10:くろねこのとおりみち
※エロス注意報。深読みするべからず。
今回は精神はBLだが肉体的にはNL警報
海神の娘
『貴方の心を彼女から、私へ移す言葉が一つどこかにないものでしょうか?
彼女が嫌いなのではありません。唯、それ以上に貴方が愛しいのです。
それか物語のように、口付け一つで何もかも上手くいかないものでしょうか?
それだけで私の心は貴方から離れられませんのに、貴方は今日もふらふらと……
あの海に浮かぶ海月のようですわ。』
*
「何だよあの男!格好付けやがって!」
「ふふふ、でも頼りになるでしょ?」
「どうせ俺は年下で頼りねえよ」
「そ、そんなこと言ってないよ!」
下層街をシエロと歩く。腹を立てているカロンの後ろを慌ただしくシエロが続く。
昨日は夜だったから良かった。昼間だとシエロに視線が向かう。そういう男共を見つける度眼飛ばして歩くカロンは忙しい。
周りの淑女達からは自分は可愛いナイトだことと笑われているようだ。それは微笑ましいと言うような物ではあったが多少は嘲笑の意もあったのかもしれない。それはシエロにも届いていたのか、少し恥ずかしそうだ。
「あのさ、カロン君。僕たちってさ、端から見ると……」
恋人に見えるのかな。そう言われると思って、取り乱さないよう予め答えを用意しておこう。そう思ったカロンだが……
「ショタコンのいけないお姉さんとそんな悪女に騙されてるいたいけな男の子の図に見えるのかな……」
おろおろとするシエロの見当違いの図にカロンは思わず転びそうになった。
「お、お前なぁ……誰がショタだ!誰がガキだ!何だその斜め45度にぶっ飛んだ発言は!」
「いや、だって周りの人笑ってるし。僕ってそんなに変態みたいな雰囲気出てるのかな」
「いいか!普通変態はそういう心配しない!しないから変態なんだ!よってお前は変態じゃない!わかったか!」
「は、はい」
「大体10も20も年が離れてるわけでもねぇのに細かいこと気にするなってんだよ。どうせ3つか4つ程度しか変わらないんだろ?」
「う、うん……そうだけど」
「なら、気にすんな。行くぞ!」
これ以上アホらしいことをシエロの口から聞きたくない。無理矢理その手を掴んで歩き出したカロンの背中にシエロの声。
「あ、あのさ!カロン君……」
「まだなんかあんのか?」
「ええと、あのね……道、こっち」
もう100メートルは進んで来た後ろの道を指差され、流石にカロンも眉をつり上げた。
「そういうことは早く言え!」
「ご、ごめん。僕うっかりしてて」
詰まるところ、エコーのケーキの箱に付いていた地図さえあれど……シエロもくろねこ亭の位置を知らなかった。
*
「はぁ……」
「何だよ急に」
ようやく見つけた店は客で賑わっている。なんとかランチには間に合ったがデザートの方は完売だ。店主の頬が窶れていたのは多分エコーの所為だろう。
そんな店内で席について……食事を待つ間、にこにことシエロは笑いながらカロンを見る。
「いや昼間からこんな風にゆっくり出掛けるの、本当に久々だなぁって思って。お昼に外食なんて本当暫くぶりで」
外食は昨日もしただろうに。久々の外食とシエロは言っていた。ああ、そういうことかとカロンは思いながら水を啜る。
シャロンが有名になってからは下層街からのファンに目の仇にされていたと聞く。シャロンとデートするなら比較的ファンの質にも落ち着きのある中層街、上層街となったのだろうな。
「僕は結構この下層街の賑やかさが好きなんだ。……色々あって最近は全然来られなくなっちゃったけど」
昨日は通り過ぎただけだったが、下層街には確かに活気がある。街角で歌う歌姫達。笛や弦、それからあれはアコーディオンか。様々な音色が溢れる。だからこうして食事を待つ時間も苦ではない。天上の音楽。いつも船へと落ちてくる音楽はこの街から聞こえて来ていた物だったのか。
下からと上からでは見える景色がこうも違う。確かに悪くはないとカロンも認めてやった。けれどシエロは別のことを言う。
「でも一昨日初めて降りた地上は、下町は……何だか別世界みたいで楽しかったよ。時間があればもっと色々見たかったんだけどそうも言っていられなくてね」
「ふぅん……」
「僕には絶対叶わない夢だけど……いつかあの青い海を泳いだりぷかぷか浮かんだり出来たらどんな気持ちになるんだろう。そう思ってあの青を見ていたんだ」
不思議なものだ。下の人間は空に憧れるのに。空に住むこの人は、地上をそんな風に眺めていたのか。人間はつくづく無い物ねだりをする生き物。シャロンを失ってまだ彼女を求めるシエロはその最たるものだ。失った物ばかりを見て、今ある物に決して満足しない。自分ではその悲しみを埋めてやることは出来ないのだ。だけど気晴らしの付き合いくらいは出来ないものか。
「俺は貴族は嫌いだけど……」
「うん」
「泳げない理由があるんじゃ仕方ねぇ。お前は下町に来ても俺の舟に乗せてやる」
「え、いいの?」
「お前は特別だ」
言った後に恥ずかしい台詞だったと我に返ったが、シエロは嬉しそうだ。それに気にしていないみたい。気にする方が阿呆らしい。
「下町の中、舟で案内してやるよ。その時は」
「うわぁ、楽しみだなぁ!」
シエロは笑う。それでもその笑みは明日を見ては居ない。だからそんなに軽はずみに楽しむ振りが出来るのだ。結局何一つ、俺の言葉はこいつに届いていない。こうして隣にいても、そう。
「お待たせしました」
会話の途切れを見計らったわけではないだろうが、運ばれてくるランチ。スープとライスとサラダとメイン皿と小さなデザート。格式もテーブルマナーもあった物ではないが、確かに味の方は確かなものだ。
「ってデザートはジェラートかよ。早く食べねぇと」
「これはブラッドオレンジかな。いいね、さっぱりしていて」
食後にしては溶けてしまうと食前デザートに洒落込んだ。
