表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/60

31:波間の夜

挿絵(By みてみん)

 波の音。波の下。ずっと深い場所で誰かが泣いている。いや、違う。あれは……あれは、歌って居るんだ。


(なんて綺麗な声なんだろう)


 引き寄せられるようにフラフラと、カロンは海の不覚へと潜って行く。そうして迷い込んだ海の底。瓶詰めの灯りが飾られた不思議な場所に出る。


(何だ、ここ……?)


 見ればその瓶や壺の中からは鈍い灯りと共に呻き声や泣き声、叫び声のような負の戦慄が奏でられる。耳を塞いで逃げる内……透き通るような歌が聞こえる。


(あの歌、シエロの歌だ)


 暗い海の底に一筋の光が差し込むようだ。その歌が聞こえる方へと向かっていって、綺麗な青い灯りの灯る小さな瓶をそこに見つけた。

 シエロと呼びかけようとしたカロンの唇からは、違う声、違う言葉がそこから零れる。


「お父様は間違っているわ。一体貴方が何をしたと言うのかしら」


 その声に、これは夢だとカロンは気付く。確かにこんな海の底、人間である自分が平気でいられるはずもない。だけど夢にしては懐かしい。呼吸の一つ一つまで、リアルに感じられる。


(俺が、ウンディーネ……)


 エフィアルはあの本に第七魔力というものが宿っていると言っていた。イストリアの持つ不思議な力。それが今、こうして見えないはずの物を映しだしている?

 深い記憶を掘り起こされるように、それは浮かんでは肌に馴染んで解けていく。それが当たり前だと言うように。


(でも、……これが俺の記憶なら。これはシエロじゃない。これはエコーの魂のはず)


 そう思うのに、目の前のそれはシエロにしか思えなくて胸が高鳴るのだ。

 その魂は悲鳴ばかりを上げる他の魂達とは違って……どうして?と……そればかりを繰り返す。彼は何故自分が死ななければならず、この海の底に囚われたのかを何百年間も唯ひたすらに歌っていたんだ。悲しみでも怨みでもない、その不思議な魂の歌に……魂を持たない存在である俺は、ウンディーネは強く惹かれたんだ。


「私は自分の心というものがよくわからない」


 淡々と呟かれる小瓶の中の魂の歌。その切なげな吐息はあの人にピタリと重なる。やっぱりどうしても、カロンにはそれがシエロのように思えてしまう。何故ならその問いは、シエロが長年思い悩んで来たそれだ。


「あら?どうして?貴方達人間は私達水妖と違って魂というものがあるのでしょう?人はそれを心と呼ぶのだと聞いたわ」

「お嬢さん、人間という生き物は…心があるが故どうでも良いことばかりを考え思い悩み…こうして死んでまで悩むようなつまらない物だよ」

「………?冥府にも行けずに転生を待つこともなくここに閉じ込められていると言うことは貴方はお父様の怒りに触れたのでしょう?」

「海神の娘の一人が私に恋をしたらしい。しかし私は虚ろな人間だ。如何に美しい人であれ……美しいと思えないんだ」


 だからその水妖の告白に応えることが出来なかったのだと魂は言う。


「それに掟により人魚との恋は禁忌とされている……だが、彼女を愛さないこともそれはそれで海神は怒りになった」

「まぁ、酷い!受け入れたら受け入れたで貴方は殺されここに放り込まれていたでしょうに!」

「だから私は考えているんだ。私はどうすれば良かったのかを……幸い時間だけはたっぷりとある」

「そんな……」

「しかし恋とは誰かに強要されて思える物でも無いだろう……結局私はどんな答えを選んでもきっとここに来てしまったのだろうね」


 思いを受け入れても拒んでも、この暗く冷たい海の底へ招かれる。二度と転生も叶わず、永遠に神の怒りに触れたことを思い悩むだけの無意味な時間。救いなどそこにはない。


「ありがとう、お嬢さん。君のお陰で長年の悩みが解けた。さて次は私がここに来ることになった意味という物をじっくり考える事にするよ」

「……騎士様。そこに意味はあります。そしてその答えも私が貴方に」

「それは困ったな。その次は何について悩もうか私はまだ決めていないのだけれども」

「……その次の悩みも、私がいつかきっと貴方に与えて見せます」


 カロンの手が勝手に動く。その小瓶をぎゅっと胸に抱えて水を蹴る。水面を目指して目指して……そうして陸の上、哀れな男の魂を空へと帰してやったのだ。


「……さぁ、地上にお帰り下さい」

「それでは君が海神の怒りを買ってしまうのではないのかい?何故そこまでして私を助けようとしてくれるんだ君は」

「……騎士様、貴方が本当の死を迎えるまでの時間はまだまだあります。ですからどうぞゆっくり次なる謎をお悩み下さい」


 魂が消えていくのを見送って、陸へと上がる。海にはもう帰れない。罪人の魂を逃がしたのだ。父の、海神の怒りを買うだろう。かといって行く宛てもない。帰る場所もない。

 それでも不思議と満ち足りた気分。これが恋という物なんだと気が付いた。

 地上へと帰った彼の魂が今どこにあるのか解らない。海から追放され追いかけて来たものの、ウンディーネは彼の名前すら聞けずに別れてしまった。

 でも、それでいいのだと彼女は、俺は思った。他の海神の娘、姉の誰かと同じような愛し方をしたくなかった。思い通りにならない。それも恋という物が与えてくれる喜びに違いないと思いたかった。


