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55:真実

 カタストロフは考える。考えてみたところで答えは出ない。

 眠い頭で考えて、絞り出した結論は……人間とは、よく分からない。そういう微妙な解答だった。


(あの娘の涙は嘘には見えなかった。シエロという者は、あの少年を愛しているのではなかったのか?)


 しかし今、彼の前に立ちふさがるあの人間が、何を思っているのか。私にはまるでわからない。

 愛した者と、愛している者。母になれなかったと言った彼女。その涙のもう一つの理由。今更のよう、脚本の中へにじみ出す。強すぎる、歌姫シャロンの愛情。その狂気に当てられて、彼は迷い始めたのだろう。罪人は、自分なのだと深く自覚して。そう……歌姫シャロンは、恋人以外を傷付けては居ない。少なくともこの事件の中では。心が離れる理由など、彼と彼女が言うように……本当は何一つないのかもしれない。


(あの子は何をしただろう?)


 罪ならば、それは彼女の言うとおり……相手が犯したこと。悪いのは全部、シエロ=フルトブラント。けれど己の罪業以上の罪を背負ったその者の涙は、驚くほどに美しい。

 そもそもこの脚本は、あの者を苦しめるためだけに……何重にも罠が仕掛けられた、残酷な世界。空色のあの娘。彼はどう足掻いても、ぜったいに幸せにはなれない。脚本の悪魔がそう約束した。


(それならば、あの子は幸せになれたのか?)


 死の間際、愛する者の心を取り戻したはずの歌姫。死んだ彼女は幸せだと歌い踊り続けている。愛する人の魂を閉じ込めて、縛り付け……凍った物語の中、死んだまま添い遂げる永遠。


(これが、真実の愛……?この世でもっとも……美しいもの?)


 途中から入り込んだ世界とは言え、大まかなあらすじは頭に入っている。それでも解らないことは多々あった。


「この本の最大の謎が……愛とはな」

「あら第二公様、何を笑っていらっしゃるの?」

「寝起きだからか、私にはまるで理解できない」


 物語を見守っていたはずの自分であるが、今の流れが解らない。カタストロフが疑問符を浮かべたところで、同僚達は不思議なことに全員呆れた様子であった。

 あのエフィアルさえ、解った風な顔をしているのが、どうも釈然としない。


「おっさん、寝過ぎなんだよ。誰とも契約しなかったあんたにゃ解んねー話さ」

「あのねティモ……えっと、カタストロフ様だと……多分起きていらっしゃっても同じだと思います」

「仕方ねーだろエングリマ。このおっさん、脳味噌ぱっぱらぱーの赤ん坊みてーなもんなんだ」


 あの双子が意気投合しているのは微笑ましいが、何故か私の保護者だったり介護者のような顔をしていないか今の彼らは……。


「うんうん、第二公はそういう意味ではまだまだ若すぎるんだねぇ。寝る子は育つと言うが図体ばかり育ったんだねぇ。どうですかね、ここらを抜け出したところで私と一夜の過ちでも犯してみませんか?」

「……貴様は何故そうなのだ?明らかに相手が悪いというのに、第二公相手に軽口とは」

「生憎私も悪魔だからねぇ。これが私の性分さ」


 第六公も第一公も随分と私を軽んじている。そしてその余裕は何だ。


「皆は、答えが分かっているのか?」

「いいえ」

「そんなのわからないです」

「わかるわけねーだろ」

「我は興味が無い」

「私は早く魂が入って来てくれるのが楽しみで楽しみで、それどころじゃないな」


 同僚達の返答に、ますます意味が分からない。頭痛のためまた何万年か何億年か眠らなければならない気がしてきた。

 アムニシアは契約者をよく理解しているのだろう。私に踏み込んだ話をしてくる。


「人間の心は、とても不安定。だから我々悪魔が入り込む隙がある。だけど決して揺るがない……私の歌姫シャロンの存在は、一際歪に輝きます」

「ああ。あの娘は何故……あんなにも変わらないのだろう?あの頑なさは……人間とは思えぬ。人間に永遠が作れないのなら、彼女は……永遠に、孤独ではないか」


 私はずっと、変わらないから。貴方だけを想い続けるから。絶対に裏切らないから。だから貴方も愛して、私のことを。

 切実な少女の叫びは、話の節々から、物語の行間から……幾らでも聞こえてくる。彼女は何をしただろう?前世の所為で多少性格に問題があり、歪な思考であることは事実だが……どうにも私には彼女が悪だとは思えないのだ。

