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2:商家の歌姫

 海神の娘の姉A

  『きぃぃ!許さんぞウンディーネ!前々から生意気だと思っていた!

   私だって同じ海神の娘!十分美しいはず!多くの男がそう言った!

   だと言うのに何故あの男は、私でなくあの女に夢中なのだ!

   あんな女!もはや精霊ですらない!汚らわしい人間だというのに!』


 *


 「ちょっと!聞いてないわよっ!どういうことよ!」

 「すいませんお嬢さん」

 「すいませんで済んだらお仕置きは要らないのよファン一号っ!」

 「ひぃい!勘弁っ!お嬢さんっ!あと俺の名前はオボロスですっ」

 「知ってるわよその位っ!お、オボロス=ネレイス……ふん、庶民臭い気品のない低俗な名前ねっ!」

 「それはちょっと俺に言われても困りますよお嬢さん。俺のご先祖様に言ってください」

 「何よあんた……男の癖に出世欲とか無いわけ?大金稼いで何処かの貴族の娘と結婚するとか考えないの?何のために働いてるわけ」

 「え、ええと」

 「あんたそんな考えも無しに金貯めてるの?馬鹿なの?死ぬの?」

 「俺はお嬢さんの仰るとおり学のない馬鹿ですが、あんまり死にたくはないですね」

 「誰も本気で馬鹿にしてないわ!そんなことも解らないの!?馬鹿っ!」

 「すいません」


 そりゃあないですよシレナお嬢さん。

 どっちにしろ俺は馬鹿ってことなんですね。それはいいですけどそんなすぐ殴らなくても。

 彼女の怒りはもっともだが、頭を下げるオボロスとしてもこんなことになるとは思わなかったのだ。


 *


 こんな気持ちで仕事なんか出来るかよ。と投げ出すのは簡単だ。ついでに自分の命も続けて投げ出す覚悟があるのなら。しかしそう言うわけもいかない。如何に親友……いや、悪友が行方不明で心配だろうと次の仕事に遅れるわけにはいかない。いかなかったのだが……


(カロンの阿呆ぉ)


 オボロスは欠伸を噛み殺す。あれからしばらくカロンの家の傍は夜中まで怪しげな騎士が彷徨き回っていた。ほとぼりが冷めた頃様子を見に行ったが蛻の殻。ただ事ではない。


(あの貴族の揉め事に巻き込まれたと見て間違いないな)


 名前は解らないが、空に行けば手がかりは掴める。元々空を目指していた自分だ。理由が一つや二つ増えたところで何も変わらない。オボロスはそう意気込んで、仕事に打ち込む気で居た。

 オボロスの仕えるネレイード家は裕福な商家。空に移り住むにはまだまだ金が足りないが、下町ではちょっとした富豪。

 空の皆様も高い所じゃ手に入らない物が多い。近隣諸国との貿易により手に入れた物を彼らは高く買い取ってくれる。その物資を届けるために定期的に空に荷運びを行っている貿易商。つまり、旦那様の信頼さえ手に入れれば空に行く仕事を任せて貰えることだって、十分起こり得る。

 元々はオボロス自身がシャロンに会いたかった。更にはシャロンが空に消えてから、沈んでいたカロンを励ますため、その近況を知ることが出来ればと思っていたが、そこにカロンと一緒にいたあの貴族の兄ちゃんの情報収集という仕事も加わった。それだけのこと。とは思ったが心配で眠れなかった。翌朝朝早くに再び出港する事が決まっていたが、何度も家の様子を見に行った。休暇がパーだ。オボロスはそこでうっかりというか当然というか寝坊し船に乗り遅れ……もう解雇される覚悟で主の下へ謝罪に行った。事件はそこで起こった。


 「丁度良かったネレイス」

 「は、はい?」


 オロオロと室内を歩き回っていた雇い主。その商人はオボロスの姿を見るや喜色満面、生気を取り戻した顔になる。この分ならお咎めは無さそうだとこっそり安堵の息を吐く。


 「人手が足りなくて困っていたんだ。お前は口が堅いし信頼できる……いずれ任せようと思っていたが、それが多少早まったと言うだけ。今回の件はお咎め無しだ!代わりにしっかり働けよ」

