36:夢の楔
とりあえずセクハラ注意回。
「シエロっ!」
突然夢が途切れた。何者かに邪魔されるよう、本当にいきなり夢が終わった。どういうつもりだと文句を言おうにも、声が聞こえない。
「あれ?エフィアル?」
悪夢を見せられていたはずだった。それが突然目が覚めた。これは一体どういう事なんだとカロンは首を傾げる。場所はフルトブラント本家。貸し与えられた部屋。起き上がった自分を見つめ返すのは、罪の悪魔エングリマ。
「カロンさん、どうかしましたか?」
「いや、エフィアル……エフィアルと連絡が取れない」
目を覚ましたのは真夜中。深夜の0時を針が二回りほど過ぎた所だ。嫌な予感がする。シエロに会いたい。しかし城には近づけない。
「こんな時間に何処へ!?」
「……今からエコーとナルキスに会いに行く」
「あの二人に?確かに約束はしてましたが、早すぎないですか?」
「……明日までに、城に潜り込む方法を考えないと。そのためには協力者が必要だ」
シエロに会いたいのは山々。しかしシャロンに付け入る隙を与えることは出来ない。そうなった時、協力者として加勢して貰えそうなのは、今となってはあの二人くらいなもの。エコーとナルキスは人魚と呪いについても詳しい。仮に味方になってくれるなら、前世の記憶を取り戻しているエコーは心強い。
「でもカロンさん……」
「エコーにされたことは……今は考えない。シエロを取り戻せたら水に流す。俺はそれで良い」
今一番大事なこと、それを見誤らない。つまらないプライドなんか今は捨てよう。カロンは決意し立ち上がる。
「そうだ、エングリマ、エペンヴァはどこに?」
「一時間ほど前、使い魔を残してアルバさんと何処かに出掛けていきました」
「なるほど……何か考えがあってのことだな」
「その際、アルバさんからはここを抜け出さないよう頼まれています。カロンさん、アルバさんは自分と貴方が一緒にここを離れた時、シエロさんの両親がシャロンさんに丸め込まれて懐柔されないかを心配しています」
「……そうか、それは確かにあり得るな」
今動いても墓穴を掘るだけだ。そう、言われてしまえばそれまで……カロンは頭を抱え出す。
「アルバさんが戻ってくるまで、出掛けるのは止めましょう。気が急くのは解りますが、今は我慢です」
「そう言えば、エングリマ。お前は何をしてたんだ?」
「僕まで昨日のように眠っていたら護衛になりませんから。本を読んでいたんです」
エペンヴァに襲われかけたのが大分トラウマになっているエングリマ。眠気覚ましに書庫から持ってきていた本を読んでいたとか。
「でも恋愛話なんか眠気覚ましになるのか?」
「はい。ですからちょっとグロ展開の香りと悲恋の話を中心に。怖いし泣くので目は覚めます。あわよくばカタストロフ様来てくれます」
「ははは、それは良いな」
エフィアルなんかより余程強いと噂される第二領主。それが現れれば本に閉じ込められた悪魔達も、元の世界に帰ることが出来るかもしれない。そんな強い悪魔が味方に付けば、此方にとっても好都合。
「で、何て話?」
「『優しい人魚のフォークロア』。呪われた人魚に恋した少女のお話ですよ」
「ああ、それなら俺も聞いたことあるかも。昔下町に来た吟遊詩人が歌ってた気がする。昔自分が暮らしていた街に、やって来た……不思議な吟遊詩人から教えられた歌だって」
その人が言うには、その吟遊詩人はまだ若く、二十になるかならないかの年頃。
昔は年に一度くらいは町を訪れていたのに、いつの間にか来なくなった。そうしてその人が大人になった頃、彼女は再び現れた。驚いて彼が聞くと、前の女の娘だという。
すっかり年老いたその人が、旅をする内に……老いない歌う女の話はあちこちから聞こえてきた。
その内その女吟遊詩人こそ、人魚に恋した娘の成れの果てなのだという都市伝説に変わった。そんな話を怪談として聞かせられたことがある。
「怪談としてはいまいちだし、こういうのは良くある話か、それか唯の偶然だろ?」
「そうですね。僕が思うにこの本は、余所の国の伝承が語り継がれて移動して、書き記されて……形を変えて今日まで残ったんでしょうか?人魚の血肉を狙うなんて、東洋的な話が盛り込まれています」
