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帰宅したら上司と彼女が繋がっていた。だから俺は、三週間かけて二人の人生を『詰め将棋』にする  作者: ledled


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第2話 仮面の下の諜報活動

深夜一時。

重い鉄の扉を開けると、静まり返った玄関の空気が肌に触れた。

昨夜、俺はネットカフェで時間を潰した後、わざとらしくワイシャツの袖を捲り上げ、髪を少し乱してから帰宅した。


「ただいま」


声を出すと、喉がひきつるような感覚があった。

リビングのドアが開き、パジャマ姿の玲奈が顔を出す。眠そうな目をこすりながら、しかし安堵したような表情でこちらに駆け寄ってきた。


「おかえりなさい、和也くん! 心配したよ、連絡つかないし……」

「ごめん。急なシステムトラブルで、スマホを見る余裕もなくてさ。電池も切れちゃって」


嘘だ。

俺はネットカフェの薄暗い個室で、充電器に繋がれたスマホ画面を何時間も凝視していた。お前と権堂が睦み合うあの音声を、吐き気がするほど聞き返しながら。

だが、今の俺の表情にその影はないはずだ。鏡で何度も練習した「疲れ切ったサラリーマン」の顔が張り付いている。


「そうだったんだ……大変だったね。お腹空いてない? 何か作る?」

「いや、いい。コンビニで軽く食べたから。それより、シャワー浴びて寝るよ」


玲奈が近づくと、ふわりと甘い香りが鼻をかすめた。

いつもと同じシャンプーの香り。だが、その奥にかすかに残る、あの男の香水の残り香と、情事の余韻を感じ取ってしまい、胃の腑がせり上がる。

彼女の体に触れられる前に、俺は自然な動作で背広を脱ぎ、洗面所へと逃げ込んだ。


シャワーを浴びながら、俺は熱い湯に打たれる。

皮膚についた穢れを洗い流すように、ゴシゴシと体を擦る。

今日、あのソファで、俺のいない間に繰り広げられた光景がフラッシュバックする。

玲奈の喘ぎ声。権堂の下卑た笑い声。

それらが頭蓋骨の中で反響し、俺の理性を削り取ろうとする。


(耐えろ。まだ早い)


鏡に映る自分の顔を睨みつける。

目は充血し、隈ができている。だが、その瞳の奥には冷徹な光が宿っていた。

俺は今日から、俳優になる。

愛する恋人を演じながら、その実、彼女の首元にナイフを突きつけるタイミングを計る暗殺者になるんだ。


翌朝。

俺はいつも通りに起きた。

玲奈はまだ隣でスヤスヤと眠っている。無防備な寝顔だ。昨日の激しい運動でお疲れなのだろうか。その首筋に、ファンデーションで隠しきれていない赤いキスマークを見つけ、俺は無表情で視線を逸らした。


今日は土曜日だ。玲奈は休みだが、俺は「休日出勤になった」と告げて家を出るふりをした。

実際には、近くのホームセンターと家電量販店を回るためだ。

目的は、監視カメラの調達。

ネットで注文すれば履歴が残るし、配送のタイミングで玲奈にバレるリスクがある。現物を見て、確実に今日中に設置する必要があった。


俺が選んだのは、一見するとただのUSB充電アダプターに見える超小型カメラと、火災報知器に偽装した天井設置型のカメラだ。

どちらもスマホと連動し、リアルタイムでの監視と、動体検知による自動録画が可能だ。画質は4K。音声も拾える。

三万円ほどの出費だが、復讐への投資と思えば安いものだ。


昼過ぎ、俺は「忘れ物をした」という口実で一度帰宅した。

玲奈は友人とランチに行くと言って出かけており、家には誰もいない。

チャンスだ。

心臓が早鐘を打つ中、俺は作業を開始した。


まずはリビング。

テレビの横にあるコンセントに、USB型カメラを差し込む。ここはソファとダイニングテーブルが一望できるベストポジションだ。実際に自分のスマホで映像を確認する。広角レンズのおかげで、部屋の隅々まで映っている。画質も申し分ない。

