3:呪われた人魚の末裔
※女体化警報。
※主人公が健全にキャラ崩壊。男の子だから仕方ない。
海神の娘
『お父様から贈られたその呪いは、とても奇妙な物でした。
それでも私は信じました。そして彼も信じてくれました。
だからこそ、一度……私の呪いは解けたのです。
私は、それが永遠に続く物なのだと……信じていました。』
*
昨日は色々あったが、一晩眠れば気持ちも落ち着いて来た。それに伴いシエロの危惧した高山病も落ち着いてきたように思う。
シャロンが死んだなんてまだ信じられない気持ちもある。犯人は勿論許せないが、カロン自身がシャロンの死を受け止めるためにも、その死を辿るというのは間違ってはいない気がした。
シエロの言葉通り空へと伸びるその街は、上へ行くほど豪華な屋敷が増える。その分敷地も狭いが屋敷の数も減るので結果として屋敷が広くなるというおかしなことが起きていた。
「おい、シエロ!」
「カロン君、言葉遣い言葉遣い。今はそれでも良いけどそういうところからボロが出ると困るから、気をつけてね」
それではシャロンらしくないとシエロに注意を促されるが、そうも言っていられない。
歌姫になる。とは言ってもそれは容易いことではない。シエロから長ったらしい説明を受けたが、なんでもこの街は面倒なことが多いのだ。
こうして歩くだけでも色々あって、歌姫シャロンだと解れば人が寄ってくる。だからそれを隠すためにカロンは何時も通りの格好……ではなくシエロの屋敷にあった昔のシエロの服というのを譲って貰った。要するに歌姫の女装をする俺がその歌姫であることを隠すために男の格好をするというわけのわからないことをやっているということで。対するシエロと言えば……目立つあの髪を隠すために金髪のウィッグを被るのはよく分かる。だがしかし……彼の複雑な事情を知った今でも心がざわつき出す。
(詐欺だろう、あれは)
お前が歌姫になれ!今度こそそう怒鳴りたい。すらりと伸びた手足。女装するシエロはそりゃあもう見事な長身美少女だ。というか、女装とも言い切れないのがこの男の恐ろしいところだ。けしからんその胸についつい目が行ってしまう自分が何だか情けない。そう思いながらカロンは外出前の下の屋敷での一件を思い出していた。
*
「まず歌姫という職業について君に話しておくと、衣装代だろ?それから歌うための場所代。これだけでも本当に馬鹿にならない。歌姫は本当にお金がかかる職業だ」
シエロが言うにはなんでも……それぞれ敷地の所有者、権力者が居て、路上で歌うにも許可が必要。そしてその場所を借りるためには場所代を支払う必要がある。無論、小劇場コンサートホールやオペラ座なんか借りるには、もっと馬鹿高い金が必要。
ただし、カロンの後ろ盾であるこのシエロという男も、選定侯というこの国で四家しかないという最上位クラスの貴族。最低でも街の4分の1はこの男の勢力下と考えて間違いない。だからそこで歌う分には資金面での憂いは無いと見ていい。
しかしそのままでは歌姫としての勢力図も変わらない。他の勢力下に赴きファンを奪ってくるのが歌姫の仕事。そのために必要なのは、やはり金。場所を借りる金と、人目を惹く衣装。更には土地の所有者との有効な関係、コネクション。あわよくばシエロ治めるフルトブラント家の勢力を拡大させ、憂いなく歌える地域を増やせればもっと良い。勿論色々勢力下でのしがらみもあるだろうからそれは簡単な話ではないが、場所代を安くしてくれるなどの配所は得られるようになる……実際シャロンの活躍によりそういったことは多々あったとのこと。
「今までシャロンが稼いだ金は?」
「全部活動費で消えてるよ。それはシャロンの養親に六割取られてしまう契約だ。シャロンは残り四割でやりくりしなければならなかった」
「ろ、六割!?」
「最初は八割だったんだけどね。僕が文句を言って此方の取り分を増やして貰った。君がシャロンという前提で行動する以上、これから面倒臭いことになりそうだけど策ならある。そっちは僕に任せて」
「わかった」
「ああ、だけど衣装なら僕の上の屋敷にシャロンが残した服がある。だからしばらく衣装の方は問題ない。とはいえ……いつも同じ衣装とか古い物ばかり着てはいられない。早めに資金稼ぎが必要だ」
「なんで?勿体ないのに」
カロンの言葉にシエロは苦笑。確かにそうなんだけどねと笑う。