「もしかしてここって、土産のジュース売ってるのか?」
店先の会計の方を見ればなるほど、確かに売っている。シャロンが休憩時間に買ったジュースとはこの店のものだったのか。
「そうだ。休憩時間って言えばシエラ、……歌姫シレナとエコー。それからシャロンの仕事は何時までだったんだ?」
「エコーとは12時まで。シレナもだね。ここのランチは14時までやっている。13時から3人とも仕事があったみたいだからここにいたのはその辺りまでだね。シャロンの次の仕事は中層街での仕事に向かった。他の二人は下層街でのチャリティーライブをそのまま14時半までやっていた」
「同じ仕事なのに時間が違うのか?」
「出演時間の差だよ。仕事量は二人よりシャロンの方が多い。一番人気はシャロンだから当然とはいえ……ね」
「なるほどな。それでシャロンの次の仕事って言うのは?」
「…………僕はあの包帯紳士から血の臭いさえしなければ、それはシャロンかも知れないと思ったかもしれない」
「え?」
「いや、もしかしたらシャロンの悪戯に付き合わされた誰かかも。シャロンがあの日やっていた中層街での仕事。仮装劇なんだよ。いろんな衣装に何回も着替えて歌って踊る。僕に仕事が長引きそうだから待ち合わせ時間変更を頼まれて、あの日の中層街の雰囲気で僕を驚かそうとしたのかも。ほら?シャロンにはそういうところがあるだろう?」
「確かに俺が出かけた隙に家の戸棚の中に隠れて、探し回ってる後ろから脅かしに来るような妹ではあったけど……」
「仕事が今ほど無かった頃のシャロンにはそれよくやられたよ……僕も」
シャロンの無邪気な悪意を思い出し、二人で遠い目になる。シャロンは人を驚かすのが好きだった。
「で……でも、流石に包帯男なんて。シャロンはそんな衣装用意してなかったんだろ?」
「うん。だけど周りの人がどうかまではちょっと……それにシャロンは信頼できない相手に僕とのことを頼むとも思えない。だから勿論他の人間、犯人側からの接触という可能性も大いにあり得る」
「唯、シャロンの悪戯に乗っかって犯人が悪巧みをした線も捨てきれない。その場合はある程度シャロンと親しい相手が関わっている。そういうことか」
「うん。僕が彼女の周りの歌姫から洗ってみているのはそのためだよ」
「……まぁ、その仮装劇の辺りのことを調べに中層街にも行く必要あるのかもな」
「そこはアルバと中層街の使用人に頼んで一応は調べて貰っているよ」
またあの男の名前。本当に信用できるのだろうか。屋敷でのやり取りを思い出し、カロンは頬杖をつく。
「ま、いいや。んで?その後の他の歌姫は?」
「エコーとシレナは、15時から二人は中層街で二日後の公演に向けてのリハーサルを行う予定だったみたい。だけどエコーとシレナの喧嘩でリハーサルは中止になった。だからこの間のアリバイはなくなってしまっているんだよ」
「喧嘩って、どうして?」
「アルバの情報に寄ると、……シレナのウンディーネ用の衣装が壊されたんだ。それは本人の管理責任の無さから来る、プロ意識の欠陥だとエコーに罵られた。シレナはそこでエコーがやったんじゃないかと疑って大騒ぎ。リハーサルが15時からということは着替えの時にもう既に二人の喧嘩は始まり、15時過ぎには二人はオペラ座を後にした。メインの二人が消えれば歌姫ドリスも歌姫マイナスも仕事が出来ない。ここで歌姫四人は16時まで空白の時間を持っているようなものだろ?」
「……アリバイを認められる奴は居ないのか?」
「歌姫シレナは一度泣きながら自身の中層街の屋敷に戻ったというのは目撃されている。そこから泣いて泣いて……役をシャロンに戻すことを考えた。シャロンが夕方に上層街の屋敷に帰宅することを思い出し、後は目立たないように服を着替えて上層街へ。そしてシャロンの死体発見……と推測することは出来る。だけど歌姫シレナは僕以上に使用人を持たない。全て解雇したと風の噂で聞いたよ」
「オボロスは……そっか。3日前はまだ下町にいる。2日前に俺と会った時は最近船から帰ってきたって言ってたし、……ていうか何であいつ空に来たんだ?」
「うんそうだね。一度彼とも話をしてみるべきかもしれない。……よって一番すんなりとアリバイを認めてあげたくなる歌姫シレナには、15時半から16時までのアリバイは無し。好意的に解釈してあげたくなるから白とはいかない。そこに犯人が隠れ潜んでいるかもしれないからね」
疑わしきは疑え。シエロはそんな口ぶりだ。ああ、また冷たい目をしている。
「君だって話してみて彼女が一番、今のところはマシだと思うだろう?」
「そりゃあまだ二人しか話してないし。エコーと比べたら誰だってマシに思えるだろ」
「僕はマシに見えた順から疑心レベルを上げて見ることにしているんだ。そうすれば情報の取りこぼしも少なくなると思うから」
「容赦ねぇな」
「容赦してあげる理由がないよ」
「シエロ……」
ああ、俺はその頃空にいなくて良かった。もしその日、俺がここにいたら……誰よりもシャロンを殺しそうにないという理由で俺にこの目が向いていたかもしれない。
3日前に空にカロンはいなかった。だからこそ一定の信頼を預けて貰っている。シエロが下町のカロンに助けを求めたのは、事件解決のため絶対に犯人に成り得ない助手が必要だったのだろう。
(もしかしたら……)
シエロはアルバですら疑っている心があるのかもしれない。何度も信頼できる人だよと繰り返すのは、信頼できていない、疑いたくない一心から来る甘えか弱さか。容赦する必要がないと言いながら、容赦している。
(それなら俺は……)
あの執事をも疑う勢いで、俺は俺なりに情報を集めて行かなければならない。そう考えるなら中層街での情報全てを白紙に戻す。全ての歌姫のアリバイはなし。歌姫シレナは15時半からなどと生温いことは言わない。15時から16時までのアリバイが無い。
