プロローグ
――道が開いた日
その道が通れるようになった、と聞いた。
南の森を抜ける街道。
荷馬車が何度も引き返し、護衛を雇っても意味がなかった道だ。
理由は単純で、巨大な蛇が出る――それだけの話だった。
だから噂を聞いた時、俺は信じなかった。
危険が「なくなった」という話ほど、信用できないものはない。
だが、仕事は仕事だ。
俺は荷を積み、馬車を走らせた。
森に入って、すぐに気づいた。
静かすぎる。
馬が鼻を鳴らさない。
鳥の声がしない。
枝が折れる音も、風が葉を揺らす音もない。
それでも、道は通れた。
草は踏み荒らされておらず、
車輪の跡は新しい。
不思議なのは、
恐怖の“残り香”が一切ないことだった。
巨大な魔物がいた場所なら、
血か、骨か、臭いか、
何かしら残る。
だが、この森には――何もない。
森を抜けると、村が見えた。
フェルミナ村。
倉庫は新しく、
柵は補修され、
畑は整い、
子どもが道を走っている。
誰も急いでいない。
誰も周囲を警戒していない。
荷を下ろす前から分かった。
この村は、儲かる。
値切られない。
不足を聞かれない。
「次はいつ来る?」とだけ聞かれる。
笑顔は自然だった。
作り物ではない。
安心しきった顔だ。
それが、どうにも引っかかった。
宿で酒を飲みながら、俺は訊いた。
「この辺り、前は危なかっただろ?」
村人は首を傾げた。
「昔はね」
「でも、今は大丈夫だよ」
「見ての通り」
“誰が”どうしたのかは語られない。
理由も、経緯もない。
ただ、
「大丈夫になった」
という結果だけが共有されている。
夜。
宿の窓から、村を見下ろした。
見回りはいない。
武器を持つ者もいない。
犬も吠えない。
それでも、
この村は守られている。
理由は分からない。
分からないのに、
ここでは安心して眠れる。
それが、どうしようもなく気持ち悪かった。
翌朝、俺は荷をまとめた。
儲かった。
間違いなく、また来る。
だが――
長居はしない。
問題が起きない村は、
理由を探さなくなる。
理由を失った平穏は、
いつか形を変える。
馬車を走らせながら、
振り返って村を見た。
フェルミナ村は、
今日も平穏だった。
――それが、この村で一番おかしなことだ。