「こんな所でどうしたんですかお嬢さん?宿にお困りですか?」

「……まぁ!その声っ!貴方はまさか……!」


 崖の上から海を眺めてどのくらい経っただろう。歌う娘の噂を聞きつけて、やって来たのは一人の青年。長い空色の髪をした美しい青年だ。魂を抜かれた青年の身体はまだ死んではいなかった。数百年の時が流れてもまだ、生きていた。だから魂が戻ったことでこうして彼は生き返ったのだと言う。


「貴女を捜しながら、私はずっと答えを探していました。今日はその謎の正解を頂きに参りました」

「…別に貴方が気になさる必要はありませんわ。海を追放されたのは全て私の責任ですもの」

「帰る場所がないのなら、どうぞ何時までも私の屋敷にいて下さい」

「……え」

「お嬢さん……貴女さえよければずっと私の傍にいては貰えませんか?」

「……そ、それって……つまり……嘘……」


 遠回しな言葉。その謎かけ。答えに気付いた海神の娘は赤面。それを見ているカロンの方まで照れてくる。


(シエロが言ったこと、本当だったんだな)


 でもちょっと違う。同棲する切っ掛けの言葉っていうか完全にこれプロポーズじゃないか。あの言葉を作った時にはもう、シエロの中には自分への想いが芽生えていた。それを指摘されたようで何だかこそばゆい。

「私は貴女を愛しています。どうか私の妻になって下さい」

「…わ、私は人間じゃありませんし、私は水妖で私と恋仲になんかなれば貴方までお父様に呪われてしまいますわ」

「では……一つだけ教えてください。貴女は何故私をあの暗く冷たい海の底から救い出してくれたのですか?」

「…………っ」


 こう言われればもう隠せない。涙を流しながら、ウンディーネは騎士の胸へと飛び込んだ。


「愛しています!貴方が好きです!貴方の歌が!貴方のその魂が!」


(シエロ……)


 ここまで来るともう解る。この男はシエロじゃない。似ているけど別人だ。良く見ると全然違う。似てたのは魂の本質。同じ悩みを抱えた虚ろ。だってこうして今二人を見ていても違うとカロンは思う。シエロに会いたいと思ってしまう。それはこの男ではない。

 俺がああやって抱き付きたいのはエコーじゃない。俺がウンディーネでないように、それは当然で当たり前のこと。死ぬ前に自分が誰で誰とどういう関係だったか、そんなの今の俺には関係ない。


(俺はウンディーネじゃない。俺はカロン。俺の人魚は……シエロなんだ)


 そう思った瞬間から視点が変わる。先程まで海神の娘としてこの夢を見ていたカロンがウンディーネから引き剥がされて、今は抱き合う二人を遠くで見ている。そしてそれを見ているのは自分だけではないとすぐに気が付く。


「馬鹿でまぬけな人魚姫!格式美の解ってない小娘はこれだから困るわ」

(イストリア……!)


 半透明の悪魔がそこに見える。けれど悪魔の方からはカロンが見えていないらしい。これは今ここに悪魔がいるわけではないからなのか。


「あんたらは悲恋だからこそ語るに値する物語だっていうのに、めでたしめでたしって言うからには覚悟があるんでしょうね?」


 このウンディーネ達より先に語られた、別のウンディーネの物語。其方は今日まで語り継がれる悲恋の物語。それをなぞることを嫌った二人を絶対に引き裂いてやると悪魔は燃える。


「物語補正を失ったお前達は唯の男と女。だからこそ、言ってあげるわ!ハッピーエンドはあり得ない!あははははははははは!やっぱり裏切った!ほら見てご覧なさい!」


 他人の不幸を嘲笑う、悪魔の声で場面は変わる。

 美しい金髪の貴婦人と、キスをし語り合うのはあの男。空色の髪の男。恋を知って愛を知って人間になったその男は、男になってしまった。そうなれば永遠の愛などあり得ない。どんなに惹かれ会った二人でも、心は離れていくのだと、世界は残酷に語りかける。


「あーあ、だからバッドエンドで終わっておけば良かったのに」


 くすくすと悪魔が笑う。誰からも見えていない悪魔。それでも全てを見透かす悪魔。彼女は筆を止めている。操ってなど居ないのだ。それなのに、二人の心は離れてしまった。

 美しい物語。ピリオドの向こう側など誰も気にしない。ハッピーエンドはそこでお終い。人はそう言うけれど、悪魔は違う。その向こう側を見透かして、何が見えると問いかける。

 めでたしめでたし。その向こう側は不幸の始まり、そうして総じてバッドエンドがあるのだと悪魔が囁く。生き続ける限り人は人を裏切り続ける。だから主人公もヒロインもみんな死んでしまえばいい。そうすればそれ以上彼らは誰も裏切らない。だからこそその物語は美しいまま完結する。その先の一切の裏切りの余地も許さない。

 語る価値もなくなった物語。これ以上綴る意味もないと悪魔は嗤う。それでも彼女が筆を置かなかったのには何か理由があるのだろうか?


「……………フルトブラント様」


 切なげに夫の裏切りを覗き見る海神の娘。浮気だけでは掟に触れない。それは離婚の理由にならない。そう、水の上で罵られさえしなければ……ずっと傍にいられる。

 どんなに心が離れても、それでもまだ海神の娘を罵らない男には、まだ彼女への愛が残っていたのだろうか?それとも単に死を恐れただけなのか。

 それはカロンには解らない。それでも男は掟だけは守った。水の上で罵られれば、ウンディーネは人間との結婚で得た魂も失う。長い時を生き、そして滅ぶだけの存在にもどってしまう。


「そんな私を貴方は哀れんだのでしょうか?」


 嫌われても、裏切られても、罵られない限り……私は人間で居られる。たったそれだけでも感謝している。近くから聞こえるウンディーネの声。それは自分の心の囁きのよう。いや、違う。これは……シャロンの声?


