14: の歌姫
そろそろ推理パートへのカウントダウン。
なのにバカップル注意報。
物語の悪魔
『悲劇は約束されています。
悲恋も保証されています。
けれど契約者。あなたの狂気を私は見守りましょう。
このまま愉しませてくれるなら、あなたの幸福だけは保証しましょう。
いまはまだ、この劇を記す羽ペン、インクはあなたの手の中に』
*
「まったく、ドリス。俺の歌姫は使える女だ。お前達とは比べものにならん」
イリオン=アクアリウスは笑う。お気に入りの歌姫より、昨晩届けられた情報は自身も知らぬ物だった。
「シエロ=フルトブラント……」
王家の呪いは薄まった。それは他の選定侯家も変わらないはず。
先祖返りなどあの外見だけだと思った。現に嘘か本当か自称伝説の王子の再来というアルセイドの家のナルキスもあの外見。伝説の王子は黒髪ではない。一度死に、魂を海へと沈められた王子の髪は青く染まっていたという。
先祖返りだというあの男の髪は海というよりは空色だ。しかし今この時代の誰よりも、血が濃く現れていると考えるのは誤りではない。
「呪いについて調べるのだ使えん者共!書庫を父様の部屋をくまなく探れ!王家には海獣の呪い以外の何かが隠されているに違いない!」
*
(な、何だよこの人の群れっ!)
(みんな君のあられもない姿が見たくて集まった群衆さ)
(あられもない声上げるのはお前なんだってのも知らずにいい気なもんだ)
(だからそういうこと言わないでよ)
夜に城に集まった人の多さにカロンは目眩を感じていた。
バレたら大変なことになる。最悪、死刑。あの歌姫二人にバレたなら、俺はシエロの傍にいられなくなるかもしれない。
歌姫ドリスは嫌いではないけれど、好きではない。それはシエロが自分に対して思っていることに近いけれど別物だ。
(俺はあの子を好きになることは絶対にない)
その確信を抱いている。シエロのように「近い将来好きになってしまう」なんて微塵も思わない。
(シエロ……)
これから演技とはいえ、俺達は恋人同士の振りをする。そう思うと緊張する。だけど胸を打つ鼓動は緊張だけでもない。こんな大勢の人の前で、この人が俺の物だと言えたならどんなに素敵なことだろう。
いや、でも今は……襟のブローチ。貰った名前。少なくとも俺はこの人の物だ。宝物に触れるように、そっと襟へと片手を伸ばす。それに触れれば緊張も、幾らか解けた。
「大丈夫だよ、シャロン」
「あ、そっか」
もう何時誰に聞かれてもおかしくない。演技は始まっている。
(今は俺がちゃんとシャロンをやらないと)
「でも、こんなに一杯の人の前で……なんだかどきどきして来ちゃった」
「緊張してる?」
「それはシエロでしょ?シャロンちゃんはこんなの平気よ。いっつも人前で歌ってたんでしょ?でも……シエロはそうじゃない。……ほら、どくどく言ってる」
胸へと手を這わせれば、シエロが目を逸らす。取り繕ったような顔しているが、本当だったらしい。掌に触れる心臓はかなりの早さ。折角格好付けてたのに台無しだよとシエロが眉根を寄せる。
仕方ないのでカロンはちょいちょいと手招き。その耳元で囁いてやる。
(俺がついてる。大丈夫だ)
「うわわわっわわっ!」
囁いた方の耳を押さえてシエロが真っ赤な顔になる。
「耳、弱いの?」
「そ、そんなことはないと思うよ。忘れちゃった?」
「まだ思い出せないわ。会場ってどっち?」
「謁見の間だからあっちだよ」
シエロに手を引かれ、待合室から長い廊下を歩く。その間もテープの向こうから観客達が黄色と野太い声援で出迎えてくれる。たしかに女も男も居る。シャロンは本当に多くの人に愛された歌姫なんだな。妹への応援は素直に有り難い。そう受け取ろうとした時だ。
