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49:海罪の歌姫

 境界の悪魔

  「いやはや、人の執念という物は恐ろしいね。

  我々の内、元は人間だった同僚が何人あるか……。

  あの双子は元々神だ。それ以外はどうだったかねぇ?

  そうだな。否定は出来まい。

  人のその執念こそが、時に魔王を産むのだと。」


 *


 「嘘……」


 歌姫ドリスの傍で、イストリアはその衝撃に……唯々打ち震えていた。

 あのエフィアルが、女悪魔になるなんて。私とあいつが出会ってからの何億だか何兆だかその辺りの長い年数、あいつは一度だって女型の悪魔になったことはない。本人が元々……人間の男であることを暴露したように、あいつは魂の一片一つ残らず、その本質は男だ。自らが男であることを否定できない、小さな器の男だった。そんな第一領主が今、女悪魔になっている。


(嘘だ、そんなことは……絶対に、あり得ない!!)


 こんなあり得ないこと、引き起こしたのがあの小さな少年だというのか?一世紀も生きられないちっぽけな存在が、私たち悪魔が一度として為し得なかったことをやり遂げた。あの男を説得した?違う……あいつを感化させたんだ。


(何、これ……なんなの、この感覚は)


 私は“これ”を知っている。前にも感じたことがある恐怖。脚本が私の手を離れていく恐怖。私は知っている。あの腐れファックな世界の、二人の王子を前に感じた恐怖。この私が、何者かの掌の上で踊らされているような居心地の悪さ。それを忘れたくて、私はこの本を書いたのに……!!題材からして絶対に、幸せになれない二人を幸せから一気に引き裂くためにっ!!

 本の中にありながら……全知全能、何でもありのイストリア様の思い通りに動かない配役共め。お前達の人生なんて何の意味も無い。本が完成されればお前達なんて、何の意味も無くなる。唯の配役よ。誰かに演じられるだけの肩書きになる。

 外側の者が一人入り込んでみろ。一冊の物語が、一度の上演が終わるまで人間一人が入れ替わる。行動台詞はそのままで、別の役者がそれを演じる。例えばそう……歌姫カロン、お前を他の誰かが演じたならば、お前が愛したその男も……その顔で、その身体で……その美しい声のままお前ではない別の誰かに愛を囁き、囁かれる道具になるのだ。お前だってそう。もしあのフルトブラントに……


 「……そうか、その手があったか」

 「い、イストリア様?」

 「そう狼狽えるな歌姫。……アムニシアだけではない。何でもありは私の専売特許。ここは私の本なのだから」


 エフィアルなんぞが折れたところで、私の定めた道筋は変わらない。愛し合う二人の心も魂までも無残に傷つけ打ち壊し、引き裂いてやる。


 *


 夢現の魔女

  「きぃやぁあああああああああああああああ!!!!!

   お兄様可愛いお兄様可愛いお兄様可愛いぃいいいいいいいい!!!

   結婚、結婚っ!!これは結婚するしかないですよね!?ありませんよね!?」


 *


(エペンヴァの腐れ悪魔!!あの野郎、俺に嘘を吐いていやがった)


 契約しているのはアルバとシエロ。俺に従う義理はないのは事実だがと、カロンは姿を消した悪魔相手に、憎々しく奥歯を噛んだ。

 最初の移動結界でナルキスを城に飛ばすことが出来ていたんじゃないか。いや、アムニシアとシャロンに気付かれないようにわざと嘘を吐いた?その可能性もあるが、真偽は定かではない。何はどうあれ、それが有利な方向に働いたことを今は喜ぶべきか。そう思うのに、カロンがしたことは……怒りが過ぎればそれは驚愕。


 「俺の悪魔……?ま……まさか、あれエフィアルなのか!?全然違うじゃないか。髪の色だって」


 ナルキスの回答に、カロンは狼狽え戸惑うばかり。そんな此方の様子に相手も軽く驚き、瞬いた。


 「何だ?あれはお前の協力者だろう。知らないのか?俺が城に着いた時に、黒髪の悪魔が居たのだ。それがあの変態悪魔の思惑では無いのなら、あの悪魔の力だろう。あいつにはそんな力は無いからな」

