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12:Charon=Huldbrandという歌姫

裏切りの王子

  『君は僕を助けてくれた。君がいなければ僕はずっと死んでいた。

   死んでいるままだった。

   だから僕は君に感謝している。


   君が海に帰れないというのなら、僕が君の家に居場所になろう。

   帰る場所がないのなら、そうずっとここにいて良いんだよ。』


 * 


 「カロン君はいいよね」


 自宅に戻って自分の服に着替えることが出来たカロンを羨まし気にシエロは見る。

 昨日海に落ちた時は自分は女の格好。半乾きの服は当然女物。オボロスの服を借りようにもサイズが異なりこれでは出歩けるような代物ではない。よってシエロは再び塩水で女になるしかない。


 「シャロンの1年前の服じゃ入らないだろお前には。ウエストは大丈夫でも胸と尻がアウト。裾の広がるスカートなら入るけど嫌がったのはお前だろ」

 「あ、あんな短い丈のスカート恥ずかしいよ」

 「お前の足が長いのが悪い」


 そう結論づけられては、返す言葉もなくなって……シエロは舟の中膝を抱えて俯いた。服からはまだ僅かに磯の香りがする。


 「あら、カロン君!最近見かけないから心配してたのよ」

 「いや、俺もちょっと違うバイト初めまして」

 「あら、そうだったの。下町の船頭さんが少なくなると不便になるわねー、でも下町で仕事してても食べていけないって、みんな外へ出て行っちゃうものね。仕方ないわ」


 小舟で街を進む、道ですれ違うお喋り好きの女達。べらべらと喋り出す中年女性とカロンは愛想良く相手をする。


(カロン君だってかなりの女好きだよね、アルバとそんなに違わないじゃないか)


 こんな愛想の良いカロンを見ていると、昨日の言葉もどこまで本当なのだか解らない。少しカロンが浮かれているのもシエロと一緒だからではなくて、女のシエロと一緒だからなんじゃないかと疑ってしまう。


 「こら、あんた。あんまりカロン君独り占めしてるとそっちのお嬢ちゃんに失礼だよ」

 「あらあら、お客さん乗ってたの?お邪魔しちゃってごめんなさいね。ってあらあら!随分と綺麗な子じゃないの!カロン君も隅に置けないわねぇ!雇われ先のお嬢さんかい?」

 「あんら、そうなの?あたしゃてっきりカロンちゃんの彼女かと思ったよ」

 「ち、違います!僕は別にそんなんじゃ……」


 今度はシエロが中年女性達に絡まれる。娯楽と話題に飢えているのか根掘り葉掘り聞きたがるその女達にシエロはどうしたらいいのかわからない。空の淑女達とこの熟女達は大分テンションが違う。


 「ええと、あの……」

 「その辺で勘弁してくださいよ。こいつ、照れ屋なんです」

 「カロン君……」


 ずいと前に進み出て自分より小さな背中に守られる。何だかとても自分が自分で情けない。

 しかしそんなカロンの行動に、女性達も空気を読んでくれたようでくすくす笑いながらその場を後にする。


 「ほら、シエロ」

 「な、何?」


 手渡された赤い果物に首を傾げれば、カロンがにやと笑う。


 「おばちゃん達から、デートの邪魔したお詫びだって」

 「で、でででででーとなんかじゃないよ!」


 真っ赤になって俯くも、カロンはまだにやついてこちらを見ている。周りからはそんなふうに見られていたのかと思うとシエロはまた舟から飛び下りたい気持ちで一杯になる。


 「別にそう見えるならそれで良いだろ。今日の試験も上手く行くって自信持てるし俺も」

 「カロン君……」


 最初は僕とシャロンの思い出を取り戻したいって言ってくれていた。そのために証明書を取り戻そうって。そう言われた時は本当に嬉しかった。


(でも……)


 カロンを真似て、シエロも渡された果物をそのまま齧り付く。酸味が口いっぱいに広がった。


(カロン君が本当に僕なんかを好きだって言うんなら……)


 一緒に試験を受けるのは、とても苦しいことなんじゃないだろうか?彼にとって僕が縋るシャロンとの思い出なんて、無くなってしまえばいい部類のものであるはずだ。そう思うとシエロは、目の前の少年の考えがよくわからなくなる。


(……カロン君はきっと、役者なんだ)


 彼は歌姫としてよりも、役者としての才能があったんだろう。シャロンになりきろうとして、なりきった結果……僕なんかを好きになったような錯覚に陥っているだけ。多分それだけなんだ。それで自分の心を見失っている。僕なんかを好きだなんて思い込んでしまっている。そこに僕が甘えたり付け入るようなことがあってはならない。

 まだ数日しか一緒に過ごしていないけれど、その間にもいろいろあったけれど……僕は彼を心憎くは思っていないし、基本的には良い子なんだとも思う。彼の優しさに何度助けられたかも解らない。

 時々シャロンの話に出てきた彼女のお兄さん。こんな風にじゃなくていつか会ってみたいとは思っていた。でもそれは多分僕が人魚になったシャロンとの結婚を願い出る時だったのかな。そうしたら僕はカロン君にそこで一発くらいは殴られていたんだろう。そう、そういう出会いでも良かったはずだ。シャロンさえここにいてくれれば僕がこうして揺れることもなく、カロン君だって自分の心を見失わずにいられたはずだ。


(別に人魚の子孫は僕だけじゃない)


 他の選定侯家には女の子もいる。エコーだってそうだ。シャロンと瓜二つのお兄さんともなれば、彼女だって揺らぐはず。愛しのシャロンと義理の姉妹になれるならそれはそれで彼女にとっては鼻血物だろう。

 先祖の罪の償いと、人魚を幸せにすること。彼を幸せにするのは僕でなくても構わなかったはずだ。それなのにカロン君は僕なんかが良いと言う。それは本当に早計だよと否定しようと思うのに、水面に揺れるこの舟みたいに僕の心は揺れる。

 彼にあそこまで言われて、強く拒絶できない。シャロンへの裏切りだ。裏切りになってはならない。それを理解していながら、歌姫ドリスとのことに傷ついたり、彼に色々されるのが嫌じゃなかったり……。彼の言葉に、行動に……死んだはずの心が脈打つようで、裏切りの時を刻む。


 「シエロ」

 「あ、な、ななな何?」

 「折角街案内してんのに返事が無いっていうのはどうなんだ?俺だって凹むんだけど」

 「あ、ごごごごごごごめん!」

 「それはそうと、着いたぜゲート。ここがお前の家が管理してるゲートだよな?」


 舟を停泊させ、カロンが空へと続くその階段を指差した。


 「にしても長いな……お前こんな所俺を抱えて上ったのか?」

 「ううん、違うよ」

 「んじゃまた海月階段か?」

 「それも違うよ」


 そういえばまだ話して居なかった。シエロはそれを思い出す。


 「お帰りなさいませフルトブラント様!アルバ様から連絡は受けております」

 「ああ、ありがとう。お疲れ様」


 僕が階段ではなく、螺旋階段支える太い柱に近づくと……カロン君が疑問符を浮かべた。


 「螺旋階段上るんじゃないのか?」

 「ううん、僕の体力でこんなところあんな短時間で上れる訳が無いじゃないか。大体今から階段使って夜まで戻れるかも怪しいよ」


 柱に掛かる扉を開けて彼を中へと誘えば、背後から歓声が上がる。柱の中は小さな部屋。部屋の足下にはプールがあって、そのプールから伸びる一本の筒。それは海底から空へと伸びる水の道。水が上へ上へと上っていく大自然の昇降機のような物。


