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9:黒衣の男と見舞客

※エコー注意報。=GL警報。

※シャロン注意報。=カオス警報。

海神の娘

  『知らないと言うことはとても幸せなことです。

   私は貴方を知る度に、貴方を知る喜びを感じることが出来るのですから。

   だから貴方の話す話を聞くのは、とても心が躍ることですわ!』



 翌朝カロンが目覚めると、何やら隣室から騒ぐ声がする。


(シエロの奴、何騒いでんだろ)


 目を擦りながら、隣室へと足を運ぶ。するとシエロはその眉を寄せ重い息を吐き、憂鬱そうに頭を押さえていた。


 「あのさ、アルバ……これはどういうことなのかな?」

 「シエロ様のご命令通り、シャロン様は怪我でしばらく養生をという情報を広めましたが故、このようなことになったのではないかと」

 「それはそうだ。ありがとう!だけどねまだカロン君にも心の準備があるだろう?それをいきなり他の歌姫達に引き合わせるなんて無茶だ!何を犯人の一味かも知れない相手を屋敷に上げて珈琲まで出してるんだ!」

 「ああ、彼がカロン様ですね。なるほど、確かにシャロン様によく似ていらっしゃる」

 「え?……ああ、カロン君起きてたんだ。五月蠅くしてしまってごめん」

 「一体何の騒ぎだよシエロ」


 欠伸を噛み殺しながら、カロンは尋ねてみる。

 シエロがわめき立てていた先には一人の男。10かそこらかシエロよりも年上のように見える。 20代後半くらいだろうか。彼は黒衣に身を包み、執事のような格好だが……その鋭い目付きからどうもその黒衣が暗殺者のそれに見える。

 何処までも冷静なその男の傍ではシエロが我が儘な子供のようにしか見えないのが少しおかしかった。シエロは朝からオロオロしている。何か困り事のようだ。こんな姿を見ると自分より幾らか年上だろうに全くそんな気がしない。今日のシエロはちゃんと男に戻っているのに不覚にも少し可愛いと思ってしまった。屈辱だ。


 「ああ、アルバが……ええと昨日話しただろ?この屋敷に残っている唯一の使用人。彼はアルバーダ。アルバーダ=グアイタ。長いから専らアルバと呼んでるよ」

 「お初お目に掛かります、カロン様」


 シエロからの紹介に男は此方に一礼。じっと此方に向けられる観察するような目が少し不気味だ。


 「え、ああ……初めまして」


 それでも一応挨拶されたのだ。カロンもそれに応じる。


 「それで結局なんだってんだよ?」

 「ええ、それは……養生中のシャロン様の、知人友人様方がそれぞれお見舞いへといらっしゃいまして。全員一度に来られても困るでしょうとそれぞれ別室へご案内しておきました。幸い皆様連れだっていらしたわけではなく、時間差攻撃で訪問されましたから」

 「し、シャロンの知り合いいいい!?」

 「だから言ったんだ。まだカロン君はシャロンをちゃんと演じられるかわからない。今日の所はお引き取りをお願いしよう」

 「しかしシエロ様。本当にシャロン様を心配し、訪ねた方も中にはいるでしょうが……そうではない方の方が多いのではないですか?みすみす犯人への手がかりを返してしまうのは悪手でしょう」


 黒衣の男の言うことはもっともだ。カロンもそれはそうだと思わされる。


 「如何に歌姫、演技に達者な女とはいえ、所詮はまだまだ子供。精神的には弱い部分もあるでしょう。ですから付け焼き刃なのは向こうも同じ。守りよりも攻めに転じる方が良いのでは?貴重な情報が失われる前にそれを刈り取る必要がございます」

 「そうは言うけど……」

 「ではカロン様、此方をお召し下さい。それでシャロン様の部屋でお待ちを」


 渋るシエロを押しのけて、男は俺に着替えを手渡す。シエロの意見など聞きもせず、ツカツカと扉へと向かう。


 「では10分後に」

 「ちょっと、アルバぁっ……」


 縋るシエロを払いのけ、男は来客の元へと向かったようだ。


 「……なぁ、あれが本当にお前の信頼出来る人なのか?」

 「……うん」


 昨日のシエロの発言へ疑問が生じたカロンが尋ねるも、シエロは頷く。


 「本当に?」

 「有能なのは確かだよ。それに弱気になる僕の言葉を無視して僕のやりたいことをやってくれる。そういう意味では全く頼りになるよ」


 しかしそう語るシエロはまたうっすら涙目だ。


 「でも彼最近冷たいんだよ。年を取ると丸くなるっていうけど彼の場合は年々角張っていくよ。昔はもっと優しかったのにさぁ……僕が慌てふためくのを見るのが好きとかそういう悪趣味開花でもしてしまったんだ、きっと!」

 「まぁ、確かにお前が慌ててる様は面白いかもな」

 「カロン君まで、酷い……」

 「じ、冗談だ、冗談だって!こんな時に呪い発動するなよ?」

 「解ってるよ」


 袖で目を覆ってから、シエロの声も平静を取り戻したようだ。


 「それでカロン君、頼める?無理そうなら寝てるふりでもいい。僕が向こうに適当に話をするから」

 「いや、大丈夫だ。記憶喪失の振りすればいいんだろ?」

 「うん。それで見舞客達から出来る限り情報を引き出そう」

 「解った。最善を尽くす。とりあえず着替えたけど……シエロ、髪はどうするんだ?」

 「そうだね……君はシャロンより短いから」


 シエロは昨日自身が使ったウィッグを手早くカロンにセットする。地毛と共に髪を結うことで固定をし、安全策を得た。


 「うん、これで大丈夫。シャロンに見えるよ」


 鏡に映る自分は、カロンが知る1年前の妹とは似ても似つかない。これが歌姫シャロンなのかと、胸が締め付けられる。シャロンの生の残り香に振れることで、昨日シャロンの亡骸を見たときよりもシャロンの死を身近に感じられた。だから悲しくて……やっと悲しいと思えたことが、嬉しくてほんの少し安堵した。