 知らずに海を怒らせた。生まれ故郷を津波で襲わせた贖罪のために、我が身を道具として空へ参った。過酷な生活の幕開けに、彼女は運命の相手に出会った。本来なら物語の終わりに出会うはずであろう、王子にだ。だから幸せだった二人は、幸せなままでは終わることが出来ず、数々の困難が二人を襲った。

 それは何故か。考えて浮かんでくるのはここには居ない同僚の顔。


(イストリアは……見たかったのか?)


 彼女は困難を降らせ、運命の恋人達を引き裂こうとしながらも……二人がかつて誓った永遠を形にするところが見たかったのだ。

 彼女は私と同じだ。彼女は彼女にとっての、“美しい物”が見たかった。存在しないはずのものを、本の中……遠い世界の何処かで見つからないかと、彷徨い見つけたのがこの物語。

 もしシエロという者が、あの娘を裏切らなかったのなら……イストリアはこの物語を、らしくもない祝福された結末にしていた可能性すらある。


(美しいものが、見たかった……)


 それは私もイストリアも。けれどこの本の中にも、一人居る。歌姫シャロン。彼女が追い求めた永遠の愛。それこそが……彼女が手に入れたかった、この世で最も美しいはずのもの。最後の問いかけは、彼女がそれを手に入れられたのかどうかにも関わる。


「なぜ彼ら人間は何故、文字や言葉、歌で思いを綴るのでしょう?」


 アムニシア嬢は何を言いたい?司る物が似通っているからか、本当は第七公を誰より彼女が理解している。何だかそれも。皮肉な話だ。


「彼ら自身、何が本当かなんて解らない。だから一種の洗脳です。彼らは彼らの人生の脚本を、自ら書いた気になっている」


 何かを残そうとする気持ち。それは自分の内に留めて置けなくなった思いを書き殴るかの如く、人間は第七魔力を行使する。

 それらすべては歴史か物語(イストリア)。例えば歴史的な愛を謳う、素晴らしい歌があっても、それは真実かどうかは別のこと。自分の言葉、恋人への手紙、囁いた愛、それが嘘か本当かなんて、人間本人にも解らないのだ。仮にその時は本心であったとしても、永遠などあり得ない。彼らはとても短い時間しか生きられないのに、その中でさえ永遠を作れない。悲しくもある、醜さだ。


「感情に理由を付けて、もっともらしいものにする。もっと素晴らしいものにする。彼らは我々悪魔と違って、欲を隠し理性を持って生きようとする。だから獣のような愛を美しく装飾し、着飾らせ、高尚な物にしたくてたまらないのです」

「……好きになりたい、好きで居たい。だから彼らは、薄っぺらい愛を囁く……んでしょうか?あの……、自分たちに言い聞かせるために。愛していると、信じるために」

「固定概念に縛られて、てめぇらで喜んで目隠しして歩いて。それで全てが見えると信じてやがる」

「永遠の愛を守るためには……愛し合う二人は死なねばならない。思いが通じ合ったその瞬間に、息絶えなければ、永遠は手に入らない。なんとも愚かな話だよ。魂の回収が効率的で良いことだけどね」

「それならば……あの二人が死んだ時点で、この本は終わるべきではないのか?」


 何やらそれぞれ感慨深い台詞を残す同僚達。しかし、カタストロフは腑に落ちない。


「カロンは……この我を呼び出したのだ」

「お兄様!?」


 エフィアルが人間の名を口にした。それも誇らしげに。

 これには魔王一同面食らう。イストリア以外の者などどうでも良い。そんな男が一目置いたような台詞を吐いたのだから、驚かぬ者など居ない。


「そう簡単には終わるまい。久遠司るこの我を呼んだのだから!」

「もはや誰も物語を覆さない。愛する者は失われたまま。それでも、彼は……久遠を作ると?」

「タイトルを見よ、カタストロフ」


 私の名を呼ばれたのは、先とは異なり高みから見下す意味での挑発だった。


 「あれは、海神の娘だ」


 人間などではあるまいと……遠くを見据え、第一魔王が頷いた。


 *


 久遠の悪魔

 「足掻け人間!そして勝ち取れ!この我にあのような言葉を吐いたのだ!

