表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
55/60

53:物語には終止符を

「殿下!よくお帰りに!!」

「おおお!!殿下だ殿下だ!!」

「アクアリウス様!!」

「何の騒ぎだお前達」


 神殿で再開した手下達からの思わぬ歓迎に、アクアリウスは気恥ずかしげに目を伏せる。


「この私がそう簡単に死ぬとでも」

「よく言うぜ。私が助けてやらなねーと死んでたくせに」

「くっ……そ、その話は後回しだ。状況はどうなっている?」

「それが」


 海神の怒りによる被害は甚大だ。避難場所であるはずの、神殿すら明日まで保たない。儀式の間の水位が増してきているのだ。


「シエロはどうした?その話では生け贄として海神の怒りを鎮めに行ったのだろう?まさか失敗……、それとも奴の身に何か!?」

「そ、それが……」

「馬鹿かお前達は!!誰一人様子を見に行かないのか!?」

「ですけど殿下ぁ!海神は歌姫シャロンの言いなりです。傍に行って怒りに触れたらどうなることか」

「何を馬鹿な!この期に及んでよくもまぁ……!!今更どうなるというのだ。逃げ場などない。シエロを助け海神との対話を通じ、海神を沈めなければどのみち我らは一人として助からんのだぞ!?」


 思わず周りに当たり散らして、アクアリウスは思い至った。そんなことは、傍に最高の歌姫でも居なければ……誰にとっても恐ろしい。とてもじゃないがシエロの傍にはいられない。自分だってそうだ。マイナスに背中を蹴られでもしなければ、空へは戻って来られなかった。国を民を捨て……自分だけでも他国に逃れる道を探していたに違いない。箱船が国がこんなに荒れているのは全て自分の責任だ。

 俺が何とかしなければ。本当に追い詰められたから?だから思い切りが良くなったのだろうか?俺は初めて王子としての責任という物を覚える。


(一度、死んだと思ったからかもな)


 マイナスと悪魔に助けられなければ、俺はとうに死んでいたのだ。そう思えば多少は吹っ切れる。恐れる物など、もはやない。アクアリウスは頷いた。


「す……すまん。それは俺がやることだったな。今まで王子として踏ん反り返っていた俺が果たすべき責任だ。お前達はこのままここで待機せよ」

「あああ、イリオン……!!よく無事でっ……」

「母上!」


 神殿の奥へと向かう決意を固めた俺の姿を見つけ、母上が涙ながらに俺を抱き締める。


「母上、ナイアードの歌姫が、私を助けてくれたのです」

「シャロンは私の義妹だしな、これは私の因縁だろ?殿下のことはついでだついで」

「おい」

「安心しろよ王妃様。殿下は私の趣味じゃねぇ。何の心配も要らないさ」


 最初は息子が危険な場所に向かうことを止めようと思ったのだろう。そんな母も、歌姫と息子の軽口を見つめる内、心が変わって行くようだった。


「歌姫マイナス……これを、お持ちなさい」

「ん?」

「人魚の衣装には、この首飾りが必要不可欠。シャロンは完全には海神との対話が出来てはいないはず」

「母上……」

「おいおい……」


 母がマイナスに受け取らせたのは、大きな青い宝石の首飾り。それが何なのかはわからないが、おおよその見当は付く。それは彼女も同じだろう。歌姫マイナスも呆れて肩をすくめている。俺も母のフォローは出来ない。この人はシエロがどうあっても海神を呼び出せないように、衣装の一部を隠していたのか。


「つまり、衣装を着たシエロの傍に……儀式の間にコレを持って行けば、海神を鎮めることができるかもしれない。そうですね?」

「い、イリオン!何故私を責めないのですか!?」

「言い争っている時間が惜しい。私は……俺は貴女を軽蔑しますが、言い訳ならば……生きて帰った後に聞きましょう」

「ああ……嗚呼っ!本当に……立派になって」


 背後で泣き崩れた母に一瞥くれて、後はもうそれっきり。時間が無いのは事実なのだ。彼女の庇護の下、のうのうと俺が生きてきたのは事実だし、彼女が俺を思う余り……この国を腐らせたの本当だ。ならば尚更、俺がやらねば。


「行くぞマイナス」

「へいへい」


 こんな風に民に期待され、温かく縋るよう送り出されるのは……最初で最後かもしれない。王になるとは、こういうことか。悪い知らせを抱えて帰っては来られまい。

 それでも傍には力を貸してくれる歌姫がいる。その存在をこんなにもありがたく思う。ドリスを従えていた時は、こんな風には思わなかった。格下の存在だと見下していた。


(だが、違かったのだな)


 歌姫とそのパートナーは、互いに支え合う関係だったのだ。俺が歌姫メリアに命を狙われるのも、当然だ。


(すまない……ドリュアス)


 お前を手に掛けて、そしてすぐにシエロに心変わり。薄情な男だと言われても、その通りだ。パートナーである歌姫を手に掛けた俺などに、王の資格はないのかもしれない。


(それでもここは俺の国だ。俺が胡座をかいてきた、俺を守ってくれた……育ててくれた故郷なのだ!例え相手が神であろうとも、これ以上好きにさせて堪るか!!)


 報いという物が来るのなら、せめて全てが終わった後にしてくれ。そうであってくれねば困る。

 神殿の奥へ……奥へと向かうにも、押し流すよう海水が膝下まで来て行く手を阻む。けれど足は止められない。俺の足を進ませるのは、誰に対する怒りだろうか。それは全ての元凶である海神に向けた怒りだ。


「ふーん、シエロと違って殿下は海水じゃ何にもならないんだな」

「そうだとも!俺はあいつと違って、先祖の血は薄い。精々海の化け物共が追いかけてくるくらい……ぅおおおおお!?」

「おい、あんたさっき俺はなにも恐れちゃいねぇぜみたいな顔してたのに、鮫くらいで何びびってんだよ」

「そ、それはそうだが!どういう状況だこれは!!」

「前から鮫が流れてきてるな、ビチビチと」

「な、何故そんなにお前は冷静なのだマイナス!!」

「そりゃあ勿論……っ!マイナス様は最強だからぁああああ♪」

「何故歌う」


 歌姫が何の脈絡もなく歌い出す。しかしそれは唯の歌では無かった。彼女の歌には、やはり不思議な力があるようだ。ゲートを登る際に聞かされた、悪魔と契約したという話は本当らしい。