 「カロン君?」

 「何でもねぇよ。それで部屋っていうのは?」

 「ああ、君が昨日泊まった部屋。あそこがシャロンの部屋だよ」


 色々あったし深く考えずに使ったが、あそこがシャロンの部屋だったのか。再び隣室へと戻り、今度は何だか感慨深い。


 「あのさ、シエロ……」

 「何?」


 言葉を言いかけた時、部屋を叩くノックの音。どうやらもう、来てしまったようだ。


 「シャロン様、シエロ様。アルセイド様がお見えです」


 シエロはよりにもよってと言う顔だ。しかし妙に納得したような顔でもある。


(朝一で来てたんだ彼女が真っ先に……此方の迷惑お構いなしに)

(う、うわぁ……)


 シャロンの親友と呼ばれる歌姫はなかなか激しいお人らしい。友情に厚いと考えるなら良い子なのだろうが。


 「シャロンっ!」


 扉が開いてすぐに黒衣の男を押しのけ飛び込む黒髪の少女。昨日舞台の上での男装も様になっていたが、少女らしい格好をしていると清楚で可憐な印象になる。気の強そうな感じではあるが美少女だ。そんな子がいきなり抱き付いてきたのだ。正常な男なら多少はドキドキしてしまう。例に漏れずカロンもそういう男だった。


 「え、ええと……」

 「シャロン、話しただろう?君の一番の親友のエコー=アルセイドさんだ。君は何時もエーコと呼んでいたね」

 「可哀相にシャロン……頭を殴られたんですって?大丈夫なの?」

 「あ、ありがとうございます。頭はまだちょっと痛いですけど今はそこまででも……」

 「敬語なんてそんな他人行儀は要らないわ、私達は友達でしょう?いいのよ、ゆっくり思い出していきましょう?私も手伝う。それが駄目ならまた一緒に、新しい思い出を作っていけばいいのよシャロン」

 「ありがとう、エーコ……」


 ぎこちなくだがカロンが微笑めば、張り詰めた雰囲気だった少女も優しく微笑む。あ、可愛いな。良い子だな。でもなんか重い。付き合うのはちょっと無理なタイプだな。喋ってカロンはそう思う。


 「もう、病み上がりなのに昨日はわざわざ私に花を届けてくれたんですって?それにあの花大好きなの、本当に嬉しかったわ」


 「でも私は……また貴女と一緒に同じ舞台に立てる方がもっと嬉しい。元気になったらまた一緒に歌いましょう?約束ね」

 「あ、……うん」


 話の流れで頷けば、笑みを浮かべたエコーに小指を絡ませられて指切りさせられる。この子は針千本飲ませそうな怖さがあるよなと内心身震い。それでも同ランクの歌姫ならば、否応なしに仕事は共にする機会もあるだろう。


 「僕のシャロンのために、お忙しいところご足労頂き真に感謝しています、アルセイドさん」

 「別に貴方のためではございませんわフルトブラント様。大切な私の親友、シャロンのためですもの」


 何やら水面下で火花が散っている。シエロもエコー相手だと冷静に見える。というか二人とも互いを見る目がとても冷たい。どちらも選定侯家の人間だと言うから、天敵のようなものなのだろう。


 「それでひとつお伺いしたいのですがアルセイドさん」

 「あら?何かしら?」

 「3日前のことです。貴方と仕事でシャロンが顔を合わせた時間がありましたね。その時シャロンが何か不審な人物に脅えたような形跡はありませんでしたか?」

 「シャロンが?……そうね」


 手帳を取り出したシエロに習い、エコーも自分の手帳を取り出した。


 「私がシャロンと会ったのは11時の仕事ね。それで丁度良く休憩が入ったから二人でランチを一緒にしたの」

 「下層街でのチャリティーライブでしたね。失礼ながら貴女が下層街などで仕事をするなんて珍しいと私も驚いたものです」

 「それは他ならぬシャロンからのお誘いだもの。私、下層街にあまり詳しくないの。シャロンが美味しい店があるから案内してくれるって言うから私ついつい引き受けてしまって」

 「下層街ですか。私も余り詳しくはありませんが、そうですね。シャロンからは“くろねこ亭”という店のランチが安くて早くて美味だと聞いています。デザートバイキングもやっているとかでそれも絶品なんだとか」

 「ええ、その店ね。そうそう、シャロン覚えて……ないわよね。今度一緒にデザートバイキングに来ようって約束したこと」

 「ご、ごめんエーコ」


 カロンが極力記憶の中のシャロンを真似し、悪びれなく明るく苦笑すれば……エコーもいいのよと静かに首を振る。


 「だからね、今朝一番であの店からケーキ買ってきたの。貴女と一緒に食べようと思って」

 「あ、ありがとう!」


 エコーは寝台傍の椅子に腰掛け、寝台備え付けのテーブルに箱を置く。

 箱から出てきたケーキは下町では見たこともないような物で、宝石のように美しい。食べるのが勿体ないくらい。これで下層街レベルだというのだから、腐れ貴族は爆発すればいい。


 「はい、シャロン」

 「ちょ、ちょっとエーコ!私はそんなに子供じゃないわよ」


 自然な流れではいあーんとかされたカロンは流石にたじろぐ。その照れは可愛い女の子にそうされたことなのだが、子供扱いされた怒りに見えるよう必死に務めた。シャロンはそういうところがあった。何だかんだでませていた。俺が子供扱いするとよく怒る子だった。


 「あら、そう?ちゃんと食べられる?手とかは怪我してないの?」

 「大丈夫だもん!」


 エコーからフォークを奪ってケーキを口に運んで、一瞬天国が見えた。


 「お、美味しいぃいい……」

 「そう?なら私も朝の5時に店主を叩き起こした甲斐があったわ」

 「……出禁にならないと良いですねアルセイドさん」


 シエロの苦笑にエコーがギロと鋭い視線を送る。やっぱりこの子怖い。


 「それは心配有りませんわ。我がアルセイド家に楯突けばあのような下層街の店いつでも捻り潰してやれますもの」

 「エーコ……そういうのは良くないよ。それに私のお気に入りの店潰しちゃ駄目なんだから」

 「ふふ、わかってるわよ」


 エコーの様子を見る限り、俺のシャロンらしさはなかなか板に付いてるんじゃないか?そりゃあそうだ。何年あいつの兄貴やってたと思ってるんだ。生まれてからこの十数年ずっとそうしてきたんだ。たかだか一年ちょっと離れた位でそれを忘れるカロン様じゃねぇ。

