22:踊る悪魔と歌う歌姫
悪魔回。必然的に会話と文中視覚情報が少しエロスとカオス注意報。
夢現の悪魔
『夢とは時に現実。忘れた記憶がそこに隠れ潜んでいる物にございます。
人は弱い生き物でありますが故、現実を現実として認識できないことが多々あります。
夢と現が裏返るとはまさにこのこと。
人は本当ではないことを本当だと思い、人を時に怨み、時に恋いこがれ……
人は真実を虚構として記憶の墓場に葬ります。
私は可愛い墓曝き。私は過酷な墓荒らし。さぁ、可愛いお姫様。御手をどうぞ。
冷たい土の下から今こそ、お目覚めなさいませ!』
*
「待ってよ、お兄ちゃん!」
「ついて来るなよシャロン」
「なんで?」
「今日はみんなで入江まで探検に行くんだ!女は連れて来ちゃ駄目だって言われた」
「どうして?」
「どうしても!お前すぐ泣くし、お前がいるとみんな嫌がるんだよ。お前の所為で何人俺と遊んでくれなくなったと思ってるんだ」
「う、うぇえええええええん」
「うるせぇうるせぇ!絶対について来るなよ!」
遠くから聞こえる子供の声。泣いている小さな女の子。彼女を置いて楽しそうに家を飛び出す少年……
(あれは、俺だ。昔の俺とシャロン……)
信じられない。覚えていない。カロンは狼狽える。
だって俺はシャロンにもっと優しかったはずだ。俺はもっと妹思いで……それで。
「お兄ちゃんの、馬鹿ぁあああああ!」
背後で聞こえる大声。そして衝撃音。
見れば幼い自分が妹の手にした櫂で昏倒させられている図があった。
(お、覚えていないはずだよ。そりゃあ……)
シャロンはと言えば家に戻りカロンの服を着て、道で倒れているカロンから帽子を奪い、るんるんとカロンが向かうはずだった待ち合わせ場所へと駆けていく。可愛いだけかと思っていた妹は、実はそうではなかったらしい。幼い俺は道ばたに白目を向いて倒れている。
(あ、ここからは覚えているぞ)
そこをたまたま通りかかった一人の少年。カロンより僅かに年上。
「お前こんなところで何やってんだ?死体の仮装か?」
「んなわけあるかっ!俺はっ……あれ?俺なんでこんな所で倒れてんだ?」
シャロンの一撃に、幼い俺は直前の記憶を失っていた。
「そんなの俺知らねーし」
「さ、さてはお前が俺を殴ったな!喧嘩買ってやる!名を名乗れ!」
「んなわけあるか。なんだよその見当違いの逆恨みは」
少年はお使い帰りなのか荷物で両手が塞がっている。確かに殴りようがない。それでも幼き日の自分は彼を罵っている。
「ま、いいや。俺はオボロス。面倒臭いから俺が悪人でいいや。んじゃこれお詫びの印な」
そう言って買い物袋の半分を下に置いて、手にした袋の中から菓子を一つ投げて寄越した。
約束をすっぽかした俺は下町の悪ガキ連中から仲間はずれにされるようになった。俺の代わりに探検で勇気を出して株を上げたシャロンは沢山の男友達を手に入れた。
別に悔しくなんか無い。よくわからないけど、具合が悪くて倒れた俺の代わりにシャロンが俺の振りをして出掛けてくれたんだろう。あの日の俺はそう思うことにした。そこで昔の俺はシャロンは優しくて良い奴なんだとか勘違いし始めた。そこで怪我をして帰ってきたシャロンを見て、俺は自分の責任という物を考え始めた。俺が兄で、俺がちゃんとシャロンを守ってやらなきゃ駄目なんだと思い込んだ。
(俺って……馬鹿過ぎる)
深く溜息を吐く俺の前を、幼い俺とオボロスが軽口を言い合い歩いている。
「ちょっとうち来てみろよ!親父に頼んで舟に乗せてやるから」
「マジで!?タダでいいの?」
「特別だからな!他の奴らに言うなよ!」
「言うも何も俺あんま外で遊ばねーし言う相手いねーよ」
オボロスは朗らかに笑う。こんな明るい奴にどうして友達が出来ないんだろうとあの頃は疑問に思った。でもこうしてみていれば解る。こいつは対応が子供っぽくないんだ。なんとなく大人びている。それが他の奴らには馬鹿にされているような気がして腹立たしいのだろう。
「おお!すげぇっ!」
「へへん!どーだ!」
「見知った街でも歩いて見るのと舟から見るのでこんなに景色が違うんだな」
「お前舟乗ったことねぇの?」
「ああ。いっつもこれしてっから」
ゴソゴソと奴が取り出したのは一冊のスケッチブック。
「お前絵描くのか」
「風景画専門だけどな」
だからあんまり走り回るのは興味がないんだと奴は笑っていた。
(そうだ。そういやあいつ、昔はこんな奴だった……)
オボロスは何時から絵を描かなくなったんだろう。あいつの家は災害で傾き鄙びた宿。それでも観光シーズンには空の宿に行けないような観光客は来る。いつもはその手伝いをしていたが、客がいない時は俺と一緒に親父の舟に乗り込んで街を巡って遊んだものだ。金払え、出世払いでのやり取りは俺とあいつの中で何百回と繰り返された挨拶だ。
「俺いつかあの空に行ってみたいんだ。あそこから書く風景、見る景色ってどんなんだろう」
そんなことを言っていた奴が、鉛筆を絵の具をスケッチブックを買わなくなったのは何時からだっただろう。
「わぁ!すてき!これ君が描いたの?」
突然現れるシャロンの声。可憐な声にどうしてか、ぞくりと寒気がした。
(そうだ……この日は確か)
その頃は男友達達が生意気になってくる年頃で、一緒に遊んで貰えない事がシャロンは増えていた。どいつもこいつもシャロンが好きになってそういう態度を取ってしまっていた。
その日もシャロンは苛められて泣いて家に帰ってきた。すっかりブラコンに成長していた俺は櫂を手に悪ガキ共をぶっ飛ばしに出掛けていた。その帰り道……俺の家に遊びに来ていたオボロスと親しげに話すシャロンの声。
「ねぇねぇ私も描いて!」
「え、ああ……うん」