 「ゲートはそれぞれ海水の吹き上げポイントに作ってある。だから下から上は上ろうと思えば一気に上れるんだよ」

 「へぇ、便利だな」

 「唯問題はここの海水は地中から吹き出すものが多く含まれていて、塩分も豊富。僕は息を止めないで済むのは助かるんだけど……カロン君はそうもいかないよね」


 あの時は気を失っていてくれたから何とかなったけど、今回はそうも行かない。この道の通過を認められているのが選定侯家の中でも呪われた物だけというのには理由がある。


 「カロン君、もし息続かなくなったらその時は仕方ない。不可抗力だから僕から空気奪って良いよ。塩分の過剰摂取は人間にはよくないからね」

 「え?それならお前だって」

 「生憎僕は幾らか人じゃない」


 プールの水は凄くしょっぱい。けれどこの水が僕の呪いを更に深める。


 「先祖返りって言うのは人魚の血も強いってこと。塩分の急激な過剰摂取はその塩分をどうにかしないとって人魚の血が僕の身体に働きかける。結果この様さ」


 あまり人に見せたい物じゃない。両耳の横上には大きな鰭が出来るし足は鱗と尾びれに変わってしまう。昨日も最悪、海水をがぼがぼ飲もうかなとは思ったけれど、ここまでの塩分は無かったから変身するまでかなりの量を体内に取り入れなければならないし、時間が掛かる。第一人魚の姿になったからって相手が僕を食べなくなるわけじゃない。


 「カロン君?」


 見れば彼は両手で鼻を押さえている。気味悪どころかツボにはまってしまったらしい。


 「ちょっと止めてよ!鼻血にだって鮫は寄ってくるんだからっ!ゲートの底を破られたら危険なんだよ?唯でさえ呪いがあるから高速で移動しないと危ないのに」


 鼻血止まるまでプールに入るなと教えるも、何故か僕が逆ギレされた。


 「お前が馬鹿だ!人魚の格好になったのに服を着てるなんて邪道だ!絵画とかの人魚を見てみろ!胸を隠すのは髪の毛以外俺は許さない!」

 「カロン君……」


 そんな力説されたら余計に君は女の僕が好きなだけなんじゃないかって思えてくるよ。

 シエロが溜息を吐く間も、カロンは何やら力説していた。もう面倒だし確かに服を着ていない方が早く泳げる。どっちにしろ鼻血を出されるなら早く泳げた方が良い。


 「もう何でもいいや。カロン君、早く行こう。僕に掴まって」


 先程までの勢いは何処へ行ってしまったのか。おずおずと抱き付いてきた少年にシエロは苦笑し、水に飛び込む。プールの中から筒へと繋がる穴へと潜り、後は水に押されるままに鰭を動かしひたすら上へ。途中カロンの苦しそうな呻きが聞こえたで見ると息が切れかかっている。この水の勢いだと歌えないのだ。

 彼は魂こそ人魚だが、身体は人間。歌の本質は魂にある。だから水中での守りも奇跡も歌わなければそれを成せず、呼吸が出来ない。先程その解決法を教えたのに、深く考えていなかったのか。人魚を見て頭から抜けたのか。この子は無自覚で卑怯な子だ。

 今のシエロは水中でも呼吸が出来る。だから口を塞がれても、その空気を奪われても問題ない。そう教えてあげたのに……


(あくまで僕からさせるつもりか)


 不可抗力とはいえ、あの事故とは毛色が異なる。明確に、僕から裏切りを犯せと彼は言う。彼の無意識が。


(シャロン……君のお兄さんを死なせるわけにはいかない)


 人工呼吸は裏切りにカウントしないで欲しいなと心の中で詫びながら、カロンに空気を送る。それに気が付いたのか、彼は水中で目を見開いて……目に染みたのだろう。痛そうに目を閉じた。


 「ぷはっ!」

 「はぁっ……着いたね」



 柱の上にもまたプール。そこを上がればまた部屋がある。こういう時のために上にはシャワー室と、真水と着替えを備えた部屋がある。その先にはまだ部屋があり、全体的に上は下より広い作りになっているのだ。先の談話室には机や椅子、寝台もありちょっとした休憩スペースが。階段を上って力尽きた人間が居た場合、そこを貸し与えることもある。

 唯、この身体だと隣の部屋まで移動するのも一苦労だ。


 「カロン君?」


 びちびちと這いずりながら、シエロは身体を拭くためのタオルに手を伸ばし、カロンにも手渡したが、どうも反応がない。もしかして塩水飲み過ぎたんだろうか。

 様子を窺おうと顔を覗き込むと、冷たい水の中から出てきたとは思えないほど顔が真っ赤だ。僕にあんなことをしておいて今更人工呼吸一つでそんなに照れられても……

 シエロはそう思うのだが、カロンにとってはそうではないらしい。


(今更そんな顔されたら僕だって……)


 急に恥ずかしくなる。視線を逸らせば会話も途絶え、微妙な沈黙が流れる。


 「それ、どうすれば治るんだ」

 「これ……?」

 「歩けないだろ」

 「ああ、それは」


 簡単だよと言おうとすれば、扉を開ける黒い影。


 「お帰りなさいませシエロ様」

 「あ、アルバ!」


 執事はその手に水筒を抱えていた。帰ってきた気配を察し、隣室から真水を持ってきてくれたのだろう。

 海に落ちたと聞き、予め戻るならここだろうと待機してくれていたのかもしれない。うっすら彼の目の下に隈があることに気付いて、シエロは頭が上がらなくなる。何だかんだで昔と変わらずこの男は優しいのだな。


 「ありがとう、助かったよ」


 水筒の水を飲んで体内の塩分を中和する。それに伴い身体が人間の女のそれへと戻る。ここから男に戻るには、更に身体を真水で洗って乾かす必要があった。けれどそのための設備はここに備わっている。


 「水を飲むと戻るのか」

 「うん。人魚化はシャロンの呪いと同じような切り換えだね」


 他にももう一つ切り換え方法があるにはあるけど、今はまだカロンには関係ないことの上に、少し恥ずかしいので話したくなかった。


 「シエロ様」

 「うん、解った。男に戻ってそっちの服着ればいいんだよね。あ、カロン君も着替えるならシャワー浴びるよね?」

 「お前が先で良い」

 「解った、ありがとう」


 レディーファーストのつもりなんだろうか。そう思うと少し微笑ましくて胸がこそばゆい。お言葉に甘えてシエロは隣室に向かった。


 *


海神の娘

  『貴方は海のように優しい人。貴方の傍では呼吸が出来る。

   貴方は優しい水。貴方は悲しい歌。

   私は愉快な波。私は楽しい歌。二人で歌えばそうきっと、寂れた屋敷にも棺の中にも海の底にも日の光が届くことでしょう。


   ねぇ、優しい貴方。

   貴方は私を裏切っても、貴方が私を殺すことなど無いのでしょうね。』


 *


 「……和解したようだな下町小僧」

 「……別に」


 明後日の方向を向いたまま、黒衣の男がカロンに話しかけて来る。カロンもどこぞの方向を向いたままそれに応じてみたが、話にならない。仕方ないので男の方へと向き直るが、アルバはまだ明後日を見つめている。