血肉を狙われた娘の噂話。それが異国の話を血肉として取り込んで、膨れあがって残される。そう思えば何とも不思議な感じはする。
「でもシエロの件もあるしなぁ……」
実際、人魚の血が色濃く出ているシエロ。その血を飲んだアルバは不老になった。悪魔と契約してやっと、十年に一歳年を取ることが出来るようになっただけ。
「アルバもいつか……この本の女の子みたいに危ない目に遭うのかな」
「カロンさん……」
「なかなか死ねないって言うのも辛いよな。ずっと……置いていかれるばかりなんだ」
シャロンを空に奪われてから、俺が感じていた寂しさ。シャロンを失ってから気が狂わんばかりに慟哭していたシエロ。それなんかよりずっと長く果てない孤独。
アルバがシエロに想いを告げなかったのは、仮に思いが通じても、先に失われるのを知っていたから。愛せば愛した分だけ辛くなるから。だからなんだ。
「俺には考えられないよ。シエロを他の誰かに渡して、その子孫に仕えていくなんて」
そこに彼の面影を見て、心を慰める。半永久的な生が終わるまで、その子らを守り見守るだけの生。それは激しい愛情ではなく、優しく温かい愛だ。自分のためではなく、相手の幸せを願うだけの道。それも確かに一つの愛だ。
自分にはそんな風には出来ないけれど、否定はしない。出来ないと、カロンはそう思う。
「俺とアルバ。どっちの答えが正しかったのかなんてわからない。でも俺は……アルバがいるからこそ、俺はシャロンにシエロを譲るわけにはいかない。シエロを俺に託したあいつにとっても失礼だ」
だから俺は俺の選択を後悔しないし否定しない。シエロを愛すればこそ、夢と現を入れ換えるというアムニシアの甘言に耳を貸したくなる心はある。シエロを男として生かしてやりたい。男として生きてきた彼が、もう男として生きられないのは辛いし可哀想だ。自分も男だから、立場が逆だったら……そう思うと我が身のことのように辛い。
それでもその時、もう自分が女としてしか生きられなくなったとしても。その時傍にシエロがいてくれたなら、それはそれで幸せなんだと思う。だから今のシエロの気持ちも解るんだ。幸せだと笑ってくれた、あの言葉に嘘はない。彼との出会いからはじまる全てを、俺もシエロも無かったことにはしたくないのだ。
(シエロ……)
悪魔がこの世界を去ったら、夢の中でその声を聞くことも出来なくなる。俺を呼んでくれるその声を。シャロンから逃れる術は、全ての悲劇から逃れる術は。
一つだけ、見えて来た。悪魔の性質を利用したやり方。それだけが、唯一シャロンと悪魔の魔の手から逃れられる方法だ。
しかしそれは、アルバにとってほんのささやかな救いを奪うこと。カロンが空に来てからしばらく、あの男とは対立をした。それでも今では、シエロとのことで誰より信頼できる相手。あの男のささやかな願いを叶えてやりたいと思うのに、そう思うことで自分とシエロはイストリアの本に縛られる。
(どうすれば良いんだろう……)
明確な答えを出さなければならない。時間はそう多くは残されていないのに。シエロの居ない夜は長いと思った。それでもこの悩みに付き合えば、朝などあっと言う間にやって来る。
*
眠りの森の魔女
「きゃあああああっ!お兄様お兄様お兄様っ!お会いしたかった!お会いしたかった!お会いしたかったです!え?先程ぶり?私としてはもう、一万年ほど離れていたようなのですわ。私にこんな思いをさせるなど、本当にお兄様は罪なお方です。いえ、許しますとも。だって愛とはそういう物ですから。」
*
夢の中の景色が変わる。飲み込まれていく、書き換えられていく。教会らしき風景が、暗い森へと変わっていった。その場に立って僕らを迎える少女が一人。エフィアルの言葉通りなら、彼女がアムニシア。シエロはごくりと息を呑む。
「ご機嫌よう、お兄様。お会いしたかったですわ」
「あ、ああ」
長い紫髪の少女は穏やかに微笑むが、その目の力に臆したのかエフィアルはたじろいている。第一領主とあろう者でも恐ろしいイレギュラー的悪魔。誰だって敵に回すのは避けたい相手。だけど今、彼女は僕らの敵だ。
「其方がシエロ様?」
