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魔法は嘘をつく ―賢者が残した遺産―  作者: 虚空小白
序章:死に拒絶される者
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第3話 騙すほうも、騙されるほうも

 船体がひと際大きく揺れた。ふたりの体が軽くぶつかる。

 甲板を駆ける足音。船員たちの怒声。


 ただの揺れではない――ソルは肌でそれを察した。

 船長が悪態をついた。


「もう嗅ぎつけやがったか」


 船長はふたりに言った。


「揺れるが安心しろ。深海のヌシとは長い付き合いになる」


 ふたりの表情が強張った。


 誰も何も言わなかったが、気づけば互いの手を握っていた。

 船体の真下で、巨大な影が泳いでいた。


「餌を撒け!」


 魚の死骸が詰まった樽が三本、海へ投げ落とされる。海面が赤く染まった。

 続けて、動物の脂が大量に流し込まれる。


 海流に乗ってそれらは流れ、影はゆっくりと、確実に追っていった。

 その間に、船員たちは大砲を構える。

 大砲五門の筒が、船体から牙のように頭を出した。


「砲撃準備!」


 砲弾が込められる。狙いが絞られる。

 船長の声を、誰もが息を止めて待っていた。


 海面が裂け、巨大な影が浮き上がる。


「撃てっ!」


 轟音が炸裂し、船体が大きく揺れた。

 ふたりは身を丸めたが、握り合った手は離さなかった。


 砲撃が命中する。深海のヌシは火に包まれ、苦痛の咆哮が夜の海に響いた。


 まだ終わっていない。

 ヌシは海中に沈み――その瞬間、白い足が船体を目指して伸びてきた。

 蒸気船を、海の底へ引き摺り込もうとしている。


 船長は迷わず銃を抜いた。

 狙いすましたかのように、引き金を引く。


 銃声。


 足はびくりと跳ね、海中へ消えた。気配が、ふっと絶える。


「お前ら、次から時間帯と進路を変えるぜ」


「へい!」


 船員たちの声が、嘘のように落ち着いていた。

 船長がふたりに声をかけた。


「進行方向を見てみろ。あれがアクアレインだ」


 ふたりは恐る恐る顔を出した。

 水都アクアレインの港が見えた。


 夕闇の中、街灯の灯りがぽつぽつと灯っている。港には蒸気船が一艇停泊していた。

 たった今まで命の取り合いをしていたとは思えないほど、その光景は穏やかだった。


 ふたりが乗船している蒸気船が緩やかに速度を落とし、港に停泊した。

 船員がロープを投げ、足場板を設置する。


 船長がスキットル片手に、ふたりの元へ近寄った。

 酒臭い息を吐きながら告げた。


「着いたぜ、降りな」


「わかった」


 ふたりは荷物を纏め、足場を確認しながら蒸気船を降りようとした。


「坊主、宿は『さざ波の宿』にしときな」


「え?」


 船長が街の通りを指さす。


「あっちへ行けば、小さな噴水が見えてくる。ボロい看板が目印だ」


 酒を一口飲んでから、大きく息を吐いた。

 酒臭さにふたりは思わず顔を顰めた。


「世の中には、子どもを騙す悪い大人もいる」


 船長はポケットに手を突っ込み、銀貨2枚をチラつかせた。


「この俺のようにな」


 大声で笑い、その場を後にした。


「ソル、行こう。私、お腹空いちゃった」


「でもっ!」


 マーニは笑顔を作り、首を横に振った。


「行こう。ね?」


「……わかった。マーニ、揺れるから足元に気をつけろよ」


「うん」


 ふたりは船を降りた。


 ソルが不満を口にした。


「こんな船、乗るんじゃなかった」


 マーニが目線を落とした。


「あの人の言い分を信じた私が悪いの。ごめんね、ソル」


「いや、マーニは悪くない!」


 マーニがソルの顔をまっすぐ見る。


「騙すほうも悪いけど、騙されるほうも悪いんだよ」


 船を見上げて微笑んだ。


「それに、本当に悪い大人なら、最後まで言わなかったと思うよ」


 ソルは深呼吸をし、気持ちを切り替えた。


「今回は俺も信じてしまったし、次からは気をつけるよ」


「うん、お腹空いたし、早く行こう」


「そうだな」


 石造りの地面がこつんこつんと靴音を鳴らす。

 潮風から建物を守るための白い塩の壁の建物が建ち並び、窓の向こうに灯りと人の気配がある。


 ふたりは首を左右に振りながら歩いた。

 装備を身に着けた旅人とすれ違い、ソルは目で追った。


 マーニが咳払いをした。


「ソル、そんなにジロジロ見たら失礼だよ」


「悪い……」


 ソルは皮の胸当ての傷んだ箇所に触れ、静かに息を吐いた。


「高価な装備だと思って、つい見惚れてしまった」


「いつまでも剣を持ったままなのは不便だし、防具が胸当て一つじゃ不安だね。私のほうはまだいいけど、ソルのはボロボロだよ」


「野蜂の巣に石を投げつけた時だったな。村長に怒られたっけ」


「顔中腫れていたし、みんな心配したんだよ」


「あれが琥珀蜂じゃなくてよかったよ」


 マーニが目を細める。


「あの時、私まで注意されたんだからね」


 ソルは気まずそうに視線を逸らし、噴水を指さした。


「あの噴水かな。店の名前は何だっけ?」


「『さざ波の宿』だよ」


 目当ての宿を見つけ、ふたりは足を止めた。

 年季の入ったその建物に、ふたりは顔を見合わせた。


「マーニ、俺たち騙されてないよな?」


「そう……だと思うよ」


 その時、ドアの隙間から料理のいい香りが漂ってきた。

 ふたりのお腹の虫が、同時に鳴いた。


「このまま突っ立っていても何も始まらないな」


「うん」


 ソルはドアに手を伸ばし、ふたりは中に入った。


 暖かみのある木造の内装に、淡い緑の壁紙が貼られている。

 足元の絨毯には細かな泥汚れが染みついており、多くの旅人が行き交ってきた年季が滲んでいた。


 左手から食堂の賑わいが聞こえ、中央の受付には温かな灯かりが灯り、右手の階段が上へと続いていた。


 受付の男が笑顔でふたりを出迎えた。


「いらっしゃい。初めて見る顔だね」


 ソルは首を縦に振った。


「それなら簡単に説明するよ。うちは宿泊と食事を提供している。宿泊する場合は、サービスとして料理の値段を安くしているが、どうする?」


 マーニが一歩前に出た。


「料金を教えてください」


「宿泊は一人、銀貨1ルミナ。食事の料金は食堂の者に尋ねてくれ」


 ふたりは顔を見合わせて頷いた。


 マーニが代金を支払うと、受付は鍵を二本手渡した。

 鍵には部屋番号が彫られていた。


「部屋は三階にある。物が盗まれてもうちでは責任が取れないので必ず施錠してほしい。騒いで苦情が来たら追い出すのでそのつもりで」


「わかりました」


 マーニはソルに鍵を手渡した。


「ソル、荷物を置いてから食堂へ行こう」


「どんな料理があるのか楽しみだな」


 ふたりは部屋に荷物を置き、施錠してから食堂へ向かった。

 ソルの足取りは、来る時よりも軽かった。

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