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43:秒針の鳴き声

 「機械時計、ですか?」


 オボロスは、そう聞き返す。正確には“聞き返した”。

 屋敷に入ってすぐのこと。航海に出る前に俺は色々話を聞いた。ネレイード家の商売についてとか、商品の取り扱い方法だとか。


 「ああ、今回のメインの積み荷はそれだ。海の向こう、外の国では職人ギルドが盛んでね。そこから色々物珍しい物を仕入れて、貴族達に高く売る。それでこの家は儲けているのさ」


 精密機械や壊れやすい物を運ばせられることも多々ある。積み荷は大事に扱えと、こっぴどく叱られた。


 「歌姫のための衣装や装飾品も人気はあるな。異国情緒ある衣装は、演目曲目によっては引っ張りだこだ。ま、空の人らは音楽好きだ。楽器なんかも取り扱うことは多いね」

 「ははは、良いですねそれ。なんか風情があって」


 この国では男は音楽を生業には出来ない。船乗りや船頭達が仕事をしながら歌を歌う位は許されるが、歌姫や楽師と言った音楽を目玉にしての仕事は禁止されている。だから趣味以外で男は楽器を持てない。音楽で人から金を取ってはならない。なるほど、確かに縁遠い世界だ。


 「お前も船乗りになるならコンパスと時計くらい持っていろ。最新の機械時計は凄いぞ?月の満ち欠けなんかが解ると、潮の読み方も解る」

 「へ、へぇ……でもお高いんでしょう?俺には手が出ませんよ」

 「そんな調子じゃお前に船は任せられねぇな。ま、頑張れよ新入り」


 先輩船乗りにそう笑われた。愛想笑いで同調している俺の傍を通り過ぎる小綺麗な少女。彼女は俺の方を一瞥し、嘲笑うように言った。


 「貧乏人」

 「え?」

 「時計も買えない貧乏人に屋敷を歩かれるなんて、迷惑だわ」


 彼女はそう言い残し、スタスタと歩みを早め去っていく。何かに追い立てられるよう、首から提げた長めの鎖のロケットを……開けたり開いたりカチカチさせながら。


 「なんだか、気の強い美人さんだなぁ。あれ、誰ですか?」

 「馬鹿!あれがシレナお嬢さんだよ!このお屋敷のご息女だ!」

 「えええ!?今の子が!?」

 「気をつけろよ新入り。お嬢様に嫌われたら大変だぞ?気に入らないからって旦那様に告げ口されて解雇された奴は幾らでもいるんだからな!」

 「そ、そいつは大変だ」


 俺は内心焦る。折角就職できたのに、そんな理由で解雇されては堪らない。


(お嬢さんに嫌われないようにしないと)


 どうにかして機嫌を取りたいなぁ。そう思いながら数日。航海に向けての仕度をしていた時のこと。思えばあれが、俺とお嬢さんの……最後の会話だったんだ。


 *


 海神の歌姫

 「ああ、大事なことを忘れていたわ。

  念には念を。大事なことよね?」


 *


 部屋の中、誰かの泣く声がした。それが気になって、俺は仕事が手に付かなくなる。

 それがこの屋敷の一人娘、シレナお嬢さんの部屋なのだと気付いて……恐れ多いと思いながらも俺は扉をノックした。

 だってみんな無視していたんだ。お嬢さんが泣いているのに、見て見ぬ振りをするように。何かを押し付けるように。ノックしても返事はない。俺は後から仕事をさぼったと怒られるのを覚悟の上で、お嬢さんが開けてくれるまでひたすら待った。シャロンに泣かれたことを思い出す。女の子に泣かれるのは、苦手なんだ。ああ、あの時みたいに何か菓子でも持っていれば良かったな。今俺に何がある?身体を探ってみて、見つかったのは……アクアマリンの首飾り。この前カロンに貰った物だ。これは俺の宝物だが、成金の家のお嬢さんからしてみれば、安物に見えるに違いない。しかし他に何かあげられそうなものもない。