「よし、出たな」

「な、なんだこの薄気味悪い化け物は」

「なんだよ酷ぇな、こいつらだって見慣れたらなかなか可愛いぜ?」

「そ、そうか?」


 それは何に例えたら良いのだろうか。頭や身体に植物を付けた蛸のような烏賊のような。そんでもって目の数が異様に多かったり少なかったりなかったり。


「ま、まぁ……足止めにはなるようだな」


 その化け物共は流れてくる鮫を触手で巻き取り、どういうわけか昏倒させる。マイナスはそれらを幾らでも呼び出せるようだから、俺が海獣たちに食われる危険は無くなった。


「お代は高くなるぜ?」

「金ならば、後から幾らでも払ってやる」

「わー、凄く色気のねぇ台詞。そんなんだからモテねーんだよ王子様」

「ならば何が正解だ?」

「そりゃあ勿論……」

「お前という奴は……恥を知れ」

「いや、普段歌姫侍らせてた奴にそんな反応されても……」


 一応聞いてやったところ、早速ろくでもない話を歌姫が耳打ちする。俺を笑いものにするかのようににやつく彼女を無視。呆れながらも先を見やれば、ようやく儀式の間が見えてくる。


「くっ……急ぐぞマイナス!」

「おう!」


 海獣が流れてくる、膝まで浸かり始めた水位。それなら海水が吹き出してくる儀式の間は、すでに水没しているということだ。シエロの身を案じ、二人で最高水位の儀式の間へと飛び込んだ。


(くそっ……!)


 流れが速い。俺は咄嗟に歌姫を傍へと抱き寄せる。彼女とはぐれるわけにはいかない。

 マイナス自身、泳ぎはそこまで得意ではないようだが、例の変な化け物を召喚し俺共々触手で掴ませる。他の触手をそれぞれ一本ずつ口に近づけるよう彼女が俺に手で示す。

 疑いながらも従うと、そこから空気が吐き出され、呼吸が出来るようになる。なんて便利な!!水の流れに逆らい深く深く沈んでいく。その内に縛られたシエロの姿が見えてきた。


(シエロ……)


 何分前から息が止まった?考えるだけでも恐ろしい。それでも瞼を伏せている彼女は、まるで眠っているようだ。


(なんと……美しい)


 アクアリウスはその光景に、目を奪われた。口から零れた言葉には、取り繕う事も出来ない。

 眠っているのはシエロだけではない。すぐ傍にシャロンの姿もある。大岩に鎖で繋がれた生け贄。その鎖に絡まるように抱き付いている至高の歌姫。この世の物とは思えぬその、二人の娘の美しさ。海神の娘が二人、深海で添い寝をしているようだ。

 この二人を妃にしたいと思った己の判断は間違っては居なかった。それでも……自分では決して手に入れられないような気持ちにもなる。嗚呼、それは間違いではない。だがここまで来て諦められる物か。

 半ば自棄になりながら、触手を吐き出し生け贄の娘にそっと口付ける。息を吹き込むも……シエロは再び目覚めない。


(くっ……)


 どうあっても助からないのか。シャロンはどうだ?

 アクアリウスが視線を横へ動かすと、眠っているはずのシャロンと目が合った。


(な、何!?)


 シャロンは確かに眠っている。……“死んでいる”はずなのに!?


 《ふふふ……》

(し、シャロン……?)

 《別に良いのよ、そのくらい。そのくらいで私は別に怒らない。もう一回やってみたらどう、殿下?今度はもっと……ちゃあんとね。そうすればシエロは起きるかも》


 シャロンは確かに目を閉じている。しかしシャロンがもう一人居る。俺をしっかり睨み付けているのだ。水中であることを忘れさせるようなしっかりした口調で話す彼女は、身体が半分透けている。悪魔化け物の類を見た後だから驚きはしないが、このシャロンは本当に人間ではない。両足はなく、魚の尾びれ。この水妖めいた姿が、彼女の魂なのだろう。

 彼女は両手で大事そうに、小さな小瓶を抱えている。その中には目映く青く光る、光の玉があった。それを彼女はうっとりした瞳で見つめ、硝子瓶を愛おしげに頬摺りさえして見せる。

 シャロンのあの目、あの態度。ならばそれが何なのか……誰にだって解る。俺が何度口付けようと、フルトブラントは目覚めない。あの瓶の中身を解放したって同じ事。


 《私知ってるのよ殿下。貴方は私が欲しかったんじゃない。シエロを屈服させたかっただけ。恨まれることで自分があの人の心の中に入りたかったの》

 「な、何をばかなことをっ、がはっ!!」

 「馬鹿殿下、あんまそれから口離すと溺死すっぞー」


 俺に落ち着けと、マイナスが注意してくる。だが、そんな彼女も狼狽えてはいる。シャロンの得体の知れなさを、こうして目にしているのだから。


 《違うって言えるの?貴方が本当に、この姿の……女のシエロが好きだって言うんなら、この本は幾らだってお伽話を真似られるでしょうね?出来ないのはどうして?抵抗があるんでしょ?駄目だって思うんでしょ?あの頃の彼を思い出すから。思い出して思い出して……それでも忘れられないから》


 駄目だ駄目だと言い聞かせるほど、意識してしまう。お前は政敵の子をライバル視するあまり、執着していたのだと告げられて、俺は思わず取り乱す。シャロンの言葉に反発するよう、乗せられそれならばと見せつけてやる。しかしそこでようやく気がついた。この亡骸には……舌がない!!シャロンが俺の行為を見逃したのは、この事実を突きつけるため!!