 「で?下町でまた一発やらかしたのか?あの様子だと小僧、またシエロ様に手を出したな」

 「出してねぇよ!」

 「出さんか愚か者っ!」

 「ぶはっ!」


 目を逸らしたままの男に思い切りぶん殴られた。


 「あのお美しいシエロ様を前になんだその言い草は!普通そこは和解し男でもお前が好きだとか戯れ言を抜かして手を出す方向性ではないのか!?」

 「あんたの妄想を押しつけるなっ!っていうかなんだそれは!!」


 いや、手出そうとしたけど。たけどお互い疲れていたし。第一今のシエロは俺相手に使い物にならなそうだ。だってシャロンが死んでまだ四日だ。喪に服してる間だ。不能になっててもおかしくない。そうなれば今日の試験だって怪しい。俺から何とかしないとと思ってるくらいなのに。そうなるとやっぱり俺が襲うしかないってそれじゃあまたシエロを傷付けるだけじゃないか。


 「ていうか……お前、シエロが好きだろ」

 「無論お慕いしているが、何か?」

 「なのにどうして俺とシエロをくっつけようとするんだよ?」

 「あのお美しいシエロ様が貴様のような汚らわしい溝鼠に凌辱されると思うと滾るじゃないか」

 「…………は?」


 何か今、とんでもない台詞が聞こえてきたような。カロンは耳を叩き、耳の調子を確かめる。


 「あの小娘に犯されるのも悪くはなかったが所詮は小娘。シエロ様もあの顔だ。呪いを発動させても女同士がじゃれ合ってる風にしか見えん」

 「……ええと」

 「ええい!皆まで言わすな!私は男のシエロ様が私以外の男に襲われ泣いて嫌がる様を見るのが好きなんだと言っている!それで助けを求められる図にゾクゾクするのだ!あの小娘は精神が女だからいまいち物足りなかった!男なのに人妻のような色気を身につけさせるのが目標だったというのになんだあれは!人妻を通り越して未亡人オーラ漂わせているぞ!」

 「……はい?あんた女好きだったんじゃないのか?」

 「あれは世を忍ぶ仮の姿。女に女のシエロ様に興味を持つ振りをしていれば、男の時は無防備に接してくれるではないか。第一私は巨乳より貧乳、貧乳より無乳派だ!」

 「き、汚ぇ!大人って汚ぇええええ!」

 「子供相手の小さな×××では物足りないお願い抱いてとシエロ様が私に迫ってお強請りをしてくるという妄想で今日も飯が美味い」

 「そこまで妄想するくらいならいっそ手ぇ出せ!気持ち悪いっ!」


 なんて奴だ。シエロは変な方面に好かれている。ドS歌姫マイナスに、ナルシストのナルキスに、今度はNTR妄想男のアルバと来た。全員変態じゃないか。


 「はぁ、良いお風呂だったぁ……」

 「それは何よりです」

 「だ、駄目だシエロ!そいつの前でそんな無防備なっ!」

 「あはは、カロン君。アルバは男に興味はないんだって」


 何も解っていない湯上がりシエロは暑いからってブラウスのボタン全開だ。身体を拭いたから男に戻っているが、服の間から見える素肌がなんともエロい。


 「まったくもって失敬な。男のシエロ様にも興味があるのはカロン様でしょうに」

 「ぐっ……ぐぐぐ」


 否定できないのが辛い。


 「あ、ああ好きだ!それの何が悪いんだ!だから他の男の前でそんな姿すんな馬鹿っ!」

 「か、……カロン君?」


 ボタンをぶちぶちと閉じ始めたカロンに、シエロは湯上がりだからという言い訳が通じない程に顔を赤く染め上げた。


 「……んじゃ俺が入ってくる」


 むしゃくしゃした気持ちを水でも浴びて忘れよう。タオルと着替えを引っつかみ、カロンは部屋を後にした。

 あの二人を残すのは心配だったが、あの変態の嗜好から見て今のシエロに手を出すことはないだろう。そんな展開あるのなら、俺がここに来るより前に既にどうにでもなっていそうだ。


(ったく、何なんだあの野郎!)


 俺が男のシエロに手を出した所を横からかっ攫うのが趣味って悪趣味すぎるっ!変な妄想聞かせやがって!

 その歪んだ妄想は毒気が強い。こっちの精神まで浸食して来るようで吐き気がする。何か感単にその想像まで出来てしまって泣けてくる。その妄想の酷いところは俺の思いが通じた後の崩壊から始まる所が何より酷い。


『ごめんね、カロン君』


 多分それは、あの執事にメロメロになったシエロが俺に謝り……俺の下半身を指差すんだ。


『僕、カロン君のこと好きだったはずなのに……君のじゃもう物足りないんだ。やっぱり恋するなら大人の男だよ。僕、彼のじゃないと満足できないんだ』


(って俺のシエロはそんなに淫乱ビッ×じゃねぇえええええええええええええええええええ!!)


 浴室の壁にガンガン頭を打ち付けて、カロンはなんとか我に返った。


 「お、俺だって……」


 これからまだまだ成長するんだ。背だって伸びるし、これもでかくなるに違いない。


 「…………裏切り、か」


 俺の思いはシエロに裏切りを犯させること。だからそこで思いが通じたとしても、きっと何か報いがある。俺がシエロに裏切られないとも限らない。

 それなら裏切られる前に俺がシエロを殺してしまえば……。思いが通じたその瞬間に、この手で殺めてしまったら、それはきっと永遠だ。


(って何考えてるんだ、俺は……)


 必死に首を振る。その邪念を振り払おうと。


(でも、そうだ)


 その理屈で言うならば、シャロンをシエロが殺した可能性だって……ゼロではない。俺はそんなモノ信じないけれど。


(……信用できないのはアルバの方だ)


 あの執事だって歪んでいてもシエロが好きなのは確かなら、シャロンを疎ましく思う心はあったはず。何か一つ歯車狂えばあいつが犯人にだって十分なり得る。


(シャロン……)


 一日ぶりに事件のことを思い出した。昨日はくろねこ亭から帰宅して、そこからずっとシエロのことばかり考えていた。事件のじの字も思い出せないほどどっぷりと。

 どうしてだろう。日に日にシャロンの事件解決、復讐を……願う気持ちがやましくなる。大切な妹を思う気持ちが欠けていく。シエロが心配、シエロを守りたい、シエロの力になりたい……シエロと一緒にいたい。そのための復讐。

 可愛い妹を哀れむ気持ちが日に日に薄れていく。それどころかシャロンの影に俺は脅え始めている。これではまるで……


(俺がシャロンに復讐されているみたいだ)


 シエロを奪おうとしている俺に、シャロンの影が躙り寄り……その罪を糾弾しようと歩みを進める。

 浴室の鏡を覗き込むだけで、とてつもない深い罪の意識に苛まれる。冷たい水を頭から被っても、それでもあの人に焦がれる想いが消えない。

 あのナルキスって男が羨ましい。いっそあのくらい楽天的に、自分というものを愛することが自分にも出来たなら。シエロを想う自分を肯定して好きでいられたらどんなに良いものか。