 その事実を実感できて、カロンは満足気に息を吐く。そしてふと、シエロから送られる視線に気が付いた。

 それはさっきまでのカロンを見る目ではない。目の前に、本当にシャロンがいるような……愛情深い視線を注いでくれている。それが演技だというのなら、この男も相当な役者だ。


(それとも……)


 シエロにシャロンを錯覚させられるほど、俺の演技は素晴らしいのだろうか?そう思うとカロンは嬉しくて、鼻が高くて……少し寂しく悲しい思いに囚われた。


 「エーコ、ケーキって二つだけ?」

 「シャロンの食いしん坊!」


 そこが可愛いと言わんばかりにエコーが頭を叩く振りして頭を撫でてくる。


 「歌姫たるもの、体調管理も仕事の一環!プロフィールに嘘は駄目よ?嘘にならないように食べ過ぎで体重増やしたりは駄目なんだから」

 「いや、そうじゃなくて。シエロのは無いのかなって」

 「なんで私があの男なんかにお土産買わないといけないのよ」

 「本人前に、素が出てますよアルセイドさん」


 シエロのツッコミに、エコーがおほほと誤魔化し笑い。


(俺がシャロン……これがシャロンなら、きっと)


 相手が恋人でなくても、もしそれが俺だったとしても妹ならこうするはずだ。


 「シエロ……」

 「何?シャロン?」


 カロンの手招きに応じるシエロ。寝台の横へと膝をつき、顔の高さを同じにする。


 「それなら半分こしよ?はい、あーん」


 声が恥ずかしさで裏返らなかっただろうか。これはあくまで演技だ。そう言い聞かせて顔が熱くなるのを抑えようとする。


 「そ、それなら不要よシャロン!私もう一個買ってくる!ていうかフルトブラント様!このケーキあげますわ!」


 必死にそれを阻止しようとするエコーの前で、面食らったようなシエロが優しく微笑み俺の差し出したフォークを咥える。


 「本当だ、美味しいねこれ」


 目の前で華やぐ微笑みに、此方の顔まで赤くなる。


 「で、でしょでしょ!?……って私店の場所も覚えてないんだけどね!あはははは!」


 相手は女シエロじゃなくて男シエロだというのに、照れるというのは気が引ける。事故とはいえ二度もキスしておいて、今更間接キスくらいが何だというのだろう。浮かれる自分が恥ずかしい。


 「くぅっ……こんなことなら違うケーキにすれば良かった!」


 ギリギリと聞こえる音は何だろう。視線を横へ移すとエコーが美少女面を歪ませてハンカチ噛み締め歯ぎしりだ。


 「え、エーコ?」

 「あ、あらもうこんな時間っ!近い内にまたお見舞いに来るわねシャロン!」


 来た時と同じ勢いで扉の外へと出ていく歌姫。彼女に付き添うように、扉の前でスタンバイしていたアルバが彼女の退場に従った。


 「ふぅ……」


 そう溜息を吐くシエロの顔には二度と来るなと書いてある。


 「なんか、すげー子だな……」

 「ご覧の通り彼女はシャロンにベタ惚れさ」

 「え?」

 「もしも彼女が男なら、僕は彼女に暴行した犯人として真っ先に彼女を疑っただろう。そのくらいの危険さで彼女はシャロンに惚れている」


 淡々と始まったシエロの解説に、カロンは目が点になる。


 「だってあの子女の子だろ?」

 「ああ、女の子だよ。それでも女の子は女ではなく人間さ。誰に何に恋をするかなんて誰にも解らない」


 彼女の側面を特に否定もせずシエロは肩をすくめた。


 「でも、君の演技で助かった。今度下町のくろねこ亭に情報収集に行ってみよう。その時はランチもいいかもね。本当、美味しくてびっくりだ」

 「シャロンはお土産とか買って来なかったのか?」

 「仕事帰りには閉まっているし、休み時間に買ったら悪くなってしまうから無理だったんだろうね。デザートは数に限りがあるから大変なんだとも言っていたよ」

 「そっか」


 ちょっと落ち込んだような表情のシエロが可哀相で、それにカロン自身こんな美味しいケーキを出す店だ。ランチの方も期待できそうだと思う。


 「それなら俺もランチ食べたい。今度行こうぜお前の金で」

 「あはは、僕の歌姫様はお金がかかるな。うん、いいよ」


 カロンの無遠慮な言葉にシエロが少し持ち直した所で、聞こえてくる足音。そしてノック音。


 「シャロン様、シエロ様、ネレイード様がお見えです」

 「ああ、ご苦労アルバ」


 再び開いた扉。躊躇いがちに踏み居るは、昨日舞台で見た綺麗な金髪の少女だ。エコーとは違う方面に気が強そうな釣り目が今日は少し和らいでいる。そのためか皮肉なことに昨日よりもウンディーネ役に似合っている気さえした。


 「ご機嫌よう、フルトブラント様。それからシャロン……」


 礼儀正しく優雅に一礼する歌姫シレナ。成金とはいえ育ちは良いのだろう。その仕草には品がある。格式高い貴族のはずのエコーがあんな登場だったのだから、その仕草一つで好感を覚えてしまうのも無理はない。

 カロンでさえそうなのだ。それならエコーに手酷い扱いを受けたシエロはもっとそうだろう。そう思えばシレナに向かう微笑みに何か下心があるのではないかとカロンは苛立つ。

 昨日見た劇でもそうだ。この子、シャロンと同じウンディーネ役だったし。ぱっと見はその恋敵の貴婦人っぽいし。シエロは浮気者の王子の子孫でもあるんだから、こういう子もタイプかもしれない。そう思うとカロンの手はシエロへと伸びる。