「“貴方が好きです。例え貴方がもう私を嫌いなのだとしても……傍にいられるだけで、私は幸せ。この心が魂を授かっただけでも、私は……幸せ”」


 海から聞こえる声。裏切り者を生贄に捧げよと語る海神。それでもウンディーネは従わない。


「娘よ!あの男を生贄にしなければ、儂の怒りでこの国は海の底に沈むことになるぞ!」

「それは違いますお父様。彼を裏切ったのが私です。あの方が不貞を働いたのは仕方がないことですわ、先に私が裏切ったのですから」

「何故そのような嘘を吐いてまであの男を庇う!」

「お父様。貴方は幾人もの娘がいて、まだ解らないのですか!?誰かを愛すると言うことは、そういうことでしょう!?お父様、貴方はそんな風に母様を愛されては居なかったのですか!?」


 娘の言葉に押し切られ、言葉を濁す海神。


「父様。人間は貴方から見ればちっぽけな存在かもしれません。例え交わったところで神は生み出せず、神話も作れない。それでも父様、生まれて刹那を駆けて死んでいくだけの彼らは、私達が知らない魂を持っている。父様と母様が私に授けられなかった物を、私にあの方はくれました!そして私は、その掛け替えのない魂を生み出せる人間になれた」


 そうかとカロンは思い当たった。シエロはウンディーネと王子の子孫。つまり二人の間には子供がいた。海神の娘は娘ではなく……この時はもう母になっていたのだ。

 魂を持たぬ水妖として生を受けた海神の娘は母となり、その子供に魂を与えられる存在となった。それだけでも幸せなのだと彼女は笑って泣いた。


「父様、この国はあの人の国。沈ませるわけにはいきません」


 だからどうかあの人の代わりに、私の命で怒りを鎮めてくださいと……手にしたナイフが翻る。


 *


 場面は変わり、激しい痛みで目が覚める。カロンは自分が夢から目覚めたことを知り、ほっと息を吐く。


「エフィアル」

「……第七魔力のことか?」


 見えないが呼べば姿を現す悪魔。傍に控えてはいたらしい。


「この本、イストリアが書いたみたいなんだ。どうしてそんなものがこっちの世界に?」

「あれが司るは歴史と物語。その両者の境界は非常に曖昧。前者が真実後者が偽りと人は言うかも知れぬが、その実そうではない。人が歴史と騙るものこそが、人の都合で作られた物語に過ぎないこともある」

「……そうだな」

「故にあれは、時折そうやって自らが記した真実を、投げ込む。そうしてもはや歴史か物語かもわからなくなった不確かな時代に、本の中に本を隠し、自らの記した真実を見つけさせるのだ」

「どうしてそんなことするんだ?」

「我にもわからぬ。だが、その本はあれが操った様子はないようだな。あくまで観察に止めたらしい」


 シエロの部屋で見つかった本をパラパラ捲り、様子を確かめカロンへ戻すエフィアル。


「人の子よ。貴様にそれを見せたのは、偏に第七魔力の生み出す力。イストリアの記す文字は世界を視覚聴覚嗅覚までも正確に記すことが出来る故……」

「これがあいつの……」

「それが夢ならば、アムニシアが干渉しただろう。それがなかった以上、それはその本が刻んだ記憶に過ぎぬ」


 悪魔の言葉に振り返れば、確かにシャロンの干渉はなかった。シャロンの出て来ない夢を見るのは久々だ。


「イストリアは夢の領土を持ってはいない。だが本にすることで夢の世界でさえも支配下に置く。第七魔力の宿ったその本が傍にあれば、アムニシアに邪魔されずに身体を休めることが叶うだろう」

「魔除け、みたいなもんか」


 あの悪魔が作った物にしては役に立つ。カロンは有り難くそれをしばらく借りることにした。


「しかし、興味深いな人間」

「何が?」

「貴様の伴侶はこの本が語る男ではないのであろう?前世の伴侶など、人間共が集りそうな設定ではないか」


 何故エコーではなくシエロを選んだのだとエフィアルが言う。そんなものは決まっている。


「俺は一回死んだんだ。俺はウンディーネじゃない。俺は死んで生まれて一人の人間になったんだ。俺は俺として生きて、シエロに出会ってあいつに惚れた」


 確かに物語の設定としてなら魅力的な物かも知れない。悲恋で別れた前世の恋人と再び添い遂げるなんて。だけど実際問題、自分の身にそれが及んでみて初めて解る。そんなものはお節介の押し売りだ。自分の心の向かう先くらい、自分で選び取りたい。それが人間って生き物だ。


「運命とかさ、そんな言葉で人の心は縛れないんだ。俺もシャロンももうウンディーネじゃない。だから昔みたいに考えたり感じたりは出来ない。別の場所に生まれて育った、別の人間なんだ」


 エコーが歪んだ理由が分かった。自分の裏切りでウンディーネを失った。

 物語とは違う結末を彼は嘆いた。そうして再び彼女と巡り会う日のために、歌に纏わる掟を作った。運命の人が女で、自分が再び男に生まれると信じていたのかもしれない。だけどそんなことはなくて……彼は彼女に、彼女は俺とシャロンに分かれた。

