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26:悪魔の踊る夜

 「面白くなってきたじゃない」


 私、物語の悪魔……イストリアは笑いました。

 この会場からは強い魔力が減っている。同僚達はみんな本の中に入ってしまった。ピリオドの打ち方次第では彼らを永遠にこの本の中に閉じ込めることさえ可能。

 如何にあのアムニシアと言えど、本の中に入ってしまえば恐るるに足りませんもの。

 ……ってこれ以上この口調は面倒ね。ここ、本文に入れない所だし普通にしましょ、普通に。


(さてと、それはともかく……これ以上の勘違いはつまらないわね)


 仮にもこの私の契約者。フェードアウトなんて私が許すと思って?歌姫ドリス。

 物語の悪魔との契約は、その人生を綴らせること。終わりの終わりまで。私は彼女が死ぬまでこの世界に干渉する事が出来る。逆に言ってみれば、私が飽きるまで彼女は死なせない。

 彼女と契約したのはそうね。もし私があの美しい青年人魚や女装少年歌姫と契約していたら、彼らが死んだ時点でこの物語は完結させなければなりません。けれどそこから離れた人間と契約することで、私は二人の死後もこの世界を綴ることが出来る。ちゃんとピリオドを打って満足したところで、歌姫ドリスを死なせてしまえばいい。

 勿論その後も、彼女が面白い人生を歩むというのなら……生かしてあげてもいいけれど。


 「使い魔、こっちのことは頼んだわよ。私はちょっと本の中で暴れてきます。最高のフィナーレをこの目で見てきたいの。この舌で、悲劇の味をしっかり味わいたいのよ」

 「……畏まりました、お嬢様」


 第六領地からやって来た私の使い魔。第六公からの貸し出しとはいえ、そこそこ使える男。

 会場の面倒事を全て彼に一任し、私は本の中へと入る準備に取りかかる。


 「これが成功すれば、第六公にもあんたにも甘い蜜を吸わせてやるわ。それを忘れない事ね」

 「はい、お嬢様。偉大なる我が主、第七領主様にご武運を」


 使い魔は私に跪き、手の甲に口付ける。足の爪先なら許すけど、これは悪魔的には気分が悪い。解っててやってるからこの男は質が悪い。私はドレスの裾でごしごしと手を拭う。


 「そういう気持ち悪いこと、止めてくれない?あいつにセクハラされたみたいで気分悪いわ」


 第六公に似た面差しの使い魔相手じゃ私もその気にはなれない。

 そこそこ顔が良いのは認めるけれど、あいつの性格の薄気味悪さが顔から香ってくる気がするのよ。第六公は、私や第五領主以上の変態だもの。私が猥談で唯一負けを認めた相手があれ。


 「何よ、その顔」

 「いえ……」


 本に入ろうと、魔法陣の上に立つ。そんな私の裾を引く……使い魔の目は寂しげだ。私もそこまで鈍い女ではない。あいつに似た顔の相手とは言え、不覚にも一瞬胸が高鳴った。恐るべしギャップ萌え現象。この人を小馬鹿にしたような使い魔が、何て顔をしているのかしら。


 「エフィアルが居なくて良かったわね。消し炭にされてたわよ、あんた」

 「お嬢様」

 「祝宴のためのケーキを焼いておきなさい。不味かったら私が消し炭にしてやるんだから」


 私の言葉に使い魔は御意と言葉を返す。最後に目に映った屋敷の風景に、溶け込むあいつはやっぱり……まだ、悲しそうな顔をしていた。なんだって、言うのよもう。嫌ね、私はどうして趣味じゃない男ばっかりからモテるんだか。

 私はもっと超絶年下の、美少年とか美少女侍らせてうはうはしてる方が趣味よ。そっちの方が最高に魔王らしい趣味じゃない。領地に戻ったら、景気づけにどっかから攫って来ようかしら美少年とか美少女とか。