「シエラ、歌姫ドリスとマイナスのその日の仕事を洗ってみたか?」
「15時のリハーサル以前の?二人はこの下層街でそれぞれライブをしていたはずだよ」
「なら物のついでだ。これ食い終わったらその辺りの情報確認に行こうぜ?何か新しい情報があるかも知れない」
「……解った」
シエロが頷くのを見て、とりあえずこの話はここまで。カロンはスープに手を付ける。
「そういやシエラ、歌姫達には協力者みたいな相手はいるのか?」
「事件当日、シレナには無し。今は下町から連れてきた使用人のオボロス君。エコーには……無し。足を引っ張る相手としては彼女のお兄さんのナルキス。ドリスには従者のメリアという女性が居る。マイナスは、下僕として複数の男女を連れている」
「……となると男が周りにいるのはエコーとマイナスか」
「いや、でもエコーの兄には無理だよ。あの男が女を襲うとは思えない。そんなことするくらいならナルキスは鏡の前で一人遊びにでも耽るさ」
「え、ええと……」
「会えば解る。否応なしにね」
自己愛者がシャロンに乱暴働くとは思えないと、シエロは言い……その線で怪しいのは複数の人間を従えている歌姫マイナスだと言う。
「上層街にはモラルがある。どんな性欲塗れの変態貴族も外で何かをしようとする者は居ない。基本的に屋内に連れ込むさ。彼らは衣装やらシチュエーションに五月蠅いからね」
「お前が言うと説得力があるな。やっぱお前変態か」
言われてみれば気を失っている内に空に屋敷に連れて来られて女装させられたりしてた。それを思い出したカロンは前言撤回に走る。
「か、カロン君……」
シエロは肩を落としていたが、溜息一つで心を切り換えた模様。
「それじゃ、話を戻すよ」
「ひ、卑怯だぞ!そうやって身を乗り出す振りをして机に胸を乗せるなんて!」
「……いや、僕からは何も言わないでおくね」
そういう発想をしている君こそ実は変態なんじゃないのかいみたいな視線を送られる。ちょっと心外だ。俺はあくまで正常な男だ。故に断言する。その胸は凶器だ。
そう思い目を逸らした……窓の向こうにもっと凄い巨乳が揺れている。
「なっ……!?」
しかも凄い露出度。なんて危険なドレスだ。ドレスって言って良いのかあれ。水着というかボンテージみたいなもんじゃないか。流石に際どいところは隠れているが、悩ましげなその肉体は……隠す方がいけないような気もする。
「大丈夫?カロン君?」
「ぶはっ!」
伝う鼻血を拭ってくれるシエロだが、身を乗り出して来た所為で谷間が、谷間が!
「安静にしてた方が良いかな。こっち来てカロン君」
椅子を並べて俺を横にし、その太腿を枕に貸してくれるシエロ。いや、シエラ様。全体的にはほっそりしてるので傍目にはそこまで気にしなかったが、必要なところにはしっかり肉が付いてるのがシエラだ。柔らかくむちむちの肉感の太腿、膝枕は天国だ。頬が緩んだのは俺の所為じゃない。このけしからん太腿が悪い。混乱した頭のカロンだったが、遠くで入店の鐘が鳴るのを知る。その直後、気の強そうな女の声と客のざわめく声がした。
「なんだい?随分と繁盛してるじゃないか。結構なことだね。だけどこのマイナス様の席がないとは言わせないよ?ランチ3人前。さぁ、案内して貰おうか」
「申し訳ありません、本日のランチは完売いたしまして」
「ふざけんじゃないよ!私がどれだけこの店に通ってきてやってると思ってるんだ!この恥知らずが!」
その女のドスの利いた声。それも凄い声量だ。一瞬辺り一帯が静まりかえった程だ。
「申し訳ありません。ですが本日は……」
「これはこれはマイナー様!毎度ご贔屓に!申し訳ないですねこいつ新入りでしてまだここのことよくわかってないんですよ。さぁさぁ此方へ!」
奥から来た店員が、受付を押しのけその女を何処かへか招いていく。皮肉にもそれはカロン達の後ろの席だった。その女が通り過ぎる時の角度が凄かった。袖やスカートは有るのに、胸から尻までは水着のような露出度。スカートにもスリットがありその太腿を大胆なまでに見せつける。そしてその足には黒のガーターがなんとも扇情的。ドレスにも皮のベルトをふんだんに用いて、拘束具のようなエロスがある。ああ、さっき窓の外に映ったのはこの人だったのか。カロンは妙に納得した。女は赤いドレス。その赤が見事なまでに映える長い黒髪。赤と黒の波長を上手く着こなせるスタイル抜群の美女だった。シエロよりも胸が大きい。だけどこの服ならシエロにも着こなせそうだ。ていうか見てみたい。シャロンがシエロに危ない衣装を贈ったという気持ちも今更ながら共感できた。
カロンが鼻の奥が熱くなるのを感じていると、店先では店員達が何やら口論をしている。
「馬鹿かお前!あれは常連客じゃなくてクレーマーだ!断ると面倒なことになる、適当に案内しとけ!」
「ですがあんなの他のお客様の迷惑ですよ!店の質が下がります!」
「それでも金払いのいいお客なんだよ!食べるだけ食べてクレームでタダ飯にでもされてみろ!それならいろいろ勧めて金出して貰う方がいいだろうが!」
嵐のような客に、店は戸惑っているようだが、女本人は気にしていない。
(彼女が歌姫マイナス……彼女は大声だから耳が悪いんだ。だからあんまり小声の言葉は聞こえない)
(……あ、あいつが)
シャロンを虐待したという義姉。じっくりその顔拝んでやろうと顔を上げるが……後ろの席には誰もいない。
「ひゃああああ!」
「シエラ?」
突然シエロが悲鳴を上げる。何事かと思った時にはカロンは床へと落とされた。
「そこの姉ちゃん、良い尻してんな」
「嫌、止めて下さい!」
見れば先程の女がシエロを吊り上げ胸と尻を揉んでいる。なんという早業か。シエロの両手には手枷と鎖。それを梁に繋いで足が着かないほどに浮かせている。
