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婦長さん

平和だ。すなわち、変化が乏しいということで

僕、皆河裕としては、暇で暇でしょうがないわけなのだ。

午後の昼下がり、この時間は見るテレビもなく、僕は読書家というわけでもないので、ボーっと窓の外を見ることしかできない。

反対側には、この部屋にある未使用のベッドだけ。

暇だ。

その原因は、僕の両足が複雑骨折に加え、

アキレス腱断裂という状態でなければ、

それは意気揚々と散歩にでも行くものなのだが、どうしようもない。

僕の足は宙に吊らされたままで、地面に触れることすらできないのだから。

それ以前に、この足が正常ならば、僕はここまで暇をしていないだろうけど。


「裕君、元気してる? 南お姉さんが遊びに来たよ」


「はいはい、看護婦なら仕事しましょうね」


突如病室に入ってきたのは若い看護婦。

それは、僕の身の回りの世話だけをしてくれる南さん。

はっきり言って、僕専用の看護婦さんだ。

僕専用といえばとても聞こえはいいのだが、

この南さん、一癖も二癖もある看護婦で、嬉しかったのは初見から五分だけだったりする。容姿、スタイルは及第点。

着飾って街を歩こうものなら、モデルの勧誘をされてもおかしくない。

性格も明るく、誰にでも優しい、まさに理想の看護婦のように思えるのだが、

残念ながら綺麗なバラにはトゲがあるわけで、世の中そんなに甘くない。


「今日はどうしたんですか? 朝は仕事、仕事騒いでたのに」


「それがね、点滴するだけだったんだけど、その、また針折っちゃった。てへっ」


女性としてはほぼ完璧超人なのだが、南さんについているトゲ、

それは看護婦としての技能が皆無ということなのだ。

点滴針を折ったというのも、刺す前ならまだしも刺したあとに折ってしまったのだろう。


「また婦長さんに怒られちゃいました。顔を真っ赤にして、別の仕事をくれましたけど、これもできなかったら、クビだー! って言うんですよ。ひどいですよね。私は一生懸命頑張ってるのに」


