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帰宅したら上司と彼女が繋がっていた。だから俺は、三週間かけて二人の人生を『詰め将棋』にする  作者: ledled


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第3話 第二の矢、企業不正の摘発

月曜日の朝、アステア商事のオフィスは独特の緊張感と気だるさに包まれていた。

電話の呼び出し音、コピー機の稼働音、キーボードを叩く乾いた音。

それらが混ざり合うノイズの中で、俺、相沢和也は自分のデスクに向かい、パソコンの画面を凝視していた。

だが、俺が見ているのは業務メールではない。画面の端に小さく表示させた、ある日付のリストだ。


「おい、相沢! いつまでボサッとしてるんだ!」


フロアに響き渡る怒声。

ビクリと肩を震わせる周囲の社員たち。

俺はゆっくりと顔を上げ、声の主――権堂剛営業部長の方を向いた。


「申し訳ありません、部長。先週末のデータの整理をしておりまして」

「言い訳すんな! お前がトロトロしてるから、俺の承認作業が進まないんだろうが。ったく、これだからゆとり世代は使えねえんだよ」


権堂はイライラと貧乏ゆすりをしながら、手にしたファイルを俺のデスクに放り投げた。

バサリ、と書類が散らばる。

周囲の社員が同情の視線を向けてくるが、誰も助け舟は出さない。権堂に逆らえばどうなるか、全員が骨身に沁みて知っているからだ。


「すいません、すぐに処理します」


俺は散らばった書類を拾い集め、深々と頭を下げた。

表情筋を死ぬほどコントロールして、「従順で無能な部下」の仮面を貼り付ける。

だが、伏せた目の奥では、俺は冷ややかに権堂を観察していた。


顔色が悪い。二日酔いだろうか。

あるいは、昨日の「激しい運動」の疲れか。

俺が仕掛けた自宅のカメラには、昨日の昼下がり、俺が「休日出勤」と言って外に出ている間に、この男が俺の家に上がり込み、玲奈と情事に耽る様子がバッチリと記録されていた。