 愕然とする俺を見て笑い、シャロンが俺を罵倒する。


 《可哀想にね!シエロが喋れない、本当の理由も知らないで!知ろうともしないで!!》


 《いつもそう!誰だって!シエロの姿しか見ていない!!この人がどんなに苦しんでいるか!傷ついているか!!それを一から百まで理解できるのは私だけ!!》

 「解ってて痛めつけるとは……シャロン、お前私よりひでぇ鬼畜だな」

 《駄目なのよ。そうしてあげないと、シエロはすぐに……私のことも忘れちゃう》


 傷付けることで相手を支配する。心の底まで入り込む。永遠に癒えない傷を与えることで、永遠に愛される。

 いっそ、殺したいほど愛している。そう口で言うのは容易いが、実際に殺すような人間が、人類の何割存在するだろう?大多数の人間はそうしない。所詮は口だけの愛。信じるに足りない。

 それでもシャロンは殺した。愛するフルトブラントを手に掛けた。殺されたその時、シエロは何を思っただろう。生きている俺達にはきっとわからない。

 こんなにも奪い尽くしたい。足りない、足りないと愛を求め続けるシャロンの思い。その必死さは、いっそ健気なほどだろう。他の女に目移りしていたとしても、そんな彼女に乞われれば、俺とて虜になるだろう。自分という存在をそんなにも求められるのだ。確かにそれは、至上の喜び……なのかもしれない。


 《シエロも、やっと解ってくれたの。ふふふ》


 嬉しそうにシャロンが口付けをするその小瓶。中に収められている光こそ、シエロ=フルトブラントの魂なのだ。その瓶のふたは開いている。それでも魂は逃げようとしない。自らの意思でそこに収められている。


(だが、こんな歪んでいるものが……真実の、……永遠の愛だと言うのか?)


 やはり、納得は出来ない。俺が生涯のライバルと追いかけた相手が、傍に置き従えようとしたあの娘が、こんな歪んだ女によって奪われてしまうなどどうして理解できるだろう。俺の全てだった相手が、空に来て一年そこらに過ぎない歌姫に、文字通り何もかも奪い去られてしまった。


 「海神よ!腹立たしいことだがシエロは貴様の思惑通り、生け贄となった!それでもまだ我らを、俺の国を許さぬと言うのは何故だ!!」

 《無駄よ、お父様怒ると全部終わるまで怒りは解けないわ。怒りを悲しみが上回るならそうね、あの時のように何とかなったかもしれないけど、二度も私をこの国に殺されたんだもの。お父様にはもう誰の言葉も届かない。そんな宝石無意味だわ》

 「くっ……」


 もはや為す術なしか。苦々しく俯く俺の傍、マイナスが義妹に向かって怒鳴り散らした。


 「おいシャロン!!お前は人魚になりたかったんじゃねーのか?」

 《なぁに、姉様?》

 「空に来たばかりのお前は、とにかく必死だった。馬鹿丸出しだと思ったぜ。養女とは言え汚れ仕事も二つ返事で引き受けた。何も知らずに空に来た馬鹿娘共は、あの仕事を告げられたらもっと嫌がる!泣き喚く!家に帰りたいってな」

 《……》

 「仕事の一発目から、シエロを射止めたお前は確かに運が良い。下層街の家だって、無傷の娘を最初から下層街に送り込んだりしねぇ。物好きを引っかけるため、そりゃ良い家柄から攻めていく。それでも断られ続けて、どんどんろくでもねーところに回されるんだ。この殿下がドリスと最初に知り合ったのも、そういう縁なんだろうよ」

 《何が……言いたいの?》

 「あの頃のお前は、シエロに振られたってどこに送り込まれたって、どんな手を使ってでも人魚になる!そんなクソ生意気な目をしてた!それが今は何だ!!」


 最初は涼しげな顔で話を聞いていたシャロン……その表情が次第に強張っていく。それでもすぐに彼女は謎の余裕を取り戻し、此方を見下した。


 《……死んだことが無い人間には、私のことは解らない。幸せすぎる頭の、マイナス姉様にはね》

 「はんっ、言わせておけば言いたい放題じゃねぇか小娘!」

 《私は人魚になりたいんじゃ無い。人魚だった私は、人間になりたかった。自分の使命とか役目とか……罪なんて忘れて、ただ愛する人の全てを手に入れたい。そんな些細な願いから……私を引きはがそうとする人間の多さと言ったらないわ》


 魂だけとなった歌姫の言葉が、重く俺へとのし掛かる。俺も王になりたいがために、シャロンを求めた男の一人だ。シャロン自身を見つめ、愛したわけでは無い。見たのは彼女の外見と、実力であり……その心の奥底まで理解しようと思ったことなど一度も無かった。

 きっと誰もがそうだ。自分の中でシャロンを定め、評価して……誰もが彼女を傷付けていた。


 《みんな私を嫌ってる。みんな私を憎んでる。それは贖罪なのかしら?私がどんなに頑張っても、正しき願いのために人魚を目指しても……くっだらない理由で私を殺そうとする大馬鹿者達!人魚が国とか人々のため!?我が子可愛さ!権力のために必死にその座にしがみついて!お父様との対話も疎かにする!!この空は、天国であり地獄よ!!誰も贖罪なんかしやしない!ここは私の煉獄じゃ無い!!私が償う罪なんて、何一つなかったんだわ!!》


 彼女は元々人魚だった。力ある彼女には大きすぎる使命と、数々の困難と敵が与えられた。最初はその使命に従い、最高の歌姫を目指した彼女も……一度殺されて気がついたのだ。

 この国に救う価値など無い。人間達を救う必要も無い。絶望した彼女の最後の希望が、フルトブラント。ただ一人、シャロンを理解しようとし、シャロンの全てを受け入れた。そんな男が、もういない。


 「……本当に、仕方が無いことなのかもしれん」

 「何言ってんだよクソ殿下!」

 「マイナス、考えても見ろ。この国は、大事な次代の王を……失ったのだ」

 「は?」


 俺の気抜けした呟きに、歌姫が目を丸くする。そんな言葉が俺の口から吐き出されるとは思っていなかったのだろう。


 「俺もアルセイドの変態も、王の器には無い。ようやく……それが解った」

 「王の居ない国は、滅んで当然だって?」

 「シエロを殺したのはシャロンなのかもしれないが……間接的にはどうだ?下らない対抗心で、国の未来を見据えられず、奴らを何度も妨害した。あまつさえ、呪いで女になったこの男を娶ろうとさえした。シエロを、この国をここまで陥れた理由には……俺や母様の名前も挙がるだろう。シャロンとのことを思えば、マイナス……お前もだ」

