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54:贖罪

 「あのね、そこで私のお兄ちゃんがね」

 「へぇ、良いお兄さんなんだね」

 「まぁ……そうだね!」

 「何、今の間は?」

 「だって、シエロ私と居るのにお兄ちゃんの話してるー!」

 「君から振ってきたのに」


 苦笑する僕に、彼女が甘えたような声を出す。

 シャロンの会話には、時折彼女の兄の話が出る。話題に困っているわけではないのにそれが出るのは、彼女にとって兄とは生活の一部であり、日常の欠片だったのだろう。

 だけどそれと同時に……彼女にとって、一番のライバルだったのかな?

 弱音をそんなに吐かない彼女だけれど、自分と兄を比べることが多々あった。いつも比較されてきたんだろう。能力とかそういうことじゃなくて、多分……それは性別だ。

 シャロンはちょっと不思議な子だから。型破りって言うんだろうか?女の子という型や枠で彼女を捉え量ろうとする事に対し、酷く脅える。そして嫌がる。


 「シャロン……お兄さんと離れて、やっぱり寂しい?」


 二人の両親はもう亡くなってしまったから、彼は下町に一人きり。彼は男だから空の上ではなかなか仕事に就けない。うちの屋敷で雇うくらいなら出来るだろうけど、歌姫の親族を雇うとなると書類がなかなか面倒だ。給金を多く払って歌姫に流れる資金を増やそうと企んでいる、そんな風に思われる。だから此方に呼ぶとしたら、それは全てが終わってからだろう。


 「シエロ、それってどういう意味?」

 「僕たちがその……晴れて人魚と王になれたら、その時は彼も一緒に暮らさないかい?その方が君も安心だろうし、寂しいこともないだろう」

 「……嫌っ!」

 「え?」

 「絶対に、嫌っ!!」


 仲の良い兄妹だと思っていたから、シャロンの拒絶には僕も驚く。


 「どうして?」

 「だって、私達同じ顔だし」


 やがて呟かれた言葉は、なんとも可愛らしい嫉妬。これには僕の顔も破顔してしまう。


 「シャロンが二人も居たら、天国だなぁ」

 「シエロ!!私は本気で言ってるのよ!?」

 「あはは、何心配してるの?相手は君のお兄さんだろ?ないないないない、あり得ないって」

 「だってシエロ……呪われた私とも、やるじゃない」

 「やるっていうか、その場合大体君が襲ってくるよね」

 「だってシエロ可愛いし!!このっ……」

 「うわぁああああ!い、いきなり何を」


 彼女が懐に隠していた、小さな小瓶。投げつけられ割れたその中身は勿論……塩水だ。

 水をぶっかけられ、高い悲鳴を上げた僕……その胸をシャロンがわさわさ触って遊ぶ。


 「ええい!これよこれ!このけしからん胸っ!!呪い解ける前にこんなのお兄ちゃんに見せられないわよ!!女の私でも女のシエロ可愛いって思うもん!お兄ちゃんなんか一目でメロメロなるに決まってる!!」