「シャロンちゃんから離れろ!」
「選定侯だからって調子にのってんじゃねぇ!男は顔じゃないよねシャロンちゃああん!」
「シャロン様ぁあああ!シャロン様を汚すなんて、最低よ!」
シエロを罵るファン達の声。それはカロンにとっての逆鱗だ。
「私のシエロになんてこと言うのよ!」
「みんな君の怪我を心配しているファンだよ。不甲斐ない僕を怒って当然さ。君は僕の恋人である前に、みんなから愛されている歌姫なんだ」
「シエロ……」
地味に良い声で僕の恋人とか言われるとドキドキする。演技とは解っていてもだ。
「そうだ!引っ込め野郎!」
「男なんかお呼びじゃねぇんだよ!」
しかしシエロがそうやって甘やかすからファン達が付け上がるのだ。シャロンがどう対応していたのかわからないが、今の俺は記憶喪失という設定だ。多少のオフレコは許して欲しい。
「私の大切な人を苛めないで!」
カロンがシエロを庇うよう前へ出れば、その場は一瞬にしてしんと静まりかえる。
「みんな酷いよ!どうしてシエロにそんな酷いこと言うの?私心細くて、何も解らなくて、この人が傍にいてくれたからここまで来られたのに!シエロが私の忘れたこと思い出させてくれて、みんなのことも少しずつ思い出してきたのにっ!また歌いたいって思えたのにっ!みんなはいつも私の大切な人にそんな酷い言葉ばかり言ってたの!?シャロン、悲しいよ!こんなことなら歌姫なんか嫌ぁっ!みんながシエロ苛めるなら……」
「駄目だよシャロン。人魚になるのが君の夢だったじゃないか。僕なんかのために夢を捨てては駄目だよ」
「シエロ……」
何を言われても怒らず、微笑を湛えるシエロにファンの一部がぐらついた。
「そ、そうよ。ちょっと言い過ぎよ!っていうかイケメンじゃね?シエロ様」
「お金持ちで美形で性格まで良いなんて……そこら辺の男じゃ太刀打ち出来ないわよ」
「ああ、彼ならシャロンちゃんを任せられる」
「つぅか元々今日の、あの二人のバカップルぶり見に来る話だったんじゃね?それをわざわざ叩きに来るなんて暇人過ぎるっていうか」
その場の流れが不穏になった。それを見て、困った顔のシエロが観客達のテープにすぅと近寄った。
「そんなことを言わないでください。どんな形であれ僕のシャロンを大切に想って下さる方は、僕にとっても大切なお客様。今宵はお恥ずかしい限りですが、どうぞごゆっくりして行って下さいませ。シャロンを応援して下さる方を、僕はこの世でシャロンの次に愛しております」
おい、馬鹿シエロ。何てことを言うんだ。そんな良い声で可愛い笑顔でそんなこと言うな。見ろ、黄色と野太い声援が上ったじゃないか。これお前シャロンのファン掠め取ったりしてないか?大丈夫なのか?シエロ否定してた男共も今の笑顔にぐらついて新たな扉開きかけて理性との格闘してるぞ。
「きぃやあああああ!シャロン様の次に愛してるだなんてそんな私ぃ!私にはシャロン様がぁ!」
「ばっか!今のは私に言ったのよ!」
「あ、あいつ本当に男か?か、可愛い……」
「し、シャロンちゃんよりタイプだ」
「それはない!ない……ないが、抜けるレベルだ」
「だから言ったろ?あれはついててもついてなくてもおにゃのことして脳内変換して萌えるべきって。おまえら修行足りてないんじゃね?」
「いや、むしろ男だからいい!男の子でありがとうシエロ様っ!」
おい、シエロ。なんつーことしてくれたんだ。視線で訴えるもシエロは苦笑。
「毎回こんなことしたら仕事の邪魔だからって僕は下層街に付いていけなくなったんだ」
ここ数日のシャロンの情報を聞く限り、こういう時は何というのだろう?