シャロンに顔を覗き込まれて真っ赤になった俺の友人。さらさらと鉛筆を走らせて描かれたシャロンはお世辞にも可愛くはなかった。オボロスが人物画に慣れていない所為もあり、照れから目を合わせられずに描いたためか、頭の中の人体構造図やら骨格標本イメージから引用してきたのだろう。リアル過ぎて、幼い少女には嫌味だった。
「私こんな顔じゃないもんっ!」
泣き出したシャロンにオボロスは戸惑っている。普通ならここで彼の味方に付くべきだろう。しかし悲しいことに、その日の俺はシスコンだった。
「てめぇ!何人の妹泣かせてるんだ!」
「ひ、ひぃいいい!俺が悪いのかよ!?わかった!俺が悪いっ!だから室内で櫂振り回すなカロンっ!」
その記憶の一頁。カロンはまた思い出す。
(ああ、そうだ)
シャロンとのこの出会いで、オボロスは絵を描かなくなったんだ。描けなくなったんだ。
謝ろうとしている内に、うちに通い詰め……差入れの菓子でシャロンの許しを得た頃には、あいつもシャロンに惚れていた。それからのあいつは料理の道に走った。
(何でだろう……)
懐かしい思い出。それを見る度に、大切だったはずの妹の……その化けの皮が剥がれていく。
(シャロン……)
シャロンは俺の遊び仲間を奪った。その次は俺の友人を奪った。
「そしてお兄ちゃんは、私からシエロを奪った」
「っ!?」
不意に下町の景色が黒に塗り潰されて、そこには一人……少女の姿がある。
「し、シャロン……」
「ねぇ?お兄ちゃんは仕返しのつもりだったの?いつも私に取られてきた。諦めてきた腹いせのつもりなの?」
「ち、違う!」
「そっか。それじゃあ私のあれも違うよね。私達双子だもん。同じ物が欲しくなるのは仕方ないことだよね」
此方を責めたと思えば今度は自分の肯定。自分勝手なその物言い。カロンの知るシャロンのそれではなかったが、これまで見てきたシャロンとは、重なる部分が確かにあった。
「ねぇ、お兄ちゃん?どんな気持ち?今どういう気分なの?はじめて私に勝った。私から私の宝物を奪った。その気分はどう?最高?幸せ?良かったねぇ!」
まったく祝福する気のない毒々しい悪意の言葉。それはこれから奪い帰しに行くと此方に宣告しているようだった。
「ねぇ、カロンお兄ちゃん。シエロはどんなキスをすればうっとりするか知ってる?シエロは何処をどうされるのが好きか知ってる?どこを苛めてあげれば一番良い声出すか知ってる?シエロはどういう体勢で私を抱くのが好きか知ってる?ねぇお兄ちゃん?」
「お前とシエロがどうだったかなんて関係ない。俺はこれからそう言うのを知っていくし探していくし、シエロだって変わっていくんだ」
「だけどお兄ちゃん。貴方が私のシエロと過ごした時間はたかだか五日六日のこと。一年以上一緒にいた私に勝てると思う?本当に?」
「勝てる!お前はもう死んだんだ!俺がこれからあいつとお前が過ごした以上の時間を一緒に過ごす!それで俺はお前に勝てる!」
「お笑いぐさねお兄ちゃん?人生明日何があるか解らない。歌姫シャロンなら尚更よ。本当にずっとシエロと一緒にいられるとでも思っているの?」
暗闇の中シャロンが俺に躙り寄る。後ずさり出来ない。すぐ後ろに同じ色の大きな穴が開いているとも限らない。
「貴方にシエロを守れるの?自分の身一つ守れない情けないお兄ちゃん!」
「お前だってそうじゃないか!」
「私は貴方とは違うわ。自分の身くらい頭を使ってちゃあんと守ったわ」
「どういうことだ!?」
「お兄ちゃんの嗅覚は立派よ。貴方だけよ。違和感を感じたのは」
シャロンはくすくす笑う。そしてすべてを嘲笑う。
「私の死体を見て、お兄ちゃんだけは悲しくならなかった。それが私だと実感できず泣くことも出来なかった。そりゃあそうだわ。あれが本当に私だって誰にどう説明できるの?」
「でも、シエロが……」
「シエロが言ったから信じたの?あはははは!貴方にシエロの何が解るの?そもそもシエロが犯人じゃないとどうして言い切れるの?彼こそ私を殺した犯人かもしれないじゃない」
「シエロはそんなことしないっ!」
如何に妹でも愛する人を侮辱されては、カロンは黙っていられなかった。シャロンに詰め寄り睨み付ける。
「あいつは本当にお前が好きだった!お前の死に本当に傷ついていた!そんなあいつがどうしてお前を殺せたって言うんだ!」
「それならお兄ちゃん。本当に私を大好きだったシエロが、どうして貴方を好きになったなんて思えるの?それは貴方が私のシエロを言いくるめて洗脳しているだけじゃないの?私そっくりのその顔で囁いて、キスをして、身体に触れて」
「違うっ!俺はお前じゃない!お前とは違うっ!」
キスの仕方も触れ方も、全然違うけれど嫌じゃない。ううん、好きだってシエロは言ってくれた。俺がシャロンと違うことを認めた上で、俺を受け入れてくれた。
「……話し合っても無駄そうね。いいわ。近々シエロ本人に選んで貰いましょう。もし彼が私を選んだ時は、きっちり私のシエロを諦めて下町にでも帰るのね」
「何言ってるんだ、お前。これは夢だろ?お前は幻だろう?お前は死んだ人間じゃないか」
「そう思えるのならそう思ってくれていいわ。だけど謎を解こうともせず、シエロといちゃついて現実から目を背けている内に、何が起こっても知らないわよ。その時になって泣いても遅いんだからねお兄ちゃん」
シャロンは笑って俺の肩を押す。身体が傾いだ。やはり後ろには谷があった。黒一色の世界ではそれが何処まで続くのかも解らない。唯、ただ……真っ逆さまに落ちていく。
見上げれば、黒一色のはずの世界に空がある。綺麗な青。それがどんどん小さくなって小さくなって……やがては見えなくなって……
*
夢現の悪魔
『3、2、1、はい。cocorico!quiquiriqui!朝ですわ!
残り時間はあと僅か。精々見つけてご覧なさい。
可愛い可愛い、探偵さん?