 エコーにはほんの少し申し訳ない気持ちもある。彼女を狂わせたのは過去の妄執だ。夢の中の青年は虚ろ。それでも彼は満たされた。満たされ人になって彼は間違えた。その間違えは前世で清算しなければならなかった事。それを今生まで持ち込むのはルール違反の迷惑行為。魂を持ち、巡る人間にとって、それはあってはならないことだ。


「確かにあいつは俺の前の魂の恋人ではないかもしれない。でもそれでいいんだ。俺が好きなのはそいつじゃなくて、シエロなんだから」


 一回エコーとちゃんと話をしてみたい。イストリアの本を見てそう思った。

 最初から彼女は壊れていた訳じゃない。本当に、最初はシエロに似ていたんだ。何かが違っていれば、カロンやシャロンが恋をしたのはエコーだったのかも知れない。

 あんな虚ろな男があそこまで激しい少女になった理由が知りたい。そうなったってことは彼女は、昔のことをよく覚えていると見ても良い。


「…………小僧、何か気になるのか?」

「ああ。あの本を見て、他の魂の生まれ変わりって言う可能性を考えたんだ」

「他の可能性?」


 登場人物は他にもいる。同じ時代の人間が今ここに二人も存在するのは偶然か?それとも魂のサイクルは、重なるのだろうか?同じ時代を生きた人間は、また生まれる時代も大体同じなのではないか。そう仮定するなら。前世の記憶を誰がどの程度残しているかによって別のものが見えてくる。そうだ。これまで今生の関係性しか見てこなかった。前世の人物関係、そこに人を当てはめられるなら、新たな事実がそこに見つかるかもしれない。


「なぁ、悪魔。魂って言うのはなんなんだ?同じ数だけ巡るなら人は増えない。だけど俺やシャロンみたいに分かれるならば増えていく。かといって、あれだろ?ウンディーネの例みたいに人が妖と交わることで生じる魂もある」

「人と妖の子には魂が宿らないという話もある。風の精霊などでは有名な話だな」

「え?」

「しかし今日まで人魚の血が途絶えなかったということは、仮に魂のない子孫が居ても、その者達は人と結ばれ魂を得てきたのだろう」

「え、えっと」


 エフィアルは妙なことを言う。それならば人魚の子孫であるはずの人々には魂がない?それでは前世のことを口にするエコーも魂がない?それはおかしいのではないかとカロンが聞けば、悪魔は面倒臭そうに息を吐く。


「人魚の血の薄い者はまず魂がある。普通の人間ならばそれも同じ。今生で新たに作られた魂と言うことも無かろう。だが、貴様の伴侶は貴様の前世には存在しない魂だ」

「シエロに、魂がない?!でもエングリマ達は、シエロの魂を見て……」


 慌てるカロンに悪魔は溜息。話を最後まで聞けと口を開いた。


「先祖返りであるあの男には元々魂がなかった。そこを貴様の妹と恋仲になることで魂が形成され始めた」

「シャロンの……」

「……人の魂とは人の心その物。あの男の魂を奴らが美しいと言ったのなら、そうさせていたのは貴様だろう」

「俺……?」

「本来あの男が結婚するはずだった女は死んだ。死んだかに思われた。その時あの男の魂はほんの一欠片を残して消滅したようなもの。そこから魔王クラスの悪魔を魅了する魂に育て上げたのは貴様の功績だ。それもたった数日で」


 我からすれば驚くべきは貴様の方だと悪魔が言う。


「俺は、そんな……」

「我が貴様と契約してやったのは、そんな貴様を見込んでだ。瞬きの刹那にあそこまで魂を磨き上げる愛という物を、貴様はあの男に与えた。だから貴様からは学べる物があると我は信じてここに居る」


 悪魔に褒められているという事実がどうも現実離れしているが、カロンは素直にその言葉を受け取ることにした。しかしエフィアルも悪魔。持ち上げて持ち上げたままにするような趣味はないようで、嫌なことを言ってきた。


「だが人の子よ。水妖が魂を得るのは結婚をしてからだ。貴様の好意を受け入れ婚姻を決意したところで、あれの魂は完成に近付いた。だが、まだ完璧ではない。エペンヴァがあれで貴様の恋路に力を貸しているのも、未完成のままの魂は意味がないからであろうな」

「それってつまり……」

「信頼も結構だが、早く貴様の伴侶を連れ出し式を挙げろ。他の者と式を挙げられてみろ。そうすればあの男は、どんなに嫌いな相手でも添い遂げなければならないし、二度と心変わりも許されない」

「そんな!シエロは人魚じゃない!人間なんだろ!?」

「なるほど、確かに貴様は人間だ。もはや海の掟など関係もない人間だ。しかしあの男は違う。先祖返りと呼ばれるほど、人魚の血が色濃く出ている人と人魚の子孫。区分するなら水妖側の方があれには近い。海の掟はあれに仇なすぞ。そうなれば更なる海神の怒りを買うことだろう」


 大変なことになった。どうしてそんな大事なことをもっと早くに教えてくれないんだ。そう怒鳴りたくなる気持ちを抑えて、カロンは辺りを見回した。他の悪魔の姿は見えないが、それでもそこにいるだろう。