こうなれば両足をばたつかせるくらいしか出来ないが、暴れればスカートの中身を公衆の面前に晒すことになる。照れ屋のシエロにそんなことが出来るはずもなく、羞恥に震えている。その様を、女は舌なめずりをし悦に浸る。
突然現れたあまりの非日常。その光景にカロンは言葉も出ない。
「ふん、胸の方も悪くない。感度も良好。だが、こっちの方はどうかな?」
胸を触っていた手がそのまま服の中へと突っ込まれ下へ前へと伸ばされる。
「ひっ、やぁああ、やだ!」
「嫌嫌言う割りにこっちはもう濡れ濡れじゃねえか。欲求不満かい美人さん?なんなら今日うちに来るか?とびっきりの快楽で、たっぷりいたぶって泣かせて啼かせてやるぜ」
「な、何してるんだあんたっ!!」
「カロン君ん……」
色っぽい喘ぎ声。半泣きしているシエロに我に返った。そりゃあ泣くだろう。下着の中まで触られてているんだ。でもその顔もう少し見てたいような気がするのは多分気の所為だ。気の所為に違いない。
「お前がこの姉ちゃんの彼氏かい?ああ。こりゃ酷ぇ!まだガキじゃねぇか。まだ毛も生えてねぇ剥けてねぇガキはお家に帰ってママのおっぱいでもしゃぶってろ」
「その人は嫌がってる!さっさと離せ!」
「嫌だね。私はこの女が気に入ったのさ。雰囲気があいつに似てる。おまけに本当に、良い声で啼きやがる。それに見てみろよこの白い肌。さぞかし鞭と蝋の跡が映えると思わねぇか?なぁ?」
ぐっと俯くシエロの髪を掴み、顔を上げさせるマイナス。
「あっ!」
しかし不味い。シエロのウィッグは結う暇など無かったからさほど固定されていない。あんなに乱暴に掴まれたら……
「!」
ばさと広がる空色の髪。美しい青に人々は目を奪われる。店内が、いや外から様子を窺っていた人々も呆気にとられたように放心状態。シエロに魅了されている。
「あの髪の色……まさか」
「稀に現れる謎の歌姫……歌姫シエラ様なのか!?」
「う、歌姫シエラだとぉ?んだよ、んなの聞いたことねぇぞ?」
「彼女は中層街にしか現れない歌姫だ。下層街クラスの歌姫が知るはずがない」
「この私を馬鹿にしたのは何処の何奴だ!!」
「ははは!俺だよ俺!この俺の美貌に免じて歌姫マイナス、その子を放せ」
「はぁ!?」
歌姫マイナスが目を釣り上げて辺りを見回す。すると颯爽と現れる男が一人。
「嗚呼、俺はなんて罪作りな男なんだろう!」
不意に流れる哀愁漂う音楽。それから男を照らすスポットライト。
男はどこかで見たことがあるような深い黒髪。それから海のように深く美しい青目を持つ。嗚呼そうだ。歌姫エコーのそれに似ている。
(おいシエラ、何であいつの歩いてる所にスポットライト当たってるんだ?これ何の演出だ?)
(彼が選定侯家の一つ、アルセイド家現当主。ナルキス=アルセイド。エコーの兄で歩くナルシストだよ。あれは全部私財を投げ打っての演出らしいよ)
(貴族って奴は……貴族って奴は……)
見れば確かに。いつの間にか天井近くの梁の上には黒子みたいな者がいてライトを持っているし彼の後方には少人数の楽団がちゃっちゃら演奏をしている。
「こんな風に助けてしまっては、また俺に恋い焦がれる哀れな乙女が増えてしまう。嗚呼!しかし悪いな!生憎俺は俺以外の人間に興味はない!怨むなら惚れた自分を怨め娘よ!」
「…………」
シエロから挙動不審ではなく無反応を引き出すとはあの男、凄い。シエロは他人の振りをしようと目を逸らしている。しかし男はそれさえ好意的に解釈する図太さを持つ。
「照れているのか。確かにこの俺の美しさは直視出来ないだろう」
好意的に解釈した結果、この自己愛者はシエロへの好感度も上げたらしい。格好いい俺を格好いいと言ってくれる女が好き的なあれだ。
「……おい、下僕共。なんか勘に障るからこの男半殺しにでもしてやれ」
マイナスはピシャと鞭で床を叩く。すると予め客に扮していた彼女のファンが居たのだろう。全員がその合図に服を脱ぎ、これまたいろいろ際どい恰好になる。そしてそのままナルシストを襲いに行く。
「ふっ、このような醜い者に襲われて尚光り輝く俺が俺は恐ろしい」
何て言うか汚らしいおっさんに美女が凌辱されるエロマンガって良いよねの反対バージョンで下賤に襲われる俺美しいと悦に浸っているナルキス。
これにはマイナスも引いている。これはいたぶっても愉しくない部類の人間。何をされても「辱めを受ける俺のこの表情格好いい!美しい!喘ぎ声まで素晴らしい!」と興奮するだろう。これは下手なMより質が悪いとドン引きだ。
(な、何て奴だ……)
どんな言葉や暴力も、全ては自分への賛美歌か自慰行為に変えてしまう、何とも恐ろしい男。今朝見たエコーとは別のベクトルに怖い。
「な、なんだと!?」
「相手が脱ぐなら此方も脱ぐのが礼儀だろう。生憎見られて困るような粗末な身体はしていないのでな」
スポットライトに照らされる、男は服を脱ぎ捨てる。一切の迷いもなく一糸まとわぬ姿に。確かにそう言うだけのことはあったが、昼間から公衆の面前で全裸になる貴族なんて何処の世界にいるだろうか。
ちらとカロンが視線をシエロに送れば、シエロは目を逸らしたまま絶対零度の微笑、ていうか冷笑を絶やさない。その喧噪を聞くのも忍びないという表情。余程あの男が苦手というか嫌いなのだろう。同じ選定侯でライバルというだけの理由でもないような気もする。
しかしあの全裸の男、強い!丸腰にもかかわらず華麗な身のこなしで敵の攻撃をかわし、全てを沈めていく。
「ではいくぞ!これで止めだ!美しき素晴らしき至上の宝!国宝ナルキス様を讃え賛美し崇め奉り恐れ戦き戦慄する旋律の美しきナルキス様の歌っ!なぁ~るきぃ~す様ぁはかっこいいぃ~うつくしい~すばらしい~ったらせかいちぃいい」
その下らない歌詞が男の口から漏れた瞬間、一昨日シエロの歌を聞いたときのような衝撃が襲い来る。確かに認めよう。その声だけは美しい。いや、一応顔もなのか?
