40:悪魔の舞台裏『裏切りの賛歌』
使い魔
「申し訳ございません……お嬢様。イストリア様。」
*
「……何をしている」
アルバの第一声に、悪魔は悪びれもせずに答えた。
「いや、何。面白いことになったのにさっぱりご主人様が目覚めないのでね」
確かに寝過ごした。夜に出掛けて戻ってきたのが深夜二時過ぎ。資料をまとめ、第四領主に引き続きカロン様の護衛を頼み、仮眠を取ろうと思ったのが三時頃。疲労からか、多少警戒心が薄れていたのは事実ではある。それがこの失態を招いたというのか。外は既に日が照り、何やら騒がしい。
「いい加減その手を放せ」
敬語を使う気にもなれない。なれるはずがないだろう。目覚めていの一番、目に飛び込んでくるのが胡散臭い青年悪魔……そいつに自身の下半身をまさぐられていようものなら。
「まぁまぁ、細かいことは気にするものではないよ」
「気になるだろう」
「性行為が魔力摂取にならない悪魔はいないからねぇ。ラストスパートにかけて私を働かせたいのなら、少しくらい相手をするべきだよご主人?」
悪魔は魂を食らう以外にも、魔力を得る術がある。それは多くの場合人を堕落に引き摺り落とす行為であり……性行為もその一種。
「それとも私をあの美しくも哀れなお嬢さんの所に向かわせてくれるなら、それでも構わないんだがね」
「昨晩のでは足りなかったか?」
「あの瓶詰め精液はやや鮮度が落ちていて品質が低下していたね。それでもなかなかの味わいだったよ」
昨晩二人が向かったのは、上層街にあるシエロの屋敷。そこは警備が薄くなっており……警備の目をかいくぐるのはそこまで難しいことではなかった。それを罠かと思ったが、踏み込んで正解だった。
兵士達はまだ地下室を発見できていない様子。遺体を丸ごと持ち出すのは困難だったが、証拠品くらいは持ち出すことに成功した。
(この変態領主を連れて行ったのには意味がある)
確率変動能力、魔力、序列においてこの悪魔は魔王最弱。しかしこの変態は、色事にはめっぽう強い。そういう方面の情報解析方面でならこいつは意味を成す。アルバがそれに気が付いたのは、つい先日のこと。仮契約時シエロの胸を舐めたこの悪魔は、アルバにこんな事を漏らしたのだ。
*
「いやぁ、あのお嬢さんの汗の味は良かった。汗ですら微量の魔力を帯びている。これが唾液精液愛液なんかじゃ、どれほどの魔力を持っているのか」
最初は聞き流していたその言葉。余程シエロ様の味が美味だったのか、「エフィアル様の代わりに私をあのお嬢さんの護衛に付け給え」などと、カロン様の居ない場所で何度も頼み込んで来ていた。無論断り続けたが。
それでもこの悪魔はあまりにもしつこく、彼の魔力の味を熱心に語るのだ。ここでアルバは疑問に思った。
第六領主は美食家としても知られている。契約を迫る際に、料理の話を持ち出したのもそのためだ。料理の腕が良いならば、その味覚もなかなかの物ではないだろうかと……
「貴様……、いえ第六領主様の舌は信用できるので?」
「勿論!私の舌は最高さ!一度食べた物の味は決して忘れない!そしてそれを再現出来る!ああ……それでもシエロ=フルトブラント!彼の魂から滲み出る旨味成分たっぷりのあの味は、到底語り尽くせない!嗚呼、私の逞しい股間を使い、粘膜摂取で彼をじっくり味わいたい物だ」
カロン様の不在時は、この位この悪魔は酷い。彼のいない所でなければ、込み入った話も出来ないのが第六領主の問題だろう。
「つまり、一度舐めればそれが誰の物であるか解ると?」
「何だ?何か美味な物でも恵んでくれるのかいご主人様?」
*
屋敷に向かったのは、第六領主にある物を食べさせるため。歌姫を襲った者が残した精液。冷凍保存させたそれを彼に舐めさせた。
現実問題、この事件を解決させられなくとも、悪魔が通して見た本として完結させられるのなら、この世界は第七領主の操る糸から逃れられる。そのためには、エコーの自白だけでは頼りない。確かな証拠が必要だったのだ。