「えっと……はじめまして?」
「なるほど……確かに美しい魂をお持ちのようで。シャロンもなかなか良い趣味を。でも私の趣味とは違いますわね」
じっと此方の奥底までを曝くような眼差しで、悪魔が僕を見つめる。それも僅かの間だけ、すぐに視線を彼女は兄へと戻した。
「ここに何しに現れた、アムニシア。我に会いたいだけではないだろう」
「流石兄様!よくぞ私のことをお解りで!」
うっとりとした様子で片手を頬に当て、アムニシアは微笑んだ。
「私、お兄様と取引をしに来ましたの」
「取引、だと?」
エフィアルの態度は何時も通りに不遜だが、それでも彼も僕も危機感を感じている。仮にも第一領主と第三領主。不測の事態への対応力が無いだけで、魔力自体はエフィアルが勝っている。そのエフィアルの領域にアムニシアが乗り込んで来た。この場ももう安全地帯ではない。アムニシアの力が侵食してきたこの街は、夢と現が揺らいできている。現実世界では特殊能力を持たないエフィアルよりもアムニシアが強い。確率変動力でエフィアルが勝るだけ。でもここは夢だ。だからこそこれまでエフィアルの悪夢を渡る力で僕らは情報を共有できていた、アムニシアに監視されることなく。
(それが破られたって事は……)
夢と現が裏返るのならアムニシアがエフィアルに夢の世界で勝るはずがない。今エフィアルが劣っているというのなら、それはここが現実になりつつあると言うこと。
「そういうことだよ、シエロ」
聞き慣れた声。大好きだったその声に怖気が走る。はっと目を見開くと、僕の腹の上に馬乗りになっている者がいる。場所は殿下に与えられた部屋。室内には他の誰かの姿も見えない。
「悪魔を呼ぼうとしても無駄よ。彼は夢の中に閉じ込めた」
今の貴方はとても無力な存在なのだと教えられたが、僕は彼女を一度は睨む。流れるような美しい金髪、青い瞳の女の子。カロン君にそっくりで、それでもやっぱり違う表情を浮かべるその少女。
「アムニシアに、彼女のお兄さんは抑え込んで貰ったの」
(シャロン……)
まさかメイドに扮して城に乗り込んで来ていたとは思わなかった。だけど誰も気付かないとなると、悪魔の力を使ったか。多分世話役メイドに入れ代わって、僕の看病を口実に人を追い出したのか。
「見てたんだよ、全部」
此方を叱るように拗ねた態度で甘える彼女が僕の上へと倒れ込む。それでもその背を昔のように抱きしめることは出来ない。動かない僕を不満そうに、シャロンが僕の顔を覗き込む。
「っ!?」
突然僕の胸を揉みしだくシャロン。じゃれつくような手つきから始まり、それはすぐに執拗な責めへと変わる。
「うーん……シエロの胸、また前よりおっきくなってない?」
「……っ」
「お兄ちゃんの仕業かぁ。お兄ちゃんに随分揉まれたわけね、浮気者っ!」
油断した。今更ながら振り払おうとするも出来ない。シャロンはメイドに扮しただけじゃない。今は男の身体で女装していたんだ。女のままの僕よりも今はシャロンの方が力がある?そんな馬鹿な。病み上がりとはいえ、僕がシャロンに負けるだなんて。
「馬鹿なのは貴方よシエロ。シャロンちゃんは全部お見通しなんだから。シエロの弱い所、全部知ってるのよ?」
元が女性であるシャロンは、僕やカロン君より女体を知り尽くしている。当然触り方一つを取っても、僕らに勝ち目はない。僕に出来ることは今すぐここから逃げ出すことくらいなんだろうけど、それすら出来ない。こんなにも力が入らないなんて、治療の際に何か僕も薬を盛られたか。いや、ご丁寧にも手足に拘束具。それが寝台に繋がっている。振り払えるはずもなかった。
「もし私とお兄ちゃんと区別付かなかったら、お兄ちゃんの振りしてあげても良かったんだけどね。やっぱり解っちゃったんだ?シエロはまだまだ私のこと大好きなんだよね、解ってるよ」
シャロンの何か企むような笑み。それは背筋が凍りそうなほど綺麗で、恐ろしい。彼女が企んでいること、それに心当たりが僕にはあった。でもそれはこれから起きることだと僕は思っていた。もう一度、笑うシャロンを見るまでは。
「ねぇ、シエロ。まだ覚えてる?呪いを解く方法は色々あるってこと」
(シャロン……っ!?)