 見せてみろカロン!貴様が我を招いてまで、見せようとした結末を!」


 *


 俺が真実を言えば、この壁は壊れる。シャロン達が嘘を吐けば、この壁は崩れる。いや、言わなくたって……頭で心で答えを知ってしまったら、同じようになるだろう。


 「一度しか……挑戦、出来ないとかあるのか?」


 情報は多い方が良い。カロンは慎重に言葉を選び、相手を探る。


 「そんなことはないよ。唯……あんまりにもここに留まったなら、取り返しが付かない。海神を止めることが、出来なくなる」


 取り返しが付かない。そう語るシエロの笑顔は崩れないまま。


 「早く割ってしまうか、割ることを諦めてお引き取り頂けるかなってことだよ」

 「シエロ……」


 彼は笑顔なのに、途方もない程の距離を感じる。その目を見るだけで、通じ合える気がした。彼のことなら何でも解ると思ったことが、今は何だか懐かしい。


 「それに、思い出して欲しいんだけど……今この景色を作っているのは、其方のお嬢さんだ。君が今、溺死しないで居られるのも彼女のお陰だ」

 「ベルタ……の?」


 カロンが振り返る先、居心地の悪そうな様子の女。シエロもシエロだが、ベルタもベルタだ。彼女は何を企んでこんなことをしたのだろう?俺が絶望すれば、振り向くとでも思ったのか?

 疑いの眼差しを受けたことに、傷ついている?そんな印象を受ける。


 「うん。だけど彼女の力にも限界はある。嘘の世界が壊されて、真実が明らかになれば……君がこうして呼吸が出来ていることも嘘に、夢になる。だからこの……最後の壁を破る……或いは時間切れになったら、君は死んでしまう可能性が高い」

 「でも!あの時は……海の中でも苦しくなかった!」


 シエロを追って海の中に飛び込んだ。無我夢中で歌ったときは、苦しさを感じず、呼吸さえ出来ていた。そんな風に思うのに、それは違うと言い切られた。


 「いくらウンディーネの歌を歌っても、君の体は人間だ。奇跡の歌で水に抗おうとしても、君は水の中では生きられない。そう長くは保たないよ。だから君は彼女と……」

 「ちょ、ちょっと待て!なんでお前があの女庇うようなこと言うんだよ!!おかしいだろシエロ!!」


 死をちらつかせた脅迫。さらには敵であったはずの女を庇うその発言。シエロこそ、一体どういうつもりなのだ。狼狽えるカロンに、疑問をぶつけてくるのはシャロン。彼女の方こそ解らない、そんな様子で。


 「お兄ちゃんは、どうしてここに来たの?衣装の傍で、歌うため?死んでいる私達を引き上げるため?それとも貴方も、死にたかったの?」

 「俺はお前からシエロを取り戻すために来た!シエロを助けるために来た!お前らが死んだなんて、俺は認めない!」

 「わからないの?本当に」


 俺を軽蔑するような、そんなシャロンの冷たい言葉。


 「お兄ちゃんは、ドリスの心変わりを狙ったの?彼女に私達の死を書き換えさせたくて?だからウンディーネと同じことをしようとした!!」


 そんなこと、考えていない。そうは言い切れない。心の何処かで期待していた。俺に好意があるのなら、お前がウンディーネになれ。俺の思惑通りまた、踊れ。そんな風に……確かに思った。

 だけど生き返らせてくれないならば、俺もこのまま死のうと思った。下町も箱船も……まだ生きている人達を大勢見捨てて、無責任にも。ドレスの傍に行ったって、海神との対話を歌う……気持ちはなかった。