 「はい!ありがとうございますっ!」

 「それで早速仕事なんだが……これを空まで運んで欲しい」


 商人は一人でも運べそうな荷包みを指差して、それを運ぶように命じて来た。


 「え?」

 「この通行書があれば、北のゲートが使えるようになる。これを娘の所まで運べ。道などは尋ねれば解るだろう」


 あれやこれやと言わんばかりに首から証書の入った鞄を提げられて、荷物を抱えさせられる。そんなに重くは無さそうだ。


 「空と言いますと、お嬢さん宛ですか?」

 「ああ。生活雑貨と食品と一緒に運ぼうと思ったのだがあれから先程手紙が来てな。別として早く!今日中に送れと言われてな。あの階段を上りきれるような若衆が誰も居らず困っていた所だったんだ」


 空へと続くあの長い階段。登れと?今日中に?何段あるのあれ。

 血の気が引いたがそれでも名誉挽回、汚名返上のチャンス。さもやり遂げますみたいな顔をしておかなければならない。これも失敗したら今度こそ首が飛ぶ。

 荷物を抱いてオボロスは走った。何故こんな時にカロンがいないのかと泣きながら走った。商家から北の城門まではそこそこ距離があった。そこに来るまでで十分疲れたというのに、鬼のように長い螺旋階段。頭が回る。目が回る。もう何段上ったか解らない。上っているのか下っているのかも解らなくなる。それでも荷物を落とさないように大事に抱え、それでも1秒でも無駄にしないようひたすらにそれを登った。

 あの細身の貴族の兄ちゃんがこの上り下りをしたとは信じられない。だから落ちてきたのかあの人。でも助かる高さから落ちたということは、いくらかは下ったはず。あのもやし兄ちゃんに出来て俺に出来ないはずがない。上からと下からじゃ話が違うとかそんな言い訳はしないっ!


 「なんて下らないこと考えてる内に着いたぁああああああああああああああ!!」


 ……とまぁ、そこから令嬢の屋敷を探し出し、ようやくここまで来たというのに。一年ぶりに会うお嬢さんは冷たい。以前はもう少し可愛げのようなものがあった気がするが今はそれが木っ端微塵だ。

 それでもまぁ、元々美人なお嬢さんだが外見は以前より磨きが掛かっている。これなら十分歌姫としての人気もあるのではないだろうか?

 今回オボロスが届けさせられたのは歌姫の衣装だ。お嬢さんはシャロンのように養子に入って歌姫になったのではなく、商家の娘という身分のまま歌姫になった。だから後ろ盾というのは実家であり、血縁者なのでこうやってサポートを受けられる。しかしネレイード家は空に住んでいないので、こうやって上り下りの仕送り作業があるって話だ。一度だけしかしていないが、きつい仕事だ。意識が半分朦朧としている。よく荷運び役が逃げるって聞いてたけどそれはこの所為だったんだなと、妙にオボロスは納得した。


 「ふぅん……新しい衣装、悪く無いじゃない。ファン一号!後ろ結んで!」

 「ぎゃあああ!お、お、お嬢さんっ!下着姿で彷徨かないでくださいっ!!駄目ですよそんなの!嫁入り前のお嬢さんが……」

 「うっさい!良いからやれって言ってるでしょ!」


 頬を思い切り抓られる、痛い。


 「へ、へぇ!すみませんでしたっ!」


 なるべく肌を直視しないようにしつつ着替えを手伝う。


 「お嬢さん、メイドは置かないんですか?お一人の生活は大変でしょう?」

 「お父様がこっちで何人か雇ってたけど全員解雇したわ、そんな金があったら貯めて早くみんなをこっちに呼んであげたいもの。そ、その時はあんたも扱き使ってやるんだから覚悟しなさいよ」


 お嬢さんが歌姫になったのは、そうだ……家のためだった。水害の多い下町から家族と使用人みんなを上へ拾ってあげるため。ひねくれ者ではあるが、性根は優しい女の子なんだと再認識し、オボロスは笑う。


 「お嬢さんは優しいんですね」

 「な、なによ……いきなり」

 「ああ、いえ……大したことじゃないんですが、ちょっと知り合いを思い出しまして」


 全然違うがほんの少しだけ……シャロン。あの優しい彼女と似ている。彼女よりも守る者が少ないが、その分深く思っている。ちょうどシャロンが空に上がったのもお嬢さんと同時期だったはず。それを思い出し、うっかり口にしてしまう。