「歌姫は歌うだけじゃなくて、多くの人々の憧れであらなければならない。つまりファッションリーダー、流行の最先端でもある。だから歌姫にとって衣装というのはとても大事なものなんだ」
歌うだけの仕事だと思ったが、意外と歌姫というのも面倒臭い仕事なんだなと呆れ半分感心半分。カロンはよくわからない溜息を吐いた。なんとも面倒臭いことに巻き込まれてしまったが、乗りかかった船だ。今更投げ出せないと話を聞く。
「シャロンの最新の衣装は殺害時に汚されて……とてももう着られるような物じゃない」
服はオーダーメイドで基本職人の手で一着一着作られる。だから同じ物を作らせると言うことは、証拠が残る。それは材料の取引先までしっかりと。
シエロが下に大急ぎで降りてきたのはそのためだ。シャロンが死んだことが広く露見する前に、シャロンの身代わりを立てる必要があった。
シャロンの死を知る者は犯人だけ。それが理想。目撃者は自分だけであるべきだと、事態の収拾に踏み切った。勿論その作業に当たったシエロの手下はそれを知っているはずだが、そこから漏れることは絶対にないという人材にのみその仕事に当たらせた。シエロの味方はとりあえず信用していいらしい。
「でも俺をここまで連れてくる時にそれに気付いた奴が、シャロンと俺のことに気付くって言う可能性は?」
「君は人目に付かないよう隠して歩いたし、君を見た人間には僕の歌でその前後の記憶が飛ぶくらいの衝撃を与えた。あの騎士達も、僕を追うことは覚えていても君の顔は覚えていない。扉を壊したところから、あの家に僕が潜んでいたことは気付いただろうけど」
「なるほど……」
しかしシエロの歌を思い出すと、この男の肩書きが貴族では収まらない気がした。普通の貴族があんな超音波を出せるだろうか?
「先祖返りって知ってるかい?」
カロンの疑問に気付いたのか、シエロが先回りをして話す。
「人魚の血と王子の血は呪われている。だから王家はその血を薄めようとして来た。その結果王家の血は別れ、四つの選定侯家が生まれた。だけど時折人魚の血が表に現れることがある。僕はそれ。だからちょっと他の人とは違う色だろ?」
「人魚の血……」
この男が伝説の人魚の子孫。そう思うとなんだかこれまで以上に神々しく見える。道理であんなに歌が上手いのか。思い出しても綺麗な歌声だった。
「うん。だから僕の歌は普通じゃない。少しばかりそこも人魚と同じで、ああ言ったことが出来る。要するに僕の歌は努力でも才能でもなく、血の結果。無理矢理そうさせる歌。歌としての魅力なんて無い。時々便利ではあるけどね」
酷く自分を卑下するシエロ。あんなに綺麗な声なのに、彼は自分の歌が嫌いみたいだ。
そんなことよりとシエロは、話の方向を戻していく。
「衣装の話だったね。幸いファンにはお披露目前だったから、その一つ前の衣装で資金を稼げばいい……と言いたいんだけど、一つ問題がある」
「問題?」
「シャロンは僕の、選定侯の恋人だった」
正直殴りたいがそれは事実らしい。
「選定侯の恋人って言うのは、この世界でとても大きな意味を持つ。僕が次期国王候補の一人だとは話したよね?」
「ああ。だから殿下ってのに追われてたんだよな」
「うん。その次期国王を決定する要因が歌姫にある」
「歌姫に?」
どう関係有るのか解らなかったが、シエロは歌姫の言い伝えを口にする。その一節にカロンも思い出す。そうだ。人魚になった歌姫は、言い伝え通り“王子”と結婚できるという話だった。
だけどこの場合の王子という概念が、複雑なのだと彼は言う。
四つの選定侯家。その一つが今の王家。王子とはそのままの意味で殿下。そして残りの三家の跡取り。それもこの概念上では王子に該当するらしい。
「選定侯の恋人が人魚になれば、その選定侯が次期国王として決定される。人魚は一人しかなれない称号だから。だけどもし、三人の選定侯の恋人から人魚が上がらなかった場合。フリーの歌姫が人魚になってしまった場合……この時は今の国王の息子。つまりは殿下かそのまま王位を世襲する」
長い歴史の中で、解釈が大分歪んでしまったのだろうとシエロが肩をすくめる。確かに変な話。人魚が王子と結婚できる、じゃなくて人魚になれば王子にしてやれるっていうのに変わったなんて、この男共は歌姫に頼り切りなんだな。それとも……それだけこの国にとって、歌姫という存在が大きかったのか。