それが出来なかったなら、すべてを失うのは貴方なのですから。』
*
「……っ!!」
飛び起きたカロンは、全身汗だくになっていた。何だ夢かと息を吐き、何て嫌な夢を見たんだと額の汗を拭う。
昨日は嫌なこともあったけれどそれを幸せなことで塗り替えた。思い出すだけで恥ずかしい。きっと楽しい夢が見られると思ったのに、どうしてあんな物を見てしまったのだろう。
シエロが俺の物になって、俺がシエロの物になった。あれで完全に。あれは罪悪感から見た悪夢なのか?いや、そんなことはない。罪悪感などよりも至福が胸を満たしている。
もう一度横になればそこにはシエロが居る。疲れていたのかな。ぐっすり眠っている。その寝顔を眺めていれば、先程の悪夢も忘れられそう。
(俺も二度寝するかな)
そう思ったけれど、よくよく見れば本当にシエロはぐっすり眠っている。今なら何をしても気が付きそうにない。それに気付けば、ちょっとした悪戯心がカロンに芽生える。
「まぁ、苦しくなったら起きるよな。それで起きないなら起きない奴が悪い」
そう自分に言い聞かせ、目覚めのキスをする。起きるまでキスの練習をさせてもらう事にしよう。
(シャロンがあんな事言うから悪い……)
自分の方がシエロを知っていると夢の中のシャロンは言った。シエロはどういうキスが一番感じるのかとか。そんな挑発を受けたんだ。俺だってもっとシエロを知りたい。
「……ぅ、……んんっ」
「シエロ……もっと。お前ならもっと………良い声で、喘げるだろ?」
呼吸が出来ず苦しげだった吐息が、次第に甘くなる。それが面白くて何度も口付けた。
(見つけた。シエロ、この上顎舐められるのに弱いんだ)
弱みを集中して責め立てれば、トロンとした目が薄めを開いてこちらを見る。まだ夢現と言ったその表情。
「かろん……くん?」
「よし、よく間違えなかった。偉い」
ここでシャロン?などと言われたら何をしてやろうかと思った。やっぱりキスの仕方一つでも俺とシャロンは似ていないんだ。そう思うと嬉しくて……
「シエロ、昨日は俺が頑張ったんだし、今日は俺がやってもいいよな?」
「……え?」
突然の脅迫に、はっと目を覚ましたシエロ。
「こ。こんな朝早くから、そんなこと……」
「こんな朝早くだからだろ」
ぎゅっと身体を密着させて抱き付けば、シエロが顔を赤くする。
「うぅう…………」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
「けど?」
「明るいのはやっぱり恥ずかしいっていうか。毛布と布団被っちゃ駄目?」
「駄目」
「な、何で!?」
「昨日は女のお前とやったから今日は男が良い。布団被ったらお前汗だくで女になるだろ」
「か、カロン君僕の胸好きでしょ!?女の子でやろうよ!」
女の身体だと自分だという気も半減する。布団を被れば恥ずかしさも我慢できるしそれがいいとシエロは言うが嫌だと首を振る。
「胸のないシエロも好きだから問題ない。それに胸ならちゃんとあるだろ」
「ひ、ひぃいいい!」
「朝からお元気ですね、カロン様」
突如割り込んだ男の声に俺もシエロも時が凍った。
「あ、あああああアルバ!何時からいたんだい!?」
「お休みのご様子だったので此方で待機させていただきました」
ソファーに腰を下ろしたアルバはしれっとそんなことを吐きながら、優雅な仕草で淹れたての珈琲を口に運んでいる。
シエロはばっと飛び起き身支度を調え、アルバの方へと歩いていく。
「何か不味いことでもあった?」
「歌姫ドリスは昨日はやけ酒でふて寝したらしく、動きはありませんでした。おそらく動くとしたら今夜でしょう。唯……妙なことがありました」
「妙なこと?」
「ナイアードの屋敷に歌姫シレナの使用人である少年が尋ねました。なんでも屋敷を追い出されたとかで宿を借りに」
「オボロスがマイナスの家に!?」
「幼なじみと言うことでシャロン様を頼ったようですね。彼は彼女が何処に身を置いているかを知らなかったようです」
「それにしても歌姫シレナは何故彼を……?」
「不審に思いシレナの屋敷に使い魔を向かわせましたが、そこに歌姫シレナはいなかった」
「なんだって?エコーやドリスに動きはない。それなのに何故彼女が?」
「解りません。街中を探させていますが見つかる様子がない。確立変動を行ったのでしょう。おそらく彼女の傍には私の召喚したそれより上位の悪魔の保護がついています」
「彼女を攫った人間は、悪魔と契約していると言うことかい?」
「おそらくは」
シエロとアルバの会話にはついて行けない。ちゃんと説明して貰わないとさっぱりだ。説明を求めるカロンが口を開きかければ、余所から別の誰かの声が響いた。
「はっはっは。生憎私の幸福変動力に確立関与値は魔王の中でも最弱でね。本の外側なら第七領主には勝てるのだが、ここは彼女のテリトリー。こればっかりはどうにもならんよ。この世界が彼女の記す本と言う枠に囚われた以上、彼女が今は最強だ」
見れば向かいのソファーに腰掛けた緑髪の青年が居る。先程までは居なかったはず。それどころかその男の頭には妙な角が付いている。
「な、何だあいつ?俺寝惚けてんのかな」
「彼にも説明が要ると思ってね、彼が私の姿を見えるようになる確立を引き上げた。出過ぎた真似でしたかな?」
「いや、助かったよ。ありがとうエペンヴァさん」
「寝起き姿もお美しい、お嬢さんではない色男君、朝からそんなに色気を振りまいてどうしたんだね。昨日はお楽しみということかい?」
シエロの微笑みにその青年は両手を広げて立ち上がり、恭しくわざとらしい礼をする。嫌味なほど畏まった仕草はわざとらしさが滲み出て、尊敬の念など欠片もない。何とも怪しげな男だ。顔は悪くないのだが、全身から立ち上る犯罪者臭は隠し切れていない。きっと変態だ。妙な性癖とかあるに違いない。
「どうせご覧になってたんでしょう?」
「無論本の向こう側に置いてきた分身がばっちり見ていたよ。まったくご馳走様でした。本文に載せられないのが勿体ないねぇ。今度第七領主に頼んで行間だけ録画した情報をコピーして頂けないか聞いてくるよはっはっは!百年単位で抜けそうだ」
「シエロ、何の話?」
「知らない方が幸せなことだよ」
意味深な会話だが、シエロにさらっと流された。