 「あいつ……?」


 ナルキスは言葉を濁して考え込むが、それは確実にエフィアルの力だ。夢に侵食されたこの世界では、エフィアルの悪夢の力も増す。夢を渡らせ人を狙った場所に導くことも叶うのか。


(でも、それって……)


 エフィアルはイストリアの定めたルールに背いてはいないか?それを夢の中の出来事にすることで掟の追跡をかわした?一番無能な悪魔だと思っていただけに、今は逆に不安なくらいに心強い。


 「そりゃあ……大人悪魔は性別変えるの簡単だって、聞いたけど」


 相手は悪魔。外見を変えることくらい問題は無いだろう。それでナルキスとエコーにとシエロに似た謎の男を演じている。もしかしたら、シエロ達の先祖だっていうフルトブラントに化けているのか?でも、あの……プライドだけは高そうな悪魔がこんな方法で力を貸してくれるだろうか?ちょっと想像が付かない。


(でも、良い案……かも?)


 イストリアもしばらくは呆然として身動きがとれないはず。それにこれはもしかして、アムニシアの無力化を狙ったのだろうか?

 エフィアルがこんなことに協力してくれるとは思わなかった。これでエフィアルがイストリアと上手くいかなかったら、俺エフィアルにも殺されそうだなぁ。そんな未来を予想して、カロンは小さく苦笑い。

 広場では、カロンを信じたエフィアルの名演技が繰り広げられている。カロンとシエロを助ければ、自分の恋も成就するとそう信じ切っているような……魂の入った演技は迫力があり、広場の人間達は彼女が呪いを発動させたナルキスなのだと思い込んで疑わない。なぜならエフィアルの後には黒衣の楽団が続いて現れたのだ。いつものようにその場に沿った音楽を奏でる彼ら……今は緊張感のある旋律をで場を盛り上げる。


 「ナルキス、黒衣貸したのか?」

 「いや?俺もしばらくは連絡が取れていない。そんな状況でもなかったからな」

 「そっか……じゃああれは、エフィアルが自分の力で操ってるのか」


 エフィアルは真剣だ。彼の……彼女の演技を見ていれば解る。彼の信頼に、カロンは胸が打たれるような思いに駆られた。


 「アルセイドの倅!その女が、歌姫エコーだと言うのなら、今までの歌姫エコーは何だっだのだ!?」

 「エコーは極度の男性恐怖症で、とてもじゃないが歌姫なんかになれなかった。しかしうちの名目もある。アルセイド家として歌姫を出さないわけにはいかない。だから妹思いで素晴らしいこの兄が……っ、ぐっ」

 「!!」


 あ、なるほど。やっぱりあれエフィアルだ。演技であっても、シスコンの真似をするのは辛そうだ。精神的にかなり無理が来ていてよろめくエフィアルを、シエロが心配そうに駆け寄り支える。


 「ふっ、心配するなエコー。しかし、そんな不安そうな顔も……俺に似て、可愛……」


 エフィアルがシエロの傍に戻ることで、確率変動の面では安全になった。シエロがあの場で敗北することはない。それならどうするか。シャロンと悪魔共は次の手を打ってくるはず。


 「うふふ、あはははは!あはは!!最高!!最高の茶番だわ!アムニシアの言ってた通り!!私の好みじゃ無いけど、貴方のお兄さんってずいぶんと可愛らしいのね」


 警戒しカロンが広場を見れば、広場のシャロンは腹を抱え笑い泣く。たぶん可愛らしいの後には「発想が」とか「おめでたいその頭が」とかが入っているだろう。


 「さて、私は奇跡の歌姫。ここらで一発!もう一つ、奇跡を一つお見せしましょう。私の身の潔白を証明してくれる証人を」

 「何!?」

 「彼女がエーコだなんてことはあり得ないのは当然として、シエロがエーコだったとしても何ら関係はない。そうですよね、王妃様?貴方が知りたいのは、誰が殿下を、陛下を殺害したのかと言うこと。私の名を騙る者の事件がそれにどう関わっているのかと言うこと」