「だから殿下は僕からシャロンを奪ってフリーの歌姫にさせようと、度々妨害して来た。これからもそれは続くだろうから、君も気をつけてくれ」
「解った」
「うん、お願いするよ」
シエロがふわと笑って、頭を撫でる。子供扱いされている気がした。
「それでなんだけど、選定侯の恋人というのが大きな立場であるのは理解して貰えた?」
「一応は」
頷くカロンに、シエロがほっと息を吐く。
「うん、だから選定侯の恋人には歌姫の例外としてある権利がある」
「ある権利?」
「通常、衣装は自分で稼いだお金か、血縁者の仕送りでしか賄っていけない決まりがある」
それは知っている。だからこそカロンもシャロンのために金を稼ごうと考えていた。
「だけど、選定侯は恋人に血縁者と同じように衣装の支援をして良いことになっている。シャロンが僕の恋人だと言うことは、僕の財産は彼女の物だと言っても過言じゃないよ」
「それじゃあ……新しく別の衣装を作ることも出来るってことか?」
そいつは凄い!だって見るからにシエロは金を持っていそうだ。
「理論上はそうだね」
「理論上?」
シエロはどうも歯切れが悪い。
「それだけの特権を受けられる選定侯の恋人は、認定までが難しい。城から恋人認定試験を受け、それを認められ証書を得なければその権利は与えられない。そしてその紛失、再発行には再び試験を受ける必要がある」
「恋人認定試験……?」
なんじゃそりゃ。カロンが目を点にしていると、シエロが気恥ずかしそうに目を逸らした。
「どうにもこうにも、空の人々は娯楽に飢えていて悪趣味だ。普通の感覚でなら目の前で恋人達がいちゃついていても苛立つだけだろう?」
「まぁ、そうなのか?わかんねぇけど」
「回り回った変態達は、それを観察するのがお好きでね。こんな妙な物を作り出した。選定侯が選ぶのは大抵優れた歌姫だからね。そんな歌姫は高嶺の花だ。試験と称して少しでもあられもない姿を見られるなら悪くないと思う輩もいるんだろう」
「あられもない?高嶺の花?」
なんだか不穏な響きがある。
疑問を浮かべるカロンとは絶対に視線を合わせないまま、シエロが嘆息。顔が赤い。
「そう言えばまだカロン君には話してなかったね」
「なんの話だ?」
「歌姫がどうやって資金を得るのか君は知ってる?」
「歌って稼ぐ。だろ?」
「半分正解」
「半分?」
やっぱりシエロは歯切れが悪い。
「それは元々実家が裕福で衣装も場所も自分で賄える歌姫だけなんだ。最初はみんな、違う仕事をしながらお金を貯めて、歌を仕事に出来る歌姫を目指す」
「兼業でもするのか?」
「うん。だけど普通の仕事じゃ、馬鹿高い衣装代と場所代を支払うことは出来ない。要するに枕営業」
「は?」
再び目が点になる。言葉としては聞いたことがあるが、華やかな歌姫の世界と幼く可憐な妹の姿には、それがすぐには結びつかなかった。
「そ、それって娼婦ってことか!?」
「うん。若くて綺麗で可愛い女の子と寝られるんだ。みんな喜んで金を払うよ。そういう風に足場を固めて後ろ盾を得て、立派な歌姫になった子もいる。そんなにあからさまに嫌な顔をしないであげてよ。彼女たちだって最初からそうしたくて歌姫になった訳じゃないんだから」
「でも……」
「養子歌姫は得に顕著な例だ。養子先の家から衣装代は支援して貰えない。だけど帰る家がない。もう歌姫以外の生き方が絶たれている。やるしかないんだ。やるしかなかったんだ……あの子も」
あの子。その言葉にカロンははっとする。
他人事として聞いていた。だけど違う。これはシャロンのことなんだ。
「お前っ!!シャロンにそんなことをっ!!」
自分よりも背の高い男。それでも構う物か。テーブルに上がってその胸ぐらを掴み上げる。
「…………」
「何とか言えよっ!!」
初めて心の底からこの男が憎いと思った。今なら殴れる。怒りのままに。
「……僕だってそんな風に伴侶を決める趣味はない。幾ら送り返しても、いろんな家が次から次へと送り込む。……僕が断っても使用人達の目に留まれば、そこそこの小遣い稼ぎにはなるし、あわよくば取り次ぎをって腹だろう。それも駄目なら他の家に送られるんだろうけれど」
胸ぐら掴み上げられて、それでも絶対此方と視線を合わせないシエロ。彼は俺を見ない。視線の先にはきっと、今もまだシャロンが見えているのだ。
「彼女との出会いはそうだ。ナイアード家も彼ら同様、後ろ盾欲しさに娘を僕の家に送り込んだ。だけど……僕は、彼女を一目見て恋に落ちた」
