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29:理想の歌姫

眠りの森の魔女

「私の歌姫、私の歌姫。可哀相な貴方に祝福を。

 手始めに私が復讐をしてあげましょう。

  手始めに、あの女から」


 *


「Fuck!やられたぜ!」


 マイナスと共に帰宅するや否や、悪魔はそう舌打ちをする。フルトブラントの屋敷で張っていれば手掛かりが掴めると思った。けれど二日目の朝そこにやって来たのはシエロなどではなく、城の兵士。

 見つかってはこれ不味いと、戻って来たナイアードの家にはあのオボロスという少年の姿はない。


「この香水の匂い、イストだな。くっそー!」

「モリア様。それじゃ、あのガキ攫ったのはドリスですか?」

「まぁ、そうなるな」

「では、ドリスの所へ……」

「ふぁあ。行くのはまた後でにしよーぜ。俺は疲れた。敵に見つからず安全に眠れる確立引き上げてやっからその胸貸せよ。胸枕させろ」

「も、モリア様!」

「徹夜で眠いのはお前もだろ。あれとかそれとかは起きてから考える!」

「は、はいぃ!」


 マイナスの寝台に潜り込んでくるのは、眠たそうな様子の悪魔。無遠慮に人の胸を使って寝付いたその姿に、マイナスはしばらく気が昂ぶって眠れなかったが、疲れは確かにある。何時の間にやらマイナスも、瞼が下りてきていた。うつらうつらと夢現。はっと気が付けばそこは寝台の中ではない。暗い、暗い森の中。恐る恐る踏み出して、辺りを見回すが何もない。生い茂った暗い木々の所為で空の色さえ映らない。


「……何処だ、ここ」

「お久しぶりね、お義姉様」

「シャロン!?」


 背後から上がった覚えのある声。振り向けば死んだはずの義妹の姿がある。


「おいおい待てよ。私はそんなメンタル弱くねーぞ。ぶっちゃけお前が死んで清々してるが悲しむ気持ちなんかこれっぽっちもねぇ。よってお前の夢なんか見るはずがねぇ」

「ええ、そうでしょうね。だからシャロンちゃんも困っちゃったわ。だけど私の悪魔が力を増してきている今、夢は夢、全ての夢は私と彼女のテリトリー。貴女が私の死を悼んでなくてもこうして貴女は魘されなければならないのよ」


 長い金髪の可愛らしい歌姫が、今は女の顔でほくそ笑む。天使の歌声とか讃えられていたはずの女が、なんて悪魔のような面構え。初めてマイナスはシャロンを相手にぞっとした。


「お義姉様は、よぉく私のことを苛めてくれたわよね?私のシエロにもあんな傷残して、所有者面しようとして。私の指輪を、恋人証明書を私から奪って、それでシエロの心が手に入るわけでもないのに」

「五月蠅い!黙れ!それはこの間までの話だ!」


 モリア様の力を使えば、シエロなんか簡単に物に出来る。


「そう言えば義姉様、あの指輪落とさなかった?女悪魔にメロメロで気付かなかった?」

「え……?」

「あれ拾われちゃったわよ。だからシエロもあれを貴女が持っていたことを知っている。シエロがそれをどういう風に推理したかは知らないけれど、シエロの中でお義姉様の評価ガタ落ちよね。っていうか元々底辺なのにそれ以下になっちゃうなんて可哀相ね」

「だ、黙れ!だ、大体お前もう死んだんだろ!?今更出てくるな!」

「敵に見つからないで安全に眠れる確立ですって?あははは!面白い事言うのね。そんなもの格上悪魔が相手ならどうにもならないに決まってるじゃない」


 敵の敵は味方だとでも思ったの?けたけたとシャロンがマイナスを嘲笑う。


「いい女ってのはそんな簡単に死なないのよお義姉様。だって冥府の女王様からすればいい気はしないわよね、いい女が次々冥界に流れてきたら」

「そ、それじゃあ……あの死体は何だって言うんだ!私は見たぞ!フルトブラントの屋敷に確かにお前は……」

「ねぇ、お義姉様。シレネちゃんのファンってどういう連中だったか知ってる?」

「……ツンデレ女を苛めるのが好きな変態サディスト」

「そういうこと。だから彼女にも拷問された傷跡ってのはあったんだわ。鞭の後も火傷の跡もね。だけど打つ側って、打たれる側と違って、何時誰にどんな傷を付けたかなんて……明確には覚えていない物なのよ」