(そうだ、賭けをしよう)


 この扉が今日中に開いたら、俺はこれを彼女に捧げる。これはお守りだから元気出して下さいと言おう。そうならなかったらこれは俺の物だ。小一時間掛けて、俺はそう結論づける。


 「なに、やってんのよ」

 「いや、ついほっとけなかったので」


 っと、答えを決めたところで突然お嬢さんが現れる。泣き腫らした赤い瞳でお嬢さんが俺を見る。


 「何よ、それ」

 「お嬢さん、目……大丈夫ですか?」

 「別に泣いてないわよ、寝起きなだけ」

 「そうですか、そりゃすみません」


 俺が謝ったことで、暫しの沈黙。


 「あんた、何の用だったの?」

 「あ、いやその」

 「……そんなところ居ても邪魔よ。こっち来なさい」

 「あ、すみません」


 廊下で立ち話は俺のサボタージュが知られてしまう。お嬢さんは俺を匿い部屋へと招く。優しい人だなぁ。

 機嫌は悪そうだが、お嬢さんの声は綺麗だ。本人も歌うことは嫌いじゃないんだと思う。だってたまに、歌っているお嬢さんの声、耳にしたことがあるから。お嬢さん、楽しそうに歌うんだ。航海から帰って屋敷に戻る。その途中から聞こえてくることがあるんだよ、お嬢さんの歌。

 それがこれからは聞けなくなるかと思うと、少し寂しい。そう思った俺はこんなことを口にしていた。


 「歌姫シレナ……良い名前ですね。でも……お嬢さんが空に行っちまったら、本当にセイレーンみたいだ」

 「な、何よ……それ」

 「セイレーンってのは人魚のイメージ強いですけど、空にも住んでるそうですよ」

 「セイレンって人魚のこと、じゃないの?」

 「ええ。最近じゃそう思われがちなんですが元々は翼を持った姿が有名で……絵画とか彫刻でもわりかしモチーフにされたりして……」

 「翼……」

 「お嬢さんの歌声……綺麗で伸びやかで、何処までも飛んでいく。お嬢さんの声その物みてぇだって、思ってました」

 「わ、私の歌っ!?あ、あんた聞いてたの!?」

 「え!?何かまずかったですか?時々、お嬢さん歌ってるじゃねぇですか。綺麗な声で。お嬢さんには絶対才能有りますよ!俺みてぇに雑用仕事しか出来ない見習い船乗りとは訳が違います」

 「私の歌……」

 「お嬢さん歌姫になるんでしょう?お嬢さんは可愛らしいからきっとすぐに人気が出ますよ。いい声してますし。そうだ一曲聞かせてくださいよ。お金は出世払いで払います」


 お嬢さんを励ますように俺は笑って話しかける。その内お嬢さんも少し機嫌を直してくれたのか、俺に一曲歌ってくれたのだ。その歌声はシャロンとも違う。だけど初めて間近で聞くお嬢さんの歌に俺は圧倒されていた。透き通るような声。惚れ惚れしちまう。俺はお世辞無しで彼女を褒めた。


 「こいつは凄い!俺すっかりお嬢さんのファンになっちまいました。これなら心配要らねぇ。すぐにお嬢さんはみんなの人気者、憧れだ!俺の働いてる家のお嬢さんが歌姫様だなんて鼻が高いぜ」