恋に落ちたと語る彼。その声から滲む思慕と切なさの色。
シエロが本当に……どんなにシャロンを愛しているのかが伝わって来る。だからまるで此方まで口説かれているような錯覚に囚われる。そしてそれが違うことに気付いて此方まで切なくなる。人魚の血が為す声の魔力は恐ろしい。
「だから彼女を追い返すことが出来ない。僕が断れば他の男が彼女を抱くことになる。……だけどそんな風に彼女を抱けない。僕が好きになったのは歌姫だ。だから歌って欲しかった。娼婦の真似事なんかさせたくなかった」
「それであいつに……恋人になれって言ったのか?」
「うん……嬉しかったなぁ」
シエロが顔を綻ばせる。幸せそうな笑み。だけど青い眼だけが今も悲しそう。涙が浮かんでいる。
「一目見たときから、あの子も僕と同じ気持ちでいてくれたんだって知った時は本当に……嬉しかった。どうにかなるんじゃないかってくらい……馬鹿みたいに舞い上がって、僕は……。幸せだったよ、本当に……」
過去形で語られる幸せほど、悲しい物はない。壊された、二度と戻らない幸せの形を見て、胸が締め付けられ…………カロンはシエロから手を放す。直視出来なかった。そんな悲しい目をした男の視線に耐えられなかった。
「彼女の理想を聞いて……僕はそれまでどうでも良かった王位を目指そうと思った。僕が王になって……彼女の夢を叶えようと思った。この国を変えて……彼女の生まれ育った場所を海神から守り……二人で生涯賭けて海神の呪いを解いていこうと思った」
「だけど僕は弱い男で……駄目なんだ。彼女を失って……それで理想を掲げることなんか出来ない。何も見えない……もう、何も」
他の女を娶ってそれで王になり改革を目指すことが彼女の理想を継ぐこと。それを理解していてもその選択は選べない。だからこの哀れな男は復讐を求めたのだろう。俺はこの男が俺の妹を、あの海よりも深く愛していることを知る。それを知ったカロンは、シエロをこれ以上罵ることが出来なかった。
「彼女の亡骸からは……証書が奪われていた。今や彼女が僕の恋人だったと証明する物は何もない」
これまで積み重ねてきた全て、打ち砕かれた。希望さえ残らず徹底的に打ちのめされた。そんな男が……僅かでも俺に希望を見出したのだろうか?共に復讐を。共犯者に俺を選んだ。選んでくれた。
俺はシャロンの肉親だから、その繋がりはある。例えシャロンを失っても、俺がシャロンの兄である事実は覆らない。それでもシエロとシャロンは他人だ。二人はまだ結婚もしていない。二人を繋ぐ目に見える形は、その証書だけだったのだろう。
「……その試験ての、どんなのなんだ?」
「え?……カロン君?」
「受けてやるって言ってんだ!シャロンとてめぇの証書っ、再発行させに行く!」
貴族の癖に、そんな捨て犬みたいな目すんな!情けない奴。
今度はカロンの方が目を合わせられない。
「でももクソもねぇ!大体それ受けなかったら俺はどうなるんだよ?」
「ええと、その権利がなくなるわけだから僕から衣装の資金援助は出来なくなる。衣装代を手に入れられなければ、他の歌姫に追い越されて人気が廃れてしまう。人魚の称号は遠離る。そして“シャロン”である君の身柄をナイアード家が引き取りに来て、他の男の所に送り付けに行くだろう」
「そんなこと出来るか!大体俺は男だ。娼婦の真似事なんか出来るか!正体バレたら死ぬってのに」
「あ、そうだよね。うん……それだとこの事情を知ってて尚かつ口外しないような相手としか営業できないよね」
「そんなのお前以外に誰が居るんだよ」
その事実に互い同時に気がついて、一瞬部屋の空気が固まった。
それが解けた後、シエロがまじまじとカロンを見た。
「な、なんだよ」
気恥ずかしさから目を逸らし、それでも目は釣り上げて睨んだが……シエロはへらへらと笑いながら親指を突き立てる。
「うん、カロン君なら十分いける!愛しのシャロンにそっくりだし余裕で抜ける!」
「阿呆かお前っ!!ってそれが狙いかこの変態っ!!」
「あはは、冗談冗談」
シエロが両目をごしごし拭って、それを笑って誤魔化した。
「でもカロン君……本当に良いの?試験って人前で僕といちゃつく振りしなきゃいけないし、正体ばれる一歩手前までの危険を冒すってことなんだよ?」
「一歩手前って?」
「ち、……着エロくらい」
「着エロか。着エロって何だ?」
「服着たまま本番的な」