 「痛たたたた、何するんだシャロン」


 本当は頬を抓ってやりたかったが客人を迎えるべく立ち上がったシエロには、寝台で身を起こしたカロンからは届かない。仕方がないので尻を抓ってやるに留めた。


 「べーつーにー……なんでもないですわー」


 涙目のシエロから視線を逸らしつつ、何故今シエロは女ではないのかと自分の不運さをカロンは呪う。どうせなら女が良かった。女の時に合法的に尻を触れる機会はないものか。


 「あの……これ、うちの使用人が作ったものだけど」


 エコーが持ってきたケーキの箱を見て申し訳なさそうにシレナが包みを取り出した。

 その菓子にはどうにも見覚えがあった。材料は違うがカロンの親友が度々差入れにしてくれるそれに似ていた。だからだ。うっかりこぼしてしまった。


 「あ!これってもしかしてオボロスの!?空に来てたの!?」

 「貴女記憶喪失なんじゃないの?」


 しまった。そう思ったところ、シエロがさらりとフォローを努める。


 「ああ、そうなんです……彼女は空に来てからの多くが思い出せない状態なんです」

 「まぁ……」


 助かった。シエロのその一言で、下町での話は普通に出して良いことにもなった。これは助かる。


 「そうだ、お菓子には何か飲み物が要るね。アルバ、新しく仕入れた豆はどこに置いていたかな」


 自然な流れでシエロが執事を引き連れ退室。シエロのフォローが無くなるのは不安だが、任せられた仕事があった。


 「あの……シレナさん」

 「……シャロンが私をさん付けなんて、何だか気持ち悪い」

 「それじゃあ、シレナ」

 「一度しか言わないわ。私の愛称はシレネ」

 「それじゃあシレネちゃん。これ……シレネのかな」


 首飾りを見せると、途端にシレナの顔が青ざめた。


 「私が殴られた現場の近くに落ちてたんだって」

 「私はやってないわ!私が見た時にはもうあんたが俯せで倒れてたっ!」

 「うん、だから私もそうは言ってないよ」


 この反応、これの持ち主は間違いなくこの歌姫に違いない。カロンは確信した。


 「それにシレネちゃん、私の脈まで確かめたわけじゃないでしょ?」

 「そ、それはそうだけど……あんなに血が出てて、あんた何ともないの?どうして生きてるの?」

 「まだ頭痛いよー。あっちこっち怪我も治ってないし。だけどこのシャロンちゃんがそう簡単にくたばるとでも?」

 「確かに殺しても死ななそうな不貞不貞しさはあるわね」

 「あはは、良く言われるよ」

 「…………そういえばあんた休憩時間にブラッドオレンジジュース飲んでたわね。土産に買ってたわね。……まさかっ!あんたそれぶちまけたんじゃないでしょうねっ!?人に心配かけさせるなんてっ!私あんたが死んだんじゃないかってっ!昨日も幻覚だったんじゃないかってエコーの馬鹿に馬鹿にされて本当大変だったのにっ!!」


 突然怒り狂ったシレナに胸ぐら掴まれる。シャロン……確かに昔からブラッドオレンジ好きだったなぁ。俺も好き。妹との思い出をしみじみと思い出しながら、カロンはシレナにがくがく揺すられる。

 だがこれ以上揺すられてたらうっかり胸に触れられて男だとばれてしまうかもしれない。

 一応シャロンのバストサイズに合わせての詰め物をさせられたが、兄としては妹のシークレットナンバーを知ってしまったことになんだか微妙な心境になったが、それでも一応完璧に変装したのだ。しかしそれがうっかりずれたりしたら堪らない。


 「痛いよシレネー……」

 「ご、ごめんなさい」


 傷が痛む振りをすればシレナはぱっと手を離す。


 「……それ、中身見た?」

 「うん。下町のこと思い出す切っ掛けもこれだよ」


 当然嘘だがそう言えば、シレナは納得してくれた。


 「はい」

 「返してくれるの?」

 「え、だってこれシレネちゃんのでしょ?」


 そう告げれば、乱暴に首飾りを奪い返すシレナ。目を逸らしつつ風変わりなお礼の言葉を吐き捨てる。


 「…………これからは精々気をつける事ね。私もあんたなんか死んでしまえば良かったのにって、多少なりとも思っているわ」

 「それってオボロスのこと?あはは、大丈夫大丈夫。オボロスは身内みたいなものだしちょっとそういうのは私無理って言うか、シエロもいるし」

 「違うわよっ!」

 「え?好きじゃないの?」

 「嫌いとは言ってないわよ!ってそういうことじゃなくてっ!」


 真っ赤になって俯くシレナ。


 「私……あんたに役を返すつもりで、上層街に行ったの。あんたが今日は早く帰るんだって言ってエコーの誘い蹴ったの見たから」

 「エーコの誘い?」

 「うん。何でもお昼奢って貰ったお礼にディナー奢ってあげるって言われてたのよあんたは。別にこれは私もたまたまくろねこ亭でランチ食べてたから聞いただけで、あそこのランチ安くて美味しいから選んだだけで、一緒に食べたかったとかそんなわけでもないし勘違いはしないでよね!ていうか私が同じ店にいるのあんた達気付かないし……」


 面倒くせぇこの女。可愛い顔してるけど面倒臭いのが勝る。こんなのに好かれるとはオボロスも可哀相に。そう思いながらもカロンは頷く。


 「だから夕方にここに来ればあんたに会えるかなって思って……」

 「役を返すってそんな……昨日あんなに立派にやれてたよ」

 「自信、なくなってたの。あんたが役蹴ってから、エコーの奴ますます風当たりきつくなって。それが私の技術不足なら仕方ないわ……だけどあいつ、私の全否定に掛かってるんだもの……辛いわ」

 「シレネ……」

 「あんたに私の気持ちが解る!?憧れの人にあんな風に真正面からどうでも良いことまで貶されまくるの!!あんたにはわからないでしょうね!あんたみたいな歌姫!誰かに憧れたこともないんでしょうよ!」

 「そんなこと、ないよ」


 シレナは歌姫エコーに憧れていたのか。先程の嫉妬女の側面だけでは「え?なんで?え?どこに?」と思わないでは居られないが、昨日の舞台を思い出せばわからなくもない。この子はあの演技をすぐ傍で見ていたのだ。惹かれるなというのが無理がある。相手は歌姫シャロンと並ぶ上層街随一の歌姫らしいし、選定侯家の貴族だ。成金商家の娘が憧れる要素は揃っている。

 新たに与えられた情報を吟味しながら、カロンはシャロンの演技に努めた。シャロンならここで何というだろうか。それを必死に考えながら。シャロンは何故この子に役を譲ったのか。それを考える。