 「お兄ちゃんに気がある彼女は、死のうとするお兄ちゃんを止めるわ。だけど脚本で操ることが出来なくて、こんな……弱くなったアムニシアとの契約に頼った!ここを作っているのは第七魔力じゃなくて、第三魔力!夢と現の狭間の力!!それだって、私が死んでアムニシアの干渉能力は弱まっている!ドリスがこんなことをしたのは、もうそれしか力が残っていないってこと!誰も私とシエロの死を、無かったことには出来ない!」


 シャロンの言葉が、胸の奥へと突き刺さる。


 「どうして、俺……なんだ?」


 シエロの気持ちが解らない。俺を庇うことも、してはくれない。本当にお前が愛しているのは、シャロンなのか?

 確認するのが怖い。自分だと、大声で言い切れないのが嫌だ。信じられていないんだ。俺の方こそこんなに臆病で、本当にお前を愛しているのか?そう思うと自信もなくなる。

 シエロは狡い。俺を愛しているから、死なせたくないから……遠ざけたいのか。俺を利用して……国を救わせたいから突き放すのか。それさえ今は解らない。


(俺は、シャロンの代用品でしか……ないのか?)


 恋人の、代わり。ウンディーネの代わり。俺を愛していると言ったドリスさえ……見ていたのはウンディーネ。カロンという人間を、見つめて愛してくれた人なんか、ただの一人も居ないのだ。

 “ウンディーネ”は幸せだった。ベルタという友達が居て、長年の孤独も忘れられた。過去の傷も癒された。それでも俺が生まれたのは、“ウンディーネ”にはまだ……やりのこしたこと、果たせなかった思いがあったから!

 先程拾った本を抱えて、カロンはボロボロ泣き出した。


 「俺は……」


 愛する人と添い遂げて、互いに老いて死ぬ。その日までずっと、一緒に居たい。この本とは違う、幸せな終わり方をしたい!

 前世で愛した物語。その……騎士と重なったシエロを見、一目で恋に落ちたのは本当だ。だけどそれだけじゃないって信じたい。

 そそっかしくて、ドジを踏む。立派なのは外見だけで、中身が伴わない。物語の王子様として、格好良くはない、その相手。それでも一秒毎に、愛しさが募って仕方が無かった。どんな時でも俺はお前に見惚れていた。

 復讐に燃える瞳も、悲しみに暮れるその顔も……戸惑い困ったその様子、言葉を失いぎこちなく笑うお前さえ。こうして壁越しに……冷たい視線を送る、お前のことだって。どうしてこんなに惹かれてしまうのだろう。

 俺はお前の傍に居たい。今は俺を愛してくれていなくても、いつかその日が来るまで、ずっとお前の隣にいたい。お前がシャロンとどんなに仲睦まじい姿を見せたとしても……俺は遠くへは決して行かない。このままここで息絶えたって……ここから離れたくはない。


 「狡ぃよシャロン!!俺にウンディーネの役目を、罪を押しつけて!こんな気持ちで何を歌えって!?どうやって」


 俺は醜い。俺は汚い。こんな醜悪な人間が歌う歌、海神にどうして届くんだ?俺には無理だ、俺には出来ない。


 「俺、最低だ!自分のことで精一杯だ!誰かじゃなくて、俺が幸せになりたい!!これから先、俺はずっと辛いままなのに、人を救う歌なんて歌えないっ!!」


 心変わり、生きていればあるだろう。人はきっとそう言うけれど、俺には無理だ。絶対無理だ。俺にはこの人だけなんだ。シエロがいないんじゃ、死んだも同じだ。俺の人生は、世界は終わったんだ。

 シエロを生け贄にして守った日常。その屍の上に成り立つ世界。俺はきっと許せなくなる。愛する人が居ない世界で、他の奴らが愛を語らい、愛を囁き、交わし合う。そうやって奴らはどんどん増えていく。幸せになっていく。俺には何も、残されていないのに。

 これが、永遠の愛?愛する人を失って、ずっと苦しみ続けていくだけの人生!!そんなものに、価値があるのか!?そんなもんねぇ!!

