第13話:義昭の内省と罪悪感 ―― 最適化の代償
1. 二条城、設計図という名の「遺書」
元亀元年(1570年)十月。京、二条城。
秋の夜気は鋭く、書院の畳を冷徹に冷やしていた。行灯の火が微かに揺れ、俺(義昭)の影を壁に長く、歪に引き延ばしている。
机の上に広げられたのは、つい先ほど筆を置いたばかりの「五畿内サプライチェーン」の最終設計図だ。
堺の港から淀川を遡り、京の市場を経て近江の湖上交通へと繋がる、巨大な物流網。その要所に打たれた朱色の点は、幕府が直轄し、関所を廃して流通を独占する「ノード」を示している。
これまでの数日間、俺は現代の経営コンサルタントさながらに、いかにして無駄なコスト(関所・中間搾取)を削ぎ落とし、最短ルートで物資を循環させるかという「最適化」に没頭していた。
だが、その熱が引き、完成した図面を俯瞰した瞬間、俺の指先は氷のように冷たくなった。
手元の算盤が、パチリと乾いた音を立てる。その音は、まるで誰かの骨が折れる音のように俺の鼓膜に響いた。
(……これは、平和のための設計図ではない。……効率的に人を殺し、組織を解体するための、巨大な絞め殺しの罠だ)
現代の知識を持つ俺には、この図面の「先」にある未来のログが、高解像度の映像として脳裏に焼き付いている。
このシステムが稼働すれば、来年の夏には姉川で数千の兵が「兵糧ショート」で餓死同然に崩れ、秋には比叡山が「物理消去」の炎に包まれ、冬には本願寺の信徒たちが経済的な鎖に縛られて屈服する。
それは、歴史をショートカットし、戦国時代を早期退職(FIRE)するために、俺が自らプログラミングした「惨劇のスケジュール」に他ならなかった。
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2. 現代人という名の「旧いプログラム」の反乱
「……公方様。いかがなされました。筆を置かれたまま、動かぬようにお見受けしますが」
静寂を破ったのは、十兵衛の声だった。彼はこの図面を受け取り、明日には具体的な「執行」のために京の街、そして堺へと飛び出す手はずになっている。
俺は、震える手を隠すように袖を合わせ、掠れた声で答えた。
「……十兵衛。……俺は、この図面を引きながら、自分が恐ろしくなった。……この一本の線を引くことで、来年の今頃、何人の人間が家を焼かれ、飢えて死ぬことになるのか。……その数を計算してしまったのだ」
「……公方様。それは天下静謐のための、避けては通れぬ『勘定』にございます。……古き関所を壊し、民に安く米を届けるためには、抗う者たちを断つしかございませぬ」
十兵衛の言葉は、この時代の正論だ。合理的で、一点の曇りもない。
だが、俺の中に残っている「佐藤健一」という名の現代人の魂が、その正論を激しく拒絶していた。
21世紀の日本で、俺はエンジニアとして、効率化を追求してきた。サーバーの負荷を減らし、コードを美しく書き換え、無駄なプロセスを省く。それが「善」だと信じて疑わなかった。
だが、ここ戦国時代において、「プロセスの排除」とは、生身の人間を物理的に排除することと同義だ。
比叡山の僧侶も、浅井の若武者も、本願寺の農民も、俺の画面(地図)の上では、ただの「処理の重いデータ」としてデリートの対象に指定されている。
(俺は……神にでもなったつもりか? ……たかだか数百年先の知識を持っているというだけで、彼らの命の価値を勝手に決めていいのか?)
現代の倫理観という名の「旧いOS」が、戦国時代という過酷なハードウェアの上でエラーを吐き続けている。吐き気がした。自分の手についた墨が、まるで消えない血糊のように見えて、俺は激しく手を擦り合わせた。
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3. 最適化という名の「冷徹な暴力」
「……十兵衛。俺は……自分が怖いのだ。……人の命を『コスト』と割り切り、効率的に間引くための計算を始めた自分に、まだ『心』が残っているのかどうか」
俺の言葉に、十兵衛は一歩歩み寄り、静かに頭を下げた。
「……公方様。迷いは、公方様がまだ『人』であられる証拠にございましょう。……信長殿ならば、迷わずこの図面を笑って受け取り、即座に火を放つでしょう。……しかし、我らが仕えるのは、その図面の重みに耐えかねて震える、貴方様なのです」
慰めにはならなかった。
震えていようが、泣いていようが、俺はこの計画を止めるつもりはないのだ。
なぜなら、この「最適化」を行わなければ、戦国時代はあと100年続き、犠牲者の数はさらに膨れ上がる。そして何より、俺自身の「平和な隠居生活」という目的が潰える。
(俺は、自分の保身と安寧のために、数万人の運命を書き換えている。……最悪の独裁者と何が違う?)
