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魔法は嘘をつく ―賢者が残した遺産―  作者: 虚空小白
序章:死に拒絶される者
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第1話 父の嘘

 ケインの右まぶたが、わずかに動いた。


 マーニは続けた。


「歴史に、違和感を覚えたの」


 ケインは目を細め、眉間にしわを寄せた。


「続けなさい」


 その口調は、父親のものではなかった。

 教師が生徒を試す声だった。


「今から数百年前、大賢者オルディアスは火・水・風・地を四理に定義した。その100年後、賢者ヴェルナートは炎・氷・雷を三象に定義した。——私は、この順序が逆だと考えているの」


 ケインは顎にそっと手を当てた。


「賢者ヴェルナートの歴史資料は残っている」


「でも、大賢者オルディアスの資料は——残っていない」


 静寂が落ちた。


「確かに、大賢者オルディアスについては謎が多い」


 ケインは小さく息を吐いた。

 マーニの言い分は、あくまで可能性の話だ。だが、ゼロではない。


 もし否定してしまえば、ケイン自身がこれまで研究してきたすべてを、己の手で否定することになる。それだけはできなかった。研究は、ケインの人生そのものだった。


 それに——ふたりにはずっと寂しい思いをさせてきた。

 論文に夢中で、まともに会話もできなかった。学会で留守にすることも多かった。


 ケインは静かに、心の中で頷いた。そして、目尻を下げた。


「ふたりが剣に興味を持ったのは——6年前だったかな」


 マーニは首を横に振った。


「8年前だよ。非力な子どものままだと、きっと父さんは許してくれない。だから、ソルと相談したの」


 ケインはしばらく黙って、ふたりの顔を見比べた。


「——いいよ」


 静かな、しかし迷いのない声だった。


「行ってきなさい。だけど、これだけは忘れないでほしい」


 一拍置いて、続けた。


「成長したとはいえ、ふたりは僕の子どもだよ」


 ソルが胸元を叩いた。


「俺がマーニを守る。無理だと判断したら、すぐに引き返す。だから安心してよ、父さん」


 ケインはふたりの表情を見て、ゆっくりと首を縦に振った。


「料理が冷めてしまう前に、食べようか」


 食事を終えると、ケインは咳払いをひとつして、テーブルの上で手を組んだ。


「ふたりに——セラのことを話しておこうと思う」


 ふたりは顔を上げた。


「馬車で事故に巻き込まれた、というのは嘘だったんだ」


 ふたりは黙った。

 ケインは目を伏せたまま、続けた。


「10年前、北部平原の調査のために、守護の鏡ルミナルディアへ向かったきり——帰ってこなかったよ」


 マーニが、恐る恐る口を開いた。


「それって……始原の故国エレメンティアを、探すため?」


「当時、腕に覚えのある者が202名招集され、調査隊が編成された」


 ケインの声が、わずかに揺れた。


「だが、生還したのは81人だった。その中に……セラの姿は、なかった」


 目頭を押さえる。


「ずっと隠していたのは——ふたりを、北部平原へ近づけたくなかったからだよ」


 しばらく、誰も口を開かなかった。


「僕は、酷い父親なのかもしれない。危険だと知りながら、ふたりを死地へ送ろうとしている」


 ソルが、勢いよく立ち上がった。


 椅子が鳴った。


「父さん、約束するよ。必ず、ふたりで帰る」


「私もソルも——危ないことはしない。約束するよ」


 ケインはため息をつき、無理やり笑顔を作った。


「ふたりのために、準備をしてくるよ」


 背中を丸め、そのまま自室へ消えた。


 部屋にふたりきりになった。


「ソル……」


 マーニの不安が、声になって漏れた。


「今さら、やめるなんて言わないよな」


 マーニは俯いた。


 テーブルの上の自分の手が、震えていることに気づいた。


「危険は、承知の上だ」


 ソルの拳も、震えていた。


 マーニはそっと視線を上げた。


 ソルの唇が、わずかに震えている。


「母さんの話は——確かにショックだった。だけど、マーニが決めたことなら俺はついていく。そう約束したからな」


 歯を食いしばり、拳を握り締める。


「ごめんね、ソル。私、少し弱気になっちゃった」


 ケインが戻ってきた。

 その手に握られていたのは——二本の剣だった。


「ふたりが村を出る際に必要になると思って、用意しておいたんだ。それが、今日になるとは思わなかったがね」


 ふたりは無言で、差し出された剣を受け取った。


「今から船着き場へ向かえば、夕方の船に間に合うだろう」


 ケインはポケットから硬貨の詰まった布袋を取り出し、マーニに手渡した。


「無駄遣いをしてはいけないよ。お金が足りなくなったら、口入屋(くちいれや)で仕事を探すんだ」


 ふたりは力強く頷いた。


「ふたりは旅支度をしてきなさい。後片付けは僕がしておくよ」


「行こう、マーニ」


「うん!」


 自室へ向かうふたりの背中を見送りながら、ケインは肩を落とした。


「セラ、本当にこれでよかったのかな。ふたりにとって、僕はいい父親だったのか——わからないよ」


 廊下から足音が聞こえてきて、ケインは慌てて背筋を伸ばした。


 カバンを背負ったふたりが、ケインの前で足を止めた。

 ケインはふたりの頭に、そっと手を伸ばした。


「これからふたりはいろんな人と出会う。道中、困難にぶつかることもあるだろう。だが、それらはふたりにとって貴重な経験になる」


 一拍置いた。


「この冒険を——楽しんできなさい」


 ふたりの表情から、固さが消えた。


「ソル、わがままを言ってマーニに困らせてはいけないよ」


「父さん、それは昔の話だろう」


「ははっ、そうだったね」


 ケインはふたりの頭から手を離した。


 その手が、一瞬だけ空中で止まった。


「ふたりの冒険譚を——待っているよ」


 ふたりは力強く頷いた。


「うん。いってくるよ、父さん」


「父さん、いってきます」


 扉が閉まった。ふたりの足音が、遠ざかっていく。


 旅に同行してやりたかった。だが、この家には沢山の思い出が詰まっている。もしセラが帰ってきた時、出迎えてやれる者が誰もいなくなってしまう。


 生還者の中にいなかったというだけで、彼女が死んだわけではない。


 ケインはしばらく動かなかった。

 静かになった空間で、胸にぽっかりと穴が空いた。


 やがて、ひとりきりの家の中で——

 涙が、頬を伝った。

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