 「そ、そう?」


 まぁ当然よと彼女は強がってみせる。ああ、いつものお嬢さんらしくなって来た。


 「こいつは、今の代金です。お守りなんだって聞いたんで持っていってください」


 安っぽい石、とは返されなかった。彼女は小さい声で俺に礼を言ってくれる。だけど目は合わせずに。


 「あ、ありがと……で、でもこれ何のお守りなの?」

 「海難事故防止です」

 「意味ないじゃないの馬鹿っ!」

 「で、でもほらお嬢さん!セイレーンって言えば……」


 自分より歌の上手い相手に負けて、海に身投げをしてしまうじゃないですか。そう言いかけて俺は止めた。縁起でもない。だけどお嬢さんも気付いたようだ。


 「……私は、そんなに弱くないわ」

 「え、ええ」

 「でも、記念すべきファン一号からの貢ぎ物だもの!身につけてあげる!感謝しなさいよね!」

 「は、はぁ」


 お嬢さんが首飾りを付けて上から目線で笑う。大分元気になってくれたようで安心した。いい加減、そろそろ仕事に戻らないと。


 「それじゃ、お嬢さん……俺はこれで」

 「待って」

 「え?」


 扉を潜り、廊下へ抜けた俺。その服を、後ろからお嬢さんが引く。


 「お嬢さん?」


 何かお申し付けがありましたかと振り返れば、何か言いたいことを言い出せない様子で彼女が口をもごもごさせている。けれどお嬢さんはそれを飲み込んだのか、やや落ち着いて別のことを口にする。


 「あんた……もし私が歌を嫌いだったら、何て言ったの?」

 「俺は……」


 歌姫になんかならなくていいじゃないかと、泣いている私をここから攫ってくれたのか?彼女の緑眼が俺を見つめる。固く握りしめられたその手には、俺が贈った物とは別の首飾り。


 「そんなこと、あり得ないですよ。だってお嬢さん、歌お好きでしょう?」

 「……っ、馬鹿っ!」


 赤面したお嬢さんに扉をバンと閉められる。お嬢さんはまた少し、泣きそうな顔をしていた。

 あの時は意味が分からなかった。だけど今なら解るよ。俺は、言い方を間違えたんだ。嗚呼、聞き間違えてもいた……意味を。


(お嬢さんは……俺に)


 助けてと、言っていたんだ。身分とか家とかそういう物全部忘れて、どこかに攫ってくれないか?それってつまり……高飛車な彼女なりの、精一杯の愛の告白だったのに。


 *


 罪の悪魔

 「どうして彼女がそれを手放さなかったのか。

  どうして彼女があれを持っていたのか。

  あの文字を刻んだのは……。

  カロンさん、早く気付いて。」


 *


 夢を見ていた。とても懐かしい夢だ。


(お嬢さんが空に行く前……の夢)


 泣いている女の子が居た。空になんか行きたくない。歌姫なんかになりたくない。そう言って泣く女の子。自分は彼女を勇気づけ、空に行くよう促した。

 だって空は安全だ。津波に襲われることもない、綺麗で幸せな場所なんだって思った。俺は両親を津波で亡くしている。海の危険を知っているから、逃げられる人は逃げた方が良い。そう思ったんだ。


(だけど、それは間違いだったんだろうか?)


 あの日俺が何もかも投げ出せていたら、お嬢さんは……死なずに、殺されずに済んだのに。


(……お嬢さん)


 俺も鈍すぎる。嫁入り前のお嬢さんが俺を部屋に入れてくれた時点で、気付いても良さそうな物なのに。自分のことはどうにも疎くて駄目だ。過去の自分を省みて、オボロスは呆れてしまう。しかしそんな思い出も、今は虚しいだけだ。


 「朝、か……いや、もう昼か?」


 空の上。箱船という街の中。オボロスは孤独を感じていた。シレナが死んでドリスが死んで、メリアも死んだ。カロンとシャロンが事件に関わっている。

 何だか、何もかもが虚ろに感じられて仕方がなかった。仕事のことを思うのなら早く下町へ帰ればいいのに、それも出来ない。


(シレナお嬢さんのこと、何て言えば良い?)