その映像を思い出すたび、胃液が逆流しそうになる。

だが、今の俺にとって権堂のこの態度は好都合だった。

彼が俺を「無能で害のないサンドバッグ」だと思えば思うほど、俺への警戒心は薄れていく。


「それと相沢。ついでにこれもやっとけ」


権堂はさらに一枚の紙と、領収書の束を投げてきた。


「今月の俺の経費精算だ。会議とか接待とかで忙しくて手付かずだったんだよ。お前が代わりに入力して経理に回しとけ」

「……はい、承知いたしました」


俺は震えそうになる手を抑え、その領収書の束を受け取った。

心の中で、暗い笑いが込み上げてくるのを必死に堪える。


馬鹿な男だ。

本当に、救いようのない馬鹿だ。

自分が寝取っている部下に、自分の金の使い道を精査させるなんて。

これは「罠」ですらない。向こうから勝手に、自分の首を絞めるロープを差し出してきたようなものだ。


俺は自分の業務を後回しにし、権堂の経費精算に取り掛かった。

一枚一枚、領収書の日付と金額、そして店名をチェックし、システムに入力していく。

その作業は、単なる事務処理ではなく、パズルのピースを埋めていくようなスリルに満ちていた。


『○月×日 料亭「霞」 54,000円 接待費』

『○月△日 クラブ「ジュリア」 86,000円 接待費』


金額の大きさにも呆れるが、問題はそこではない。

俺はスマホを取り出し、先日玲奈のスマホから抜き出したMINEのトーク履歴や、Oustaの裏アカウントの投稿日時と照らし合わせた。


ビンゴだ。


『○月×日』。

この日、権堂は「大手クライアントとの会食」として経費を申請している。

だが、玲奈の裏アカの投稿にはこうある。

『彼と久しぶりの高級懐石♡ 個室でまったり幸せ〜』

写真の端に写り込んでいる箸袋のロゴは、間違いなく料亭「霞」のものだ。

つまり、権堂は愛人(俺の彼女)とのデート代を、会社の経費で落としている。これは明白な業務上横領だ。


さらにめくっていくと、もっと露骨なものが出てきた。

『○月□日 タクシー代 12,800円』

この日時は、玲奈が「終電を逃した」と言って朝帰りした日だ。

そして行き先は、玲奈の住むマンション――つまり俺の家のすぐ近くだ。

権堂は玲奈を送るためにタクシーを使い、その運賃すら会社に請求している。


「……セコい野郎だ」


俺は小声で毒づいた。

金を持ってるアピールをしておきながら、実際は会社の金で女を囲っているだけ。

こんな男に、玲奈は「大人の余裕」を感じていたのか。

哀れみすら感じるが、その哀れみは即座に新たな憎悪へと変わる。

俺たちが将来のためにと節約し、スーパーの特売品で自炊していた日々を、こいつらは会社の金で踏みにじっていたのだ。


俺はすべての領収書をスキャンし、不正の証拠となるものには付箋でマーキングをしていく。

だが、これだけでは「記載ミスでした」と言い逃れされる可能性がある。

もっと決定的な、言い逃れできない証拠が必要だ。

奴が意図的にやっているという証拠が。


チャンスは、昼休みに訪れた。


「相沢、俺は昼に出てくる。二時には戻るから、それまでにこの書類をまとめとけよ」

「はい、行ってらっしゃいませ」


権堂は上機嫌でオフィスを出て行った。

恐らく、また玲奈とランチでもするのだろう。

フロアには数人の社員が残っているだけだ。

俺は周囲を見渡し、誰も俺を見ていないことを確認してから、席を立った。


向かったのは、権堂のデスクだ。

「資料を確認する」という体で、堂々と彼の席に近づく。

権堂はセキュリティ意識が低い。というか、部下を舐めきっているため、自分の領域を荒らされるとは微塵も思っていない。

パソコンはスリープモードになっているが、俺は以前、彼がパスワードを付箋に書いてモニターの裏に貼っているのを見たことがある。

……あった。

『Gondo1980』。

あまりにも単純すぎるパスワードに失笑しながら、俺はロックを解除した。


狙うのはメールでもドキュメントでもない。

「裏帳簿」だ。

以前、飲み会の席で酔った権堂が自慢げに話していたことがある。

「俺は接待のプロだ。どの取引先に何を贈れば落ちるか、全部記録してある。ついでに、どの店を使えばバックマージンが入るかもな」と。

そのデータがどこかにあるはずだ。


デスクトップには無数のショートカットアイコンが散乱している。

整理整頓ができない性格がよく表れている。

俺はフォルダを片っ端から開いていった。

『重要』『会議資料』『プライベート』……。

『プライベート』フォルダの中には、ゴルフのスコア表や、愛車写真に混じって、妙なエクセルファイルがあった。

ファイル名は『管理表』。

開いてみると、そこには驚くべきリストが並んでいた。


取引先の担当者名、好みの酒や女性のタイプ、そして「贈答品」として渡した金券の金額。

さらに、特定の飲食店を利用した際に店側から受け取った「キックバック」の金額まで詳細に記されていた。

これは接待費の流用どころではない。背任行為の証拠そのものだ。


「……見つけた」


俺は震える手でUSBメモリを差し込み、データをコピーした。

さらに、過去のメールアーカイブも検索する。

キーワードは「キックバック」「裏金」「調整」。

出るわ出るわ。取引先の担当者と結託して見積もりを水増しし、差額を懐に入れているやり取りがゴロゴロ出てきた。

こいつは、ただのパワハラ上司じゃない。会社の寄生虫だ。


コピーが完了した瞬間、背後で足音がした。


「あれ、相沢さん? 部長の席で何してるんですか?」


心臓が口から飛び出しそうになった。

振り返ると、そこには入社二年目の女子社員、佐藤さとうさんが立っていた。

彼女は不思議そうな顔でこちらを見ている。


俺は一瞬で呼吸を整え、用意していた言い訳を口にした。


「ああ、部長から急ぎで資料を探してくれって頼まれてね。ファイルがどこにあるか分からなくて困ってたんだ」

「そうですか。部長、机汚いですもんね」


佐藤さんは苦笑いをして、自分の席に戻っていった。

危なかった。

冷や汗が背中を伝う。

だが、リスクを冒した甲斐はあった。これで「第二の矢」は装填された。


しかし、俺の復讐はこれだけでは終わらない。

権堂を社会的に殺すには、金銭的な不正だけでは不十分だ。

今の時代、もっとも世間が許さないもの。

それは「人の尊厳を踏みにじる行為」だ。


俺は夜、会社を出てとある喫茶店に向かった。

待ち合わせの相手は、半年前にアステア商事を退職した元同僚、高木たかぎさんだ。

彼女は優秀な営業事務だったが、ある日突然、体調不良を理由に退職してしまった。

噂では、権堂による執拗なセクハラとパワハラが原因だったと言われている。


店に入ると、奥の席に彼女は座っていた。

以前よりも痩せて、少し顔色が悪いように見える。


「久しぶりだね、高木さん。急に呼び出してごめん」

「ううん、相沢くんも元気そうで……いや、元気そうじゃないね。すごい隈だよ」


彼女は少しだけ笑った。

俺はコーヒーを注文し、少しの世間話をした後、本題に入った。


「単刀直入に言うよ。俺、権堂部長を告発しようと思ってる」


高木さんの表情が凍りついた。

カップを持つ手が震えている。


「……え?」

「俺も、彼に大切なものを奪われた。だから、彼がやってきたことの全てを明るみに出して、償わせるつもりだ。横領の証拠は掴んだ。でも、彼の人格的な欠陥を証明するためには、どうしても君の力が必要なんだ」