 *


 物語の悪魔

 「その少女が望んだのは復讐。持たざる者の持つ、怨みの心。

 恵まれた者が恵まれるだけの物語なんて、つまらないのよ。

 そう言う者の転落劇こそ、心躍る舞台じゃありませんこと?」


 *


 「起きなさい。起きなさい私の歌姫」


 お酒を飲んで、寝ていた私。肩には毛布が掛けられている。きっとリラがやってくれたのね。でも良い気持ちで眠っていたのに誰よ私を起こすのは。

 眠い目を擦りながら、ドリスはゆっくり目を開く。そこにいたのは長い髪の女。女の頭には二本の角。そしてその角両脇と、耳の両下に蝙蝠のそれに似た、小さな翼が生えている。

 女の瞳は水晶のように澄んだ青。流れる髪は薄い紫。長いスカート、両腕を覆うそのブラウス、ドレス。清楚なドレスと思いきや、胸元と腹部の露出が激しい。ティモリアとは違い尻尾は見えないが、その背には一対の大きな翼があった。


 「貴女は……イストリア様!?」


 私はその人を何度か見たことがある。それでもいつもは半透明。私以外に姿は見えなかった。けれど今はリラにも見えているよう。


 「それはそうと、歌姫ドリス。貴女勘違いも甚だしいわよ。外から見てて苛々しました」


 召喚のための文献を漁る内に、私は物語の悪魔の性格を理解した。だから彼女を苛つかせることは得策ではない。それも知っている。それは私の不幸と死を意味するから。

 こうして彼女自ら出向いてくれたのだから、その怒りを鎮める術を教えに来てくれたのだろう。私はまだ、終わった訳じゃない。そう自分に言い聞かせ、ドリスは悪魔に謙る。


 「イストリア様。それは一体……?」

 「歌姫シャロンは生きている。それでもシャロンを演じていたのはシャロンじゃない。彼女の兄で合ってるわ」

 「でも、女でした!」

 「人魚の生まれ変わりは母親の腹の中で分裂した。双子になって魂まで分かれてしまった。つまり、今の彼は呪いが発動している」


 二人は元々男。呪いが発動するでもなく、添い遂げることは出来ない。だから片方が片方を好いたところで呪いは発動しなかった。イストリアは説明する。


 「でもあの少年が、選定侯と思いが通じ合ってしまった。そこで少し呪いは解けた。性別を自在に移動することが出来るようになった。だから彼は仕事のためにあの日は女になっていた。唯それだけの事なのよ」


 お前は何を馬鹿な勘違いをしていたんだこの道化め。そんな嘲笑を浮かべる悪魔。

 それ自体にドリスは苛立ちはしない。驚きの方が大きい。だけど傍らに控えるリラは殺気を纏い出す。それを咎めるためドリスが彼女を見れば、従者は項垂れ殺気を霧散。


 「ご忠告ありがとうございます、我が主。つまり私は計画をそのまま進めるべきだと、そういうことなんですね?」

 「ええ、そうよ。シエロを失いさえすれば、脚本能力でカロンなんてどうにでも出来るでしょう。お前にとって都合の悪い部分だけ記憶喪失にするも、王子を不慮の事故で死なせるも、お化け鯨を討った彼をそのまま新たな王にしてしまうもお前の自由よ」


 彼女が私にくれた素晴らしい力。過去を変えることは出来なくとも、未来を自在に操れる。それが脚本能力。

 勿論、脚本とは言っても実際記す必要はない。私は思うだけで良い。私は歌姫。第七魔力、物語を生み出す力は私にとっては歌。そのイメージが足りないなら物騒な歌でも歌えばいい。証拠は残らない。願うことは罪じゃない。歌うだけでは罰はない。立証なんて出来ない。この世界では悪魔は滅んでいる。そう、だからこそ現実的にあり得ない。あり得ないからこそ、完全犯罪。