 「……ん?」


 そこでカロンは気が付いた。


 「あの男ナルシストなのになんで、シエロが気に入ったんだ?」


 カロンが風呂から上がれば、シエロはアルバから書類を受け取り何やら至難顔。


 「シエロ?」

 「あ、お帰りカロン君」

 「何かあったのか」

 「厄介なことに下層街の歌姫二人が手を組んだ」


 ばさと書類を机に置くシエロは困ったと眉根を寄せる。


 「え?」

 「元々ドリスとマイナスはそこそこ交流のある仲だ。そして今回発覚したことだけど歌姫ドリスはカロン君……君に気があり、マイナスさんは僕に気がある」

 「でも誰もシエロが歌姫シエラだとは知らないんだろ?」


 そレなら二人が手を組んだって大した情報は握れないはず。カロンはそう言ってみたが、シエロの顔色は優れない。


 「……昨日あの後歌姫ドリスが屋敷に見舞いに来たんだ。仕事帰りにすみませんとね」

 「しかしいない相手は出せません。今日は体調が優れませんのでとまた改めて頂きました」

 「だけどそこで僕すら対応に出なかったというのは、少し怪しいと思わない?」

 「あっ……」

 「一応歌姫ドリスはシャロンの友達だ。その恋人である僕が使用人任せというのは失礼なことだ。余程のことがない限り、僕はそんなことはしない」


 つまり余程のことがあった。そう認識されてしまった。歌姫ドリスに。


 「そしてその後、ドリスをつけたアルバは……彼女がマイナスさんの仕事先に向かったのを見たんだったね」

 「はい、マイナス様の大声のお陰で粗方の話の内容は掴めました」

 「……だから歌姫ドリスとマイナスには僕の正体がばれたと見ていい。そうなれば僕が傍に置く君の正体も怪しまれる」

 「今夜の城での試験で、二人の歌姫はその証拠を掴みに来るはずです」

 「万が一バレたら口封じに僕らはそれぞれの歌姫と添い遂げることになりかねない。……勿論彼女たちが犯人でないならその後協力してくれるかもしれないけど」

 「俺はそんなの嫌だ!」


 そんな最悪の事態。それにもメリットがあるみたいな言い方止してくれ。味方なんか要らない。復讐が成るなら彼女たちを騙して一時的に恋人関係を結んだ振りをしても良い。何かある前に復讐を遂げて、終わったら自殺して逃げる。そんな淡々とした計画を練らないで欲しい。俺以外……味方なんて。俺にはお前しか居ないのに。他に何も要らないのに。お前にはそうじゃないみたいな響きを言葉に宿さないで欲しい。


 「カロン君……」

 「俺はお前以外となんか……」


 欲しいのはこの人の心。他の奴の心なんか欲しくない。だけど上手く言葉に出来ない。震えた手で掴んだ胸ぐらを、カロンは……そっと放した。


 「そ、それにあんな危ない女にお前を渡せない!何されるかわかったもんじゃないだろ!?」


 昨日のマイナスの言動を思い出す。例え惚れた男相手でも、あの女が安全だとは思えない。気に入ったと言ったシエラを公衆の面前でセクハラするような女だ。


 「そうですね。以前シャロン様を救いに赴かれた時、シエロ様は彼女の身代わりになって三日三晩彼女の虐待を受けたのでしたね」

 「あ、アルバ!それは内緒だって言ったのに!!」

 「最初は玩具として欲しがっていた彼女が本格的に貴方に惚れたのも、それに耐えたシエロ様の雄姿あってこそ」


 惚れた女のために拷問の身代わりを申し出て、それに耐え抜いた。悲鳴も上げず睨み付ける目の光も死なせずに、苦痛を堪え忍んだ。そこでそんなシエロにシャロンはますます惚れ直し、マイナスもシエロの外見だけではなくその魂に惚れたのだと言う。そんなの見せられたら多分俺だってシエロを惚れ直す。こんなおろおろなよなよした女々しい奴が、そんな男気を見せたのか。想像しただけで、シエロの横顔に俺まで惚れ惚れしてしまう。


 「もし仮に女の姿で、その時の傷跡でも見られたらそれは決定打になります」

 「お前そんな怪我あったか?」


 思い返してみるとカロンもシエロの半裸くらいは見ている。しかし心当たりは特にない。


 「髪の毛で見えないと思うよ。基本的に背中とかお尻とかばかり打たれたり蝋落とされたりしたから」

 「へ、へぇ……」

 「それに僕は回復力が高いし、殆どの傷は治ったよ」

 「それには彼女も2日目3日目で気付いたんでしょうね」

 「アルバ、それ以上は言うな」

 「……はい、畏まりました」


 シエロが強い口調でそれを咎めると、お喋りなアルバも口を閉ざした。シエロには俺に聞かせたくないことがあるらしい。それはこの執事は知っているのに、俺には話したくない。共に過ごした月日の違いは分かるが、除け者にされているような……シエロから拒絶されているような感覚に陥り、少し悲しくなる。


 「要するに、マイナスの前ではシエロが女になったら絶対守れってことだな」

 「ええ。素肌を晒させるようなことは無いようにお願いします」


 貴様にそれが出来るならなと、執事から挑戦的な視線が届く。カロンはそれを見返して、強く睨み付ける。


 「シエロは俺が守る」

 「僕のが年上なのに」


 背伸びして格好付けた台詞を吐いたのに、シエロがいじけている。面倒臭い。面倒臭いがそんな姿も可愛いとか思った時点で俺の負けだ。


 「ですがシエロ様の呪いの発動条件までは掴んでいないでしょう。此方からボロを出さない限り問題はないはずです」

 「そうだと良いんだけどね……アルバ、ナルキス周りの情報収集も抜かりなく頼んだよ。彼は愚かではないけれど馬鹿だ。何時馬鹿なことをするとも限らない」

 「はっ、畏まりました」

 「な、なぁシエロ……あの男って昔お前と何かあったのか?」

 「ナルキス?何もないよ……唯幼なじみだってだけだよ。同じ選定侯家の人間で親同士は仲が悪いけどね」


 シエロはそれだけと言うがどうもそんな気はしない。


 「……彼も僕ほどじゃないけど呪いを持った人間なんだ。海水くらいの濃度の塩水を浴びれば彼も女になると思う。僕も彼も呪いが発動した姿でそれと知って顔を合わせたことはない。だけどだから彼は僕に興味があるらしい」

 「なんでそうなるんだ?」

 「彼は自分が大好きだ。だから自分と同じ境遇の僕がそれなりに好きなんだ。自分の分身か何かだと思っているみたい」


 彼は外見だけでなく魂の自己愛者でもあるとシエロは言う。同じ人魚の末裔で、同じ男で、同じ呪いを受けているシエロは自分の分身或いは一部として認めてしまっているのだとか。


 「んじゃあいつ結局男が好きなのか?」


 暫しの沈黙。シエロもアルバもお前が言うなみたいな視線を俺へと送る。その意味にはたと気付いてカロンは立ち上がり机を思い切り叩く。


 「別に俺は男が好きってわけじゃない!俺はシエロが好きなんだ!」

 「カロン君、その言い方は語弊があるよ。世の中の同性愛者さんに失礼だ。何も人が人を好きになることは悪いことじゃない」

 「お前は俺に失礼だ!悪いことじゃないなら俺がお前好きでもいいじゃないか!」

 「それはいいけど押しつけはいけないことなんだよカロン君。シャロンが死んでも僕はシャロンの恋人だ」

 「うっ……お、お前だって嫌じゃ無い癖に!」

 「い、嫌ではないけど別に今は好きでもないって言った!」

 「今はそうでもその内好きになりそうだって言ったじゃないか!」

 「助けてシャロン!僕に光を!君への愛を守らせてくれ!僕の星!僕の歌姫っ!」

 「覚悟決めろよーお前は俺に惚れる運命なんだよほれほれ人魚の魂がお前を呼んでるぜーシエロ好き好き超々愛してる(棒読み)」

 「くぅっ!僕は負けない!そんな悪の言葉に耳を傾ける物か!っていうか棒読み酷いっ!そんなんで僕は攻略されたりしないんだからっ!せめてもうちょっと感情込めてよ……」


 ぱこぱこと耳を押さえつけるシエロの手をギリギリ外そうとするカロン。その図を見て執事が冷笑。


 「楽しそうですねシエロ様」

 「た、楽しくないっ!」


 アルバも見てないで助けてよとシエロは涙目。それに溜息を吐き、アルバが口を開く。シエロを助ける言葉ではなく、話の軌道を戻す言葉を。


 「というよりナルキス様は女の歌姫達が祭り上げられている今日の現状が気に入らないようですね。美しさだけならその辺の歌姫より勝っている自分がシエロ様が崇められないこの時代に憤っていらっしゃいます」