 「そ、そんな……それはシャロンの思い込みだよ」

 「男のシエロだって、凄く可愛い!私が男でも惚れるっ!!」

 「……それはシャロンがシャロンだからじゃないかな、お兄さんとはまた話は別だろう?」

 「駄目ったら駄目!私もし一つ屋根の下で、シエロがお兄ちゃんに襲われてるの見たら……興奮するかもしれない」

 「ああ、それなら別に……って、凄く良くないっ!全然良くないよそれ!!」

 「でも……もしその逆だったら」


 それまでふざけていたようなシャロンの声と態度。それがその言葉を句切りに、一切の寛恕を殺してしまう。


 「私、きっと二人のことを許せない。大好きなお兄ちゃんを、大嫌いになるわ」


 何の心もない言葉。それはこれから気持ちが生まれる。まだ空っぽの……不思議な言葉。だからだろう。それは確定事項のように僕へと告げられた。


 「私……寂しくなんかない。私はシエロさえいれば……居てくれれば。それ以上、それ以外……誰もいらない」


 シエロは違うの?そう呟いた彼女の声が……強く記憶の中に焼き付いている。

 そんなことはない、そう返した言葉も上の空。シャロンの嫉妬が、束縛が……僕への執着が増していったのは、そうだ。あの時から、なのかもしれない。

 シャロンから渡された手紙……その意味が変わってしまったのも、恐らくは。


 「私だけを見て。私だけを愛して?私が貴方にそうするように」


 *


 海神の娘

  「全てを救って貴方が私の物になるなら。

   私はそう、喜んで……全てを救いましょう。

    だけど、全てを救っても貴方が私の物にならないのなら。

   私は全てを壊しても、貴方だけは……放さない。」


 *


(俺は水に潜ったはずだった)


 しかし、カロンが見たのは水中の景色ではない。それはかつて、シャロンがウンディーネを務めたという舞台。

 俺はそれを見ては居ない。けれど、目の前で繰り広げられる光景……それは噂に聞いた物と違わぬ、素晴らしい演目だった。だけどそれは……オペラというより歌劇と言うより、歌芝居?随分アドリブが利いている。


 「ウンディーネ……」

 「フルトブラント様」


 俺は、観客の一人だったんだ。見ているだけで、何も出来ない。シエロとシャロンを……フルトブラントとウンディーネを、見つめることしか出来ない。

 最初から最後まで、彼は彼女の物だった。身の程を思い知れ。解っていたことじゃないか。彼は空だ。落ちてきた空だ。手を伸ばしたって届かない。そういう人なんだって……


(でも……)


 劇はとうとうクライマックス。ウンディーネの口付けにより、騎士が命を奪われる。俺はそれを黙って見ていることしか出来ない、ちっぽけな存在。

 やがて完成される美しい、悲劇。誰一人、口を挟むことは許されない。それが脚本なのだから!!


 「シエロっっっっっっっ!!!」

 「……!」


 口付けの間際、俺は叫んでいた。終幕への道筋を邪魔する騒音者。観客達は振り返り、俺を睨み付ける。その誰もが、顔が無い。真っ黒な深淵が、人の形でこっちを見ている。彼らの名は絶望だ。


(あの露出狂めいた格好!!あれは……歌姫マイナス!?それに……隣にいるのは殿下か?)


 絶望の集団の中には、神殿で出会わなかった者がいる。どうして彼らがここに居るのか、そもそもこれはなんなのか。それは解らないけど、これはかつてあった舞台ではない、それだけは確かであり……俺が手出しの出来る場所!


 「……諦めの悪いお兄ちゃん」

 「シャロン……」

 「どんなに頑張っても、貴方はここには来られない。シエロの心も、魂も……貴方のものにはならないわ!」

 「そんなの、やってみなきゃ解んねぇよ!」

 「来られるものならどうぞ?」


 客席からシャロンの待つ舞台まで、何重もの光の壁が現れる。先程神殿で見た物とまったく同じだ。その光に退けられるよう、観客達が姿を消した。いや……壁の現れた位置は、観客の座席に重なる。これは悪魔の力によって、観客達が壁に変えられたのかもしれない。俺がを砕いていくことに、罪悪感を覚えさせよう。これはきっと、そういう思惑?