 王妃に味方するよう、彼女を促すようにシャロンが語る。混乱していた彼女は、アムニシアの領域に落ちたのか、言いくるめられるようすんなりとそれに続いた。


 「そ、そうだ。私が知りたいのはそれだ!証人をここへ招け!!」


 王妃が兵へ命じれば、連れてこられる一人の少年。昨晩は一睡も出来なかったのだろう、疲れた目をして彼は城前広場に招かれた。憔悴しきった少年のその顔を見て、カロンは一瞬息を止めた。


 「オボロス!?」

 「知り合いか?」

 「あ、ああ……あいつは歌姫シレナの使用人で、俺とシャロンの幼なじみだ」

 「そうか……」


 ナルキスは何やら考え込むようあごに手を当て広場を見下ろす。その後に、カロンの方を振り返りどうすると問いかけた。


 「証人の出番が来た。となればそろそろお前も呼ばれるはずだ」

 「……だな」

 「俺がお前を連れていかなければ、ここに他の兵がやって来る。あそこへ行かないにしろ、ここから移動するそぶりは見せる必要はある」

 「俺は……行くよ。あそこにはエフィアルがいる。確率変動の力があればあの場をひっくり返せるはずだ」

 「……お前は、不思議な者だな少年」

 「は?」

 「あの場に赴き、生きて帰れる保証は無い」

 「シエロを見捨てて、そうやって生き延びて何が楽しいんだ?お前達のご先祖様はそれでこんな呪縛を残すほど悩んで生きて死んだんだろう?」

 「ふっ……違いない。そうだな、誰だって……後悔などないよう生きたい。それは確かだ。だがカロン。人はそう簡単に割り切れない。たった一つを選べない。選んだとしても、そのことが引き起こす結果に悩まされる」


 自分は妹であるエコーを守りたい。それでもその結果として友であるシエロに何かあったなら、それは生涯消えない傷になるだろう。エコーを選んだつもりでも、結局悪魔の手からは守れなかった。自分の余生はその不甲斐なさを償うための人生になるだろうとナルキスは言う。


 「ナルキス……何か、おかしいぜ」

 「俺はいつもと何も変わらない。変わらずに美しい」

 「違う、ここには悪魔が居ないのにこんな話をして危ないはずなのに、扉の外の兵士が誰もやって来ない」

 「美しいこの俺の“悪魔”は、なかなかに素晴らしい。そういうことだな」

 「悪魔……?」

 「唯、大食らいなのが美徳であり、玉に瑕」


 扉を開けるナルキスが示す先、視界の先には兵士の姿が一つも無い。城は静まりかえっている。それら全てを悪魔が食らったのだと彼は言う。だけどここは推理小説。そんな大がかりな異常事態を引き起こす魔王は誰も居なかった。だってそうすればルールに触れて、消滅してしまうから。

 それなのにナルキスの悪魔は、まだ消滅していない。それってつまり……どんな魔王より強くて恐ろしい奴だってことじゃないか。カロンは軽い恐怖に青ざめ、協力者を見た。


 「お、お前契約したのか!?一体誰と!?」

 「ふむ、彼の名は第八魔王イペルファギア。司るは静寂、無音……またの名を暴食。本当ならば俺などではなく、シエロに仕えたいだろうが……ある意味で彼と俺は同志のようなものだ。そう思えばなんとも心強い」


 姿も形も無い虚空を示し、ナルキスは笑みかける。


 「カロン、道ならば作った。証拠は全て揃ったか?」


 *


 「お前はオペラ座事件の第一発見者。お前の見たものを全て、嘘偽り無く述ろ」


 兵士に追い立てられるよう連れてこられた広場にて、オボロスは緊張を拭えないまま目を伏せる。それは自分の発言の大きさを理解してのこと。


(俺は……シャロン、どうすれば)


