南さん
「人の命って、とてもはかないですね。あの枯葉が散ったとき、僕は死ぬんだ」
清潔感のある白い壁に囲まれた一室、この部屋のベッドから外を見て嘆いている僕の名前は皆川裕。
ここは、病院の病室でベッドが二つしかない半小部屋。
今は、僕以外この部屋に入院していないので、ただの個室のようなものだ。
僕は交通事故で両足複雑骨折に加え、
アキレス腱断裂という大怪我を負ってしまって入院してしまったのだ。
というわけで、さっきの独り言もまったく意味はない。
僕の、入院したからには一度入ってみたいセリフのトップランクなのでとりあえず言ってみただけだ。
というか両足を骨折しただけで死んでたまるか。
「残念だったわね、裕ちゃん。人は両足骨折しても死なないわよ」
僕の独り言に横槍を入れてきたのは、看護婦の南さん。
詳しい年齢は知らないけど、見た目は確実に二十代前半である。
見た目麗しい女性で、体つきもグラマラスで、若者の僕からしたら、目のやりどころに困る女性だ。
笑顔がとても素敵な女性で、落ち込むという言葉が似合わない、いつも笑顔ですごしている。
白衣の天使、まごうことなき南さんのためにある単語といっても不思議ではない。
たまに、ただ能天気なだけなんじゃないかと思うときもあるが、それはまあ、置いておこう。
だが、この南さん、とんでもなくおっちょこちょいで、どんくさい。武勇伝も数多く、医者から聴いた話を思い出すだけでも頭が痛い。
「おはよう、皆河裕君、意識ははっきりしているかね」
「ええ、今日は、何日ですか?」
「君が事故をしてから、丸一日がたっている。それにしても、両足を複雑骨折にアキレス腱断裂、災難だったね」
「まあ、交通事故ですから、仕方ないですよ。飛び出したのは僕ですし、それに、トラックに轢かれて生きているんですから、ラッキーですよ」
僕が交通事故で入院してから二日目、病室に医者がやってきた。
なぜ二日目かというと、入院初日、僕は気絶と麻酔で熟睡していたからだ。
僕からしたら、寝起きのような状態なので、トラックに轢かれた後からのことをほとんど覚えていない。
気づいたときには両足が包帯で膨れ上がり、全身の骨が軋んでいるようで、動くと鈍痛が走る。
幾分マシになってきたところで、医者がやってきたようだ。
白衣にメガネをかけた若い医者はメガネを押し上げながら言う。
「皆河君、君は全治八ヶ月の大怪我だ。そこで、君には担当の看護婦をつけようと思う。付きっ切りの君だけの看護婦をだ。どうだい? うれしいかね?」
まったく話が読めない。たしかに、僕の怪我は大怪我かもしれない。
長期入院するなら、それは、担当の看護婦がいれば手際も違うだろう。
だけど、なんで付きっ切りの僕専用なのだろうか。
明らかに疑問に思っている僕を見て、医者も気まずそうな顔をしている。
額にも汗が流れている。やっぱり何か、わけがありそうだ。
「……本当のことを言ってください。いまなら、怒りませんから」
医者は、額に手を当ててため息をひとつ吐き出すと、申し訳なさそうに話し出した。
「実はね、先月、新人の看護婦がこの病院に来たんだよ。彼女は人柄もいいし、患者さんからの人気も高い。だがね、実力が伴っていないのだよ。あれは、彼女が来て一番初めの検診だった。少量の血液を取るだけの、簡単なものだった。患者も若い男性で、特別注射におびえているわけでもなかったのだが、彼女は――」
「ど、どうしたんですか」
突然、医者はあたりをキョロキョロして、裕の肩を強くつかみあげながら真剣な面持ちで言う。
「いいかい? 皆河君、このことは他言無用だ。わかったね」
「え? え? ええっ?」
「わ・かっ・た・ね?」
肩が軋むのを感じるほど強く掴みあげられてしまい、僕はもう、頷く以外の選択肢は残っていなかった。というか、痛みに負けて頷いていた。
「彼女は、折ったんだよ。注射針を」
医者の言っていることのわけがわからない。
意味を理解することはできたが、その現状を頭の中でイメージすることはできなかった。
医者は眼鏡を押し上げながら得意げに続きを語りだす。
「なんとか、私の華麗なる手際により、大事には至らなかったが、一歩間違えば、針が血管を流れ、心臓の機能を停止させる恐れがあった。 この件は病院でも厳重に取り締まっている。くれぐれも他人に教えないよう心得てくれたまえ。そういうわけで、彼女には擬似研修期間というものを設けることにした。つまりは、君の世話、基本検診、リハビリ等を完璧にこなせたとき、ようやく通常常務に戻ってもらうことになっている。これは、院長も納得の処置ということで決まったので、君の是非は左右されない」
無茶苦茶なことを言われている。