 「それじゃあでかけるわよドリス。手駒を一つスカウトに」

 「え、どちらへ?」

 「裏切られる前に裏切る。これぞ良い女の鉄則よお嬢ちゃん」


 悪魔に導かれるままに、私はコートを羽織る。もう秋だ。夜風は冷たい。

 変装は必要ないと彼女は言った。この世界は今、本に囚われている。確立で彼女に敵うものはいない。私達は誰とも出会わずに、ナイアードのお屋敷までやって来る。

 そこで屋敷のメイドがたまたま窓の鍵を閉め忘れる確立を変動させて、偶然あいていた窓から侵入。その偶然達の積み重ねで、辿り着いた客間。そこにはマイナスさんの歓待を受けたらしい少年の姿。彼女と悪魔は今はいない。


 「彼女たちは今はフルトブラントのお屋敷に行ったはずよ。殺人罪でシャロンを捕らえるための証拠を掴みに」


 それを見せつければ、この少年も完全に落ちると踏んで。


 「でも甘いわ第五公。悪魔の滅んだ世界に使い魔を召喚できるのは第六公のみ。洗脳したって見張りがこの世界の人間である以上、私の力から逃れられないのに」


 「……しかしイストリア様。歌姫シャロンが生きていると貴女は先程言われましたが、それでは彼女は私達に復讐を企んでいるのでは?」


 マイナスさんの施した、拷問の跡。尚も縛められている少年を、物語の悪魔は見る。じっくりと。なかなか良い格好、良い趣味してるじゃない。そんな風に彼女は笑って……彼に腰掛けた。


 「さて、そこの少年椅子。良いことを教えてあげるわ」


 物語の悪魔は自ら腰掛けた椅子に目を落とす。その少年はカロン君とシャロンの幼なじみで、歌姫シレナの従者だと聞いている。

 彼はこれまで目隠し、耳栓をされていた。物語の悪魔は、その両方を優しく外してやった。ああ、猿轡はそのまま残したみたい。

 突然目の前に飛び込んだ光景に彼は唖然としている。悪魔なんて初めて見たのだろう。そんな悪魔が……彼に覆い被さるように顔を近づけた。背中に押しつけられた柔らかな乳房に少年椅子は暴れ出す。そんな初々しい反応ににやつく物語の悪魔。

 けれど少年は逃げられない。小さな四つ足のテーブルに腹ばいのまま縛り付けられているのだ。人間椅子とは言ってもまだまだ優しい方。

 いきなりその身体で椅子をさせるにはレベルが足りないと、マイナスさんが妥協したのかしら?四つの足に手足を縛り付けられた彼は、椅子と言うよりはクッションの役割に近い。

 ただしそのテーブルは透明な硝子で出来ている。服を剥かれた彼は、目隠しまで外されて、恥ずかしいことこの上ないだろう。もしこれが、カロン君だったら。そう脳内で目に映る者を変換、書き換えるだけで……私も背筋からぞくぞくと這い上がるような興奮を感じる。

 我が身の酷さを自覚して、泣きそうな顔になる少年。そんな彼を哀れむよう、慈しむよう……耳朶を優しく噛み、色っぽい声で物語の悪魔が囁きかける。


 「貴方、シャロンに惚れてたんでしょ?良かったわね。シャロンまだ生きてるわよ?でも貴方のご主人様を死なせたのは、そのシャロンちゃんなんですって」


 悪魔はこの事件の真相の一部を語る。シャロンがシレネと入れ替わり、自分に向けられる悪意を肩代わりさせたのだと。

 二つの恋の板挟み。初恋の人が、今惹かれている人を殺した。その事実に彼は唖然とし……そしてどちらの味方になればいいのかわからずに、とうとう涙を堪えきれずに泣き出した。


 「お嬢さんが……」

 「一緒に見に行きますかオボロスさん?フルトブラント様のお屋敷には、シレネさんの亡骸が隠されているそうですよ」

 「そうそう。ここの娘が今それを探しに行ってるみたいなの。放っておけば歌姫シャロンの身は破滅。彼女の振りをしているカロンって子の命も危ないわ。身代わりで、殺されかねない」