 「はぁ……やれやれ。今はやる気がないけどさ、もし彼が王を目指したらとんでもないことになるよ。この国の価値観から崩壊しかねない。醜い遺伝子は死に絶えるべきとか言って顔面ランク付けしてC以下は問答無用で去勢か死刑とかさせそうだよね」

 「おそろししょうもねぇ!!」

 「幸い彼は歌姫に興味がない。だから恋人を作らない。だからアルセイド侯の恋人は居ない。よって人魚を得ることも国王になる権利も今の彼は放棄している」

 「そんな彼が半年前に興味を持った歌姫が一人」


 それこそが歌姫シエラなのだとアルバが言った。


 「不本意だけどあの男は僕を良く見ている。シエラの髪が劇のウィッグじゃなくて僕と同じ地毛だと変態の嗅覚で見抜いたんだろう」

 「そこそこ好きなシエロ様にそっくりな歌姫。それが別人か、はたまた呪われたシエロ様の姿なのかと興味を持ち始めたのでしょうね」

 「最悪だ。あの馬鹿なら僕を人魚にするとか言いかねない。あんな自己愛者の鏡になるため娶られるなんて絶対嫌だ。向こうの家もうちの家も他の家に人魚出されるよりはいいんじゃね?とか言いそうなところがもっと嫌だ」


 あんな男の子供生むくらいなら舌噛んで死んでやると、シエロは机に突っ伏した。


 「だってあいつ絶対睦言とかまで気持ちの悪い自分を讃えるポエムとかに違いないよぉ……そんな状況絶対御免だぁ!絶対僕がある程度あいつ褒めないとあいつ出せなくて長時間拷問に遭うようなものだよっ!」


 想像力逞しいなシエロ。でも否定できないし実際そんな感じがするから困る。

 今の俺の喘ぎ声格好良くなかった?色っぽくなかった?なぁなぁと逐一随時聞いてきそう。相手する側が可哀想だから蒟蒻でも使えと言い放ちたい。その後その蒟蒻でも使ってステーキでも作ってちゃんと美味しく頂いてしまえ。自分で始末しろ。


(でも、そうか。なるほどな……)


 あのナルキスという男は、昨日たまたま通りかかった下層街でシエラという単語を聞いて颯爽と駆けつけた。その歌姫の正体を暴くために。シエラは上層街には現れないとあの男は言った。元々劇をやったのは中層街で。だから中層街を重点的に、それでも見つからないので下層街での捜索を行っていたのだろうな。


 「にしても……お前ってつくづく対人運無いな」

 「全くです。出会って3日の溝鼠に襲われる位不運なお方でいらっしゃいます」

 「お前ねちっこくて嫌な奴だな」

 「出会って3日で惚れた相手を無理矢理物手籠めにしたガキに言われたくないですね」

 「そのお膳立てした奴にだけは俺も言われたくない」

 「だから、二人ともその話はもう止めてよっ!こんな昼間から、そんな恥ずかしいこと言わないで!」


 襲われた事実より、周りで猥談される方が辛いとシエロは真っ赤な顔で怒っている。


 「僕は別にあのことは怒ってないから!僕はカロン君の大事なシャロンに手を出した。それも事実だ。だからあの位されて当然だよ。恋人なんて家族の許しがなければ合法的な強姦魔とそう違わないんだから」


 そういうつもりで手を出したわけではないのだけれど、シエロの中では呪いを解くためとはいえ婚前交渉に踏み切った自分への天罰だという解釈が成されていた。


 「はぁ……」


 まだまだ先が思いやられる。あと何回こいつに俺は想いを伝えれば、ちゃんと本気でその意を汲んでくれるのだろう。

 シエロとはまだまだ心がすれ違っている。こんな状態で試験に挑めるのだろうか?ドリスもマイナスも粗探しをしに来るだろう。いや……


 「エコーも、確実に来るよな」


 カロンの発言に、シエロが再び凍り付く。


 「だって、彼女はシャロンが好きなんだろ?それなら来るだろ。“愛しのシャロンの濡れ場ハァハァ”みたいな」

 「それなら確実にあいつも来るよ……“人気歌姫の妹を夜一人で歩かせない俺様格好いい”みたいな心境で」

 「…………はぁ」

 「…………はぁ。アルセイドの兄妹って、似てねぇけど変態で厄介だってのは共通してるんだな」


 頭を抱えるカロンとシエロに、微笑を湛えたアルバが口を挟む。


 「ですが流石にネレイードのお嬢様はいらっしゃらないでしょう」

 「そ、そうだよな。何もライバルの濡れ場なんか好き好んで見に来る馬鹿はいないよな」


 万が一そこに護衛でオボロスなんか連れてこられたら流石に俺も顔から火が出る。友人の目の前でそんな濡れ場なんかやってられるか。


 「シエロ、どうしても奴らを欺せないと思ったら……その時は俺にしてくれていい」

 「そ、そんなの駄目だよ!」

 「俺はそうされても仕方ないこと、お前にしただろ!」

 「僕はそんな仕返しとかでそんなこと……出来ないよ」


 それは突然。俯くシエロにツカツカと歩み寄るアルバ。

 容赦なくその頬に平手を打つ。


 「シエロに何すんだ、てめぇっ!」


 初日に自分もしたということを一瞬忘れてカロンは憤る。しかし使用人はそんなカロンを鼻で笑って一瞥、シエロへと視線を戻す。


 「シエロ様。貴方のシャロン様への愛はその程度ですか?」

 「アルバ……?」

 「復讐を望むのならば、どうぞ冷酷におなりなさいシエロ様。先程歌姫達を計算の内へ入れたように、この少年も計算に組み込みなさいませ」

 「な、何言ってるんだよ。アルバまで……」

 「幸いこの馬鹿なガキは貴方様の美貌にやられてしまってします。身代わりでも構わない。抱かせてくれないのなら嘘でも良いから抱いてくれと、どこぞの恋愛三文芝居の馬鹿女のようなことを宣っています。その愚かさを嘲笑い、存分に踏み荒らし、復讐の糧となさいませ。そうすれば周りの目は欺け、貴方様は愛しのシャロン様と触れ合う錯覚に僅かながら心癒されることでしょう」

 「僕はそんなの望んでいないっ!」

 「シエロ……」

 「僕は癒されなくていいっ!この痛みが、悲しみがっ……シャロンが僕にくれた最後の物なんだから!」


 あくまでシエロはカロンを拒む。抱かれたくないし抱かない。その言葉がカロンの胸に突き刺さる。裏切りを感じる度に芽生える罪の意識さえ、シャロンを呼び起こす。それさえ僕はシャロンに縛られているのだと実感できて愛おしいのだと、シエロは言っているようだ。

 お芝居でも一線は越えられない。襲われるのは不可抗力だと流せても、自分から何かをしてしまったら、完全な裏切りになるとシエロは言う。

 それはカロンも解る。だからだ。空気をくれるためとは言え、先程の口付けにあんなに舞い上がってしまったのは。事故でもなく、意図して……シエロからしてくれたのは初めてだから。そう、あれが。


