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30:残された楽譜

眠りの森の魔女

「イストリア、貴女は私に勝てないわ。

  恋したことがない貴女には、恋を知る私がわからない。

  私のことがわからない貴女が、私に勝てるはずがない。

 踊るのは、貴女の方よイストリア!」


 *


「シエロが殿下に捕まっただって!?」


 カロンがエペンヴァの使い魔と合流したのは日も暮れかけた夕暮れのこと。


「どういうことだよそれっ!」

 《詳しい話はまた後ほど。今からそっちへ向かうからあまり動かないでくれたまえ》

「あ、こら!おい!」


 使い魔を介した第六領主との通信は、一方的に途絶え、カロンは苦虫を噛み潰したような顔になる。


「くそっ。ドリスが死んだと思ったら、今度はシエロに乗り換えるとか……あり得ないだろ普通」


 一応あの殿下はドリスに惚れていたのではなかったのか?それがどうしてこんなことに。次から次へとシエロには身の危険ばかりがやって来る。


「だが、城の方が安全と言えば安全かもしれぬぞ」

「そりゃあシャロンも迂闊には近づけないだろうけど……」


 シエロは城に人魚の衣装を取りに言ったのだろう。後はそのシエロさえ上手く救い出せれば、海神を呼び出す条件は満たされる。


(問題は……シエロが歌えないってことだ)


 それが殿下にばれたなら、一大事。その前にシエロと合流を図りたい。


「とは言ってもなぁ……」


 此方も身を隠す場所に困っていたのは事実。上層街中層街下層街の全ての屋敷は兵士が見張りについている。今帰ってシャロンと間違えられても困る。そこで元通り男の恰好のまま誰かに気付かれる確立をエフィアルに極限まで下げて貰った上でシャロン探しをしていたわけだ。


「確立に関してはあんたが一番なんじゃないのかよ。なんでシャロン見つからないんだよ」

「いいか小僧。我は悪夢の悪魔。あれは夢現の魔女。我が知ることが出来る夢は悪夢のみ。あれは夢ならば全ての世界を知ることが出来る」

「やっぱ妹の方が有能じゃん」

「貴様がそれを言うか。貴様の妹が狡賢いからこうやって見つからないのだ」

「それはあんたの妹がチート過ぎるからだろ」


 張り合って、そこでお互い妹に苦労している身としてカロンは妥協する。


「いや、待て。俺達が張り合っても意味がない。苦労してるのはお互い様だ。俺はシエロと、あんたがあの女とハッピーエンドになるために、俺達はなんとかしないといけないんだから仲良くしようぜ魔王様」

「ふん、解れば良いのだ」

「おいこら、あんたはそれだから駄目なんだよ。たまには男から折れてやるのも大事なんだよ。意地とかプライドとかばかり気にしてたらろくなことにはならねぇ。俺とシエロ見てたらわかるだろ?」

「………なるほど、押して駄目なら引いてみろ、か」

「ああ、それそれ。それが大事。相手に嫉妬させるのも有効かもな。そのためにあんたちょっとその妹って悪魔誘惑して来いよ。そうすれば、あの女悪魔だって“何よ、私を口説いて来たと思ったのに!”って満更でもなかったってのを自覚してあんたを意識するようになるかもしれない」