 確かにそうだ。これまでマイナスは何度だってシャロンを虐待してきた。けれどどの傷を何処にどんな風につけたかなんて覚えていない。打たれた本人はコンプレックスからその一つ一つを覚えているのだとしても、打つ方は忘れる。興味がないのだ、そんなこと。


「私とシレネちゃんは同期。だから古い傷は1年前から、私達はどちらともはじまるの。私にとって彼女ほど身代わりに適した人間も居なかった」

「あれが、シレナだって言うのか……嘘だろ」

「そうね。証拠がない。もしかしたらこれは唯の夢?あれは本当に私なのかもね。だけど私と彼女の違いを示すのは青と緑の目の色だけ。あの死体に顔面はない。眼球の色も解らない。だから貴女はあれが誰なのかわからない」


 だけどシャロンが生きているのか死んでいるのか。それが解らないということは不安を覚える。


「そういうこと。お義姉様はこれから怯え続ける。背後に怯え続ける。私が生きているんじゃないか。私が貴女を殺しに来るんじゃないか。不安で不安で堪らなくなる」

「や、止めろっ!」

「ドリスはあれを私の双子の兄だと言ったけど、本当にそうだったのかしら?もしかしたらあれが本当は私だったんじゃないかしら?それともこの間まで喋っていた歌姫シレナこそが私なのかしら?怖いよねぇ。怖いよねぇ、今はそのどっちも行方不明!」

「っ……、私になんの怨みがあるってんだ!」


 亡霊のような妹を睨み付けるマイナスの、心の震えを見透かすように……シャロンはくすくす笑う。


「別に私を苛めたことを怨んでるわけじゃないのよ?あれのお陰でシエロが私と同棲してくれるようになったんだし。不甲斐ないって言って前にも増して私を守ろうとするシエロは可愛かったし?あれはあれで楽しかったわ」

「それならっ!」

「だけど私のシエロに焼き印を入れたのは許せない。シエロは私の物だもの。世界で一人だけ、彼を傷付けて良いのは私だけなの」


 その狂った視線に触れて、マイナスは知る。なんて恐ろしい女を敵に回してしまったのかと。


「さぁて、どうしてやろうかしらお義姉様。貴女の自慢の顔に胸元に?焼き印でも入れてあげようかしら?“雌豚”!“中古!”“使用済み!”何が良いかしらねぇ?そんなものが入って居れば、これまでのような生活は出来ないわよ?ふふふ、男って馬鹿だから。本当に貴女が生娘でもそんなの信じてくれなくなるわ」

「嫌っ、止めろっ!こっちへ来るな!」


 *


「起きなさい、ティモリア」

「んだよ、うっせーな……」

「起きないと貴女の歌姫が大変なことになりますよ」

「はぁ!?」


 突然の脅迫に、眠気も吹っ飛んだ。少女悪魔が飛び起きれば、寝台の傍らには頭に小さな二本の角を生やした長い紫髪の女が見える。


「てめっ、アムニシアっ!」


 同僚悪魔に眠りを邪魔されたことに怒りつつ、先程の同僚の言葉を少女悪魔は思い出す。見れば胸枕にしていた歌姫が魘されている。その頬をべちべち打っても目覚めない。


「おい、マイナス!しっかりしろ!」

「彼女は今、私の領地に招いています」

「……俺の歌姫をどうするつもりだ!」


 夢の世界には魔王ティモリアと言えど、助けに行くことは出来ない。しかし敵の敵は味方。アムニシアとはそこまでこの世界で対立していなかったはず。まさか奇襲を仕掛けられるとは夢にも思わなかった。