一生懸命でも、針を折られた患者さんは気の毒だと思う。

点滴を打ちにきて死にましたなんて、アメリカのコメディでも笑えない。

それでも患者さんは、泣いて謝る南さんを見て許してしまうのだから、

なんとも甘い病院だと思う。

婦長さんが、クビだと言うのも無理ない。

実際、南さんは今、首皮一枚でクビにならずに済んでいる。

僕専用の看護婦というのは、擬似研修期間という状態のことで、

僕を無事看護して退院すれば、看護婦を続けることができ、失敗すればクビ。

まさに極限状態だった。

ちなみに、本人はこのことを知らない。それと、僕は南さんがミスをするたびに「南さん失敗チェック帳」をつけている。今日も早速一つ追加だ。


「それで? 別の仕事は僕と雑談をかわすことですか?」


イスに腰掛け、雑談モードになろうとしていた南さんは、

ピタリと動きを止めて、アワアワと口に手を当てて慌てだした。

まったくベタな慌てかたをする人だ。わかりやすい。


「そうでした! こんなことしている場合じゃないです」


見事な慌てっぷりでイスを蹴飛ばし、ベッドに足を引っ掛けてすっころぶ。

豪快に顔から絨毯が敷き詰められた床にキスをお見舞い、

いや、ヘッドバッドのほうが正しいか。

いつもなら、うめき声を上げながら、しばらくうずくまるのだが、

今日は仕事があるということが利いているらしい。

鼻と額を押さえながら病室を駆け出していった。


「あの人、僕に仕事があるのを自慢しに来ただけ?」


南さんが駆け出していってから入れ替わるように、別の看護婦さんがやってきた。

逆八の字になったメガネをかけていて、意地悪な家庭教師のお姉さんといった風情。

この人は何度か見たことがある。

そう、確か婦長さんだ。自分に厳しく、他人に厳しく、

患者に優しいをポリシーにしている二十台中番ほどの若い婦長さんだ。

南さんとは違うタイプの美人で、大人の色気というのだろうか、

クスリと口だけを歪めて笑う顔は妖艶さが漂っている。


「婦長さん? どうしたんですか?」


「皆河君、南さんがこちらにいらっしゃいましたか?」


僕の横にある未使用のベッドを見ながらたずねてきた。

たずねてきた表情はすでに、答えが出ているような、

落胆の色が見えたが、お構いなしに言う。


「ええ、でも、慌てて出て行きましたけど」


それを聞くと、こめかみを押さえながら、大きなため息を吐き出した。


「また、何か失敗でもしたんですか?」


点滴の件を聞いているのだが、南さんの場合、

それ以上のことをやらかしていても不思議ではない。

チェックをつけている僕としては、僕の目の届かないミスも知っておきたい。


「今日は、まだ、点滴針を折っただけですわよ。では、南さんから何も聞いていませんわね?」


「点滴のくだりと、次の仕事を失敗したら、クビだとか何とか」


点滴針を折ったことに対して、まだ、という発言が出ることが恐ろしい。

この病院、南さん一人の存在でつぶれてしまうのではないだろうか。

婦長さんは、僕の言葉を聞いた後、メガネをはずし、

眉間をもみながら、もう一度大きくため息を吐き出した。

この人も苦労が耐えない人なんだなぁ。


「あの人は、一番大事なことを伝えていらっしゃらないなんて、まったく。皆河君、あなたの隣に、患者さんが移動してきますから、仲良くしてあげてくださいませ」


「はぁ、わかりましたけど、南さんはどこに行ったんです?」


「南さんには、シーツを新しいものに変えてもらい、患者さんを連れてきてもらうよう、頼んだのですが、見に来て正解だったようですわね」


ため息交じりに婦長さんは、新しいシーツをすさまじい手際で、張り替えていく。

一分とかからないうちにシーツは張り替えられてしまった。

南さんにもこれぐらいの手際があれば、

婦長さんのため息もなくなるのだろうけど、現実、そう甘くない。


「お疲れ様です」


「それはどうも。少しワタクシも休まさしていただきますわ。お話し相手になっていただけますか、皆河君」


「ええ、僕でよろしければ」


婦長さんは南さんが蹴飛ばして倒れたままになっていたイスを立て直して優雅に座る。

逆八の字メガネも外してテレビの横に置く。

メガネがないだけで、ずいぶん印象が違う。

ほっそりとした顔かと思っていたのだが、

とても柔和な顔立ちで、つり目に見えていたのもどちらかといえば、たれ目のようだ。

恐るべし逆八の字メガネ。

まじまじと婦長さんの顔を観察してしまっていたので、

婦長さんは少し焦ったように顔を赤らめた。


「そんなに見つめないでくださいませ。ワタクシの顔に何かついていますか?」


「いえ、そのメガネを外すとずいぶん印象が変わりますね」


「ええ、そのためにかけているんですもの」


「わざわざ、印象を変えるためにですか?」


婦長さんは逆八の字メガネを拭きながら言う。

この光景を見ていると、同一人物には見えないのが不思議だ。

突然幼くなったような、それも少女になってしまった感じで、違和感が付きまとった。

まあ、いずれなれるだろう。


「婦長になったのですから、こんな緩い顔をしていたら、ほかの看護婦に申し訳ありませんわ」


婦長さんは今の顔にコンプレックスを感じているのだろうか、

僕的にはメガネがないほうが好みだけど、それは余計なお世話かもしれないな。

でも、婦長さんはとても疲れているように見える。

メガネをかけている間は気が張り詰めていて、休む暇がないのかもしれない。

そう考えると、言ってあげたほうがいい気もする。


「婦長さん」


「いかがなさいました? 改まって」


「婦長さんは、メガネが無いほうがかわいいと思いますよ」


そんなことを言うと、さらりと流されてしまうのではないかと思ったのだが、

婦長さんは意外にも、鳩に豆鉄砲をいただいたような表情になったかと思えば、

顔全体をトマトのように真っ赤にさせた。


「な、なななな、何をおっしゃいますの!? わ、わわ、ワタクシがかわいいなどと、そんな。あ、ありえませんわ!」


「そんな、婦長さん基本の顔立ちは、幼いですし、あっ、これ褒めてますから」


この後も、婦長さんを褒め称えてあげると面白いように狼狽してくれて、

とても面白かったのだが、女の子を車椅子に乗せて、

南さんが帰ってきた途端、顔を赤くしている婦長さんを見て大げさに叫んだ。


「ただいま戻りました。あれ? 婦長さんがなんでここに? まさか裕君を襲いに!?」


この人はなに一人で暴走しているのだろう。

騒いでいる南さんは無視して、車椅子に座っている女の子に注目した。

小学生の真ん中ぐらいだろうか、女の子は、僕と目があうとパチクリして首をかしげる。その仕草がとてもかわいい。

そんな仕草をするものだから、年齢が今感じている以上に低くなった。

頭を撫で回してやりたいのだが、残念なことに両足が動かないので、あきらめた。


「名前、聞いてもいい?」


「明日香」


ボソリと言う程度だったが、はっきりと明快な言葉で答えてくれた。


「明日香ちゃんか、僕は皆河裕、好きに呼んでくれればいいよ」


「じゃあ、裕お兄ちゃん」


「うん、よろしくね。明日香ちゃん」


僕と明日香ちゃんが自己紹介を終えたころ、

南さんは婦長さんに耳を引っ張られ、奇声を上げながら強制退出させられていた。


「あの人、怖い」


明日香ちゃんは、婦長さんを見ながら言う。

しかし、実際はそんなことはないので、やんわり訂正してあげる。


「明日香ちゃん、あの人、とってもいい人だから、ゆっくり話してごらん」


あんまり納得してくれなかったようだが、すぐにわかるだろう。

逆八の字メガネをはずした婦長さんと話せば、

今まで考えていたものがすべて崩れる。もちろんいい意味で。


今日のミスは、点滴針を折るに、新しい患者さんのシーツ変え忘れが書き加えられた。

あの人が何一つ失敗しない日が来るのであろうか。

それと、今日は補足で、南さんには関係ないことだけれど、

ノートの下のほうに書き加えた。

「婦長さんは、メガネをはずすと別人、いつでもどこでもお嬢様言葉っと」

今日はこれが一番の収穫だな。そろそろ寝よう。おやすみなさい。


しばらく、登場人物の紹介のようになりそうです。

ここまで読んでくれた方がいてくださいましたら

ありがとうございます。

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