「時には他の女に気がある振りをして、嫉妬の心を引き出すか……なるほど、忘れないように書き記しておこう」


 悪魔は何処から取りだしたのか知らない紙とペンでメモをし始める。


「だがアムニシアには関わりたくはない」

「あんたその妹に何されたんだよ、まったく」

「我はあれほど恐ろしい女を知らん」

「うじゃうじゃいると思うけどな。女なんて基本みんな怖ぇえよ」


 空に来てからそれがよく分かったとカロンは肩をすくめた。そうしてアルバ達を待つ間通りの壁に背を預け眺めていた人混みに、見覚えのある顔を見つける。


「ん……?あれ……オボロスだ。何であいつこんな所に?」


 キョロキョロと何かを探すような様子の幼なじみ。誰かに追われていると言うわけでも無さそうだ。しかし様子がおかしい。


「……どうする?」

「確立、一旦戻してくれ。もしマイナスの所から逃げてきたなら情報を聞き出せる」

「了解した」


 エフィアルが確立を弄ったことで、挙動不審な幼なじみはカロンの姿に気付いたようだ。大声を出しそうになるオボロスに黙れと合図し路地裏へと手招き。


「カロン!無事だったんだな、良かったぁ……」

「心配かけたんなら悪かったよ。でもお前なんだって空に?」

「そりゃお前探してて寝坊して旦那様から命令出てお嬢様に届け物が……」

「ま、いいや。何うろうろしてたんだよ。すげー怪しかったぞ」

「カロン、お前こそ何でここにいるんだ?」

「それは」


 何て言い訳しよう。シャロンに会いに行きたいって言ってシエロに空に連れてきて貰ったとか?いや……駄目だ。


「お前、あの男に騙されたんだろ?シャロンの敵討ちにって」

「え…?」


 知られてる。どうして?いや、オボロスはマイナスの所にいた。その前はシレナに扮するシャロンの傍に。ある程度の情報は流されていたと見ても良いのか?でも……

 カロンは目を釣り上げる。


「騙されたって何だよ、シエロを悪く言うな」


 ここで噛み付かれると思わなかったのだろう。オボロスは面食らったような顔。


「だって、シャロンは生きてる。俺がお嬢さんだと思ってたのがシャロンだったんだ」

「それならシエロがシャロンに騙されたんだ。何でシエロを悪く言うんだよ。お前だってシエロには会っただろ?あんな世間知らずのお貴族様が、下町育ちの悪ガキの俺を騙せるもんか!」

「お前……貴族嫌いだったろ?なんだってそんなにあの男を庇うんだよ」

「シエロはシエロだ!お前こそちょっとシエロに含みあり過ぎで感じ悪いっての!お前そんなこと言う奴じゃなかっただろ!」

「変わったのは、お前だろカロン」

「はぁ?」

「信じたくなかったけど、本当だったんだな」

「は?何の話だよ」

「俺、シャロンの姉さんっていう歌姫のところに宿借りたんだけど酷い目に遭って……そこから俺を助けてくれたのはドリスっていう歌姫だった」

「え……?」

「だけどドリスは死んだ。昨日オペラ座で。お前に嵌められて、騙されて死んだんだって聞いた。俺はそんなの嘘だと思った。だけど……今のお前を見て、俺はお前が信じられなくなってる」

「おい、オボロス……それ誰に」


 オペラ座でのことを知っているのはカロンと悪魔二匹だけ。イストリアがオボロスに教えた?確かにあの悪魔はドリスと契約していた。しかし……あの取り乱した様子から、しばらくは行動不能だと思っていた。


(エフィアル)


 心の中で問いかければ、頭の中に悪魔の声が響いてくる。


(イストリアの気配はない。まだこの本の中には戻ってきていない)

(だろうな)


 こっちへ来たならこの男がそわそわするはずだ。何処にいるのかまではわからなくとも、本の中に入ってきたなら何か感じ取るはずだ。返事が気になってそれどころじゃなくなるはず。それがないということはイストリアは本の外側にいる。それは間違いない。


「だってお前、そんな男じゃないだろ?付き合うような約束した女の子見捨てるような屑じゃなかったはずだろ?」


 イストリアじゃない。それでもイストリアしか知らないようなことを知っている。

 エフィアルの妹は本当になんでもありなのか。どうなんだよと姿を消している悪魔を睨めば沈黙の肯定。恐ろしいとはどうやら言葉通りの妹らしい。


「目、覚ませよカロン!」


 悪魔を睨んだカロンの反応、それがオボロスには目を逸らしたように見えたのだろう。不意に肩を掴まれ視線を戻される。


「お前あの男に何か吹き込まれたんだ、それで騙されてるんだ!あいつは危ない。下町へ帰るんだ」

「シエロは危なくなんかない」

「それが騙されてるって言ってるんだ!シャロンがおかしくなったのだってあの男に出会ってからだって」

「そんなの誰が言ったんだよ」

「それはドリスが」

「ドリスドリスドリスってなぁ!お前あの女の何処に信じる理由があるんだよ?助けられたから?それだけでお前はあの女の全部を肯定するのか!?俺よりも、あんな女を信じたって言うのかよ!」

「カロン……」

「オボロス!お前はシエロに嫉妬してるだけだ!お前はシャロンがあいつに取られたのが気にくわなくて!それでなんでもかんでもあいつの所為にしたいだけなんだ!」

「お、俺は……」

「ああいいぜ!そこまで言うならシャロンをお前にくれてやる!その代わりシエロに指一本触れてみろ!俺はお前を許さない!」


 カロンの言葉にたじろいで、一歩後ずさるオボロス。


「なんで、そんなに……」

「お前だって、シャロンやシレナを悪く言われたら腹立つだろ!俺にとってシエロはそのくらい大切な人なんだ。お前だって、シエロを悪く言うなら俺は怒る!こればっかりは俺は怒って良い!」