 「私はここに来てからのこと思い出せないけど……昨日のみんなは凄い輝いてた。私は昨日のシレネ達に憧れた。私が貴女に役を譲ったというのならそれは、私が貴女のウンディーネを見てみたかったんだと思う」


 シャロンは哀れみでそんなことはしない。するはずがない。それが相手を傷付けると知らないはずがない。あの子は人の痛みに敏感だ。

 だからそうするとしたらそれは、違う意味。


 「私の、ウンディーネを……?」

 「うん。シレネちゃんならあの役をどう演じるんだろう。そう思ってわくわくしたんだと思うよ」

 「あんたが、私の演技を見たかったっていうの?」

 「だって私のライバルはエーコじゃない。シレネちゃん」


 無論シエロの言葉の受け売りだが、その設定を俺は信じる。


 「昨日のシレネちゃんを見て、それだけは思い出したよ」

 「シャロン……」


 しかし不味いな。上手く行きすぎた。最悪この子には正体ばらしても良いと言われたのに、まんまと騙されてくれてるよこの子。捻くれてはいるが、良くも悪くも素直な子なのかもしれないと、カロンはシレナを結論づけた。



 「あ、でもシャロンちゃんには愛しのアモーレシエロがいるから恋のライバルにはなる気ないからね!」

 「私はあんな女々しい男に興味ないわよ!」

 「え、ええと……珈琲持ってきたけど、お邪魔だったかな」


 相変わらず間の悪いシエロ。うっすら涙目。そこが女々しいと言われる所以か。これにはカロンも否定が出来なかった。しかしシャロンならばここで……


 「きゃあああああ!涙目のシエロ可愛いぃいいいいいい!!こっちおいでおいでー!シャロンちゃんがなでなでしてあげるっ!」


 我ながら自分の口から漏れる言葉が恥ずかしいが、シャロンならきっとこうする。下町で泣いてる子供見つけると大体こんなテンションだった。


 「え?」


 でも中身がカロンだと知ってるシエロは流石に戸惑う素振りを見せた。シレナはそれを第三者の前ではいちゃつくことに抵抗がある貴族の矜持と見て取ったらしい。


 「なんか、お邪魔みたいなのは私みたいね」


 出された珈琲をすすりながらシレナが苦笑。コップを皿に戻して早急に立ち上がる。


 「いちゃついてる暇があったら歌の練習もしなさいよ!復帰したときにあんたのレベルが下がってたら怒るんだから!」

 「ではお送りいたします」


 アルバが一礼、シレナを連れて再び下がる。その足音が完全に消えた後、シエロが視線をカロンへ向けた。


 「どうだった?」

 「やっぱあの時計はシレネのだった」

 「そっか」

 「シレネはウンディーネの役を断りにシャロンに会いに来たんだって。憧れのエコーに大分苛められて精神的に参ってたとか」

 「なるほど……」

 「あとシャロンは休憩時間にブラッドオレンジジュースを買ってた。土産にも買ったらしい。シレネには血だまりがそれだと思わせて話を進めた」

 「ふむふむ」

 「シャロンはくろねこ亭でエコーにランチのお礼にとディナーに誘われたが、お前との食事のためにそれを断ったみたいだな」

 「……そうか。それじゃあ一度くろねこ亭には行ってみる必要がありそうだね。アルバ」


 シエロの声に、扉の前に戻ってきていた執事が室内に入る。


 「幸い先のお二方は本日下層街には予定が入っておりません」

 「歌姫ドリスは?」

 「今日は下町での活動のようです。昨日のお礼とお見舞いに、近日中に窺いたいと従者の方が訪ねてきましたが、それだけ伝えて帰って行きました」

 「よし。それならカロン君!善は急げだ!今日はランチに行こっか!」

 「しかしシエロ様、そのお姿では危険かと」


 さっと懐から取り出した小瓶。それを勢いよくシエロにぶっかけるアルバ。とんでもない使用人が居たものだ。しかしもっとけしからんのはシエロの胸だ。今のは海水だったのか。シエロは再び女になっている。


 「ぶはっ!何するんだよ、……うぁ、びしょびしょだ」

 「では此方をお召し下さい」


 愉快げに何処から取り出したのか解らない女物の服を、シエロに着せようとする執事。


 「ちょっ!いきなり脱がせないでよ!カロン君も見てるんだ」

 「主の着替えを手伝うのも私の仕事にございます」


 シエロが嫌がってるせいか無理矢理暴漢に襲われてる淑女の図にしか見えない。止めないとと思うのだが、嫌がる女シエロの顔と声にドキドキして声が出なかった。まったくいつ見てもけしからんバストをしていやがる。あれは視界の暴力だ。横暴だ。故に目がそらせない。


 「シエロ様の豊満なバストのためにはしっかりとくびれを見せてメリハリが大事でございます」


 カロンの視線に恥じらうシエロをお構いなしに、アルバは着替えを進めていく。


 「なんだ、下着は着替えないのか」

 「がっかりしたような声出さないでよカロン君……」


 胸から視線を下に落とせば、ひぃいと脅えたシエロの声。


 「見ちゃ駄目!駄目だから!駄目だってばカロン君っ!」

 「お前何で女物なんか着てんだよ……」

 

 昨日の女装のまま眠ってしまったんだろうか。いやそれならどうして男に戻ってるんだ。

  

 「シエロ様は生来そそっかしくいらっしゃいます。言うなればドジっ子です。予め女物の下着を着用していれば最悪何かあっても元から女と誤魔化すことが可能です。仮に男の時点でそれを見られたとしても変態と呼ばれるだけですみます」

 「そんな理由で君は僕に女物の下着しか買ってこなくなったんだよねアルバ」

 「お言葉ですが、シエロ様の下着選びにはシャロン様が参加していたことをお忘れですか?」

 「誕生日に女物の下着一式セットとかエロい衣装笑顔で渡された僕はどうすれば良かったんだろうか」

 「カードには“これでエロシエロに進化してね♪”とか書いてありましたね。現に着せられていらっしゃいましたよねシエロ様。それはそれはシャロン様のテンションも鰻登りで昨夜はお楽しみでいたねとしか言いようがありませんでしたが」

