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第二話

「……」


「……? どうしましたか」


 闇市から少し離れた移動したレストランにて、スマイダはカルボナーラパスタを口いっぱいに頬張りながら目の前の女を睨んでいた。


 レストランの窓から漏れてくる太陽の光を受け、白金のような輝きを放つ髪の下では困惑にも近い表情がある。

 女は目の前の煮えたぎっているチーズグラタンを前にして、スマイダにそう話しかけた。


「お前……頭おかしいのか?」


「はて、検査では特に何も言われませんでしたが」


 女は首を傾げて、はぐらかしているのか、はたまた本気で戸惑っているのか分からない仕草をした。


 この女は、スマイダをレストランに連れてきて『好きなものを頼んでください』と何の説明もなしに言ってきたのだ。

 金は自分が払うという、女になんの得もないことまで言い出す始末。


「……もういい。それで、目的はなんだよ」


 臓器を売ってくれとでも頼むのか、はたまた奴隷のように働けと言うのか。

 次々にそんな悪い予想が出てきてしまっても、スマイダはさして恐ろしいとは感じなかった。


 この女に出会う直前まで、死のうと考えていたのだ。今はもう死ぬ気はなくなっていたが、いずれ同じように考えるときがくる。

 今更何を言われようが、最悪何かをされる前に自死すればいい。


 スマイダは心のずっと深いところでそのように考えていた。


「いえ……目的なんてありません」


「……は?」


 女の放った言葉に対して、スマイダの口からそんな声が漏れた。


 あり得ないことだ。

 人というのは皆、目的を持って行動するものである。金が欲しいから労働を行い、知識を満たしたいから勉学に励み、疲労を無くしたいから休む。

 目的を持たずして行動するなど、あり得ない。


 だというのに、この女は目的もなしにスマイダにカルボナーラパスタを食わせていると言う。

 本当に目的がないのか。何かを隠しているのではないだろうか。気をつけなければ、食われてしまうかもしれない。


 スマイダが眼の前の人物により一層警戒心を強めてしまうのは、当たり前の結果だった。


「いや……ほら、奴隷になれとか、臓器を売れとか、そういうのじゃないのか……?」


「私はそんなに非道な人間に見えるのでしょうか?」


 とぼけるように言った女の姿が、スマイダをイラッとさせた。


「見える見えないじゃないんだ!! お前のその行動がいちいち怪しくてそう言ってんだよ!」


 スマイダからして見れば、女の行動は胡散臭い事この上ない。

 死にかけの自分の前にいきなり現れ、いきなりレストランで飯を奢ってきた女。何か目的があるのかと思えば、何も目的は無いのだと言う。


 怪しい。今までに出会ってきたことのない種類の人間だったからか、より一層、スマイダの目には女が怪しく見えた。


「そうなんですか?」


「あぁそうだよ! そこらへんにいる家なしのガキを拾って、飯を奢るだぁ!? 怪しすぎんだよ! 本当に目的はないのか!? なぁ! あるんだろ、吐けよッッ!!」


 スマイダは場に合わぬ大声を出してしまい、周りの客の視線を集めた。

 だが、眼の前の女に向けている猜疑心で周りが見えなくなってしまっているのか、その視線をスマイダが気にしている様子はない。


 女も同様に周りの視線を気にせず、彼の目を見ていた。


「……言われたのです。戦争が終わったら、人助けをしてみろ。と」


 女の顔に、陰ができていた。

 鉄仮面のように何を言われようが一切表情を変えなかった女が、ほんの少し目元を落胆させて顎を引いているのだ。


 スマイダはここで初めて、この女の人間の情というものを知った。


「……悪かったよ」


 想定外の反応にスマイダはバツが悪そうに黙り込む。

 腹はまだ空いている。だが、不思議と食事を摂ることが憚られた。食欲という大きな欲求より、申し訳なさの感情が優先されたのだ。


「お前、名前はなんて言うんだ?」


 数分続いた沈黙の空気が耐えきれなかったのか、はたまた自身の胸のうちで渦巻いている申し訳なさを誤魔化すためか、スマイダは目の前の女にそう訊いた。


「私の名前は……アトミーニャ・スカイストマです。以後、お見知り置きを」


「そうか。俺はスマイダだ」


 そう言ってスマイダはアトミーニャと名乗った女に手を差し出した。

 別に心を許したわけではない。ただの社交辞令にも近い、握手の合図だ。


 しかし、アトミーニャはスマイダの手を握るでもなく、払うでもなく、不思議そうに見つめた。


「……まさか分からないわけないよな?」

「わかりません」


 即答に呆れがきた。

 軍隊にいたのであれば、いや、その前に数十年も生きていた人間であれば、この手の出し方、形で何をするべきか分からないわけがない。


「握手だよ! 握手の合図!!」


 流石に握手が分からない訳ではないだろう。分かっているはずだ。分かっていてくれ。

 スマイダは謎の焦りが湧いてきて、アトミーニャの目を見た。


「あぁ、そうでしたか」


 アトミーニャの返答と、その華奢な手の柔らかさに、スマイダはほっと胸を撫で下ろした。

 流石に握手というものは分かるらしい。


 つくづく機械仕掛けの人形のようだな、とスマイダは思った。

 機械仕掛けの人形をというものを実際に目にしたことはないが、もしあるとしたならこんな感じなんだろう。

 スマイダは勝手に納得して、目の前に少しだけ残っているパスタをすぐに平らげた。


「お前、食わねぇのかよ」


 パスタの皿の向こうにあるグラタンには一切手が付けられていない。

 ウェイターが持ってきてからかれこれ一〇分以上は経っているというのに、アトミーニャの目の前のスプーンは綺麗な銀の光を放っていて、グラタンの表面には大きなくぼみ一つない。