 「そ、そんな!カロンは!あいつはいつもシャロンのために頑張ってっ……それが、そんなの、そんなの駄目だ!」


 悪魔の言葉に取り乱した少年。私は優しく微笑んで彼の頬を撫でてあげた。その涙を拭って、彼の縛めを解いてもあげる。勿論、猿轡もよ。私、飴をあげるのは得意だから。


 「フルトブラント……」

 「ええ。シャロンさんの恋人。シャロンさんが死んだと思い込んで、彼女にそっくりのカロン君を我が物にした、ド変態の選定侯様。シャロンさんがおかしくなったのは思えば彼と出会ってからかもしれませんわ」

 「シャロンの、恋人!あいつが……カロンを……」


 ドリスは満足げに頷いた。この様子だと、彼はフルトブラント様と面識がある。彼は二人の女性、どちらかを選べるような男には見えない。シャロンを憎む?シャロンを許す?そのどちらも出来ないなら、第三の選択肢を与えてあげる。そう。貴方はフルトフラント様を憎めばいいの。

 私の采配に、物語の悪魔が満足げに微笑んだ。私がこうして悪意の物語を紡ぎ続ける限り、彼女は私の味方。私にとっては恋のクピドでアモーレ、女神様。


(オボロスさんは友達思いなのね)


 この少年は、カロン君のためにもフルトブラント様を憎み出した。良い兆候だわ。だけどそそくさと服を着た彼は、我に返ったように私達を見る。


 「……シャロンの恋人のことは、歌姫マイナスから聞いた」

 「そうですか」

 「でも、何であの人、俺をこんな目に……」

 「話してください。一体何があったんです?」


 辛い目に遭ったんですね。労るように、母親になったつもりで優しく彼を抱き締める。そして彼の背をそっと撫でた。


 「あの人……いきなり風呂に入って来て。俺が鼻血吹いて倒れたら、こんな格好させられてて……」


 思った以上にこの人純情らしい。流石はカロン君のお友達。私は少し親しみを感じた。


 「なんか、色々……触られたり、叩かれたりした」


 歌姫マイナスはさも味方みたいな物言いをしていたのに、こんな辱めを受ける理由はあったのかと。勿論そこに意味などない。彼が男なら言いなりの駒に仕立て上げられただろう。だけどこの純朴な少年にとっては過激なセクハラは、逆効果のトラウマだ。第一思い人が居るような子にそんな無体なことを……


 「それはマイナスさんの趣味で、お客人へのもてなしです。上流階級のやることは、下町出身の私達から理解しがたい事なんですよ」

 「貴族って……貴族って……。お嬢さんはこんなんじゃなかったのに」

 「シレネさんは……私達と同じ、下町出身でしたから。だからこそ、辛いこともあったんだと思います。彼女、いつもシャロンさんと比べられてばかりで……」


 ドリスとシレネは少し似ている。

 下町出身。不特定多数の相手と夜の仕事をしなければならなかった歌姫。そして共に歌姫シャロンに劣等感を感じていた。だからこそ今、切々と彼女の心情をドリスは語ることが出来る。その迫真の演技に、この少年も動かされるのだ。


 「シレネさんの死体が表に出されれば、彼女は歌姫として人に見られたくない姿を晒してしまうことになる。私は彼女のお友達として、同じ歌姫として……彼女をそんな風に辱められたくないのです」

 「あんた……優しいお人だ。お嬢さん……」

 「泣いている暇はありませんわ。シレネさんをきちんと眠らせてあげましょう、私達の手で。そしてその上でシャロンさんを狂わせ、カロン君を虐げている悪の貴族!シエロ=フルトブラントに天罰を!」

 「……無理だ。選定侯を殺すなんて」

 「いいえ、必ず出来ます!このような悪行を神はきっと見過ごせません!」

 「神なんて……いるもんか」

 「いいえ、いらっしゃいます。海神様が。奇しくも私は殿下との繋がりがあります。これは海神様のお導きです。海神様は彼を裁けと私達に命じているのです。神の命に背けば、あの愛しき下町が、波に飲み込まれてしまうやもしれません。そんなこと、私には……っ、私には耐えられないのです!」