 「あれからしばらくははいずり回る手の感覚が三日くらい残ったなぁ……シャロン」 


 シエロは最愛のシャロンに随分と遊ばれて来たらしい。ますます記憶の中の妹からの乖離が激しいが、何だか納得してしまいそうな素質が妹にはあったような気もする。好きな物は徹底的に弄り倒す傾向があった。近所の野良猫はシャロンに撫でられすぎてストレスで禿げた。近所の捨て犬はシャロンにもふもふされ過ぎて常に動かない石のような無気力になった。本人は一緒に遊んでいるだけのつもりだったのだろうがオボロスの家にいた小鳥はシャロンに歌合戦で負けて無口になった。その悪びれない無垢故悪意じみた愛情が恋人という対象に向かった場合どうなるのか、俺は今それを見せられているのかもしれない。


 「ですが、これもシエロ様の身を案じるがため。王家の秘密保持のためと私も心を鬼にして……」

 「その割りにあんたなんかシエロの着替え手伝う手が嫌らしくねぇか?」


 その手は決してその胸や尻を揉んだりはしないが、着替えを手伝う振りで指で手の甲で際どい部分に触れている。なんというか卓越した技術を持つ痴漢のようだ。それで手がかりを掴めず訴えるに訴えられない被害者のような顔をしたシエロがいる。


 「口を慎め汚らわしい下町小僧が」


 いきなり汚い言葉使いになった執事に押され、言葉を失うカロン。


 「こんな美女が前にいたら当然触るのが男だろう。大体脱がせた時にこの顔で男物の下着でも出て来い。気が萎える」

 「シエロ、本当にこいつ使えるのか?リストラした方がいいんじゃないのか?」

 「ああは。もしもシャロンが居なかったら僕、いつか彼に食われてそうな気がして来たよ」

 「いや、笑い事じゃないからな。危機感持てよな。何うまい冗談言ったみたいな顔してるんだよ。こいつ本気でやりかねない顔してんぞ。今のすっごい変態面してる」

 「いや、だってそりゃあ呪いでこんな身体になるけど僕は男だよ。アルバだって紛い物の女よりは普通の女の子の方がタイプだろう?そんな身の危険なんてあるわけないじゃないか」

 「まったくその通りでございます」

 「あはは、だってよカロン君?」


 駄目だこいつ……まるで危機感がねぇ。実際襲われるまで何も解らないに違いない。一瞬身の危険を教えさせてやろうかとも思ったが、「演技の練習?」とか首を傾げられたら俺が凹む。


 「アルバの女好きは根っからだよね。昔の方が優しかったのは僕を女だと思ってたからとか呪い発動時の方が優しいのもその所為だったりして」

 「まったくその通りにございます」

 「あはは。だってよカロン君?むしろ気をつけた方が良いのはカロン君だよ。シャロンみたいで可愛いし」

 「いえシエロ様。私にも選ぶ権利というのがございます。下町の溝鼠になど食指が動きません」

 「て、てめぇ……好き放題言いやがってっ!」

 「大丈夫だよカロン君は可愛いよ!僕は余裕で食指が動くよ!」

 「阿呆かっ!」


 そんな風に褒められても嬉しくない。どうせ“シャロン”にそっくりだからって話だろ。第一口ではそんなことを言う癖に、実際は何もしない。ああ、その軽口が憎い。縫いつけるか塞いでやりたい。

 一発殴ってやろう。そう思って顔を上げた時……鼻血が出た。ドレスを着る前の下着とコルセットにガーターというなんともまぁ……あれな姿だ。誘っているとしか思えない。


 「くそっ……」

 「おやおやカロン様。確かにシエロ様はお美しい方ですが、その精神は男性でいらっしゃいます。それを理解していながらその様とは私と貴方のどちらが下劣で低俗な変態なのでしょうね」


 アルバには敬語を使われる方が嫌味だと感じるのは何故なのか。カロンはアルバを睨み付けたが鼻血姿ではどうにも決まらない。


 「もう、アルバ!カロン君を苛めないでよ。カロン君は思春期だし紛い物の女の裸でも見せられたらそれだけで鼻血が出てしまうようなラインハイトでピュアな子なんだから」

 「シエロ様は一度ラインハイトとピュアの意味を調べ直すことをお勧め致します。そんなことを言っているからあの下町小娘……げほん、シャロン様に襲われたり掘られたりするんです」

 「え?」


 一瞬何を言われたのか解らなかった。しかしシエロは頬を赤らめている。


 「や、止めてよアルバ!そういうこと言うのは!」

 「おいシエロ、俺の妹は女だぞ?お前らこそなに言ってんだ?」

 「おやおや……実のお兄様の癖にそんなことも知らなかったんですか」

 「いちいち勘に障る奴だなおまえ」


 大げさに溜息を吐くアルバにカロンは拳を握る。シエロを殴れない分こいつを殴ることにしよう、これから。


 「あ、あのねカロン君。まだ君に一つ言い忘れてたことがあるんだけど……シャロンは唯才能があるだけじゃなかったんだ」

 「どういう意味だ?」

 「シャロンも僕と同じで呪われていた」

 「シャロンが呪われる?俺らの家系に人魚と王子の血でも入ってるのか?」

 「ううん、そうじゃなくて……一つ昔話をしよう。この国に伝わる人魚の話だ。この国で広く知られるのは二人の結婚後の話、そこからの浮気の話だ。だけど呪いはそれより以前……語られない部分にある」

 「……語られない部分?」

 「海神に呪われたのは王子だけじゃない。人魚ウンディーネもなんだ。あの劇はその二人よりも昔の話だからああだけど、その二人の悲恋から海神は人間界に娘を送り込むことを止めたのさ。人と水妖の恋が破局する……魂を得る喜びの先に魂を失う悲しみがあるのなら、魂など持たぬまま滅んだ方が良い。その方が娘達にとっても幸せなことだと考えた」


