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帰宅したら上司と彼女が繋がっていた。だから俺は、三週間かけて二人の人生を『詰め将棋』にする  作者: ledled


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第4話 Xデー、同時多発テロ

運命の金曜日。

カーテンの隙間から差し込む朝日が、薄暗い寝室を切り裂くように照らした。

俺はアラームが鳴る一分前に目を覚ました。ここ数週間、熟睡できた日は一日もない。常に交感神経が張り詰め、獲物を狙う猛獣のように神経を研ぎ澄ませていたからだ。


隣を見る。

玲奈が幸せそうな顔で眠っている。

口元が緩み、何か甘い夢でも見ているのだろうか。

今日、自分と愛人の人生が音を立てて崩れ去るとも知らずに。


「……おはよう、玲奈」


俺はあえて声をかけた。これが、この部屋で交わす最後の穏やかな会話になるからだ。

玲奈はうっすらと目を開け、寝ぼけ眼で微笑んだ。


「んぅ……おはよう、和也くん。早いね……」

「ああ、今日は大事な会議があるからね。気合を入れないと」

「そっか。頑張ってね。私も今日は仕事忙しいけど、夜は何か美味しいもの作って待ってるから」


美味しいもの。

彼女の言うその言葉が、今や呪いのように聞こえる。

俺が知らない間に、彼女は権堂と高級フレンチや寿司を堪能していた。俺に振る舞われる手料理は、罪悪感を隠すための安い免罪符でしかなかったのだ。


「楽しみにしてるよ」


俺は短く答え、ベッドを出た。

洗面所で顔を洗う。鏡に映る自分の顔は、三週間前とは別人のように冷え切っていた。

だが、瞳の奥には確かな火が灯っている。

復讐の炎だ。今日、それをすべて解き放つ。


身支度を整え、いつものようにスーツを着る。

だが、俺が向かうのは会社ではない。

俺は昨日、総務に「体調不良のため有給休暇を取得する」と連絡を入れてある。もちろん、権堂には伝えていない。奴は俺が今日、自分の不正の証拠を握りしめて出社してくるなどとは夢にも思っていないだろう。


「行ってきます」

「行ってらっしゃい!」


玄関で手を振る玲奈に背を向け、俺はドアを閉めた。

金属的なロック音が響く。

それが、日常の終わりの合図だった。


マンションを出た俺は、最寄り駅とは違う方向へ歩き出した。

向かったのは、隣町にあるビジネスホテルだ。

デイユースプランで部屋を取り、ここを今日の「作戦指令室」とする。

ネットカフェではセキュリティや周囲の雑音が気になる。誰にも邪魔されず、二人の破滅を見届けるには、静寂な個室が必要だった。


午前八時三十分。

ホテルの部屋に入り、ノートパソコンを開く。

Wi-Fiに接続し、あらかじめ作成しておいたメールの下書きフォルダを開く。

画面には、三つの宛先が表示されている。


一つ目は、アステア商事の「コンプライアンス委員会」および「取締役会」全員のアドレス。

件名は『営業部・権堂剛部長による巨額横領および深刻なハラスメントに関する内部告発』。

添付ファイルには、裏帳簿のデータ、改ざんされた経費申請書のスキャン、そして高木さんから預かったセクハラの録音データ、さらに俺が収集したパワハラの証拠が含まれている。


二つ目は、玲奈が登録している人材派遣会社の「統括管理部」および「コンプライアンス窓口」。

件名は『貴社登録スタッフ・三浦玲奈氏の重大なコンプライアンス違反と守秘義務違反について』。

添付ファイルには、彼女が裏垢でアップしていた、派遣先(つまり別の会社)の内部資料が映り込んだ自撮り写真や、不倫相手(権堂)との情事を示唆する投稿のスクリーンショット。これは派遣スタッフとしては致命的な背信行為であり、即刻契約解除に値する。