 せめて真実を知るまで、下町には帰れない。いや、そもそも何時になったらこの部屋から出られるのか。


(カロン……)


 ショックだった。カロンが、人を殺した。その場面を見てしまった。その参考人として城に連れて来られたのが昨日。自分の見たことを正直に話して、後は帰して貰えると思ったのだが客室に通された。理由を聞けば、近々フルトブラントの裁判がある。お嬢さんに扮したシャロンの傍にいた俺に、容疑が掛かっているのかと不安になった。


 「安心しろよお坊ちゃん。この裁判は出来レースさ。殿下が娶る相手の身の潔白を晴らしたいだけなんだから」


 兵士達はそう言った。城の人らは俺に、証言して貰いたいそうだ。


 「歌姫シレナは自殺した。思い悩んでいる風だった。そう証言してくれれば良い」


 報酬は弾むと言われた。下層街の空き家を一件譲ってくれるそうだ。礼金もたんまりとある。長年俺が夢見ていたことが約束されたのだ。


(だけど)


 今となっては虚しい。シャロンがシレナお嬢さんを殺した。そう証言すればシャロンが罪人になる。でも……あのシャロンが人を殺せるとは思えない。それだって誰かに、例えばフルトブラントに仕組まれたんだ。シャロンを人魚にして自分が王になるために、シレナお嬢さんの才能が邪魔だった。そうとしか思えない。

 シャロンが罪人だとは俺には言えない。それでもシレナお嬢さんの死を隠蔽し、自殺しましたなんて……どうして俺に言えるだろうか?


 「お嬢さんは……あんなに一生懸命に」


 生きていたのに。生きようとしていたのに。一生懸命だった彼女を思い出すだけで、目頭が熱くなる。


 「ん?」


 泣かぬようにと目を逸らした先……とても何かを食べるような気にはなれず、昨日は手を付けなかった食事。その盆の下に何かある。


 「手紙……?」


 その封筒を手に取った時だ。何故か俺の手が震える。そうしてこれまで思いつかなかったはずのことが、鮮明に思い出される。


(おかしい。お嬢さんが、おかしい)


 お嬢さんの手には首飾りが、鎖が見えた。それで俺を呼び止めたなら普通……俺が贈ったアクアマリンへの礼に、何か褒美を贈ってくれようとした。そう解釈すべきだろう。

 あれは何か。そう考えるなら、解る。お嬢さんがアクアマリンを付ける時、外したロケットペンダントを俺は見ている。お嬢さんが掴んでいたのはあれだろう。

 でもお嬢さんは俺にそのことを言い出さなかったし、俺もあの時はその手の中の物など気付きもしなかった。こうして夢に見て……第三者の視点であの時のことを観察したから解ること。


(あれ?)


 どうして俺は。俺が俺を見ていたんだ?いいや、そもそも……俺の記憶の中のお嬢さんは、あの日あの時……その手に何も持ってはいなかった。

 俺の記憶と夢が食い違っている。夢などその程度の物だと言えばそれまでだけど……

 封筒の中から出てきたのは、小さなロケットペンダント。それはとても小さな懐中時計。お嬢様が身につけていたはずのもの……


(誰が俺にこれを?)


 あんな夢を見た後だ。お嬢さんが形見として贈ってくれたと思いたくもなる。でも、お嬢さんは死んだ。殺された。そんなことはあり得ない。


(それじゃあ、誰がこれを?)


 手紙には差出人の名前など書いていない。それでもそれをここに持って来たのは、メイドの誰か。料理を運んだ者?部屋の掃除に来た者?はっきりとした顔は思い出せないが、そのうちの誰かだろう。見知った顔なら流石に俺でも気付いたはず。俺が見たことがない人がこれをここに置いていった。誰かに頼まれて?それとも変装をして?解らない。それでも解る。

 名乗らない差出人。手紙には一言。「助けて」とだけ記されていた。嗚呼、それだけで十分だった。十分すぎた。


 *


 物語の悪魔

 「順調に悪魔の気配が消えている。みんなタブーに触れて

  半消滅。狭間で待機ってところか。まぁそれも良い。

  一応これは、推理小説なのだから。奴らが出張り過ぎると

  面白味に欠けるのだ。」


 *


(アルバ!)