「彼女を目覚めさせたいですか?それなら私のお願い、聞いていただけますわよね?」

「……あいつを起こせって言うのか?」

「はい。あちら側に第二領主様が付かれては私の契約者が困ってしまいます。それはあなた方も同じでしょう?それにこれ、貴女にとってもそんなに悪い話でもないと思うんです」

「ふぅん、で?お前の望みは何なんだ?」

「私は兄様に色目を使ったイストリアが許せない。だから私達領主が協力しこの世界から抜けだし、彼女を痛めつけるためにも共同戦線を張りませんか?」

「けどこれ筒抜けじゃねぇの?」

「今の彼女はお色直しで本の外へと出ています。夢の侵食が進んできた今なら、私はワイルドカードです。この部屋を一時的に夢の領域に組み込んで、彼女からも見えない世界にしています」

「なるほど……けど俺は別にイストは嫌いじゃねぇんだが」

「ええ。だけど彼女の魔力が貴女の物になったなら、貴女はエングリマを殺す力が手に入る。そうなれば貴女は完全体の悪魔になり、性別移動も思いのまま。魔王のランクも一気に変動することでしょう」

「……そんなら協力してやる。さっさとマイナスを解放しやがれ」

「では、また後ほど」


 すぅと女悪魔が姿を消すと、マイナスが脅えた様子で目を開く。


「夢魔なら俺が追い払ってやったぜ」

「モリア様……っ」

「おいこら、いい女ってのはそんなにホイホイ泣くもんじゃねぇぞ。お前みたいな気位の高いドS女がたまに泣くから良いんだよ。泣かせる価値があるってもんだ」


 俺以外に泣かせられてるんじゃねぇよと呵ってやれば、歌姫はこくこくと頷き息を整える。


「いいかマイナス。不本意ながら俺には後ろ盾がある。その後ろ盾こそ最強の悪魔だ。だから俺と契約してるお前ほど安全な奴はいねぇ。解ったら顔を洗って着替えて化粧だ。街の様子を見に行くぞ。何か匂うぜ」

「は、はい!」


 珍しくきっちり着込んだドレスに身を包んだ歌姫を見て、少女悪魔は口笛を吹く。

 同僚悪魔め、どんな悪夢を見せたのやら。しかしこれはこれで悪くない。


「ふぅん、そう言う恰好も似合うじゃねぇか」

「モリア様……」

「着込むのもエロいよな。脱がせ甲斐がある」


 さ、行くぞと悪魔が言えば、歌姫は頷き扉を開けた。


 *


使い魔

「困ったことになりました。困ったことになりました。困ったことになりました。

 何が困ったと言いますと、それをお嬢様改め、お坊ちゃまなご主人様に言うことが出来ないということがです。」


 *


 よくわからないことだらけだ。オボロスは頭を抱えていた。


(お嬢さん……)


 お嬢さんが死んだ。シャロンに殺された。

 シャロンはそんなことをする子じゃない。何があったんだ。話が聞きたい。


(フルトブラント……)


 綺麗な男だ。だけど顔が綺麗だからって心まで澄んでいるとは限らない。

 奴と出会ってシャロンが変わったのなら。カロンをそんな奴の傍には置いておけない。


(お嬢さんのこと……下のみんなに何て言えば良いんだ)


 空に来てから数日過ごしたお嬢さんはお嬢さんではなかった。あれがシャロンだった。

 それに気付けないほど彼女の演技は完璧だった。あの時の悲しそうな目と言葉は……昔から一緒に遊んでいたオボロスでさえ、自分の正体に気付けなかったということへの失望だったのか。


(シャロン……)


