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第一話

「悪いことしたら、何か言うことがあるだろ」


 一個の白熱電球のみを光源としている薄暗い部屋で、雑貨屋の店主がそう言った。

 雑貨屋と言っても、国に許可を貰い運営している正規の店ではない、闇市の中で違法に運営している店だ。


 長年続いていた戦争の影響で正規の物の値段が高くなり、比較的安価に物が買える闇市がここ数年で一気に隆盛を極め、それは終戦してから二年経とうが勢いを留めることを知らない。


「お前らだって、盗品を売ってんだからどっちもどっちだろ」


「あんだと!?」


 そう言って店主に怒鳴られたスマイダは思わず肩を竦めた。

 ミゲラ公国の戦災孤児。まだ十四にもなっていない彼のような存在はこの国では珍しくない。


 父親は徴兵の末に榴弾砲の餌食となり、母親は空爆による爆弾の直撃で死亡。彼が十二歳を迎える頃には親戚も全滅した。


「俺だって盗みたくて盗んだんじゃねえよ!! 一週間前から何も食ってなかったんだ!!」


 ただでさえ空腹で苛ついていたスマイダは、店主に怒鳴られたことによって更に腹を立て、机に平手を叩きつけて大声で怒鳴ってしまった。


「だったら金を払え! 話はそれからだ!!」


「金が無ぇから盗んでんだよ!! そんなこともわからねぇのか!」


 自分でも滅茶苦茶なことを言っているのは承知している。

 金が無いからパンを盗んでいい。そんなわけがない。だが、そんな常識を頭で理解していても、自身の胃にはびこる喪失感が、栄養が足りず疲労感を溜めている体が、店主の目を盗んで服の下にパンを隠してしまったのだ。


 店主も最初からスマイダに目をつけていたのだろう。

 何ヶ月も前から洗っていないであろう服を身に纏った訳ありげな少年。警戒をしないにしても、気にならない人間はそういない。

 店主は来店してきたときより、明らかに膨らんでいるスマイダの腹を見て、すぐさまこの少年が店の何かを盗んだと確信し、今に至る。


「金が無いなら働けばいいだろ!」


「……はァ? 俺みたいな薄汚れたガキが働けんのかよっ? こんっなボロッボロの服を着た、どこの誰かも知らねえガキを! どこの誰が雇ってくれんだッ!?」


 スマイダは椅子から立ち上がった勢いで足を机の上に乗せ、店主を睨みつける。

 腹の虫が鳴るのを誤魔化すため、何よりその腹の虫が治まらない激情を静めるために「あ゙ぁ゙ッッ!?」と凄む。


「それともなんだ? お前が雇ってくれんのかぁ!?」


「……っ! こんっの、クソガキがぁっ!」


 店主の固めた右拳がスマイダの痩せこけた頬にぶつけられた。

 殴られた衝撃と足場の不安定さによってスマイダは壁に叩きつけられた。

 じんわりと痛む右頬を抑えながらもスマイダは変わらず店主を睨みつける。


「まだ反省してねえようだな……!」


 店主から見たスマイダの姿はひどく滑稽だ。

 リードに繋がれた小型犬のように吠え散らかしている割には、これといった反撃も攻撃もしてこず、ただ睨みつけて凄んでくるだけ。これで怯ませることができると粋がっているようにしか見えない。


 店主はスマイダの薄汚れた服を掴み、スマイダごと持ち上げた。


「んだテメっ、やんの──」


 一発。

 左拳。


「ッッてぇなこのっ──」


 二発。

 蹴り。

 横腹。


「ガハっ! ゴホッ!! ……ッこのクソや──」


 顔面。




「──はぁ、はぁ、これで、懲りたか……?」


 店主がそう問いかけると、スマイダは絶え絶えな息をするだけで、何も答えない。

 それが答えだった。

 店主はスマイダの服の襟を掴むと店の外へ出て、ネズミを捨てるように、彼を路地裏のゴミ置き場へと投げ捨てた。


「ゥフーッ、ゥフー」


 視界がぼやける。

 スマイダは苦しい息をし、腫れによって狭まった視界で路地裏の土を見ながら考えていた。


 もし自分の母親が生きていたなら、父親が戦争から生きて帰ってきていたなら。

 今頃どんな生活をしていたのだろうか。


 小さいながらも帰る場所があって、温かい食事を喉へ流すことができる。腹を下さない水が飲めるだろう。

 学校にだって行くことができた。友だちを作って、好きな人ができて、先生に叱られて。そんな人並みの生活ができたんだろう。


(ッハ、馬鹿かよ)