「紹介するねカロン君。彼はエペンヴァ。アルバが呼びだした悪魔で地獄の第六領主様。彼方ではかなりの地位の方なんだって」
「この胡散臭い怪しい兄ちゃんが?」
「それは褒め言葉さ少年。それで今日はまだ女装しないのかい?」
「エペンヴァさん、僕のカロン君を変な目で見るのを止めて下さい」
「はっはっは!何を仰るのやら。我々悪魔はこの場所では現実として振る舞うことが出来ない。妄想幻覚としてはなんだりかんだり出来るがね、現実問題視姦くらいしか出来ないのだよ。ならばそれくらいは大目に見て欲しいものだ」
何だかよく分からないけれど、この男が変態確定だというのはよく分かった。
シエロの背に庇われながらカロンはなるべくそいつの視界に入らないよう注意した。
「それで六番目以上となると、五番がマイナスの契約した悪魔……残る候補は一から四か」
「いえ、シエロ様。四番はありません」
「どうして?」
「彼とも私が契約したからです」
「ええ!?」
「もう出て良いぞ」
アルバの声にもう一人ソファーの上に現れる人影。此方は小さい。可愛らしい少女……?いや絶望的なまでに胸がない。あれは女装しているが少年だ。その少年は青年悪魔とは違い、頭に角ではなく翼を持っている。
「シエロさん!」
「昨日はありがとう、でもどうして?」
「僕誰かと契約しないとあの召喚場所から動けなかったんです。そのまま帰るのも、あなた方が心配で」
「そうか、ありがとうエングリマさん」
「シエロ、そいつなんなんだよ」
現れるや否や、シエロを見つけてぱたぱた駆け寄り抱き付く少年に、カロンは腹を立てていた。それを見て、少年がカロンを振り向いて、ぱぁと顔を明るくし……今度は此方に駆けて両手を掴んでぶんぶん振った。
「わぁ!凄い!本当に人魚の魂だ!綺麗だなぁ!」
「え?はぁ?あの、おい!」
「シエロさんとも違う色合いだけど君の魂も凄い綺麗ですね」
「やれ魂、やれ色合いというと何やら卑猥な響きだねエング君」
「そ、そういうこと言わないでくださいエペンヴァさんっ!僕は心のことを言ったんです!」
青年悪魔のセクハラに、少年悪魔の方は真っ赤になって反論している。こいつも照れ屋なのか、なるほどシエロと気が合うはずだ。
「あはは、カロン君嫉妬?」
「べ、別に嫉妬なんか……してないこともないけど」
「それじゃあカロン君もぎゅうっとしてあげる。こっちおいでー」
両手を広げるシエロはにこやか。俺に妬いて貰ったのが嬉しかったのか。何となく胸の内側を見透かされたのが癪だったので、飛び込む前に懐から取り出した塩水をシエロの胸にぶっかけた。
「ひゃあっ!冷たっ……うわぁっ」
突如濡れた寝間着の中に出現する胸に、シエロが慌てふためく。男だと思って油断していたなシエロ。下の方しかボタンをしてなかったから今にも服の中から胸がこぼれ落ちそうだ。
「ふむふむ、これはこれでなかなか。私の立派な魂を挟み込んで頂きたい見事な胸だ」
「俺のシエロを嫌らしい目で見るな」
「か、カロン君は嫌らしい手で揉まないで欲しいな、なんて……」
「飛び込んで来いって言ったのシエロじゃないか」
「抱き付いて良いよって言ったけどそんなに触って良いなんて言ってないよぉ……っ、や、……だめだってっ……」
「駄目?ここがいいんだろシエロは?……ってお前ら話続けろよ。何黙り込んでんだよ」
部屋にシエロの悶え声しか聞けなくなったことに違和感を感じて振り返れば、執事と悪魔達は言葉を無くして此方を凝視している。あの初心な少年悪魔さえ、顔を赤らめながら目はしっかりこっちに向いている。
これ以上シエロが視姦対象にされるのも嫌なので、渋々カロンは手を止め抱き付くに留めた。
「そ、それじゃあ改めて紹介するねカロン君。そこの水色髪の子は第四領主エングリマ。悪魔らしくない優しくて親切な良い子だよ。昨日マイナスと彼女の悪魔に襲われていた僕を助けてくれた恩人だ」
「へぇ……」
シエロを助けてくれたのか。悪魔の癖に。そんな半分疑いの眼差しを向ければ、彼は照れくさそうにもじもじしながら答えてくれる。
「ぼ、僕は人と人外のハッピーエンドの話が好きなんです。だからそういう恋に悩む相手と契約し、恋の成就を手伝いするのが常です。だから他の同僚があなた方を不幸にして引き裂こうとしているのが見ていられなくて」
「マイナスに対抗するためには彼の力が必要です。あの悪魔の洗脳を解くにはこの第四領主の力が要ります。そしてそこの第六領主より、確立変動力にも秀でています」
アルバもその子の必要性を説く。横の青年悪魔より真面目に協力してくれそうな少年悪魔の存在は確かにありがたいかもしれない。
「その分僕は情報収集には向いていませんが、ティモリアには負けません」
「でも、そうなると必然的に歌姫シレナを隠しているのはエングリマさんより上位領主ということで……僕らには為す術がないんじゃないのかな?」
「まぁ、現状としてはそうですが、手は打っておきました。問題ないはずです」
アルバが一瞬視線を此方へ向ける。彼に渡された短剣。肌身離さず持っている。あれが切り札なのだろう。カロンはごくりと息を呑む。
「まぁ、あの第二領主が動いたとも考え辛い。第三領主辺りが妥当だろう。現に外側での彼女は口数が減っている。意識を此方に飛ばしたと見て間違いない」
「それでその第三領主には、お二人が力を合わせれば勝てるのでしょうか?」
「はっはっは!それは勿論お美しいお嬢さんではない色男君。それは無理という物だ。彼女の怒りを買うことだけは私としても御免被りたいのでね」
「彼女には勝ち負けという概念がないんですシエロさん」
「どういうこと?」
「第三領主アムニシア。彼女は夢現、嘘と真の悪魔だ。夢の領土を持てるのは第三領主より上、つまり四番六番の我々にはどうすることも出来ない。イレギュラーな第七領主は別だがね」
「夢の領土?」
「それはだね、領域の悪魔である私でも入り込めない不可侵領域のことさ。とくに第三領主は恐ろしい。自分にとって不都合なこと、負けた現実を夢オチにしてしまえる力を持つ」
「それの何が怖いんだ?」
いまいち悪魔達の恐れることが解らない。話にカロンが割り込むと、青年悪魔はやれやれと肩をすくめてみせるのだ。
「いいかい少年歌姫君。推理勝負に勝っても君は恋愛勝負で負けてしまう可能性があるということなんだよこれは」