(無駄なことを)


 俺はもう迷わない。他の奴らなんて……どうなったって知るものか!やってやる。俺を舐めるなシエロ。俺にはやれる。誰だって、シャロンだって俺は殺せる。再び甦らせてでも。


 「どうして……?シエロはもう死んでるの。そして私も。それなのにどうして、まだ諦めないの?」

 「フルトブラントは……その魂を海の底に囚われていた。シャロン!お前が今そうしているように、彼の魂を壺に閉じ込めて!!」

 「!」

 「だが!その後、ウンディーネに魂を解放されたフルトブラントは地上へ戻り、棺から甦った!!夢も現実も物語も俺に味方しなくてもっ!俺がシエロを諦める理由にはならないっ!!」


 俺の解答に、光の壁が一枚……けたたましい音で崩れ去る。やはりこういう絡繰りか!これは、あの女の名を当てた時と同じ仕組みだ。


 「……いいわ、それなら真っ向から叩きつぶしてあげる」


 シエロを背に庇い、絶対に譲らないという強い瞳でシャロンが吠えた。


 「こっちは最初からそのつもりだ!」


 威勢で負けてはならない。強がりそう答えるも、内心俺は気が気でない。どんな出題が来るか全く解らないのだ。今のシエロは俺の味方ではないし、アルバも悪魔達ももう居ない。俺一人で、戦わなければならないんだ。


 「それじゃあ聞くわ。あの日殺されたのは一体だぁれ?」

 「そんなの、決まってる!商家の中層歌姫“シレナ=ネレイード”!」

 「その証拠はあるの?」

 「証拠は靴のサイズだ!シャロン、お前とシレナは足のサイズが違う!!」


 俺がそこまで言うと、もう一枚……壁が退いた。シャロンはまだ余裕の表情。こんなわかりきったことを聞くのだ。そろそろ何か仕掛けてくるはず。


 「彼女は誰にあんな目に遭わされたの?」

 「命の危機を感じたお前……“シャロン=ナイアード”に嵌められたシレナは、暴走し呪いで男になった“エコー=アルセイド”によって暴行され、“夢現の悪魔アムニしア”と契約するシャロンがシレナを眠らせる!その後シレナの眼球を顔面ごとそぎ落とし、凶器とそれを空から海へと投げ捨てた。その後お前は身を潜め、そこに“ドリュアス=エウリード”が現れる!その遺体がシャロンだと思い込んだ彼女の手により、シレナは子宮を取り出され燃やされた。お前はドリスが去った後、現場でシレナの時計を落とし、悲鳴を上げる!」

 「お兄ちゃん、コレは?」

 「うぐっ!!おおおお、お前がどうしてそれを!?」


 笑うシャロンの薬指。光る恋人証明証。一つは俺がアルバに預けた。アルバはあれからシャロンには会っていない。ならばあれがシャロンの手に渡るとは思いがたい。


(あれは、マイナスが持ってた方か?あれは確か……)

 「お兄ちゃんの推理はこう。ドリスちゃんが遺体から抜き取った指輪。それが彼女と協力関係になったマイナス姉様の手に渡ったと」


 シャロンが咽を鳴らしてくくくと笑う。


 「この指輪はシエロが持っていたのよ?私の指輪を……。これ、大事な証拠よね?私が何時、シエロから奪ったかわかる?」

 「ま、まさか……!!」

 「ええ、そうよ。私がシエロを半分、殺した時に」

 「は、ははは」

 「そもそもこれ、シエロはどうしてお兄ちゃんに渡さなかったのかしら?どうして奪われたことを言わなかったのかしら?お兄ちゃんもどうして気付かなかったの?喋れなくても話す方法は幾らでもあったのにね」

 「そ、それは色々あってそれどころじゃなかったんだよ!あ、あと俺とお揃いでペアリングみたいじゃねぇか!だから手放さなかった!くっそ可愛いだろシエロ!」

 「そんなわけないじゃない」

 「ぐっ……」


 シャロンの嘲笑と共に、分厚い壁が二枚も増える。なるほど、こういうこともあるのか。俺は遠くなった妹との距離に舌打ちをする。今のは、マイナスが指輪を入手した経緯、その証拠を俺が持っていなかったからの、枚数だろう。

