調子狂うぜとマイナスは息を吐く。
「おう……助かる。でもこれ、一体何があったんだ?」
「大きな揺れの後、どんどん寒くなっていってな。最初は騒いでいた民衆も、寒さの余り口数が少なくなってきている」
「なるほど。そういう仕事なら得意だぜ」
眠りそうになっている人々を、ぶっ叩いてでも寝かせない。鞭を振るうことで此方の身体も温まるし良いことだ。
「マイナス!!母上を打つとは何事だ!!」
「うっせーな。ちょっと嬉しそうじゃねーかこの顔、王妃様も大層な趣味をお持ちでやがる。んで殿下」
「儀式の間で何かが起きているようだが、海水がかなりの高さで凍り、我々では彼方に行くのは困難だ。目覚めてすぐに引き返した」
「おかしーな。儀式の間に行かなかったか私ら」
「海水に押し戻されたのだろうか?通路まで戻って来ていたな。誰の仕業か知らんが、建物を凍らせ強度を増しつつ、津波を凍らせるつもりらしい」
「死ぬ前に、海神の制御をシャロンが成功させたってことか?」
だが、どうだろう。シャロンとシャロンの悪魔は厄介だ。先程あんな憎悪を伝えて来たシャロンが、そんな救国のヒロインじみたことをやってのけるか?私にはどうも信じられない。
「シャロンの悪魔に何かされたか……」
「恐らくは。だがこうして我らは無事だ。ただ凍えるわけにもいかないだろう」
そこまで言って殿下が此方を振り返る。
「お前はどうする」
「どうって?」
「シエロはもういない。俺を手伝う理由も無いはずだ」
「まぁ、そうだな」
シエロが死んだというのに、そこまで凹んでいない自分に驚いた。でも納得もする。私はあの悪魔に魅入られてしまったんだ。殿下が意外と平気そうなのは、私とは違う理由だろう。こいつはまだそれを現実として受け止められていないだけ。全てが終わってから打ちひしがれるのだろう。
そうだな、確かに付き合う義理は無い。シエロが死んでしまった以上、私がシエロを諦めこの男を手伝う行為も意味が無くなった。しかしこの男はモリア様が手駒として私に付けてくれたのだ。ここではいお別れ!というわけにも行かない。
(第一私の命も掛かってる)
このままだらだらして死んで、私の魂は……あの方を満足させられるとも思えない。せめて抗えるだけ抗いたい。
「乗りかかった船だし、最後まで付き合ってやるよ」
「マイナス……」
マイナスはにやっと笑い、協力に応えるよう手を差し出した。渋々?少し戸惑うよう相手がそれに応じた。
「……先のことは礼を言う」
「ん?」
「儀式の間で聞いたお前の言葉……確かにその通りだ。ただの露出狂だの変態だの、アルセイドの馬鹿と同列に見ていた俺を許してくれ」
「ほーう、そんな風に思ってやがったわけか腐れ殿下。とりあえず全部片付いたら鞭のフルコースで勘弁してやる」
「俺が叩く方なら受けて立とう」
「はん、そんなの私はお断りだぜ」
「では、これからのことだが」
出来ることはまだあるはず。共に考えようと語る殿下の言葉を遮る派、神殿内に響いた大声。
「カロンっ!!」
「お、活きの良いのが一匹」
バタバタと駆け込んできた少年は、マイナスも知っている。シャロンの幼なじみとか言う平民臭い顔の下町小僧だ。
「すいません!カロンはっ!神殿の奥ってどっちですか!?」
「何そんな急いでんだ?」
此方を良く見ず聞いてきた少年に、マイナスは気さくに話しかけてやる。此方の顔を認識した少年は、青ざめずささと数歩下がった。
「げっ!!シャロンの姉ちゃん!!」
「げとは何だげとは」
「随分と恐れられているようだが、何をしたんだ?」
「まぁ、挨拶を少々」
「挨拶……?」
シエロに欲情するような変態殿下にすら、若干引かれている。何となく不愉快だ。だが、このガキ引っかかることを口にした。
「儀式の間に居るのは……シャロンの双子の兄とかいうガキなのか?つーか、大丈夫なのか?幾らシャロンの片割れとは言え、そいつこの首飾り持ってないだろ」
「首飾り?」
「王妃から貰ったんだよ。これがねーと、海神との完全な対話は不可能らしい」
「それ、貸して下さい!俺がカロンに届けに行きます!!」
「んー……まぁ、お前みてーなガキなら通れるかもしれねぇ。いいぜ、こっちだ。案内してやる」
*
海神の娘
「問いかけている。その意味は。誰も知らない、教えない。
貴方の耳を、私がずっと塞いでいてあげるから。」
*
「おはよう、兄様」
「……エコー」
「嫌なときに目覚めたって思った?」
「……いや」
ナルキスが目覚めたのは、暗いアルセイドの屋敷。家の者は皆どこかへ避難したのだろう。蝋燭の明かりにぼんやりと照らされた妹の顔。それだけで彼女の心を察するのは難しい。しかし広い屋敷に兄妹二人きり。この静けさはどこか現実味が無くて、不思議と心安らいだ。
これから崩壊が始まるであろう空の上。目覚めなければ眠ったまま死ねたのかも知れない。エコーはそう言っているのだ。しかしナルキスは思うのだ。
「そんなに悪くは無いな」
心配そうに自分を看ていた妹を、知ることが出来たのだから。そう思えば胸に広がる温かみはあれど、実質問題この屋敷は酷く冷えている。
「しかし寒いな」
「文句言わないで。こんなこと、私はなかなかしてあげないんだから」
「……ふむ」
確かにこんなことはこれまで無かった。あの妹が自分に膝を貸しているなんて。エコーのファンに見られれば、逆上され殺されかねない光景だ。
(俺はこいつの兄に、なれたのだろうか?)