(ご無事でしたかカロン様)

(ああ、そっちは)

(はい、なんとか)


 カロン達が戻って来た牢。その外は、見張り達が何やら騒がしい。どうやら見張りは鍵を落としたようで、交代に来た同僚に鍵を見なかったかと尋ねている。


 「おい、お前鍵知らないか?」

 「はぁ?お前何処で落としたんだよ」

 「ったく何やってんだか。仕方ない。探すの手伝ってやるよ」


 城は人手不足なのだろうか?兵士は簡単に持ち場を離れ、同僚と肩を並べて上の階へと上がって行った。突然の鍵の消失……その訳に思い当たって、カロンは隣の男を見やる。


 「もしかして、アルバ……」

 「ええ。カロン様が第四領主と本契約をしている間に」

 「は、ははは」


 鍵を取って置きました。そう頷くアルバに、心強いとカロンは苦笑。


 「じゃ、アムニシアやイストリアに気付かれる前に脱出しようぜ!」

 「いえ、カロン様。逃げたところで悪魔を憑けていない我々では太刀打ちできませんし、すぐに先程の二の舞です。上に上がるにはもう一つ道があるとは言え……」

 「それじゃあ鍵を盗んだ意味ないじゃないか」

 「いいえ、意味なら有るはず。見張りが消えたことでここにやって来る者がいるはずです」

 「どういうことだ?」


 それ以上をアルバに尋ねようとしたところで、カツンカツンと響く足音。何者かがこの地下牢へと歩いてきている。その足音はゆっくりと……それでも確かな目的を持ち近付いてくる。


 「やはり、現れたか……アルベルト」


 聞き覚えない名を呼んで、足音の主は立ち止まる。その男は、年齢ならばまだ中年。それでも疲れを宿したその顔は、年齢以上に老けて見える。


 「私を怨んでいるのだろう?だから、最期に私の前に現れる。皆、私に恨み言を言うために」

 「何の話かわかりませんが、トロイス陛下」

 「この期に及んで嫌味を言うか、……まぁ気持ちは解る。私はそれだけのことをしたのだからな」

 「……今更貴様が、俺に……何の用だ?」

(陛下!?)


 二人の会話を聞いていたカロンも、アルバの言葉に面食らう。


(ということは、のおっさんがあのイリオンとかいう殿下の父親。現在の国王。そして、アルバから人魚を奪った……兄貴ってこと?)


 本来なら恋人認定試験で会うはずだったその人。見れば顔色は悪く、病気で伏せっていたというのも頷ける。あれは殿下の嘘ではなかったのかとカロンは驚いた。


 「お前は変わらないな……あれのようだ。噂くらいは聞いたことがあったが、他人の空似だと思った。お前が生きていたとは思わなかった。しかし……まさかお前も人魚の肉を食らっていたとは」

 「お前……“も”?」

 「歌姫ベル……アルベルタを、知っているか?」

(歌姫、ベル……?アルベルタ!?)


 王の言葉にカロンは目を見開いた。その名はアルバの本名によく似ているだけではない。ベルタという名は、カロンの前世に馴染みのある名。どういう事だと横を向けば、アルバも聞いたことがあったのか。考え込むような表情だ。


 「歌姫ベル……カルメーネと同じ世代の歌姫。吟遊詩人のように物語めいた歌を、歌うのを得意とした歌姫」

 「そうだ。あれと同期の歌姫だ。よく下へと降り、外を旅して歌を歌った。人魚の地位にまるで興味を持たぬ風のような歌姫だった」


 二人が呼んだ女性の名。その親しげな響きから、その名が王妃の物であろうことは推測できた。歌姫ベルは、王妃と同じ時代の歌姫。数年前に歌姫メリアが人魚に近付いた時……それより前の時代の歌姫。殿下の正確な年齢を俺は知らないが、シエロよりも数歳年上。十代後半……十八、十九と言ったところか。

 アルバは兄に人魚を寝取られた。つまりは王妃は殿下を、この男の子を孕んだからアルバ

 と別れたわけだ。それは今より昔……それでも二十年もまだ過ぎない頃。


 「歌姫ベルは、元々貴様が可愛がっていた歌姫だったな兄さん。あの腐れ殿下が歌姫ドリスを可愛がるように、正妻としての器にないことを知りながら、愛人として囲うつもりで愛でていた」