 「それにカロン君は、真剣なんだ。そんな風に何かするのはカロン君にとって、失礼極まりないことだ」


 嫌いじゃない。どうでもいいわけじゃない。だから冷酷に計算に組み込めない。その位の情はカロンに対して持っている。シエロが顔を上げてアルバを睨んだ。


 「だってそれは……僕を好きだと言ってくれたカロン君に対する裏切りだ。そんな日が来るかどうか解らない。それでも僕が彼に何かするとすれば、その時は……僕がシャロンを裏切ることを受け入れる日だ」

 「シエロ……」


 真剣な想いには真剣に応えたい。真心には誠意を持って応じたい。先祖の過ちが反面教師としてシエロの人格形成に協力をして来ていた。ふしだらな男だけにはなるまいと、強く自分を律する彼の姿は凛として美しい。

 例えこの想いが届かなくとも、この人を好きになったこと。それは自分にとって何よりの誇りだとカロンには思えた。


 「最悪、僕が一人二役でシャロンの声真似で喘ぐ振りをしてもいい。シャロンは男声も出せる歌姫だ。低音シャロンの喘ぎなら、男のままでも僕は出せる。カロン君は、そんな馬鹿で愚かで滑稽な僕を見ていてくれればいい。唯、傍にいて……」


 君を傷付けるようなことは絶対にするものかと彼は言う。けれど行動ではなくこれまで何度も彼の言葉に傷ついた。今更お前が何を言う。そう思う心もあるけれど……今、自分は求められている。傍にいて欲しいと願われている。それはとても、嬉しいこと。


 「安心しろ。お前が嫌だっていっても俺は傍にいてやる」


 昨日のことを思い出せとカロンが笑ってみせれば、シエロもくすと小さな笑みを漏らした。


 「お前の恥ずかしい姿、一番近くの特等席からじっくり観察させてもらおうじゃねぇか」

 「ひぃいっ!カロン君、一言余計だよ!それなかったらちょっと格好良いなと思ったのに!」


 壁際まで後ずさるシエロに腹を抱えてカロンが笑えば、からかわれたのだと感じたシエロが顔を赤くし何か言い返したそうに口をぱくぱくさせていた。


 「か、カロン君なんか、カロン君なんか……だ、大っ嫌い……まではいかないけど、ちょっと嫌いっ!」

 「ちょっとってどのくらいだよ」

 「ミックスベジタブルのニンジンくらい嫌い」

 「お前そんなところまでシャロンと同じか!?ニンジン馬鹿にするなよ!?あれにはビタミンAになるβカロチンが豊富に含まれていて目にはとても良いんだ!」

 「ニンジンが無いなら苺でも食べればいいじゃないか」

 「苺に入っているのはビタミンCであってだな……なるほど。お前とシャロンの同棲生活は如何に偏った食事だったかを俺は理解した!これからはニンジン入りパスタを食わせてやるから覚悟しろ!」

 「そ、そんな横暴!僕が許さない!僕の家のキッチンの覇権は僕の物だ!」


 よくわからない対立を続ける俺とシエロに黒衣の男は割り入って……


 「どうでもいいですがカロン様、ドジッ子シエロ様は茹でる鍋の塩水をいつ転んでぶちまけても良いように予め女装で調理場に立たれますよ」

 「うっ……駄目だ落ち着け俺。悪魔の囁きに耳を貸しては駄目だ。これもシエロの健康のためなんだ。心を鬼にするんだカロン」

 「シャロン様が贈られたフリルのエプロンやら、屋敷のメイドが着ていた服ですとかそれはそれは男子冥利に尽きるようなお姿を。女装は女装で、呪い発動はそれはそれで美味しいとシャロン様にはご好評頂いておりまして」

 「ぐっ……」


 見たい。心底見たい。女シエロが男の服着てたのもそれはそれでエロかったが、今の男シエロに女装だと!?それはそれで見てみたい。嫌がって恥ずかしがる様を拝みたい。それでシエロが手料理を作ってくれるのか。


 「カロン君には裸エプロンはしないからね」

 「シャロンにはしてたのかよ!!」

 「だってシャロンはエプロン一つ残して僕の洋服も下着も全部浴槽に沈めたりするんだもんっ!次の日風邪引くし、風邪引いてる顔が良いとか言われて襲われるし散々だったよ」


 ていうか服くらい新しく買えよとか思わないでもないが、節約生活をしていたらしいシエロはそれも苦で、第一買い物に行けるような格好ではなかったのだろう。この執事に頼んだところで、そういう命令しても買いに行ってくれそうにもない。


 「あ、そっか。その手があったか」

 「シエロ様、今のは墓穴です」

 「か、カロン君は僕が好きなんだよね?それなら僕にそんな酷いことしないよね?」

 「諦めろシエロ。そしてお前も男なら理解しろ。男の抱く愛とは時に非情な物だということを!お前に復讐をさせるのもまた愛だ!故に愛とは非情なる物なんだ!愛故に人は心を鬼にして、時に悪魔に魂すら売るっ!」

 「うっ……ひ、否定できない!」


 カロンの力説に、シエロが若干引き下がる。


 「それでニンジン食べるのとどっちが良い?」

 「……ニンジン食べます」

 「よし、偉い!農家の皆さんも今のお前のことはきっと褒めてくれてるぞ」

 「そ、そうかな」


 いや、なんでこんなことでそんな嬉しそうな顔をするんだシエロ。うっかりノリでシャロンを褒める時みたいに頭を撫でてしまった。恥ずかしくなったカロンはそのまま撫でる早さを増して素早く回避。


(こいつ本当、時々年下みたいな顔すんなぁ……)


 「ですがご安心下さい。昨晩折角夕食を作ったというのに食べなかったお二人への罰として、既にお二方の着替えは全て浴室に沈めてあります」

 「な、何てことをするんだアルバ!カロン君が風邪を引いたら大変じゃないか!」

 「でしたらシエロ様が暖めて差し上げたら宜しいのでは?」

 「だ、だからどうしてそういう方向に持っていくんだアルバはっ!僕の執事なのに僕の敵なの?カロン君の味方なの?そりゃあカロン君の方がちっちゃくて可愛いけど……はっ、そうかアルバは子供が好きだったんだね!だから昔は優しかったけど最近はっ……うう、僕だって好きで背が伸びた訳じゃないんだよ!?背が伸びると服も新調しないといけないし家計に負担が……」

 「いや、シエロ……それはないと思う」

 「え?」


 見当違いの方向に勘違いを始めるシエロに、カロンのみならずアルバも嫌そうな顔。


 「生憎私は溝臭いガキには毛ほどの興味もありません」

 「そうなの?それじゃあ強いて言うなら歌姫の中では誰がタイプなんだい?」

 「強いて言うならシエラ様です」

 「そっか。アルバはあのくらいの胸のサイズが好みなんだね。マイナスさんくらいあると駄目なんだ?」

 「…………」


 悪意なくここまでフラグスルーをされるとは、この執事も哀れかもしれない。カロンは初めてアルバを哀れに思った。


(もしかしてあいつ、全然気付かないシエロに腹を立てて捻くれてああなったんじゃないのか?)