思わず吹き出した。ちょっと待て。服着てれば正体バレないかもしれないが、しれないけど、しれないとはいえ……
「ね?嫌でしょ?わざわざそんな危険冒してまでやる必要ないよ。……まぁ、ぶっちゃけた話隠れて見えないわけだから上手く演技さえ出来ればやらなくても済むとは言え……人前で喘ぎ声なんか出せる?」
「そもそも俺、喘いだことねぇし喘ぎ声ってどう出すんだ?」
「ごめん、僕に聞かないで」
カロンの疑問にシエロは恥ずかしそうに俯いた。
「別に証書無くしても、恋人の振り続けていればそういうことしないでもさ……ある程度誤魔化して君に金銭流すことは出来るよ?」
「そうなのか?」
「うん、明細として何をして幾ら歌姫に与えたかを明記する必要はあるけど全てを監督されてるわけでもないし……歌姫の中には何もしないでしたって書かせてお金だけ貢がせふんだくる人もいるくらいだし。でも税務署みたいに監視している連中もいるからあんまり多額の譲渡は難しいと言えば難しい」
「なんなんだそのやけに具体的な例えは」
「いや、まぁ、うん。あのね……知り合いがそのカモにされていて、彼も彼だと思うけど気の毒に思って」
またどうでも良い方向に脱線しだしたシエロにカロンは溜息を吐く。
「別に、演技出来りゃやらなくていいんだよな?」
「カロン君?」
「それならやってもいい」
「え、だって……」
「いいかシエロ。俺はシャロンだ。俺はこれからシャロンを演じて行かなきゃならねぇ。つまりは俺が疑われるような行動をしてはいけねぇってことなんだ。じゃなきゃ犯人を誘き寄せるなんて到底無理だ。違うか?」
「カロン君……」
「シャロンがお前に惚れていたんなら、一目惚れしたってのが事実なら……記憶喪失のシャロンだってまたお前に惚れるはずだ。つまり再発行に踏み切るのが当然の流れ。ごく自然流れ。……それをやらないってのは俺がシャロンじゃないって認めたことだろ。それじゃ犯人も食いつかねぇ」
俺の正論に返す言葉もないらしい。ざまぁねぇぜシエロ。
「っておい、何もそんな泣かなくても」
言い過ぎたか。シエロがボロボロ泣き出す。って俺より年上だろうが!情けない男だな。
そう思いつつ、カロンもどうしたらいいのかわからない。
元々涙もろい男だとは思ったが、これまで泣きかけてもこんなにボロボロ泣いたのは初めてだ。そんなに傷つくような言い方したか?今……
しかしシエロは別にショックを受けているわけでもないらしい。
「あ、いや……カロン君は悪くなくて、僕はそんな風に言って貰えて嬉しくて。うぅ、ハンカチ……ハンカチっ!うわ、何処かで落とした!?僕ってどうして……こうなんだ。か、カロン君っ!向こうのタオル!吸水性の良さそうなの持って来て!お願いっ」
袖はもう濡れていて働かない。涙を何とか止めないととシエロが焦る。
そんなに焦ることだろうか?確かに情けない男だとは思うが……
「別に男だって……泣きたいときは泣いてもいいんじゃないのか?」
「そ、そういうことじゃなくてっ……駄目なんだ僕はっ、ああっ!もう駄目だ!」
「シエロ?」
最後の方、いきなり声のトーンが高くなった。怪訝に思って彼を見ると、何だか先程より目が合う位置が少し低い?縮んだ?
上から下。まじまじとシエロを見つめると、彼は恥ずかしそうに胸元を押さえている。そんな女みたいななよなよした仕草をするからお前は情けなく見えるんだと思ったが……事実、胸がある。
「え……」
どう見ても女にしか見えない。凄い綺麗で可愛いお姉さんだ。だけどそのはち切れんばかりのけしからん胸は何だ。男物の服に締め付けられきつそうなその胸元。ブラウスのボタンが幾つか取れ掛かっていて、それに奴が真っ赤な顔で俯いている。悔しいが、可愛い。なんて凶悪な生き物だ。鼻血が出そうになった。
「お、おい……シエロ……?」
「だ、駄目だよ!こっち見ないでカロン君!」
元々中性的な口調だったため、違和感なく女声にもよく馴染む。俺は鼻を押さえた。いよいよボタンが飛びそうだった。しかし目が逸らせない。仕方ない。俺は悪くない。男はみんなあれが大好きなんだ。俺は悪くない。
しかもさっきまでは何もなかったんだから当然ノーブラだ。そう思うととうとう鼻血が出て来た。この状況を深く考えるよりも、今はこの眼福を味わっていたかった。下町にはこんな可愛い女の子はいない。いたら歌姫として連れて行かれる。だから年上巨乳なお姉さんという概念がないっ!