「は?誰に?」
「君達はこの事件を無事に解決した!という夢を見た。そして君はいつもの下町で目覚める。全てが夢なら事件など無い。そこの色男君はシャロンという恋人を失っても居ないし別れることもなく、君を歯牙にも掛けない。唯、変な夢を見たなぁと思うくらいさ」
「でも、何でもありの脚本能力ってのでも死人は生き返らないって聞いたぞ!?」
「だから第三領主は第七領主とは違う意味で一番強く恐ろしい相手なのだよ」
二人の悪魔の顔には、やっかいなことになったとしっかり書いてある。
「第七領主は死者を生き返らせる気がない。だから契約者にその力を与えない。推理小説という枠にあるからそれが破綻するような現象は今回ばかりは起こさない」
「それでもアムニシアさんは違います。そもそもの死や事件という概念を白紙に戻してしまえる力があるんです」
「一応話としては破綻しないでもあるが、これは悲劇から一気に喜劇になってしまうと。面白いな少年。君がそこの色男君といちゃついていたこの現実も、君の夢想と夢精辺りに変わってしまうんだ」
事件を解決してもそれはお前の中の一夜の夢に過ぎない。そういう風にすべて現実から夢に置き換えられる。俺はシエロに出会わなかったしキスもしなかったし恋仲にもなれなかった。そういう馬鹿みたいな夢を俺が見ただけだ。今ある現実は、そう言う物に成り下がるのだと彼らは言う。
「第三領主を敵に回した時点で君たちを取り巻く環境は変わってしまった。歌姫シレナを攫った相手が何を願い、誰の味方なのかを知るまでは、少年歌姫……君たちの幸福の安全と保証は残念ながら出来ないね」
「な、何だよそれ……な、なんとか出来ないのか!?」
「残念ながら彼女に対抗できるのは第七領主だけ。その第七領主の契約者とそこの色男君と女装少年君は不仲だろう?となればそれを脱却するのは難しい」
「……僕らには打つ手無しってことか」
「そうですね……僕ら二人で彼女に挑めば彼女の幸福変動に勝ることは出来るでしょう。だけどそれには僕らも疲れますし、なかったことにされては嫌過ぎます」
「まぁ、まだ可能性はゼロではありませんがね。それを行うとしたら、そうですなぁ。彼女が弱った、或いは他のことに意識を集中させている、その力が使えない時にやるしかないでしょう」
「他のことに意識が向いた時……ですか」
シエロは暫く俯いて、何やら考え込んでいたが、考えをまとめたのかゆっくり顔を上げる。
「とりあえず歌姫シレナの捜索は現状として無意味。エコーはナルキスに押さえつけていて貰うとして、歌姫ドリスとマイナスの動きに注意。その上で事件の真相を探る。シレナ誘拐の詳しい意図は解らないけどここで動いた以上、意味がある。犯人が勝負に出たんだ」
シエロの言葉にカロンは思い出す。あの二人の歌姫の密談を。
「エコーとドリスはシレナを使ってまた新たにシャロンの死体を偽装するって言ってた。それを誰かが盗み聞きして……?いや、昨日ドリスの従者もいた!聞いていたはずだ」
「アルバ、ドリスの従者メリアの動きは?」
「今のところ妙な動きはありませんが」
押し黙る執事の袖を引き、少年悪魔がぼそりと呟く。
「あのですね、マスター……アムニシアさんの名前は“記憶喪失”」
「記憶喪失?」
「彼女は僕の片割れより、洗脳能力に優れています。夢を見せてそれを現実と思わせる。夢遊病のようにシレナという歌姫を操り動かしたという線はあります」
「やれやれ、つまらないなエング君。そんなに聞かれてもいないことを教えてしまうのは」
聞かれたら答えるし教えるが、それまでヒントも答えもやりたくはないという青年悪魔は正に悪魔。外道に他ならない。それに比べれば少年悪魔は確かに良い子だ。カロンも認める。
「はぁ!?そんなのありか!?お前達悪魔は現実に作用しないんじゃなかったのか!?」
「いいえカロン様。確かに、矛盾はしません。ここ最近歌姫シレナは精神的に不安定。睡眠薬を常備していたとの情報もあります」
それを踏まえた上で、“推理小説”という枠が破綻しない程度の行動。確かに突然シレナが魔法のように消えたわけではない。オボロスが追い出され、そこからノーマークだったシレナにアルバが監視を向かわせるまでのタイムラグ。その間にシレナは消えた。誰かの目の前で魔法のように消えたわけではない。だから“悪魔が魔法で消しました”という悪魔の存在の証明は行えない。
「アルバ、彼女の屋敷の戸締まりの方は?」
「屋敷の鍵は開いていました」
「それなら犯人が彼女の屋敷に乗り込んだか。……いや、勿論その場で攫われたかはわからない。オボロス君に辛く当たったことを悔いて探しに出掛けた先で攫われた可能性もある。鍵を掛けることも忘れるくらい、彼女は焦っていたと見る事も出来るから」
「後は目撃者に会う確立を犯人が限りなくゼロに近づける。それで歌姫シレナを推理小説らしく消すことは可能です」
「……そんな、無茶苦茶な」
シエロとアルバの推理にカロンは頭が痛くなる。
「……でも逆にいうなら、僕らもそういう順序と理論を組み立てれば、多少なりとはそういうことが出来ると言うことだよね」
「おい、悪魔二匹!どうして目を逸らすんだ!」
シエロの言葉に、悪魔達はさっと素早く目を逸らす。青年悪魔に至っては口笛すら吹いている。一発殴りたい。
「はっはっは!私はこの世界では情報収集専門でね。後は雷くらいか。それも現実ではないから仮想電流拷問でショック死くらいしかお役に立てないよ。相手が悪魔使いなら私の力が仮想現実だと知れているだろうからまず通用しない」
「……貴方それなのに昨日さも我々は負けないみたいな顔してましたよね」
「お嬢さんではないお嬢さん、生憎私は悪魔なのでね。真っ直ぐな嘘は吐かなくとも回りくどい騙し討ちはするものさ。現にエング君と組めば私がレディティモに負けることはないのも事実」
「ごめんなさいシエロさん。僕はティモリアの力と相反する力なのでその無効化。僕より上のナンバー相手では、その術を少し弱体化させるくらいしかお役に立てません。後は氷や雪の魔法が使えるくらいですけれど」
「それも仮想現実?」
「はい、そうなりますが、時々いいえです」
少年悪魔は微妙な否定と肯定をした。それにシエロが首を傾げる。シエロは今日も可愛い。いや、見惚れている場合じゃないだろうが俺!