 一度の裏切りは、人と水妖の世界の交わりさえ絶つ原因になったのだとシエロは語る。


 「つまり僕のご先祖様の時代では、水妖と人の恋はタブー。それは許されない恋だった」

 「へぇ……そうだったのか」

 「うん。だから海神は人間と想い合った娘と、王子を呪った。他の娘達が危険な恋に胸を躍らせることがないように、見せしめだよ」

 「自分の子供を呪うなんて……酷い親だな」

 「他の娘達の幸せのために心を鬼にしたんだよ。再び娘達が裏切られることがないように。それも親心さ」


 シエロは自身を呪う神をも否定はしない。不思議な人だとカロンは思う。


 「王子にかけられた呪いは僕のそれと同じ。海水に触れれば性別が変わる呪い。海神の娘にかけられた呪いは……恋した相手と同じ姿になる呪い」

 「え?」

 「男に恋すれば男に。女に恋をすれば女に。犬猫に恋をすれば犬猫に。鳥に恋すれば鳥になる。虫に恋すれば虫になる。……勿論性別まで同じ物にね」

 「それって何か意味があるのか?」

 「大ありさ。例えばカロン君……もしも今の僕が君の恋人で、結婚してこれから初夜を迎えようとする時に……突然男になってご覧よ。大抵の人はそこで百年の恋も冷める。その程度なんだよ、人の恋なんて」


 溜息を吐くシエロの言葉。咄嗟に否定の言葉は出なかった。


 「そう、そうなればきっと……いつかは冷たく罵るはずさ。海神の酷いところはそう……二人の結婚式の後にその呪いをかけた。花嫁が花婿を拒むと言うことは、世継ぎを必要とする彼の立場からすれば大問題。他の妻をと考え始めるのも無理はないよ」

 「でも……」

 「うん。でも海神の娘だって辛いはずだよ。正体を告げれば嫌われるのは目に見えている。このまま隠し通せば少なくとも罵られるまでは傍にいられる。彼女はそう考えたんだろうな」


 どちらを選んでも破局は避けられない。そういう呪いだ。酷い話があった物だ。二人を呪い、今なおシエロを祟る海神に、カロンは苛立ちを覚えた。


 「だけど他の女と彼が寄り添う様をもう見ていられなくなったんだ。彼女は罵られる覚悟で彼に正体を明かした。こんな私を見て、それでも愛してくれますかと」

 「正体、ばらしたのか?」


 どうせ別れることになるのなら、自分の手で。そう思ったのだろうか。

 けれどそんな勇気ある行動、よく選べたものだと驚くカロンに、その勇気に運命が味方したのだとシエロは言った。


 「彼はそこでこれまでの彼女の辛さを思い知った。彼女を厭い始めた理由に自身を襲う呪いもあった……しかし呪われたのは自分だけではなかったんだって知って、前にも増して彼女が愛しくなったんだろう。の、……呪われたまま二人は結ばれて、そこで二人の呪いは解けた」


 シエロが恥ずかしそうなのでカロンは詳細にはツッコミを入れないことにしたのだが、アルバの方は俯く主をからかいたくて仕方がないようだ。


 「はて?浅学の私にはそこのところよくわかりませんねぇシエロ様?何がどうなって二人が結ばれたんですか?その可愛らしいお口からはっきり言っていただきませんと。誰が何処に何をどんな感じにどんな体勢で?」

 「そ、そんなの僕は知らないよっ!」


 もう止めてと両耳押さえる女シエロにまた一筋、カロンの鼻から流血が出た。


 「と、兎に角だよ。そこで一度めでたしめでたしになるわけなんだ。だけどその数年後に王子が彼女を裏切った。もう今度こそ許せないという海神は彼を海への生け贄と所望した。そうしなければ国を滅ぼすと怒って……それで海に捧げられることになった王子に海神は、海獣に襲われる呪いをかけた」

 「自業自得じゃねぇか」

 「うん。そうなんだけど人魚ウンディーネは彼を庇った。裏切ったのは自分だと言い張り、海神の前で命を絶った」

 「それは聞いたことがあるな」

 「うん。この国では有名な話だね」


 ようやく話が見えてきた、カロンの言葉にシエロも頷く。


 「最低の屑野郎でも娘が愛していた男であるのは確か。伝承に倣って少なくともその屑野郎は彼女を罵りはしなかった。だからその幸せを壊してしまったのが自分なのだと海神は知り大いに嘆き悲しんだ。その嘆きに呼応して呪いは再び甦り僕ら二人の子孫は祟られることになった」

 「……それとシャロンがどう関係するんだ?うちの家系は関係ないだろ」

 「それでもシャロンは呪われた。それはつまり、シャロンこそ……海神の娘の生まれ変わりなんだ」

 「ええええええええええええええええええええええええええええ!?」

 「呪いが再び甦ったということは、人魚の魂レベルで呪いがかけられている。魂を失わずに死ねた人魚はその呪いを持ったまま今度は人に、……シャロンに生まれ変わった」

 「はぁあ……シャロンが、伝説の人魚の生まれ変わりぃ?」


 にわかには信じられない。しかしそれが本当ならなんだこれ。人魚と王子の子孫と、人魚の生まれ変わりが恋人になるなんて、何処のラブロマンスだ。聞いてるだけで恥ずかしい。


 「そ……そういうわけでシャロンは、……僕と結ばれるまで男だった時期がある」

 「ま、マジで?」

 「でもそのままだとシャロンの命が危ない。歌姫としての仕事に支障も出る。だから僕らは呪いを解くことにした」


 呪いを特って言うことは、つまりそういうことをするってことだよな。カロンはまた詳細を突っ込むのは止めておいたが、黒衣の男は容赦ない。


 「“んじゃ、貴方に海水ぶっかけて女にすればいいじゃない。それとも今のままやられたい?”との声の後にシエロ様の寝所からはそれはそれは艶やかな悲鳴が上がったのを私はまだ覚えておりますが」

 「嫌ぁああ!わ、忘れてアルバっ!!ううう……だってシャロン激しいんだもん。痛かったなぁ……あれは流石に」

 「し、シャロン……」


 一応元はお前が女なんだから、そこで抱かれてやるという選択肢はなかったのか我が妹よ。ああ、でも確かに一度そう決めたら誰が何を言っても聞かないところは昔からあった。ミックスベジタブルは何が何でもニンジンだけ毛嫌いし残す執念深さがあった。そんな親の仇を見るような目でニンジンを見る妹の心だけが当時は理解できなかった物だ。カロンはそこでやはりグリーンピースだけ払いのけた皿を差し出し固い握手を交わし妹とニンジングリーンピース交換条約を交わしたことを思い出していた。ちなみにコーンだけは油断するとどちらの皿からも消える。親父がコーンが好きだったのだ。年甲斐もなく我が子の皿に少なめにコーンを仕分けるという非道な側面を持った父親だった。後にシャロンとコーン死守戦線同盟を結んだのは別の話である。ってそんなことは今はどうでもいい。シエロの話に耳を傾け直す。