 別に指輪のことが無くても、マイナスとドリスは手を組んだかもしれないのだ。マイナスがそれを持っていたという、証拠を俺は持っていない。マイナスがあの日、現場でそれを拾った可能性も否定できなくなってしまった。思えば俺達はマイナス本人に、あれから話す機会がまるで無かった。マイナスの悪魔は力こそ弱いが、頭の切れる奴だったのか。おのれマイナス!!情報を与えないというその強み、今更俺を苦しめる。流石はシエロがあれだけ俺に気をつけろと、危険な女だと言ってきただけのことはある。この恐ろしいシャロンを虐待していたというのだから大した女だ。……なんて現実逃避してる暇はねぇ!カロンは頭を振って余計な考えを払う。


 「当時、シエロはまだ私が生きていたことを知らなかった。だから私の形見を傍に置いておきたかったの。それだけ私を愛していたから」

 「う、うう……っ」


 こんな腹立たしい台詞にも、目の前の壁はヒビ一つ入らない。シャロンの言葉が嘘ではないのだ。


 「それにお兄ちゃん。女の私があんなに綺麗に彼女の顔をそぎ落とせると思う?ほら、こんな細腕で」

 「呪いで男になってやったんだろ!」

 「シャロンちゃんは、そんなことしないわ」

 「ぐぅううっ……」


 誰に向けてのサービスだ!可愛らしくウインクするシャロン。それが合図か、また一枚壁が出来、俺は後ろへ弾かれる。


 「私が手を汚すのは、愛しい愛しいシエロだけ。それ以外の罪、私は要らないもの」


 惚気るようなシャロンの言葉。けれどその言葉に、目の前の壁……その中に、僅かな亀裂が生まれた。


(この壁……シャロンの味方ってわけではないのか?)


 これがベルタの力なら、シャロン有利には働かない。あくまでこれは平等。やり方次第では、俺にも良いように働くってことか?

 それならばと、カロンは真新しい情報を突き出した。


 「顔を削いだのは……上層街の店主だ!」


 彼ならば店の仕事をする振りで、気が気でないシエロに気付かれず、外に出ることも可能だろう!犯行現場はあんなに近いんだから!厨房の裏口から外に出るなんて造作も無い!

 力強く吐き捨てたカロンの言葉。それに対してシャロンは眉一つ動かさない冷徹さで応える。


 「なぜそう思うのかしら?」

 「アムニシアの力で、シャロン!お前は眠って夢を見た。そして自身の殺害計画を知ったは良い。手紙でシエロを呼び出すドリスの企みも看破し、お前は上層街の馴染みの店に身を潜めた。元々あの店主はお前のファン。店主のトラウマを刺激することで、従順な駒として使役したんだ!彼はメリア=オレアードのファン!彼女の生存を知らない。或いは彼女が今の姿になった元凶の一人だと俺は思う!!お前とメリアを結びつけるキーワードは“人魚に近付いた歌姫”であるということ!過去の悔恨から、お前に何があっても彼はお前を裏切れない」

 「……ふーん、店で……何か見たのね?」

 「お前と店主がグルだった証拠ならある!お前が土産に買ったっていう……つまりシレナが買った“くろねこ亭のブラッドオレンジ”!!あれが本当にシャロンなら、それがあの場に無ければおかしいんだ!」


 お前はいつものシャロンらしさを演出させるために、あれを買わせた。馴染みの店主にいつも送っていた物だから、くろねこ亭に行ったシャロンが買わないわけがない!