「だ、駄目だめ!シエロをいやらしい目で見て良いのはシャロンちゃんだけなんだからっ!」
シエロの腕に抱き付いて独占欲をアピールすれば、観客は再びシャロンに夢中。
「おませなシャロン様可愛いぃいいい!」
「嫉妬するシャロンちゃん最高だ!」
「脳内変換トレース俺!シャロンちゃんが俺の腕に抱き付いている。押し当てられるこぶりな胸が……はぁはぁ」
若干危ない奴もいたが、俺の行動はそんなに間違った対応ではなかったらしい。
シエロはほっと息を吐く俺の肩を抱き、廊下を抜ける。
「さ、ファンサービスはこの辺までにしておこうか」
どうやら一般のファンが入れるのはあの通路までだったらしい。
「あくまで今日のは試験であって仕事じゃない。仕事としてはオフだ。会場に入ることが許されるのは基本的に上層街レベルの貴族だけ」
「それじゃあ……」
「でも、そういう人達の連れとして来る連中を止める権利はない」
そう言う形でマイナスとドリスは潜り込むはずだとシエロは言う。上層街貴族というと余裕でエコーやナルキスは足を伸ばせる。ドリスは殿下との繋がりもある。マイナスはシャロンの身内だと言えば無理矢理でも強行突破出来るだろう。そう思うと再びからだが強張る。
「そう言えばさっきアルバと何を話してたの?」
「…………それは、秘密」
「えー!気になるなぁ」
俺は黒衣の男から一つ秘策を授けられた。それを使わずに済めばいいとは思う。思うが万が一正体バレが危なくなったらそれに踏み切る。
(あいつらが曝きたいのはシエロが女、或いは俺が男という証拠)
つまりどちらか一つが否定できれば、有耶無耶にして逃げ切ることが出来る。この策はシエロを傷付けることになるから出来れば使いたくはない。そこまで追い詰められないことを願うばかりだ。
「……着いた。この先が謁見の間だ」
「ここが……」
長い廊下を越え庭園を抜け現れた大きな扉。その前には以前下町まで降りてきた騎士達のそれと似た、いやもっと厳つく立派な鎧を纏った騎士達が居る。
「歌姫シャロン、それからフルトブラント様でいらっしゃいますね?」
「ええ。今宵は再発行の手続きに参りました」
「此方へどうぞ」
重苦しい音をたて、鉄の扉が開く。
(うわっ!)
その先には薄暗い桃色の証明。窓を全て閉め切った垂れ幕。謁見の間の床の一部が盛り下がり、ちょっとしたコロシアムのよう。その凹んだ部分には天蓋部分の取り外されたようなキングサイズのベッドがある。壁の四方には待ちかまえるような観客達。ご丁寧に寝転がるための椅子まで並べられている。ドリンクのサービスもあるのかあっちこっちでオーダーが上がる。
妙なことと言えば観客達は皆一様に仮面を付けていることか。しかもその仮面は全てが同じようなデザイン。いや、仮面だけじゃない。正装と言えば聞こえは良いが、観客達のスーツとドレス……そのデザインも色も似通っている。これでは何処に誰が潜んでいるかもわかったものじゃない。どこにエコーがドリスがマイナスが。一瞬の油断も禁物だと、カロンは息を呑む。
「これはこれは、よくぞ参った」
「陛下、この度は…………え、イリオン殿下!?」
「俺では不服かフルトブラント?」
「いえ……」
玉座の前で待ちかまえる男の姿にシエロは驚愕。カロンもそこにいる男を目に留める。見ればまだ若い男。シエロよりは幾つか年上か。外見色は恐らく金髪碧眼。シエロやナルキスと比較するならぱっと見は確かに王子様っぽくはある。顔は決して悪くはないのだが、性格の悪さが顔まで滲み出ているような、生意気で調子に乗った勘違い男の顔をしている。この手に櫂を握っていたら問答無用で一発ぶん殴りたくなる類の顔だ。あんなのに気に入られているなんて、ドリスも可哀想に。
「父上は今宵はお加減が優れないとのことでな。進行はこのイリオン様が代役だ。感謝するが良いフルトブラント」