「か、歌詞はとんでもなく稚拙で酷くてどうしようもないし下らないのに、無駄に美声だあの変態!」
「ぶっちゃけ彼にはそれ以外の取り柄がないよ」
「残念だけど一応イケメンの部類に入るんじゃないのかあれ」
「中身で全てがマイナスさ。あれをイケメンと呼ぶくらいなら僕はラーメンでも担々麺でもお面でも仮面でも何でもイケメンと呼ぶことにするよ」
目は決してナルキス達の方へは向けずにシエロは吐き捨てる。そんなにあの男のことが嫌いなのか。シエロがここまで人を嫌悪するのは初めて見た。
しかし男の歌は本物だ。どんな魔法を掛けられたのか、近場でその波状攻撃を食らった人間は立ち上がることも出来ない。
見れば店内で無事なのはカロンとシエロ、それからマイナスとナルキス、この四人だけ。
他の人間達は男のふざけた歌にうっとりと恍惚状態。あの男も選定侯家の人間。それならこれも、人魚の歌か。
「く、くそぉ!あんな下らない歌で私の下僕を!!」
「さぁ、その子を放すんだ」
緊張感を表す音色の渦。よく考えれば歌の最中もメロディーとスポットライトは健在だった。雇われてる人達には免疫があるのか、それとも耳栓でもしているのか。遠目には後者のように見えた。目で見た感じでちゃんとBGM出せるってあの人達何気にスキルが高い。
「歌姫マイナス。妹から噂は聞いているが、お前の考えは間違っている。美しい者をいたぶることで更に美しさを見出しているようだが……真の美しさは何時如何なる時も揺るぎなく美しいものだ」
「は?」
「つまりそこにあるだけで美しさには限度がある。故に美しき者は俺のような最高に美しい者の傍に置くことで、更に輝く!俺は太陽!その娘は月だ!なんなら歌姫マイナス、お前もその月に加えてやっても良い。三流貴族を愛でる俺の懐の広さを光栄に思え。その愛を対価にその子を放せ」
「普通に嫌だ。このでか乳の姉ちゃんには痛みと恐怖と快楽をたっぷり教え込んでこっからどこまで胸がでかくなるか試してみてぇんだよ。一月も乳首責めだけやってればその内自分から腰振って泣いて欲しがる淫乱に調教出来る気がするし、こいつ素質あるぜ」
「大丈夫かシエラ?くそっ、これ外れねぇ」
二人の変態が対峙している内にカロンはさっさとシエロの拘束を解こうとするも、鎖は頑丈で外れない。素手で引き千切るのは無理そうだ。テーブルに備え付けのナイフ。それを手に外そうとするが上手く行かない。どうしよう。そう考える内に一人の女が現れる。どこから来たのか。見れば開いた窓からだ。
短い金髪で、飾り気のない服に帯刀した剣。一瞬男かと思ったが顔立ちには女性らしい美しさが残る。男装の麗人のようなその女性は剣を抜き、素早くシエロの拘束を解除。
ついて来いと言う風に首を動かし、窓の外へ。変態二人は変態講義に夢中でそれに気付いていないようだ。
「行けるかシエラ?」
「うん、ありがとう」
シエロはテーブルに少し大目に金を残し、カロンと共に窓から外へ。店内ではまだ変態二人が言い争っていた。
しかしこの人は誰だろう。このままついて行って良いものか。歩みを進める度に迷いが生じるカロンを見て、シエロは思い切った言葉を女へ投げかけた。
「あの、歌姫メリアさんですよね?今は歌姫ドリュアスさんの従者をしていると、風の噂で聞きました」
これは本人に聞くではなく、カロンに教えるためだろう。ドリスの従者。今朝聞いた話に出てきていた人だ。
「…………」
女は振り向き視線をシエロに。何か言いた気ではあったが彼女は何も話さない。
「助けて下さり、ありがとうございました。貴女が此方にいらっしゃるということはドリュアスさんのライブはこの辺りであるのでしょうか?助けていただいたお礼のご挨拶も兼ねて一度お伺い出来ればと……」
「…………」
メリアは首を振り懐から一枚の紙を取り出す。見れば最近の歌姫ドリスのイベント表だ。
「あ、今日は下町でライブなんですか。……あ、でも明日は此方にお帰りなんですね!嗚呼、でもお疲れのところお邪魔するのもよくありませんね。後日お礼の品を何か贈らせていただきますね。本日は真にありがとうございました」
シエロはイベント表を受け取り、一礼。そのままカロンの手を引いて中層街へと歩みを進める。
「そうか、リラさんはドリスと一緒に行動していないこともあるんだな。まさか彼女が残っているとは思わなかった」
「シャロンのシエロと同じ理由とか?」
「それはないよ。そこまで歌姫ドリスは今人気がない。男装の麗人とはいえ相手は女性だ。恋人ではないし嫉妬の対象にはならないだろう」