そうだったら良い。例え今日で何もかも終わるのだとしても、そうだな、そんなに悪くない。疲労し動け無い俺を見捨てず、エコーは傍に居てくれた。呪いで男になって運ぶことは出来ただろうが、そうしなかったのは……エコーはエコーでいたかったのだ。
「悪魔は……?」
「返事が無い。あれで力を使い切ったのかもしれんな」
意識を取り戻したとは言え、随分吸い取られてしまった。まだ起き上がれそうに無い。妹に、俺を無理して運ばせるのは忍びない。定期的に街は揺れている。金だけは掛かっているのだから、下手に移動するよりこの屋敷は安全だろう。問題は……海水の方だが、神殿より低い位置にあるアルセイドの屋敷に、まだ波は届かない。家屋の倒壊などより、海獣が来れば俺もエコーも命の危険があるのだが……エコーは俺を置いて逃げようとはしない。代わりに彼女がすることは、俺との会話を続けることだった。
「そう……ねぇ、兄様」
「何だ?」
「……死後に人が悪魔になるなら、別のこともあるとは思わない?」
「面白いことを言うな、エコー」
「そうね、私らしくないと思うわ。だけど昔……聞いたことがあるの」
妹が話しているのは、おそらく自分のことではない。それはフルトブラントのことだろう。ウンディーネを失った後、魔術に没頭したという男の話だ。
「精霊は元々そう生まれるものが多いけど、別の出生もあるにはある。例えばある湖、泉で恋に破れ自殺した娘が、水の精霊になるとかね」
「ほぅ……」
「不思議だと思ったの。彼は誰とも契約していないのに、よくここまで生き延びられたわね」
「彼、とは?」
「兄様も見たでしょう?裁判に来たあの少年よ」
エコーが語るはカロンの友人であるあの少年か。あの場にエコーは居なかったはずだが、さすがは俺の妹。あんな目に遭いながらも悪魔を使役していたのだな。
「腐ってもあの女……ただでは死ななかったのね」
「歌姫シレナか?」
「あの男は、フルトブラントに何も伝えず、彼を守るべく悪魔になった。彼女は何も語らずこの舞台から消された」
これは仮定の話よと、エコーは前置きする。
「もしも、アルバという男が悪魔となるより先に……無音司る悪魔が存在していたのなら。それをあの領主達が知らなかっただけなのだとしたら。ううん、そういう存在はいなくて、概念だけが……無音の魔力だけが存在していた」
その存在を吸収し、あの男は悪魔となった。言えない言葉、伝えられない思いが力になるならば……それこそが第八魔力なのだと彼女が零す。
「なるほど。だから俺と契約したと?」
「カロンは何も黙っていないじゃない。言いたいことなんでもずけずけと、失礼なくらいはっきり言って」
「お前が言うか?」
「……それがどんなに許されないことでも、彼はそれを隠さない」
「ならば、語る力……隠さぬ心も何かの魔力の源か?」
「どうかしら?仮にそれと当てはめるなら……それは破壊。第二魔力ね」
「第二魔力?」
その数字からして二番目の領主が持つべき力なのだろう。しかし自分はそんな物には出会っただろうか?考え込むナルキスに、エコーは何故か呆れたように、しかし少し柔らかくなった笑みを浮かべる。
「終わりの力よ、兄様。でも……それは、はじまりの力」
まとめきれない…_| ̄|○
ドリス回です。最終回近くなると途端に物わかり良くなる悪役ってどうなの?とはかなり思った。
ドリスはベルタのことを引き摺ってる分、性別にはかなり拘ってる。
リラもアルバもシレナも、伝えないこと、伝えられないことが力になってるキャラクター。でも主人公である海神の歌姫達は、言葉にしていく者達なので、それがどう転ぶか。
推理って何だっけ?(禁句)
終わる終わる詐欺も、あと少し。頑張ります!