「お次は本人から生の濃いのを絞り出させるだけだな。人魚の子孫!しかも王子の転生体!あれでもそこそこ魔力はあったが、やはり生を頂くに越したことはない!しかも歌姫エコーとやらは生娘らしいではないか!あの少年が襲われた事への報復という理由で私に襲わせるのは実にいい手だ!」
「いや、男になった姿のアルセイド嬢を襲ってくれと頼んでいるのだが」
証拠品の精液と同じ味かどうか。そこに宿った魔力を確かめて貰いたいと言っているのにこの悪魔、女の姿のエコーまで頂こうと考えているようだ。
「しかもこの策の凄いところはだなご主人、あの少年を襲った強姦魔への仇討ちをした私へのお礼に、お美しいシエロ様が股を開いてくれる可能性すらあるというところにある」
「シエロ様はそこまで尻軽ではないぞ」
「胸は重そうだがどうだかな。あの少年の発展途上の物では満足できずに、今頃疼いてらっしゃるだろうよ。どうするんだい君は。愛しの人魚姫が、またしても他の男に。恋人を奪った男の息子に孕ませられでもしたら」
「シエロ様にはもう……」
「そうだね、我々が確率を引き上げた。女として生きると決めた彼の身体には、あの少年の種が眠っている。先着的には問題はない。だがね……」
悪魔は此方の心を抉るよう、嫌らしい笑みで含み嗤った。
「無理矢理男に戻されたらどうする?裁判では彼が呪いで性別を変更させられることを明かさなければならないはずだ。元の姿に戻されることになるだろうよ」
「ああ、でも安心し給え。あの殿下なんぞには食われない。食われるとしたらそうだなぁ……海神か。あんな物を入れられたら流石に大変じゃないのかね?そうなる前に、一度味見をしておきたいものだよまったく。死後は肉体を新たに生成してやれるとは言え、それはあまりに勿体ない」
「海神に、食われる……だと!?」
突然もたらされた言葉に、アルバは言葉を失った。
「おや、まだ気付いていなかったのかい?」
「何の話だ!?」
「15話目……もとい、恋人認定試験の夜の話だよ。歌姫ドリスの言葉を、我が主はお忘れかな?“『海神の柱』”と彼女は確かに言っただろうに」
悪魔からもたらされるその情報。それは制約に触れないのだろうか?アルバは疑問に思う。
(いや、この悪魔が自分の損になるようなことをするはずがない)
ならば誓約には触れていない。この悪魔は第七領主が定めた誓約の縫い目をかいくぐっているのだろう。何とも食えない男だ。
「柱……人柱のつもりか?」
「少なくとも歌姫ドリスが定めた脚本じゃ、可愛らしいシエロ様はまもなく私の物になるよ。彼はこの本が終わるまで、生きてはいられない。それだけは確かさ」
確定事項のように、悪魔はアルバの最愛の人の死を告げる。
「そんなこと、俺がさせるか」
目の前の悪魔を通じて、本の向こう側の悪魔を睨み付けるよう、アルバは眼差しを光らせる。そんな人間の抵抗に、ほんの僅かの興味を抱いたように、第六領主は苦笑した。
「ご主人様……いや、アルバーダ。人の歴史が始まって今で何年?正確なところを君ら人間は知らないだろう。そうだな、人間で無くても構わない。この世界の誕生から一体どれくらいの伴侶が惹かれ合い、結びつき添い遂げたのか」
「それが、何だと言うんだ」
「つまりだね、幸せになったその二人は我々悪魔にとって語るに足らないお話なのさ。あの愛らしいエング君だって同族同士の恋愛には興味はないよ」
悪魔は禁忌、そして人の不幸を何より愛す。そういう生き物なのだと悪魔自身がそう言った。シエロとカロン。あの二人の未来は不幸にならなければ意味がない。悪魔にとってそれは記す価値もないのだと……
「あの二人だって同じさ。本の軸に据えられたからには、物語になる定め。極々普通の人間のように幸せになってそれで誰に喜ばれる?人間の本質も、我々悪魔と同じさ。他人の不幸が何より楽しい。その愉悦なくして人は生きられやしないのだ」
(勝手なことを!)