そもそも下町の粗末な食生活では可愛い子はいても胸に脂肪がいかない!下町の巨乳はちょっと裕福な家のおばさん連中しかいないんだよ!俺は垂れ下がった乳には興味ねぇっ!あああの張りと艶……服の上からでも涎が出そう。あわよくば触りたい。エロガキ言うな。こんな美人なお姉さん見たら普通のガキはそう思って当然だろうが。子供の特権利用して上手い具合あの胸元に飛び込みたい。ああくそっ!昨日抱き付かれた時に何故あの胸はそこに無かったんだ!!俺はその事実に深く傷ついた。慰謝料を請求するのを取り下げる代わりに誠意を見せて貰いたい。というわけでもう一度俺に抱き付いてきてくれエロい身体のシエロお姉さんっ!!今すぐにっ!
「カロン君、ちょっと目が怖いよ……」
びくびく脅えてる様が堪らねぇ。でも恐怖より照れと羞恥心が勝っているみたいで赤らめた顔がとんでもなく凶悪なまでに可愛い。俺はこの人の手ブラになりたい。
「ええと……バレちゃったら仕方ないから話すけど」
俺としてはその手を離して貰いたい。ボタンが飛んで覗いて見える谷間をしっかり見せて欲しいものだ。
「僕は先祖返りで人魚と王子としての血が濃く出ている。その分呪いも色濃く出ている」
「……呪い?」
言われてみれば、シャロンと一緒に呪いを解くとか何とか言ってたな。どうでも良いけど。そんなことよりその胸で男装とか逆にエロいよな。
「うん。海神様は自分の娘を裏切った王子を、その血を祟った。海に飛び込めば人食い鮫や人食い鯨を呼んでしまう体質で、王家に繋がる家の者は海で溺れたら絶対に助からないと言われている。これは男女共通だ」
今のところシエロのこのけしからんもっとやれ突然変異の謎はわからないような呪いの説明。だが俺としてはその脅威の胸囲のサイズの方が気になる。俺の手で測らせてくれないか?
「人魚と王子の子孫……その中でも男は呪いが強く出る。海の水、正確には塩を含んだ水に触れるとこうして性別が反転。女の身体になってしまうっていう呪い」
何てけしからん呪いだ。王様とか一般的に髭面の爺って印象があるんだがそれが婆に変化しても全く美味しくないが、これなら別だ。最高だぜシエロ姉さん。嗚呼、素晴らしいぜ海神様!この呪いをありがとうっ!
「普通は海水くらいの濃度がないと駄目なんだけど、僕は先祖返りだから呪いが色濃く出て涙とか汗とかそういうのでも一定の量に触れると呪いが発動してしまうんだ」
「なるほど……だからか」
シエロが涙を飲み込む癖が付いていたのはその所為だったのかと妙に納得してしまった。
「でも汗でもって大変だな」
「うん。だから夏場は専ら屋敷に引き籠もっているよ」
涙を拭いながらシエロが苦笑した。
「つまり夏場はパラダイスだって事だな」
「カロン君?」
しまった。つい心の声が出てしまった。
「な、夏場はバスタイムって言ったんだよ!風呂でも入って汗洗えよな。まったく」
「あはは、そうだね。お察しの通り、塩分きっちり洗い流して身体を拭いて乾燥させればまた元に戻るんだ」
むしろずっとそのままでいて欲しい。そう思ったのがバレたんだろうか。
「でも……カロン君、男の僕と練習するのは嫌でしょ?え、ええと……声の出し方もこっちの方が高音出しやすいから参考になると思うし」
「喜んでっ!!ありがとうございますっ!!」
「そ、そんな……土下座なんかしなくても。お礼を言いたいのは僕の方だよ」
「え?」
「カロン君が、僕とシャロンの証書を取り戻そうって言ってくれて……本当に嬉しかったんだ。情けないけど、ちょっと……嬉しくて、感動したんだよ」
さっきの涙はそういうことだったのか。女シエロの笑顔は凄い破壊力がある。もう風邪でも引いたのかってくらい俺の顔が熱い。カロンは息を整えるべく、深呼吸。
「で、試験ってどういうのなんだ?」
「うん。とりあえず審査役の前でいちゃつけばいいんだよ。彼らが僕らをバカップルだと認定してくれればそれで良いんだけど、過去にも訳ありの偽装カップルが挑んだことが何度かあったみたいなんだけど……審査役は変態揃いだから彼らを呆れさせるくらいいちゃつくっていうのは難しい。そういう意味では歌姫の演技力が試される試験でもある」
「演技力?歌にそんなもん必要なのか?」
「そりゃそうだよカロン君。歌は唯の言葉の羅列じゃない。その歌を作った人の気持ちを、歌劇ならその役である人物の心をちゃんと理解し表現し切る演技力が必要。声だけ良くても歌唱力だけあっても伝えたいことがなければ誰にも何も伝わらないよ」
俺が……シャロンになりきるっていうのは、シャロンの気持ちを演じきるってこと。それは彼女がそうしたように、この男を愛しきってみせなきゃならない。嘘偽りではなく……その歌の間は本心から。
「……それでもカロン君は」
「やるって言ってんだろ。俺も男だ。男に二言はない!」
「何てお礼を言ったらいいかわからないけど、ありがとう」
シエロは微笑み……そして胸元に添えていた手を離す。
「それじゃあ、……カロン君の、演技力の手助けのためにも……なるなら僕は」
手を離した瞬間揺れた胸を見て、鼻の奥から鼻血がどっと出た。屋敷で着ていたというシャロンの服だったのに、袖が変色している。ごめんシャロン。
「さ、触ってみる?」
「い、いいの!?」
いや、さっきからずっと触りたいとか思ってたけど。そんな俯くほど恥ずかしそうなのに大丈夫なのか?
