第2話:清廉なる虎 ―― 織田信長の誤算
1. 期待外れの「魔王」
越前、一乗谷。
雪深い北陸の地を後にした俺は、美濃・立政寺へと向かっていた。
次なる提携先――上洛のパートナーとして選んだのは、尾張から急速に勢力を拡大した新興勢力、織田信長。
前世の歴史知識によれば、彼は旧習を打ち破り、比叡山を焼き、数多の敵を冷酷に屠った「時代の破壊者」のはずだ。
俺が目指す「システムの安定」と、その後の「早期リタイア(FIRE)」を実現するためには、彼のような強力な実行力(オペレーション能力)を持つ実務家が不可欠だった。
(……殺されるか、良くて体よく利用されるか。いずれにせよ、命懸けの交渉になるな)
俺は、後に「魔王」と呼ばれる男の圧倒的な威圧感を想像し、震える膝を必死に抑えていた。
現代のクライアントとの数千億規模のコンペなど、これに比べれば児戯に等しい。
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2. 差し出された「菓子」と「誠実」
だが――
立政寺の奥の間で俺を待っていたのは、予想だにしない光景だった。
「……あ、将軍様。遠路はるばる、本当にお疲れ様でございます!」
部屋に入るなり、信長は俺の前に進み出ると、畳に額を擦りつけるようにして平伏した。
その顔は、凶悪な魔王のそれではない。
驚くほど澄んだ瞳。どこか育ちの良ささえ感じさせる、実直な青年の顔だった。
「信長です! お会いできて光栄の至り。……あ、これ、美濃の特産品でございます」
「甘いものは旅の疲れを癒やすと聞きましてな。どうぞ、お召し上がりください」
差し出されたのは、丁寧に包まれた和菓子。
さらに彼は、傍らの木下藤吉郎を呼びつけ、細かく指示を飛ばす。
「藤吉郎! 将軍様にお出しするお茶は、少しぬるめにして差し上げろと言っただろう!」
「お疲れの体に熱すぎる茶は障るかもしれぬ」
「……申し訳ございません、将軍様。私の配慮が足りず」
(……何だ、この男は)
(腰が低すぎる。というか、あまりに『真っ当な良い人』じゃないか)
俺が知る信長像は、人を寄せ付けない覇気を持ち、気に入らなければ即座に首を撥ねるような存在だったはずだ。
だが目の前にいるのは――
部下のミスを詫び、客人の体調を気遣う、非の打ち所がない「善人」だった。
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3. エビデンス・チェック:中間管理職の嘆き
(……いや、おかしい。猫を被っているにしても限度がある)
(……一応、裏を取るか)
信長が席を外した隙に、俺は廊下に控えていた巨漢を呼び止めた。
柴田勝家。
織田家筆頭家老にして、後に「瓶割り柴田」と恐れられる猛将だ。
「おい、権六。少し面を貸せ」
「……ぶっちゃけ、お前の主人はいつもあんな感じなのか?」
勝家は、岩のような顔を強張らせ――深々と溜息をついた。
「……左様にございます」
「上様は、お人が良すぎるのです」
「先だっても、戦で親を亡くした童たちのために、自ら炊き出しの粥を混ぜておられました」
「他人の痛みを見ると、自分のことのように涙を流されるのです」
(……炊き出しの粥を混ぜる魔王!? 嘘だろ)
「それだけではございませぬ」
「家臣が風邪を引けば、夜中に自ら薬を煎じて見舞いに来られます」
「我ら家臣一同、そのお心映えには感涙しておりますが……」
勝家は言葉を選び、続ける。
「……正直に申し上げれば、隙が多すぎる」
「いつか悪い輩に騙されるのではないかと、夜も眠れぬ心地でございます」
「上様は、この乱世で『誰も死ななくていい国』を本気で作れると信じておられる」
「……一言で申せば、甘い。甘すぎるのです」
その目には、忠誠と――保護者のような不安が宿っていた。
(……確定だ)
(この男、今のままじゃ天下なんて取れない)
(取れる前に、必ず誰かに裏切られて死ぬ)
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4. 山中の猿 ―― 拭い去れぬ慈悲
その後、領内視察に同行した俺は、決定的な場面を目撃する。
山中。
泥にまみれ、這いつくばる男。
手足が不自由で、村人からも忌み嫌われている「山中の猿」だった。
信長は馬を降りる。