「エペンヴァ!シエロにつけた使い魔と話をさせろ!」

「それは危ないよ少年。使い魔には確率変動の力はない。私がかけてやった確率変動は残っているが、他の悪魔に嗅ぎ付けられて盗聴されては意味がない」


 にやにやと笑いながら現れる青年悪魔。この男は人魚の魂が完成されればそれでいいのだ。シエロが結婚で結びつけられる相手が誰であっても。


「それは誤解だ少年。出来ることなら君と添い遂げて貰いたい。それが一番上質の魂として彼を完成させることだろうからね」

「んじゃ何でそんなにやついてるんだ」

「ははは、私も悪魔。人が困っている顔を見るのは嫌いじゃないのだよ。時にエフィアル様、ちょちょいと悪夢でも見せて彼にそれを伝えて来て下さいよ。今それが出来るのは貴方しか居ない」

「……っち、人の子よ。貴様も来い」


 口下手だからなのかなんなのか、カロンを要請するエフィアル。それに異論は無かったが……


「だけど夢の中に行くなんて、どうすればいいんだよ?」

「とりあえず、寝ろ」


 カロンは悪魔に寝台に放り込まれ、悪魔の携えた剣で思い切り頭を殴られた。

 文句を言おうとした頃には、そこはもうシエロの部屋ではない。暗い、暗い闇の中。カロンの少し前を歩くエフィアル。それを追いかけながらカロンは聞く。


「ここが、あんたの領域か?」

「我が司る夢は悪夢。一時的にシエロという男には悪夢を見て貰っている。そこで夢を繋いでこうして呼びかけに行っているのだ」

「それで、どうすればシエロと話せる?」

「悪夢に一区切り付けば此方が割り込むことも出来るだろう。貴様も何度か夢でアムニシアの契約者に割り込まれただろう?それと同じだ」

「……そっか」


 それじゃあこれはシエロが見ている悪夢の中。それを見ながら場面が変わるのを待っていればいい。


「エフィアル、この夢はあんたが作った夢?」

「あの者から作り出した夢だ。シエロという男の心の闇の一部。それを映しだしているに過ぎない」

「シエロの……心の闇」


 これからそれに触れるのだ。そう思うと、カロンの身に緊張が走る。息を呑み、じっと闇を見据えて時を待つ。今か今かと待ち侘びる。それを知るのが怖いのに、知りたくて堪らないのだ。それを知ることで彼を傷付けやしないか。けれどもっと彼を知りたいと思う心がある。そんな葛藤が暴れる内に、ようやく暗い闇の中に光が浮かび上がって来た。


(シエロ……)


 幼い子供だ。長い髪の子供。綺麗な空色の髪の子供。彼は座っている。俯いている。膝を抱えてじっとしている。段々と開けていく世界。その場所は先程までカロン達が居た場所。フルトブラント本家のシエロの部屋だ。彼はそこから動かない。床に座り込んだまま、そこに根付いたかのように。

 やがてひそひそと廊下から庭先から聞こえる噂話。それに彼は必死に耳を塞ぐ。


 “最近シエロ様は籠もりきり”

 “アルセイドのお坊ちゃまと喧嘩をしたそうよ”

 “まあ!それは大変だわ!”

 “そうよね。両家の密約はどうなるのかしら?”


(密約……?)


 それは何だろうと聞き耳を立てればよく聞こえてくる。ああ、前にシエロが言っていた。他の家に人魚を出される位なら、呪いの力で歌姫にさせ嫁がせると。それは根も葉もない嘘ではなかった。


「シエロ、何があったかわからないけれどナルキス君と仲直りをして来なさい」

「母様……嫌です」

「そんな聞き分けのないこと言わないの!将来のためにもアルセイドの家とは仲良くしておかなければならないのよ?」

「そうだぞシエロ。人魚の血を深く映したお前達が仲良くしておいて損はない。同じ呪いを持った者同士……」

「父様と母様は……僕を王にしたいの?人魚にしたいの?」

「シエロ?」


 部屋へと投げかけられる声。それに向かってボロボロと、少年は涙を零す。

 王子の血と、人魚の血。そのどちらも強く宿したシエロには、両親は期待をする。その両方を期待する。王になれればそれでよし。王になれなかったなら人魚になって、家に繁栄を。その程度。目的のために手段は選ばない。シエロが男でも女でも、どっちでも良い。その程度の認識。


「僕って何……?」


 僕は僕なのにとシエロが泣いた。解らなくなってしまったのだ。そもそもその、僕とは一体何なのか。そんな虚ろを抱えたまま、時間が流れる。カロンの知るシエロに背丈は近付いた。それでも酷くつまらなそうに生きる彼は、海の底に沈められていたあの魂にどこか似ていた。


「シエロ、いい加減になさい!貴方に送った見合い写真!みんな可愛い子ばかりじゃない。一人くらいは気になった子がいるでしょう?人魚を得るために、貴方が恋人を作らないでどうするの!」

「お前の所にもいろんな家から歌姫が送られてきているはずだろう!?何故一人も手を出さん!このままでは妙な噂が流れて当家が困る!この家をお前の代で終わらせる気か!」

「本当に塩水ぶっかけてナルキス君の家に嫁がせるわよ!」

「はぁ……」


 アルバと住まいを移した後のシエロの所に、度々彼の両親はやって来ていたようだ。それを迷惑そうにシエロは聞き流す。

 恋なんか知らない。それでも適当に恋人を作らなければ自分が嫁がせられる。それは嫌だ。次にどんな子が送り付けられても、それを受け入れなければならない。いい加減もう逃げられない。そう腹をくくった様子のシエロの部屋の扉が開く。


「は、はじめまして……フルトブラント様。私、歌姫のシャロン!シャロン=ナイアードって言います」


 ぎこちなくお辞儀をする少女は声までぎこちない。ゆっくりと視線を上げたシエロとシャロンの視線が合わさる。そのまま二人は見つめ合い、言葉を無くしてそこにいる。何も発せ無い様子のシエロの反応が拒絶だと思ったのか、部屋を下がろうとするシャロン。