「や、やっぱりお前騙されてるんだ。あんな綺麗な顔でも、だってあの人男だろ?お前あの男が女だって勘違いしてるんじゃ……」

「だったら何だよ!男だろうが女だろうが、シエロはシエロだ!俺がシエロ好きで何か悪いのかよ!」

「カロン、目覚ませよ」

「お前こそ目覚ませよ。そんな偏った目でこの事件解決出来るわけがないんだ」


 押し勝った。そう思っても相手もしぶとい。このまま話は平行線かと思われた。その時だ。


「小僧っ!」


 現界したエフィアルに抱えられ、カロンはその一撃をかわす。


「…………っ!」


 先程まで自分が居た場所には悪魔がすり替えたらしき木材。それに無数の短剣が突き刺さる。それを飛ばした人物がいるである方向へと目をやれば、ドリスの従者メリアの姿がそこにある。寝不足であろう、窶れた顔。隈のかかった目。その目は憎しみの色を灯してカロンを付け狙う。


「突風により凶器の軌道がズレ、尚かつ目に入った砂で目標を見誤る確立変動」

「エフィアル!」

「その女はあの子供をつけていたようだな、貴様が声を掛けるだろう事を見越して」

「連中、悪魔は連れてないんだろ?確立で撒くぞエフィアル」


 その場を走り人混みへ。上層街まで駆け抜けて、ようやく撒けたことを知る。


「くそっ、計画が狂った」


 ドリスにあの従者は殺させておくつもりだった。ドリスが死んだ今となっては、あれを始末するのは骨が折れる。悪魔達では直接手が下せないとは言え、確立で何とか始末できないだろうか?


「俺を追ってきたあの女が運悪く足を滑らせて転倒。打ち所が悪くてそのまま死ぬ確立変動とか無理?」

「雨でも降らさなければ難しい」

「シエロがいないとお手上げか」


 合流場所が変更になったことは使い魔からアルバ達には届いていたようで、連中が上層街まで現れるまで、そうは時間は掛からなかった。掛からなかったが小言は言われた。


「酷いですカロンさん!僕の契約者なのに僕を置いて行くなんてっ!僕がいないと推理パートとか大変じゃないですかっ!」

「ああ、悪かったってエングリマ。でもシエロのために置いていったんだ。あの悪魔だけじゃ頼りならねぇし」

「それはそうですけど……」

「おやおや、酷い言われ様だね。使い魔総動員で私は大変頑張ったのだけれどね。仕方ないね。そこまで言われては君が私の領地にあのお嬢さんを取り戻しに来るまでたっぷりあんなこととかこんなこととかして遊んであげることにしよう」

「おいこら腐れ領主」

「第一推理小説として役立たずなのは確立しか弄れない第一領主様じゃあないか」

「我を役立たず呼ばわりするか!貴様の領地攻め入ってやろうか?」


 半泣きの少年悪魔と口論の青年悪魔達。そんな悪魔達の様子に溜息を吐き、アルバがカロンに歩み寄る。


「何はともあれカロン様、ご無事で何より。シエロ様に代わって言わせていただきます」

「アルバ……」

「これからのことですが、もう一つ安全な場所があります。此方へどうぞ。各領主様、さっさと確立上げて安全確保を」


 お前らそんなんでも魔界の最高職だろ、仕事なら模範的にキリキリ働けと暗に呵られ、プライドからか第四領主を除く悪魔達はしぶしぶそれに従った。別に呵られる前から第四領主に至っては仕事をしてくれていたらしい。逐一命令をしなければ使えない青年悪魔達にカロンも目眩を禁じ得ない。


(でも……)


 先程のことを思い出す。命令にはなかったがエフィアルはメリアからカロンを庇った。


(俺から学べることがあるって、認めてくれたって事だよな)


 まだ死なせるのは惜しいと、そう思ったから助けてくれたのだ。それなら助かる。カロンとしてもこの不器用な悪魔に感謝し、彼の恋を応援してやりたいと策以外で初めて感じていた。


「お久しぶりです、奥様、旦那様」

「あらあら、貴方!アルバーダさんじゃない!しばらく実家にシエロも顔を出さないから心配してたのよ?あら?貴方本当に老けないわねぇ、どんな化粧水使っているの?」

「奥様、これはつまらない物ですが」

「まぁ!化粧品化粧水美肌ケア一式セットじゃない!貴方のお薦めのは本当肌に良いのよねぇ」


 上層街のある一角。アルバに従い進んだ屋敷、出迎えた使用人に通された客間。

 そこで待つこと数分、小綺麗な熟女……いや、奥様が現れる。にこやかに談笑するアルバの言葉からなんとなくここが何処なのかをカロンも察し、小声で彼に聞いてみる。


(おい、アルバ…!ここってまさか)

(フルトブラント家の本家本邸でございます)

(やっぱり!?)