 「ふっ、歴史は繰り返すと言うが……血は争えなんな」

 「愚息殿下が同じ事をしでかしたと?」

 「……さて、私はこれで退散しよう。裁判の結果はどうあれ……お前と会うのはこれが最後だろう」


 意味深な言葉を残し、王は地下牢を去っていく。幾つかの謎を残して。


 「アルバ、アルベルタって?」

 「……俺と対立していた頃、兄が抱えた歌姫です。跡継ぎ争いで不仲になった俺と兄……そんな時に兄は彼女に出会った。俺の真名に似ていたから心を許したようですが、俺が死んだと思った後に彼女は兄に始末されたとか」

 「始末、された?」

 「自分の悪事を知る者はいない方が有り難い。俺を失ったことで、兄はそう血迷ったのでしょう」

 「だけど……歴史は繰り返すってあいつ」


 殿下と陛下。第一印象はそんなに似てはいないが、玉座への固執の度合いは似ているのだろうか?


(歴史は、繰り返す……?)


 歴史って何?何時から何時までのこと?言っている意味が分からない。解りたくない。何かを感じてカロンの肌が震える。悪夢が目覚めるように、ウンディーネの肉を食らった娘の姿を思い出す。


(ベルタルダ……ベルタ、アルベルタ)


 その名は何だ?此方に訴えかけるよう、同じ響きを含ませて……カロンの頭をぐるぐる巡る。

 ベルタはウンディーネの肉を食らった。シエロの血を飲んだアルバは不老になった。ではシエロよりも早い時代の選定侯。尚かつウンディーネの血を色濃く現した俺の前世。その血肉を食らったあの少女はどうなる?不老不死になった可能性が……絶対にないとは言えない。

 ベルタが生きていると仮定して……何かを象徴するように、名乗った謎の歌姫アルベルタ。それはアルバを連想させるだけではない。


(アルベルタは何故王に仕えた?)


 それはウンディーネが選定公家に転生するのではないかと考えて、接近して来たのではないのか?ベルタの名を知る者に、何かを訴えかけるよう……王に寄り添ったというアルベルタ。なら殿下に寄り添った歌姫は?


(歌姫ドリス……ドリュアス=エウリード)


 歴史は繰り返す。陛下はアルベルタを殺し、殿下は……?


(そう言えば、どうしてドリスは死んだんだ?)


 イストリアに裏切られた所為だとしても、現実的には誰が犯人?見捨てたカロンが直接的な犯人ではない。ドリスの死体を城が回収した所からも、怪しいのは城だ、殿下だ。


(ドリスは城へ行って、返り討ちに遭った?)


 殿下があっさりシエロに乗り換えた所から見るに、彼はドリスに女に失望するようなことがあった。ならばドリス殺しの直接的な犯人はやはり殿下だろう。


(歴史は、繰り返す)


 陛下も殿下も愛人だった歌姫を殺した。嗚呼、ここまでが同じ。同じ?

 その状況。あまりに似すぎていないか?そもそも何故アルベルタは陛下を選んだ?選定侯家の人間は他にも居たはずだ。

 この問いは、こうも言い換えられる。何故ドリスは殿下を選んだ?ナルキスもシエロも居たのに。


(それはシエロにはシャロンが居た。アルバにはカルメーネという歌姫が居た。ナルキスはあの通りだし、彼の親にも妻が居る以上、歌姫がいたのだろう)


 つまりアルベルタは陛下としか接点を作れなかった。ドリスも同様。それか彼女らは、自分の外見とそれを立てる方法、相手の男を満足させる方法を知っていた。どういうタイプの男が手玉に取るのが容易いのかとか。


(いや、待てよ)