 それは突然だ。気が変わったと言わんばかりに歌姫は手を離す。夜はもう遅い。どんな闇が底に潜んでいるかも解らない。万が一でも犯人扱いされては堪らない。フルトブラントの屋敷に死体を捜しに行くのは、マイナス達が去ってからにしようと日を改めようと言われた。

 そうして急な仕事を思い出したと言って歌姫はどこかへ走っていく。

 部屋を貸してくれた歌姫ドリス。彼女は部屋までの案内を従者に頼み、従者もオボロスを部屋に通すと復讐のための下準備に出掛けていった。

 けれどその帰りは遅い。夜が明けても帰ってこない。宿を借りた身の上だ。部屋掃除と洗濯炊事はしたけれど、部屋に人がやって来たのは翌日の日が高く昇った後。そうしてまもなく日も暮れるという頃だ。


「あ、どうも」


 帰ってきたのは無口な女従者。見たところ彼女は顔色が悪い。


「大丈夫か?」


 とりあえず彼女に寝床を返し、水を運ぶ。


「え、ええと……あの、彼女は?」


 見たところドリスの姿がない。あの守護霊とやらのお姉さんもいない。辺りを見回したところで、何も見えない。唯、寝台に腰掛けた無口な女従者が歯を食いしばるのが見えるだけ。


「……何か、あった……とか?」

「そりゃああったわよ」

「うわぁ!守護霊の人!」


 突然部屋に現れた紫髪の守護霊に、女従者は抜刀。刃と鋭い眼光を彼女へと向ける。


「喋れないのって不便ね。その子に代わって教えてあげるわ少年」

「え?」


 微笑む守護霊。彼女はこの間は透けてなど居なかったのに、今は半透明。朝だからだろうか?


「歌姫ドリスは死んだわ。殿下に失望されて斬られたのよ」

「……え?」

「彼女は助けを求めて、デート相手の居るオペラ座に行ったのだけれど、肝心のデート相手が来なかった。そのままそこで死んでしまったわ。今は中層街はちょっとした大騒ぎよ」


 呆れて溜息を吐く守護霊に、女従者が飛びかかる。……が、彼女の剣は当然ながら半透明の彼女を擦り抜ける。


「何?私が彼女を裏切ったって言いたいの?」


 剣を突きつけられても平然とした様子の守護霊は、それは誤解よと口にした。


「メリア=オレアードだったかしら?イケメンな元歌姫さん?」

「……」

「私は、彼女を観察したわ。最期まで。だから教えてあげに来たのよ。彼女が死んだのは身から出た錆。悪い男に騙されたから」

「悪い男……?」


 何の話だ。オボロスはついて行けないながらも単語を追った。


「そう。悪い男。デート相手はカロン=ナイアスって男の子。ドリスを口説いてキスしてデートに誘った癖に、デートの時間に来なかった。彼がちゃんとそこにいて、手当てをしてあげたなら彼女は助かったかも知れないのに」

「ち、ちょっと待ってくれよ!あいつはそんな奴じゃないって!きっと何か理由があったんだ」


 突然話に組み込まれた友人の名にオボロスは飛び上がる。何やら不穏な空気を感じて。見ればメリアという従者、元は美人なのに物凄い恐ろしい形相になっている。それは先程まで守護霊に向けていた憎悪を遙かに上回る。


「い、いや!落ち着いて!カロンは良い奴だ!俺が保障する!あいつ確かに下町育ちで口は上手いし挨拶で女の子褒めるかもしれないけど、そんなに軽い奴じゃねぇよ!」


 キスまでしたんなら本気だろうし、本気ならそんな相手に酷いことはするはずがない。そうフォローするのだが、誰の耳にも届かない。


「悲しいことだけど、きっと変わってしまったのよ。……ああ、彼も悪い男に騙されて、毒されてそうなってしまったのかもしれないわね」

「……シエロ=フルトブラント、あいつの所為で?」

「ええ、そうに違いないわ」


 カロンが騙されている。シャロンをおかしくした、その男に……

 はっとすると、守護霊の姿はもう見えない。それどころか女従者の姿すらない。あんなフラフラのまま何処へ行ってしまったのだろう?心配だ。いや、それだけじゃない。友人のことも気がかりだ。

 オボロスは戸締まりと火の元を確認するや否や、街の中へと飛び出した。大慌てのオボロスは気付かなかった。外がまだまだ明るいことに。気がついたとしてもあれは朝焼けだったのかと誤認した。


 *


物語の悪魔

「おいこら使い魔!どういうことだ!