 「そういえばお嬢さん、シャロンって歌姫知ってますか?俺の親友の妹なんですが……」

 「はぁ!?シャロン?なんでここであの女の名前が出てくるのよ!」

 「え?ああ、お知り合いでしたか?」

 「うっさい!馬鹿ぁっ!あんたなんか大嫌いっ!」


 振り向き様の裏拳を叩き込まれて、気が遠くなる。


 「ちょ、ちょっとオボロスっ!何勝手に気絶なんかしてんのよ!しっかりしなさいっ!」


 お嬢さんにがくがく身体を揺すられるが……無理だわ、これ。


 *


 「……っは!」


 それから何時間だろうか。辺りはすっかり薄暗い。

 という夢を見たんだぜ。とか言わせて貰えないらしい。ここが自宅でないことは一目瞭然。


 「……はぁ、俺情けねぇ」


 女の子相手に気絶させられるとは涙が出てくらぁ。

 オボロスが周りを見るとそこはお嬢さんに殴られた部屋、お嬢さんの借りている屋敷。毛布が掛けられていたが床に起きっぱなしにされたのだ。体中が痛い。


 「お嬢さんー?」


 辺りを探してみるが返事はない。辺りはすっかり薄暗く……改めて回ってみて、屋敷の広さを実感。こんな所で一人で暮らしているのかお嬢さんは。寂しくないんだろうか?


(へぇ……でもまぁなかなか立派なもんだ)


 空への居住権が無ければ家は建てられない。だが歌姫はそのランクによって住む場所を提供される。

 屋敷探しに手間取ったのも、旦那様から居場所を教えて貰えなかったのも、住処を点々としている……つまり、ランクが変動し次々広い屋敷にへと移り変わっていったということなのだ。彼女がこの一年頑張った軌跡を辿るようで誇らしげな気持ちになったが……下町で旦那様に言われたことを思い出し、妙な気持ちになった。

 そうだ。旦那様は言っていた。


 「いいかオボロス。ただし、上で見たことは全て他言無用。下町に帰って来てそれを漏らすでないぞ?」

 「は、はぁ……解りました」


 とりあえずそう言っておいたが真意は不明。これだけ娘さんが頑張ってるんだから、近況報告など求めるだろうと思ったが、土産話などは必要ないと言われていた。それが妙に引っかかる。言われてみればこの一年、お嬢さんの話を上に行ったという連中からも聞いていない。荷物の受け渡しはなにもお嬢さん相手だけではないから会わない、或いは使用人に渡しているのでお嬢さんに会わせて貰えない。そんなところかと思っていたが…


 「仕事にでも行かれたんだかなぁ……」


 挨拶も無しに帰るのは失礼だ。小柄なお嬢さんには俺を運べず、毛布を掛けるしか出来なかったのだろうし……そのお礼も言わなければなるまいと、オボロスは頷く。

 第一鍵がないから戸締まりが出来ない。出ることは出来でもそれでは泥棒に入られてしまう。


 「こいつは酷ぇ」


 調理場へ向かえば……そこは戦場だった。正確には戦場跡。どうすればこんな有様になるのだろう。ゴミも凄ければ爆発?……天井には火柱の後まである。箱入り娘のお嬢さんだ。料理、駄目だったんだろう。

 見ていられなくてそのまま掃除に着手し、調理器具が暫く使われていないことを知る。これでは下から旦那様が送る食料も無駄だろう。お嬢さんに良い物を食べさせたいという親心がメイドの解雇とお嬢さんの料理の才能の無さにより粉砕されている。食材運んだ人間と育てた人間が哀れでならない。

 食料庫を見ればまだ無事な食材も大分ある……が、もうしばらくで傷んで食べられなくなりそうな物もある。そう言った物を集め、何か拵えようと考えた。仕事帰りに何か食べて来られるのかもしれないが、違うかも知れない。仮に食べてきたとしても明日の朝食くらいにはなるだろう。