「そうか」
「うん。それに彼女は竪琴が上手いんだ。ドリスのライブでの伴奏を務めることも多いから……一緒に下町に下っているとばかり。ドリスと仲が良すぎて殿下から許可が出なかったのかそれとも……ドリスからの命令か」
「ドリスの命令?」
「彼女に何か探らせてるっていう可能性も捨てきれない。……歌姫ドリス。表面上は歌姫シレナよりも穏和で好意的。だが、彼女にもまだまだ裏がありそうだ」
「好感を覚えた相手ほど疑えって奴?」
「うん、そういうこと。女の人は、怖い生き物だからね」
「なんだよそれ」
「いきなり縛られてセクハラされた僕が言うと説得力があるだろう?」
「悲しいくらいにあるな」
二人で苦笑し合うと、シエロがカロンの服の膨らみに気付く余裕が出来た。
「ところでカロン君、それ何?」
「お前大目に支払っただろ。値段を見たら丁度良かったから……シャロンが土産に買ったっていうブラッドオレンジジュース持って帰ってきた」
カロンが腹から取り出した瓶を見て、シエロが目を見開いた。
「え、えええええ!何時の間に!」
「下町生まれを舐めるなよ。ていうか帰り際店先通ったろ。これも何かの手がかりになるかも知れない」
「そっか、流石カロン君!凄いなぁ!僕じゃそんなこと出来なかったよ。あの二人の所為で聞き込みもパーだし……」
「聞き込みってそもそも何聞きたかったんだ?」
「歌姫エコーの様子だよ。何か不審な点は無かったかどうか。シャロンに夕食を断られてカッとなってとか積み重なった怒りとかそういうのが無かったとも限らないだろ?」
「そこはシレナに聞けば良いんじゃないか?」
「第三者の視線での情報が欲しい。シレナはエコーに憧れているのなら、その情報は偏っているだろうから」
「……なぁシエロ、その紙見せてくれ」
「え?はい」
先程の女から渡されたドリスのイベント表。何時何処の何に参加しますよというファン向けの情報だ。それをカロンは3日前を辿った。ファン向けのものだからリハーサルなどの情報は書いてはいない。それでも……
「下層街での下町支援、チャリティーライブ。歌姫ドリスも参加してたんだ」
「なんだって!?」
シエロが紙を覗き込む。
「本当だ。彼女は午前の部に出ていたんだね。シャロンとエコーとは入れ替わりで顔を合わせない時間帯だ」
「ドリスの従者があの店の近くを通りかかったってことはあの辺りにはドリスも詳しいんじゃないか?もしかしたらエコー達が来る前に既にあそこで食事をしていたとか……いや、これは出来過ぎか」
「……でも完全には否定も出来ない。そうだね。ドリスと話す機会にはその辺の探りも入れてみることにしよう。アルバからの話だと、今朝うちに来たという従者も彼女だ。彼女が言うには……いや、彼女が持ってきた手紙には近日中に伺うとある」
「手紙?ドリスのか?」
「うん。メリアさんは喋れないから」
「え?歌姫だったのに?」
「だから歌姫じゃなくなったんだ。彼女は10年程前人魚まで近づいた……だけど咽を潰されて暴行に遭った。そして歌姫としての生命が絶たれた。最悪、今回のあの子と同じ事になっていたのかもしれないな」
「……だから俺達を助けてくれたのかな」
「それはないよ。だってもしそうなら彼女は僕らの正体に気付いていて、シャロンの死まで知っていることに…………」
そこまで言ってシエロが足を止めた。そこは昨日と同じ。中層街と上層街を繋ぐ階段。こうやってこんな話が出来るのも人がいないからに他ならない。
「どうしたシエロ?」
「そうか。その可能性もあるんだね。ありがとうカロン君」
「え?」
「だけどそれなら、何故?どうして?そうなってしまう。殿下辺りが何か情報を流したか?いや……だけどあの男は僕の呪いを知らないはずだ。ナルキスの阿呆もそこまで馬鹿ではない。それならどうして……」
何気ないカロンの言葉に、シエロは考え込んでいる。それについて行けずカロンは戸惑うばかりだ。
「……そうか、最低限あの腐れ殿下は僕が下町に降りたことは知っている。奴らの記憶は飛ばしたとはいえ、あの家で倒れていたんだ。片っ端から情報を集めればあそこがシャロンの生家でシャロンには兄が居ることは解るかも知れない。それで僕が誰に会いに行ったかを把握した?」
不可能ではない。不可能ではないがとシエロは苦い表情。
「あの馬鹿殿下がそこまで頭が回るとは思えない。うっかり愚痴を漏らしたのを歌姫ドリスが聞いて、そこで彼女が推理し理解した。そう考えるなら……」
「考えるなら?」