「ま、待って……え、ええと……あの、僕は、シエロ。シエロ=フルトブラント」

「あはは、それくらい知ってますよ」


 呼び止めて、何を言うのかと思えば。自分の名前以外に何も思い浮かばなかったのか。当然屋敷に送られたシャロンはその位の情報は与えられていただろうに。


「え、あ……」

「シエロ様って可愛いのね」

「そ、そんなことはない!君の方がずっと可愛い!君みたいな子は、初めて見た!」

「それじゃあ、私今晩ここにいてもいいんですか?」

「そ、それは……僕、そういうのは……」


 出会ってすぐ見知らぬ娘と肉体関係になれだなんて抵抗がある。戸惑うシエロを誘うよう、シャロンが笑う。


「それじゃあ私、帰っちゃっていいですか?」

「え?」

「貴方に嫌われたら、他の仕事に行かなくちゃ」


 シャロンは夜伽の仕事のために送り付けられたのだ。シエロが駄目なら、他の屋敷に。


「僕は君とは寝られない。だけど、僕は……貴女を知りたい。僕と話をしてくれませんか?」

「だけどなんの理由も無しに留まることは出来ないし……」

「こんな事初めてで、何て言えばいいのか解らないけど、……僕は貴女にそういう仕事をして貰いたくない」


 貴女が好きです。逸らしたくなる視線を必死に保つ、シエロの鼓動がカロンの方まで伝わってくる。シエロはシャロンに恋をした。この瞬間、初めてシエロは男としての自分を肯定できたんだ。それからの日々はシャロンに振り回されながらも、シエロは幸せそうだった。

 シャロンと共に過ごすシエロは、ふさぎ込み膝を抱えることもなくなった。庭先で街中で嬉しそうに歩く。隣にシャロンが居ない日の買い物帰りも楽しそう。シャロンのためにシャロンのために、料理に洗濯、掃除をして回るシエロは本当に浮かれていた。

 だけど部屋の中にはまだ、何かが見える。俯いて耳を塞いでじっと隠れている誰かが居る。

 それは女の姿をしたシエロ。


「シエロってば可愛い!」

「や、止めてよシャロン」

「また胸おっきくなったんじゃないの?シャロンちゃんが揉んであげてるからかなぁ?」

「シャロンんっ!」

「良い声出しちゃって!もう可愛いんだから!」


 シャロンにセクハラされて襲われているシエロが見える。男の時も女の時もシャロンはシエロを弄り倒している。シエロも愛する人から与えられることだから、嫌がっても拒まない。それでも男としてのプライドを踏みつけられる度、膝を抱えたシエロが耳を塞ぐのだ。


 “シャロンは好きだ。大好きだ。彼女に出会えて僕は僕になったんだ。だけど……”


 シャロンの前では恰好良い男でいたい。そう思うから男としてのプライドが生まれる。そうなればそうなるほど、シエロは自分の呪いを否定する。呪いもシエロの一部なのに、否定をしてしまう。女なんかになる自分がおぞましい。男の姿になったシャロンに揺さぶられる度に、触れ合う愛しさを感じながら……再び自分が砕かれていくような思い。

 シャロンの愛は、守らない。愛する人から奪う愛。愛する人の好きなところを見たいがために、シャロンはシエロを傷付ける。シエロはシャロンを愛するからこそ、傷付けられることを受け入れる。相思相愛に見えた二人の関係は、こうして覗き込んだなら酷く歪なものだった。

 シャロンが傷付ける。そうしてシエロがシャロンを許し続けることで成り立ち永続する関係。二人の生み出す永遠の愛は、シエロの永遠の苦痛。


「シエロ……」


 暗い部屋の中閉じ籠もる、シエロをそれ以上見て居られなかったカロンはシエロから自分が見えていないのを知りながら、それでも傍に歩み寄る。そうして膝をついて、俯く彼を抱き締めた。


「カロン……くん?」

「シエロ!?」


 シエロが顔を上げる。その虚ろな瞳が次第に色を取り戻していく。彼が見据える先をカロンも見れば、そこは下町だ。


「これ……俺とシエロの」


 本の数日前。シエロと出会ってからの出来事がゆっくりと映し出されて消えていく。抱き締めているシエロ。段々と鼓動の音がそこから聞こえ始める。


 “なんだかとてもくすぐったい”


 下層街、中層街でのデートが見える。シエロの心の声がする。


 “カロン君は、こんな僕を気持ち悪がらない。女の僕を見て、あんな風に狼狽える。ははは、なんだか可愛いな。シャロンとは違う可愛さだ”


 くすくすとシエロが笑う。否定し続けた女の自分。それが受け入れられていく。


 “カロン君の傍にいると、僕はこの自分も少し好きになれる。ああ、嫌じゃなかった”

「シエロ……」


 シエロを襲った後。屋敷を飛び出したカロン。それを追いかけて上層街を彷徨うシエロの姿が映る。自分の心に戸惑いながら、それでもカロンを追いかける。


 “僕は男のはずなのに。男の子のカロン君に、女の姿のままあんなことをされて……それなのに、嫌じゃなかった。シャロンの時とは、何かが違う”


 女のシャロンに踏みにじられる感覚は、自分を否定されるような気持ちになる。男のカロンに同じ事をされるのは、どうしてか嫌じゃなかった。そこでようやくシエロは、女としての自分の姿を認められるようになったのだと知る。