 オボロスは鼻歌交じりに調理に着手。疲れた時は甘い物だって言うしなと、デザートにまで手を出した。お嬢さんも仕事終わりにはきっとお疲れだろう。

 しかし久々の料理は楽しい。船の上じゃあまり凝った料理も作れない。無駄に機材だけは揃ってるこの調理場は腕が鳴る。


 「……何、してんの?あんた……」


 と、はしゃいでいる内に大分時間が過ぎていた。背後でお嬢さんの声。


 「お帰りなさいお嬢さん。いや、食材が悪くなりそうなのあったんで、処分するのも勿体ないんで使わせていただきました。明日の飯にでもして下さい」

 「……」

 「今日はお見苦しいところお見せしてすみません。毛布ありがとうございました」


 なんだかお嬢さんは元気がない。余計なことをしたと気分を害されたんだろうか。


 「お嬢さん?」


 突然お嬢様が泣き出した。どうしたものかと此方がオロオロしていると、そのまま俺に抱き付いてくる。


 「お、お嬢さん!?」


 緑の目を白黒させているオボロスも、これはただ事ではないことを知る。


 「お嬢さん、落ち着いて下さい。とりあえず今、茶でも淹れます」


 そう言えばこくんと無言で頷くも、此方から離れてはくれない。動きづらいがそうも言ってはいられない。余程辛いことでもあったのだろう。

 湯を沸かし紅茶を入れて、ついでに先程作ったケーキを皿に切り分けテーブルへ。まだ涙目だったお嬢さんもそこでようやく離れて席へ。無言でそれに手をつける。


 「……おいしい」

 「あ、ありがとうございます」


 ぽつりと呟かれた言葉に、条件反射で頭を下げる。その後の沈黙が少し怖い。何があったのか何て俺からは尋ねられない。俯いて床を見つめるオボロスに、彼女は暫しの沈黙の後……言葉を投げる。


 「シャロン……」


 またもや条件反射。思わず顔を上げる。


 「シャロンが、生きてた」

 「は、はい……?」


 そりゃあ生きているだろう。雇い主のご息女が仰る意味が分からない。


 「怖い……」

 「お嬢さん?」

 「私……見たの。あの子が、死んでるところ」

 「シャロンが、死んだ!?」


 頭を思い切りぶん殴られたような衝撃。シャロンが死んだ。その一文が何度も頭の中で鳴り響く。それでもそんなオボロス以上に動揺しているのはシレナという娘。オボロスの目にも、シレナが震えているのが見えた。


 「……私も疲れてた。幻覚だったのかも。だけど……あれが幻覚のはずがない。……怖くて逃げて、だけど……次の日戻ったらもう何もなかった。血の後も何にもなくて……ぞっとするほど綺麗だった。それじゃああれが幻覚なら、私……」

 「お嬢さん……」

 「私、心の何処かであの子が死ねばいいと思ってたんだ!そうなんだわ!だって狡いっ!あの子ばっかりっ!」

 「落ち着いて下さいお嬢さん」


 がくがくと青ざめた顔のシレナの肩を抱き、しっかりしろと語りかける。


 「俺はあいつの幼なじみです。話せばすぐにわかります」

 「オボロス……」

 「偽者なら俺には解る。だから安心して下さい。俺が確かめます。お嬢さんのようなお人が誰かの死を望むはずがありません!お嬢さんのお人柄は俺が保証します!」


 この優しいシレナがそんな幻覚を見るはずがない。ならばそれは他人の見間違い。その死体か、或いはシャロン自身が。


 「あんたに私の何が解るのよ!?私は、最低よっ!!」

 「そんなことはありません!」

 「なんでそう言い切れるの!?」

 「言い切れます」

 「どうして!?」

 「お嬢さんが本当にそれを望んでいたのなら、その幻覚でここまで動揺するはずがねぇっ!むしろ笑うところだ!だけどお嬢さんが笑わない!だからそんなことを望んでいたはずがない!違いますか!?」


 すぐ傍で啜り泣く声。気位の高いこの娘のことだ。使用人なんかの前で、これ以上情けない所を見せたくないと、そう強がっていらっしゃるのだろう。

 それを理解したからオボロスも目を閉じ……見ない振り、聞こえない振りを貫いた。


 「……そうね。そうかも、しれない」


 長い沈黙の後、オボロスの言葉にシレナは頷く。

 なんでもそれから下へと手紙を書いてくれるという。勿論シャロンに探りを入れるという大前提ではあるが、それだけではあるまい。シレナの今の精神状態では、一人でこの屋敷に住まうことが出来なかったのだろう。オボロス自身、そんな彼女を放置し……シャロンの安否も知れぬまま下町に戻ることなど出来なかった。

シレナお嬢さんはツンデレ(のはず)。

オボロスはシャロンに夢中で全然気付いてません。

全世界のツンデレに謝れ。

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