次に寝室。

ここは慎重を期す必要がある。ベッドの真上にある火災報知器のカバーを、カメラ付きの偽装品と交換する。脚立を使い、手早く作業を進める。

既存の報知器を取り外し、配線をいじる。電気工事士の資格なんて持っていないが、ネットの解説動画を見ながら慎重に繋いだ。

設置完了。

スマホの画面には、俺たちが毎晩眠るダブルベッドが真上から鮮明に映し出されていた。

ここは、俺たちの愛の巣だった場所であり、これからは不貞の証拠を押さえるための処刑台となる。


「……これで、逃げられないぞ」


誰もいない部屋で呟く。

自分の家なのに、まるで盗聴器を仕掛けるスパイになった気分だ。

罪悪感? そんなものはない。

あるのは、獲物を罠にかけた狩人のような、冷たい高揚感だけだ。


その日の夜。

玲奈がシャワーを浴びている間に、第二の作戦を実行に移した。

デジタル・フォレンジック。つまり、スマホの解析だ。

玲奈のスマホは、リビングのテーブルの上に無造作に置かれている。

画面はロックされているが、パスコードは知っている。「1224」。俺たちが付き合い始めた記念日だ。

皮肉なものだ。俺への愛を証明するはずの数字が、今や俺が彼女の裏切りを暴く鍵になるとは。


浴室からシャワーの音が聞こえているのを確認し、俺は震える指で数字を打ち込んだ。

ロックが解除される。

ホーム画面の壁紙は、俺と玲奈がディズニーランドで撮ったツーショット写真だった。

この笑顔の裏で、お前は何をしていたんだ?


まずは『MINE』を開く。

トーク履歴の一番上には、俺の名前がある。

そのすぐ下に、『G』という登録名があった。

アイコンは初期設定のまま。通知オフ設定。

指先が冷たくなるのを感じながら、そのトークルームをタップする。


途端に、目に飛び込んできたのは、お花畑のようなスタンプの数々と、生々しい言葉の羅列だった。


『昨日は楽しかったね。玲奈の肌、吸いつくみたいで最高だった』

『もう、つよしさんったら♡ 私もすごく気持ちよかった……』

『和也にはバレてないか?』

『全然! あいつ鈍感だから(笑) 今日も残業で遅いって信じ込んでるよ』

『くくく、哀れな男だ。次はいつ会える?』

『火曜日は和也が飲み会だって言ってたから、その隙に……』


画面をスクロールする指が止まらない。

過去に遡れば遡るほど、二人の関係が半年以上前から続いていたことが明らかになった。

「仕事の相談に乗ってもらっている」と言って遅く帰ってきた日も。「友達と旅行に行く」と言って家を空けた週末も。

すべて、権堂と会っていたのだ。

ラブホテルの場所、レストランの名前、次にどんなプレイをするかの卑猥な相談。

すべてがそこにあった。


俺は自分のスマホを取り出し、画面を連写していく。

スクリーンショットを撮って転送するのはリスクが高い。送信履歴が残るし、万が一クラウド同期などでバレる可能性がある。アナログだが、画面を直接撮影するのが一番確実だ。