 「その後はシャロンの呪いも半分解けて、僕と同じ物へと変わった」

 「なんで完全に解けなかったんだ?」

 「僕らまだ結婚してなかったから」

 「ああ、なるほど」

 「でも塩水と真水で性別を変更させられるというのは歌姫シャロンにとって凄いメリットだった。僕とは違うところと言えば、発動条件。彼女は全身水に浸かるか或いは、水を飲むことでシャロンの呪いは発動。だから人前ではよく水じゃなくてジュースを飲んでたね」


 シエロとは呪いの度合いが違うらしく、随分と勝手が良い。切り替えが便利に出来ているようで汗や涙程度で変身することはなかったようだ。しかし……


 「メリットって……?お前と日替わりで色々楽しめるって話か?」

 「な、何てことを言うんだカロン君……そ、そりゃあシャロンの気分であっちこっち僕は振り回されたけど」


 シエロが遠い目をしている。よくも俺の可愛い妹を汚しやがってと殴りかかった相手が、その可愛い妹に汚されたと知った日に、兄とはどういう目をすればいいものなのか。この様子から見るに、男のままの時にもやられてしまったことがあったんだろうな。………………ええと、それくらいされたら、まぁ……お相子でシャロンの初めてがシエロに奪われても仕方がないような気もする。


 「メリットっていうのは歌姫として。彼女の二つ名は奇跡の歌姫。彼女は性別を変えることで本来女性ではあり得ない音域を行き来出来たんだよ」

 「あっ……」

 「少年と少女、女と男の声を出せる彼女に歌えない歌はない。他の歌姫達と絶対的な差を見せつけたのは彼女の才能と努力のみならず、この呪いのためでもある」

 「シャロン……」


 凄い。シャロンは呪いを歌に変え、歌姫になったのだ。そう思うと自分には、妹ほどの才能は無いように思える。シエロは俺を買い被りすぎだ。本当に俺で役に立てるのか、不安になる。


 「彼女は人魚の生まれ変わり……そんな彼女が人魚になって海神との対話に望めれば、きっと彼との和解も可能だ。下町を襲う水害もやがては消える……全てが上手く行くと、僕らは信じていたんだ……」

 「シエロ……でも、俺は」

 「さて、長話でお腹空いたね。久々の外食だ!楽しみだなぁ……行こうかカロン君!」

 「シエロ様、そのままの格好ではシャロン様が目立ちます」

 「でもシャロンとして聞き込みに行くならそれが自然だろう?僕は知り合いの歌姫の振りでもするよ。生憎歌姫シエラは神出鬼没さ」

 「シエラ……?それって昨日使った偽名?」

 「半年くらい前かな。シャロンの仕事で欠員が出てさ、……あの頃のシャロンには中層街で初めてメインの役を貰った大事な仕事だったんだ」


 それまでもちょい役は貰っていたがメインの役、初めての大舞台だったんだとシエロは言う。絶対成功させてやりたかったと。


 「だけど王子役が重傷でね……中止になりかけた。だれかそれなりに歌えて見栄えの良い歌姫は居ないかって話になったんだけど、そんな子当日に探しても無理だろ?そこで僕はシャロンに有無を言わさず塩水をぶっかけられた」

 「シャロン……」

 「確かあの日のシエロ様はシャロン様に楽屋に連れ込まれ呪いを発動され“引き受けないとその胸もう1カップ上がるくらいに揉みしだく”とか“そのでっかい胸が本来の使い道が出来るように中に出されたいわけ?サッカーチーム作れるくらい孕ませるわよ”だとか“これでも頷かないなら私も呪い発動して引き受けるって言うまで後ろも前もあんあん言わす”とか脅されてましたね」

 「だ、だからアルバ!そういうことは言わないでってば!シャロンのお兄さんの前なんだよ!?」

 「し、シャロン…………」


 お、女の成長って早いんだな。一年そこらで自分の知る妹像から離れていくシャロンの姿。いや、確かに女シエロの胸は本当に魅力的だが。


 「その後は最終的に“引き受けてくれたら今晩は大人しく私が抱かれてあげるわよ”とか言われて引き受けたんでしたねシエロ様。いやはや、そのような外見でもシエロ様は男性でいらっしゃるんですねお可哀想なまでに」

 「うう、……何とでも言うがいいさ。そりゃあ僕だって男だしシャロンにそういうやましい気持ちはあるけど、僕は別にシャロンとなら何でもいいしどっちでもいいし」

 「なるほど。結局俺のシャロンに手を出したって言うのは事実なんだな」

 「ご、誤解だよカロン君!いや、そんなに誤解でもないけど」

 「おい下町小僧、何故そこで私の足を踏む」

 「カロン様だ、クソ執事。女に手なんか挙げられるか」

 「ちょ、ちょっと二人とも喧嘩しないでよ!あ!」


 シエロが自分の足に躓いてテーブルの上のカップを引っ繰り返す。


 「やれやれ。流石はシエロ様。一日一度は何もないところで転ばれる術にかけては他の追従を許さないだけはありますね」

 「ぼ、僕だって直そうとはしてるんだよ」

 「いえ、それはおそらく死んでも治りません」

 「ひ、酷いよアルバ!……嗚呼!ごめんカロン君!折角の服にシミが……っ!アルバ!すぐに着替えと洗濯の準備を!僕は掃除をするよ」

 「いいえシエロ様。もう暫くでランチの時間にございます」


 アルバはさっとシエロの手からモップと雑巾を奪って、俺が昨日着た服をそのまま押しつける。

 「行ってらっしゃいませシエラ様」


 優雅に一礼する男は、そのままカロンとシエロを廊下へと追い出した。渡された衣服からは、昨日密着したときに移されたのかシエロがつけていた香水の香りがする。


(あの男!洗濯しないまま寄越したな!)


 そう思いながらも、ほんの少しだけ有り難いような気がしたのは多分気のせいだ。カロンは必死に自分に言い聞かせた。

多くは語りますまい。

エコー……ああ、エーコ。

シャロン……うん、シャロン。

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