「歌姫ドリスは侮れない。彼女は唯の三流歌姫ではないかも知れない。何かとてつもない物を抱えているような気がする」
カロンはその言葉にごくりと息を呑む。それに続いてシエロもだ。シエロの不安が此方まで伝わってくるようで怖い。
それに気が付いたシエロが優しく微笑み、大丈夫だよ……とは言ってくれない。真剣な眼差しで、腰をかがめて視線の高さを此方に合わせ、両肩に手を置く。そしてゆっくり言い聞かせるよう言葉を紡ぐ。
「カロン君。彼女にはエコーと同等以上の警戒心を持って接して欲しい。僕も出来る限りフォローはするけど、何があるかわからない」
シエロも不安なのだ。それが解った。巻き込んでおきながらカロンをシャロンの二の舞にしてしまわないかと、それを恐れている。再びあの光景を見せられることを恐れている。そうならないためにも自分は大丈夫だと見せつけてやらなければならない。
「気をつけるのは……お前だろ」
「え?」
屈まれたと言うことは丁度いい位置にシエロの胸があると言うことで。これ以上は言わずもがな。
「この尻軽女が!シャロンというものがありながらあんな女に好き放題触られてるんじゃねぇよ!」
「ひっ!ちょっ!だめ!やめっ…!カロン君まで悪ノリしないでよ!僕が喘ぎ声の練習しても意味ないんだからぁっ!」
「勉強不足の俺には全然わかんねーな!もっと教えてくれよシエラ先生ぇ!」
これもシャロンのためだ。シャロンの物でありながらあんな女に触られたシエロが悪い。シャロンの兄としてこの浮気者を罰する必要がある。だから怨むなシエロ。……そういう言い訳でその胸を思い切り揉みしだく。
「それ以上は階段では危険ですよお二方」
上方から降る男の声。見上げれば黒衣の男、アルバーダ。カロン達はもう屋敷の傍まで来ていたらしい。
「アルバぁ……」
助かったと言わんばかりのシエロに少しカロンは苛立った。
「何だよ折角俺が気を紛らわせてやったってのに」
「何処の世界であんなセクハラ紛いの気晴らしがあるんでしょうね?気が晴れたのはカロン様だけなのでは?」
「そ、そうか。あれはカロン君なりの気遣いだったんだね。ありがとうカロン君」
そうじゃねぇだろ。今回ばかりはアルバとカロンの意見があった。互いにそんな目でシエロを見ていた。
「アルバも今帰り?……それじゃあ城に申し込みして来てくれたのかな?」
「はい。再発行の試験の届け出をして参りました。後は本番を待つのみです」
「そっか。ありがとう。日取りは?一週間後くらい?」
「いいえ。明日の夜です」
「ああ、そっか」
「善は急げと言うことですし、早めに証書を取り戻す方がいいでしょう。最短日程で申し込みました」
「ちょっとふざけんな!明日だって!?そんないきなり!!」
「って、あああああああ明日ぁ!?酷いよアルバ!僕だってまだそんな心の準備が!!」
「はいはい面倒臭いお嬢さん方はこちらへどうぞ」
軽々とカロンとシエロの首根っこを掴んだ執事はそのまま二人を屋敷へ運び、浴室へと叩き込む。
「ちょっ!何するんだよアルバ!外から鍵まで閉めるなんて!」
「塩水風呂と真水風呂を用意しておきました。お好きにお使い下さい」
「アルバぁっ!お風呂場でなんて痛いじゃないか!ここはシャロンに襲われたトラウマスポットなんだぞ!それに僕はふかふかのベッドじゃなきゃ嫌だ!」
「そんな甘えもあるとは思いましたので、防水マットレスの寝台を放り込んでおきました故何の問題もございません」
「って問題しかねぇだろうがあああああああああああああああ!!それにそういう問題でもねぇだろがぁああああああああああああああああああ!!」
カロンのツッコミが無駄に広い浴室内に響く。その声に振り向くは、浴室の扉を内から半泣きで叩くシエロ。その手にはまだ拘束具が残っている。なんというかエロい。
「試験突破のためです。面倒臭いので手っ取り早く練習でもなさって下さい。私は夕飯の仕度が忙しいので、これで失礼。ああ、のぼせないよう温度は適温にしておりますので問題はありません」
スタスタと扉の前から遠離る足音。その足音が希望、無音が絶望と言わんばかりに震えるシエロ。
「ど、どうしようカロン君」
聞きたいのは俺の方だ。カロンは視線を逸らす。すると何やら置いてある。
(……ご丁寧にあの野郎、風呂場にシャロンセットまで置いてやがる)
これに着替えて練習しろとでも言うのか?
(くそっ……!)
不意に歌姫マイナスの言葉を思い出す。あの時のシエロはあんな風に辱められて、否定の言葉が出なかった。シエロだって本当はこういうこと、……したいのか?されたいのか?