 シャロンが呪いで男になった。それはつまり、あれがカロンだったかシャロンだったか今となっては解らない。自信がなくなったのだ。


(今更……シレナお嬢さんの時計を、送りつけてきたのは)


 その相手が歌姫シレナを演じていた何よりの証拠。そいつが全ての犯人だ。そしてそいつは俺に「助けて」と言った。名前なんか無い。それでも解った。仲違いしたカロンは、俺を縋ったりしない。いいや、そもそも……カロンが俺に助けを求めたことなんか一度も無い。

 俺はお前の力になりたかったし、友達なのに頼ってもらえない自分が不甲斐なくて嫌だった。


(そのカロンが……初めて、頼ることを許した相手)


 それがシエロ、シエロ=フルトブラント。今この場には初めて見る顔が幾らも居るが、あの青髪の少女が奴なのだろう。女になったその男は、以前会った時とは違う。男のままでも綺麗だとは思ったが、今は……それだけじゃない。確かに可愛い。美人だしスタイル抜群……カロンの好きそうな相手だ。

 シャロンとカロンを誑かしそそのかした相手と、これまで憎んで来たけれど。冷静になった頭で彼を見れば、全てが違って見えた。

 シャロンはカロンに罪を押しつけようとしている。その片棒を俺に担がせようとしている。そうまでして彼女が取り戻したいのは……この男。シエロ……フルトブラント。

 シャロンが死んで、その敵討ちのため……協力者を得ようと下町にやって来た彼。彼はその後どういう流れでカロンが好きになったのだろう。解らない。それでも……心変わりは罪なのだろうか?


(俺だって……そうだ、俺だって)


 俺にはシエロを責める資格が無いんだ。それを思い知らされた。シャロンから送りつけられた、お嬢様の時計を見て。俺はシャロンが好きだった。それなのに今は、お嬢様のことばかりを考える。どうしてもっと早く、お嬢様を見てやれなかったのかと、そればかりを考える。


 「俺は……俺には大事な友人が一人、それから……大事な初恋の人が居ました」


 やっと絞り出せた証言の言葉は、そんな風に始まった。自分自身、どういう風にまとめるつもりでそれを語っているのかは解らない。唯、心のままに口を開いている。それだけだ。


 「俺はその……好きだった子の頼みなら何だって叶えたいと思って生きて来たし、一人で強がってばかりで……俺を頼ってくれない友人の、力になりたいと。大切な二人を支えたいと思って生きてきた。そのつもりです。だけど、俺の好きだったシャロンは……歌姫となり、フルトブラントという恋人が出来て……俺の手の届かない、遠い存在になりました」


 俺は俺の知らないうちに、失恋していた。馬鹿みたいだ。他人の物になった女を、そうと知らずに追いかけてこんな空の上まで来て。もっと早くに俺が俺の失恋を知っていたなら、俺は失わずに済んだかもしれない。そんな後悔。俺は空に来てから後悔ばかりをいている。


(嗚呼、そうだ。だからもう……後悔はしたくない)


 嘘を吐いて、初恋の人を守るか?お嬢様を死なせたシャロンのために。

 真実を話して、親友を守るか?初恋の人を犠牲にして。どちらを選んでも俺は後悔する。だから俺は考える。どちらがより、シレナお嬢様のためになるかを考える。唯それだけを願いながら考える。


 「……シャロンが殺されたと言われ、俺も正直ショックで。でもシャロンの恋人だった男は……俺よりずっと、辛かったと思います。そう……俺なんかよりずっと」

 「……!」


 シエロが大きく目を見開いて、俺を見る。自分の元恋人に片思いしていた男から、かばわれるなんて思わなかったのだろう。自分自身、そんなことを言うなんてとオボロスは呆れている。