 「じゃあ何か?この国と一緒に心中する義務が私らにあるって言いたいのか?あんたそれでもこの国の王子か!?」

 「静かにしてくれ、お前の声は耳に響く」

 「いいや、黙らないね!!文句はいくらでもあるんだよ腐れ殿下!どんないけ好かねぇ相手でも!民は民だろ!敵にどんな説得力があっても敵は敵だろ!あんたはそれを背負わなきゃならねぇ立場の人間じゃねぇのか!?あんたが負けを認めて良いとでも、本当に思ってやがんのか!?」

 「ええ、そう思って頂かなければ困ります」


 マイナスを煽るようなその言葉。激昂した彼女が俺を睨むが、俺は別に悪くない。


 「俺は何も言ってないぞ」

 「それじゃあ誰が……!?シャロンの声でもねぇ」

 「ご機嫌よう、第五領主様の歌姫?私のことをお忘れですか?」

 「し、シャロンの悪魔!」

 「第五領主の残り香を振りまいて、私の契約者の邪魔をされては困ります」


 水中に突如現れた大泡。その泡を突き破り登場した異形の女。頭に角、背中に骨が剥き出しの翼があったり、目や髪の色がおかしいことを除けば、なかなか小綺麗な娘だ。側室くらいになら置いてやっても良い程度には器量もある。


 「何を怖がっているんだマイナス。先程の化け物共に比べたら余程可愛らしいでは無いか」

 「この馬鹿と組むんじゃ無かった。モリア様ごめんなさい。だけどこの馬鹿と本当に組むんじゃ無かった」

 「な、何だそれは」

 「腐れ殿下、あんたの思い通り……私も諦めたって言ってやったんだよ」

 「どういうことだ?」

 「あの女が出てきたら、もう本当にどうにもならない。お終いだ。お終いじゃ無くてもお終いになっちまう」

 「え?」


 *


 夢幻の魔女

 「物わかりの良い方は嫌いではありませんわ。それではどうぞお二人、よい夢を」


 *


 「ふん……アムニシアが味方するとはな」


 イストリアはページの向こうを透かし見て、同僚の動きを悟る。純粋にシャロンの味方……という意味だけでは無いだろう。


(あの女……持久戦に持ち込む気だな)


 それでは此方の分が悪い。


 「ベルタ!」

 「……」

 「歌姫?」

 「あ、はい!如何なさいましたかイストリア様?」


 私にしては、歯の浮くような台詞を言ってやっている。励ましてもいるつもりだ。しかし相手の反応はあまり良くない。

 此方の呼びかけに遅れて応じる女。これは多くの名前を併せ持ち、多くの人生、人格……感情が混在する女だ。思い通りの世界を壊されたことで、己の名への自信が揺らいでいるのかもしれない。だからこそ私はその名で彼女を呼んでやる。


 「いいか、ベルタ。アムニシアはあの通り契約者の意思を尊重し、今の結果を覆さない。この本の結末は、全てお前の手に委ねられたも同然だ」

 「はい」

 「だが、あまりに無理な話はあの八番目の悪魔の妨害によって打ち壊される。お前の力では奴らに干渉されぬ舞台は作り上げられない。だが逆に言えば、奴らをあそこに閉じ込めることが成功したということ。ここならば邪魔は入らない。今あるこの世界でお前は何を望む?どういう結末を……描こうと考えるのだ?」

 「イストリア様。どうして歌姫ドリスは、シャロンさんを……いえ、歌姫シレナを殺したのでしょうか」

 「今となっては解らないか?永きを生きるお前では、小娘同士の優越感も劣等感も過ぎたことだろう。では思い出してみろ。あの二人が幼い頃、お前はカロンではなくシャロンがウンディーネだと思っていたのだな」

 「……はい」

 「ドリスはそれを覚えていなかった。ドリスが運命の相手と……ウンディーネと思ったのはカロンの方だ。その優先順位が決まった後に、ドリスはシャロンと出会った。その時彼女は何を思っただろう?既にフルトブラントという恋人のいる、歌姫シャロンを目にしたお前は」

 「理由は分かりませんが、とても不快な気持ちを。一目見たときから、大嫌いでした」

 「当然ドリスとしては、劣等感さ。惨めな自分の境遇と、幸運すぎる歌姫への憎しみ。だが、ベルタ。お前はそうじゃない。自分の愛した人が憎い恋敵の手の中にある。今のシャロンと同じさ」


 幾ら憎い相手だからと言って、あそこまでやらかしたのは何故?狂人の犯行と思わせたい?それにしたってそこまでやるか?腹を割き、子宮を取り出し燃やしてしまうなんて。

 しかし、似たようなことがなかったか?シャロンはシエロに何をした?


 「二度と愛し合えないように傷付けて、自分だけの物にしてやりたかった。そうだろう?」


 シャロンは自分が愛されていなかったと言っているようだが、皮肉なことに愛されていたのだ、ある意味で。その殆どが屈折し歪んでいたのはまぁ事実。


 「お前がそうまでして求めた相手は、死んでもあの男に現を抜かしている。気分はどうだ?しかもあれは、お前のウンディーネではない。お前のウンディーネは、これからここに来る少年だ」

 「軸はもう壊した。だけど、ウンディーネの心は……どうあっても私の物にはならない。それなら……私は、私なりにこの本を終わらせなければなりませんね」


 幸せな結末になどなれない。それはわかりきったことだったのかもしれない。そんな風に彼女は言った。


 「例え夢現に侵されようと、この物語は推理小説。手順を間違わなければ、私の第七魔力は増していく。例えあの人が全ての真実を拾ってここまで来たとしても……あの人だった幸せにはなれない。その上で今一度、最後に問いかけてみたいと思うのです。全ての真実を知りたいですかとあの人に」