「どういうことかな?」
「今は季節にして10月後半。寒かったり熱かったり微妙な時期ですが、これまでの歴史を漁るにこの月に雪が降ったという記録はある。つまり雪が降る確立というのを上げさえすれば、僕の雪魔法は現実になります」
事実情報として、この街に10月に雪が降ったことがある。その事実があれば、その仮想現実は現実になる。推理小説とは破綻しない下準備があれば、悪魔達の魔法は現実に起こり得る。その事実にカロンは興奮するが、すぐ我に返って「だからって雪が降ったから何になるんだ」と、興奮の熱が冷めた。
しかし青年悪魔はアルバとシエロの視線を受け、やれやれと両手を挙げて降参のポーズ。
「っち。エング君にばらされてしまった以上私も白状しよう。この国には雨が降る。つまり雨が降る確率を引き上げる。その上で雷が発生する確率も引き上げる。そうなれば私の雷魔法も現実には起こり得る」
「なるほど。つまりこういう事だね……」
シエロが微笑し、綺麗な声で歌を歌う。するとみるみる内に天候が揺らいで、街を雨が襲い出す。
「シエロ?今のってお前が?」
「悪魔の存在を証明するかどうかは今回のことには関係ない。それでも海神の呪いと魔法はある。僕の歌は超音波での攻撃と、記憶飛ばしだけじゃないし、僕の魔法は海月召喚と氷結魔法だけじゃない。何の役に立つのか解らないけど雨乞いの歌を歌うことが僕には出来る」
「凄い、シエロさん!貴方の歌は確立を覆す!これはとんでもない魔法です!」
「薄まった人魚の血でありながら、なるほど。先祖返りとは本当らしい。其方の魂だけの少年より、むしろ貴方が人魚だ!」
シエロの雨乞い魔法に、二人の悪魔が騒ぎ出す。それに嫌な予感がして、カロンはシエロにしがみつく。
「おいお前ら!俺のシエロの魂が欲しいなんて言い出したらどうなるか解ってんだろうな!?」
「ははは、悪いな少年。先程までは君の方がタイプだったんだが、今の私は彼に夢中なんだ。これほどの魂、食らえば私の力も増すはず。ちょっと一回食わせて貰えないかねシエロお嬢さん?」
「え?」
「ちょっと舐めるだけで良いから。先っぽだけで良いから。大丈夫怖くないよおじさん上手いから。舌使い巧みだから。すぐ昇天させてあげるよ」
「え、あの……」
「いや、何唯とは言わない。私も本気で協力してあげよう。あなた方の今生の幸せは私が全力で守り保証する。死後の魂がどうなろうと関係ないだろう?また転生をお望みかな?そうなった時別の誰かを愛してしまうことを貴女は貴女が許せるのかい?」
「………」
途端にシエロを口説き出す青年悪魔。カロンがその腹をボカスカ殴る蹴るの暴行を加えるのも気にせず、シエロの顎を掴んで顔を寄せ悪魔の囁き。次第にシエロの顔に迷いが生まれてくる。
「シエロを困らせるなっ!」
これ以上見ていられなくてカロンは思い切り青年悪魔の股間を蹴り上げるが、男は一瞬眉を寄せたくらいで、特に痛がる様子もない。むしろ蹴り上げた此方の足が痛い。
(くそっ、こいつ現実に存在してないはずなのに)
存在しないはずの物を蹴り、此方の足に痛いと思わせる幻想。それくらい俺のは硬いんだとにやつく青年悪魔。冗談じゃない。そんなのに食われたらシエロが壊れる。大体食うの概念はなんなんだ。魂を食すって意味か?それとも性的な意味でなのか?ちょっと気になる。そんな此方の心中を察したのか青年悪魔はにたりと嗤う。
「ああ、この場合の食うとはどちらの意味でもあるな。一度に大量の魔力を得られるのは丸呑みだが、その場合消化し血と肉と変えてしまう故、使い捨て。性的な意味で食べれば丸呑みほどではないが、半永久的に魔力を得ることが出来る。すぐに力が要る場合は足りないが、長い目で見れば効率が良い」
「ふざけんな!俺のシエロだぞ!!」
「いや何、それが浮気だと言うのなら少年、いっそ君の魂も我が領地に迎え入れよう。三人寄れば至高のエロス。3Pとは実に良い物だぞ?君もこのシエロお嬢ちゃんの二穴プレイや色男版シエロ君に二輪差しとかしてみたいと思わないかい?」
「カロン君、どうしてそこで生唾飲み込んだのかな?」
「ご、誤解だシエロ!」
悪魔の囁きに負けてはいけない!負けるな俺!頑張れカロン!……だけとちょっとそんなシエロも見てみたい。多分凄い声で泣いてくれそう。
「それに君、昨日色男の方のシエロ君に歌姫との情事を曝かれ少し興奮しただろう?」
「し、してねぇしっ!」
「君には寝取り寝取られ属性があるようだ。妹の恋人寝取ったくらいだからねぇ」
「うっ……」
「君の可愛い恋人があんあんいやぁカロン君見ちゃらめぇええとかカロン君じゃなきゃいやらのぉおとか言いながら他の男に抱かれる様にドキドキするんだろう?えぇ?正直になれ少年」
「お、俺は……そ、そんなこと」
「カロン君……説得力無いよ」
シエロがほろりと涙を流しつつ、赤く染まった自身の胸元を示す。言うまでもなく俺の鼻血だ。しかしそう言うシエロの顔もうっすら熱を帯びている。今の妄想で興奮したんじゃないかシエロだって。
「まぁ、安心したまえ。食事時以外は自由にしてくれて構わんからね。好きにいちゃついてくれて結構さ。中々我が領地は快適だぞ?ゲテモノ料理の多い地獄で唯一食にかけては美食を極めた地だ。三大欲求全てを満たして差し上げることを約束しよう」
「う、美味い食事とエロ祭り……」
ちょっとカロン自身もぐらついてきた。
「そんなの駄目ですエペンヴァさん!貴方の領地の食事が美味しいのは認めますが、カロンさんとシエロさんの魂は死後僕が僕の領地に貰い受けて、そこで永遠にいちゃつかせてあげるんです!」
「おいこらお前も何言い出して……いや、それいいな」
「ちゃんと僕の魔力で魂の入れ物も復元して差し上げますからね。存分にいちゃついてください」
表裏なく無邪気に微笑む少年悪魔。その誘いもどうしてなかなか悪くない。シエロが転生して他の誰かを恋するなんて、嫌だと思う。それは俺やシャロンを縛り付けようとしたエコーのような重い想い。転生してしまえばシエロだって俺を忘れて、無理矢理迫れば俺はエコーと同じになってしまう。それなら死後は魂のまま、この悪魔達に管理して貰っていた方が余程良いんじゃないのか?シエロもそれは考えないでもない様子。黙り込んで何やら考え込んでいる。
「それはその時に考えるとしまして、とりあえずシエロ様の歌さえあれば、お二方の協力さえあれば、雨に雷、雪と雹と天候を操ることが出来ると言うことですね」
脱線した話を引き戻そうとアルバが場を仕切り直す。こいつまで「3Pより4Pの方がより良いのでは?交ぜてください。上の口を塞ぐ要員も必要でしょう」とか言い出さなくてほっとした。いつものアルバなら言いそうなものだが、いや、そんな直球のセクハラはこの男はしないか。
「でもぶっちゃけ、天候操って事件解決のために何が出来るんだ?」
「雪なら足跡を残すことが出来るよ。それは手がかりにはなる」