 「そんな男が、次に側に置いたのはシャロンの兄。俺の親友……カロン=ナイアス。シャロン殺しの犯人を探すためとはいえ、カロンを危険な目に合わせるシエロを俺は許せませんでした。シャロンの身代わりとして側に置いているだけなんだと、そう……思っていたから」


 「俺には、カロンが人殺しを行ったとは思えない。あいつは下町で、何人もの命を救ってきた奴だ。そんなあいつが、人を殺すわけがない!女の振りをして歌うことがどんなに危険か!知った上でカロンはフルトブラントに尽くしたんだ!!あいつは唯、そこにいる奴を、助けたかっただけなんだ!!」

 「それでは……」

 「俺は……俺が見たのは」


 ごめん、シャロン。でも俺はもう、辛いんだ。苦しいんだ。早く楽にさせてくれ。もうどうなっても良いから、俺は真実だけを語ろう。


 「シャロン。シャロン=ナイアード……」


 *


 海神の歌姫

 「うふふ、あはは!なにそれ!馬鹿みたい!!

 シエロだけじゃなくて、あのオボロスが!私のオボロスが、私を裏切るの?

 私のこと、好きだった奴らがみんな……みんな、居なくなるっ!!

 どうしてみんな私を裏切るの?大嫌いっ!お兄ちゃんもシレネちゃんも!

 みんな、みんな大嫌いっっっっ!!!」


 *


 「えっと……」


 見えない悪魔に導かれ……カロンが広場に着く前に、オボロスが犯人の名を口にしていたらしい。静まりかえるその場で、唯一人……シャロンだけが笑い転げている。腹を抱えて泣きながら。その姿から、彼が告げた名をカロンは遅れて理解する。


(オボロス……お前)


 シエロへの憎しみを流してくれたのか。嗚呼、やっぱりお前は良い奴だ。俺、謝りたいよお前に。嗚呼、これからもお前と……仲良くやって行ければ良いのにな。お互い年老いて居ぬまで、酒酌み交わして……もっとたくさん話が出来るように、長い時間を共有できる友達で居たいと思うよ。この本の枠を超えられたなら!


(嗚呼、でも……)


 こんな風に、傷ついた顔をするシャロンを見るのは初めてだ。思えば俺が現実で、シャロンがシャロンとしてと再会したのはこれが初めて?事件以来、姿を偽らず顔を合わせたのに……こんな気持ちになるとは思わなかった。

 これまで俺はシャロンを殺そうと思っていたのに、今はシャロンが……俺の半身を哀れむ気持ちさえ覚える。こいつはシエロに選んでもらえなかった頃の俺。あのとき俺は凄く苦しかったのを覚えている。おまけにこいつは、自分をずっと慕ってくれていたはずの男にまで裏切られた。

 シャロン自身、辛いのだろう。……そんな我が身を哀れむように。紡がれた言葉は人間を、この世界を呪うような慟哭の言葉にも聞こえた。


 「みんな、馬鹿みたい。そんなの、何の意味なんて無いのに」


 何もかも嘲笑うよう、笑うシャロンが見つめるは空の下に広がる広大な海。


 「お父様が求めているのは、こんな茶番じゃ無い。ウンディーネの、私の歌声、私の言葉!さぁ、お父様!歌姫と衣装は揃った!私の声を今こそ貴方に聞かせてあげる!!」


 そう言ってシャロンが歌い始めたのはあの歌だ。舟に乗りながらシャロンがよく歌っていた歌。歌詞はあの頃とは違う。切なげに、それでも変わらぬ愛を込めてシャロンは歌い始める。まずい。カロンがそう思うと同時に、エフィアルの目が険しくなった。


 「くそっ!」


 シャロンをここで殺せば歌を止められる。彼はそう思ったのか。嗚呼、それも当たりだ。だけどほんの僅かに遅かった。人間のやる方法で殺すのでは間に合わない。だから彼は悪魔の力を使ってしまった。シャロンを灼熱の炎で焼き殺そうと魔法を使った。

 それが今度こそ、イストリアの定めたルールに触れてしまい、炎を紡ぐと同時にエフィアルの姿がかき消える。それはつまり……シエロが確率変動の庇護を再び失うと言うこと!!