 どうしたものかと狼狽えるカロンに、シエロの母親も気付いたのか視線をカロンに移す。


「あら、其方の子は?」

「シエロ様の恋人の歌姫でいらっしゃいます」

(おい!アルバ!)

(嘘ではないですが、何か?)


 勘違いするならする方が悪いのだと語ったアルバの言葉にカロンも飲まれ掛け……


(でもシエロのお母さんに嘘言うなんて)

(カロン様、今は事態がややこしい。挨拶がしたいのなら事件を解決してからになさってください)


 確かにアルバの言う通り。全ての事情を話すとなるとややこしいことこの上ない。フルトブラントの家の人達はシエロが人魚の伴侶となって玉座を手に入れることが目的なんだろうし、事件が終わったら……この国を去るかも知れない自分たちが余計なことなど口には出来ない。


「あら、シャロンちゃん?前と会ったときとちょっと様子違うから吃驚したわ。お忍びだから男装してたの?」

「いえ、今は海神の呪いでこのような姿になっておりますが」

「まぁ!素晴らしいわ貴方っ!本当にシエロの歌姫は人魚の再来なのね!これはもう我が家が次代の王位は取ったようなものね!」


 喜んでバタバタと掛けていく奥様は、そのまま旦那を呼びに行ったらしい。なんとか誤魔化せたことに胸をなで下ろしながら、カロンは隣に腰掛けたアルバを睨む。


(アルバ!そこまで言う必要あったのか?)

(あの位言って置けば、勝手に良い解釈をして匿ってくれるようになりますよ)


 なんとも悪びれない態度のアルバに文句を言おうとしたところで、室内に飛び込んでくる足音。シエロの母親が父親を連れてきたらしい。

 二人ともシエロのように空色の髪はしておらず、どちらも金髪だ。だからだろうか、あまり似ているとは思わなかった。


(シエロが先祖返りってのは本当だったんだな)


 何とはなしにそう思いながら、カロンは出された茶を啜る。それを見て嬉しそうに笑いあうシエロの両親。


「シャロンちゃんは仕事が忙しいと聞いてねぇ、シエロにはちゃんと挨拶に連れてきなさいと言ったのに、いつもはぐらかされてばかりで。私はたまたまライブを見に行ってね。それで顔は見ていたのだけれど」

「そうかそうか、呪いの歌姫がうちの愚息の恋人だとは。これは早く君に人魚になって貰わないとな、そうなれば我が家も安泰だ」


 ここまで期待されると気まずい。今となってはシエロは王になれる身体でもない。なったとしても世継ぎを作る場合は性別逆転だ。その間は公務にも出られなくなる。とてもじゃないが王になんてなれない。さっさと海神との和解を成して、この国から去りたい。


(そんなに悪い人達じゃなさそうだけど……)


 シエロがこの家が苦手だったのは少し解ってしまった。幼い頃からこんな風に期待ばかりされて来たんだろう。先祖返りのシエロは王子と海神の娘の血を色濃く宿す。今度こそ勝ったとこの家の人達は思ったのだろう。それでも肝心のシエロは虚ろで、玉座を目指すという気概がなかった。シエロが男でありたいと思い始めたのはシャロンと出会ったから。シャロンとの恋を知らなければ、シエロはずっと虚ろなままだったのかも知れない。

 そうだ。シエロは男としての自分を否定され続けたから、男でありたいと願いながらもそうあることが出来なかった。そんなシエロが別の生き方を探して、俺の傍にいる事を望んでくれた。今のシエロは、虚ろじゃない。


(ごめんなさい)


 心の中で詫びてカロンは目を伏せる。シエロをこの家に戻すわけにはいかない。別に王になんかならなくていいんだ。俺はシエロがいてくれれば、それでいい。


「そ、そうだわお義父様お義母様!私、昔の私のことをもっと知りたいの。フルトブラントのお家には何か古い文献とかは無いかしら?そういうのが解ったら、もっと素敵な歌を歌える気がするんです」