手が震えてブレそうになるのを、必死に抑え込む。

怒りで視界が赤く染まりそうになるが、今は感情を殺せ。

ただのデータだ。これは、二人を破滅させるための弾薬だ。


一通りMINEの撮影を終えると、次はSNSだ。

『Twotter』は見る専門のアカウントしかなかったが、『Ousta』には複数のアカウントが存在していた。

本垢は俺とも相互フォローしている、カフェや料理の写真を載せる健全なもの。

だが、アカウント切り替え画面には、もう一つ。『rena_secret_honey』という鍵付きアカウントがあった。


タップして中身を見る。

そこは、玲奈の承認欲求と背徳感が詰め込まれたゴミ捨て場だった。


『大人の彼とデート。高級フレンチ連れてってもらった♡』

『お揃いのブレスレット。奥さんにバレないようにしないとね(笑)』

『彼氏には悪いけど、やっぱりデキる男は違うなぁ。刺激的!』


顔こそスタンプで隠されているが、写っている男のスーツ、時計、そして体格は、紛れもなく権堂のものだ。

そして、その投稿の日付は、俺が仕事を頑張っていた日や、俺が風邪で寝込んでいた日と重なっていた。


「……ふざけるな」


声が出そうになり、慌てて口を押さえる。

浴室のシャワー音が止まった。

まずい、上がる気だ。

俺は急いでアプリを終了させ、バックグラウンドからも消去し、スマホを元の位置に戻した。

数秒後、脱衣所のドアが開き、バスタオル姿の玲奈が出てきた。


「あ、和也くん。お風呂空いたよー」


上気した頬。濡れた髪。

以前なら抱きしめたくなったその姿が、今はただの肉塊に見える。

化け物だ。

こんなにも愛らしい顔をして、平気で俺を地獄に突き落とす嘘をつける化け物。


「ああ、ありがとう。じゃあ入ってくる」


俺は彼女と目を合わせないように、すれ違いざまに浴室へ向かった。

すれ違う瞬間、彼女が俺の腕に触れてきた。


「ねえ、和也くん。今日、寝る前にマッサージしてあげようか? 最近疲れてるみたいだし」


その言葉に、背筋が凍りついた。

罪滅ぼしか? それとも、俺の機嫌を取って、さらに深く騙すための手口か?

どちらにせよ、その手で権堂の体に触れていたと思うと、皮膚が粟立つ。


「……いや、大丈夫だ。明日の朝も早いから、すぐ寝るよ」


精一杯の優しい声を絞り出し、俺は浴室に逃げ込んだ。

鍵をかけ、蛇口を全開にする。

水の音が、俺の慟哭をかき消してくれることを願いながら。


証拠は揃いつつある。

自宅での不貞行為の映像と音声。

MINEでの密会の約束と、俺への侮辱のログ。

Oustaでの裏アカウントによる、長期間にわたる不貞の自白。

これだけでも、慰謝料請求と離婚(権堂側)、そして婚約破棄の正当事由には十分すぎる。


だが、まだだ。

これだけでは、権堂という男を社会的に抹殺するには足りない。

奴は部長という地位にいる。会社での立場を守るために、あらゆる汚い手を使ってくるだろう。

「部下が勝手に好意を抱いて迫ってきた」とか、「画像は捏造だ」とか、しらを切る可能性がある。

会社側も、不倫スキャンダル程度では部長クラスを即解雇にはしないかもしれない。減給や異動で済まされる恐れがある。


それじゃあ意味がないんだ。

俺が味わったこの地獄と同じ……いや、それ以上の苦しみを奴らに与えなければ、復讐とは言えない。

権堂剛から、仕事も、金も、家族も、プライドも、全てを奪い取る。

そして玲奈からも、居場所と未来を奪う。


そのためには、第三の矢が必要だ。

個人的な恨みだけではない、社会的な「死」をもたらす猛毒が。


風呂から上がると、玲奈はすでにベッドに入ってスマホをいじっていた。

俺の気配に気づくと、パッとスマホを隠すような仕草をして、作り笑いを浮かべた。


「あ、上がったんだ。おやすみ、和也くん」

「ああ、おやすみ」


俺はベッドの端、玲奈とは反対側に体を横たえ、背中を向けた。

天井を見上げると、暗闇の中に火災報知器の赤いランプが小さく点滅しているのが見えた。

あれが俺の目だ。

俺はもう眠らない。この目が、常にお前たちを見張っている。


明日から、会社での戦いが始まる。

営業部に戻れば、目の前には権堂がいる。

俺はあいつに「おはようございます」と頭を下げ、「ご指導ありがとうございます」と媚びへつらわなければならない。

想像するだけで胃に穴が空きそうだが、やるしかない。

権堂のデスク、パソコン、そして経費の記録。

そこには必ず、奴の奢りと油断が生んだ「埃」があるはずだ。


俺はスマホのカレンダーを確認した。

決戦のXデーまで、あと十九日。

長いようで短い、地獄の潜伏期間。


背後から、玲奈の寝息が聞こえてくる。

安心して眠れるのも今のうちだ。

お前が夢を見ている間に、俺は着実に、お前たちの足場を切り崩していく。

次に目が覚めた時、そこが断崖絶壁だと気づくように。


俺は目を閉じた。

瞼の裏には、権堂のニヤついた顔と、泣き叫ぶ玲奈の顔が交互に浮かんでいた。

それを一つずつ塗りつぶしていくシミュレーションを繰り返しながら、俺は浅い眠りへと落ちていった。

静寂な寝室に、カメラの駆動音だけが、誰にも聞こえない微かな音量で響いていた。

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