そして恩着せがましい。本当にカロンが嫌いなタイプの貴族そのもの。
「さて、役者も揃ったところで始めよう……そう言いたいところなのだがお前達は再発行だったな。高貴な家の皆様方も、一度この者達の睦言はご覧になったとのことだ。同じものを二度見る程つまらんこともないはず」
殿下が妙なことを言い出した。そしてその不穏な言葉に観客達がざわめき立つ。
「シエロ=フルトブラント、その娘を愛しているか」
「はい、この空よりも高く」
「歌姫シャロン、その男を愛しているか」
「ええ、あの海よりも深く」
「よかろう、ならば問題はない。趣向を変えることにしよう。幸いここには歌姫シャロンのファンだけ集まったわけでもない」
殿下の薄ら笑いにガラガラと運び込まれる積み荷達。会場の装飾を少しずつ変えていく。
「実はだなシエロ。貴様はその女顔だろう?前回の試験も何、肝心の部分は隠れて見えなかったわけだ。お前が本当に男なのか疑う声が出ていたんだよ」
「!?」
突然の言いがかり。それでも会場の客の半数以上が、これは面白い趣向だとそれに同意する傾向。
「もしそれが真実なら、お前は法を犯していることになるなぁシエロ?お前とシャロンの恋人契約も恋人証明も、お前が男という前提で成り立つシステムだ。お前のシャロンへの資金援助が本当に法を犯していないのか、今日ここで後腐れ無く証明して行くといい」
「し、シエロに何を!?」
躙り寄る兵士達からシエロを庇うよう進み出るが、殿下は歪んだ笑みを浮かべるだけ。
「唯の性交など見てもつまらん。もう少し観客へのスパイスが要るだろう?何貴様らが恋人になってもう一年。普通の趣向は貴様らも飽きてきた頃だろう?そんな蛆虫共に俺からの贈り物だ!心して受け取れ!」
積み荷の荷物を蹴って床へとぶちまける殿下。そこから出てきたのは、観客達と同じ服と仮面。
「手始めにフルトブラント。貴様がここで着替えるか、愛する女にこの観衆の前で生着替えをさせるか選ぶのだな」
シエロか俺の正体を暴く。そのための策か。残念ながら俺は男だ。ご丁寧に男の服も女の服も一式セット。下着まで替えさせる気だ。こんなの着替えなんかさせられたら俺が男だとバレてしまう。
「そ、そんなこと……シエロは選定侯です!そんな人前で辱めを」
「ならば歌姫貴様が脱げ。第一これは試験だ。貴様の胸が小さかろうが、シエロの3本目の足が短ろうが細かろうが、この部屋で起こったことは外へは持ち出してはならぬ。その上で観覧するのがこの試験である。故に他言無用だ、多少の辱めも何、問題なかろう。今宵の皆様方は紳士淑女でいらっしゃる!そんな礼節に欠けた方が居るはずもなかろう!」
紳士に淑女?ふざけるな!その前に変態って言葉を修飾し忘れてるんじゃないか?
この会場の変態貴族共!普通に女が何かされるのに飽きて来たんだ。それでシエロみたいなのがまた来たりするから、今度はシエロが何かされるのが見たくなった。そういうことなんだろう?
「……解りました。私が……僕が脱ぎます。僕のシャロンの素肌を人前でさらすくらいなら、僕がやります」
「シエロ……」
「はっはっは!流石は色男のフルトブラント!前回の試験でも歌姫を脱がせなかったお前ならそうしてくれると思ったぞ!はっはっはっは……は!?」
服に手を掛けたシエロを見て、高笑いをしていた殿下の言葉が止まる。
「皆さん僕のシャロンの艶姿をご期待していたところ、男の僕が脱ぐだなんてお目汚しも失礼かと思いますが、……本日はゆっくりお楽しみ下さい。精一杯頑張らせていただきます」
シエロの美声が甘く発した言葉。色っぽい流し目で会場を見回す。歓声さえ消える静寂の中、あっちこっちから生唾を飲み息を殺し凝視する仮面の貴族達。
(し、シエロ……容赦ねぇっ!)