 手を出す勇気がないまま何年もこんなスルーされたら、あの程度には歪むだろうか。シエロの嫌がる顔とか泣きながら助けを求める顔とかを求めるようになっても致し方がないような気もする。

 信頼されてると言えばそうなんだろうけれど、シエロには直球勝負で口説かないとこうなってしまうと言う実例を見せられた。


(俺も気をつけよう)


 シエロにはストレートに好きだを念仏のように呟いた方が多分まだ効果があるな、これは多分。


 「それでその夕食ってのはどうなったんだ?」


 勿体ないなと口にすれば、アルバがはじめてカロンに理解を示すように微笑。


 「ええ、それは……昨日訪れた客人に振る舞いました」

 「客人?歌姫ドリスか?」

 「いいえ、その後に訪れた客です」

 「その後?」


 そんな話聞いていないとシエロも呆気にとられる。


 「ドリス様との密談の後、マイナス様がシャロンに会わせろと乗り込んでいらっしゃました。下層街にはまだシャロン襲撃、記憶喪失事件が知られていなかったようで、彼女との話でそれを知ったのでしょう」


 ドリスは今日は体調が優れないと断られたから、もう一度来ると言うことは出来ない。だからマイナスを使ってもう一度探りを入れさせに来たのだとアルバは語る。


 「彼女が昨日のお二人の夕食は全て平らげてしまいまして、逆にお代わりを申しつけられたくらいです」

 「そう言えばあの女、昼間も3人分頼んでたな。あれ一人で食べるつもりだったのか」


 その栄養全部胸に行ってるんじゃなかろうか。カロンは歌姫マイナスの脅威の胸囲を思い出す。鼻血が出そうになった。


(い、いや!でかけりゃいいってもんじゃないんだ!)


 程ほどに、こう……手で掴んで掴みきれなくて手から余る感じで。色々挟めそうなくらいはあって、横になっても重力に負けずそれなりにはあって。そう、シエロくらいが俺は良い。あんまりでかいと可愛い服とか着せられなくなるし、何事も程ほどにだ。あんまりでかすぎると何人男相手にしてきたんだよって不安にもなる。

 よくわからない思考にピリオドを打ち頷くカロンを余所に、シエロは真剣な眼差しでアルバとの対話の望む。


 「どこまで知っているような感じだった?」

 「何も知らない素振りでした。それで義妹の見舞いに来るのは当然だとよくもまぁ」

 「……彼女はシャロンの死を知っているのかな?」

 「彼女は単純に見えて計算高い。それはシエロ様もよくご存知でしょう?悪女としての質、役者としての位は四人の歌姫の中で恐らく最も彼女が優れていて、悪質です」

 「あの女が……?」


 何食わぬ顔で会話にカロンも加わった。

 しかし歌姫マイナスが?どうもそうは見えなかった。セクハラ爺を憑依させるシャーマン的な能力があるとか言われたら信じるかもしれないが、あのドS女王に役者の才があるとはカロンには信じられない。


 「シャロン様の救出が遅れたのは彼女の演技力のためでもあります。歌姫マイナスは人の弱みを握り、脅すのが上手い。そしてその気になれば貴族らしい淑女を演じる力もあります」

 「まさかぁ」

 「いや、事実だよ。彼女は最初からあんな売り出し方をしていたわけじゃない。事が露見するまでは清純な歌姫を演じていた。唯肝心の歌が下手だったからそんなにファンは付かなかったけど」

 「何が凄いと言いますと、完全にやる目的で彼女を呼んだ男に指一本触れさせないまま翌朝までに完全な奴隷としての調教を行い、そのお仕置き欲しさに相手から金を出させるという卓越した加虐スキルの持ち主だと言うことです」

 「一度調教されれば、完全に彼女の言いなり。彼女にとって不利益な情報を表に出すことは絶対にない」

 「は、はぁ……そうなのか」


 そりゃあボンテージ姿の女王様に一度くらい嬲られるのも男のロマンかもしれないが、指一本触れさせないままそこまで人を貶め、金だけ出させるようにするとは……確かにある意味恐ろしい。


 「下層街では夜の女王と悪名高い歌姫だ。一時期地味に勢力を持っていた。歌は心を支配するけれど、身体まではどうこうできない。そういう歌もあるけれど、歌姫シャロンの歌は何も観客にそういう気持ちを持たせたいわけではなかったからね。ある意味で、強敵だったよ」


 観客が歌姫を見る目は唯の憧れだけではない。やましい気持ちや下心。そう言った物が必ず存在する。そこを刺激する歌姫マイナスは厄介な存在。


 「あれで歌まで良かったら、本当に強敵になっていたと僕は思う。彼女が音痴で良かったよ」

 「でもさシエロ、人類皆被虐属性ってわけでもないんだから、少なくとも簡単にSかMかって分けるなら半分は絶対彼女に屈しないんじゃないのか?」

 「そこが彼女の恐ろしさなんだよカロン君」

 「え?」


 自分は何も間違ったことを言っていない。そのはずだが、シエロはカロンを否定する。歌姫マイナスはそんな単純な女ではないのだと。


 「彼女はSでありMでありSだ」

 「……は?」

 「彼女は僕を痛めつけたいと思いながら、僕に痛めつけられたいとも思っている。全てを虐げ続ける彼女が望むものは、そんな自分を虐げられる、虐げられたいと思える相手さ」

 「あの、よくわかんねぇんだけど」

 「彼女のファンはそこに魅せられてるんだよ。何よりも強く。誰よりも多くを従える。そんな女が心の奥底では誰かに征服されるのを待っている。そう思えばこそ彼女に惹かれる者もいる。純粋に彼女に苛められたいという者だけでなく、そんな彼女を苛めたいという方面からも彼女はモテるのさ」


 歌姫マイナスと夜に二人きりになれば、彼女に落とせない女はたまにはいても男はまずいない。それに耐えたからこそシエロに更なる興味を持った。そう言えるのかも知れない。


 「ついでに情報によればマイナス様は生娘だそうです」

 「さ、ささささ詐欺だぁああああああああああああああ!!!いやいやいやいや、あの胸でそれはねーよ!ねーだろ!無いって言えよ!絶対嘘だ!絶対嘘だ!」


 女シエロよりも大きい胸で、シエロにあんなセクハラしてくるような女が男を知らないわけがない。カロンは叫くが、シエロは肩をすくめる。


 「嘘か本当かはさておき、そうかもしれないと思わせられればそれだけで馬鹿な男はついてくる。その辺が上手いんだよ。彼女、少なくとも客の誰とも寝ていない。それはある種の幻想を抱かせるには十分だ」

 「ある程度のかなりの割合で、浅はかな男という生き物は処女属性を持っていますからね。まったく度し難い。人妻の色気が解らんとは真理を得ていない」

 「それはお前が人の物に興奮する寝取り属性があるってだけだろ。あと男全員がそういう奴みたいな言い方止めろ。俺は非処女でもシエロが好きだ」

 「そ、そういう言い方しないでよ!」

 「男時も女時共にどちらもシャロン様によって貫通済みですからね。女の場合は前と後ろ共に」

 「アルバもそういうこと言うの止めてってばっ!」

 「シャロン……お前って奴は」


 一応シエロは元々は男なんだから、女の時まで後ろまでやってしまうっていうのはどうなんだ?お兄ちゃんは段々お前のことが解らなくなって来た。いや、確かに泣いて嫌がるシエロはありかもしれないが。


 「と、兎に角だ!歌姫ドリスだけじゃない!カロン君は歌姫マイナスにも注意をしてくれ!どんな手を使ってくるか解らない」

 「具体的にはどんな手なんだ?」

 「それは僕は彼女じゃないから解らないけれど、君の心の隙を突いてくることはあるはずだ」

 「心の隙……」


 弱み。それは確かにある。言われたくない言葉、他人から責められたくない部分。そっとして置いて欲しい場所がある。


 「カロン君、彼女に何を言われても耳を貸しちゃ駄目だ。彼女の言葉は……一度シャロンの心をも折った。それくらい強力だ」

 「シャロンを……?」


 いつも笑っていて、俺なんかよりずっと強い。そんな心を持つ妹が、打ち負かされた事がある。そんな相手に迫られて、太刀打ちできるのだろうか?カロンは不安に襲われる。


 「ごめん、こんなこと言ったら不安にもなるよね。でも知らないよりは知っていてもらいたい。そうすれば対処のしようもあるかもしれない」

 「そんなこと言われても……」

 「うん。だから僕も考えた。カロン君、これを見て」

 「え?」

 「アルバに頼んで出して来て貰ったんだ」


 シエロが一枚の紙を手渡して来る。


 「今回のシャロンの記憶喪失、それは養子先のナイアード家の管理不届きとして僕は責める。報酬の取り分があっちの方が多いってことはつまりシャロンを守る責任は彼らの方にこそある。シャロンの送迎をきちんと行わなかった彼らの責任だと僕は主張する。これはシャロンの恋人として当然の権利だ。幸い僕の方は恋人証明書を紛失はしていなかったからこの届け出は受理された」

 「そう言えば……お前」


 “今日から君はこのフルトブラント家の養子だ!”