カロンの疑問に、シエロはそうでもないという。なるほど、あの青年悪魔が使えないと言うことはよく分かった。青年悪魔は明後日の方向を見上げて再びぴゅーるるると口笛を吹いている。もうお前口笛の悪魔とかに改名しろ。
「ただし問題はこの街が空の上だと言うことです。下層街中層街はなんとかなりますが、上層街の一部から……城の辺りは完全に雲の上です」
「そうだね……だけど歌姫シレナの屋敷もマイナスの実家も中層街。マイナス、ドリスの活動圏は下層街がメイン。この辺りの監視と証拠作りのために、これから暫く僕は毎日歌う。そこを第四領主さんにフォローして貰おう」
「はい!精一杯頑張らせて頂きます……そ、その代わりも、もし……僕のこと気に入ってくださったりなんかしたときは、死後は僕の領民になってくださいね?」
氷使いと水使い。相性は悪くないですよ、きっと快適な生活を提供させていただきますと、貸家の宣伝のように少年悪魔が営業。
「ていうか俺とシエロが地獄行きっての確定しているのか?」
「そこは地獄と天国のシステムの話なので、生きている人にはあまり詳しく話してはならないことになっているんですが……お二人は悪人ではないので間違いなく地獄行きだと思います」
「面白い事を言うねエングリマさんは」
少年悪魔の不思議な物言いにシエロはくすくす笑っている。
「はっはっは!妹の恋人を奪った挙げ句に同性愛まで犯していて天国に行けると思ってるのかい女装少年。ついでに衣服による性別詐称は腐れゴッドの嫌うところさ。私はむしろグッジョブばっちこいなのだが」
「どういう意味だよ?」
「つまり君たちはあれさ。今の関係に罪悪感を抱いている。少なくともシャロンという子を裏切ったという認識がある。我々の存在する場所の概念では、その罪の意識が人を地獄へ落とす仕組みさ」
「それはつまり俺が、シエロを奪ったことを全く気にせず開き直って俺すげーいい奴!とか思えないと駄目ってことか?」
「そうなるでしょうな。そう教えたところであなた方はそうは思えない。そこまで悪人にはなれないでしょう?ならば今の内から身の振り方を考えておいた方が良い」
続く青年悪魔の解釈に、俺とシエロは黙り込む。罪悪感が無いとは言えない。その理屈だと俺達の周りで天国に行けそうなの、自分大好きなナルキス位しか居ないような気がして来た。いや、ある意味自分勝手なドリス辺りも才能がありそうだ。
「……あれ?でも僕やカロン君は誰とも契約していないはず。それはこれから契約したいということですか?」
「いやいやお美しいシエロさん、契約とは何も魂のそれだけではない。例えば今後あなた方が誰と契約してもいいように、“死後は私の領地の領民になる”という約束さえしていただければ、契約に矛盾は生じない。私は無粋なその輩から貴方の魂を取り戻すことが出来ると言うこと。貴方は複数の悪魔を従えて酷使し、そこから逃げることが出来る。要は契約とは騙し合いと言うことです」
悪いようにはしないから死後はうちの子になりなさいと青年悪魔がにたにた笑う。それに対し自分も何か言わなければという強迫観念に負けた少年悪魔が口を開いた。
「それに皆が皆魂と引き替えに契約をするわけではありません。魂を食べるためではなく、気に入った人間を死後自分の眷属として取り込むために契約をする者もいます。そう言った意味で僕はあなた方が欲しいですし、僕の片割れは歌姫マイナスと契約したのでしょう」
「ははは、残念ながらエング君。良い格好をしようとも彼らの魂は君とは違って男のそれだ。無償の愛を心に持っていたとしてもめくるめく甘美なエロスの響きには勝てまいよ」
「また、僕らがアルバさんと交わした契約はその魂ではなく時間という概念。時間に宿る魔力を頂いて、彼の長すぎる寿命を削っています」
「おや、無視かい?冷たいねぇ。流石は雪と氷の悪魔。冬の悪魔は伊達ではないか」
契約には様々なスタイルがあるのだと自分を無視して語る、少年悪魔の姿に青年悪魔は深く嘆息。指をわきわきと動かしながら少年悪魔に躙り寄る。
「やれやれ、仕方ない。男の身に合わぬその女の魂、女にもなりきれぬ純真な魂を私の手で汚してやるとするか」
「きゃぁああ!こっち来ないでくださいエペンヴァさんっ!」
「そうは言ってもな。君を攻略し領土開拓に赴けば、私も一気に第四領主。そこまで魔力を高めれば、夢の領土にも侵入可能になるやもしれん」
青年悪魔に追いかけ回され部屋中逃げまどう少年悪魔。彼の方がランクが上なんだからどうにでも出来るだろうに、彼は平和主義者なのか戦おうとはしない。
「うぇっひっひっひ!私に背を向けていいのかい第四領主ちゃぁああん!捲りやすそうなスカートだねぇひっひっひ!そうかそうか誘ってると解釈しようかねぇええ!?」
「そんなことしてませんんん!こっち来ないでくださいぃいいいっ!!痛いのは嫌ぁあああ!!」
「だいじょうぶ大丈夫!痛いのは最初だけさうぇひひひひひ!」
何この犯罪空間。青年悪魔から立ち上る犯罪者臭が半端じゃない。思わずカロンも言葉を無くす。恐るべし悪魔。確かにこんなものが人間だとは思いたくない。なるほど、やっぱりあれは悪魔なのか。
妙な納得をするカロンの傍、それに見かねたシエロが少年悪魔を背に庇う。
「いい加減にしてください第六領主さん。僕は昼間からそういうことをする人は嫌いです!」
「シエロさん……!ありがとうっ!ありがとうございます!」
シエロに庇われ、怖かったと大粒の涙を流して泣く少年悪魔。
「これはこれはシエロお嬢さん。悪魔を誘惑するとは恐ろしい人間が居たものだ」
「ええ?僕が誘惑……?ひ、ひゃああああ!み、見ないでくださいっ!」
少年悪魔を庇った時に、寝間着からとうとう大きな胸がこぼれ落ちたのだ。それを凝視されていることに気が付いたシエロが、真っ赤な顔で胸元を押さえ蹲る。
「私の欲の対象をエング君から自分に逸らさせるとはなんと見事な自己犠牲!ははは、ますます気に入った!貴女の魂は実に汚し甲斐がある」
「うぅうう……そんなつもりじゃなかったのにっ……」
「まぁ、いいだろう。私もそこそこ本気を出すことにしよう。死後の居住区域についての契約、はこの事件解決まで第四領主と私第六領主のどちらがあなた方のお役に立ったかで判断して貰おう。それで良いねエング君?」
「望むところですエペンヴァさん!仮契約をしていれば僕ももっとお役に立てます!」
アルバとの時の契約ではそこまでやる気がなかったらしい悪魔達も、強い魔力を持っているらしいシエロの魂のためならばと、割に合わない仕事をしてもお釣りが来ると本腰を入れてくれると言い出した。
「シエロさん、僕と魂の仮契約していただければ一定時間時を凍らせることが出来ます。その間、契約者は思考し推理し、手がかりを見つける猶予が与えられます。勿論時を動かしたときには、元の位置に戻されますが、凍っている間はその部屋を漁ることが出来ます!これはこれからの推理のために役に立つはずです!あと今なら僕の領地のアイスとシャーベットとかき氷100年間無料券付けます!」