 「……最善の手だ。私の力全てを貸して、お前に尽くそう私の歌姫」


 彼女の答えに頷く私。そんな私を見つめた女は、ほんの少しだけ愉快そうに笑みを浮かべた。


 「クスッ……、貴方らしくないお言葉ですねイストリア様」

 「何を笑う。さぁ、これを持って行け。私の残りの魔力をすべて注いだ触媒だ。お前の策によってお前の第七魔力は更に高まることだろう」


 純白の羽根ペンの、その羽根が私の髪と同じ色に染まって怪しく輝き、ペン先からは赤い血墨が綴られるのを、今か今かと待ち侘びる。彼女はそれを受け取って、私を見る目に今度は僅かの哀れみを覗かせた。


 「これが最善で無いことなど、貴方は知っていらっしゃるのに」

 「無難な策で失敗して見ろ。出し惜しみは好かん。中盤で出し切って、自分を追い詰めでもしなければ、それ以上の結果など絶対手には入らない」

 「それで貴方が苦しまれることになっても?」

 「理不尽な苦しみを悦びと感じる変態は、ただの変態だ。復讐の爪を研ぎ、永きを堪え忍ぶ。風化を知らない心こそ、それは悪魔になり得る。悪徳とは、苦しみの中でしか栄えない。己の痛みで土を耕し、他者の痛みで花を育てる。存在し続けると言うことは、騙り騙られ生き続けると言うことなのだ」

 「だから、貴方は永遠を知っている……?」

 「ああ、その通り」

 「イストリア様……、貴方は凄い方ですのね」

 「ベルタ……?」

 「ありがとうございます、イストリア様。私はあの男のようにはなりません。なれません」


 あの男の呪いはもう気にならないと、ベルタは軽やかに笑う。彼女にその気はないのだろうが、それが私には軽い嘲笑の言葉に聞こえた。


 「だって貴方がた領主様は、誰一人ご自身の願いは叶っていない。悪魔になると言うことは、悪魔であるということは……きっと、そういうこと」

 「私の願いが……叶っていない、だと?」

 「カロン君でもシャロンさんでも……フルトブラントでもない。この世界の誰でもなく、貴方がどうして私と契約してくださったのか、解ったような気がします」

 「お前は……何をっ!?お前の言うことが、私には解らないっ!!」

 「だけど私は、貴方の抱える永遠と、同じ物を抱えられない」


 彼女が私を拒絶するよう、私を取り囲んだ透明な光の壁。第七魔力でぶち破ろうとも破れない!

 破っても破っても、それが裏返されて無かったことにされてしまう。


(これは、第三魔力!)


 ベルタはアムニシアとも契約していた。だからと言って、こんなことがあるものか!!


 「ベルタ!!お前まで、この私を裏切るというのか!?」

 「あくまでここは推理小説。その壁も、貴方が私の与えた謎に答えられたらきちんと消えます」

 「貴様っ!」

 「第七領主、イストリア。貴方は誰?貴方は何を願って悪魔になったのですか?」

 「ベルタ、こんなことをして何になる?お前は私を傍に置かなければ、幸福変動すら危ういのだぞ!?些細なことが命取りになる!!」

 「本当に私の身を案じてくださるのなら、貴方はその謎を解き明かせるはず。すぐに私の傍に戻って来て下さるはず。それが出来ないと言うことは……あなたは、それを知りたくないのよ。そして、本心から私を助けたいわけじゃない」


 ドリスの頃の愚かさも、幼さも……冷静になった彼女は忘れた風に、この私を陥れた。

 信頼は、捧げた魔力でも犠牲でも買えない。結果なのだ、こいつにとって!!


 「貴方は、私の答えを知ったらそれを裏切りと言うでしょう。そして私を始末するわ。だから、こうするしか無いの。孤独なのは貴方だけじゃ無い。私も同じよ。だから貴方は、私を選んだの」

 「……っ、物語の軸にもなれぬっ、小娘が!!」


 辛うじて残った魔力一杯殴りつけた、それでも壁には傷一つ残せない。例え魔が入り込んでも、この世界は推理小説。それが、私の定めた絶対的な掟だ。


 「小娘は、貴方の方じゃない。こんな壁一つ壊せない。姿だけ男になっても、貴方はどこまでも可愛く無力な小娘よ、偉大な偉大な第七領主様」


 *


 永遠と遊ぶ娘

 「願いを持って、祈りを持ってあなた方は悪魔になった。

  だけどそれは、願いが叶わない永遠。

  貴方達の永遠は、永遠の牢獄。私は嫌だわ、そんなの嫌だわ絶対に!」


 *


 吹き上がる海水から逃れようと逃れようと、人々が逃げ込む先に神殿がある。我先にと人波を掻き分ける人々が、不思議と神殿に入れば大人しくなる。カロンはそれを不思議に思う。先に中へ入った人間が、騒ぐ様子が外まで全く聞こえないのは妙ではないかと。


(な、何だこれ!?)


 石造りの神殿の内装は、外からは想像も出来ないようなものだった。壁の両側は海水に包まれ、まるで深海を思わせる青色の世界。その至る所に泡があり、その中に人が居る。先に避難した者達だ。彼らは眠って夢を見ている?それならあれは、シャロンが契約した悪魔の仕業?後から神殿に入ってきた者も、次々睡魔に襲われ床へと倒れる。そうすることで彼らの周りに膜が出来、ああして泡に囚われるのだと解った。

 自身眠くならないのは、これを行っている者が意図的に操作しているからだとカロンは思う。海神以外の力がここに働いていることは、まず間違いない。事情が変わったか、シャロンの我が儘だろう。終末を前に罪を咎められるシエロ……それが悪魔の定めた脚本で、シャロンの思惑とはまた違う。だから邪魔な者達を、アムニシアはこうして黙らせた?