 私がここにいるのに、どうして本の中に女の姿の私が居るんだ!

 何処の何奴の仕業だ!?お前は見ていたんだろう!?はぁ!?私の着替えに見惚れていただと!?」


 *


「シエロ、か。随分と化けたな」

(殿下……)


 空に戻って間もなく。屋敷に戻る暇すら相手は与えてくれなかった。

 無能騎士達がいつにも増して有能だ。何者かの手助けがあったのではないかと邪推するほど彼らは良く働いた。

 だから自分たちが見つかってしまったのだ。悪魔達の力で誰かに遭遇する確立を極限まで下げていたにも関わらず。第一領主が離れたのが痛手だったか。

 溜息を吐けば周りに控えた悪魔達がシエロに頷く。第三領主や第七領主が相手では、どうすることも出来ませんよと。


(それで、僕に何か?)


 そう言いたいのだけれど今は何も話せない。アルバにしがみつく腕に……少し力が籠もる。


「シエロ、貴様に殺人容疑がかけられている。歌姫シャロンの殺害未遂及び歌姫シレナの死を隠匿した罪。貴様の屋敷を改めさせて貰うからそのつもりでいろ」

「言いがかりも良いところですね。何の証拠があって?シエロ様は選定公家の人間。王でもない殿下程度が同じ選定侯の位にある私の主の屋敷を曝くなど出来ますまい」

「黙れ使用人風情が。……そうだな、言い方に問題があった。シエロ、シレナ殺害はお前ではなくシャロンが行ったことだ。如何に恋人と言えど法に背いて庇うのは良くないことだ。だから貴様の身柄を拘束させて貰う。貴様の屋敷に兵を送るのは、貴様を頼ってきたシャロンを捕らえるためだ。貴様にはシャロンを呼び出す餌になって貰う」


 何を企んでいるのだろう。殿下にしては立派な道理に適った物言いだ。


「しかし貴様が真実を話さず、シャロンが現れなければ貴様が犯人になる可能性もある。それを重々承知せよ。その場合貴様が王位に就くことはないと知れ」

「シエロ様……」

(いいよ、アルバ。降ろして)


 この位の警備ならまだ突破出来る。殺しますかと聞いてくる使用人にシエロは首を振る。止めてくれと。


【それで殿下。シャロンが現れた場合、貴方は彼女を人魚として娶るつもりですか?】


 シエロは筆談でそう語るが、その様子に怪訝な反応をするアクアリウス。この様子では下町で起こった出来事についてはまだ何も知らない様子。唯、舐められていると思ったのか彼は不快そうに眉をひそめた。


「……シエロ様はお心を痛められ、言葉を話すことが出来ないのです」


 喋ることが出来ないと知られれば、不利になるかもしれない。一時的なことだと思わせるための方便を口にするアルバ。死んだと思っていた恋人こそが殺人犯と知ったのだ。心中察せという言葉は確かに説得力はある。殿下もそれで納得はしてくれた。


「なるほど。なら無理にとは言わん。そのまま続けろ。それでは話を戻す。シエロ、俺がシャロンを奪うと言ったら?」


 どちらにせよ、そうだ。人魚の伴侶となって王になりたいのなら、この人はシャロンの罪をシエロに押しつけたいはずだ。そう、あわよくばこのままシャロンの罪を被せたまま選定侯の位からシエロを外させたいはずだ。そうなればシャロンはフリーの歌姫。王になるのはこの男、アクアリウス。