「シエロお嬢さん、この私と魂の仮契約を結んでいただければ、私と使い魔との情報ネットワークの共有を約束しましょう。アルバ殿との契約では電話回線ダイヤル式インターネットのような伝達方式でしたが、これでしたらリアルタイムに光の速さで貴方に推理材料をお届けしましょう。おまけにアルバ殿とのサービス水準もそこまで引き上げましょう」
よく分からない単語があるけれど、営業臭だけは半端じゃない。
「何、それだけでもありません。ちゃんとおまけはありますよ。現実雷を人に当てることは出来ませんが、落下場所はご指定出来るようにして差し上げます。これで火事を起こし人の注意を逸らしたり、使い時によっては犯人の退路を絶つことも可能。悪い話ではないでしょう?そうそう死後は、我が領地のフルコース無料券300年分をお付けしましょう!」
なんか腹減ってきた。そういえば朝食もまだだ。悪魔の誘惑は甘い。俺もシエロも腹の虫が鳴り始め、ぐらぐら揺らぐ。
「ええと、でもその契約ってどうするんだい?マイナスの時みたいにキスとかだったらちょっと……カロン君の手前僕は賛成できないな」
「ああ、あれはディープキスだと本契約。バードキスなら仮契約なんですよ」
「アルバ、お前もやったのか?」
ここにいる悪魔二匹とこの執事がそんな深々とやったかと思うと笑えてくる。少年悪魔ならまだしもあの青年悪魔とねぇ。想像すると腹が痛い。笑みを必死に殺すカロンだが、アルバは残念でしたねと笑っていた。
「生憎それは魂絡みの契約の時の話です。それ以外の契約ならば、指でも切って舐めさせればそれで結構ですよ。第七領主に至っては書類を用いるので、完全にそういう儀式はありません」
「そ、それじゃあ僕のは手の甲じゃ駄目なんだね」
本気で協力を引き出せるのなら契約しても良いかなと思っている様子のシエロ。その隙を逃さず青年悪魔は良い笑顔。こいつも営業に入った。
「心配ご無用お嬢さん、それなら他の所で大丈夫」
これで下の口とか言い出したらぶん殴ってやろう。カロンはぐっと拳を固める。はぁと息を拳に吹きかけた、それを見計らったように青年悪魔がシエロの腰を抱く。
「ひぇっ……」
悪魔が口付けたのは、シエロの豊かな胸の下。その胸に顔が触れたかと思うと羨まけしからん。心臓を皮膚越しに悪魔は一舐めして、満足そうな笑みを浮かべる。ついでと言わんばかりに心臓から上り、胸を下から上まで舐め回しやがった。許せない。
「何させてんだよシエロっ!」
「だ、だって……あんないきなり」
流石は悪魔。腐っても悪魔。人間よりも凄い技術があるのだろう。シエロはぞくぞくした目だ。殺そうか?いや、現実として作用できない奴らのすることだ。あれは現実じゃない。わかってる。わかっているが、やっぱり気に入らない。
「わかった。俺が上書きする。今晩はとことん胸責めだ。呪い発動前と後、それぞれ俺が胸責めしてやるからしっかり洗って覚悟しろ!」
「ひぇえええ!い、嫌だよカロン君!普段でさえ胸ばっかり弄るのにもっとなの!?」
そんなに苛められたら僕のおっぱい取れちゃうってと、シエロはぎゅっと自分の胸を再びガードする。馬鹿か。そんな簡単に取れるかよ。
「くくく……さぁて、これで私との仮契約は完了です。おやぁ?どうしたんだいエング君?君もやったらどうなんだい?」
「うっ、卑怯ですエペンヴァさん!僕貴方の後なんて嫌です!間接キスなんて嫌です!」
「そうか、仮契約出来ないなら仕方ないなぁ!私の一人勝ちということだねぇ!」
「そ、そうはさせません!」
おろおろと狼狽えた様子だった少年悪魔がカロンへ近づく。
「え」
近くで見ると本当に女の子みたいに可愛い。そんな間抜けなことを考えている内に、ちゅっと唇に触れてすぐに離れる柔らかい感触。
「これで僕はカロンさんと仮契約です!」
青年悪魔に胸を張り、宣戦布告の少年悪魔。
「か、カロン君だって今の何?僕のこと責められるの?いいもん!僕は今日いっぱいカロン君にキスしてキス責めをお見舞いして……」
「むしろ俺は嬉しいだけだな」
「い、嫌がってよ、もうっ!」
何とか仕返しを企むも、喜ばせるだけだという事実にシエロは床にがくりと倒れ込む。正にorzという図。いや、oruzかもしれない。床に胸が着いてるし。
「いいですかエペンヴァさん!この二人は恋人です。引き裂くのは良くないことです!二人セットで領地に迎え入れる。彼らの死後はシエロさんを取り戻すため貴方と一戦やらかします」
「ほぅ、戦嫌いの第四領主様が兵を取るか。それはそれは楽しみだ。其方の領民を捕虜に迎え入れるのもまた美味である。その宣戦布告、確かに受け取った」
「おい、シエロ。起きたのか?朝食の仕度が……」
二人の悪魔が対峙する中、が茶と扉を開けられる。向こうから現れたのはナルキスだ。彼には見える確立を変えていなかったようで悪魔は視認出来ないらしく、カロンとシエロとアルバの三人を何度か見た後……疑問符を浮かべ見る。
「シエロは何をやって居るんだ?」
端から見れば明後日の方向を見ている俺とアルバ。何故か床に膝をついているシエロ。悪魔という存在を現実から消してしまうだけでこんなに俺達が不信人物に成り下がるなんて。何とも納得いかなかったが、これ以上は邪魔だとアルバが片手を上げて悪魔に姿を消すよう指示を出し、渋々悪魔達が見えなくなった。
「それでシエロは朝から土下座か腕立て伏せの練習か?」
「…………」
答えようがなく俯くシエロは、やっぱりこの男は苦手だと言わんばかりに目を逸らし、腹を鳴らした。
「う、うわぁ……」
恥ずかしいと顔を赤くするシエロにナルキスが柔らかく笑う。何か不快でカロンは家主である男を睨んだ。
「空腹で倒れていたのかシエロ。それなら丁度良い。朝食の仕度が出来た。着替えてから来るが良い」
笑いながら出て行くナルキス。扉が閉まったところでシエロが真っ赤な顔で枕を扉に投げつけた。
「僕、そんなに食いしん坊じゃないんだからっ!唯昨日は色々あって夕飯なかったし!それで、それだからっ……」
「シエロ、それは俺もだけどそんなことよりまた胸出てるぞ」
「ひ、ひゃあああ!こっち見ないでカロン君っ!」
大声を出してまたカロリー消費したのか、シエロの腹の虫が鳴る。恥ずかしさからもう涙まで浮かんでいるのがおかしくて、カロンは笑った。
推理のための特殊能力ゲットだぜ!
めんどくさい言い訳がないと魔法が使えない悪魔達。魔法の存在する世界に召喚されても、シャロンの事件の日からの枠組みが推理小説だから、そこからはファンタジー的殺人や、解決は出来ません。
皆が暴走してるのは、これから下り坂だからです。その前にはっちゃけている。というかもう下り坂なのから目を背けているとも言える。