 そんなことを考えたところで、今の生活がどうにかなるわけではない。

 そこらへんの空き地で寝泊まりをして、ゴミ箱を漁って手に入る残飯を食い、空き瓶に貯めておいた雨水を飲む。


 働くことも叶わず、孤児だらけですでにいっぱいいっぱいの孤児院は相手にしてくれない。周りからはゴミを見る目で見られ、臭いだの、汚いだの罵られる。

 どうでもいい。もう慣れた。


「ぃってぇ……あのクソ、思いっきりやりやがったな……」


 スマイダは全身に広がっている痛みを我慢しながらその場に立ち上がった。

 どうやら尻の下に生ゴミがあったようで、ほんの少しズボンが湿ってしまっている。


「っ……まぁいいか」


 どうせもう汚れている。今更汚れたって、ほんの少し模様が増えるだけのことだ。

 それより踏んづけてしまった生ゴミがまだ食えるかどうかだ。多少の腐敗程度だったら平気な胃になってきた。早くこの空洞の胃に何かをいれなくては、本当に餓死してしまう。


 スマイダは自分が踏んづけていた、おそらく果物の皮であろう生ゴミを手で掴み、口に入れた。

 噛めば噛むほど、酸味の強さとありえないほどの腐臭が口の中に広がる。砂利の食感がザラザラとしていて、それも無性の気持ち悪さに拍車をかけていた。

 更に、店主の暴行を受けて口の中が切れてしまったのだろう。血の風味が広がると同時に右の頬で激痛が走る。


「ぅっ……おえぇっ!」


 少量の胃液と血が混じった生ゴミが口の中から排出された。

 とてもだが食えたものじゃない。口の中では生ゴミと血と胃液の風味が残っていて、自然と嗚咽が出る。だが、胃にはもう何も残っていないのか、唾液だけしか吐き出すことができない。


「まっず……」


 口を服の裾で拭って、スマイダは路地裏を抜けた。

 嘔吐してしまったせいかさきほどよりも空腹感が強く、今にも倒れてしまいそうだった。


 食べることができれば何でもいい。本当に、本当に死んでしまう。考える前に、本能でそう悟った。


「うわ……何だあれ……」


 通行人の一人がスマイダを見てそう呟いた。

 顔は店主に殴られパンパンに膨れ上がり、薄汚れた服を着て、髪もぼさぼさ、体からは鼻を摘みたくなるほどの悪臭が放たれている。

 いくら環境が悪いとされる闇市でも、このような風貌の少年は珍しい。


 だから、誰もがスマイダに注目した。

 しかし彼に声をかける者は一人もいなかった。

 見るからに問題を抱えている子供に声をかける物好きは闇市にだって少ないのだ。


(んだよ……こっち見んなよ……)


 スマイダは自分が軽蔑の対象になっていることにほんの少し腹を立てながら、ふらついた足取りでゴミ捨て場へと向かう。

 ふと、スマイダの頭の片隅に疑問が浮かんだ。


 “何のために生きてんだ?”


 親類は全員死に、知り合いもどこかへ消えてしまった。

 行政は自分を見て見ぬふりをし、孤児院はもういっぱいいっぱいだと引き取ってくれない。金を稼ごうにも雇ってくれるところはない。雇ってもらうためには最低限身だしなみを整える金が必要だ。


 言うなれば、詰み。


 この状況を変える手段は他にもあるかもしれない。

 だが学校にも行ったことがなく、読み書きすらままならないスマイダが、その他の手段を考えるなんてことは到底不可能である。


 もしここで生き延びたとしてもいずれ限界が来る。

 今やっていることはその限界がやってくるまでの延命治療にも近く、もしかすると、今がその限界の直前なのかも知れない。


 生きるために動くか、死にたくないから動くか。

 大体の人間、ひいては大抵の生物が、そのどちらかを選んで生命活動を続けているのに対し、スマイダはもはやどちらも選んでいなかった。


「馬鹿らしい……」


 頭の片隅に存在していた考えが思考の大半を占めてしまえば、話は早かった。

 スマイダはそこらへんの壁によりかかって座り込み、目を瞑る。

 いつまでこうしていればいいのか分からないが、いずれは訪れる死のことを考えれば、それほど長い時間待つ必要もなさそうだ。


 道の傍らに座り込んでしまえば、周囲の人間は彼に注目することはなくなった。

 闇市でよく見かける光景になってしまったのだ。

 数日もすれば片付けられる悪趣味なオブジェ。



 だが、そんなオブジェを見かけて、話しかけた物好きがいた。


「そこで何をしているんですか」


 酷く落ち着いた、無愛想な声。

 スマイダは顔を上げて、その声の主の姿を見た。


 ミゲラ公国軍の真っ黒な軍外套を身に纏った、表情筋の死んでいる女。

 銀でできた糸のような髪、同色のまつ毛に囲われた瞳は翡翠のような緑。

 雪景色の中にこの女がいれば、翡翠の玉が二つ転がっているように見えるのだろう。


「……軍人が何の用だ」


「……? あぁ。私は軍人ではないです」


「んじゃ、その軍服はなんだよ」


「退役した時にくすねてきました。結構あったかいんですよ、これ」


 なおさらスマイダには意味がわからなかった。

 退役軍人が何のために自分に話しかけてきたのか。


 そもそも、なぜこんなところにいるのか。

 元軍人なら、ここ(闇市)にくるほど金に困ってはいないはずだ。


「それで、何の用だよ」


 嗤いにきたのか。はたまた説教をしにきたのか。

 スマイダが物を盗んだのは先程が初めてではない。今までにも食料やら何やらを盗んだことがあるのだ。

 どこかの店が自分を痛めつけるためだけに、元軍人を雇ったのかも知れない。


「殴りにきたのか? だったら早くやれよ」


 もっとも、死ぬことに身を任せたスマイダにとってはどうでもいいことだった。

 今更傷が増えた所で変わりない。逆に死期が早まる分、良いことなのかもしれない。


 しかし目の前の彼女が放った言葉は、スマイダが予想だにしていなかったものだった。




「私についてきませんか?」

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