そんなもの間近で見た俺や殿下は魂を抜かれてしまったようにそれに見惚れるばかり。
まずは下から脱ぎ始め、下着まで捨てる。流石に今日ばかりはあの変態執事も男物を用意してくれたようだ。そしていつしか上着も捨て、裾の長いブラウス一枚。その長さが際どいラインをうまく隠している。それに観客の興奮もいよいよ高まる。
「む、胸は無いぞ。やはり男か?」
「いや、まだわからん。あの顔だ」
「いや、むしろそのまま!男であってくれ!あの顔で男だからいいのだ!」
上からゆっくりと適度に焦らしながら、ボタン一つ一つを外す白い指の動きが艶めかしい。人々の視線に恥じらい頬を染めた顔が愛らしい。
「シエロ……」
「大丈夫だよシャロン。僕は男だ。この位……何ともない」
「…………」
「し、シャロン?」
背後からそっとカロンが抱き付くとシエロは驚いたようだ。シエロの背中側にはマイナスにいたぶられた傷があるはず。それが誰かの目に留まってはいけないだろう。
「何をする歌姫!」
「あら?裸の王様だってマントくらいは羽織っていらっしゃらないかしら?それに殿下、全裸より何か一つでも残してが方が色香がありますわ」
そう訴えるが、一部の客と殿下は不満そうだ。
「離れろ歌姫。着替えの邪魔だ!また全世界の尻フェチの方に謝罪しろ。今の貴様の行動は許されざる蛮行だ」
てめーが尻フェチかよとカロンは内心苦く突っ込んだ。ていうかライバルでそれなりに憎く思ってるはずの男の尻を凝視するとかどういうことだこの変態。いやでも確かに男のままでもいい尻してやがる。
「シャロン、ありがとう。でも僕は大丈夫だよ」
「でも」
「……それでも裸の僕が可哀想だと思ってくれるなら、どうか首筋でも噛んで君のキスで飾らせてくれ」
「え!?」
シエロの奴、アドリブでバカップルっぽいこと言って来た。そ、その位ならセーフ基準なのか?シエロの中では。
「……解ったわ」
ここで拒むのはシャロンらしくない。そう頷いて、カロンはシエロの首に腕を回した。白いその首筋を吸い上げて……これが呪いのように消えなければいいのにと思いながら口付けの跡を残す。
「ありがとう。これで僕は君で着飾っている。……もう恥ずかしいこともない」
そう言ってシエロはボタンを全て外して、ブラウスをも床へと放る。
「ご覧の通りシエロ=フルトブラントは男ですが、皆様方……まだ私とシャロンの恋人関係に問題があるとお疑いで?」
会場を見回すシエロに、観客は大騒ぎ。箱入り選定侯の裸なんてある意味歌姫のヌードより稀少かも。街中ですぐ脱ぐナルキスとは違って……つまりはレアだ。連れて来たお抱えの画家に早くデッサンをしろと命じる変態まで居る。
「ちょっと殿下!あんなこと許すんですか!?ここで見た物持ち出し厳禁ではありませんの!?」
カロンはそのマナー違反に腹を立てて、場を仕切る男を睨む。
俺の……いや、シャロンのシエロの裸を絵にして持ち帰るなんて許せない。それで色々思い出してあんなこととかするつもりなんだろう。
強く迫られるのに慣れていないのか殿下は狼狽える。頼りにならない。もうこの手でその貴族をぶん殴ろうか。カロンが思った時だった。
「美は目で記憶に留めるべし。紙になど映したところで完全には記録できないのだから」
手にした酒で紙を台無しにして笑う黒髪の男。
「裸もなかなか美しいじゃないかシエロ。俺ほどではないが」
「…………」
「ふっ、礼も言えないほど感極まったか。俺が幾ら格好良いからと言って無闇に惚れるなよシエロ。如何に親友のお前が相手とは言え、俺がお前の想いに応えてやれるか解らない」
目を逸らすシエロ。親しげに話しかけないで欲しいとその顔に書いてある。ナルキスは一応助けてくれたらしいのに、余程苦手なのか。
(おい、シエロ。なんか親友って事になってるらしいぞあっちの設定では)
カロンが小声で囁くと、シエロは一言死にたいと答えてくれた。
「まぁ、どうしても美男の裸を描きたいというのならあれの親友であるこのナルキス様が一肌脱いでやろう!さぁさぁ!遠慮は要らん!この美しい裸体を存分に愛で崇め描き記すが良い!」
「兵共、この露出狂を摘み出せ」
高速で衣服を脱ぎ捨てたナルキスから目を逸らし、殿下が冷たく一言。兵士達に腕を引かれて男は退場。それに伴い悲しげな伴奏が流れた。またお抱えの楽団連れて来ていたのか。