 もう……壁を割ってしまおう。答えを口にしよう、俺の絶望と一緒に……全てを沈めてしまえ。


 「お前が愛しているのは……俺じゃない」

 「その証拠は?」

 「見てれば解る」

 「カロン君……それじゃあ話にならないよ」


 終わりの始まりに、踏み込んでいる。だというのに相手は場違いなほど明るい声色。何も、解っていないのか?


 「お前を狙う奴は、大勢居た。女だけじゃない。お前に惚れている男は俺以外にもいた。例えばナルキス、それからアルバに殿下」

 「え?」

 「彼ら全員、お前と同じ人魚の末裔。先祖返りであるお前にウンディーネの面影を、理想の相手を見た。最初の動機はそんなもんだろ」

 「……」

 「お前はだけどそいつらを袖にしてきた。だけど俺は受け入れた。その違いは……この顔だ。お前が俺を愛してくれたのは……シャロンと同じ顔だったから。そうじゃない奴らが脈無しなんだ。お前が愛していたのは俺じゃない」


 ここまで言って、壁に異変が現れないのは、俺の答えが誤っているから?それとも証拠が足りないからか?

 カロンは内心焦るも、問い詰めようにも当の本人、別の所に意識が向いている。


 「あ、アルバも……なの?」


 使用人からの好意には気付いていなかったのか。戸惑いがちに、それでも少しシエロの顔が赤らんだ。シャロンは少しむっとして、思いきりシエロに抱き付いている。

 それでも俺は言ってやる。言わなきゃいけない気がしたんだ。


 「アルバは、お前の幸せを願って死んだ。死んでからも悪魔なんかになって……ずっと救われない道を選んだ」


 悪魔となった彼の姿を思い出す。シエロに見せてやりたい。彼がこの場に現れたなら……シエロも理解するだろう。彼がどんなに自分のことを、思っていてくれたかを。


(あ……)


 敗北の言葉がここまで出ているのに、カロンは今更のよう、アルバの言葉を思い出す。彼は何と言っていた?シエロとシャロン、ではない。俺とシエロと言ったのに。

 あんなにもシエロが好きだったのに、嘘の言葉で遠ざけて……俺なんかにシエロを託した。


(俺は……)


 俺は、信じるべきなのか?あんなにお前を愛した男が、信じてくれた俺のこと。俺とシャロンの違いは何だ?アルバはどうして、俺のことを……こんな俺のことを。最初彼から軽蔑されていたはずの俺が、どうして彼と打ち解けられた?

 それはシエロの反応だろうか?ずっと傍でシエロを見てきたはずのアルバが、シャロンではなく俺を信じてくれたのは、俺と一緒に居る時の……シエロの方が良いと、思ってくれたからなんだ。


(何がちがう……?俺と、シャロンと)


 考えてみる。思い出してみる。壁の向こうで見つめる人の中、きっと何かが眠っている。


(……っ!)


 そうだ、この状況。何かによく似ては居ないか?それじゃあシエロの心は、もしかして。

 カロンは一つの答えに辿り着く。それは必ずしも己の勝利を約束できるものではない。この壁を破ることは、出来ないだろう。それでも言わねば。伝えなければ。そうでなければ、海神の娘の物語は、何度も何度も不幸な結果を繰り返す。俺やシャロン……シエロの未練が、遠い未来の誰かを必ず苦しめる。

 幸せになれるはずの恋人達や、ありふれた物語を望む人達が下らない前世のしがらみに縛れて、命を落とし不幸になるんだ。そしてウンディーネのように、俺達はずっと……苦しくて、救われないままなんだ。俺は、そんなの絶対嫌だ!