 自分を守ってくれる悪魔はもういない。ここには本当に自分一人きり。エングリマもエペンヴァも、エフィアルもアルバもいない。自分に何が出来るだろう。きっと何も出来ない。出来ることは、歌うことだけ。それは無意味と諦めて、だまって海に沈んで死ぬか?嗚呼、俺は黙っては居られない。

 カロンは通り過ぎる通路の中で、見知った顔を幾つも見かける。裁判で見かけた王妃様、それにフルトブラント夫妻、オボロスの姿さえ。


 「おい、オボロス!」


 このまま放って置いて大丈夫なのだろうか?命に危険は無いのか?その泡を割ろうと手を伸ばせば……耳に響くは後悔だ。


 《俺は、とんでもないことをしちまった。お嬢さん……俺は、結局何も出来やしなかった!貴女のために、何一つ!!》


 悲しみの中、彼の眠りは深くなる。涙で泡は厚くなり、それは決して破れない。この泡は人の心か。人が心に抱えた悲しみを、悪魔はこうして夢現に映し出している。


 《シエロ……嗚呼、どうしてこんなことに》

 《我がフルトブラント家は……こんなところで終わるわけにはいかないのだ!!》

 《イリオン、あああ、私の可愛い坊や……》


 《嫌だ、嫌だ嫌だ……私がどんな悪いことをしたの?どうして死ななきゃならないの?》

 《怖いよ、怖いよ……死にたくないよ》


 カロンが泡に触れたことで、オボロスが叫んだ。その悲痛な声を聞いた他の泡が、次々騒いで叫び出す。深い深い後悔を、怨みを、呪いの言葉を口にする。

 それを聞いたから、自分の答えが変わるわけではない。それでも胸に幾つも氷の棘を挿し込まれたような思いに駆られる。俺はこれから、何度でも……彼らを見殺しにするんだ。下町だってそう。思いでのある生まれ故郷を見殺しにする。そこまでして選ぶ物に価値はあるのか?俺以外の誰も、きっとそうは思わない。

 だけど誰だって、誰かを犠牲に自分勝手に生きてきたんじゃないのか?そりゃあ犠牲にされた側の人間だっているだろう。そんな奴らだって、他の誰かをきっと何処かで犠牲にしている。そうやって回ってきたのに、最後の最後で誰かだけに責任を押しつけて自分たちだけ生き残りたい?そんなの本当に……勝手じゃないか。俺が、俺達がそういう風に勝手に生きたり死んだりすること、それがどうしていけないんだよ。


 「カロン君は、優しいから」


 柱の陰からのぞいた誰かの後ろ姿。流れるような空色の髪を見て、カロンは急いで追いかける。相手は急いでいるわけでもない。からかうように隠れて違う柱の陰から姿を現す。


 「シエロ!?」


 遊んでいる場合かと怒鳴りたい気持ちを抑えて、問いかける。無事で良かった、その一言を抱き締めて伝えることもさせてくれないのは何故なのだと。

 それすら相手は答えずに、自分の言葉ばかりを此方に伝える。聞く耳を持たないというわけではないだろうが、どうにも余裕がないように思われた。


 「本当にそういう風に出来る人は、そんな風に思ったり悩んだりしない。カロン君がそうやって自分に言い訳するのはね……そうしないとそういう風に出来ないから。強がって、本当の気持ちを君は隠している」


 その声は、その姿は出会った時の物。今となっては夢のよう。男の姿と声でシエロが語る。


 「俺は、何も隠したりしてない!どうしてそんなこと、言うんだシエロ!!」

 「君は見捨てられないよ。君にはシャロンは殺せない。あんな約束したってね……君は僕を殺せない」


 そこで初めてシエロが止まった。足を止めて振り返る、その笑顔はいつになく優しい笑みだ。愛情と言うより、慈しみめいた視線でカロンを見つめている。


 「だってカロン君、そういうところ甘いじゃない」


 どうせ出来ないんだって、心の何処かで思っていた。非情になりきれないその甘さが、優しさが……好ましい。そんな風に感じていたのだと伝えられるも、どうしてか……嬉しくないのは。


 「ば、馬鹿にするなよ!俺だって出来る!!」

 「ううん、出来ない」

 「出来るっ!」

 「僕はカロン君の、そういうところが好きだったよ」

 「シ……エロ?」


 たった一言。それでもその言葉の意味を知る。何を言われているのかわからない、わかりたくない。それでも全てをカロンは悟ってしまった。これは過去となった、話なのだと。


 「ごめんね、色んな約束……果たせない」

 「シエロっ、どうしてお前……声がっ!!これ、夢なんだろ!?だからなんだろ!?おい、シエロっ……!!」


 喋れないはずのシエロが話せているのだ。これは悪魔の領域での話。本当ではなく嘘か夢。アムニシアがシャロンの差し金で、俺に嫌な夢を見せている!それを裏返して現実に使用としているだけなんだ!!そう、強く自分に言い聞かせる内気が付いた。これではさっき、シエロに言われたことそのものじゃないか。


 「君は僕を何度も救ってくれた。本当に感謝してる。カロン君と居ると楽しくて、こんな僕でも幸せになっていいんじゃないか。救われた気がしたよ」

 「シエロ……っ、俺は!!」

 「だけど、僕は救われる必要なんかなかったんだ。僕が救われるんじゃない。僕が、シャロンを救わなきゃいけなかったのに……」

 「どうして、俺じゃ……駄目なんだ!?俺が男だからか!?口が悪いからか!?素直じゃないからか!?お前を……助けられなかったからかっ!?なぁ、シエロっ!?」

 「……シャロンは、毒みたいだ。痛くて、辛くて、苦しくて……だけど、強く激しく鮮烈だ。駄目なんだ、どうしても彼女を忘れられない」


 シエロにどんな心変わりがあったのか。それは俺ではなくシャロンを選ぶという言葉。溢れてきた涙を拭うため目を伏せた後、顔を上げればシエロが見えない。


 「僕はやっと……僕が何者かを理解した。だからごめんね、カロン君」


 微かに聞こえた声の方……追いかければ本が落ちている。逃げ込んだ誰かが落とした物か?カロンが手に取り背表紙を見ると、そこには『海神の娘』というタイトルが刻まれていた。


 「この本……」



 *


 海神の娘

 「貴方の傍に居たい。ずっと隣に置いて欲しい。

 だけど私を知れば貴方は気味悪がって、私を遠ざけやしないかしら。

 貴方に嫌われるくらいなら、その前に貴方を殺してしまいたい。あの冷たい海の底で、魂だけになった貴方を……私が永遠に抱き締めていてあげる。

 でも私は貴方を殺せない。例え貴方が過ちを犯す日が来ても……きっと貴方を殺せない。貴方が裏切る所なんてみたくない。そうよ、私が邪魔ならば……その前に貴方が殺してくれれば良いのに。」