俺は彼女の目をまっすぐに見て、頭を下げた。


「辛いことを思い出させるのは分かってる。でも、どうか協力してほしい。彼が君にしたことの証拠、あるいは証言が欲しいんだ」


長い沈黙が流れた。

店内のジャズの音だけが空虚に響く。

高木さんは俯き、唇を噛み締めていたが、やがてバッグの中から一台のICレコーダーを取り出した。


「……これ、退職する前の日に、部長に呼び出された時の音声」

「えっ」

「いつか訴えてやろうと思って録音してたの。でも、怖くて、誰にも言えなくて……。あの人の奥さんの実家が凄いとか、会社の上層部とも繋がってるとか聞いてたから、私が騒いでも揉み消されるだけだって……」


彼女の目から涙が溢れ出した。

俺は黙ってハンカチを差し出す。


「でも、相沢くんがやるなら……私も戦いたい。あいつのせいで、私は大好きだった仕事を辞める羽目になった。許せない」


俺はレコーダーを受け取った。

その小さな機械には、彼女の無念と、権堂の罪が詰まっている。

重い。物理的な重さ以上に、人の人生を狂わせた罪の重さが、ずしりと手にのしかかる。


「ありがとう、高木さん。必ず、あいつを地獄に送る。約束するよ」

「うん……お願い。私の仇も取って」


店を出た時、夜風が少しだけ冷たく感じられた。

だが、俺の心は熱く燃えていた。

浮気の証拠。

横領の証拠。

ハラスメントの証拠。

三つの矢が揃った。


三週間という期限まで、あと三日。

会社の決算報告と、権堂の昇進がかかった役員会議は、今週の金曜日だ。

それがXデーだ。

その日に向けて、俺は全ての準備を整える。


帰宅すると、玲奈がソファでテレビを見ていた。


「あ、おかえり! 遅かったね」

「うん、ちょっと残業でね」

「そっか。大変だね。ご飯、温める?」

「いや、食欲ないからいいや」


俺は玲奈の顔を見ないようにして寝室へ向かった。

彼女の笑顔が、高木さんの泣き顔と重なる。

権堂という男は、自分の快楽と保身のために、どれだけの人間を傷つければ気が済むのか。

そして玲奈も、その片棒を担いでいる自覚すらない。


「ねえ、和也くん」


背後から声をかけられた。

振り返ると、玲奈が少し不安そうな顔で立っていた。


「最近、元気ないね? 本当に仕事だけ? もしかして、何か隠してることない?」


女の勘というやつか。

鋭いな。

だが、お前が隠していることに比べれば、俺の隠し事なんて正義の執行でしかない。


俺はゆっくりと振り返り、今までで一番優しい笑顔を作った。


「何もないよ。ただ、今週いっぱいで大きなプロジェクトが終わるんだ。それが終われば、きっとスッキリするから」

「そっか……。終わったら、またデートしようね?」

「ああ、そうだね。楽しみにしてて」


嘘だ。

プロジェクトが終わった時、お前の隣に俺はいない。

お前の隣には、破滅した男と、世間からの冷たい視線だけが残るだろう。


寝室に入り、ドアを閉める。

暗闇の中で、俺は高木さんから預かったレコーダーのデータをパソコンに移した。

再生ボタンを押す。


『おい、高木。お前、契約更新してほしいんだろ? だったら分かってるよな?』

『やめてください部長、触らないで……!』

『うるせえな! 誰のおかげで飯が食えてると思ってんだ! 俺の女になれば正社員にしてやるって言ってんだよ!』


おぞましい音声が部屋に響く。

怒りで拳が震えた。

これを聞かせれば、あの厳格だと噂の権堂の妻はどう思うだろうか。

コンプライアンスにうるさい社長はどう判断するだろうか。


俺はすべてのデータをフォルダにまとめ、宛先を入力した。

一つは、権堂の妻、真理子さんの実家宛。

一つは、アステア商事のコンプライアンス室宛。

一つは、労働基準監督署の通報窓口宛。


そして、もう一つ。

玲奈の派遣会社の管理部宛のメールも作成した。

件名は『貴社派遣スタッフの不貞行為およびコンプライアンス違反に関する通報』。

添付ファイルには、玲奈がSNSで発信していた会社の機密情報(写り込んだ書類など)や、不倫による風紀の乱れの証拠をセットする。


送信ボタンを押すのは、金曜日の朝。

それまでは、静かに、ただ静かに爪を研ぐ。


俺はベッドに横たわり、天井のカメラを見つめた。

赤いランプが、まるでカウントダウンの数字のように点滅している。


「チェックメイトだ、権堂部長。そして玲奈」


あと三日。

俺の、そしてお前たちの人生が変わる瞬間が、すぐそこまで迫っている。

静寂な部屋で、俺の鼓動だけが、戦太鼓のように高鳴っていた。

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