 「あっはっは!やったー!!欺されたわね!第一公が消えたなら、もうどうにでもなるわ!アムニシアっ!!これからが貴女のショータイムっ!」


 涙をぬぐいながら、シャロンが笑って指を鳴らす。そこでカロンは目を覚ます。


「最近調子はどうなんだ?こっちは貿易で人手不足で忙しいのなんのって」


「なぁ、お前も船乗りなって海の男になんね?結構儲かるぞ?旦那様にお前のこと話したら、俺の友人って事で既に高評価!お前がその気ならいつでも雇ってくれるってよ」


(あれ?)


 ここは何処だろう。瞬いて見る景色は見慣れた場所だ。ここは自分が生まれ育った下町だ。

 俺は舟をこいでいる。後ろにはオボロスが乗っている。

 お前何言ってるんだ。裁判はどうした。そんな言葉も出てこない。自分で自由に喋れないのだ。それを不思議に思うことも、すぐになくなる。夢から覚めた後は、夢のことを次第に忘れていくものだから。これもそういうことなのだ。


「それに、シャロンの仕送りのためにも色々入り用だろ?しかしなぁ……あのシャロンが社交界の仲間入りか」

「お前の嫁にはやらんからな」

「うわっ!出たよシスコンっ!……でも変な決まりだよな。衣食住の食住は他人から支援されてもいいけど“衣”は自分か血縁者で賄えだなんて」

「シャロンの歌なら心配ない……俺がしっかりした服買ってやれればあいつはすぐに人魚になれる」


 あいつは外見も才能も思いも努力も十分だ。足りないのはそう……衣装だけ。

 そうだ。そのためにも頑張らなければ。

 それは確かに自分が思ったこと。そんな気持ちが流れ込んでくる。嘘みたいだ。夢みたいだ。何故か、今は他人のような心。とても遠く感じる気持ち。それが寸分違わず、身の端々まで広がっていく。嗚呼、何か変だ。だけど今は妹がいとおしくて愛おしくて堪らない。


「シャロン……」


 シャロンに会いたい。シャロンに会いたい。いつものように、あの頃のように笑って欲しい。そんな気持ちに支配されそうになりながらも、カロンは思い出す。

 さっきまで見ていたのは夢かもしれない。だけど、それは予知夢だ。これから素晴らしいことが起きる。俺は俺の一生かけても他に見つけられないほど、美しい者をこれから瞳に映すことになる。それはかけがえ無く、大切で……愛おしい誰か。その人の名前はなんだったっけ?もう少しで思い出せそう。


「カロンっ!前っ!」

「前?またお前はそうやって俺をからかってっ……!」

「違う!上だ上っ!」


 嗚呼、この流れ。どうなるか解る。あいつの名前。そうだ、シエロ!!男の……あの頃のシエロに出会える。もうすぐ聞こえるはずの懐かしい彼の声。想像するだけでも泣いてしまいそうだ。


(シエロっ!!)


 上を見た。その時カロンの目に飛び込んできたのは、空では無く……何かを彷彿させるような金色の髪。太陽を背に受けて輝くその髪は、いつかの沈みゆく少女を連想させる。


(……ベルタ?)


 誰、それ。自分の頭に浮かんだ単語に理解が追いつかない。でも今目の前に居る、自分の上に落ちてきた。キスしてしまった相手のことは覚えている。小さい頃に出会った、楽士のお姉さん!!それが何故、どうしてあの人みたいに現れる?ここにいるのは彼であるべきはずなのに。


「ここは舟か。丁度いい。下町の裏通りの三丁目まで運んでくれないか?」



 *


 海神の歌姫

  「貴方が私を選ぶまで。何度だって苦しめてあげる。辱めてあげる。

   そのためなら“彼女”の企みに乗ったって良い。

   泣いて許しを乞いなさい。嘘でも良いわ。本当にしてみせるから。

   だからもう一度、私を見て。私だけを見て。じゃなきゃ、許さない。

   この夢は、それまで永遠に終わらせないわ。」


 *


 何度繰り返しただろう。俺が見たのはシャロンです。そう言った。俺は言ったんだ。言ったのに、あれ?