勝手に人を話の枠に組み込んで、傷付け悲しませ、最後に殺す。無慈悲な悪魔の娯楽に巻き込まれた我々が馬鹿みたいではないか。何のために悩み、苦しみ生きてきたのか。こんな風に弄ばれて殺されるためだと!?巫山戯るな!!感じた怒りが収まらず、アルバは拳を壁に打ち付ける。そんな様子を滑稽と、悪魔はケタケタ嗤うだけ。
「第七公はエフィアル様のように永遠を司ってはいない。彼女の生み出す永遠は終わらない物語などではなく、終わった物語を通じ……その話に触れた人間に、永遠に消えない心の傷や快楽を植え付けること。それが歴史、それこそ物語。それが彼女の正体」
「それくらいは知っている!奴に目を付けられたら、それで終いだと言うこともっ!」
だからこうして策を講じているのではないかとアルバは言う。最悪の場合、命を捨てる覚悟で第四領主を襲って犯して第二領主を覚醒させてやるつもりなのだ。その位の覚悟を俺は決めているというのにこの男は何だ。対価を渡しているにも関わらず、従う気がまるでない。俺は努力に努力を重ね、悪魔を従える術を磨いてきたというのに……こんな、底辺魔王一匹に手こずるなんて。こいつより強い悪魔が幾らでも、この街に滞在しているのに。こんなことでは……と、アルバが肩を落とした時だ。耳元で、青年悪魔が囁いた。別に耳元でなくてもよかろうに。
「だが、私の名前を思い出してみてくれ給え。我が名はエペンヴァ。つまり私の本質はΕπεμβείτε……介入さ」
「介、入……?」
自由自在に結界内にも現れるこの奇人。故に境界の悪魔、領域の悪魔と呼ばれることも多々ある第六領主。彼が司るは境界……改め介入なのだと本人が言う。
「私の……第六眷属の能力は貴方もご存知だろう?我が第六門に属する者はその魔力量に応じて魂を分化させられる。私の使い魔能力もそれを応用したものだ」
「それは、知っている」
「時にご主人、私は本の外にも幾らか分身を残して来ていてね。故に第七公の可愛らしい企みなど筒抜けなのさ」
「それを語ると言うことは」
「ああ、そうさ。第七領主は今、本の中にいる。そして私の分身は外にいる。言っている意味が分かるかね?」
初めてだ。俺はこの悪魔と契約したこと、……それこそ幸運だと思った。弱いからこそ、同僚達には舐められている。上から目線の悪魔達。連中は足下を掬われるということを知らない。同僚達に負け続けたこの悪魔は、誰より敗北を知る代わり……決して思い上がらない。剽軽な道化を演じつつ、絶えず人の隙を窺っているのだ。この魔王は弱いなりに一発逆転……トリッキーなカードだったという訳か。アルバは悪魔を見つめ、思わず息を呑んだ。普段なら「何をそんなに物欲しそうな顔をして」などとほざきそうなものだが、この時ばかりは悪魔も悠然と笑みを構えるだけだ。やがて悪魔は唇を吊り上げ、企みに誘うよう……小さな声で語り始める。
「私は第七公に分身を、一人奉公に出している。彼は本を外から眺められる。全ての展開を知っているんだ。勿論それは本体である私にも届く情報だ」
「……、それは」
「長く本体に戻さず放置しておくと、分身も自我を持ち始める。私であって私ではなくなってしまうということだ。それでも私は私なのだから、彼は私の命令には逆らえない」
「……対価は何だ」
「先程のご主人様の覚悟、一つ私に協力していただけないかな?彼は貴方を信頼しているようだ」
「おい、待て」
「人魚ついでに第四領地の初雪を、食べてみるのも悪くない」
*
罪の悪魔
「あれ?なんだろうこの悪寒。十月もこんな空の上だと寒いんだなぁ……。
って僕普通に寒い領地出なのに。風邪かなぁ?」
*
「イストリア様……」
本をぴたりと閉じて、使い魔は目を伏せる。
物語の悪魔は、本の中に入る際……いつも頁を開いたままに出掛ける。本が閉じてあるものは、物語の悪魔であっても出られない。だから外に俺を置くのだ。何かあったときに本を開く役目を俺に。
信頼されていたのだ。それくらいには、心を開いて貰っていたのだ。
《ふむ、褒めて遣わそう》
「エペンヴァ……様」
《流石は我が分身。よくぞ自分の心に背いた。一時はどうなることかとひやひやしたよ》
頭に響く声。本体からの連絡だ。
《ま、安心しなさい。お前にとっても悪いようにはならないよ。第一公と第七公が結ばれては困るのでね、私も》
もし第一公の望み通りエフィアル様とイストリア様が結ばれれば。第一公の魔力はより強大な物となる。それは単独で第二公に太刀打ちできるレベルに達するかも。その傍らにはあの恐ろしい第三公アムニシア。そこでイストリア様まで第一公に骨抜きにでもなれば、この地獄は第一公に完全支配されたも同然。それを防ぎたいというのが俺の本当の主の望み。俺としてはそんなことはどうでも良い。それでもその声に逆らえなかったのは……
《愛しのお嬢様が、エフィアル様に取られるような気がしたのだろう?》
(……っ!?)
《我が分身にしては随分と可愛らしいことだなぁ。いや、それも私という引き出しから生まれた以上、私もなかなか可愛らしいというわけか!いやはや困ったな!》
こんな悪魔が俺の本体かと思うと気も塞ぐ。落ち込む俺の心の隙に彼は入り込み、手足の自由を奪う。それは俺が本を再び開くことがないように、だろう。
《しかしこれにて退路は断たれた。お前を信頼していないわけじゃあないが、私もそっちで仕事があるのでね。身体の主導権はしばらく私に戻して貰うよ》
もう、どうにでもしろ。使い魔は意識を手放し、意識の闇に沈んでいった。
今回は短め。
エロ展開と切っても切れない作品になってしまったのは何故なんだろうな。
悪魔達の設定の所為か。