「ごほん、ええーああー……とんだ闖入者があったが今後このような事はないよう試験運営を務めたいと思う。真に失礼した」
場の空気のいたたまれなさに、流石の殿下も謝罪する。殿下もナルキスのことはシエロとは別次元で苦手というか嫌いらしい。
「私は構いませんが、あれで皆様が気分を害されたのでしたら私も謝りましょう。彼も私と同じ選定侯。ある意味で身内であるのは確かです」
友人とは絶対に言わず、それでもシエロも申し訳なさそうな顔。そんなシエロの憂い顔に会場の空気は再び色めき立つ。ナルキスだって黙っていればかなりの美形に分類されるのに、美を愛する変態貴族達をあそこまでドン引きさせるとは……人間顔じゃないんだな、中身あっての顔なんだなと、カロンはぼんやり考えた。
「それで殿下?私はどちらを着れば宜しいので?なんなら会場の皆様がお決めになっても構いませんよ」
謝罪の意味を込めてなんなら女装でも如何?そんな含み言葉に歓声、女装コールが上がる。ここの人ら、欲望に忠実すぎる。
「……着ましたけど、これでいいですか?」
シエロは羞恥を隠して平静を装う声を出す。その微妙に平静になれていない感が逆に初初しい感じで悪くない。
「し、シエロ……」
それでもこんな人前でお前なんて事をしてるんだ!そう怒鳴りたくなる気持ちを抑えてカロンはシャロンを演じる。
「シエロ可愛いっ!!流石私のアモーレっ!愛してるっ!」
すかさず抱き付き頬に首に唇に、あっちこっちに口付けてバカップルを演じ、いちゃつけば……殿下がごほんと咳払い。
「あー、静粛に!これはまだ前座なのだから皆様!歌姫シャロンもあまりはしゃがないように」
「女の子の格好してシエロ、どきどきしてるの?シエロ、女の子みたい」
「し、シャロンん……」
「あのねぇ、女の子はこことかここが弱いんだよ?シエロはどうかなぁ?」
「ひゃっ!し、しゃろんん……っん」
「へぇ、格好一つで弱くなっちゃうんだ?そんな可愛い顔するから女だなんて疑いかけられるのよもうっ!罰としてシャロンちゃんによるシャロンちゃんのためのセクハラの刑っ!」
「だ、駄目だってばシャロンっ!そ、そんなところ触っちゃ駄目……っ!だめだよ!本当、そこは僕っ」
「俺の話を聞けそこのバカップルっ!」
「あー!殿下今バカップルって言った!認めた!絶対言った!みんなも聞いたよね?それじゃもう再発行認めてくれるんだよね?」
「い、今のはそういう意味ではない!」
咳き込む殿下は部下に命じてシエロに近づき仮面を装着させる。何事かと戸惑うカロンをも兵士達は捕まえて、布で目隠しをする。
「な、何するの!?」
「暴れるな。すぐに外してやる」
その言葉通り、1分後には目隠しは外された。
「さて、これより本番だ。歌姫シャロン……貴様があの男を愛しているというのなら、この会場からあの男を捜し出せ」
「な……」
カロンが連れてこられたのは玉座のある壇上。階下には大勢の人が溢れている。
辺りを見回せば、同じドレスを着た人間が大勢。薄暗い証明では髪の色もよくはわからない。そしてどいつもこいつもあの仮面。
「着替えたのが貴様なら、探すのはあの男の役目だったのだが……こうなった以上今度は貴様があれへの愛を見せる番。存分に証明して見せるがいい」
「証明って言われても……」
「何、貴様らしか知らん秘密。それを何題かクイズを出しふるいに掛けるも良い。片っ端から口付けをして本物を見つけても良い。どんな手を使っても構わん。見事本物を見つけ出せば、貴様からあれへの愛というのを認めてやろう。ただし皆様方には暫く何も言葉を紡がないでいただこう。特にシエロ!貴様が喋った場合には今回の試験、貴様らは失格だ!」
「くっ……」
此方が質問しても答えを答えて貰えない。○か×かで場所を移動させるとかなら出来そうだが、この人数……ふるいにかけるには時間と労力が掛かる。そこでミスが生じる可能性だって。
「しかし歌姫シャロン、貴様は病み上がりで記憶喪失だったな。どこまであれを覚えているかも怪しい。……しかしそんな中で本物を見つけてこそ、その愛は嘘偽りない物だという証明にならぬか?」
前座の流れに多少目移りはしたが、有名な歌姫シャロンにキス、或いはそれ以上のサービスをして貰えるかも知れない。そんなこの試験に、観客達は再び浮き足立つ。少なくとも今喜んだ奴はシエロではない。しかし歓声の大きさに、それを渋っただろうシエロの声も掻き消され、何の手がかりも残らない。