 カロンは覚悟を決めて、シエロに伝える。


 「お前が愛しているのはシャロンだ」

 「……死ぬ、つもりなの?」


 たった一言。吐き出すまでが辛かった。シエロ問いかけには、俺は答えず言葉を続ける。

 亀裂が走った壁を見て、シャロンは小躍りして喜ぶかと思ったが、……彼女は黙って俺達を凝視する。俺が何か企んでいることに、彼女は気付いているようだ。


 「お前はシャロンのために献身的に尽くしてきた。シャロンがお前を試しても、お前がシャロンを試したことはない。シャロンの愛を疑わないお前が、シャロンを愛していないわけがない」

 「説明は出来る?」

 「お前の行動の全て。それからお前の亡骸が何よりの証拠だ」


 シャロンから与えられる全てが愛おしい。シエロにとって、それは決して抗えない誘惑。

 こうして何もかも奪われても、まだ彼女を憎めない。許し捧げる心が愛だろう。

 虐げられる彼女の身代わりになった傷、それも誇りだ。体を傷付けられても、命を奪われても嫌いになれない。彼女が殺されたと思えばあんなに深く傷ついて。

 お前がどんなにシャロンが大好きだったか、それを俺は何度も見せつけられてきた。傷ついた俺を、シャロンと同じ顔の俺を、お前は哀れんだんだろう?慰めてくれただけなんだろう?

 お前は優しいんじゃなくて、可哀想なんだ。アルバに血肉を与えたときと同じだろう。お前は、お前の心は人間の物じゃない。身も心も犠牲にして、誰かを守ろうとする……海神の娘だ。だからお前は、ありふれた愛が解らない。お前の心は、魂は……この国の誰より綺麗かもしれない。だけど、同時に誰よりお前は残酷だ。


 「お前はシャロンを愛してる。悔しいし、悲しいけど……、今のお前を見れば解る。お前はシャロンが好きなんだ。どうして……そんなことも、解らないんだ?」


 俺には……そんな、お前が解らない。きっとお前自身、そんなの解っていないんだ。だからそんな風に俺に聞く!

 空っぽだったお前は、脚本を必要としてきた。物語から生まれたお前は、物語によって生かされていた。自由を手にしたお前は、自信が無くて何一つ肯定できない。自分の心さえ、お前には見えないし理解できない。予め、そういう物として作られたみたいに、シャロンのためにシャロンを想う。


 「解ってくれシエロ。今目の前に居る俺を見てくれ。今俺は、お前を試しているか!?こんな風に壁を作ったり、お前に俺の心を問いかけたりするか!?俺はしない、そんなこと!お前がシャロンにそうするように、俺はお前を愛してる!」


 この壁は、己の死を偽装したシャロンと同じだ。シャロンがシエロの愛を試したように、シエロが俺の愛を試している。試されている俺は、試されなかったシャロンより……シエロに愛されては居ない。だけどそれならこうも言えないか?


 「シャロンはお前を愛していない!!」

 「……」


 ヒビの入った最後の壁。けれどそれはまだそこにある。シエロの意思を宿すよう、壁は崩れず立ちふさがった。


 「壁が崩れないのは……お兄ちゃんはまだ諦めていないから。シエロは私が好き。それでも今シエロの心を掴めれば、答えも変わってしまう。だからこうして壁の前で、貴方に訴えかけている」

 「シャロン……」

 「シエロ、言って。そうすれば、この壁は完全なものとなる。もう誰も私達の邪魔は出来ない」


 黙って俺の言葉を聞いていた、シャロンがここで割り込んだ。真実はシエロが持っている。彼が答えを出さなければ、決着はつかない。

 今ある答えは俺の言ったとおりの答え。“シエロはシャロンを愛している”のだが、俺が認めたのは今この瞬間だけ。だから心からそれを認めていない。事実だと打ちのめされない。この壁は、ある意味で俺の心でもあるのだ。


 「……僕は、ずっと考えていた。死んでからずっと。いいや、死ぬ前から。君を……シャロンを裏切ってから。その答えがやっと、見つかった」


 シエロの言葉は、そんな風に始まった。その先にある結論を、聞き漏らすまいと俺は彼をじっと見つめる。


 「シャロンのことは、本当に……大好きだった。君のためなら何でも出来ると心の底から信じてた。それなのにカロン君と居る時は、それ以上に幸せで、僕は凄く焦ったよ。そして気付いた。僕はシャロンに……カロン君みたいに、僕を一人の人間として……好きになって貰いたかった。大好きな君と、対等な関係になりたくて……」