 *


 かつて一人の水妖と、人間の男が恋に落ちた。けれど海神の呪いの前に、二人が結ばれることは無かった。それというのも、全ては海神の呪いの所為。呪いによって姿を変えた海神の娘は……決して幸せにはなれなかったから。


 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」


 小さな娘が泣いている。長く綺麗な金髪の、愛らしいその娘。謝り続けるその娘に、優しい騎士が笑って答える。


 「ウンディーネ、僕は気にしていないから」


 二人は昨日結婚したばかり。にもかかわらず、娘が同衾を拒んだのだ。

 まったく気にせずへらへら笑うその男前に、娘の方が居たたまれない。こんなことが続けば娘の招待を怪しむ者も出てくる。第一身分あるその男には、絶対に子供が必要だ。それが家のためなのだから。けれど男は向えを断り、娘と寂れた屋敷に暮らし続ける。王になることを拒んで、国が廃れていくのも気にせず。

 それでもやがて、二人の歪つな幸せは、穏やかにゆっくり終わりを告げる。契りを結ばぬままの彼女は完全には人にはなれず、多くは水妖のまま。けれど結婚により魂を持った水妖になる。男は人間として彼女より短い生涯を終える日が来た。


 「貴方に嫌われるのが怖かった!お側において貰えなくなるのが怖かったんです!」


 男の今際の際に、娘はひた隠しにしてきた真実を打ち明ける。


 「呪いで男になった私なんて、貴方は嫌いになってしまう。だから私……裏切った貴方を海の掟で殺すくらいなら!私が貴方に殺されたかった!!妻の勤めも果たさぬ私をどうして貴方は今まで生かして傍に置いてくれたのですか!?」

 「……知っていたから」

 「え?」

 「君に何かあったんだってことくらい、すぐにわかった。でも……君から打ち明けてくれるのを、ずっと僕は待っていたんだ。無理矢理君を傷付けるようなことはしたくなかったから」

 「愛して……くださったというのですか!?呪いでこんな醜い姿になった私さえ!!貴方は、愛してくれたと!?」

 「……何も、変わりはしないよウンディーネ」

 「嘘よ!!そんなわけが……!!」

 「あの海の底で出会った日から変わらない。君は変わらず可憐で美しい……僕の、大好きな……君のままだよ」

 「私……貴方が好きっ、貴方を愛しています!!本当に、心の底から永遠に!!生まれ変わった貴方が例え男性ではなく女性でも、いいえ人間ですらなくても!!どんな姿の貴方でも、私は愛し続けます!」


 *


 死ねない楽師

 「『海神の娘』はこうして、愛しい人が生まれ変わるのを待ち続けました。今度こそ、二人で愛し合い、幸せになるために……はい、今日のお歌とお話はお終い……なんてね」


 *


 賑やかな街の一角。子供を集めて歌い物語る楽師が一人。

 お話もっと!お話もっと!騒ぐ子供を優しくあしらうその楽師の下に、最後まで残った二人の子供。彼と彼女は、余程話に夢中になったのか、そっくりな顔を互いに歪ませ泣いていた。楽師は二人に涙の理由を尋ねた。すると双子の兄は言う。


 「ウンディーネはどうなったの、お姉さん!!」

 「そうね、それは次に歌うときに教えてあげますよ」

 「幸せになれたの?」

 「……さぁ、どうかしら?」


 女が曖昧に笑ったところで、妹の方が別のことを聞いてくる。


 「騎士様の名前は……何て言うのお姉さん!」

 「あら、どうしてそんなことを?」


 物語の王子様に、名前なんか必要ない。大衆は同化できる、憧れる相手としてのヒロインを、偶像を求めるのだ。理想の相手を固定化する情報など欲しくない。王子様は曖昧な存在であり、それは彼女たちが想像で補い、完成させる物である。それでもその少女は、真実と情報を欲しがった。そう、まだ幼い少女がそんなことを聞くのは稀である。


(こんなこと、一度も無かったわ)


 まだボロボロ泣いている兄と、泣き止み強い視線で此方を見つめる妹。……この妹が、まさか?


(この子が一人になった時……あの歌を教えてみよう。それではっきりするわ)


 それはあの人から聞いた歌。もはや滅んだ言語の歌だ。だけどその歌は、海神にも理解できる言葉。この子が本物なら、歌は届く。歌詞通り、津波が起きる。あの子に歌を教えた後、私は一度空へと帰った。


 「陛下!下町へ降りる許可をどうしてくださらないのですか!?」

 「随分下町が気に入ったようだな、ベル。ようやく帰ったと思えばまたすぐに下に行きたがる……向こうで男でも出来たか?」

 「先日大きな津波があったと聞きました。様子を見に行きたいのです」

 「下町で何を言う。人魚を従えながら、こんなに大きな被害を出した!!無能な王を語りに行くか!?」


 *


 時殺しの魔女

 「悲しみに暮れたウンディーネは、偽りの物語の王子様に恋をしました。その魂が欠け落ちて生まれたウンディーネは、魂に刻んだ偽りの物語を記憶として、永遠と遊ぶ娘に聞かせたのです。偶然か必然か……同じ時代に再び生まれた二人のウンディーネ。物語より生まれた王子様が選んだのは……さて、どちらのウンディーネ?」


 *


 海神の娘が騎士を最後に殺める『波の娘』……それとは違う筋書きの物語。

『海神の娘』には一切の裏切りはない。命尽きるまで、海神の娘を愛し続けた騎士の物語。その物語はどこから生まれた?