 夢遊病のシレナに、血とジュースを見間違えさせたと言い訳するためにも、その小道具は必要だった。


 「それをシレナが店主に渡す暇は無かった。お前が現場から店に持ち込んだ理由は……」

 「あはははは!お兄ちゃんって本当馬鹿ね!あははははっ!」

 「シャロンっ!!」

 「シエロは割れた瓶を見ていない。エーコから裏付けは取った?お兄ちゃんが聞いたのはシレネちゃんに扮する私の言葉よね?私が本当にそれをシレネちゃんに買わせたと言い切れるの?」

 「エングリマの能力で、俺は確かに見た!店の中、酔いつぶれた店主の傍にくろねこ亭のブラッドオレンジジュースがあった!」

 「でも実物を証拠として押さえたわけじゃない」

 「ぐっ……」


 涼しげなシャロンの言葉に、亀裂が再び修復される。まずい、完全に相手のペースだ。

 カロンが慌てるのを見越し、シャロンが攻勢へと転じ始める。

 今の今までこの本が推理小説だと言うことを、カロンはすっかり忘れていたのだ。自分は主役であり、口先と行動だけでどうにでもなる復讐劇だとでも思っていたのだろう。自分が全てを知り、全てを解決しなくても良いと勝手に決めつけていた、そのツケが回ってきている。


(あいつらが……居れば、きっと上手く行く。そう、頼り切っていた)


 悪魔の特殊能力に、味方の有能さ。その全てが失われて、自分が如何に無力な子供だったかを思い知る。自分が群衆の一人だなんて、わかりきったことを言ってみたところで……何も解っていなかった。心の何処かで思っていたんだ。ドリスよりも、イストリアよりも……俺はもっと凄い脚本能力を持っているんだって。奴らの力を破れるような、何かが俺にはあるんだって……思い込みをしていた。俺はウンディーネだ。海神の娘だ。この本のキーパーソン!なくてはならない存在で、きっと俺には他の誰にも出来ないことがあるんだって……ヒーローにでもなったつもりでさ。

 シエロの死だってどうにかできる!覆せると信じて疑わなかった。


(シエロの、言ったとおりだ)


 俺は口先だけの男だ。解ったつもり、出来るつもりで居て……本当は何一つ出来ない。シャロンのことだって、シエロのことだって殺せない。優しいんじゃない。へたれなんだ。情けない男なんだ。罪を恐れて、動けない臆病者。シャロンは違う。実際動き、行動して……全てを勝ち取る。


 「ねぇお兄ちゃん、仮にあの場にジュースの瓶があったとする。私がそれを店主に送ったとする。言い訳のためにそれは必要だった。それならどうして私はあそこでそれを割らなかったの?」

 「そ、それは……」


 わざわざシレナに買わせたそのお土産。受け取ったシャロンがジュース瓶を割らなかった理由は?

 硝子がくだければ、現場に証拠が残る。拾いきれない小さな硝子の破片が残るだろう。確率変動などの悪魔の力を使えば、それはすぐに見破られる。あそこでシャロンは考えたのだ。現場を片付けるシエロの手間を考えた。足が付き、シエロが無実の罪で、殺人者にされることがないように……シャロンはそうしなかったのだ。その訳は……


(……“シャロンがシエロを愛していたから”)


 口には出せない。悔しさから涙が零れる。だけどこの壁にとって、この沈黙が……何よりの答え。


 「シエロまで辿り着きたいなら、まだまだ壁を破らなければならないわ。お兄ちゃんが目を背けたい真実を、幾らだってこの壁は突きつける」

(シエロ……)


 先程神殿で出会った、あのシエロとは全然違う。舞台の上……氷のように冷たく虚ろな目で、彼は俺を見つめている。自分を庇うシャロンを今度は彼が守るよう……此方へ剣を突きつける。例え全ての壁を破ったとしても、自分はシャロンを守るだけ。そう彼の姿は俺へと語りかけていた。


 「ウンディーネ。もう止めましょう、こんなこと」


 背後から、俺を抱き締める女の腕。温かいその腕は懐かしく、心地良いほどだけど……


 「……ベルタ」

 「こんなことして、何になるの?貴方の言う通り……それはあまりに愚かで、悲しいこと。そんな悲しいことを、人は通り過ぎて生きていく。……小さな女の子にはよくあること。それから年頃の殿方にもね」