「僕はこれから出来る限りシャロンの反応を真似て頑張る。僕から君に教えられるのはそれくらいだと思うから」
「シエロ……」
「それじゃああの、……色々、適当に……好きにしてくれていいよ」
元が男とはいえ目の前には、嗚呼っ!胸元の覗くブラウス。手を伸ばせばそれにその中身にさえ触れられる!そんなエロい格好のお姉さんがこんな台詞を仰ってるんだ!何を迷うことがあろうか。生きてて良かった。
恐る恐る手を伸ばし、あと少しで触れると言うところで……カロンは我に返った。
「ってちょっと待たんかいっ!てめぇっ!つまりお前は俺のシャロンにこういうことしたんだな!?結局したんだな!?やったんだな!?そうなんだろ!?」
「そ、そりゃあ恋人ですし」
「認定試験ではばっちりやったんだろうな!?あぁっ!?ふざけんなよこらぁああ!俺の妹汚しやがってっ!てめぇも同じ目に遭わせてやろうか!?えぇっ!?………あ」
つい男の時と同じノリで胸ぐらを掴んだら、こう……なんていうか触れた。指に、手の甲手首。や、柔らかい。駄目だ。この魔力の前には怒りなんて怒りなんて……
「くっ……くそっ!」
もう自棄だ。怒りをぶつけるように俺はその至高の宝である脂肪を両手で鷲掴みにし……一瞬天国という物を見た。両手が幸せだ。何これ。何なのこれ。一度掴んだら魔法のように手が放せない。
しかし胸ばかり見ているのは恥ずかしい。視線を上げれば、はやり絶対に目を合わさないシエロがいる。これは羞恥からなのだろうとは解るが……
「おい、シエロ」
「な、何?」
涙目のその顔が可愛いので……少し、苛めたくなった。
「お前がシャロンのお手本見せてくれるんだろ?見せてくれよ。俺のシャロンはそんなに目を逸らしてばっかだったのか?あいつをそんな目に遭わせてたなんて俺の中でお前の評価が最低野郎のどん底に下がるぞ。喘ぎ声はどうしたんだよ?」
「うぅっ……こんなところばっかり兄妹揃ってそっくりだなんて」
さめざめと泣いているが、呪いが発動している今は幾ら涙を流したところで意味はないらしい。
「でも僕が言い出したことだし………じ、じゃあ頑張る」
俺の手の動きに、シエロが声を出した。そこからもう俺は動けなかった。手以外。
元々人魚の先祖返り。女になるとその声は男時の比じゃないくらいの魅了効果。しかもその声の甘さ……シャロンにそっくりだ。声真似の才能もあるのかこいつは。
驚きと共に、実の妹に手を出しているような妙な罪悪感、背徳感………だというのに手は止まらない。凄い、興奮する。
(やばっ……)
鼻の奥が熱い。鼻、押さえないと。しかし両手は悪魔の肉塊の虜だ!押さえられない。
人間ここまで鼻血って出せるものなんだなぁと下らない感想と感動を味わいながら倒れるカロン。
しかし倒れた場所が悪かった……いや、良かった。シエロの胸に顔を埋める形に倒れたのだ。より鼻血が吹き出したのは言うまでもないが、俺はこの感触を生涯忘れないと思う。なんだかんだでいい人生だった気がするよ。でも出血多量で死ぬのかー。でも幸せかもしれないなー餓死とかより。こんな柔らかくて温かい物に包まれて死ねるんだ。
「カロン君、大丈夫?」
嗚呼幸せだなぁ。誰だよ俺をこんな幸せから引っ張り出そうとするのは……
「……って俺、生きてるのか!?」
飛び起きれば昨日のデジャヴ。枕元にはシエロの姿。
天井までついた血の後を見て、俺良く生きてたなとさえカロンは思う。
「危なかったけど、なんとか」
俺は鼻血の大量出血で生死の狭間を彷徨ったらしく、目覚めたときは付き添いのシエロの服が変色していた。俺の鼻血を至近距離で食らってしまったんだろう。
「ごめんシエロ……」
「ああ、服のことなら気にしないで。君が無事で何よりだよ」
付き添いと掃除と看病とで着替えも風呂もままならなかったのだろう。シエロは女のままだ。本当にありがとうございます。
「ね、カロン君。お腹空かない?」