 シエロは、愛された物語の王子様。その物語を誰より愛したのは生前のウンディーネ。現実を否定し、伝えられた物語を否定し作り上げた。その記憶の一部を持っていた、転生した少年……ウンディーネ。彼がベルタに口伝したのがその物語。

 シャロンの愛によって生み出された魂が、シャロンを拒めるわけがない。誰より彼を愛しているのは、確かに彼女なのだから。

 そうして捨てられたもう一人のウンディーネ。彼がここへ来る頃には、何もかもが終わっている。彼は思い出したのだろう。いや、忘れるわけがないか。先程まで……配役同士、仲良く暮らしていたのだからね。私が誰かだなんて、もうわかりきったことだろう。


 「懐かしいわ。その話をする度に貴方達二人は大泣きしていたものだった。そうよねカロン君?」

 「……ドリス」


 儀式の間の前に生じた壁、その前で彼が私を待っていた。


 「昔のようにお姉さんとは呼んでくれないの?それとも……あの頃のように、先程までのように……優しい声で、ベルタとは」


 神殿の一番奥。すっかり海水に包まれた儀式の間まで現れた彼、丸腰で……携えているのはたった一冊の本だけ。

 それでも彼はその身体の内に、答えを持ってここに来た。私の正体についてもそう。私が答えを言う前に、壁が一枚掻き消えて、祭壇までの道が現れる。


 「シエロはどこだ」

 「残念だけど……もうどうにもならないわ」


 海水に浸かった儀式の間。その遙か底に、彼の目当ての人物が縛られて沈んでいる。その隣で自分も鎖に縛られ抱き付いて……幸せそうに眠っている歌姫の姿もある。でもそんなことは思っても見なかっただろう少年は、あの日のようにボロボロ涙を流して叫ぶ。


 「シエロ……っ、シャロンっ!!どうして……っ!!」


 殺し合うつもりで来た相手がもう居ない。勝ち逃げをした。何度でもやり直せる力があるのに、それを放棄して……愛しい人を攫っていったのだ。


 「魂が悪魔に回収される前に、最後の言葉は伝えに行かせてあげたわ、私の力で」

 「お前にとって、都合の良いことを言わせたんだろ!?」

 「そんなことして、何になるの?」


 彼は分かっている。シャロンが本当に死んだ今、私に跪くしかないのだと。そうでなければ……今見えていることが、現実となってしまうのだから。


 「貴方の大事な人は、シャロンの隠し持った毒で無理矢理心中させられた。夢と現を裏返せる力を与えられながら、それを放棄した。その覚悟を伝えての殺意が、彼の心を打ったのよ。殺す殺すと言いながら、結局誰一人殺せなかったカロン君……?貴方ではなくて、フルトブラントは咎人シャロンを選んだの」


 フルトブラントは、あの娘を救うために生まれた存在。髪の毛一本、爪一枚だって他の誰かのものにはなれない。全てが全て、彼はシャロンのためにある。


 「……ウンディーネ。貴女は昔から変わらない。決して手に入らない物を追いかけてばかり」

 「……それは、お前も同じじゃないか」

 「ええ、そうね。でもそれも今日でお終い。私の言っていることがわかるわよね、ウンディーネ?」


 他人の恋物語に焦がれて勝手に恋をした傍観者。それは貴方も私も同じ事。

 だけど私達には決定的な違いがあった。


 「……」

 「悪魔の加護も失った貴方には、もうどうすることも出来ない。津波から下町を守るために、愛しい人の死をなかったことにするためには、貴方は幸せにならなければならないわ!この私と!!」


 シエロの死をなかったことにするには、そうするしかない。心優しいウンディーネ。貴女ならそうするはずよ。愛しい人の幸せを願って身を引きなさい。そして私と……


 「嫌だ」

 「カロン君!?」

 「お前が本当に万能の脚本能力を得たならば、俺を説き伏せる必要なんて無い。さっきみたいに、やりたいようにすればいいだけじゃないか。お前に本当に津波が、海神が止められるのか?シエロの死を無かったことに出来るのか?いいや、出来ない!出来るんなら先にやってみろよ」

 「話にならないわ」

 「いいや、なるね。そうしたあとに俺が掌を返したなら、お前の力でまた俺を言いなりにして見せろ」

 「そんな要求、飲むと思う?」

 「思わないな」

 「それじゃあこの会話にまるで意味なんかないわ」

 「ああ、そうなるな」

 「では、どうして?」

 「なぁドリス……なぁ、ベルタ。お前は俺をこの本の、この世界の主人公か何かだと勘違いしていないか?」

 「何を……、言っているの?」

 「悪魔に操られて分かったよ。俺に意味なんてない。俺も一つの配役に過ぎない。俺に何かが出来るとは思わない。だから俺は……俺の思ったとおりにする」


 そう言い残して、彼は海水へと飛び込んだ。荒くなっていく水の流れにも恐れず、身を躍らせて……


 「ウンディーネっ!!」


 海に帰っても、貴女はもう水妖じゃない。魂が消えることはない。それでも貴方は人間なのに!!やり直しなんて、絶対にない。あったとしても、それはもう貴方じゃない!その先に貴方が救われる道なんてないのよ?なのにどうして、死ぬのがそんなに怖く無いの?


 「カロン君っ!」


 慌てて追いかけようとした、足が竦んで動かない。私は何度だって死んだのに、死にたかったのに、どうしてなの?


(私の何がいけないの!?私じゃどうして駄目なの……ウンディーネ!!)


 水中に築いたいくつもの壁。イストリア様の脚本を、逆手に取った私の策だ。潜った彼の動きも止まる。シャロンの魂を好きにさせているのもこのためであり、彼女の悪魔の力を私が利用してやる!


 「逃がさないわウンディーネ!私と、願いを叶えましょう?」

ベルタに裏切られたイストリア。

願いのために最後の戦いを望む時殺しの魔女。


海神の娘達と、物語の結末は……もう少しでお終いです。

殿下はエピローグでマイナスに助けられたことが解って、この二人がどうのこうのなってても良いなと思ったんだけど……やっぱりそうはならなかった。

マイナスは第五領主に惚れ込んでしまい、殿下はシエロコンプレックスから立ち直れない。


シエロが野郎共からフラグ立ってるのは、ウンディーネの血が濃く出ているため、人魚の末裔であるアルバやナルキス、殿下からは色んな形の好意を持たれ、

先祖の騎士にも似た外見色をしていることから、カロンとシャロンにロックオンされた。マイナスからの好意は前世とか先祖関係なくて、作中で明かしたとおりの理由。


契約者達のために危険な目に遭った悪魔達。イストリアだけは今までそうじゃなかったし、一度ドリスを死なせている。この辺の対比も残りしっかり書いて行きたいな。他の作品に繋がっていく、1つのエピソードとして大事に残りを書いて行きます。行きたいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