(僕はシャロンとは決着を付けた。それならそれでもいいけれど……僕が裁かれて万が一でも命を落とすようなことがあってはならない。カロン君のために、僕は……)


 シエロは頁を捲り、新しい紙に新たな言葉を綴ってアクアリウスへ差し出した。


【それは凄いですね殿下。貴方は女の姿の私を殺せるんですね】

「そ、それは……」


 上目遣いに見上げれば、視線を彷徨わせるアクアリウス。目のやり場に困っているようだが、それでもちらちらと視線が胸へと向いて来る。

 彼の苦悶の表情からは、様々な葛藤が見え隠れ。ライバルと憎んできた男がいきなり女になっている。女男め、気持ち悪いと罵ろうとする気持ちと、そんな女男を不覚にも意識してしまった自分を恥じる気持ち。けれど、敵視してきた男が女。もしも夜を共に出来たなら相手を見下す事が出来て、物凄く気分が良いんじゃないだろうかという不埒な考えでもあるのだろうか。鼻の下が伸びている。ごくりと生唾を飲み込む様子がうかがい知れた。


「お、女のままならば確かに困る。だが今し方、アルセイドから呪いの詳細も聞き出した。妹という人質を前に、あの自己愛者もとうとう折れた。どうすれば貴様を元の忌々しい男の姿に戻せるのかも理解した」


 男にさえ戻せば元の憎い男。何の躊躇いもなく裁けると笑うアクアリウスだが、今の姿のシエロを目に、動揺を隠せない様子。


「つまりだなシエロ。私が貴様を有罪に掛けるのは容易い。仮にシャロンを見つけたところで私はシャロンを裁かない。私の人魚になって貰う…………と、先程までは思っていた」


 そう前置きして、アクアリウスはこちらの肩に手を置いた。


「愛しのシャロンを俺に奪われるのが忍びないと言うのなら、シエロ……貴様が俺の人魚になれ。それならばシャロンに手は出さないでおいてやるし、彼女もお前も無罪にしてやる」

「…………」


 これは良い兆候かも知れない。この男を誑かし人魚になれば人魚の衣装を手に入れられる。後はそこでカロンが歌ってくれさえすれば海神は呼び出せる。


【シャロンと、シャロンの家族には手を出さないと誓ってくれるなら】

「ふん……よかろう。では歌姫シエラ、裁判と婚礼の仕度だ。俺に着いて来い。ああ、其方の男は邪魔なだけだから城には来るな」

「そういうわけには参りません。シエロ様は今は言葉を喋ることが出来ない。それを良いことに何かシエロ様にとって不利なことをされては困ります故」

【アルバ、僕なら大丈夫】


 文字でそう言って、シエロは視線で別行動をアルバに命じる。


(僕は人魚のドレスを奪いに城へ行く。君は引き続きカロン君の捜索、保護をお願い)


 そう訴えれば彼は理解してくれたのか、一礼して引き下がる。


「ふん、随分としおらしいではないかシエロ」


 シエロの態度に気分が良くしたのか、それ以上悪アリウスは文句を言わない。

 怪我のことなど知る由もなく、女物のヒールの靴が慣れないのだと思い込んだ彼。そんな遅い歩みが人魚らしいと思ったのか、機嫌良さ気にシエロを抱き上げる。


「式までには歌えるようになれシエロ。歌えない人魚など人魚ではないのだからな」


 口の中は絶対に見せられないな。失敗は許されないとシエロはごくりと息を呑む。


 *


物語の悪魔

「ほんの少し目を離した間に、人間共め。好き勝手動くとは。

 しかしヒントは見つかった。私の本の中から私に喧嘩を売るとは腐っても魔王。連中も度胸だけはあったのか。」


 *


「なかなかアクティブな人魚姫が居たものだな、はっはっは」


 一行を見送るアルバの傍に姿を現す悪魔が二匹。すかさずアルバは釘を刺す。そうしなければこの悪魔は仕事をしないかもしれない。


「第六領主、シエロ様の傍にも使い魔を付けることを忘れるな」

「ふむ、心得た」


 やはりまだ使い魔を付けていなかったのだろう。人間には見ることが出来ない使い魔を送り、前方の一行を追跡させる。

 後は屋敷の様子とカロンの捜索のため歩みを進め、中層街に差し掛かったところで使い魔から情報が入った。昨晩の中層街での事件のこと。それは第六領主の力でシエロの元にも届いているだろう。そこまで確認し、アルバは下方へ視線を移す。