用は、役に立たない看護婦を再教育させるために、僕に白羽の矢が立ってしまったということだ。
しかも、もう何を言っても決定済みで僕は拒否も賛成もできない状況まで来ていると、そういうことのようだ。
「もし、その看護婦さんが僕の怪我を悪化させたり、失敗したりしたらどうなるんですか?」
こんな状況でも、相手の心配をしてしまう自分が悲しい。
損な性格をしていると自分でも思うがこればっかりは、生まれたときからのものだし、仕方がない。
「あまりひどいようであれば、クビだ。それは、看護婦、医療関係の仕事につくことは永遠にできなくなるということだ」
「そんな! 厳しすぎませんか?」
「君は、病院で怪我を悪化させられて文句を言わないかい? それも、他人のミスで全治が一ヶ月や二ヶ月も伸びて、二日で直るものが一週間もかかる。そんな、病院にきたいと思うかね?」
それは、そうだと思う。
病気や怪我を一日でも速く治したいと思うから病院にやってくるのだ。
それなのに怪我が悪化してしまうようじゃ本末転倒もいいところだろう。
「そういうことだ。まあ、彼女が失敗すると決まったわけではない。君がフォローしてあげれることもあるだろう。ここは人助けだと思って、お願いするよ」
すごい病院に入院してしまったものだ。だけど、僕の両足が動かない以上、もうここでの生活は回避不可能のものになってしまっている。
覚悟を決めるしかない。
といっても、何を覚悟すればいいか皆目見当はついていないが。
医者が、僕の熱だけ測って出て行こうとしたとき、扉の前で振り返り、とても聞きたくない一言を残して出て行った。
「あ、そうだ。今さっき話した以外にも、まだ数多くの事件がある。君には知る権利があると思うのでね。明日にでもまとめた資料をプリントアウトしてくるよ」
音もなく扉が完全に閉まる。
白い壁に包まれた、たった一人のこの空間で、相容れない気持ちがのどから出掛かっていたが、適切な言葉が思いつかなく不完全燃焼のまま、みぞおちの辺りで霧散した。
「まさか、あんなにあるなんて」
僕の棚の中には、あの話をした翌日、医者が持ってきたプリントの束が入っている。
それはすべて、南さんが犯してきた失敗の数々でぱっと見ただけでも、二、三十はくだらなかった。
よく一ヶ月であんなに失敗できたもんだと思う。って、計算上、一日一回何か失敗しているってことじゃないか。
あのプリントを見た当時は南さんがいないほうが世界平和のためになるのではないかと本気で考えたが、南さんは悪気がないし(悪気があったらいやだが)一生懸命頑張っているので、僕は南さんの応援をすることにした。
「さっきから何ブツブツ言ってるの? 包帯替えるよ」
「なんでもないです。包帯そんなに替える必要あるんですか?」
その言葉を聞くと南さんは口元に手を当ててやけにオーバーリアクションで壁まで後ずさり、僕のほうを見てくる。
僕がまったくリアクションを取らなかったので恥ずかしくなったのだろうか、
すこし頬を紅潮させながら、包帯をはずしはじめた。
大方、あの時リアクションをとっていたら――
「裕君がそんな不潔なこというなんて、お姉さん悲しい」
とでも言うつもりだったのだろう。南さんと出会ってから三日目にして、大体の性格は読めてきていた。そして、その不器用ぶりも――
「……南さん、包帯上側から巻いてどうするんですか、足首から巻くでしょう普通」
包帯をすべて巻き取り、なぜかひざの辺りから足首に向かって包帯を巻きだす南さん。
そこを指摘してあげるとわかりやすく狼狽して、足首から巻きなおす南さん。
「その、わかってたのよ。その、ちょっとしたお茶目って言うか、ね。そう、ジョークよ。ジョーク」
「そうですよね。看護婦が包帯も満足に巻けないなんて、ありえないですよね」
わざと「ありえない」を強く発音してやる。
「……そ、そうよね。あ、ありえないわよね」
「……ごめんなさいは?」
「ごめんなさい。包帯も満足に負けない看護婦でごめんなさい」
こうやって、僕が毎日つけている「南さん失敗チェック帳」に新たな失敗談が刻まれていく。
この人がまともに看護婦らしいことをできる日はいつになるのだろうか。
でも、包帯ぐらい巻けるようになりましょうよ。
ここまで読んでいたただいてありがとうございました。
今回は、話の走りというだけで特に内容がありません。
これからドタバタとした、コメディになっていけばいいなと思っていますので、
興味がありましたら続きを読んでくださるとうれしいです。
連載小説ということになっていますが、
時系列はまちまちに進行していく可能性がありますので、ご了承ください。
それではおつかれさまでした。