 “男としての僕はシャロンが好き。女としての僕はカロン君に惹かれている?だけどカロン君は我が儘。男としての僕の気持ちまで欲しいなんて言う”


 シエロの内面の葛藤。それをこう改めて言葉として聞かせられると、自分はなんて無理難題を吹っ掛けたのだろうとカロンは自分に呆れてしまう。しかしそれを言われた当人の反応は満更でもない。


 “そんなこと、言われたら僕は困る。困るのに……すごく、どきどきするんだ”


 本当の自分も、呪われた自分も自分として見て貰える。どちらも欲しいと欲張られて、暗い部屋の中にはもう誰もいない。シエロがシエロになっていく。どちらも自分なのだとシエロが認められていく。


 “シャロンが嫌いになったわけじゃない。だから苦しい。だけど……僕は彼に惹かれる心に嘘は付けない。彼の傍にいるのが……本当に、幸せなんだ。復讐の意味も忘れそうになるくらい”

「シエロ……」

 “シャロンのための復讐が、僕のための復讐になる。復讐があるからカロン君と一緒にいられる。だけどカロン君は言ってくれる。復讐が終わった後も……僕が隣にいてもいいんだって”

「……シエロ、もういい。もういいんだ」

 “僕は王にはなれない。こんな風に狭い視野しかない。カロン君がそう言うから僕は、下町をなんとかしたい。海神と対話をしたい。こんな狭い心の醜い僕を……それでもあの子は好きだと言ってくれる”

「ああ、言ってやる!俺はお前を愛してる!」

「……カロン、君?」


 夢の中に響く声。それがちゃんと発せられる声になる。抱き締めていたシエロが、意識を取り戻したのだ。


「あれ、どうしてここに?」

「エフィアルの力で夢を渡ってきた。お前に知らせたいことがあって」

「え、ああ、うん。ごめんねなんだか散らかってて」


 夢を見られてしまっただろうかと狼狽えるシエロは片手でパタパタと辺りを仰いで、そこから埃を飛ばした気になっている。そのままどうぞと夢の中に現れたソファーを勧められるがカロンはそのままシエロの膝に座ってやる。


「え、えええ?」

「今日は一回も会えなかったんだ。ちょっとくっつかせろ」

「あ、はい」


 そう言えばシエロは大人しく縮こまる。


「そ、それでカロン君、話って?」

「シエロ、無茶はするな。衣装奪うためにって間違っても結婚式は挙げるなよ」

「え?」

「貴様は人魚の血が濃い。故に海の掟に縛られる可能性が高い」


 しゃしゃり出てきたエフィアルに、シエロは首を傾げ目を瞬く。


「僕が、海の掟に?」

「結婚すれば貴様の魂は完成される。悪戯好きの娘が従順な妻になるように、そうなれば貴様の心が何処にあろうと貴様は不貞を働けなくなる。それが掟だ。それを破れば海神は、今度こそこの国を沈める理由を持ち出すぞ」

「ああ、くそっ!こんなことなら下町でお前と結婚式挙げておくんだった!エフィアルもっと早くに教えてくれよ!」

「我に言うな。よもや貴様の伴侶がここまで活動的だとは思わなんだ」


 口論を始めたカロンと悪魔にシエロが小さく吹き出し笑う。ああ、そうか。ここは夢の中だ。だからこうして何気なく、シエロと話が出来ている。余りに自然に話すから、もう彼が喋れないことなど忘れてしまっていた。もう二度と聞けないと思っていたはずの声。それが愛しくてカロンはシエロに抱き付いた。



「あはは、くすぐったいよカロン君」

「うるさい……」

「大丈夫だよカロン君。心配しないで?殿下はね、まず例の殺人事件のことで僕を裁判に掛ける。僕を餌にシャロンを誘き寄せるために」


 ああ、その時は君たちは間違えられないように姿を隠していてねと告げられる。


「殿下はシャロンを自分に奪われたくなかったら僕が人魚になれって言ってきたけど、殿下は僕が歌えないことを知らない。だけど僕に海神が呼び出せるかは怪しい。だから一応シャロンも確保しておきたいんだと思うよ」

「なんでそこで普通にシャロンを娶ろうとしないんだ?」

「シャロンが殺人事件の犯人だなんて……今回の件で彼、女性不信になったみたいでね。僕は精神は女じゃない。だからほっとするんだろうね。でもそのおかげで衣装は僕が奪えるはずだ。裁判の日にはそれを着て出向くと思う」


「裁判の後は結婚式だとか殿下は言ってたけどその前に僕は逃げたい。その時までにカロン君達と合流できればいいな。あ、そうだ。後は海神を呼び出すための歌だね。本を借りたんだ。覚えたから今歌おう。こんな風に伝えられるなんて凄いな。流石は最高位の魔王様だね」

「ふん」


 シエロに褒められ悪い気はしていない様子のエフィアル。最近貶されてばかりだったから嬉しいのだろうな。


「それじゃあカロン君、僕が歌うから頑張って覚えてね」

「ああ」

「歌い手と歌と衣装が同じ場所に揃わなければ呼び出せないから、後で練習して貰っても大丈夫だけど、音と歌詞だけは覚えて貰わないと。まだ日はあるから、またこうして夢に来てくれてもいいけど」