三つ目は、メディアや週刊誌の情報提供窓口ではない。

もっと現代的で、拡散力の高い場所だ。

Twotterツウォッター

フォロワー数万人を持つ「企業不正暴露系インフルエンサー」へのDMだ。

このインフルエンサーとは、捨て垢を通じて数日前から接触していた。「確実な証拠がある」と伝えると、食いつきは良かった。

俺が送る情報を元に、彼が昼の十二時に投稿することになっている。

内容は、『中堅商社A社の部長、部下の彼女を寝取り&会社経費で豪遊。証拠画像独占入手』というものだ。

もちろん、個人名は伏せられるが、関係者が見れば一発で誰のことか分かる。


そして、四つ目の矢。

これが最もアナログで、最も破壊力が高い。

俺はスマホでバイク便の追跡サービス画面を開いた。

『お届け先:権堂邸 ステータス:配達中』

権堂の妻、真理子さん宛の「親展」と書かれた分厚い封筒。

中身は、権堂と玲奈の不貞行為の証拠写真、LINEのログ、そして音声データを焼いたDVDだ。

指定時間は午前九時過ぎ。権堂が出社し、妻が一人になったタイミングを見計らっている。


「……時間だ」


時計の針が八時五十五分を回った。

始業時間五分前。

俺は深呼吸を一つし、震える指をマウスに置いた。


カチッ。

一つ目のメール、送信完了。

カチッ。

二つ目のメール、送信完了。

三つ目、インフルエンサーへのデータ転送、完了。


画面上の「送信済み」の文字を見つめる。

静かな部屋に、パソコンのファンの音だけが響く。

終わった。いや、始まったのだ。

俺の手から放たれた矢は、もう誰にも止められない。


俺は椅子の背もたれに深く体を預け、天井を見上げた。

ここからは、想像力が補完する時間だ。

オフィスの騒めき、電話の音、そしてあの男の悲鳴が、ありありと脳裏に浮かぶ。


          *


同時刻、アステア商事営業部。


権堂剛は、上機嫌でコーヒーを啜っていた。

昨日の役員への根回しは完璧だった。今日の会議で、来期の大型プロジェクトのリーダーに指名されることはほぼ確実だ。そうなれば、役員への昇進も夢ではない。

部下の相沢は今日、休んでいるらしい。

「使えない奴め」と心の中で嘲笑う。

まあいい。あいつがいないほうが、玲奈との連絡も取りやすい。

今日の夜は、昇進祝いと称して玲奈を高級ホテルに呼び出すつもりだった。もちろん、経費で。


「部長、おはようございます」

「おう」


部下たちの挨拶に鷹揚に頷きながら、権堂はパソコンを立ち上げた。

メールチェックをする。どうせくだらない報告ばかりだろう。

そう思った矢先、フロアの入口がざわついた。


「え、何? 誰?」

「監査部の人たちじゃないか?」


数人のスーツ姿の男たちが、無表情で早足に入ってくる。

先頭を歩くのは、コンプライアンス室長の佐伯だ。

普段は温厚な彼が、今日は鬼のような形相をしている。

権堂は眉をひそめた。


「なんだ佐伯、朝から大勢引き連れて。俺の部署になんか用か?」


権堂は余裕たっぷりに椅子にふんぞり返った。

だが、佐伯は立ち止まらず、権堂のデスクの目の前まで歩み寄ると、冷徹な声で告げた。


「権堂部長。ただいまより、貴殿に対する特別監査を行います」

「はあ? 何を言って……」

「パソコンに触れないでください! サーバーとの接続を切れ!」


佐伯の指示で、部下の一人が権堂のキーボードを取り上げ、LANケーブルを引き抜いた。

フロア全体が静まり返る。

何が起きているのか、誰もが息を呑んで見守っている。


「おい、ふざけるなよ! 俺を誰だと思ってる! 営業部長だぞ!」

「その地位を悪用した横領、背任、および部下へのハラスメントの疑いです。内部告発がありました。証拠も提出されています」

「な、なに……?」


横領。ハラスメント。

身に覚えがありすぎて、権堂の顔色が一瞬で青ざめた。

だが、すぐに怒りが勝る。誰だ、どこのどいつがチクリやがった。


「証拠だと? どうせ捏造だろ! 俺を陥れようとする奴の仕業だ!」

「捏造かどうかは調査すれば分かります。貴方の裏帳簿のデータ、すべて提供されていますから」


裏帳簿。

その単語が出た瞬間、権堂の背筋に氷のような冷や汗が流れた。

なぜそれを知っている?

あれは俺のパソコンの、深い階層に隠してあるはずだ。パスワードだって……。


「それと、権堂さん」


佐伯室長は、哀れむような、それでいて軽蔑しきった目で権堂を見下ろした。


「社長も激怒されていますよ。社内の風紀を著しく乱す行為についても、詳細な報告が上がっています。部下の婚約者に手を出すとは、いいご身分ですね」


その言葉に、周囲の社員が一斉にざわめいた。

「部下の婚約者?」「不倫?」「最低だな」というひそひそ話が波紋のように広がる。

権堂は言葉を失った。

バレている。

金も、女も、すべて。

誰だ。誰がやった。相沢か?