「猫舌ですので」


「……流石にもう冷えてるぞ」


「いえ、まだ熱いです」


 アトミーニャはそう言って、頑なにグラタンが冷えているのを認めていない。

 確かに中心部はまだ熱いかもしれないが、それでも皿の端に近いところは火傷せずに食べられる程度には冷めているはずだ。


「俺が確かめてやろうか?」

「大丈夫です」

「遠慮すんなって」

「間に合ってます」

「まぁまぁ」

「怒りますよ」


 怒っても怖くなさそうだ、とスマイダはまだ少し満足していない胃を満たすために、彼女のスプーンに手を伸ばした。

 あと少しで掴むことができそうだという寸前、アトミーニャは咄嗟にスプーンを手に取って、グラタンの中心部をえぐり取った。


「あっ待──」


 スマイダが止める前に、アトミーニャはスプーンの上のグラタンを口の中へ放り込んでいた。


「おい……大丈夫か?」


 スマイダがそう訊くと、アトミーニャはゆっくりとグラタンを咀嚼しながら小さく頷いた。

 存外平気そうだ。やはり大丈夫だったじゃないか。スマイダはそう思った。



 が、彼女の目の端から、涙がポロッと落ちた。

 泣きそうな顔でスマイダを見てくる。


「くそっ、駄目だったかッ!」


 スマイダは急いでコップに水を注ぎ、それをアトミーニャに渡した。

 コップを受け取ったアトミーニャはすぐさまそれを口へ流し込んだ。

 彼女は冷やされた水を口の中であちこち移動させ、幸せそうにその感覚を堪能している。

 ごくりっ、と小気味いい音を鳴らして彼女は水を飲み込んだ。


「ありがとうございます」


「いや、別いいよ……俺が急かしたのが悪かったんだし」


 スマイダの中のアトミーニャ像が、怪しい女から抜けている女へと変わった瞬間だった。

 だが、それは彼のアトミーニャに対する警戒が解けたという証拠でもあり、彼女に心を許すきっかけでもあった。






 結局、三〇分かけてやっとグラタンを食べ終わったアトミーニャは、レストランでの会計を済ませると、自身の泊まっている宿へスマイダを連れてきた。


 こういうところでは珍しい、風呂付きの宿である。

 アトミーニャはスマイダの分の宿賃を払うと、早速彼を部屋へ案内した。


「いいのか? 俺がこんな部屋……」


「いいんです。人助けの一環ですから」


 普通の宿の部屋。だが、普通の生活を七年も前に手放していたスマイダにとっては、ある種の豪邸の部屋と化していた。


 寝心地の良いベッド、クッション性のある椅子、表面にコーティングがなされた机、電気の通った設備。

 何もかもが孤児であるスマイダにとっては懐かしくも新鮮なものであった。


「まずは──お風呂に入りましょうか。少々においが……その」


「臭いならはっきり言えよ。実際そうなんだし」


 スマイダはそう言って、自分の身体のニオイを嗅いだ。

 金もなく、家も無いのであれば、おのずと体を洗う機会も極端に減ってしまう。


 そのため、スマイダの体、特に頭部に関しては酷く汚れており、そこから放たれる悪臭はすでにこの部屋に充満しつつあった。

 早急に風呂へ入れなければ衛生的にも、彼女らの精神的にもまずい。


 ここらの地域には川もあるが、どこも人の目にふれる場所であり、隠れて体を洗うということもできない。

 戦災孤児のスマイダといえど、年齢的に見れば思春期真っ只中の少年である。人に裸を見られてしまうのは、体が汚れてしまうことよりも避けたいものなのだ。


「じゃ、今から入ってくるよ」


「はい、お気をつけて」


「ははっ、別に戦いに行くわけじゃないんだか……」


 そこまで言って、スマイダは昔のことを思い出した。

 父が戦場へ行く日の朝、母が今のアトミーニャのようなことを言っていた。

 父はそんな母の言葉を今のスマイダのように「そんなに心配する必要もないさ」と笑い飛ばしていたのを覚えている。


 思えば、それがスマイダの見た、最後の父の笑顔だったのだろう。

 家族を心配させまいと、必死に取り繕っていた最後の笑顔。本当の笑顔ではない笑顔。


 父が死んだという報せを受け取ったのは、その三ヶ月後の話であった。


「……? どうかしました?」


「いや、なんでもない」


 そう、なんでもない。

 彼にとってはもう昔のことである。

 絶対に変わることのない、家族での昔の出来事。


 スマイダは自身の感情を押し殺すようにしながら、そのまま宿の風呂場へと向かった。

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