「第四領主」

「はい」

「一つお願いしたいことがある」

「何ですか?」

「どうにか縁の触媒を手に入れることには成功した。後は運。それを引き上げるために貴方の力が必要だ」


 真剣に少年悪魔を見つめれば、熱い視線に戸惑う様子で目を逸らす。


「え、ええとカタストロフ様を召喚するんですか?」

「あなた方双子の悪魔は彼と親しいと聞いている」

「そりゃああの方は僕らの育て親みたいな方ですから……」


 第一領主だけでは心許ない。第二領主を味方に引き込んでおきたい。本来なら第四第五領主が共に味方ならば、6割は成功するだろう召喚だ。それが今は3割止まり。それでも敵側に付かれるようなことになる前になんとか懐柔しておきたい。


「第三領主が敵の今、不測の事態に対抗できる純粋な力が我々には欠けている。彼さえ味方に付いてくれれば話は変わる」

「そうだとは思いますけど……来てくれるかなぁ……」


 眠りの悪魔の眠りは深い。目覚めるのは本当に稀なのだと少年悪魔。


「僕とティモに共通の敵がいて、僕らが半殺しくらいになってて助けてーって泣いたりしないと来ないと思いますよ」

「共通の敵ならいるだろう、第七領主イストリア。今あなた方はこの脚本の中に囚われている。ここから出られないならば魔界の統治もままならない。そうなれば面倒事はすべて第二領主が解決しなければならなくなる。それを伝えられたなら、来てくれるのではないか?」

「そうですね。それは確かに。カタストロ様、面倒臭いの嫌いですし……そうなると思うんですが……問題は僕やエペンヴァさんじゃ夢の領地に行くことが出来ない事です」


 少年悪魔の言うことに、アルバも失念を思い出す。仲間に入れたはずのあの第一領主……カロンに付いて行って今はどこにいるのやら。早く見つけ出さないと、現状を打開することは出来ない。


「僕とティモは泣けば夢で世界を見ている彼に訴えかけることが出来ますが、彼の傍まで行き助言を言うことが出来たり叩き起こすことが出来るのは、エフィアル様かアムニシアさんしかいないです」


 もっとも側まで行けたからって起こせるかはまた別でと少年悪魔。そのどちらもが条件として満たせれば、或いはという話のようだ。


「ならば、まずはあの少年歌姫を捜さなくてはねぇ」


 他人事のように頷く青年悪魔を一睨みし、アルバは命令を下す。


「第六領主、本腰入れて探してくれ。その頑張りはシエロ様にも届くのだからな」

「やれやれ、そう言われては頑張らないわけにもいかないか。私もいつまでもこの世界に閉じ込められているわけにもいかないのでね。魂漁りは数多の世界を飛び回ってこそだ」


 *


物語の悪魔

「へぇ、第二領主を引っ張り出すか。そうでもしないと全員雁首並べたところで私に敵いっこ無いから当然か。

とは言えここは私の領地。ここに踏み込んでくればすぐに解るし眠らなければどうと言うこともない。

仮に起こせたところで彼に何が出来るのやら。さて、眠気覚ましに観察観察。」


 *


 アクアリウスはドリスを失って女という生き物に失望していた。シャロンでさえ、女だ。自分が生き延びるために歌姫シレナを犠牲にした。無邪気に見えたあの輝かしい歌姫も、人魚ではなかった。唯の腐った性根の女だった。優しい笑顔と歌声のあの歌姫も、人魚ではなかった。恐ろしい顔で人を罠に嵌める女だった。