 「それでは……」


 王妃様がまた同じことを俺に聞く。どういうことだ。


 「えっと、だからシャロ……うっ」


 その言葉を口に出した途端、心臓が握りつぶされたような痛み。それから夢から覚めたように俺は飛び起き、目を開ければまた同じ場所。王妃が、全ての人が俺の答えを待っている。この繰り返しになんら疑問を持つことさえ今度は許されず、俺はそれについて言及する言葉さえ無い。代わりに心に芽生えたのは……じっと俺を見つめるシャロンへの、憐憫めいた愛情だった。


「それは……」


 それはシャロン。その一言が喉まで来ている。だけど、シャロンの縋るような瞳を前に、俺はその一言を吐き出せない。それを言って、お嬢様が生き返るのなら俺は……それを言ったって良い。


(だけど……)


 こんなの何にもならないじゃ無いか。責任、罪のなすりつけ。そのための道具として俺は呼ばれた。カロンもシャロンも犠牲に出来ない。犠牲にするなら、フルトブラント。

 あの二人が大好きな人を、傷つけるなら二人は俺を嫌いになる。俺を絶対に許してくれない。嗚呼、そこまで解っているのにどうして俺は……それ以外の答えを見つけられないんだ。

 膝を突き、泣きながら俺が救いを求めた先は……何も語らぬシエロ=フルトブラントの方だった。彼女は俺の葛藤を理解するよう、優しい瞳で頷いて……微笑み俺へと手を伸ばす。誘うように、促すように。


(嗚呼……)


 これはいけないことだ。解ってる。言っちゃいけない。でも……彼女は。今の言葉だけで満足だと。救われたと俺を見る。同じ女性を愛した者として、感謝の言葉を述べるよう……シャロンを今も、嫌わないでくれて……好きで居てくれてありがとうと奴はとても嬉しそう。

 嗚呼、この男もそうなのだ。俺とおんなじなんだ。こいつは、カロンとシャロンが好きなんだ。俺がお嬢様の方を好きなのと同じで、こいつは今はカロンが好きだけど……俺と同様、シャロンへの気持ちがまだ残っている。完全に捨てきれない。愛しているのに、愛していたのに愛せない、その心苦しさ、罪深さ。僕は君だと言わんばかりに、優しい瞳で俺を見る。


 「俺が見たのは……」


 震える指で、指さした。その先で彼女は涙ながらに頷いた。全部自分が悪いのだと、この世に存在する全ての罪悪……それら全ては自分が生み出した物であると。


 「こいつだ!シエロ=フルトブラント!!俺は自分とこいつの境遇を重ねてっ!大事な二人のためにも庇おうとしたけど駄目だった!やっぱり許せない!!こいつはシャロンのために、シレナお嬢さんを犠牲にしたんだ!」


 一度言ってしまえば簡単だ。後は口から出任せが、ものすごい速さであふれ出す。俺は第一発見者。こいつに罪を着せなければ、怪しまれるのは俺なのだ。

 今更守るべき物なんて何もない。帰る場所もなく、生きる意味もなくすかもしれないのに、俺は俺が罪を犯すことを止められない。何かに踊らされるよう、定められた口上を垂れ流す。

 つじつまが合わない。でも、その時シエロがどこで何をしていたのか。それを証明できる人間がこの場に一人も居ないのだ。そしてフルトブラント憎しという王妃。断罪は免れないだろう。それに、もっともな理由もあるんだ。フルトブラントは男のくせに歌姫を演じたのだから。