「おお!勉強熱心な歌姫様だ!よしよし、書庫の鍵だ。自由に使ってくれていいぞシャロン君」

「きゃああ!凄いわ貴方!シャロンちゃんは本当に呪われてるのね!塩水で女の子に戻ったわ!まぁまぁ!今度はまた男の子に!」

「お前、そんなにシャロン君で遊ぶでない。大事な我が家の歌姫様なんだからな。咽を痛めたら困るだろう?家内が迷惑かけたね、さ……客間を用意しておいた。いやシエロの部屋の方がいいかな?これも鍵だ。持って行ってくれ、屋敷は自由にしてくれて良い」


 これまで頼られなかった両親は、初めて頼られたことで気前よく全面的なバックアップを約束してくれる。この分なら外から悪い噂が入り込んでも気にせず守ってくれるだろう。それが玉座のためだと信じて。


「カロン様……」

「アルバか。入ってくれ」


 書庫から漁ってきた文献を片っ端から手分けして探す。悪魔とその使い魔達も総動員。

 シャロンのことはひとまず保留。探しても見つからないなら向こうから出てくるだろう時を見逃さない。それまで出来うる限りの対策を練っておくのが一番だというのがカロンの出した結論だ。


「少年、君の魂の前世が好きだった体位の記述を発見したが」

「そんなのはどうでもいい」


 卑猥な記述を見つけてはにたにたと情報提供をする第六領主は使えない。使えないがその使い魔達は役に立つ。


「なるほど、口説き文句とはこういうことを言うのか」


 最初は恋愛物の物語と言うことで脳筋第一領主は拒否反応で寝込んでいたが、復活してからは俄然やる気を出し、使えそうな口説き文句の記述を見つけてはメモをしている。お前は試験前に一夜漬けする学生かと一言ツッコミたい衝動に駆られる。


「でもカロンさん、どうしてこんなことを?」


 一番真面目に手伝ってくれているのは言わずもがな第四領主。そんな少年悪魔に聞かれれば、カロンも応えないわけにはいかなくなる。


「シエロは衣装の確保を身体張って頑張ってくれてる。それなら俺に出来るのは、海神と語り合うための俺の言葉と歌だ。シエロが喋れない分、俺がちゃんと伝わる言葉を口に出来なきゃ意味がない」


 要するに不安なんだと教えてやった。


「そもそも呼び出せるかどうかだって、まだ不安なんだ。シエロは俺が海神の娘の生まれ変わりだって言ってくれたけどさ、俺は全然そんなの覚えてねぇし」

「その手掛かりがここにあるかもって事なんですね」


 なるほどと頷きながら少年悪魔は作業に戻る。悪魔達には歌の参考になりそうな恋や物語をメインに綴られた文献を当たらせている。カロンとアルバが調べるのは、歴史とそれに類する物語。


「カロン様、これを」

「何かあった?」


 アルバから差し出された数枚の紙。見ればそこには様々な情報が刻まれている。


「私が調べた限りでは、この屋敷の文献、そして奥様旦那様が理解する呪いと伝承の程度と照らし合わせてみた結果がこれです。これだけの膨大な文献、全てを当主と言えど目を通しては居ないはず。重要な部分だけを口伝で子孫に語り継いだと見て間違いありません。現に旦那様はそう仰っていました」

「でも呪いのこと知ってたよな?」

「それはシエロ様が生まれたからでしょう。シエロ様の呪いが露見して、その教育の最中に多くを学んだ。それに元々この家が呪いの発祥。それに纏わる文献はあったのです」

「それじゃあやっぱり調べた?」

「調べたのはシエロ様だったと思います。私が屋敷に来た後も、書庫に向かわれたことが度々ありましたから」

「そっか……」

「カロン様。選定侯家と言えど、誰もが呪いの秘密を知っているわけではありません。王は人魚を娶り海神と間接的に会い呪いの一端に触れるわけですから、正しい伝承を教わります。けれど身内と言えどそれを教えはしません。だから殿下はご存じない」

「……そう、なのか」

「ですから選定侯家に呪いが色濃く出た子が生まれた場合、王に呪いの知識を頼るのです。シエロ様やナルキス様、そのご両親はその過程で呪いについての理解を深めたと言っても良いかもしれません」