 「アルバ。アクアリウトの家は、魔術研究に秀でていたんだよな?」

 「ええ、そうですが。それが何か?」

 「ドリスはどこからあんな召喚物を手に入れたんだ?どうやってイストリアを召喚したんだ?アルバが魔王達を呼び出すのには手順を踏んで苦労したのに、まだ若く幼いドリスがそれだけの知識をどうやって有したんだ?元々そういう知識研究環境の整った家に生まれたわけでもないのに」

 「アルベルタだって王に近付いたのは……それが目的だったと。いいえ、カロン様は……歌姫ドリスがアルベルタだったと仰りたいので?」

 「え?」


 アルバの言葉にカロンはぎょっとする。二人の歌姫が王家に近付いた理由を悪魔召喚と結びつけた。しかし二人の歌姫、ドリスとアルベルタ。その点を結びつけるまでは思い至らなかった。それでも言われたその二つの点を繋いで見せれば、混乱していた頭の中が、すっきり整頓されていく。


(愛人、同じ……女……おなじ、おんな……、っ!!)


 導き出される答えにカロンは震える。夢と現が重なるように、ひたひたと……彼女の悪意は、暗い影は躙り寄る。この地下に、もう一つ……誰かの足音がやって来た。暗く伸びてくる影に、カロンは脅える。その正体に気付いたからだ。

 オペラ座で死んだ彼女の死体は何処へ消えた?それは……城へ!


 「いい気味だな、人間」


 現れたのは想像していた人物ではない。牢の前に立つのは透き通る空青の瞳、冷酷な瞳の美少年。彼の頭には翼と角があるが尻尾はない。それでも異形の姿を模っていた。


(エングリマ?でも髪の色が違う。長さもだ。それに頭翼の他に、角もある)


 戸惑うカロンを前に、悪魔は此方をせせら笑う。その人を小馬鹿にした様な笑みに、カロンはある悪魔の姿を重ねた。


 「何だ、私を忘れたか?」

 「……ま、まさか、イストリア!?」

 「これから面白いことになるぞ少年。お前の悲鳴が今から楽しみだ」

 「や、止めろっ!!シエロに何をする気だっ!?」

 「この私を馬鹿にしたんだ。真実の愛とやらの行き着く先を、是非とも見せてくれ」


 高笑いを残し、悪魔が姿を消していく。その自由さにカロンは戦慄した。

 ここは推理小説。そんなことがあってはならない。悪魔があんな風に現れて消えるなんて。


 「あ、ああああアルバっ!あ、悪魔が実体を持って現れて、自由自在に消えるなんてあり得るのか!?」

 「第三領主の力が強まっていると見るべきでしょうね。第七領主は夢の領地を持ちませんが、夢の力にも干渉できるワイルドカード。恐らくはカロン様……我々はあの男が消えた時点から、夢を見ています」

 「ゆ、夢!?」

 「ええ。この牢から脱出しても脱出した夢を見たというだけで、朝までここに閉じ込めるよう……第三領主が、シャロン様が仕組んでいる。ですからカロン様。貴方が得た情報に対する私の考えを述べることも出来ません。相手方に伝わります故」

 「くそっ、シャロンの奴っ!」


 ここから出られない。それはつまり、シエロが今大変な目に遭っているかも知れないということ。アルバと相談すれば、それはアムニシアを通じてシャロンに筒抜け。


(シエロ……)


 どうか無事でいてくれ。そう願うことしかできない自分の無力さに、カロンは拳を握りしめた。

オボロス回。彼もなかなか不幸な子に仕上がってしまいました。

プロット漫画描いてた頃はオチ担当だったのに。


アクアマリンで思い出したけど、シレナの懐中時計の布石も拾っておかんと。

オボロス君の命名由来はあれですね。冥府の船に乗るためのお金の単位だったはず。んでシレナはセイレーンのイタリア語だったかな?

冥界の女王の従者って話もあるセイレーン。

名前的には冥界繋がりで相性良さそうなコンビだったんだけど……悲しいかな。最初は本当にシャロン死んでるつもりで書いていただけに……初期のツンデレお嬢様とのいちゃつきっぷりがただただ悲しい。

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