 涙を浮かべ縋り付く私に、少年も感化されていく。だけど女性の免疫が少ない彼は、困ったように視線を彷徨わせ、物語の悪魔を視界に入れる。我に返ってみれば、あれはなんだろうと思ったのだろう。彼は私に聞いてきた。


 「……ところで、そっちの姉ちゃんは?上流階級でのファッション……?仮装なのか?」


 あ、しまった。そうだ。彼女は今彼にも姿を見せていた。仮装で通してしまったら、ここに実在すると認識される。それは今後の展開次第では、困ったことになる。

 ドリスはイストリアと目を合わせ、そしてこくんと頷いた。


 「彼女は私の守護霊様です。基本、心の清らかな人にしか見えません。辛い境遇の私を哀れんで、様子を見に来てくださったのです」

 「それじゃあ、天使様なのか?」

 「ええ。ですが、死者が現世と関わることは大罪。守護霊様は神から悪の烙印を押され、このような悪魔の如き姿にされてしまいました」

 「……そうだったのか。酷ぇ神様がいたもんだ」


 信じてしまう確立を弄る。これで彼は私の言葉に納得をする。悪魔の力って便利ね。


 「ああ、申し遅れました。私はドリュアス=エウリード。歌姫ドリスというしがない歌姫です」

 「あ、俺はオボロス」

 「ではオボロス様。フルトブラント様のお屋敷に、殴り込みに参りましょう。ささ、御手をどうぞ」


 私達は連れだって、ナイアードの屋敷を後にする。勿論そこから上層街までの道程、誰かに出会すこともなかった。


 *


 夢現の悪魔

 「マリオネッタ。マリオネッタ。

 如何に物語の悪魔と言えど舞台の上に現れて、無事で済むとお思いですか?

 夢というものの力を、貴女は少し軽んじている。

 それを後悔する日が来ることでしょう。」


 *


 「……お目覚めですか、私の歌姫」

 「お早う、ってまだ夜ね。それじゃあ遅ようアムニシア」


 本当に、夢の力って便利。シャロンは満足気に笑う。

 眠っているだけで多くの情報が得られる。アムニシアという悪魔は、本当に有能だ。そして女の子の気持ちをよく分かってる。裏切られた時どんなに心が傷つくか。よぉく理解している子。思わず私も彼女の恋の成就を願わずには居られなくなる。


 「シエロ様は一命を取り留めたそうですね」

 「そりゃあ勿論。このシャロンちゃんを裏切った罪、こんなにあっさり死なせるわけにはいかないもの」


 両手両足切り取られなかっただけでも有り難いと思って貰わないと。

 でもね大丈夫よシエロ。まだ私は貴方を愛してあげられる。貴方が私に許しを請いて、そしてお兄ちゃんのことを嫌いと一言言ってくれれば。私は夢現を入れ換えて、その痛みを無かったことにしてあげても構わないのよ。

 でもあくまで私を拒むというのなら、貴方を痛みの生に縛り付ける。苦しいよね?悔しいよね?貴方は男の人なのに、一生女として生きて死ぬのよ。


(嗚呼、ぞくぞくするわ)


 貴方はどんな顔で泣いてくれるのかしら、愛しのシエロ。

 呪いの力で私が男として生きる。シエロに私の子供を産んで貰うの。貴方の心を踏みにじる様を想像するだけで、堪らなくドキドキする。お兄ちゃんにされるより、ずっと苦しいでしょう?男の癖に、女の私にいいようにされてしまうんだ。プライドもアイデンティティも木っ端微塵の粉々になる。大好きな私との生活だって、幸せに思えば思うほど、貴方は泣きたくなるんだわ。立場が逆だって叫びたくなる。