 彼は貴方の通過儀礼なのよと、俺はベルタに告げられる。


 「あの二人は、あの日貴方が教えてくれた……物語の中の人。物語の王子様に恋をしたってどうにもならない。解るでしょ?彼にはもう、決められたヒロインがいる。彼は決して貴方には振り向かない。そんな物語への冒涜を、彼女は決して許さない」


 物語のお姫様と自分を同一視して、王子様に憧れる。そんな子供は確かに多い。或いは、そうだ。魅力的なヒロインを前に、自分が主人公だと思い込み……他人の物語を自分の物であるとして蹂躙する。彼ら本人は楽しいだろうが、端から見れば痛々しいことこの上ない。お前は今、そんな醜態を晒しているのだ。そんな風に彼女は俺を叱っているのか?

 愛し合う二人を引き裂く者。俺はあの悪魔と同じものなのか?


(イストリア……)


 あの悪魔は、物語の悪魔。物語を記すと言うことは、あいつは結末を思い描いて筆を執る?配役を決め、物語を定め……終わりに向かって転がし始める。


(今がどうであれ……はじまりが間違っていたら、それはいけないことなのか?)


 存在しない人、物語の中の人に恋をした。その気持ちを忘れられないまま、俺が生まれた。そして俺は、その人に出会うことが出来た。

 シャロンにあって俺にない物。それは幾つもあるだろう。だけど俺だってある。シャロンにない物、シャロンとは違う……シエロとの繋がりが。その証拠は本来、裁判で見せるべきだった。だけど俺達が集めたいくつもの証拠を、シャロンは意味のない物にしてしまった。これが何の証拠になるのか。何にもならないかもしれない。それでも今掲げてみせるのは……幾重にも重なる壁の向こう、冷たく見つめる人に訴えるため。


(俺はまだ、あの日の言葉を覚えてる。どんなに昔に感じても、ほんの数日前のことなんだ)


 端から見ればシエロが俺に振り向いたのは、一時の気の迷い。時間として見れば誰の目にもそう映る。それでもあの時間は……俺にとっては永遠だ。もう取り戻せない物だとしても、大切な時間だったのだ。


 「……カロン=ナイアスはもう死んだ。妹が大事だった馬鹿な兄貴は、鮫に食われて死んだんだ!俺の名前は、“カロン=フルトブラント”!!」


 その名乗りは、シャロンに対する決別だ。共に海に沈んだ時から、シエロが俺を愛してくれたのなら、シャロンを裏切ったのならば……あの時今までの俺も死んだのだ。

 掲げて見せたブローチを見た、シャロンの顔が険しくなった。俺の言葉が届いているのか?ほんの少し、氷のようだったシエロの瞳に迷いが生じる。


 「シエロは言ってくれた。どんなことがあっても、自分の所に……帰ってきていいって。シャロンの変わりにはなれなくても、俺の家に!家族になってくれるって……」

 「……」

 「お前が本当に、まだシャロンが好きでっ!俺なんかよりずっとシャロンが好きでっ……!それが真実なんだとしても……それでも俺は、シエロの傍に居たい!!」


 カロンの叫びが止まった後には誰も何も話せない。そのまま十数秒が過ぎただろうか。最初に動いたのはシエロ。彼はシャロンの前に出て、一番近くの壁へと触れた。


 「し、シエロ!?何をするつもりなの!?」

 「……マイナスは僕の屋敷を訪れている。歌姫エコーと、歌姫シレナ扮するシャロンが訪れた時間より後に。同じ日にはドリスも来ている。二人は示し合わせて来たのではなくて、その道すがら出会い屋敷の様子を疑い合って手を組んだ。マイナスが独断で屋敷を訪れたのは疑問に思ったからだ。あの日現場で指輪を奪った。死んだはずのシャロンがどうして生きているのかと不思議になって。事件の日に彼女が上層街へと来たのは……僕らのデートを聞きつけ、邪魔をするため。指輪を奪ったのは……シャロンから、僕の恋人である証を奪いその座に就きたかったから」