(…………とりあえずスーツの人の中にシエロがいることはありえない)
床にはシエロが選ばなかったスーツがまだ捨て置かれている。
「……それじゃあドレスの方々、ちょっと前へと出てきてください」
カロンはまずドレスの人間を選別。女になるとシエロは背が縮む。だから周りの女達と背丈はそんなに変わらない。それで見抜くのは不可能だ。色つきの照明の所為で、シエロの髪色もわからない。ウィッグを被っている観客まで居る。
(あの一分でシエロの髪型変えられたり、ウィッグを被せられなかったとも言えないんだよな)
顔も仮面で隠されて、外見でシエロを見つけ出すのは不可能だ。
「殿下、私が話す分には良いのよね?」
「ああ、構わん」
「それじゃあ、行くわよシエロ」
カロンはすぅと息を吸う。
「ねぇ、シエロ……覚えてる?そう、お風呂場でのこと。こんなところでと嫌がる貴方の顔は……とっても可愛かったわ」
シャロンの声を真似て、昨日の情事を甘くうっとり語ってやれば……その場に座り込んだドレスの女が一人。
「見つけた!」
あんな恥ずかしいこと言えば本人は耐えきれずその場に蹲る。シエロは恥ずかしがり屋だ。間違いない。そう思って近づくも……何だか、嫌な予感がする。
「シャロン……あいかわらず良い声……がくっ」
「その声、エーコ!?」
何でかエコーがその場に倒れ込む。目を白黒させるカロンの耳に触れる歌姫の吐息は熱を帯びている。どうやら興奮しているらしい。
「まったく、あの程度の言葉に腰を抜かすとは。我が妹ながら情けない」
「な、ナルキス!……さん」
歌姫シャロンなどより、この俺の方が美声だろうにとその声は疑問を上げる。
「あと我が妹よ。その仮面はあまりお前には似合っていない。お前も醜くは無いのだからもう少し外見に気を使え。仮面はこんな大勢と同じ物ではなく、オリジナリティー溢れる唯一無二の飾りのある優雅で優美で華やかな物がいいだろう。俺の持参した仮面を貸してやる」
「や、止めて下さい兄様!これ前見えないっ!シャロンが見えない!それに重くて外れない!」
ナルキスはカロンに抱き付くエコーの視界を塞いで引き剥がし、さっさと抱きかかえる。無論当然の如く全裸。床に落ちているシエロが着なかった服を拾い、ふぅと息を吐いた。
「シエロならここにいないぞ。先程廊下に連れ出され、俺が脱いだ服を着せられまた戻されていた」
「え!?」
ドレス姿の人間の中にシエロがいると考えた。その時点で既に外れだったのだと教えられ、カロンは辺りを見回した。その中に、仮面を外して申し訳なさそうな顔をしたシエロが居る。
「不正解だ、歌姫シャロン。よって今宵の試験は失格っ……」
死刑宣告を語るような残酷な響きを宿し、殿下が下卑た笑みを浮かべる。それに必死に食い付くシエロ。
「待ってください殿下。シャロンはまだ病み上がりです。彼女のミスは恋人である私が取り戻します。それが恋人として当然のことです!」
シエロの言葉を予見していたように殿下はにやりと笑う。
「……よかろう、ならばチャンスをやる。だがシエロ、そこまで言うのだ。貴様がそれを外した時にはそれ相応の覚悟があるのだろうな?再試験はこんな生温いことはせんぞ?」
相手の欲しい物は解っている。だからどう言えば殿下が呑むかを察しシエロは宣言。
「存じております。その時は……僕は次期王位継承権を放棄しましょう。フルトブラントの家は今代の人魚の伴侶は出せない。それでどうです?」
その言葉を待っていた。殿下が怪しく口元を笑んだのを見、カロンはこれだけは止めさせなければと強く感じて声を張り上げる。
「いいえ!外したのは私です殿下!その時は私が歌姫を止め、人魚の座を諦め……この人の恋人に、妻になることも諦めます」
「歌姫シャロンが、引退!?」
カロンの言葉に観客達はざわめく。
「シャロン、私との約束破るつもり!?」
「だがな妹、そうなればあの歌姫がシエロと添い遂げることは出来なくなるが?」
「あ……」
エコーがナルキスの言葉に惑う。シャロンとまた一緒に歌おうと交わした約束。けれどその約束を捨てれば、忌々しいシエロというシャロンの恋人がいなくなる。友情と目先の欲というかどっちもある意味下心でしかない歌姫エコー。大いに悩み始める。