 それでも玉座のためだ。シャロンが俺には必要だ。そう思ってシエロを捕らえようとしたアクアリウスが出会ったのは、正に人魚の化身と呼ぶに相応しい美しい女。


(あの男は、姿こそ女になれるが心は女ではない)


 ドリスやシャロンのように自分を失望させる、女ではない。あの女の中身が男なのだと知れた時、これまで憎く思っていたはずの男がどの女よりも人魚らしく見えて困った。そして今……


(う……美しい)


 城に保管されている人魚の衣装。早くそれを着せてやりたくて堪らなかった。着せてやればそれは予めこの男のために作られていたのではないかと疑いたくなるくらい、似合って映る。


「シエロ……?」


 惚れ惚れと見惚れていると、歌姫は少し苦しそうな顔をする。見れば胸元がきつそうだ。仕立て屋に直させなければならないだろう。

 と言うか何だ?これは若い頃の母様のために調整された衣装だろう。その胸がきついとはどういうことだ。言われてみればこのけしからん胸は何なんだ。似合っていると言ったが、良く見ればウエストなんかまだ余っている。若かった頃の母様はとても美人だったが、母様よりもスタイルが良いのかこの男は。


「大切な衣装が壊されては堪らん。仕立て直すためにも脱がせなければな」


 そう言い訳して衣装の胸元に手を掛ける。ボタンを外せば勢いよく顕わになるそのけしからん肉塊。掌から零れるくらいに大きいが、かといって身体のバランスが崩れるほど大きすぎるわけでもない。実にこの身体にとって適量の巨乳だ。なんとういうか、一言で言うと素晴らしい。服を着せてしまうのが勿体ないと思えるほどだ。

 思わず手に取れば、これまで触ったどの女の胸より素晴らしい。伏し目がちに目を逸らす仕草が堪らない。喋れないというのがまた良い。此方の気が萎えるような不快な言葉を奴が言うこともないのだから。


(信じられん……これが本当に、あの男だというのか)


 これまで目の仇にしてきた。してきたからこそ存在する執着。それが魔法のように姿を変えて、この胸に舞い降りる。


「し、仕立て直すには測り直す必要があるな!そこのメイド!メジャーを持って来い!」


 素肌を擽るの測りの感覚に慣れないのか、身を捩る。その様子が良かったので、わざともたつく振りをしてカップを測る。女用の下着を着けるのが嫌だったのか、ノーブラとはけしからん。だというのにそれでもこれだけの胸がまったく垂れていないというのはどういうことだ。普段男の姿をしていたから垂れる暇もなかったということなのか。

 ん?見ればこの衣装内側にパッドが入っているじゃないか。それも両方で三枚も。母様め、見栄を張ったんだな。なんだか息子としては切ない気分になるぞ。とりあえずパッドを外してやるが、それでもまだ胸元がきつそうな様子のシエロはまったくけしからん。


「と、とりあえず裁判と婚礼の日までには仕立て直させておく。今は先程までのドレスで我慢しろ」


 気を利かせて脱がせる手伝いをする振りで、合法的に胸とか尻に触れてみる。嫌悪感と戸惑いがあるのか、時々びくと肌が震える様が素晴らしい。こんなこと、今まで抱いた女にはなかったことだ。拒絶されるというのもこれでなかなか、趣深い味わいだ。失恋の痛手を癒すには新しい恋というのは本当なのかもしれない。昔母様が言っていたぞとアクアリウスは思い出す。

 ドリスは貧しい生活から、あまり女として魅力的な身体ではなかった。唯その少女らしい心遣いと優しさに自分は癒されていたのだ。贈られてくる女に厭いた自分には、それが新鮮に映った。結局はその女達と何ら変わらなかったと知ったわけだが。

ドリスの死でてんぱってる殿下。

傷心のあまり女不信で女シエロに惚れたとか。

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