 「お兄ちゃんさえ死んでしまえば、シエロはまた私しか見えなくなる。男になった私にお兄ちゃんを重ねて、私を求めてくるわよあの淫乱は」


 そんな愚かで惨めな貴方のことも私は大好き。だからちゃんと愛してあげる。例え貴方が私に謝らなくても、寛大な心で貴方を許し、愛してあげる。


 「シャロン。貴女の愛は、悪魔である私にとっても新鮮な考え。目が覚めるような学説。寿命の短い人間でありながら、そこまでの悟りを開くとは……貴女は素晴らしい人間。とても勉強になりますわ」

 「嫌だ、褒めないでよアムニシア」


 そこまで褒められると私としても恥ずかしい。

 シャロンは恥じらう仕草で悪魔を見上げる。アムニシアという悪魔は綺麗な女だ。深い紫色の髪、水晶玉のように澄んだ色の目。頭に生えた小さな角。そして上品な出で立ちのドレス。背伸びして淑女ぶってるお嬢さん。そんないじらしさと可愛らしさがある。


 「そうね、私が思うに貴女のお兄さんは恋愛ごとに疎いっていうか、まだ子供なんだわ。だから年上……年増悪魔がちょっと良いなって思っちゃってるだけ。甲斐甲斐しく傍で支えてくれる妹なんて最高じゃないの。妹萌えに目覚めさせてしまえばこっちのものよ」

 「なるほど。妹萌え……ですね。メモしておきます」

 「後はそうね。権力者って従順な子より、自分に刃向かうくらいの敵愾心持った子にも弱かったりするのよ。従順な貴女に絆されないって言うのなら、そういう気があるわね彼。ほら、自分に懐かない猫とか、振り向かない女の尻を追いかけるような傾向無い?」

 「……素晴らしいですシャロン。よく兄様に会ったことも無いのにそこまで言い当てましたね」


 両目を輝かせてメモを取るアムニシア。こういうところも割と可愛い。


 「いい女はねアムニシア、時に裏切り時に刃向かう。そういうギャップに男はくらっと来ちゃうわけ。これまで自分の物だった物が何処かへ行ってしまうような喪失感っ!そこに生まれる執着と愛っ!貴女のお兄さん、きっと今頃にちょっとドキドキしてるわよ」

 「まぁ……兄様ったら」


 *


 悪夢の悪魔

 「本当の悪夢という物は、夢などではない。

 それは現として俺の前に現れる。」



 *


 「エフィアル?」


 立ち止まる俺を振り返る契約者。少年の静かな怒りは尚もその身に滾っている。

 ぞくぞくと背筋を這い上がるような悪寒をエフィアルは感じていた。逃げ出したい。今すぐこの世界から撤退したい。しかし俺は魔界の王。王の中の王。最高位の魔王。そのような真似が出来るか。

 無論俺を怖じ気づかせているのはこのようなちっぽけな人間ではない。


 「……何やら悪寒が。さてはアムニシア……この下町にいるな」


 ああ、憎き我が妹よ。どこまでもこの俺の邪魔をするというのか。妹の悪意の気配を俺はひしひしと感じている。


 「なんだって!?何処に!?」

 「それは解らん」

 「使えないなあんた」


 なんと酷いことを言うのだこの人間は。この俺の助力を得たことにまるで感謝していない。


 「貴様も元探偵役としては散々ではないか。暗号は殆どあの選定侯が解いていた気がするのだが」

 「ははは、何言ってんだ。俺は唯の船頭。兼業で歌姫。俺に推理なんか任せようとした時点であんたの惚れてる女ってのもどうかしてたんだよ」


 しかし、しかしだな。俺は悪くない。ちょっと気を利かせただけなんだ。イストリアが喜ぶかと思っただけなんだ。あれの望むような結末に花を添えるため、現れた。誰が死のうと誰が生き存えようと、俺にとってはどうでも良いこと。それでもだ!