思い出すのはマイナスにセクハラされているシエロの表情。はっと目を奪われ動けなかった。だけど他の奴にあんな顔にさせられるなんて嫌だ。どうせなら……そう、どうせならこの手で。
「か、カロン君?」
「……シエロ、シャロンのためだ」
カロンは服を脱ぎ、シャロンの衣装に身を包む。それに戸惑うだけのシエロの手を引き寝台へと押し倒す。
「れ、練習……する、んだよね?僕は女のままで大丈夫?」
試験は最悪誤魔化してもやれる。そのために練習が要るとは聞いた。だがまだそんな練習はしていない。今からそんな練習程度で間に合うとは思えない。だからこそ、ここで……俺がお相子に持って行けるだけの理由が欲しい。俺だって男だ。一方的にされるばかりなんて嫌だ。
「練習じゃない」
「え?」
「俺は本気でやる」
状況を理解していないシエロの手。拘束具を寝台へと括り付け、そのまま馬乗りになる。こうまでされれば流石の鈍いシエロでも危機感を持ってくれた。
「か、カロン……君?」
「要するにちゃんといちゃつけるように、俺たちがそういう心を持てるようになれば良いんだろ?」
「そ、そう……なのかな、でもそれって……そんないきなり無理だよ」
「ああ、無理だな。だから無理矢理でも意識出来るようにする」
「意識って言われても……」
「仇討ちが終わるまでで良い。俺を本当にシャロンだと思い込め。でなきゃ何時か俺もお前も必ずボロが出る」
「ちょっ……駄目だよ!止めてよカロン君!」
こんなに強く拒絶されたのは初めてだ。胸を触った時もキスをした時も演技の一環だと笑って流してくれたシエロが本当に嫌がっている。顔は妹と同じなのに、何がそんなに嫌だって言うんだ。お前だって愛しのシャロンと同じ顔なら余裕とか言ってたじゃないか。
「今は俺が……私がシャロンなんだから。ねぇ……シエロ」
「……僕には、シャロンは裏切れない。例えカロン君。君でもだ」
シャロンの声を言葉を姿を真似たところで、お前はシャロンではない。その断定が深くカロンの胸を抉った。
「シエロ……これは劇だ。全部嘘だ。何一つ本当なんか無い」
役者は役のためにキスやベッドシーンを演じることはあるだろう?これもそれと同じだ。シエロとシャロンという恋人同士を演じるために必要なことだ。嘘を限りなく本当に見せるためには、本物と同じ事をしていく他にないじゃないか。
そんな建前で……一時でもこの人の視線をシャロンから自分へ移せるなら、どんな嘘だって吐こう。
「犯人を殺すまでだ。それまでで良い。その間だけ……俺を好きになってくれ。お願いだ……シエロ」
「カロン君……でもカロン君は、カロン君だよ」
「俺はシャロンだ!」
もう何を言っても無駄だ。乱暴に口付けて、そのドレスをはぎ取った。見開かれた目から大粒の涙が溢れる。飲み込むこともせずにシエロは涙を流す。
何もかもが終わるまで、シエロは一度として俺をシャロンと呼ばなかった。耳に残る俺の名前を呼ぶ声が、呪詛のように繰り返される。それは相手が気を失ってからもだ。耳に残って離れない。
「…………随分と楽しんだみたいだな溝鼠」
どれくらい時間が経ったか。鍵の開けられる音。現れた黒衣の男はカロンを一瞥、泣き崩れたシエロを抱きかかえ出口へと。
「これがあんたの狙いだろ」
その背中に声を投げればしらばっくれる男の声。
「はて、何の事やら」
「あんたは俺に甘いシエロが気に入らなかった。だからシエロが俺を嫌う理由を何か与えたかったんだ」
「責任転嫁も甚だしいな小猿。据え膳で手を出したのは貴様だろう」
「これだけお膳立てされて手出さない男があるかよ」
「やはり下町の人間は獣だと証明されたわけだ」
「……っ!」
怒りに駆られて顔を上げれば男の黒い瞳が、此方を見下している。
「生憎私はお前のような下らんことはしない。欲しい物が目の前にあって、それに手を伸ばす輩は総じてガキだ」
その言い方はまるで、この男もこれが欲しいみたいじゃないか。それで、でも手は出さずにじっと影のように寄り添う。それも一つの愛なのだとその目は語り、自分の感情はそこまで高尚な物ではなく、下らない醜い浅ましい恋に過ぎんと軽蔑されている。
「あの小娘と同じ顔ならば、この方を癒すこともあるか。そう思ったのだが見込み違いだ」
「な、何だよそれ」
「二度も言わすな。貴様は見込み違いだ。この方を傷付けるしか脳のない溝鼠。貴様は手順を誤った。あの小娘と同じ手順を踏むのが正解だと誤った」
「間違い……?」
間違いはこの手で触れてしまったことではなく、順序にあると男は語る。
「薄汚い小僧、貴様は男だ。おまけにガキだ。欲しい物は欲しいし我慢が出来ない醜悪な生き物だ。だからこそ貴様が耐えるに意味がある」
男の身で同じ男に抱かれるならば屈辱だ。屈辱を堪え忍んでまだ好意を告げるなら、揺らぐ心もあるだろう。
しかしそこまでの勇気もなく、言い訳のため呪いに付け込み女のままのこの人に手を出した。覚悟も勇気も苦痛も差し出すこともなく、欲しい物だけ奪っていった。お前の思いなどその程度なのだとこの男に、何も見ていなかったはずの男に看破されている。
「そこまでされれば頑ななこの方も、認めざるを得ない。貴様から向けられるそれが確かに愛と呼べる物なのだと。そうなればこの方の心も開けていっただろう。手を出したという引け目も与えられる。その胸の隙を突けばこんなことをしなくとも、何時か貴様はこの方をどうにでも出来たはずだ」
何のためにシャロンの衣装を置いてやったと思っていると男は嘆息。
「貴様はシャロン様を汚した者達とそうは変わらん。許せないと言いながら、貴様は許されないことをした。結局の所貴様はこの方に恋こそしたかもしれないが、貴様はシエロ様を愛してなどいないのだ」
「お、俺は……」
「自身の男を捨てられぬまま、相手に男を捨てろと抜かすか小僧。なんと理不尽な好意があったものだ」
もう、何も言えない。男はもう、振り向かない。だからカロンも何も言えない。
言い訳を聞いて欲しい人はまだ眠っている。不幸なことに、幸いなことに。
その口から目覚めて一番、飛び出す言葉は何だろう。それを思うと恐ろしい。泣き喚くだろうか。脅えるだろうか。嫌いだと、二度と顔も見たくないと罵られるのだろうか。
それならいっそあの海の上で、俺を罵ってくれればいい。俺は海へ帰る。叩き付けられて海へ還る。魂も天に昇らず、そのまま海の底へ沈むんだ。水妖の壺に囚われて、転生も許されず未来永劫嘆き悲しみ続ける。許してくれと歌い続ける。
あれ?どうしてこうなった。
捜査進める上でこいつらの関係どうにかする→証明書がいる→試験がエロ展開→その練習→あれ?
今回は精神はBLだが肉体的にはNL。
歌姫マイナーにセクハラされるシエロに滾って暴走してしまったんだろうカロン君。試験では自分がやられるてやるから、その前に前金身体で払ってくれ展開。
発想が健全な青少年とは言えない主人公(笑)