「例えば女になった貴方は、教会で清めた聖水を飲めば、身体を真水で洗って乾燥させなくても男に戻れる。それから人魚になった貴方は……真水を飲むことで中和するだけじゃない、もう一つのやり方は……誰かに愛されることで人間の女の姿に戻る」
(……)
「こういえば聞こえは良いけど、はっきり言ってあげる?恥ずかしがっても駄ー目っ!私の淫乱シエロは、人魚になった時は体内に精液を摂取することで呪いが解けて女に戻る」
(シャロン……僕は)
「人魚になる程の力がないアルセイドの二人じゃ知る由もないこと。シエロの家にだって城にだってそんな文献はない。私と貴方が見つけたこと。今世代で人魚になれるのは、先祖返りの貴方だけ」
アムニシアの力で世界を観察していたシャロンがそれを断言した。
「これは人魚プレイもやった私が言うんだから間違いないわ。お兄ちゃんとはまだそこまでやらなかったんだ?恥ずかしがり屋のシエロだもん、言えなかったんだよね?可愛い!」
愛おしげに僕の頬に鼻を擦りつけてくるシャロン。少し前の僕らなら、こんな状況は幸せだったのに。
心変わりしてしまったシエロには、シャロンの行動一つ一つが恐ろしくて堪らない。確かに自分はこの人に、永遠を誓ったはずなのに。
尚も変わらない、一人取り残されたシャロンは、決してお前を逃がさないと言うように、瞳の奥から愛憎を覗かせシエロを熱く見つめている。
「さっきね、寝ているシエロにキスしたの。それでね、氷水を飲ませたのよ。勿論タダの氷じゃない。聖水で作ったとっておきの氷よ?」
「!?」
「シエロが男に戻るには、この方法だと簡単に戻せたわよね?」
(い、嫌だっ……!)
それはもう終わったことだとシャロンは言った。僕の胃の中で氷が溶けていく。それが僕の呪いを解いていく。
「あはははは!そんな嫌だって暴れたって駄目よシエロ!全部何もかも水は洗い流してくれる!お兄ちゃんの愛も気持ちも全部無かったことになる!」
(や、……止めてくれっ!)
「泣いても無駄。シエロはね、私の物なの。貴方との間に子供を作って良いのはこのシャロンちゃんだけなんだから!浮気者にはきちんと罰を与えないとね」
シャロンの言葉が染みこむように、着ていた服がきつくなる。それでも胸は薄くなる。男の姿に戻った僕を見て、シャロンは嬉しそうに抱き付いた。会いたかったと泣きながら。
「やっぱり男のシエロは格好いいわね。でももう貴方じゃ私を抱けない」
名残惜しそうに僕の頬を撫でてから、シャロンは笑う。僕の流した涙を掬って、それを僕の頬へと塗りつける。涙の塩分で再び女になった僕相手に、彼女が何を考えているかはもはや分かり切ったこと。
「殿下に何かされちゃ困るもんね?ちゃんと私が仕込んでおかないと。やっぱり声を奪っておいて正解だったわ。助けだって呼べないんだから」
嬉しそうに笑う彼女の下で、シエロは声にならない悲鳴を上げる。
*
「シエロ、シエロ!?」
誰かに呼ばれている。でもそれは、シエロが求める声ではない。だから目覚めは遠離る。それでも何度も呼ばれれば、いつかは目を覚ます。
「!」
「随分と魘されていたぞ、怪我の具合はそんなに酷かったのか?」
(夢……?)
飛び起きた寝台。僕を覗き込むのは挙動不審の殿下。あれが夢だったと解るとほっと安堵の息も出る。僕は夢の中で夢を見せられていた。
(第一領主様?)