「あ、そうだ。シエロに使い魔は付けてるんだけど、傍に悪魔がいないで使い魔と接触するのは危ないんだ」

「うん、それは前に使い魔を借りて下町に降りた時に解ったよ。確立操れないからね、不利になってしまうし情報が漏れたら大変だ」

「ああ。だから使い魔からシエロの情報はこっちに入ってくるけど、こっちの情報をシエロに伝えられない。それで今日はこういう方法取ったんだ」


 悪夢を紡がなければ夢を繋げないエフィアル。またここに来るにはシエロに悪夢を見せることになる。だから極力使えないと伝えると、シエロは少し寂しそうだ。


「僕は今更カロン君に知られて困るようなこともないし、会いに来てくれると嬉しいんだけどね」

「俺もシエロの声聞けるのは嬉しいけど……本物のお前に抱き付きたい」

「カロン君……ふふ、そうだね。衣装を仕立て直すのに合わせて、裁判は三日後だって聞いた。場所は明日にでも街中に告知されると思う。情報収集だけ抜かりなくお願い」

「解った」


 カロンはシエロの膝を下り、ついでに別れのキスをする。


「夢の中だと舌まであるんだな」

「もう!どうしてカロン君はそうやって……」

「ってことはあれもあるんだろ?俺を抱いてみるか?」

「ううん、いいや」

「なんだよ、つれないな」

「だってそうなったら、目が覚めたら悲しいじゃない」


 僕だって触れるものならそういう風に君に触れてみたいけど。そんな含みを残したシエロの言葉。夢では触れ合えても、現実ではもうシエロは女としてしか生きられない。少しはシエロの気を楽にさせてやろうと思ったのに、余計なことを言ってしまっていた。


「……ごめん」

「ううん、僕は幸せだよカロン君。君が僕に命をくれた。僕に新しい生き方を教えてくれた」


 嬉しそうにシエロがお腹をさする。その意味に気付いてカロンは赤面。

 そうだそうだそうだった。悪魔達がお節介を焼いてくれていたんだ。確立を弄られたなら、きっとあれは的中だ。


「僕は元の姿に戻ることの方が怖い。今確かに感じられるものが、何処にもいなくなってしまうんだから」


 そうなったらまたやればいい。そういう話ではないのだと言われている。

 例え身に危険が及んでも先約済みだ。シャロンに襲われたとしてもシエロがシャロンの物になることはない。これは殿下でも同じ。だけど一度男に戻されて、リセットされて……もう一度女にされたなら、この先約は無かったことになる。そうして無理やり結婚式を挙げられてしまえば、例えシエロが俺を好きなままでもシエロは身動きが取れなくなる。そうして母となり、無理やり誰かの物にされてしまう。


「必ず迎えに行く」

「うん。あ、遅れても大丈夫だよ。僕が頷かなきゃ良いんだから。仮病とか使っていざというときは倒れて式を中断させれば良いだけだし」

「その発想はなかった。シエロ以外と強かだな」

「強かな僕は嫌い?」

「いや、好きだ。ていうか元々シエロ抜けてるけど頭はいいもんな」

「うう、僕そんなに抜けてる?」

「ごほんっ!」


 いつまでいちゃついてるんだと言わんばかりの割り込み咳。悪魔が所在なさげに此方を睨む。


「そろそろ夜が明ける。目覚めなければ不審がられる」

「あ、はい」

「っち」


 昼くらいまで延長サービスしろよとカロンは悪魔を睨んだが、情報収集の指示もある。ここは帰らなければならないか。


「それじゃあ、無茶はしないでねカロン君」

「お前もな。あ、俺アルバ達と合流してたってまだ言ってないよな?タイミングが合えば悪魔一匹お前の所に送るかも。そうなりゃ使い魔も使えるようになるし」

「わかった。それじゃあまた後で」


 シエロから離れると辺りはまた暗闇。その暗闇が捌けていくと、視界が明るくなっていく。現実の、瞼が開く。


「ふぁあ……なんか忙しかったけど、よく寝た気がする」


 身体は休まったのか、頭もそれなりには動く。夢を見せていたのは悪魔の力であって、それを見ることにカロンの脳は働いていなかったから、そんなものなのかもしれない。それでもエフィアルが少しげっそりしている気がするのは、恋愛事に慣れていない身の上で、人がいちゃつく様を見せられたから?まぁ元気出せよと頷けば、誰の所為だと睨まれた。


「あれ?アルバ……?おかしいな」


目覚めて周りを見回すと、同衾者の姿がない。同じように辺りを見回す悪魔が言うには……


「他の領主の気配もないな」

「何か、あったのか?ちょっと様子を見てみるか」


朝っぱらからなんだってんだ。欠伸をするカロンの横で悪魔は疲れたように息を吐く。






他の魂についての含みを織り交ぜつつ、決戦まであと3日。

推理パートのために聞き込み回か。


シレナが殺された理由はまだまだわけありです。この辺で、ん?と思っていただけたなら嬉しいのですが。


海神の娘は人魚姫の原点と言われるウンディーネを題材にしつつ、人魚姫と折半した話です。水妖だと泉とかの精で海とは関われない。相手が騎士だと国と関われない。そこから世界観広げるために仕方なく、人魚姫っぽい設定も入れて海と国って概念を得て広げました。後はオリジナル。


それでも一応前世物語の参考文献としてウンディーネ。

似たような境遇に陥って、その伝承を知っててそこから逃げようとした二人の話が前世の話だと思っていただければ。


配役設定で視点変更の度に出て来た前世配役らしき登場人物と、今の舞台の登場人物を照らし合わせて人間関係前世引っくるめ推理していただけると幸い。


シエロは前世世界に存在しませんよと言う前置き回でした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