 確かシエロはそう言った。


 「“Charon=Naias……をHuldbrand家の養子として認める”」


 書類に記された、その一文。たった一文字の違い。それが俺とシャロンを区別した。


 「君とシャロンは同じ綴りだろう?Naiadと書けばシャロンだけど、シャロンの前の苗字だと周りは思う。これは僕としては君を示す意味でこう表記させて貰った」


 恋人証明書は再発行してもシャロンの物。カロンの物にはならない。これのように一文字が変わっていても、それはシャロンの物だ。シエロの心が変わらない限り、永遠に。

 だからそれに代わる形を探してくれた。最初は利害関係のため、復讐を遂行するための手段として求めたこと……そこにシエロは意味を付け加えた。


 「シエロ……」

 「君は安心して僕の所に帰って来てくれていい。僕に苛ついても、僕と喧嘩をしても、何があっても帰って来てくれていい。僕は君が帰って来てくれるのを待っている。あんまり遅いと心配で昨日みたいに探しに行くかもしれないけど」


 シエロの癖に。涙もろくて女々しいこの男に、今自分が泣かせられている。悔しいけれど、それ以上に……嬉しくて、死んでしまいそう。


 「いいのか?本当に……?お、……お前が、俺を嫌って……出てけって言うことは」

 「それは無いよ」


 罵られて追い出されるのが怖い。こんなに優しくされたら。

 不安がるカロンにシエロは笑う。


 「君と出会ってからの毎日が楽しい。僕はもう二度とそんな風に感じることはないんだって思っていた」

 「シエロ……本当に?」


 楽しいものか。俺はこの人を傷付けた。それなのにこの人は、そんなことを言う。


 「僕は復讐をしているはずなのに、その日常がこんなに楽しくて良いのかなって解らなくなる。その位君は僕を支えてくれている。僕は君にとても感謝しているんだ」


 だからこれは今の僕が君に出来る精一杯のお礼の形のつもりなんだと、シエロはカロンに訴える。


 「……“帰る場所がないのならそうずっと、ここにいて良いんだよ”」

 「……何だ、それ?」

 「僕のご先祖様が、海神の娘を口説いた台詞だよ」

 「く、くどっ……」

 「あはは。正確には同居するきっかけになった台詞だね」


(こ、こいつ……)


 シエロは邪気無く笑うが、どこまで分かって言ってるんだこの男は。


 「復讐が終わった時、僕はそれからどうするのか。何を思うのか。今の僕には解らない……だけど、その後も君は何時でも帰って来てくれて良い。うちの屋敷を自由に使ってくれて良い」

 「しかしそれではシエロ様。その時はカロン様にシエロ様の部屋で寝泊まりを認め、シエロ様の匂いすーはーすーはーその後ソロ活動をしても構わないと言うことですか」

 「あ、アルバ!どうしてそういう卑猥なことばっかり…………うん、いいけど。それでカロン君の気が晴れるならって、そういう意味じゃなくてっ!カロン君、勘違いしないで!僕はそう言うつもりでこんなことしたんじゃくてだねっ……!」


 口籠もり、シエロの視線が落ち込んだ。


 「僕は不甲斐ないから、君をちゃんと守ってあげられないかもしれない。僕がシャロンを想う気持ちが君を傷付けてしまうかもしれない。それでも僕は、何があっても君を嫌ったりしない」


 そういう好きではないけれど、嫌いではない。愛してはいないけど好きだよと、その言葉が語りかける。


 「……だから安心して帰ってきてくれて良いんだ。また何食わぬ顔でただいまって言ってくれて良いんだ。それで僕は君を許せる。何があってもだ」


 他の歌姫に傷付けられても、弱みを握られても心配しないで。どんな悪評を流されても何を知っても君を嫌ったりはしない。約束するよとシエロがその場に跪く。そして片手を差し出した。


 「……これ、受け取ってくれるかな?」

 「……?」


 受け取ると、フルトブラント家の人魚の紋章に“Charon=Huldbrand”の文字が刻まれたブローチだった。

 それを受け取ったカロンが何時それを突っ返すか。投げ捨てるか。緊張した様子のシエロにカロンは苦笑。そんな風に負の想像をする男では、ブローチをそのまま素直に付けてやる気はしなかった。


(俺をもっと、信頼してくれよ……シエロ)


 こんなに嬉しいんだ。返せって言われても返す物か。それくらい解れ。解らないなら……


 「!?」


 自分もしゃがみ込み、そのまま顔を近づける。目の前で見開かれた青い瞳。そんなシエロの反応に、カロンは満足気に笑って見せた。


 「ただいま、シエロ」

 「……お、お帰り」


 こんな悪戯のようなキスもこの一言で許してくれるんだろうと微笑めば、不意打ちだとシエロがその場にへたり込む。


 「俺の言葉を知っていて、俺に手を出せる高さに降りたお前が悪い」


 ざまぁないぜと笑いながら、ブローチを襟へと付ける。

 シャロンが空に行ってしまってから、毎日一人きりの家。ただいまもお帰りもない。お早うもお休みもない。自分の家なのに、あそこは家ではなかった。

 シャロンとシエロの関係に、割って入ることはまだ出来ない。もしかしたら一生掛けても出来ないのかもしれない。


(それでも)


 俺とシエロの関係に、シャロンが割ってはいることもない。この形はこの名前は俺だけの物。この空に来てはじめて自分だけの物を手に入れた。空に手が届いた。


 「ありがとう、シエロ」

 「どういたしまして」


 カロンらしかぬ素直な言葉に、シエロが小さく笑う。それがカロンにはほんの少し申し訳なさそうに見えたけど、そんなことは気にしない。

 帰る場所がある。それが保証されるだけで、こんなにも怖い物知らずになれるなんて……カロンは知らなかった。

こいつら、いちゃついてやがる。草葉の陰のシャロンちゃんあなくちおしや。

マイナー姉さんとドリスちゃんが手を組んだと。悪女の香りが迫ってくるぜ。

これからどんなえげつい罠を仕掛けてくるかと思うとぞくぞくします。

エコーさんも色々企んでるはず。

シレネちゃんらが癒やし。あの子とオボロスが作中の癒やしだ。

でもそう言うのに限って怪しいって言う説もあるから安心は出来ない。

執事も執事で何か変態だし信頼できない。


推理やトリックより精神的に追い詰められて犯人とかもうどうでもいいやってなるくらい別の意味でハラハラするようなミステリーが書きたいです安西先生。

それミステリーやない。サスペンスや。

どうでもいいけどサスペンダーよりガーターが好きです。どうでもいいや。

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