いや、あんな無能な男にこんなことができるはずがない。


その時、権堂の私用スマホがけたたましく鳴り響いた。

着信画面に表示された名前を見て、権堂は心臓が止まりそうになった。

『妻』。

いつもなら無視するか、後でかけ直す。だが、今の状況でこのタイミングでの着信は、死刑宣告に等しい。

手が震える。

監査部の男たちが冷ややかな目で見ている中、権堂はおそるおそる通話ボタンを押した。


「……も、もしもし、真理子?」

『……剛さん』


電話の向こうの声は、地獄の底から響いてくるように低く、冷たかった。


『今、バイク便で面白いものが届いたわ。あなたと、あの若い女の、汚らしい写真と録音がね』

「ご、誤解だ! それは誰かの陰謀で……」

『黙りなさい!!』


スピーカーにしていないのに、周囲に聞こえるほどの絶叫が響いた。

権堂はビクリと体を竦ませた。


『私の実家の名前に泥を塗るなんて、いい度胸ね。お父様にも既に連絡したわ。弁護士を用意して、今からそっちに行くから。覚悟しておきなさい』

「ま、待ってくれ! 話し合えば分かる! 俺は……」


プツリ、ツーツー……。

通話は切られた。

権堂は呆然とスマホを耳に当てたまま、動けなかった。

監査部の佐伯が、淡々と告げた。


「では、別室へご同行願います。荷物はそのままで」


権堂は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、よろよろと立ち上がった。

フロア中の視線が突き刺さる。

軽蔑、嘲笑、怒り。

かつて自分が踏みつけにしてきた部下たちが、今は自分をゴミを見るような目で見ている。

終わった。

何もかもが、終わった。


          *


一方、都内のオフィスビル。

三浦玲奈は、派遣先の企業の休憩室で、スマホをいじりながら優雅にカフェラテを飲んでいた。

今日は金曜日。夜は権堂とデートだ。

新しいバッグをおねだりしようかな、なんて考えながら、何気なくSNSを開いた。


「え……?」


目に飛び込んできたのは、見知らぬアカウントからのDM通知と、タイムラインに流れてきた一つの投稿だった。

『拡散希望。某商社部長の愛人は派遣社員M。社内資料をSNSにアップするコンプラ意識ゼロの女』

そこには、自分が鍵垢で投稿していたはずの写真が、モザイクなしで晒されていた。

背景に写っているのは、今働いているこの会社の会議室だ。


血の気が引いた。

手が震えてカフェラテをこぼしそうになる。

なんで? どうして鍵垢の内容が?

コメント欄には辛辣な言葉が並んでいる。

『こいつ知ってる、○○社に来てる派遣だろ』

『機密情報漏洩じゃん、ヤバすぎ』

『彼氏いるのに部長と不倫とか、ビッチ確定』


「三浦さん、ちょっといいかな」


背後から声をかけられ、玲奈は悲鳴を上げそうになった。

振り返ると、派遣先の部署の課長と、自分の派遣元の担当営業が厳しい顔で立っていた。


「……は、はい」

「君の派遣元から連絡があった。SNSでの情報漏洩と、深刻な規約違反についてだ。今すぐ荷物をまとめて来なさい」


周囲の社員たちが、一斉にこちらを見た。

好奇の目。冷たい目。

さっきまで親しく話していた同僚が、穢らわしいものを見るように目を逸らす。


「ち、違います! 私じゃありません!」

「証拠が出ているんだ。言い逃れはできない」


担当営業の冷たい一言に、玲奈の反論は封じられた。

スマホが震える。

権堂に助けを求めようとしたが、既読がつかない。

和也に連絡しようとして、指が止まる。

和也に見られたらどうしよう。

いや、和也なら信じてくれるはず。彼は鈍感で、私のことが大好きだから。

「誰かの悪戯だ」って泣きつけば、きっと庇ってくれる。


しかし、その希望はあまりにも脆いものだった。

彼女はまだ知らない。

この地獄の釜の蓋を開けたのが、その「鈍感で優しい彼氏」であるということを。


          *


ホテルの一室。

俺は、協力者である高木さんからのMINEを見て、小さくガッツポーズをした。


『相沢くん、やったよ! 監査部が来て、部長が連行された! 顔面蒼白だったよ。ざまぁみろ、だね!』


続いて、Twotterの状況を確認する。

暴露投稿は既に数千リツイートを超え、特定班によって「アステア商事」「権堂剛」「三浦玲奈」の名前がネットの海に浮上し始めていた。

現代の処刑台は、物理的な断頭台よりも残酷だ。一度刻まれたデジタルタトゥーは、一生消えることがない。


「……予定通りだ」


俺はパソコンを閉じた。

胸の中に広がるのは、罪悪感など微塵もない。

あるのは、パズルのピースが完璧に嵌まった時のような、静かで圧倒的な達成感だけだ。


だが、まだ終わっていない。

これは序章に過ぎない。

会社での破滅、社会的な抹殺。

それらが彼らに何をもたらしたのか、そして最後に彼らがすがりついてくる場所で、引導を渡してやらなければならない。


俺はホテルをチェックアウトし、駅へと向かった。

向かう先は自宅。

今夜、全てを失った二人が、どんな顔をして俺の前に現れるのか。

そのクライマックスを見届けるために。

俺はコンビニで、一番高いビールを買った。

今夜の「祝杯」のために。

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