俺は、自分が信長よりも質が悪いと感じた。信長は己の野望と信念に殉じている。だが俺は、21世紀の快適な暮らしを、この時代の血で買い戻そうとしている「冷徹な投資家」に過ぎない。
「……十兵衛。……この図面を持って行け。……そして、予定通り『執行』しろ。……俺の迷いは、ただのログだ。システムの結果には影響させない」
俺は、自分の中の「感情」という名のパーティションを、無理やりマウント解除(切断)した。
そうしなければ、明日からの激務に耐えられない。比叡山を焼き、本願寺を絞め殺す命令を、平静な顔で出すことなどできない。
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4. 結び:バックアップのない孤独な夜
十兵衛が設計図を抱えて退出した後、書院には再び、窒息するような静寂が戻った。
行灯の油が尽きかけ、炎がパチパチと最期のあがきを見せている。
俺は、机の引き出しの奥に隠してある、現代から持ち込んだ小さな算盤に触れた。
佐藤健一としての記憶。満員電車に揺られ、上司に理不尽な要求をされ、居酒屋で愚痴をこぼしていた、あの平穏で退屈な日々。
あの頃の俺は、誰かの命を奪う判断など、一度もしたことがなかった。
(……戻りたい。……いや、もう戻れない。……この手を血に染めてでも、俺はこの時代の終焉を『デバッグ』し遂げるしかないんだ)
1570年、秋。
俺は、自らの罪悪感を「不可避の運用コスト」として強制的にアーカイブした。
だが、その処理しきれなかった感情の残滓が、俺の精神の深層で小さな、しかし消えない「バグ」として蓄積され始めたことに、俺はこのとき気づいていなかった。
夜明けは近い。
だが、俺の心に昇る日は、もう二度と、現代のそれと同じ温かさを持つことはないだろう。
佐藤健一の「戦国・早期退職プロジェクト」は、設計者の静かな絶望とともに、血塗られた実装フェーズへと突入した。
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■今回のまとめ(FIREへの進捗)
・ステータス:
元亀元年(1570年)十月。五畿内物流網の設計完了。
・精神負荷:
現代人としての「倫理プロトコル」が致命的なエラーを検知。一時的に「感情ログ」を封印して運用継続。
・FIREへの寄与:
・戦略的アセット:
罪悪感をコストとして計上することで、冷徹な意思決定スピードを向上。
・長期収益性:
システムの完成により、将来的な「暴力コスト」の極小化を確定。
・次なる課題:
第14話:姉川の敵対的買収 ―― 資本業務提携の強制執行(元亀二年(1571年)六月)。
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■あとがき
第13話をお読みいただきありがとうございます。
今回は、これまで順調に「システム構築」を進めてきた義昭(佐藤)が、初めてその代償――数万人の命を奪うことへの恐怖に直面する、精神的な分水嶺を描きました。
ビジネスや効率を語る裏側に、必ず存在する泥臭い「犠牲」。
それを見ないふりをするのではなく、あえて正面から受け止め、絶望しながらも進む道を選んだ佐藤の孤独。
次回、物語は1571年夏の「姉川」という名の、最初の巨大な殲滅へと移ります。
合理性が血を流す瞬間を、どうぞ見届けてください。
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【日間ランクイン感謝! 筑紫隼人より】
おかげさまで『義昭』が初日からランキング入りを果たしました!
完結作の**『立花宗茂戦記』**も同時にランクインしており、新旧の作品が並ぶ光景に身が引き締まる思いです。未読の方は、ぜひ以下のリンクから覗いてみてください。
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また、歴史ものを扱う上記2作とは別に、魔剣を手に戦う王女の復讐劇も書いており、戦記物としての熱量はそのままに、ファンタジーならではの逆転劇を描いています。
『魔剣に選ばれた王女 〜亡国から始まる反逆の戦記〜』
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n9418lx/
王女セリスと魔剣ノイエジールの戦いも、あわせて応援いただけると嬉しいです!