それは多分他の歌姫達にとっても好都合。シャロンが消えればフルトブラントという後ろ盾を得ることが出来る新たな歌姫が生まれる。貴族達もより自分に有利な方向へと考え始める者がいる。シエロが新たな歌姫を持ち上げるまで空いた時間で他の歌姫を人魚にすることが出来るかも知れない。或いは自分の身内をフルトブラント家に送り込む大チャンス。これに反対する者は歌姫シャロンの支援者くらい。
しかし下心無くシャロンの願いに共感するような支援者ならば、今日こんな所に来ていない。来ている上流階級のファンは、どうせろくでもない奴ら。シエロの守りが無くなったシャロンを拾って煮るなり焼くなり企むのだろう。だから今日この場で……カロンの言葉に反対の意を唱えたのはシエロだけだった。
「シャロン……それは駄目だ」
「いいのよシエロ。その時は貴方は他の方と王を目指して……私の願いをどうか叶えて」
「……僕が愛しているのは」
他の誰かじゃなくて、君なんだ。君の代わりなんて居ない。そう言いかけたシエロの瞳が揺れる。それはシャロンへの言葉。それでも俺を相手に言う言葉。それを言ってしまったらカロンという人間を拒絶する。気付いてしまったシエロは、俺をじっと見つめて、そこで言葉を改めて……
「僕は君が好きだ。君を信頼している。僕は君以外とは組めない」
「シエロ……」
「僕の歌姫は、君だ。君だけだ」
共に復讐をと誓った。そのパートナーにはカロンの代わりは居ない。そしてそれだけではないとシエロは続ける。
「君だって記憶を無くしてまだ解らないことも多いだろうに、一緒にまた試験を受けようと言って貰えて僕は……本当に嬉しかったんだ」
「……シエロ」
多少の嘘を織り交ぜながら、それでもカロンへの言葉をシエロは紡ぐ。シャロンとの思い出の形を、二人の関係性の証を取り戻そう。そう告げられた時は嬉しかったのだと。
今となってはそんなもの取り戻さなければ、活動資金のためと嘯いて無理矢理シエロに肉体関係を迫れるかもしれない。そんな風にも思うけど、あの時……シエロは本当に嬉しそうに笑ったんだ。
涙を飲み込んでいたシエロがあの時から、俺の前でちゃんと涙を見せるようになった。それはこの人にとって危険なことだけど、俺の前ではその危険を冒してくれる。無意識かも知れない。だけど俺がその時この人を守ってやれるとこの人が……心を預けてくれている証拠なんじゃないか?
そうだ。そう思えばこそ。俺はこの人の笑顔が見たい。涙が見たい。そんな嘯く繋がりではなく、何時かちゃんとシャロンからこの人を奪いたい。
そのためにはシャロンがちゃんとシエロの恋人で居てくれなくては困る。俺はこの人の愛人ではなく恋人になりたいのだ。
「君がそれを言ってくれた時はまだ、君はそういう気持ちじゃなかったかもしれない。それでも僕はそんな君の優しさが……」
「違うっ!」
「シャロン?」
「その時にはもう、思い出していたわ!一目見て、貴方が好きになりました……私は、あの日のように」
それはシャロンがシエロに恋をした日のように。そのつもりで言ったのに、何故かもっと昔の物語を語っているような錯覚。その既視感に、シエロの瞳も揺れ動く。俺の言葉が波になり、彼の心に押し寄せていくのが見て取れる。
「貴方の傍に他の人がなんて、私も嫌。でも私は貴方なら私を間違えないと信じてる!だから全てを賭けられる!」
「シャロン……」
「貴方が好きです、シエロ。私を遠ざけないで。私の居場所は、貴方なの」
両手を伸ばしてその首に腕を回して、シエロは逃げない。そっと目を閉じ待っていてくれる。拒まない。受け入れようとしてくれている。
それが嬉しくて、深く口付ける。ヒールのある靴は彼との距離を縮めてくれる。
呼吸の合間に目を開ける彼は、此方が目を閉じていないことを知るや否や顔を真っ赤に染める。恥ずかしいからそんな風に見ないでと言いたげな視線に、カロンは意地悪く笑いかけてやった。一番傍で恥ずかしい様見ててやるって言ったじゃないかと。
「くっ……」
ここまで他人の見事ないちゃつきっぷりを見せられるとは、もはや拷問だと言わんばかりの殿下の苦しげなうめき声。いっそ認定証出してこの場を退散したい。いやでも駄目だ。そんな葛藤がそこにある。
「さぁ、殿下。私は何をすれば良いのですか?どんな難問難題も、僕は僕と彼女のために解きましょう」
次回が暗号回。