 「……」


 フルトブラントが歌う。何の音も聞こえない歌。それでも奴の息は空気を振るわせ、聞こえない旋律を紡ぎ出す。



 「シエロは可愛いわね、本当に。私が殺された後に作られた歌なんか、何の意味も無い。私の歌ならどんな歌でもお父様には届くわ。こうして傍に、私の衣装さえあるのなら!」



 シャロンにはそれが理解出来るのか、透明な歌に言葉を載せていく。



 《 愛したなら許されない 愛す者は逃げられない

 裏切りなど許されない 二人紡ぐ永遠


 戦ぐ風揺れる波 貴方が今泣くのは

 愛する二人が何処かにいたから

 蒼い空碧い海 貴方が嘆いてるのは

 古の過去から 愛が歌ってるから


 私の名はウンディーネ 聞けよ今宵の海風

 私の姿は貴方の 愛した(ひと)ではないけど

 愛しい人と歩けぬ この心が痛むの

 見下ろすこの街並みが 壊れた愛歌うわ


 私が今泣くなら 助けてねお父様

 もう私泣きたくないの 幸せになりたいよ

 貴方が今、全てを 高い波で攫うなら

 二人身を献げよう 海神の柱になりましょう


 私の名はウンディーネ 聞けよ今宵の波風

 海精より今人となり 呪おう私の子らを

 我が名はウンディーネ 海神の歌姫 》




 それはなんて恐ろしい歌。まがまがしい歌詞か。シャロンの唇が震える度に、雨雲が広がっていく。空の上のこの上層街にさえ、届く雲……そんな物があるなんて。そんな物を招くなんて、今目の前に居る歌姫こそが奇跡の歌姫。シャロン以外の何者でも無い。怒り狂う空と海。暗雲に包まれたこの景色……さながらこの世の終わりのようだ。


 「私、気付いたのよ。現実で私が泣くと、津波が来る。お父様に私の泣き声だけは届いているんだって」

 「そ、そんな馬鹿な……!」


 自分を遙かに凌駕する歌姫を前に、王妃はがたがた震え出す。本当にこの娘は、海神の娘なのだと確信を得て。


 「衣装が無くてもそうならば、衣装がこれだけ傍にあるなら……歌詞なんてどうでもいいのよ。お兄ちゃんはそうじゃないみたいだけど」

 「あ、ああああ、ぅあっ……あああああ!!」

 「王妃様、残念だけど罪を裁くのは貴女ではなく……お父様になったみたい。お父様の声が聞こえるわ。王妃様、貴女にもまだ微かに聞こえるでしょう?」


 予言の言葉を告げるよう、王妃を超えた存在として。あらがえぬ響きを宿した声で、シャロンは全ての者に告ぐ。


 「今晩、この空まで届く津波が来る。今からじゃ、何処へ逃げても無駄。津波を防ぎたいのなら、お父様との対話が必要。でもお父様はあの日と同じ……私を裏切った男を生け贄にご所望。私とシエロが神殿に行かなきゃ。貴女じゃお父様を呼び出せない。でもお父様は寛大よ?今宵は神殿に全ての者を招きましょう!」


 そこで何が行われるか。見たいならどうぞ。唯死を待つだけは辛いでしょうとシャロンが笑った。

盛り上げなきゃーと思うとまとまらない。でも流れの絵としてイメージは最初から決まってて。そこまで持って行くのが難しい。

アムニシアの作り出す夢現キャンセルと、イストリアの脚本能力。


続背徳じゃ普通に配役設定表に出てたけど、こっちで出すとこんなカオス。

本の中に別の存在がその登場人物として現れて演劇。


続背徳は主要キャラをメインメンバーが演じるから問題ないけど、こっちは郭公の雛みたいなもんです。一人だけ入れ替わるから、本来別の人に与えるべき愛情を横から奪って見せつけるとんでもない現象。

シエロ役をドリスちゃん改め歌姫アルベルタさんがやろうとしてる。


その裏で、シエロの精神をがりがり削ろうと、アルベルタさんの企みにシャロンが便乗。シエロを何度も殺して苦しめて心を折ろうとしてる。

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