 アルバの言葉に納得しかけ、カロンはアルバが事情に明るすぎるのではないかと思い至る。そんなカロンの疑問を知ってか知らずかアルバはその解となる言葉を口にした。


「……今の王は私の兄。人魚は私の恋人だった女です」

「え……?」

「選定侯家の一つ、アクアリウトの家には二人の兄弟がいまして、私の恋人は人魚になった。しかし結婚を前に恋人は兄に奪われ子を宿し、そのまま私は何もかもを失いました」

「そう言えばそんなこともあったな。お、この口説き文句良いな。メモしなければ」


 アルバの独白に水を差すエフィアルに、アルバの奥歯がカチカチ鳴り出す。怒りが甦って来ているようだ。


「え、ええとアルバ?水でも飲む?」

「すみません」

「ふむ、なかなか心地良い怒りだぞ人間」


 アルバの怒りに当てられて、エフィアルは少し良い笑顔。それを殴り飛ばしたいと言わんばかりの形相のアルバを宥めつつ、カロンは椅子に座らせる。


「っと……怒りに駆られた私は兄への復讐のため、そこの第一領主を呼び出そうとし失敗。死にかけていたところをシエロ様に救われ、このような身体になったのです」

「……そんなことが」


 大体エフィアルの所為じゃないかとカロンが横目で悪魔を睨めば、悪魔は失敬なと口を尖らせる。


「元は人間同士の諍いが原因。その日は奇しくもイストリアから茶に誘われていたのだ。つまらん用事で呼び出された我の身にもなってみろ!約束の時間に遅れたことで機嫌を損ねたのだぞ」


 今日まで第七領主が嫁になってくれなかったのはその所為に違いないという第一領主の責任転嫁。悪魔ってどうしてこう、みんな自分勝手で精神年齢低いんだろう。カロンは頭痛を覚え始める。


「……とりあえずここの本は収穫無し。一度戻しに行って来る」

「それならば私が」

「いや、俺も少し動いて気分転換したい。エングリマ、来てくれるか?」

「はい」


 書庫の鍵を持ち、悪魔を従えカロンは廊下へと進む。10月ともなれば夜の空気は冷たい。空の上は尚更だ。それを感じる暇もなかったのは、シエロが傍にいてくれたから。いつもあいつのことで俺は悩まされ、気が動転したり怒ったり。肌寒さなんて感じる暇もなかった。


(シエロ……)


 どんな姿になってもお前はお前の心は男だ。心配するなんて失礼だろう。それでも俺は心配だ。でもお前がやってくれると行ったんだ。それならそれを信じて俺も俺の最善を尽くす。信じるってそういうことだ。俺だってシエロを置いて先に空に来てしまったんだから、今回ばかりは責められない。


「カロンさん、書庫ここですよ」

「あ、ああ」


 物思いに耽っていた所為で書庫を通り過ぎたらしい。

 手にした本を元ある場所に戻しながら、カロンは通り過ぎた棚を見る。まだ手を付けていないはずの棚。


「……隙間?」


 本が一冊差し抜かれたような空間がそこにある。


(そう言えばアルバが……)


 シエロが何度か書庫に足を運んだことがあると言っていた。他にもそんな隙間はないかと書庫を巡って確かめる。


「カロンさん、何かありましたか?」

「……そうだ、エングリマ」

「はい」

「シエロの父さん母さんのあの様子だとシャロンがここに上がり込んで何かを仕掛けたとは思えない。でも一応シエロの部屋の安全性の確認をしたい。戻ったら向こうの時間を凍らせて貰えるか?」

「はい解りました!」


 エングリマにずっと時を凍らせる事は出来ない。それは推理のための手掛かりを得るための力であって、これから起こる出来事を先延ばしにし、その間延々と考え推理を重ねるための力ではない。それはこの本を記している悪魔にとってつまらないものになるから、そういう自由を与えないよう、領主達の力は制限されている。だからこの書物調べもそれで行うことは出来ない。出来るのは、証拠品を見つけるため。


「あった!」


 早速部屋に戻ってその場を凍らせ、シエロの部屋の棚の上や寝台の下、色々調べて見つけた本があった。本棚から抜けていた隙間と同じ厚さの本。

 それを捲って見れば、動き出した時間の中からにやつく顔の第六領主が寄ってくる。仕事しろと追い払うもいいじゃないかと帰らない。


「おやおや、なんだね少年?恋人の部屋で卑猥な本でも探していたのかい?」

「あんた俺のシエロを何だと思ってんだよ」

「そういう君こそあのお嬢さんを神聖視し過ぎじゃあないか?」

「そんなことしてねぇよ。シエロはそんな本読むくらいなら俺を誘ってくるに決まってるって言ってるんだ」

「やれやれ、お熱いことで。今はそうでも過去はどうだか知らないがねぇ。同棲するまでは歌姫シャロンに会えない時間も多かったのだろう?嫌らしい本くらい一冊でも二冊でも十冊でも見つかるかと思ったのだが、なかなか見つからないものだねぇ」