 真の男とは時に折れること。愛しい女のためならば、自ら逆境に飛び込むくらいの気概。その位の男を見せれば如何にあのお高いイストリアであっても、俺に屈することだろう。つまりは……俺は、彼女の前で良い格好をしたかっただけなのだ。彼女が俺に笑顔を見せるのは、こうして俺が対立する時くらい。

 彼女の笑みを見ることが出来、尚かつあれを口説くための勉強になればとこの世界に飛び込んだ。気の利いた口説き文句も出て来ない俺が、この殺伐とした愛憎渦巻く世界に降り立ち、学ぶことは少なくないはず。そう思ったからこそ俺は……っ!

 だというのになんだこの男は。言うことに欠いてこの俺を愚弄するとは。


 「人の子よ。貴様はこの我がこうして憑いて来てやっているから無事に道を歩いていられるのだ。我が付き添わなければ今頃アムニシアに殺されている。第四公と第六公などで我の妹に太刀打ち出来ん」


 例えばだ。確立変動の力が以下の通りであったとする。


 第一領主7

 第二領主6

 第三領主5

 第四領主4

 第五領主3

 第六領主2

 第七領主1(ただし本の中ならは7)


 確率変動力はその地位によって左右されるもの。この場合、エングリマとエペンヴァを使役しているこの者達は、合計6の加護を得る。なるほど、愚かな人の子が、まだ勝負できると思い上がっても仕方ない。しかしここに簡略化した魔力の比率を計算に入れる。


 第一領主5、面目上最強。

 第二領主7、最強。でも働かない

 第三領主4、ていうか怖い

 第四領主3、普通

 第五領主2、普通に弱い

 第六領主1、本当に弱い

 第七領主6、強い。でも出世欲がない


 こうなると二人揃ってようやくアムニシアに並ぶ限り。他の誰かと組まれた時点で負け確定。

 次にイレギュラー。状況対処能力についての特殊能力。


 第一領主1、力任せ

 第二領主7、ぶっ壊す

 第三領主7、裏返す

 第四領主0、無力

 第五領主0、無力

 第六領主1、逃げる

 第七領主7、操る


 「これら全てを足すと我は13,エングリマが7、エペンヴァは4。対するアムニシアが16」

 「……あんた普通に妹に負けてるじゃん」

 「だから言っただろう。あれは恐ろしいと。だが、今回はイストリアの領分……状況対処能力は、イストリア以外は0と考えて良い。そうすると我が12、エングリマが7、エペンヴァが3、アムニシアは9」

 「つまりあの悪魔二人味方ならあんたがいなくても10:9じゃないか」

 「だが確立ならばあれのが上。幾ら魔力で勝っても、確立を操られれば意味がない。よってアムニシアよりも確率変動力で勝っている我が傍に控えていることで、貴様の命は不幸から守られている」

 「感謝すれば良いんだろ」


 全く感謝した様子を見せずに、少年は海へと飛び込む。夜間は閉まっているゲートに入るため、海底から侵入を図ったのだ。

 腐っても人魚の生まれ変わりか。すいすいと泳いで海流に乗る。そうして一気に空の街まで戻って来た。


 「あの男は置いて来て良かったのか?アムニシアが居ると言うことは、身を危険に晒すと言うこと」

 「シャロンはシエロを殺さない。あいつが何を考えているのか、解った気がする」

 「だから抜け出したのか?」

 「……ああ、そうだ。シャロンは必ず向こうから現れる。それにお前が下町にいると言ってくれた」


 はじめてそこで、少年の言葉に感謝の色が表れる。


 「シャロンが上に戻ってくる前に、上でのことを蹴り付けておく必要がある。俺はシャロンとして殺されるわけにはいかないし、あいつにシエロは渡さない」


 なるほど。そのために俺にあのような確率変動をさせたのか。人間の考えることはちっぽけでわからない。そう思ったがなるほど、浅ましくもある意味で、有効的な手段ではある。エフィアルは、先の出来事を思い出す。

 そう、これは一度目の脱走ではない。これは二度目だったのだ。

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