 「シエロ……!!」


 シエロの明かした言葉によって、カロンの前の壁が一枚砕け散る。壁を破るために、シエロはわざと嘘を言ったんだ。カロンは嬉しくなって次の壁へと飛びつくも、シエロはシャロンを見つめていた。

 シエロは怒りでおかしくなりそうなシャロンの手を取り、抱き寄せ彼女の額に口付けやがった。


 「シエロぉおおおおおおおっ!!!!」


 怒り狂ったのは俺の方。憎悪の瞳で二人を睨むも、シャロンは同じ顔の俺でさえ見惚れるような可愛い顔で、目の前の男に惚れ惚れしていた。恍惚のシャロンは幸せと、にやけた口元からははしたなくも涎が流れかけている。


 「シャロン。君は僕が守る。今度こそ、僕が。だからこんな壁要らない」


 さっき壁へと触れたとき、シエロが壁に細工したのか?一枚一枚の壁は薄くなっている。その代わり、最後の一枚がとんでもなく厚い。何枚破られても構わない、最後の一枚無事ならば。彼はあれでシャロンを守るつもりらしい。


 「義兄さん、出題は僕からで構いませんか?」

 「だ、誰が義兄さんだクソシエロっっっ!!」


 此方を怒らせて、冷静さを奪う挑発だ。解っていてもやっぱり悔しい!