そして、ためらいもなくその男の傍らに膝をついた。
「……腹が減ったか。辛かったな」
自らの高価な小袖を脱ぎ、男に着せる。
さらに、村人たちに黄金を差し出した。
「これを受け取れ」
「この男に家を建て、毎日腹一杯の飯を食わせよ」
「……よいか。私は、こういう者でも安心して暮らせる世を作りたいのだ」
「頼む。皆で助けてやってくれ」
村人たちが平伏する中――
信長は俺を振り返り、少し照れくさそうに笑った。
「将軍様」
「私は、こういう『小さき者』が笑える国を作りたいのです」
「……ただ、それだけのために、刀を振るっております」
その瞳には、一片の曇りもない。
純粋な――正義。
……まずい。
これは、致命的な欠陥だ。
戦国という暗黒の市場において、この「純粋な善性」は最大の経営リスクになる。
(……信長)
(そのままじゃ、お前は真っ先に食い殺される)
(……お前のその『綺麗すぎる心』は)
(俺が泥を塗って、鉄の仮面で隠してやるしかない)
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5. 偽りの「魔王」プロデュース
俺は信長を二人きりの部屋に呼び出した。
「信長。お前の志は尊い」
「だが――そのままでは天下は取れん」
「……というか、お前が真っ先に死ぬ」
「えっ……? 死ぬ、のですか?」
「私なりに、精一杯尽くしているつもりですが……」
俺は冷酷に告げる。
現代のブランディング理論に基づいた、「演出」を。
「いいか。今日から笑顔を封印しろ」
「相手を射抜くように睨みつけろ」
「そして、この漆黒のマントを羽織れ」
「……お前は今日から、仏敵をも恐れぬ『第六天魔王』を演じるんだ」
「お前の優しさは、俺が書く『偽りの歴史』の裏側に隠しておけ」
「……それが、お前が生き残り、その理想を叶える唯一の道だ」
信長は、しばし沈黙し――
やがて、小さく頷いた。
「……第六天魔王、ですか」
「物騒な名ですが……将軍様がそう仰るなら、やってみましょう」
「皆様が救われるためならば――」
「私は、喜んで悪鬼になりましょうぞ」
困惑しながらも、黒いマントを纏う信長。
それは――
世界で最も「優しい男」が、
偽りの「魔王」という鎧を身にまとった瞬間だった。
そして――
俺の平和な隠居生活(FIRE)へのカウントダウンが、ようやく始まったのだ。
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今回のまとめ(FIREへの進捗)
・ステータス:織田信長との業務提携(上洛契約)締結
・資産:織田家の軍事力+信長という名の「誠実な実行者」
・次なる課題:信長に「威圧感(プレゼン術)」を叩き込み、上洛への恐怖を演出
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著者あとがき
第2話をお読みいただき、ありがとうございます!
信長が実は「超」がつくほどの善人だった――という新解釈、いかがでしたでしょうか。
史実にある「山中の猿」や、家臣への過剰なまでの配慮。
そんな彼が、なぜあのような恐ろしい「魔王」として名を残したのか。
その裏には――
現代から転生した義昭(佐藤健一)による、必死の「ブランディング戦略」があった。
そんな構図で物語は進んでいきます。
次回はいよいよ、上洛に向けた具体的な「魔王養成ギプス」が始動します。
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【日間ランクイン感謝! 筑紫隼人より】
おかげさまで『義昭』が初日からランキング入りを果たしました!
完結作の**『立花宗茂戦記』**も同時にランクインしており、新旧の作品が並ぶ光景に身が引き締まる思いです。未読の方は、ぜひ以下のリンクから覗いてみてください。
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また、歴史ものを扱う上記2作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n9418lx/
王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