「言われてみれば昨日からまだ何も食べてなかったな」
「どたばたしてたからねぇ……」
シエロが申し訳なさそうに苦笑する。
「お詫びにさ、良いところに連れて行ってあげるよ!上の屋敷に帰るついでに」
「良いところ?」
「うん。歌の勉強にもなるし……あそこの近くに美味しい店があるんだ」
「よくわかんねぇけど、んじゃあ行く!」
*
(……そうだ。確かこんな流れで外に連れ出されたんだった)
カロンは今更のように空腹を思い出す。女シエロの胸を見たり触ったりしたためこっちも胸はいっぱいだ。幸せで。
しかし空腹を誤魔化すのは限度がある。思い返してみれば昨日食べたの、おばちゃんに貰った果物だけだ。
「くそっ!この街良い匂いばっかしやがって!俺に喧嘩売ってんのか!?腹減って来るっ!」
「あはは、確かにお店から来る料理の匂いは堪らないよね」
そういって笑う女シエロの微笑と胸元の方が堪らなくはあった。シャロンが天使なら、こいつは女神だ。食事に行くだけとはいえ、相手が紛い物の女とはいえ、これはもしかするとデートという物に分類されるのではないだろうか。そう思った途端に恥ずかしくなる。
(いやいやいやいや何俺っ!あいつの胸まで触って揉んでおいて、デートくらいで何を照れてるんだ!馬鹿か俺は!?)
今思い返すとあの頃の自分のテンションが信じられない。
俺だって最初から女シエロと出会っていたら一目惚れとかしていたと思う。それが逆転したと考えるなら、シャロンがこいつに惚れたという話もあながち嘘ではないだろう。女であるシャロンには、男のままのシエロが……あの位の衝撃走るくらい格好良く映ったのかもしれないし。
「カロン君、はい!」
「え?」
「食べ歩きっての一度やってみたかったんだ僕も」
あまり重いものだとこれから食べられなくなると、小さな菓子を屋台から買って来たようだ。
「食べ歩き、やったこと無いのか?」
「下層街なら沢山あるけど、ここからもう少し上……中層街からは殆どないかな。本邸のある上層街には皆無だよ」
「ふぅん……」
にこにこと笑うシエロ。だけどやはりその目は何処かを見ている。
(ああ、そうか)
本当はシャロンとこうして食べ歩きとか……デート、したかったんだろうな。
そんな風に感じたカロンの沈黙。それに説明か言い訳か。静かな声でシエロは語る。
「シャロンはこの一年で凄い躍進を遂げた歌姫で、すぐ人気が出たからさ……お忍びで下層街にデートなんか行けなくて。仕事でなら行けるんだけど、ファンからすれば大好きな歌姫の恋人なんて天敵みたいなものだろ?僕は彼らに殺されても文句は言えない。百も承知さ。だから下層街での仕事の時は、あんまり付き添えなくて」
「……」
「それに、一人で食べ歩いてもなんだか恥ずかしいし悲しい人みたいでしょ?今日はありがとうカロン君」
いつもは下町のおばちゃん達の話に軽口やお世辞で返せたのに。こいつが相手だとどうして、ついつい口籠もる。本体が男とはいえ今は女の子だ。綺麗なお姉さんを相手に褒め言葉の一つも出て来ないなんて、俺は俺が情けない。だけどここでは畏まって「その笑顔が見られただけで結構ですよお嬢さん」とか、セクハラ紛いに「礼なら身体で払ってくれ」なんて言えるわけがない。こんな綺麗な人を前に言葉を並べても、言葉が霞んで消えてしまう。この人の綺麗さに叶う言葉なんて無い。正確にそれを言い表すことも出来やしない。
(それに……)
どんな言葉を取り繕っても、シエロには届かない気がするのだ。シエロは俺を見ていないから。
だからカロンは相手が男の時同様に、こう返すしか無くなるのだ。
「別に、俺は腹が減ってるからついて来ただけだ」
「あはは、そうだよね。ごめんね」
でも俺の受け答えが面白かったのか、シエロはくすくす笑っていた。
あれ……シリアスってなんだっけ?
女シエロとそのおっぱいにメロメロのカロン君。
双子の兄妹相手にリバを余裕でこなせる野郎ヒロイン恐るべし。