 「カロン=ナイアス君」

 「フルトブラントだって言ってんだろ!!」

 「義兄さん、貴方はどうしてこの空に?」

 「お前にシャロンの復讐を手伝えって無理矢理連れて来られたんだろうが!!」


 事実確認のような簡単な質問。それでも薄くなった壁はまた一枚、パリンと割れる。


 「それはおかしくありませんか?」

 「は?」


 シエロが敵になるとこんな面倒臭いとは思わなかった。というかやりにくい。殿下の気持ちがほんの少し、解った気がする。


 「貴方はもう何年も、妹であるシャロンを溺愛していた。切っ掛けが原因が何であれ、それは事実だ」

 「そりゃ、そうだけど」

 「その時の気持ちは本当だった。違いますか?」

 「……確かにな、なんでシャロンなんかのために俺、あんなに必死になってたんだって、今は馬鹿みたいだって思うよ」

 「シャロンは性格に問題がある。“それは僕も認めます”」


 そんな言葉の応酬で、何故かもう一枚壁が壊れた。これには流石にシャロンの抗議が上がる。


 「ちょっと!なんでそれで割れるのよ!!質問してるのこっちなのに!!」

 「フルトブラントは別に、シャロンが性格悪いと思っていないって事ですね」

 「惚 気 か !!!!」


 何故か冷静になっているベルタの状況判断に、俺は怒りのツッコミ。そして次なる壁に頭突きをかました。


 「やだもう、シエロ……そんな事言われたら私、今夜は貴方を寝かせない!朝まで二人のオールナイトフェスタよ!」

 「お前らもう死んでるんじゃなかったのか!?」


 嫌ん困っちゃうとかほざきながら、心底嬉しそうだなくそっ!!ギリギリと血が出るほど奥歯を噛み締め、カロンはシャロンに殺意を向けた。

 そうすることで気付いたが、そんな鬼気迫る自分をシエロが見つめている。


 「な、何だよ」

 「可愛いね、君」

 「え……?」

 「怒った顔が、シャロンに似てて」

 「くっそうぜぇえええええ!!!!挑発なら間に合ってんだよ腐れ貴族っっっっっ!!!!」


 本当、あの男敵に回したら最悪だ。頭が良いから此方が何を言えば怒るか、判断力が低下するか解ってる。

 一瞬でも喜んでしまった自分が哀れに思えて、カロンの目には僅かに涙が浮かんだ。


 「あんな男のこと、もう忘れません?」

 「忘れてぇけどあんなむかつくんだから忘れられるわけねぇだろ!!」


 ここぞとばかりに諦めを持ちかけるベルタに吐き捨て、カロンは壁に向き直る。


 「今に見てろ!お前を泣かす!絶対泣かすっ!!」

 「出来る物なら、どうぞお好きに。ここまで辿り着けたなら」


 心底相手に苛立っていたカロンだが、何故か思い出すのは……この男と出会った日のことだ。思えば出会ったばかりの頃は、こんな風にこいつに俺は悪態を吐いていた。シエロのほうも棘があったというか……心が遠かった。こんな風に俺はシエロとの間に壁を感じていたのだったなぁ。


(どうしてだろう、忘れてた)


 彼はもう死んでしまっている。それでもこんな風に話が出来る。彼の声を聞いていられる。失われてしまった、こんな当たり前。今度目の前が霞むのは、別の涙だ。


 「君は彼女を大事にしていた。それは彼女が死んだと思っても変わらなかった。変わった切っ掛けは……何だったろう?君は知っていたはずだ。シャロンが人魚を目指した訳も、シャロンが必死だった訳も」


 シャロンの性格に難があるのは事実でも、シャロンの努力や頑張りが覆されるわけではない。下町のために、人を救うために人魚になりたい。そんなシャロンの言葉を疑わなかった。だから俺はそんな彼女を誇りに思って、彼女のために懸命になった。カロンに残した遺書も……あれを書いたときは本心だったのだろう。だけどシャロンは変わってしまった。

 シエロを深く……愛するあまり。


 「それは……“シャロンがお前を傷付けたから”、男としてのお前を殺し、お前の言葉を……奪ったシャロンが、俺はどうしても許せなかった」

 「その原因は?」

 「“俺がシエロに……触れて欲しいと、言ったから”」


 また一枚、一枚と壁は崩れた。それでもシエロの質問は、事実確認の姿をしながら、懺悔の言葉を引き出す悪趣味な手法。壁の数は減ってきているのに、彼との距離は全く近付いていない、そう感じてしまうほど……遠い。


 「……ねぇ、カロン君。それじゃあ、僕があんな風になった原因は、一体誰にあるんだろう?」

 「……」


 にこやかに問いかけるシエロを前に、カロンはとうとう泣き出した。腕の袖で目頭を覆いながらも答えは心の中に浮かんだ。


(“俺が……全部、悪い”……お前がそれを、言わせるのか!?)


 嗚咽で何も答えられない。それでも無情な壁は崩れて消える。目の前に残るのは、たった一枚。涙の所為か近付いたから?以前より厚みが増したと感じるような、分厚い氷の壁があるだけ。


 「……これが最後の質問だ。どんな証拠を持ち出しても構わない。それを君に答えて貰おう」


 どんな言葉を告げられるのか。これ以上どんな言葉で俺を苦しめるつもりなのか。空のようだと思った人は、氷のように冷ややかに……最後の問いを突きつける。


 「この僕……シエロ=フルトブラントが愛する者は誰か?」

心と思惑を隠しつつ、シャロンサイドについた?シエロ。あの手この手でカロンを退けようとしつつ、シャロンとのバカップルぶりを見せつける。

なんなんだこの男は。もっと出題すべきこといっぱいあるだろ_(:3」∠)_

そう思いつつ……シャロンがアムニシアタイムで随分やらかしてくれたので、あの証拠とかその証拠とか全部無意味になりました。


元々15話とか20話くらいで終わらせる予定だったのに50話越えですよ奥さん。自分で仕掛けた伏線とか忘れて読み返したり、ああもうこの情報開示されてた忘れてたと、書いては消し書いては消し。一気に書かなきゃ駄目だね。


最初は本当に「これやったらきっと面白い!」って夢中で書いてた分、「意味わかんね」って言われて一気にやる気無くして放置した期間が長すぎた…_| ̄|○

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