「と言って貴様が居ない間これは仕事をさぼっていたが」

「エフィアル様は口が軽くて困る。そんなことでは意中の乙女に嫌われますぞ」


 同僚からの密告を窘める様子でそそくさと作業に戻る第六領主。本当に食えない男だ。


「我に貸してみよ、人の子」

「エフィアル、何か解るのか?」

「その本からは僅かに第七魔力が感じられる。僅かながらイストリアが関与した物語に違いない」


 鼻をひくひく動かしてそう断言した第一領主。それを見てひそひそと小声で呟く第六領主も地道に喧嘩を売るのを忘れない。


「流石は第七領主のストーカーですね」

「そんなに我と戦争したいかエペンヴァ」

「嫌ですねぇ。これだから力のある方は。すぐになんでも武力解決を図ろうとする。そんなことでは誰も貴方に付いていきませんよ。だから女一人口説けないのです」

「くっ!そんなことはない!我の武勲と雄姿を見ればあの女は俺に惚れ直すはずだ」


 惚れ直すも何も何時、惚れたことになって居るんだろうという素朴な疑問。それをカロンは指摘しないでやることにした。が、さっそくそこを第六領主に指摘され、室内は騒然とした雰囲気になる。とてもじゃないが読書の邪魔だ。仕事熱心なエングリマも胸を痛めてか、二人の争いを止めに入ってくれた。


「止めて下さいよエフィアル様、エペンヴァさん!戦争なんかやってもろくなことありませんよ。敵も味方も領民が死んでしまって、そうなれば魔界の秩序も乱れて治安も悪化するんですから。僕ら領主は領内の安全と管理が仕事なんですからね」

「言ってることは立派だけどね悪魔的観点から言うならねエング君、君の領地が一番治安が悪いんだよ悪魔にとっては。何あれ、どこの天国?そっちの領地に迷い込んだだけで消滅したうちの同胞だっているんだからね」

「そんなことないですもん!僕の領地だって背徳ですよ!神の禁じたいろんな愛の形が溢れてますもの!」

「はぁ……これじゃあ逆効果か。もう良い。今日はここまでにしよう。お前ら一旦頭冷やせ」


 足並み揃わないようじゃ第七領主に隙を突かれかねない。そう告げて、悪魔達の姿を消させる。その間も情報収集を続けるエペンヴァの使い魔達だけは健気だ。その主人も少しは見習って欲しい。


「おいエペンヴァ、こいつらも疲れてるようなら一旦帰らせてもいいんだぞ?」

「ふむ、面白いことを。いいかね歌姫。我々悪魔と人間の過ごす時間の感じ方など異なる物だ。何千何万何百万と生きる我々からすれば数日の不眠不休の仕事などほんの瞬きの時間に過ぎない」

「そんな時間でさえお前はサボってたんだな、よく分かった」

「おっと、失言だったかな」


 はははと笑いを残して悪魔は消える。後は呼んでも出て来ない。今日はもう働く気が無いらしい。


「アルバ、お前ももう休んでくれ。シエロを担いできてくれたんだろ?じゃあ疲れてるはずだ」

「ですが私は……」

「あんたがシエロを心配してくれてるのはさ、俺もよく分かったから。また明日からあんたのこと頼ると思うから今は休んで欲しいんだよ」

「カロン様……」

「ほら、シエロのベッド貸してやっから。なんなら何か歌ってやるから早く寝ろ」


 護衛も兼ねて傍からこの男は離れないだろう。それなら無駄に広い寝台、使わせてやってもいいはずだ。シエロだってきっとそうする。ほんの少しはシエロの匂いが残ってるかも知れないこの部屋でなら、安心して眠れるはずだ。