殿下など放置したまま傍にいた悪魔を呼んでみる。それでも彼は現れない。そこで先程までの夢を思い出す。
(そうだ、確かアムニシアはエフィアルに取引を持ちかけていた)
シャロンはそれを知っているだろう。でなければあのタイミングで此方に仕掛けては来ないはず。つまりアムニシアの取引は、シャロンを裏切るための物ではなく、エフィアルに僕らを裏切るように持ちかけた取引。アムニシアとイストリアが共闘するとは思えない。なら、これはイストリアにとっても分が悪い話だ。それならば彼女が見過ごすはずがない。如何にアムニシアがチートだとしても、ここはイストリアの本に囚われている。彼女の掌の上。
「……」
窓の外は明るい。どうやら一夜明けてしまった?
(どうしよう……カロン君心配してるだろうな。でもこっちから連絡が取れない)
エペンヴァの使い魔が来られれば良いが、シャロンが妨害をしている可能性はある。この城に既に潜り込んでいる可能性はあるのだ。
(あの夢は、脅しって事かな。それとも……)
アムニシアが操るのは夢現、その裏返し。夢を真にすることが叶うなら、あの夢を見てしまったところでもうアウト。生まれてくるのはシャロンとの子供にされてしまう。それを拒むためには、シャロンの夢を見る度に、一度男に戻って全てを無かったことにしなければならないが、それならシャロンからは逃げられる。
(カロン君……)
まだここにあるのは彼の思いだ。悪魔達が確率を上げてくれたから、確実に生まれるはずの命が眠っている。新しい人生、それを送るための希望がここにある。それを今、自分自身の手で殺さなければならない。そうしなければ、シャロンが夢と現を裏返す。
(僕は母親なんてなったことがないから、そう言う心はまだわからない。でも……)
その時、自分はカロンとシャロンのどちらを選ぶのだろうか。我が子を愛しいと思ったなら、本当の親になったシャロンを選ばざるを得なくなる?それを見越してシャロンがあの夢を見せた?
「……」
シエロが顔を上げれば、こちらを心配そうに見ている殿下。彼の袖を引く。そこでシエロは紙に文字を記して渡す。
【魘されて、汗を掻きました。湯浴みをさせて貰えませんか?】
「む、そうだな。式の前に身を清めることも大事だろう。浴場はこっちだ」
【殿下】
「なんだ?」
【メイドの女の子に裸を見られるのは恥ずかしいです。身体を測る時は仕方ないですが、上だけでなく下までだなんて……】
「そう言えば、貴様は一応……男だったな。女に裸を見られるのが恥ずかしいとは……いや、貴様はこの間の試験で脱がなかったか?」
【凄く……恥ずかしかった】
伏し目がちに目を伏せて、照れた仕草をすれば、そうだったのかと殿下も納得してくれる。
「し、仕方ないな!では俺も一緒に湯浴みを……」
【僕が男に戻るところを貴方は見たいんですか?】
「……!で、では浴室前の通路で見張りをしていよう。それならば良かろう!」
【ありがとうございます】
恭しく頭を下げれば殿下は鼻の下を伸ばして目を逸らす。これでこの件は片が付く。案内された浴場でシエロは服を脱ぎ……それでも浴槽を前に足が重くなる。
(でも……シャロンはそれで僕を見逃してくれるだろうか?)
僕がこれをなかったことにしたら、これ幸いとカロン君を殺しはしないか?