 重ねていたわけじゃない。だけどそれぞれに欠けていた。二人に分かれたウンディーネは、ウンディーネではなくなったから。

 それでもシエロの使命は、ウンディーネを幸せにすること。ウンディーネを愛するために生み出された魂だ。ウンディーネの記憶を持ち、より濃いウンディーネの魂を持ったシャロンを必然的に好きになる。俺なんかより、そう……ずっと。


(悔しいけど……どうしようもない)


 氷の壁は、本の外と中のよう。俺は外の人間だから、物語の二人を引き裂くことは出来ない。俺がどんなにあいつを好きでも……シエロはシャロンの物だった。


 「出題した時……僕自身、誰が好きなのか、何を思っているのかなんて解らなくなっちゃった。だから君を諦めさせるためにあんなことを口にした。誰も愛していないのが答えだって、そう言うつもりだったよ僕は。この答えを見つけさせてくれたのは、カロン君……君だね」

 「……」

 「ありがとう、カロン君」

 「シエロ……」

 「あの日僕は、下町に降りたこと……そしてこういう結果になったこと、後悔していない」


 今俺に……俺のためだけに送られた笑顔は、これまで見たシエロのどんな表情よりも素晴らしかった。君なんかに出会わなければ、こんなことにならなかった。そんな風に俺を少しも憎まずに、唯深い感謝と好意を伝えてくれる。

 この人を、こんな風に笑わせられるのは、世界にきっと俺だけだ。シャロンには、シエロをあんな風に笑わせられない。それでもシエロはシャロンと居るのだ。嬉しくて、悔しくて……氷の壁へと爪を立て、額を押しつけ涙を零す。

 そんな俺を哀れんで?それとも……懐かしんで?シエロも壁へと触れるのだ。俺の手がある向かい側から手を合わせ、腰を屈めて額を付ける。此方へ来られないことを、悲しむようなその仕草が……ぐっと俺の胸を締め付ける。

 シエロの言葉、どこまでが嘘でどこからが本当か。壁も彼も教えてくれる気配がない。唯、シエロが俺を死なせたくない気持ちだけは……解ったよ。これを破れば、俺は死んでしまうんだ。


 「シャロン……僕は人間として、君と幸せになりたかった」

 「シエロ……?止めて、どうして……そうやってずっと、過去の話みたいに言うの!?」


 壁から離れ、シャロンに向き合うシエロの言葉。聞いたシャロンが叫び出す。


 「ずっと二人でここに居ようよ!悪魔にだって貴方を渡したりしないっ!誰にも貴方は渡さないっ!!」

 「シャロン……」

 「君がそれを望むのなら……僕は永遠に、従おう」

 「……!!」

 「だけどシャロン、僕はどうしたら……君に愛して貰えるんだろう?どうしたら……君を心から、笑わせてあげられる?」


 泣いて縋るシャロンの拘束。それから逃れるようシエロの姿が崩れ、彼は輝く光の玉となる。そして彼の魂は……シャロンの小瓶に入り、彼女の傍に留まって……あとは何も喋らない。彼はもう……何も語るつもりはないらしい。


 「愛しているわ……愛しているわよ、本当に」


 沈黙を貫くシエロに泣きながら……小瓶をぎゅっと抱くシャロン。愛しのシエロを手に入れたのに、その目は悲しみを宿したまま……


 「答え……当てたはずなのに、壁……割れないな」

 「きっと……彼が出題者の役割を、放棄したから。それが彼女に引き継がれたの」

 「そっか」

 「カロン君?」


 シャロンと壁に背を向けて、歩き出した俺を見て、ベルタが驚き俺の後を追う。


 「出口はどこだ?」

 「え!」

 「俺は歌うよ。俺は俺の答えを見つけた。海神と話したいことがある」

推理って……なんだったんだろうね(禁句)

壁が壊れなかった理由、いろんな意味でとれるようにしたところが辛うじて推理……なの?

ええい、悪魔が私にそうさせたのだ_| ̄|○


次回で最終回だと思います。長らくお付き合い、ありがとうございました…!

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