「では……」


 戸惑いがちにアルバは部屋を歩き、棚の中から一冊の本を手に取った。渡されたそれを捲れば本と言うよりノートに近い。


「手書きの楽譜?」

「シャロン様は、最初は楽譜が読めませんでした」

「そっか。下町じゃそんなの勉強できなかったもんな」

「シエロ様がシャロン様のために、作られた楽譜の一部です」

「これを、シエロが……」


 綺麗な字。丁寧な解説。音符をドレミの音で記した言葉。

 シエロと歌の練習をした時にも楽譜は見たが、楽譜はいまいちよくわからない。そんなカロンにゆっくり頑張ればいいとシエロは笑って音で教えてくれた。


「ですがシャロン様に、シエロ様はこの贈り物が出来ませんでした」

「な、何で?」

「シャロン様は即興詩と即興旋律でその場で歌を作って歌えてしまったのです。そして一度歌った歌は忘れない。そうなれば、楽譜など意味を成しません」

「そんな……だってこれ、凄い沢山書き込んでて、シエロきっと何日も寝ないで頑張ったんだろ?」


 途中までは既存の入門曲を綴っていたようなそのノート。途中からインクの乾き具合、止まり具合。悩みながら楽譜は綴られている。

 途中からは作詞作曲はシエロがやったのだろう。シャロンの歌の手助けになればと言う後書きのような後ろの頁に延々と言い訳じみた文章が残っている。何だか他人の恋文を盗み見ているような気持ちになるが、そこまで悪い気はしない。


(だってこれ、俺が楽譜を読めないの知って……時間さえあればシエロは、俺のためにも同じ物、作ってくれたんだろうな)


 カロンがシエロの時間を奪ってさえ居なければ、もう着手していてくれたのかもしれない。

 自惚れではないが、自分のためにあのシエロが悩んでメロディーを詩を考えてくれている図を想像すると胸が熱くなる。今となってはシエロは歌えない。メロディーを口ずさんで作業をすることも出来ない。

 そう思うと尚更、過去のシエロの残したそれが愛おしくなってくる。もう二度と聞けないシエロの歌が、ここにある。アルバが先程立った棚の前。カロンも向かえば似たようなノートが幾つも見つかる。誰にも見つからないように。表紙を棚側に押し込んで、或いは他のブックカバーで隠す。更には嗚呼、無理矢理二冊まとめてケースにしまい込んでいる。恥ずかしがり屋のシエロらしい。シャロンを家に連れてこなかったのは、これが見つかることを恐れてだったのかも知れない。


「私の歌姫も、楽譜を知らない女でした。ですからシャロン様への贈り物を困っていたシエロ様にそう助言したのは私です。彼女は昔、こういう贈り物を何より喜んでくれる……そんな娘でした」

「アルバ……」

「しかしシエロ様の人魚は違う。才能がありすぎた。この贈り物はもしかしたら、貴方に贈られるべき物なのではと……そう思ったのです」


 アルバがこの屋敷にカロンを連れてきたのは、これを見せたかったからでもあったのだろう。海神との対話の方法。それはなにも過去を知ることだけではない。自分の今を固めること。しっかりとした心を歌い表す術を身につけること。それはもっとシエロを知って、そこにカロンがどんな気持ちを知るかが大事。歌とは魂。魂に思いを刻むことが何より大事だと、かつての人魚の恋人だった男が教えてくれる。


「そうだな……折角シエロが書いてくれたのに、誰にも使われないなんて勿体ないよな」


 カロンは頷きノートの中に丁度良さそうな子守歌はないかと調べる。そして丁度良さそうな歌を見つけて、アルバに歌ってやることにした。そうして旋律をなぞる内、微かな寝息が聞こえ始める。そっと顔を覗き込めば、確かに眠っているようだ。


(眠った……んだな。少しは疲れが取れてくれればいいけど)


 カロンは蝋燭の火の数を消し、灯りを弱め、二冊の本を見比べる。

 今は眠気より、もっと過去のシエロに触れていたかった。シエロが書庫から持ち出した本。それはきっと、この楽譜を記すのに役立ったはずの本。読み進め、読み進め……流石に体力の玄界が来て、カロンも夢現の境界を彷徨い始める。

 その不確かな境界の中、耳に聞こえるのは今では遠いはずの波の音。空の上にいるはずなのに、海をもっと近くに感じる不思議な感覚。耳を擽る旋律は、懐かしい気配がした。

シエロがドレスの簒奪に行った中、カロンは海神との対話に備えて歌の特訓しつつ、過去の文献漁り。海神呼び出せなきゃ意味がないからね。

働く気がまるでない悪魔達。

作中の清涼剤だったはずのオボロス。彼とカロンが仲違いした今、エングリマだけが最後の良心か。

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