もう二度と彼との子供を残せないなら、その面影をシャロンとその子に縋る?そういうつもりでシャロンはその上で今度は現実であの夢と同じ事を行うんだ。彼女を裏切った僕への報復、僕を女として彼女が娶るつもりで。
使い魔を使って相談?夢を使って?どちらもシャロンに知られる危険はある。そもそもエフィアルが消えた今、使い魔を使っての通信は言葉を発せられない身では意味を成さない。夢を繋ぐのも、エフィアルが居なければ不可能。
エペンヴァに映像付の通信を頼んで記した文字で連絡を取る方法はあるかもしれない。いや、しかしその記した紙を今度はどうやって処分する?万が一でも殿下に発見されたらことだ。今は誰も頼れない。自分の考えで、最善と思ったことを選んで動かなければならないのだ。
エフィアルの不在に気付いたエペンヴァが、それをカロンに告げ、新たな悪魔が此方に送られるまで連絡の取りようがない。エペンヴァは愉快犯的な側面もあるが、シエロと仮契約をしている身。まだ魂を高める資質を示せれば、手助けをしてくれる。まだここで僕を見捨てはしない。刈り取ろうとは思わない。そうだと信じ、シエロはざぶんと浴槽に身を浸ける。
(あと一日……)
明日が運命の日だ。何とか明日を無事に乗り切れれば、この悪魔の脚本から世界も自分たちも脱することが叶う。
(頑張らないと……)
海神との対話。シャロンの問題、殺人事件。解決しなければならないことはまだ山積み。はぁと溜息を吐いたところで、今度はなかなか浴槽から出たくなくなる。ここから上がって身体を乾かせば男に戻る。カロンとの情事がリセットされる。男に戻れば子供なんて産めるはずがない。また女になったところを別の人間に狙われて……その上こうして男に戻る方法も得られなかったら。そう思うと身震いがする。
(いや……)
結婚式を行う聖堂には聖水くらいはあるだろう。多少は携帯している分もあるが……幾らか補充して置いた方が心強いか。後でまた聖堂に行ってみよう。シエロがそう考えたとき…… 脱衣所から殿下の声が響く。
「シエロ、すまない。少々出掛けなければならなくなった」
何事かと思っても、返せる言葉など無い。仕方ないと湯船から上がり、身体をタオルで覆って其方へ急ぐ。
どういうことかと目で尋ねると、殿下は目を逸らしつつ、時折此方をチラ見しながら慌て口調で言葉を紡いだ。
「今朝方、今度は街の聖職者が何人か死亡したらしい」
「!?」
「それも司教と司祭ばかりが怪死した。事故か事件か殺人か。まったく、これでは明日の結婚式をどうすれば良いのだ!俺とお前の式を阻もうとする奴の犯行だなこれは!」
殿下はそんな思いこみで犯人の幾人かに目星を付けたのか、幾つかの仕事を片付けに行くと言う。
「俺はこれから式を行えそうな人間を連れて来なければならない。留守の間は……何があるか解らん。お前は部屋に籠もっていろ。いいな?」
走り去っていく殿下は見当違いも良いところ。
(……シャロン)
犯人は彼女以外にありえない。幾ら裏表の悪魔が付いているとはいえ、人の命を軽んじすぎている。幾ら無かったことに出来るからって、あのシャロンがこんなに簡単に人の命を弄ぶなんて。
(シャロン、僕は……)
君に一目惚れをした。君の外見、仕草、その表情に声。それは君の内面を見ていなかったんだと思う。それでも君と一緒にいる内に、君の内面ごと僕は愛した。それは事実だ。
津波に殺されていく下町の人々を救いたいという君の言葉を疑ったことはない。自分の夢を捨ててでも、君は空に現れた。身も心も犠牲にしてまで守りたい物が君にはあったんだ。そんな君が何故……人殺しなんか。
そのこと自体でシャロンを嫌いはしないけど、かつて自分が愛した思い出の中のシャロンを、シャロン自身の手によって殺められているようなこの気分。
(全部僕が、悪いのか……)
君をそこまで追い詰めて、狂わせた。何の不安も感じないくらい、君をもっと愛せていたなら。僕がもっと頼り甲斐のある男で、君をちゃんと守れたなら。君は変わらずに居てくれたのだろうか?
シエロもカロンもアムニシアとイストリアを敵に回した時点でもう詰んでます。
完全な無理ゲー。
そこからどうするかって話ですね。
カロンはシエロをシャロンに渡すくらいなら、シエロとの未来を諦めて、シエロと心中する覚悟を決めた。死後エペンヴァの所からシエロを取り戻しに行って、その後は悪魔の眷属か従者として生きる道も有りじゃないかと思い始める。
これは久遠を司るエフィアルとか、破壊を司るカタストロの力借りれば何とかなるかも知れないわけで……
それでもまだ何百年も死ねないアルバのために、シエロ似のシエロの子供を残してやりたいとも思うわけで、そいつが足枷。
シャロンは最初は人々のために歌姫になったのに、シエロを愛するあまり、殺人も厭わなくなった。その事実をシエロは悲しみながら、カロンが人を殺したとき、同じように失望しないかが不安になってる所もある。