第六話 行商人エルンの夜
森は、静かすぎた。
音がない。
風はある。葉も揺れている。
だが、生き物の気配が――ない。
エルンは手綱を引き、馬を止めた。
街道の脇、草が不自然に倒れている。
> 「……鹿か?」
そう思った瞬間、背筋が冷えた。
多い。
一本や二本じゃない。
引きずられた跡が、何本も、何本も重なっている。
鹿の群れが通った痕跡。
だが、違和感がある。
血が、ない。
角が折れた形跡もない。
争った跡もない。
> 「……狩りじゃないな」
商売歴二十五年。
エルンは“死んだ跡”を見慣れている。
これは違う。
> 「運ばれた……?」
視線の先。
痕跡はすべて、フェルミナ村の方向へ伸びていた。
---
村が見えた。
だが――
灯りがない。
一軒も、だ。
> 「……は?」
夜だ。
農家なら明かりがある。
酒場ならなおさらだ。
だが、闇しかない。
馬が不安そうに鼻を鳴らす。
エルンは唾を飲み、村へ入った。
足音が、異様に響く。
家々は、無事だった。
扉も閉まっている。
壊された形跡は、ない。
> 「……誰か?」
返事はない。
宿屋。
扉は閉まっている。
だが中からは、匂いがした。
肉。
煮込み。
焼き。
> 「……飯?」
混乱する。
争いもなく、
死体もなく、
人影もなく――
料理の匂いだけが残っている。
> 「疫病……か?」
否。
疫病なら、痕跡がある。
薬草。
焼かれた家。
封鎖の跡。
何もない。
> 「じゃあ……攫われた?」
だが――
家畜もいない。
犬もいない。
鶏もいない。
人間だけが消える?
ありえない。
ローデ亭の前に立つ。
扉は閉まっている。
だが、床が温かい。
> 「……最近まで、人がいた」
いや。
ついさっきまでだ。
酒の匂い。
肉の脂。
薪の残り火。
> 「……全員で、どこへ?」
エルンは、背中に冷たいものが走るのを感じた。
村全員が、
一斉に移動した?
夜に?
何の準備もなく?
> 「……祭り?」
その考えが浮かんだ瞬間、
自分で否定した。
祭りなら――
音が残る。
装飾がある。
余韻がある。
ここには、
“結果”だけが残っている。
---
森の方を見る。
鹿の跡は、ここで消えている。
> 「……鹿は、どこだ?」
数十頭分の痕跡。
それが、村の中で消えた。
> 「……食った?」
瞬間、背筋が凍る。
この量を?
一晩で?
村全員で?
> 「……全部?」
胃が、ひくりと縮んだ。
> 「……誰が、狩った?」
その問いだけが、宙に残る。
エルンは、もう一度村を見回した。
静かだ。
整っている。
壊れていない。
ただ――
人がいない。
> 「……これは……」
声が、震えた。
> 「“襲われた”村じゃない……」
> 「“消えた”村だ……」
馬が嘶く。
エルンは、無言で手綱を引いた。
ここに長居してはいけない。
> 「……朝になったら、戻ってくる」
> 「……それまでに、誰かいれば……」
だが、心のどこかで、
彼は理解していた。
この村は、戻る場所じゃない。
---
翌朝――
フェルミナ村は、何事もなかったように目を覚ます。
それを、エルンはまだ知らない。
そして彼は、
二度と“宴の夜”を正しく理解できない。
なぜなら――
この村では、
> 異常が、日常に溶けるからだ。




